2016年12月 5日 (月)

神経質礼賛 1332.パンジー

一昨日の土曜日からまたもや3日連続当直である。12月とは思えない風もなく暖かい日が続いている。先日、麓まで雪化粧した富士山も秋の装いに戻ったように見える。外来待合室に面した白砂の庭に枯葉が溜まっていたので、昨日は午後の空いた時間に枯葉拾いをしようと出てみた。病院の正面玄関の両側はコキアに代わって白木の板で作られたプランターに植わったパンジーが置かれていた。玄関アプローチの花壇にも黄や紫のパンジーが咲いている。森田療法の患者さんや担当職員さんが工夫してやってくれていることである。これから寒い冬の間、鮮やかな色で来院者の目を愉しませてくれることだろう。

 パンジーは三色菫(さんしきすみれ)とも呼ばれる。パンジーの名はパンセ(フランス語の「考える」)から来ていて、下を向いた蕾が頭をもたげて考える人の姿を思わせるからだそうだ。そのため花言葉も「物思い」とか「思慮深い」だという。

 思慮深いのは神経質人間の得意とするところである。よくよく考え抜いたうえで慎重に行動するから大きな失敗は少なく人並み以上の成果をあげることができる。しかし、考えるばかりで行動に移せずチャンスを逃すこともある。特に強迫傾向の人は思考の空回りで時間を浪費しやすい。あまりパンジーの真似ばかりしていないで、時には上を向いて、思い切って手足を動かしてみるのも良い。

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2016年12月 2日 (金)

神経質礼賛 1331.『森田正馬評伝』が読みにくいワケ

 勤務先の病院には野村章恒(あきちか)著『森田正馬評伝』(白揚社)があって何度か読んだ。森田先生の日記を引用し、年代を追って書かれ、写真も豊富に載っていて、とても貴重な本である。森田療法関係者からは名著として絶大な評価を受けているが、どうも私には読みにくいと感じる。なぜだろうか。

 原因の一つは森田先生と同じく高知県出身の野村先生が同県出身の文化人に対する思い入れが強いためか彼らについて少々詳しく書き過ぎていることにあるように思う。森田家と血縁関係があり森田先生を叔父さんと呼んでいた英文学者の土居光知(こうち)、物理学者の寺田寅彦らである。そのため、森田先生の評伝としては少々流れが悪くなっていることは否めない。特に森田先生の中学時代からの友人だった若尾爛水は野村先生の叔父ということもあって力が入っている。爛水は俳人であり正岡子規門下だった。子規への追悼文「子規子の死」が子規に対する批判と受け取られて同門の俳人らから指弾され、中央の俳壇を追われ、高知に帰り隠棲する。『俳懺悔』という爛水の書には若気の至りで破門されたことへの無念の思いや田舎での孤立無援の生活ぶりが綴られていることを紹介している。爛水のことを世に知らしめたいという強い思いが伝わってくるが、森田先生の評伝としてはもう少しさらっと書いてほしいと感じてしまう。

 もう一つはこの評伝が出版された1974年(昭和49年)という時代も考えに入れなくてはならない。学生運動は下火にはなっていたが、まだそれなりの社会的影響はあった。私が高校生の時である。その2年後に受験で京大に行ったら時計台には白ペンキで大きく「竹本処分粉砕」と書かれ入試前日のTVニュースでは学長が学生たちに取り囲まれてどつかれているのを見て、明日からの入試は大丈夫かと心配になったくらいだ(試験には落ちたので心配する必要はなかった)。そんな時代である。読者が左翼思想に染まらないようにという配慮のためか、森田先生が左翼思想を批判したことに関連して、戦前の『左翼学生生徒の手記』(文部省)などからの引用を中心とした部分が20ページも続き、この部分が冗長に感じてしまう。戦争放棄をうたった憲法第9条の廃止を主張する政党が国会の大多数を占め日本も核武装すべきという意見までみられるこの頃である。現代の若い人たちには理解しにくいところだろう。

森田先生のお弟子さんたちの多くは真面目で努力家の神経質な秀才タイプだった。一方、野村先生は異質であり、内弟子時代に飲み歩いて門限過ぎに塀を乗り越えて帰ったり、森田先生の一人息子・正一郎さんが未成年なのに酒やタバコを勧めていたりして、森田先生からは少々疎まれていたそうである。一方で久亥夫人には可愛がられていたという。野村先生は天才肌ということになろう。神経質なお弟子さんが評伝を書いたらまた少し違ったものになっていたかもしれない。

