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神経質礼賛  1916.セレナーデ

 以前勤務していた病院の行事でハイケンスのセレナーデという曲を演奏したことを書いた(1457話)。その時は、どうしても楽譜が手に入らなくて伴奏音源が作れず、仕方なく普通の演奏に合わせて弾いたのだった。最近、ネット上のペトルッチ楽譜図書館にその楽譜が公開されているのに気が付いた。今年新たに追加されたものだ。早速、伴奏譜をプリントアウトして打ち込んでいく。繰り返し部分が多いので部分複写が効いて意外と手間がかからなかった。ただし、主旋律は同じでも伴奏部分は微妙に変えてあったりするので、しっかり「確認」する必要がある。神経質の出番だ。休みの日に半日ほどで打ち込めた。作った音源をMP3プレーヤーに移し、スピーカーで鳴らして、それに合わせて弾いてみる。四分の二拍子の行進曲風で心がウキウキしてくるような曲である。戦時中はNHKラジオ番組「前線へ送る夕(ゆうべ)」のテーマ曲として流れていたそうだが、今はほとんど演奏される機会がなく、JRの寝台列車などで車内チャイム音に使われているということだ。旅行にはピッタリの曲だと思う。

 同様に、セミ・クラシックの名曲、ドリゴのセレナーデも今はあまり演奏されない。子供の頃、レコードの名曲集に入っていて聴いたことがある。ヴァイオリン・ピース(小品の楽譜)も売られていたが、今では手に入りにくくなっている。これもネット上に公開されたものから伴奏音源を作ってある。こちらは八分の三拍子のワルツ風でとてもロマンチックな曲である。こうした親しみやすいセレナーデがもっと演奏されるようになるといいなあと思う。

 セレナーデは小夜曲と訳され、特定の形式があるわけではなく、夜に恋人の家の外で楽器を弾きながら恋を歌うのが始まりだったらしい。モーツアルトの弦楽セレナーデ「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」だとそういう使い方もできそうだが、チャイコフスキーの弦楽セレナーデだと、王宮から王女様が現れそうな感じである。

2021年10月14日 (木)

神経質礼賛 1915.ムクドリの大群

 10月になっても最高気温が30℃に達する日があったが、昨日は薄い上着では肌寒い感じがした。仕事帰りに駅まで送ってもらうと、雨は上がっていて、駅前の木々の枝にはムクドリらしい鳥たちが止っている。ホームに上がり、いつものように25分ほど電車を待つ。暗くなり始めた空をぼんやり眺めていると、黒い点が集まって激しく動き始めた。駅前にいたムクドリたちが群れをなして飛び回り始めたのだろう。ざっと見てその数、軽く千羽は超えていそうだ。東へ西へと激しく動き回る。そのたびに輪が大きくなったり小さくなったりする。まるで大空に現れたモンスターのようだ。急旋回を繰り返していて、よく集団でまとまって動けるものだと感心する。これだけ多数で高速で飛び回っていたら、天敵の大きな鳥も体当たりされてダメージを受けそうだ。あるいは敵を寄せ付けないためのデモンストレーションなのかもしれない。
 何でもない平凡な毎日のようだけれども、ちょっと周囲に注意を向ければこんな観察もできるのである。

 かつては作物の害虫を食べてくれる益鳥として歓迎されていたムクドリは、今では駅前の街路樹や繁華街の電線に集まって、糞や羽を落として、鳴き声も相当なもので、すっかり嫌われ者になっている。各地でムクドリ追放作戦が行われている。スピーカーでムクドリが嫌う音を流して追い払う所が多く、中には鷹匠が鷹を飛ばせて追い払うというものもあった。浜松市では人がハンマーで街路樹を叩いて追い払うということをしていたらしい。人手がかかる上、効果は一時的である。昨年、強力なLED光を当てて追い払うという新兵器が登場し、より効果の高い光を研究中とのことだ。カラスのようにゴミを漁って散乱させるようなことはなく、食べ物は主に虫なのだから、駆除ではなく何とか共生できないものだろうかと思う。

2021年10月10日 (日)

