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神経質礼賛 1866.プラモデルの街

 市の広報誌に静岡駅南口に新たにできたモニュメントのことが書いてあったので、出勤前に探してみた。駅南口に半島状に突き出したバスターミナルの奥にあった。こちらは駅北口と異なり、バスは少なく閑散としている。朝7時前、タミヤ模型へ従業員を送迎するバスが1台停まっているだけだった。車体にはタミヤのプラモデルがラッピングされていて目を引く。モニュメントには「模型の世界首都・静岡」という文字が入ってプラモデル状の形をしているが、青一色で目立ちにくいし、そもそも人が通らない場所であるから、気が付かない人も多いのではないかと思う。横にある説明パネルの方が小さいけれども、まだ見やすい。世界首都とは大層なキャッチコピーながら、目立たないように設置するのが、引っ込み思案の静岡人らしいやり方である。

 日本のプラモデルの約8割が静岡市内で生産されていることはあまり知られていない。徳川家康が駿府に種々の分野の職人たちを集めたことがその原点になっているという説もある。プラモデルに熱中した経験がある男性は少なくないだろう。お若い方ならばミニ四駆やガンプラ(機動戦士ガンダムのプラモデル)に夢中になったことがあるかと思う。私も小学生の時にはゼロ戦などの戦闘機や戦車や軍艦のプラモデルを小遣いで買って作ったものだ。当時の小遣いが月300円。モーター付きの戦車はその金額で買えてコストパフォーマンスが高かった。坂や障害物を乗り越えさせて遊ぶことができたから、何台か作った。駄菓子屋へ行けば10円で買える小さなプラモデルもあった。プラモデルをきれいに作るのは難しい。丁寧にバリ取りをして注意深く接着する必要がある。接着剤がはみ出すと見苦しくなる。シール貼りにも細心の注意を要する。ずれたら修正困難だ。さらに塗色するのは上級者でなければうまくいかない。かなりの神経質が要求される。根気や集中力を養うにはよい経験になる。私の場合は小学校高学年からはラジオやアンプなどの電子工作にのめり込んでいったが、物作りの原点はプラモデルだったと思う。最近の「巣ごもり需要」からプラモデルの売上は好調らしい。

2021年5月13日 (木)

神経質礼賛 1865.もし治ったら

 今まで、神経症は治そうとするのを忘れた時に治っている、とたびたび書いている。何を馬鹿げたことを、と思われる方もおられるだろうが、実際そうなのである。人前で緊張してドキドキするのは当たり前であるし、鍵をかけ忘れていないかスイッチを切り忘れていないか心配になるのも普通のことであるし、どんなに健康な人でもたまにはは眠れなかったり頭痛がしたり腹の調子が悪かったりすることはあるはずだ。そうしたことを過度に病的であるとして、完全になくそうとする、「不可能の努力」をしているうちに、ますます注意が自分の方に向いて「症状」を固着させてしまうのが神経症である。その不可能の努力を日常生活の中の建設的なことに向けていくのが森田療法だ。事実をそのまま受け止め、「症状」はあろうがなかろうが、その場でやるべきことをやっていく習慣が付けば、自分自身が作り出していた「症状」は気が付けば自然と消退しているのである。森田先生は次のように言っておられる。

 治ったら、気がハッキリするとか、気分が悪いのがなくなるとかいう間は決して治らぬ。気分は悪くとも、どうでもよいという風になると治るのである。
 不眠でも、赤面恐怖でも、なんでもこれを治そうと思う間は、どうしても治らぬ。治す事を断念し、治す事を忘れたら治る。これを私は「思想の矛盾」として、説明してある事は、皆さんの御承知の通りです。例えば、岸辺の景色が(思想・観念という)水面に影を映すようなもので、(観念の)水がなければ、影という余計なものがなくて、ただ景色そのままの事実があるのみであります。観念があるために余計な邪魔になるのである。(白揚社:森田正馬全集第5巻p.318)

 そして、よりよく生きたい、という「生の欲望」に沿って行動していけば、気がつくと人並以上に力を発揮しているのである。

2021年5月 9日 (日)