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2016年11月28日 (月)

神経質礼賛 1330.畑野文夫著『森田療法の誕生』

 学会で自分の発表を終え、壇上から席に戻ってきたら、正知会(しょうちかい)会長の畑野文夫さん(1245)から出版されたばかりの御著書『森田療法の誕生』(三恵社)をいただいた。初版は平成281125日。ハードカバーA5版460ページにわたる大著であり、あとで重量を測ってみると672gもある。当初は別の出版社から出すおつもりだったが、普通だと上下2巻になり高価になってしまうからと担当者から難色を示されたという話を以前お聞きしていた。10年の歳月をかけ、森田先生の日記を丹念に読み込み、さらに関連文献を精緻に調べ上げた上での書であり、極めて完成度が高い。さすがは講談社で編集長として長年にわたり活躍され同社の役員を勤め上げられた畑野さんが神経質の限りを尽くされただけあって、すばらしいものに仕上がっている。例えば、森田先生が久亥夫人としょっちゅう夫婦喧嘩をして一時は籍を抜いた、という話は大原健士郎先生の本に載っているが、戸籍謄本を調べて日記と照合して、実は久亥さんの父親が亡くなり、男の兄弟がいない二人姉妹の長女だったため、先祖伝来の田畑・屋敷を守るため一時離婚して戸主となった可能性が高いことを明らかにしておられる。これまでに書かれた森田先生の伝記としては今から40年以上前に出版された慈恵医大教授・野村章恒先生による『森田正馬評伝』(白揚社)があるけれども、それをはるかに凌駕する名著であり、人間・森田正馬を知り、森田療法が編み出されていった過程を知るには、最高の書だと思う。末永く読み続けられて欲しいものである。

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2016年11月27日 (日)

神経質礼賛 1329.ワンポイント森田の学会発表

 今年の森田療法学会では「デイケアにおける森田療法的アプローチの試み」と題してワンポイント森田を発表した。森田療法学会で発表するのは15年ぶりである。当時はまだパワーポイントが使えず、パソコン画面をスライド用ポジフィルムに撮って写真屋に現像に出していたから、作り直しが大変だった。ずいぶん便利になったものだ。そしてパワーポイントのファイルと学会誌掲載用抄録のファイルをUSBメモリに入れて持参するだけである。そこは心配性の神経質なのでメモリをなくしたら、あるいはメモリが読めなくなっていたら大変だと考え、使用するUSBメモリはポケットに入れ、同じ内容を記録した別のUSBメモリをバッグに入れておく。一般演題の発表時間は10分、質疑応答5分となっており、発表開始後10分経過で警告ベルが鳴り、その後1分ごとに警告ベルが鳴る。あまり長いと、迷惑をかける。延々としゃべり続ける神経質の足りない発表者はありがちである。練習して時間を調整しないのだろうか。400字で約1分が相場なので、発表原稿を作れば字数でもわかるはずだ。私の発表は、原稿がちょうど4000字。最後のスライドでベルが鳴り、10分をほんのわずかにオーバーで済んだ。座長の先生やフロアの出席者からも好意的な御意見・御質問をいただくことができた。


 
 毎回のワンポイント森田の内容はデイケアのスタッフが利用者さんたちと模造紙に書いてデイケア室入口近くの壁に貼ってある。それだけではもったいないということで、各病棟の壁にも巡回掲示している。おかげで病棟を歩いていると自分の担当でない名前も知らない患者さんから急に話しかけられ、「感情の法則がとてもためになりました」とか「幻聴への対処法が参考になってよかったです」などと言われる。予想しなかった波及効果である。ワンポイント森田が少しでも役に立ってくれればこんなにうれしいことはない。

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2016年11月25日 (金)

神経質礼賛 1328.永青文庫

 今週はハードスケジュールである。土・日・月と連続当直で火曜日に帰宅し、水曜の勤労感謝の日も日直当直勤務をしてようやく木曜日の朝で明け。普段なら母の食材購入や清掃などのヘルパーをするところ、午後には森田療法学会のプレコングレス・ケーススーパービジョンとやらに出なければならないので、そのまま東京へ行く。