神経質礼賛 1914.下手の考え休むに似たり

 私は高校生の時、数学で完全に落ちこぼれた。理系クラスでは1年・2年で数Ⅰから数Ⅲまでの3年分を全部済ませて3年の授業は入試問題を解くだけだったから、苦痛以外の何物でもなかった。当時の東大や京大の数学は難問中の難問が多く、4問のうち2問を正解できて、あと1問で部分点が取れれば十分とさえ言われていた。そんな問題をいくら考えても、糸口が全く見つからない。あれこれ考えても時間だけ空費していく。まさに「下手の考え休むに似たり」だなあ、と思った。ヘボ将棋ではいくら長考しても妙手が浮かぶはずもないのと同じだ。クラスメートに優秀なK君がいた。K君は決して「ガリ勉」タイプではなく、サッカー部で活躍していた人だ。しかし、数学教師でも解けない入試問題をスラスラ解いてしまうのだった。それに引き換え、自分は情けない、何て馬鹿なんだろう、といつも思っていた。K君はその後、東大医学部大学院の教授になり、脳神経の基礎研究で文化勲章を贈られている。K君が優秀過ぎただけで彼と比較して落ち込む必要はなかったのだ。花は紅、柳は緑。自分の特性を生かしてできることをやって行けばよいのだ。
 当時の私がしたことは、基本的な問題集を最初から順次解いて基礎の力を付けていくことだった。遠回りのようだけれども、これは確実な方法だったように思う。何とか並みの入試問題は解けるようになり、時には難問も解き方が見えるようになったのだった。

 「下手の考え休むに似たり」は強迫の人の考えにも言えるところだろう。車のギアをニュートラルにしたままアクセルを思い切り踏み込んでエンジンをフル回転させても車は1cmたりとも動かないようなもので、頭の中を空転させているだけである。森田正馬先生は、「非常に望みが多く、計画のみ大で、少しの遺憾もなく完全無欠にせんと心の中で細かく計算し、次第に細かくなり、幾らでも用件が増えて限りがない」と悩む人への手紙で次のように書いておられる。

 吾々は仕事が多く、計画が多く、それが精密なほど益々上等で、多々益々弁ずるのがよいのであります。
 それには、只一言、「必ず手を早く出し、実行しながら常に工夫する」事であります。坐つて考へては机上論になり、「下手の将棋は休むに似たり」になるのであります。例へば箱を作るならば、先づ何でもよし、手近の金鎚を出しながら、板の材料を考へるといふ風に、仕事の順序はアベコベでもよいのであります。 (白揚社:森田正馬全集第4巻 p.414)

 考えてばかりいても何もならない。少しでも実行に移していくことである。

2021年10月 7日 (木)

神経質礼賛 1913.LEDシーリングライトへの交換

 築20年になる我が家の洋間の照明はすべて同じ型の40W+32Wの丸形蛍光管シーリングライトに統一されている。そろそろLEDのものに交換したいと以前から思っていた。LEDだと消費電力が少ないし蛍光管を交換するような手間も省けるし調光もできて便利だ。しかし、リモコンが付いているのは良し悪しだ。本当にリモコンだらけになってしまう。リモコンの電池交換の手間も発生する。悩ましいところだ。

 3年前、子供が一人暮らしを始めてアパートに入居した時、照明器具がないというので、慌てて日立製LEDシーリングライトをプレゼントした。その子供も今度首都圏に引っ越して新居は照明付きだったので、そのライトが浮いてしまった。まだ長く使えそうでもったいないので、1階の楽器練習室のライトをそれに交換することにした。小さな脚立に乗って、古い器具を外す。2カ所木ネジで天井に止めてあって、ドライバーで外すのに力が必要だった。作業中にバランスを崩しそうになってちょっとヒヤッとする。私は元々運動神経が鈍く、さらに加齢で動きが悪くなっている。蛍光管付なので下に落としたら危険だ。安全第一。神経質に作業しなくては。LEDシーリングライトの取付は、購入時の取付説明書はなかったものの、何となくやり方がわかり、さほど苦労はいらなかった。

 リモコンには「あかりセレクト」というボタンがあってA「さわやか」蛍光灯、B「よみかき」図書館、C「だんらん」食卓、D「くつろぎ」電球 モードが選べる。譜面台の楽譜を見る時はBモードで明るくし、CDの音楽を聴く時はDモードで少し暗くしてみる。そして、掃除機をかける時はAモードで明るくしてみようか。

2021年10月 4日 (月)

神経質礼賛 1912.星座早見盤

 秋から冬にかけては星を見るのに絶好の季節である。ただ眺めてもどこにどのような星が出ているのかまるで見当が付かないので星座早見盤があると便利だ。日付と時刻に合わせて回転させれば、その時、見えるはずの星の位置がわかる。 それに載っていない明るい星が見えたら、それは金星・火星・木星・土星のいずれかである。長年使っていた学研「4年の科学7月号」付録の星座早見。18㎝四方のグリーンのプラスチック製で小さな方位磁石が付いていてとても気に入っていたけれども、星が描いてある紙の盤がもう茶色く変色して見にくくなってしまった。神経質ゆえ実に物持ちが良い。半世紀以上使えばもう十二分に元は取っている。その頃の科学の付録には望遠鏡もあった。対物・接眼レンズだけがついてきて、自分で用意した画用紙を黒く塗って丸めて作るもので、三脚はないからベランダの手摺に乗せたり横を窓枠に付けたりして、30倍の天体望遠鏡としてちゃんと機能した。主に月を見るのに使っていた。

 新たに購入した星座早見は25㎝四方と大きく、老眼にも見やすい。星は青地に白い蓄光インクで描かれている。見るエリアが楕円でなく、貝殻のような形をしている。これは、観察している場所の北緯によって見える範囲が異なるため、北緯25度・30度・35度・40度・45度の場合の視界が表示されているためである。今回購入したものは千円もしないものだ。簡単なものは百円ショップのダイソーにもあるらしい。星座を見る分には望遠鏡は不要である。天気の良い夜には星座早見を手にベランダから星空散歩も良い。スマホやパソコンの画面を見過ぎた眼のためにもなるだろう。

2021年10月 3日 (日)

神経質礼賛 1911.感染の消長は「ノリ」次第?