神経質礼賛 1864.現金自動精算機

 今年も自動車税の払込用紙が送られてきた。昨日、出勤途中、コンビニに寄る。住民税・固定資産税・年払の生命保険料・母の家の水道料支払はいつもコンビニで済ませている。レジの人に払込用紙と現金を渡したら、「お金はお客さんが入れて下さい」と言われ、「?」。今までならば店員さんがお勘定してくれて、レジ機画面の承認ボタンを押すだけだったのが、いつの間にかレジの機械が替わっていて、現金投入口がついたものになっているのにやっと気が付いた。商店に導入が進んでいる現金自動精算機というものだが、コンビニで見たのは初めてだ。レジの処理が速くなり、店員さんがお金を触らなくて済むから感染防止対策になるし、釣銭間違いの心配もない。しかし、故障したら厄介だろうな、と余計な心配をするのが神経質である。世の中の変化は本当に早い。

 変わったと言えば、今まで現金での決済率が極めて高かった日本でも最近は電子マネー決済が急に増えている。電子マネーを嫌っていた高齢者もポイントに釣られて使うようになってきたようだ。便利な反面、お金を「見えない化」してしまうと、お金の管理がルーズになる懸念がある。実際、外来の患者さんの中には電子マネーになって、ついつい買い過ぎてしまう人がいる。今までは所持金が直感的にわかるし、支払いの際にお金が手元を離れていく時の一抹の寂しさがあったが、電子マネーにはそれはない。使い過ぎに注意する必要がある。

2021年5月 5日 (水)

神経質礼賛 1863.山口さんちのツトム君に隠されたテーマ

 昨日、朝6時のニュースを見ていたら番組が「みんなのうた60」に変わった。子供向けの「みんなのうた」が始まったのが1961年4月。ちょうど60周年ということで、話題となった歌にまつわる秘話を特別番組で紹介していた。

 「山口さんちのツトム君」がみんなのうたで放送されたのは1976年。150万枚を超えるミリオンセラーとなった歌である。ちょっとおませな女の子が仲良しの年下の男の子のことを歌うという形を取っている。作詞作曲したシンガーソングライターみなみらんぼうさんは、「ツトム君のモデルは誰かとよく聞かれて、誰もいないと答えていたけれども、後で自分自身だと気が付いた」とインタビューに答えていた。みなみさん自身、中学生の時に母親を亡くした。自分を支えるつっかい棒がなくなってしまった、いつかふっと帰ってきてくれるんじゃないか、そういう思いがあったという。歌の中では、田舎へ行っていたママが帰ってきて、ツトム君は元気を取り戻し、おみやげのちょっぴり酸っぱいイチゴを女の子と二人で食べる、ということになって聞く人をほっとさせる。楽しい子供向けの歌には近親死のテーマが隠されていたのだ。

 近親死は残された人たちに大きなダメージを与える。配偶者、親兄弟、さらには子供の死もある。森田正馬先生も一人息子に先立たれ、弟子の高良武久先生に、「僕は死にたいよ」と言ってさめざめと泣いたかと思うと、著作に打ち込み、そしてまた泣くという状況だった。のちに形外会の場で次のように述べておられる。

 (形外会会長の)香取さんも、最近十七歳のお嬢さんが、亡くなられた。私も「正一郎の思い出」で御承知の通り、二十歳の一人息子に死なれた。二十年の間、寸時も休みなく、その現在現在に、心を尽くした子宝が、一朝にして消滅してしまった。「ただ悲しい」、ただそれだけである。なんともほかにしかたがない。これが最も確実なる人生の事実である。ことさらこれを裸になったと思うとか、諸行無常だとか、強いて思い煩らう必要はない。ただ悲しい。それだけで最大限であり、また最小限であるのである。
 我々人間は、物事に執着し、あこがれたり喜んだりする。これが破滅すれば悲しみ苦しむ。これが事実である。その破滅したとき、これを抽象すると「裸になった、もとに帰った」という事になる。
 この喜ぶとか悲しむとかいう事は、夏は暑く冬は寒いというと同様で、どうにもしかたのない事実である。思い曲げようとしても、決して曲がるものではない。すなわち洞山禅師は寒い時は寒になりきり、暑い時は熱になりきれと教えた。つまり、事実そのままよりほかに、しかたがない、という意味にほかならぬのである。(白揚社:森田正馬全集第5巻p.325)

