フォト
無料ブログはココログ

神経質礼賛 2404.大雲寺335年ぶり公開の秘仏

 ツアーの最後は岩倉にある大雲寺の秘仏・行基作の十一面観音像で335年ぶりの開帳というキャッチフレーズだ。この寺は紫式部の母親の祖父が創建したと言われ、源氏物語・若紫に出てくる「北山のなにがし寺」のモデルだという説がある。平安時代からすでに脳病(精神病)平癒の御利益があるとされていた。織田信長の叡山焼き討ちの際は奇跡的に難を逃れたが、その後は衰退。昭和には多額の借金を負い、今から40年前になんと売却され取り壊されてしまった。今回の秘仏公開は寺の再建目的が大きい。ネット上でクラウドファンディングによる募金が行われているものの十分には資金が集まっていない。秘仏は寺があった所から離れた場所の仮本堂に安置されている。岩倉という地は日本の精神医療の原点のような場所であり、寺院の周辺の茶屋には精神病患者さんたちのお世話をしてきた歴史があり、現在では精神科病院がいくつも集まっている。

 仮本堂まではバスを降りて閑静な住宅街の中を歩く。寺の再起を強く願う住職さんの説法には力が入っていた。十一面観音像は頭部の上部分が1551年に三好長慶軍がこの地に攻め入った際に火災で焼けてしまっているが、それがゆえに観音様が人々の身代わりになって下さったと考えられているようだ。元よりの脳病平癒に加えて認知症が人々の関心を引く昨今では呆け封じの御利益が期待されているとも言う。

 すべての拝観を終えて京都駅に着いたのは5時頃。ツアーの大部分の人たちは1時間後ののぞみ乗車まで買物自由行動。私たちは2時間後のひかりを予約していたのでツアーの人たちと別れる。この時間では近くの東寺も拝観時間を過ぎているし、長時間の買物も疲れてしまう。伊勢丹の地下で夕食の弁当を購入した後は空いていそうな喫茶店を探す。伊勢丹3Fのロマンの森という喫茶店に入った。オリジナル京都紅茶を飲む。窓際の席に座ると照明が灯る京都タワーを眼前に見ることができた。密度の濃い2日間の旅だった。

 

2025年11月 8日 (土)

神経質礼賛 2403.願徳寺

 ツアー2日目は観光バスで移動し、西山・大原野神社近くの宝菩提院願得寺からスタート。今までこのお寺の存在を知らなかった。以前、大原野神社に行った時にも完全に見落としていた。京都一小さい地図に載っていない観光寺院なのだそうだ。朝9時の開門と同時に入る。特に秘仏というわけではないが、本尊の国宝・如意輪観音像の美しさには息を飲む。照明の下ではキリっとしたお顔に見え、照明を消した自然光では穏やかな優しさが漂う。今回のツアーで一番印象に残った仏像になった。

 その後は仁和寺の霊宝館で国宝阿弥陀三尊像の特別公開を見る。国宝の医心方などの医薬書類も多数展示されていた。昼食は大徳寺脇にある泉仙の紫野店で雲水という名前の精進弁当をいただく。ビールを追加注文して一人で飲んでいる男性もいた。バスの出発まで少し時間があったので、一人で北大路通を渡って源氏物語の中にその名が登場する雲林院をのぞいてみる。平安時代には大寺院だったらしい。今では大徳寺の塔頭の一つとして残っているばかりだ。さらにそこから徒歩5分ほどの堀川通沿いに紫式部の墓と小野篁の墓とされるものがあるらしい。それはまたの機会の楽しみに取っておく。

   バスはまた西へ戻るルートを辿る。団体のため、お寺との調整でその順番になってしまったとのことだ。嵯峨の清涼寺で国宝・釈迦如来像と阿弥陀三尊像の特別公開を拝観する。本堂の裏庭もなかなか立派だった。紅葉もし始めていた。バスツアーだと歩きが少なくて楽である反面、気に入った所をじっくり見ることができないのと、一度にあれこれ見てしまうと印象に残りにくい欠点があって、一長一短だと思った。

 

2025年11月 6日 (木)

神経質礼賛 2402.秘仏拝観バスツアー

 旅行会社の新聞広告を見た妻が、連休に京都秘仏拝観のバスツアーに行こうと言い出し、申し込んでいた。私は、先月の特定健診で心電図異常が見つかり心肥大も発覚し、循環器内科に通院して薬を飲んでいる身なので、ちょっと気がかりではあるが、あまり運動負荷はかからないだろうと考え、予定通り参加することにした。