 先月末で緊急事態宣言は解除となった。仕事帰りに家に向かう途中、飲食店に明かりが灯っていたり、カップルたちが手をつないで歩いていたりするのを見ると、街に活気が戻ってきたと感じる。喜ばしい反面、さらなる第6波の発生も懸念される。

 今回、大方の予想に反して急速に第5波が収まってきたことに、医療関連サイトではその原因について様々な見解が示されている。ある感染症学者が人々の「ノリ」が感染の消長に大きな影響を与えた、とする意見を示していて、これが実情ではないかと思う。オリンピック期間中は緊急事態宣言を出しても効果はなく、感染・発症しても入院治療を受けられないまま自宅で死亡してしまう悲惨な事態が生じた。いくら外出は控えましょうと呼びかけたところで、オリンピックをやっているとなれば、聖火リレーのタレントを見に行ったり、家族連れでモニュメントの写真を撮りに行ったり、マラソンや競歩では沿道で密になって応援する、というような状況がみられ、感染者数は増大の一途を辿った。ワクチンが行き渡ってきたしオリンピックをやるくらいだから、感染なんて大したことはないさ、ちょっとくらい旅行に行ったって平気だろう、というような「ノリ」が感染拡大を加速させた。しかし、医療の危機的状況が連日報道されると、「これはヤバいぞ」という逆の「ノリ」が浸透した。若者たちはワクチン会場に殺到し、イベントも次々と中止となって、急速に感染者数は減少してきている。「ノリ」・・・人々の意識が感染の消長に大きな影響を与えているのは確からしい。

 感染防止のために経済活動をいつまでも止めておくことはできないだろう。「不安常住」ならぬ「コロナ常住」の中を私たちは生き抜いていかなくてはならない。ワクチン接種とロックダウンで一旦収まったイギリスでは再び感染者や死者が増大している。まだまだ波は発生するものと覚悟して、油断せずにビクビクハラハラを続けて行くことが大切だと思う。

2021年9月30日 (木)

神経質礼賛 1910.危険な食べ物

 危険な食べ物、と聞いて皆さんは何を連想されるでしょうか。
① 着色料や保存料など人体に有害な化学物質や発がん性物質などを含んだもの。
② 食べると一瞬は美味しいけれども、少し遅れて辛くて涙が出るような激辛食品。
③ 味は良いけれども、強烈な臭いを発して周囲に迷惑必発のクサヤの干物、ドリアンなどの食品。
④ 女性の場合、美味しいスイーツ類。食べ出したら止まらなくなり、体重計恐怖症を発症させる食品。

人によっていろいろあるだろう。私の妻は①に極めて敏感で、頂き物、冠婚葬祭の引き物は厳重にチェックをして怪しいものが少しでも入っていそうだと即、廃棄処分になる。私も神経質だけれども、①に関してはそこまでではないし、食品を捨てることには抵抗を感じるので、処刑前にこっそり救出して当直の時に食べて消費している。

 別の意味で危険な食べ物がある。昨日の病院食はスパゲティミートソースだった。以前の勤務先だとあらかじめ麺の上に具材が載っていて、電子レンジで温めてそのまま食べられたけれど、今の勤務先では、袋に入った麺をラーメン屋のような小さなザルに入れて湯の中でほぐし、湯切りをして皿に移し、それに具材をかける。セルフサービスである。温かいし麺もみずみずしくてよいのだが手間がかかる。さて、食べる段階で問題が発生することがある。箸で麺を持ち上げた時に麺が跳ねて小さな具材が白衣の上に飛ぶことがある。こうなると極めて厄介だ。濡れたティッシュペーパーで何度も拭き取ろうとするがケチャップの赤色は簡単には落ちないのだ。同様に、美味しいカレーうどんも汁が飛んだら厄介であり、⑤白衣の敵・危険な食べ物の両横綱と言っていいだろう。ハンカチを広げて食べればよかったなあ、といつも後悔するが、どうも学習効果がなくていけない。

2021年9月26日 (日)