 ただ悲しい、その思いを抱えながらも、残された者は生きていく。

2021年5月 3日 (月)

神経質礼賛 1862.労働力調査(2)

 母が住んでいた家に、今度はガス会社から4年に1回のガス器具点検に来たが不在だったという通知が入っていて、日曜祝日でもよいと書いてあったので、昨日の午前に予約して来てもらった。予約は2時間の枠なので、いつ来るかわからず、将棋番組を見ながら待っていると30分ほどして来てくれた。10分足らずで終わる。電気・水道はもちろん、ガス・電話・NHKも解約せずそのままにしてある。コロナが終息して外出ができるようになったら時々施設から連れ出してあげたいと思っている。

 ドアホンの記録を見ると、ガス会社の人以外に来訪記録がもう1件入っていた。以前、労働力調査(1859話)の封筒を持ってきた人のようだ。ポストを開けてみると、「礼状在中」と書かれた封筒が入っていた。中には総務省統計局長名義の礼状と、県からの御礼の品が入っていた。箱を開けると、箸が2膳入っている。うーん・・・。これはボールペンよりも始末が悪い。新しい箸が必要になることはそうはないし、好みがあるから、使わずにお蔵入りのままになってしまいそうだ。原価だって二百円位はしそうだし、それを届ける人件費もかかっていて、それでいて迷惑がられるのだから、実にもったいないと思う。時節柄、紙マスクでも配れば、軽いから配る人も楽だろうし、どこの家でも使うだろうに。神経質が欠如しているとしか言いようがない。

2021年5月 2日 (日)

神経質礼賛 1861.大幅に遅れているワクチン接種

 いよいよゴールデンウイークに突入した。東京や大阪などでは非常事態宣言が発令されて移動を避けるように言われている。しかし、駅では大型キャリーバッグを引っ張って歩く人の姿が目に付く。ウイルスが感染力の強い変異株に置き換わり、さらなる流行の拡大が懸念される。頼りはワクチン接種が進んで国民の大部分の接種が完了することである。TVニュースでは高齢者のワクチン接種が行われている様子が報じられている。本当に政府が喧伝しているようにワクチン接種は進んでいるのだろうか。

 この2月から医療従事者にワクチン接種が始まった。私の勤務先でも3月中にはワクチン接種を行うはずだったのだが、1カ月遅れて4月の中旬に行うことになった。それが、市からの供給が遅れていて、今のところ5月中旬の見込みということでどんどん遅れているのである。マスコミは政府に不都合な情報を流せないのだが、医療サイトでは国民全体に接種が行きわたるまで相当の年数がかかる見込みとの情報も流れている。しかもワクチンの効果も半年とか1年で減弱するだろうから次々と3度目4度目の接種をしなくてはならない。年内に国産ワクチンを開発するなどという某大臣の発言は選挙対策のハッタリであることはミエミエだ。

 昨日(5月1日)、渋谷・原宿・新宿駅周辺で東京都が若者480人にアンケート調査を行った結果が報道されていた。不要不急でも外出した理由は、「マスクをしているから大丈夫」が160人と3分の1を占め、「皆が外出しているから」が73人で両者を合わせてほぼ半数に上ったという。これだけ感染が広がってくると、マスクをして手洗いをしていても市中感染のリスクが高くなっている。変異株の感染では若者でも重症化する恐れがある。とにかく私たちにできることは、神経質を発揮して極力危険な場面を避けることである。

2021年4月29日 (木)