 東京から参加が基本のツアーで静岡駅にはのぞみが停車しないため、それよりも早い時間に別の列車で京都駅に行き、そこでツアーに合流するはずだった。前日までに待ち合わせ場所と時間の連絡があることになっていたが何も連絡がなくてハラハラする。結局、当日の早朝に旅行会社の緊急連絡窓口に電話してようやく添乗員さんと連絡が付いた。妻は妻で、山の方のお寺だとクマが出るのではないかと心配する。

 初日はバスではなく4台のジャンボタクシー(ハイエース)に分乗して、まずは宇治の山寺・正寿院へ。50年に1回開帳される秘仏・十一面観音を拝観。端正なお顔だ。快慶作の不動明王座像の忿怒の表情は迫力があった、ここでは夏の間、ガラスの風鈴を数多く吊るして風鈴の寺としても有名である。また、ハート形の猪目窓を通して見る光景も良い。

 その後は高校の修学旅行で訪れたことのある浄瑠璃寺と岩船寺へ。どちらのお寺ももう一度行きたいと思いながら、個人で行くには少々交通不便のためなかなかかなわなかった。お寺のパンフレットは昔とは異なりカラー写真がふんだんに入った立派なものになっていた。浄瑠璃寺では九体揃った阿弥陀仏像と秘仏・吉祥天女立像、岩船寺では大きな阿弥陀如来坐像と秘仏・如意輪観音を拝観した。うっかりすると見落としてしまう三重塔の垂木を支える天邪鬼像はユーモラスだ。

 この日は肌寒く時々にわか雨に見舞われ、慌てて折り畳み傘を広げる場面があった。その代わり、拝観を終えて京都市街地へと向かう車中から巨大な半円形の虹を見ることができた。

 

2025年11月 2日 (日)

神経質礼賛 2401.一病息災・多病息災

 息災とは仏教語では仏力で災害を消滅させること、一般的には身に障りのないこと、達者・無事であることを言う。無病息災という言葉がよく使われてきた。しかし、一病息災と言って持病が一つくらいある方が無病の人よりも健康に注意し、かえって長生きできる、ということもありうる。加齢につれて持病は増えて行く。かつての同級生と顔を合わせると不健康自慢話で盛り上がってしまう。超高齢化社会となった昨今では多病息災ということも言われる。いろいろな病気を抱えていてあれこれ医療機関を受診して治療を受けていても日常生活が送れていればそれでよし、ということになるだろう。

   病気はあってもそこばかり見ないで、健康な部分を活用してできることをやっていき、少しでも充実した生活を送り、生き尽くしていく。それが森田的生き方の究極の姿だと思う。森田正馬先生の晩年の生き様がお手本になるだろう。まだ抗生物質がなかった時代、肺結核は死の病だった。病状の進行に従い、発熱・咳・血痰などの症状が悪化し、衰弱していく。正岡子規のように全身に結核の病変が出現して激しい痛みに苦しむ場合もあった。森田先生は自分を献身的に看病してくれていた奥さんに先立たれるという不幸に見舞われながらも、患者さんの治療・弟子たちの教育・著作を続け、講演の依頼にも応えておられた。臥床していることが多くなり、やがて歩くこともままならなくなったが、乳母車にちょこんと座り、人に押してもらって散歩や買物を楽しんでおられた。この乳母車というのがミソである。車椅子では狭い商店の中に入っていけないが、小さな乳母車ならどこでも入っていける。押してくれる患者さんに「恥ずかしくないか」と尋ね、「平気です」と答えると「そんなことはないはずだ。素直になれ」と諭したという。私だって恥ずかしい。しかし、生の欲望に沿って目的本位に買物や花見をしているのだ。これが「あるがまま」なのだよ、と精神療法を行っていたそうである。

 

2025年10月30日 (木)

神経質礼賛 2400.神経質は長寿の素

 神経質性格の人は「生の欲望」が人一倍強く、「死の恐怖」に怯えやすい。心配性であるから病気にならないように用心するし、ケガをしないように無謀なことは避ける。だから、弱いように見えても意外と長寿、ということになりやすいように思う。また、前話で認知症恐怖の人の話を書いたが、神経質は頭をよく使うから、そうでない人よりは比較的呆けにくいということにもなりそうだ。森田療法関係者でもちょっと考えただけで百歳前後まで活躍された方々のお名前が思い浮かぶ。高良武久(1899-1996)、鈴木知準(1909-2007)、井上常七(1909-2010)、河原宗次郎(1901-2002)【いずれも敬称略】。