神経質礼賛 1909.新なる装備品

 「あれ、先生は付けていないんですか」と薬局長から注意を受ける。個人用の消毒液のことである。見れば、薬剤師さんや外来の看護師さんたちは小さな消毒液のボトルを白衣のポケットからぶら下げている。何しろ院内の至る所に消毒液が設置してあって、いつでもすぐに使えるので、持ち歩かなくても困ることはないから今まで気にしていなかった。「外来の看護師さんに言えばもらえますよ」と言われて一つもらう。ポケットに引っ掛ける金具にはピンクのウサギさんの絵が描いてある。女性看護師さんには似合うが、初老の男にはどうも似合わない。しかし言われたからには院内では身に着けることにする。実際に付けて歩いているとボトルが手に当たるし、ドアにも当たりやすい、という難点がある。

こうした装備品は一つ一つは軽くても、いろいろ持っていると白衣が重たくなって肩が凝る。ただでさえ心配性の神経質ゆえ、ポケットにはいろいろ入れてしまいがちだ。胸ポケットには黒ボールペン・多色ボールペン・シャープペン・ラインマーカー・小型ペンライト、左ポケットには毎年百均で買っている薄い手帳に種々の(現在担当中の入院患者さんの一覧など)縮小コピーを挟み、付箋紙の予備を張ったもの・院内PHS、右ポケットには病院のマスターキーと自室の鍵・三文判とシャチハタ印。電子カルテになる前はさらに定規もポケットに入れていた。消毒液が加わりトータルでは意外と重量がある。精神科医は聴診器を首にぶら下げて歩く習慣がない。徒手空拳、身一つで言葉だけを武器に勝負するのが本分なのであるが、そうも言っていられない御時世になった。

2021年9月23日 (木)

神経質礼賛 1908.できぬといふはしたくなきが為なり

 バリバリの強迫神経症の人を外来で診ている。本人の希望により薬物療法なしの外来森田である。日記は一応書いては来るが、診察日の朝に数日分まとめて書いている。強迫の人の日記は一目でわかる。ノートにびっしり書き込んでくるが、どうでもいいことばかり細かく書いていて、一日の流れがわかりにくい。そして、必ず欄外にはみ出すのである。もっとスカスカでいいから、必ずその日の終わりに書く、それができない場合にはせめて翌朝書くように、と外相を整えるように注意するが、なかなか実行してくれない。日常生活も日記の通りで、万事が本末転倒。優先度の高い課題があるのに、それは先送りにして、強迫の儀式ファーストであるから、日常生活がなかなか改善しないのだ。「今回もできなかった」の繰り返しになってしまう。「人のすることに出来る出来ぬの別あることなし できぬといふはしてくなきが為なり(森田正馬)」とコメントを書いておく。森田先生の色紙にある言葉だ。

 この言葉はJ.F.ケネディ大統領も尊敬した江戸時代の名君・上杉鷹山の「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」が元と思えるし、さらには戦国時代の武田信玄の「為せば成る 為さねば成らぬ成る業を 成らぬと捨つる人のはかなき」という歌もある。神経質の場合、できないと決めつけていろいろ言い訳をする。何だかんだ理屈を付けたところでそれは「したくなきが為」という気分本位なのである。そして、恐ろしいことに、この言葉はブーメランのように自分に返ってくるのだ。お前はやるべきことから逃げていないかと自問する。

2021年9月19日 (日)

神経質礼賛 1907.LINE超初心者

 もう長いこと県外に出ていない。来年は精神保健指定医を5年に一度更新するための講習会に参加しなくてはならないので、その時には久しぶりに東京に行くことになる。子供も帰省を避けているから会っていない。以前勤めていた病院の先生が、離れた家族で連絡を取り合うにはLINEが便利だと言っておられたのを思い出して、そうだ、LINEやってみよう、ということになった。書店で目に付いた「世界一やさしいLINE」という入門書を買ってくる。しかし、読んだだけではどうもよくわからない。とりあえず、アプリをダウンロードして設定。子供からは「LINE始めたんですね」というメッセージが来る。また、ピアノの伴奏をしてくれる親友からはスタンプが送られてきたが、どうしていいのかわからない。とりあえず、「友だち自動追加」をオフに設定し直す。まだまだこれからだ。

 これを読んでいる方々には笑われるだろうなあ、と思う。数年前に高校の弦楽合奏部の後輩から勧められて入ったFacebookも使い方がよくわからないまま休眠中。自分からメッセージを発したことは一度もなく、数人の後輩たちの動静を知るだけだ。そのうちの一人は有名な写真家なので、公開された綺麗な写真を見ることができるメリットはあるけれど。若い人は理屈抜きでどんどん使って覚えていく。すでにスマホは体の一部になっているようだ。年がいっていると、なかなかそうはいかないし、まして神経質だと個人情報漏洩などのリスクが心配になって、もたもたしてしまうのだ。まあ、これでいいのだ、と開き直る。

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