神経質礼賛 1860.カーテンコール

 つい最近、私の外来に来るようになったバリバリの強迫の人がいる。かれこれ30年ほど何人かの森田療法家や生活の発見会を渡り歩いてきた。仕事をしておらず、日常生活も立ち行かなくなり、風呂にも入っていない。初診の時は大幅に遅刻。強迫の人は概して時間が守れない。いろいろ確認するため万事に時間がかかって、家を出るのが遅くなり、結果的には約束の時刻に間に合わず時間にルーズということになってしまうのだ。そして、順番が来て、呼び出してもなかなか入室しない。長時間トイレに籠って人目につかないところで確認行為や儀式をやっているのである。何度も呼び出してやっと入室してきたかと思うと大量の荷物を持ってきて、その中からノートを探して取り出すまで時間がかかる。そしてノートを見ながらしゃべり出したら過去の話を果てしなく続けて止まらないし、何度も確認を求めてくる。多くの外来患者さんを抱えているので、私が外来で面接できるのは10分間、本人の御希望に沿って薬は使わず日記指導で外来森田療法を行っていく、ということで了解されたが、出ていくまでにこれまた時間がかかる。そして、次の患者さんを呼ぼうかという時にまた入ってきて、あれこれ確認していくのだ。ありがたくない「カーテンコール」(演奏会の終わりに指揮者や演奏者が拍手に答えて再登場して挨拶すること)である。再診の時も、予約の時刻より大幅に遅れてやってくる。本人によれば、朝、洗濯物を干そうかどうしようかと思ったが、干していたら時間がかかってしまったと言う。そして、日記のノートは買ったけれども書けないから持ってこなかったという。優先度の高いことからやっていくようにと指導する。10分という約束が結局は30分近くかかって、後の患者さんを待たせてしまうことになる。

 その人の行動について、「木を見て森を見ず」「本末転倒」「二兎追うものは一兎をも得ず」などと説明すると、いたく納得されるが、実際の行動を変えない限り改善は見込めない。「自分は森田で治りますか?治りますよね?」と何度も問うてくるが、「あなたの行動次第ですよ。そして、治るとか治らないとか言わなくなった時に治っていますよ」と答えている。とにかく理屈より行動である。「わからずに居る」(*)(1845話)ができる素直な人ならばどんどん良くなってカーテンコールもなくなるのだけれども。

(*)岡本重慶先生、4月2日付の京都森田療法研究所ブログに詳しく御解説いただきありがとうございました。

2021年4月25日 (日)

神経質礼賛 1859.労働力調査

 母親が施設に入所した後も、週に2回は家に行って異状がないか確認し、郵便物をチェックし、ざっと掃除機をかけている。玄関のドアホンのカメラ記録があるので、いつどんな人が来ているか見ることができる。先月、3回も同じ人が来た記録があって、最後にポストに「労働力調査」と書かれた大きな封筒が入っていた。開けてみると、何やら国勢調査のようなアンケート用紙と総務省統計局長からのお願い状が入っている。実際に依頼に回っているのは県統計調査課人口就業班という部署に属する県職員だ。雇用動向や就業者の労働実態を把握して、完全失業率などの計算などに使うために、全国で約4万世帯を対象に調査するのだそうで、2カ月連続でアンケートに答えなくてはならない。宝くじには当たらないのにこういう妙なものに当たってしまうものだ。それにしても、母のような90近い高齢者の単身世帯にアンケートを依頼するのもどうかと思う。働いている可能性はまずないし、介護に来ている家族が書くことになる。面倒だと思いながらネット回答したら、今月もまた2回目の回答を要求する封筒が入っていた。気分はともかく、やっつけるに限るので、これまたすぐにネット回答する。

 最近は、国勢調査の回答率が下がっているという話もあるけれども、この労働力調査はさらにプライバシーに関わる内容もあり、回答を拒否できないか、という意見がネット上に出ている。勤務先名、仕事内容、雇用契約期間、勤務先の企業全体の従業員数、働いていなければ求職の理由などを書かなければならないから抵抗感が出るのももっともである。しかしながら、法的には拒否できないようだ。謝礼の品は地域によって異なり、ボールペンとかタオルらしいけれど、そんな物を置いて行かれても迷惑千番である。例えば地域限定で使える商品券でも配布すれば、もらって困らないし地元商店の活性化につながってよろしいのではないかと思うが、頭が固いお役人様方には考えつかないのだろう。来年もまた同じ時期に2回、回答しなくてはならない。来年もさっさと回答して終わらせようと思う。

2021年4月22日 (木)