   戦の世にピリオドを打った徳川家康(1542-1616)が天下を取れたのも、無謀な戦は控え神経質性格を生かして自分で煎じた八味地黄丸などの漢方薬を飲んで他の有力武将よりも長生きできたおかげであると考えられる(拙著p.231-235)。『養生訓』で有名な江戸時代の本草学者(今で言えば薬学者)・儒学者の貝原益軒(1630-1714)は生まれつき病弱であり、いかに体の養生をして長寿を全うするかというテーマをライフワークにしていた(605話・拙著p.235-237)。当時としてはかなりの長寿であり、晩年も健康で妻と旅行を楽しんでいたという。

   森田正馬先生は体の病気ばかりでなく精神病になったり自殺に至ったりする可能性が低いことを述べておられる。

   ともかくも、神経質の人は精神病にならず、自殺に至らず、自暴自棄・放縦・ズボラにならない。真面目・忠実で・忍耐力が強い。しかしまだ治らない人は、物に拘泥し・鋳型にはまり・ヒネクレて・自我中心的で、機転が利かず・仕事が間に合わないが、これが全治すると、打って変わって、非常に能率があがるようになる。なかなか面白い事です。
 そのほかの気質の人には、さまざまの長所があるけれども、神経質のように、安心という訳には行かない。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.573)

 神経質という優れた資質に恵まれたのであれば、それを生かして活躍し、長寿を全うしたいものである。

 

2025年10月26日 (日)

神経質礼賛 2399.認知症恐怖

 私と同じ年齢の男性が初診で来られた。妻から認知症ではないかと言われて心配になっているそうである。少々緊張気味で、元々人と話をするのは苦手だという。物忘れの自覚はある。二年前に仕事を退職して家にいるが、妻からいろいろ言われても覚えていられなくて妻からは叱責されている。一通り問診をした後で、念のため長谷川式スケールを行ってみると30点満点の30点。一度見せた5つの物品を隠して何があったか言ってもらうのも即答できた。少なくとも現時点では認知症ではありませんから御安心ください、と告げた。認知症ではなく認知症恐怖というわけである。老年期になれば物忘れは誰でも起きる。かくいう私も「あれ、ここに何しに来たんだっけ?」と思い出せなかったり、物をいつもと違う場所にちょっと置いたことを忘れて失くしたのではないかと焦ったりすることがある。認知症ではないかと心配するうちは認知症ではない。本物の認知症ではそういう心配はしなくなる。

 夫が定年退職になって家にいる時間が増えると妻との関係がうまくいかなくなる例はよくある。嘱託で仕事を続けたり、別のアルバイトをしたり、趣味があって出掛けていればまだいいが、家でゴロゴロしていると妻の目は厳しい。主婦には休日はなくやらなければならない家事はいくらでもある。夫と立場逆転である。勢い、妻からのお小言も多くなる。夫からすれば、またうるさいことを言っているな、と思って聞き流しているから頭に入っておらず、「この前言ったでしょ!」「いつも言ってるじゃないの!」ということが多くなるのだ。今回の方には、なるべく用事をみつけて外出することをお勧めしておいた。さらに簡単なアルバイトを探せばお小遣いも入って一石二鳥である。

 

2025年10月23日 (木)

神経質礼賛 2398.ホームカミングデー

 最初に卒業した大学からホームカミングデーの通知があって日曜日に行ってきた。卒後5年もしくは10年ごとに通知が送られてくる。今回は卒後45年。前回、10年前に初めて参加した。その時は残念ながらかつての学友に会うことはできなかったが、応援団による校歌や応援歌はとても懐かしかった。朝6時発の高速バスに乗り、新宿へ向かう。南口から入った新宿駅は学生時代の時よりもホームが増えて複雑怪奇。山手線ホームはどこだろうとウロウロ。高田馬場に行き、早稲田通りを歩く。10年ぶりに歩く早稲田通り、こんなにアップダウンがあったかなと思う。歩く速度も遅くなり体力低下を痛感する。かつて多かった古書店は減り、ラーメン屋が増えている。映画館の早稲田松竹は健在だった。早稲田通り側に穴八幡神社の立派な鳥居ができていて驚く。会場の戸山キャンパスへ行くと、かつて行事がよく行われた記念会堂という体育館はなくなり早稲田アリーナという新しい建物になっていた。記念式典の開始30分前には席に着いた。応援歌「紺碧の空」の演奏で始まる。司会はNHKの高瀬耕造アナ。今回は7年後に創立150周年を迎えるため、力が入っていて、総長や副総長の式辞は寄付をお願いする旨の話が多かった。TVゲーム・ドラゴンクエスト開発者の堀井雄二氏のインタビューがあった。最後は全員起立して校歌斉唱。少し涙腺が緩んだ。会場を出た後は大学本部へ向かい、會津八一記念博物館の展示を見る。仙厓さんや白隠さんの禅画も所蔵しているはずだが、今回はそれらの展示はなく、ちょっと残念だった。本部キャンパスは学園祭の最中だった。かつての政治的な立て看板がびっしり並び猥雑だった感じはなくなり、校舎の多くは建て替えられて綺麗になりお洒落な感じになっていた。今の学生さんは首都圏出身者が多くなりリッチになっていると聞くが、反骨精神・ハングリー精神は失わないで欲しいと思う。10年前と同じで雨が降り始める。