神経質礼賛 1858.アサイッチ

 サンドイッチが美味しい店が家の近くにある、と妻が言う。アサイッチという店名を頼りに調べてみると朝6時半開店で家から500mほどの所にあるようだ。先日、朝8時に行ってみたら「本日分は完売しました」という紙が貼られていた。そこで、開店時刻に行ってみることにした。

 普段の通勤とは反対方向に歩いて行く。犬の散歩中の人たちがあちこちで集まって立ち話をしている。部活の朝練らしい高校生が次々と自転車で走って行く。(静岡の)清水寺前の公園にはラジオ体操をしている人たちがいる。暑くも寒くもなく快晴で気持ちが良い。神経質らしく6時半ピッタリに店に着く。中をのぞいてみると、色とりどりのサンドイッチが並んでいる。ところが、ドアは閉まっている。おかしいなあ、と思っていると、中から店員さんが出てきて小さな椅子を出して上に手の消毒液を置く。メンチカツとハムレタスサンド、フルーツミックスとイチゴサンドの2セットを買う。「保冷剤は要りますか?」と聞かれて、「すぐ冷蔵庫に入れるからいいです」と答える。朝の散歩の途中に買って、公園などで食べる人もいるのかもしれない。私は昼食に食べてみる。コンビニのサンドイッチとは異なり、直角二等辺三角形の直角部分までしっかり具が入っていて食べ応えがある。フルーツサンドは甘さ控えめでいい感じだった。

 この店は数年前からあるらしい。ここで調理して、他の2カ所の販売所にも出しているようだ。最近はコロナ禍で、夜の飲食店が昼や朝の営業に切り替えているという話をTVニュースで見る。皆さんがお住いの街にも朝早くから営業しているお店があるかもしれない。朝の光を浴びて睡眠リズムを整えるメラトニンを増やしながら美味しいものにありつけたら一石二鳥である。

2021年4月18日 (日)

神経質礼賛 1857.日常行為の癖

 森田正馬先生のところで月1回行われていた形外会では、神経質談義ばかりでなく食事が供されたり余興があったり全員で東京音頭を踊ったりしてレクリエーション的な側面もあったようだ。ある時、夕食が振舞われ、その後で参加者の日常行為の癖について人数を調べて発表された。

一 自分が座敷に坐っていて、そこを人が通ろうとするとき、人に自分の前を通らせようとする人、十五人。自分がちょっと体を前にずらせて、人に自分の後ろを通らせる人、二十七人。
二 自分の家にある蜜柑とか枇杷とかを食べるとき、悪いものから先に食べる人、二十人。よいものを先に食べる人、二十二人。
三 風呂に入るとき、ひと思いに飛び込む人、二人。ジリジリと、身体を沈める人、四十人。
四 同じく入浴するとき、惜し気なく風呂桶で湯を汲み出す人、八人。最小限度に倹約して使う人、三十四人。
五 食事のとき、おかずを好きなものから、先に食べる人、二十二人。好きなものを後に残して、最後に食べる人、二十人。
六 外出のとき、お金を持たずに平気で出る人、二人。金を持たねば不安心の人、四十人。
七 朝、顔を洗うとき、石鹸を使う人、十三人。石鹸を使わぬ人二十七人。
(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.541-542)

 一は畳の大広間での宴席が少なくなった現代ではあまり遭遇することのない場面だ。三、六は万事慎重な神経質だと当然そうなるだろう、という数字である。四、七は、森田先生のところでは水は無駄なく使うことを日常生活の中で教えられていたし、無駄な歯磨き粉を使わない習慣だから石鹸も普段あまり使わなかったのだろう。
 二の場合、果物は保存しているうちに痛みやすいから、傷みかけているものから早く食べようとするのが私の習慣だ。だから、神経質の集まりでは大差がつくかと思いきやほぼ半々の結果であり意外である。良いものから食べるというのもおいしく食べられるということで一理はある。また、五についても、私の場合は好きな物は徹底的に最後に残す。妻から「残しておくとパクっと食べちゃうよ」と冷やかされるのが常だ。これまた、形外会では好きなものを先か後にするかは互角である。この辺は神経質性格とは無関係の単なる癖ということになるのだろう。

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