 この大学に入学した頃、自分は敗残者・人生の落伍者だというという意識が強かった。アパートとは名ばかりの古倉庫のような建物の三畳一間で貧乏生活をしていたからなおさらだった。松本零士の漫画「男おいどん」の主人公のようなものである。少しずつその意識は薄らいでいったが、4年生の時に父親が重大な病気で倒れて、不本意なUターン就職を選択した。やっぱり自分にはツキがないしダメ人間だなあ、と思いながら仕方なしに生きてきた。それでも何とか道が開けたのは、よりよく生きようとする神経質性格による粘りのおかげだと思っている。

 

2025年10月19日 (日)

神経質礼賛 2397.Windows10サポート終了

 この10月14日でWindows10のサポートが終了した。家電量販店のチラシではWindows11搭載パソコンへの買替を勧めていたが、かつてのWindows98・XP・Vista・7・8・10への切り替え時ほどには騒ぎは起きていない。ニュースの話題にもなっていないようである。切り替えにコストがかかるため、法人使用のパソコンでは切り替えの動きは鈍いという。もちろん、サポートが切れたからと言ってもすぐに使えなくなるわけではないから、もうしばらく使ってから買い替えようという人もいるだろう。また、今までも切り替え時に救済措置が行われ、しばらくは事実上、更新サービスを延長していたからそれを期待する人もいるかもしれない。今回も個人ユーザの場合、種々の条件を満たせば1年間は更新ソフトが提供されるようである。ソフトの更新が行われないとなるとウイルス感染の危険性が高まる。ウイルスチェックソフトが入っていても、古いWindowsの脆弱性を狙ってくるウイルスに対しては効果を発揮しきれない。最近のウイルスはランサムウェア(身代金要求型)と呼ばれる悪質なものが増えている。アサヒビールが攻撃されて現在も業務に支障をきたしている例をみれば、被害の甚大さは明白である。個人であっても用心するに越したことはない。知らないうちにウイルスの発信源にされてしまう可能性もあるのだ。

 私の場合、以前は家に1台、職場に1台ノートパソコンを保有していて、新しいパソコンを買うと家用にして古いものを職場用にシフトしていた。今は仕事が常勤ではないので、職場にはパソコンは置けない。かつての職場用は家でサブ機としている。家用はすでにWindows11のものになっているので、古いサブ機だけを買い替えることにした。かつては型落ち機ならばNECや富士通のものが5~6万円で購入できたが最近は安いメーカーの物でも10万円近くするようになっている。しかも予約してから入荷まで2週間近くかかる。処分するパソコンを初期化してデータを消去してから店に回収を依頼した。しっかりデータ消去しておかないと、個人情報漏洩のおそれがある。ここは神経質にしっかりやっておく必要がある。そうだ、処分するパソコンがもう1台あったことを思い出す。義父が使っていたWindows8のノートパソコンだ。これまた初期化の方法をネットで確認して実行。富士通の製品で無料PCリサイクル対象品なので送付伝票を請求。その伝票を貼って郵便局に持ち込み、ゆうパックで発送した。これでしばらくは安心である。

 

2025年10月16日 (木)

神経質礼賛 2396.ファニー・メンデルスゾーン

 メンデルスゾーンの姉ファニー(1805-1847)について調べようと手持ちのクラシック音楽作品名辞典(三省堂)を開いてみる。弟フェリックス・メンデルスゾーン(1809-1847)の前に少しだけ記事があるが、曲名はピアノ曲1曲と歌曲6曲しかなく、ピアノ三重奏曲は載っていなかった。歌曲は弟の作品として出版され、その中の「イタリア」という曲は当時イギリスのヴィクトリア女王の愛唱歌になったという。ファニーは優れたピアニストで作曲の才能にも恵まれていたが、当時、音楽の世界も男社会であって女性が作曲家になることは難しかった。モーツァルトの姉ナンネルが優れた音楽的才能を持ちながら作曲家として世に出られなかった例もある。また、身分社会だった当時、音楽家は貴族や知識人とより下の職人階級とみなされていたし、メンデルソゾーン家のような上流階級の女性が職に就くことははしたないことだとされていた。公的な音楽活動を父親から禁じられたファニーは弟の曲を批評したり助言したりして弟を支えた。宮廷画家ヴィルヘルム・ヘンゼルと結婚し、ファニー・ヘンゼルとなってから、理解のある夫の勧めで音楽活動を始める。ピアニストとして活躍し弟のピアノ協奏曲第1番の初演を行い、自作の曲を出版するようにもなる。ところが、弟の作品のリハーサル中に脳卒中で倒れ、亡くなってしまう。これは弟フェリックスに大きなショックを与えた。弟も同じように脳卒中をきたして同じ年に亡くなっている。今回演奏されたピアノ三重奏曲はファニーの死後に弟が校訂して出版された。作曲した作品数は600曲とも言われる。今後、埋もれている名曲が日の目を見ることを望みたい。

2025年10月13日 (月)

神経質礼賛 2395.秘密クラブ?

 一週間前、勤務している精神科クリニックの院長先生からサロンコンサートのお誘いのメールが入った。この院長先生は三島森田病院では数年間一緒に働いたことがある。いわゆる雇われ院長であり、他の精神科クリニックの院長T先生が理事長で実質的な経営者である。T先生はピアノを弾く人で、年に数回、少人数でのサロンコンサートを企画・開催している。急な話だが、予定が空いていたのと、会場が家から近いので行くことにした。曲目はメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲3曲。

 会場は普段前を歩いて通っているビルの上階。1階は美容院で上の階はマンションになっている。まさかそんな所にホールがあるとは知らなかった。私は初めてで勝手がわからないので、開場時刻の18:30少し前に院長先生とマンション入口で待ち合わせして、インターホンのボタンを押すが返事がない。他の来場者も来たので、もう一度ボタンを押すと繋がり、エレベータに乗るよう促された。まるで妖しげな秘密クラブに入っていくみたいである。その階でエレベータの扉が開くと、入口ドアもなくいきなり玄関だった。小さなテーブルがあり、そこの椅子に座っている高齢の婦人が受付担当のようだが、まだ会場準備ができていない様子で、次々と来場者が来てしまって、狭い玄関は一杯になる。受付担当らしき婦人は横のドアを開けて出たがそこは非常口だった。オートロックになっていて戻れなくなり、ドアをドンドン叩く。院長先生が内側からドアを開けて事なきを得た。ようやく会場準備ができてスリッパに履き替えて入室する。軽いスタック椅子が30人分ほど並べられていて、舞台はなく、普通のフローリング床で、前方にグランドピアノとヴァイオリニストとチェリストの席と譜面台が並んでいる。グランドピアノは小ぶりで、横の方にもう1台あるから2台ピアノの演奏もできるようになっている。

 今回の演奏者は東京芸大の同期生で学生時代からアンサンブルを組んでいた人たちで、40歳位の中堅といった感じだ。それぞれ音大の教員やオーケストラ奏者などをしながら平行してアンサンブル活動をしている。息の合ったすばらしい演奏だった。それを至近距離で直に聴くので、大迫力だった。曲目はメンデルスゾーン作曲のピアノ三重奏曲3曲と書いたが、最初の曲は実はメンデルスゾーンの姉の作品で初めて聴く曲だった。これも素晴らしい曲で、姉がどんな人物だったのか知りたくなった。アンコールはメンデルスゾーン作曲「歌の翼に」だった。このピアノ三重奏版はヴァイオリンとチェロが主旋律と対旋律を交互に弾くようになっていて、とても美しかった。このメンバーは2日後にも東京文化会館で同じプログラムの公演を行うという。今回の聴衆はたった20人程度。実に贅沢な時を過ごさせてもらった。

 

«神経質礼賛 2394.車内アナウンス

最近のトラックバック

2025年11月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30