 11月だというのに東京・神奈川は雪。神奈川県内の各駅のホームには雪が積もり冷たい風が吹きまくる。東京で11月の雪は54年ぶりなのだそうだ。時間があるので「仙厓ワールド」を開催している細川家の美術館・永青文庫をめざす。この秋、出光美術館で「大仙厓展」をやっていて、ぜひ見たいと思っていて行ける日がなくて見損なってしまった。永青文庫の方は小規模ながら長い期間開催している。鉄腕アトムの発車チャイムに送られて高田馬場駅を降りる。早大まで歩いて會津八一記念館に立寄る。白隠の書画の展示は11月前半で終わってしまい見ることができなかった。それから雪が降り冷たい風が吹く中、永青文庫をめざすが、視界が悪く、道を間違えて高田一丁目から目白台を彷徨う。道を戻って神田川沿いの遊歩道を歩く。あの「神田川」の歌詞を思い出す。同じ三畳一間のアパートだけど私が住んだ早稲田鶴巻町のアパートは人間の住処とは思えないボロボロの倉庫のような所だったなあ。それに女性とは全く縁がなかったし・・・。庭園のようなところが見えてきた。新江戸川公園と書いてある。永青文庫への近道らしき小さな案内板を見つけて公園内を歩く。公園内は紅葉がきれいだが天気が悪いし寒いしそれどころではない。ぬかるんだ階段をせっせと登って行くとやっと永青文庫に行きつく。

  仙厓ワールドは来年の129日までやっていて、4期に分けて展示品を入れ替えるそうである。4階に仙厓さんの書画が30点ほど展示されていた。最初に見たのが徳山焼経図。お経を焼いた僧の絵である。言葉だけではダメであるということだ。最近の森田療法にも言えることではないか。言葉と観念だけでは森田療法の本質から離れるばかりである。「私の気合いにふれて治る」と森田先生が言われたような気概のある森田療法家がどこにいるだろうか。次に寒山拾得の絵に目が行く。大きな杯に注がれた酒を飲む寒山。拾得が瓢箪に入った酒をなみなみと注ぐ。いくらでも酒が湧いて出る瓢箪らしい。二人ともいい表情である。仙厓さんも実は酒好きだったということだ。鍾馗図では、鍾馗さんといい鬼といいとてもかわいらしい。虎図では、虎か猫かどちらか、と書かれていて遊び心満載である。仙厓さんは求めに応じて次々と絵を描いて渡していたようだが、80歳を過ぎて絶筆、これ以上は描かないよという絵を残している。しかしながらそれでも仙厓さんの絵を求める人は後を絶たず、結局88歳で亡くなるまで描き続けたらしい。3階・2階の展示を見た後、もう一度4階に戻って仙厓さんの絵を見る。そして牡丹雪が降りしきる中、目白通りを歩いて、日本女子大と学習院大の横を通って目白駅に向かい、蒲田の森田療法学会の会場へと急いだ。

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2016年11月21日 (月)

神経質礼賛 1327.森田的(?)音楽の時間

 デイケアのワンポイント森田の講義は10回を終え、おおむね一通りお話ししたので、今月は「困難を抱えながら生きる」をテーマに音楽の時間にした。森田療法の究極の目標は、単に神経症を治療するというような小さなものではなく、「己の性を尽くし 人の性を尽くし 物の性を尽くす」を実践して「生き尽す」というところにあるのではなかろうかと私は考えている。森田先生にしても後半生は結核などの持病を抱えて苦しまれ、一人息子に先立たれ妻にも先立たれて寂しい思いをされながらも、患者さんの治療、弟子たちの教育、本の執筆にあたられて生き尽された。著明な作曲家たちもいろいろな苦難を抱えながら名曲を残している。喘息発作に悩まされ続けたヴィヴァルディ、30歳になる前に最重度の難聴に陥ってしまったベートーヴェン、うつ症状に悩んだチャイコフスキーやラフマニノフ。そうしたエピソードを紹介した上で彼らの曲をヴァイオリンで弾いた。さらに東日本大震災からの復興ソング「花は咲く」の演奏では参加者のみなさんにお願いしてお馴染みの「花は花は花は咲く・・・」の部分が出てきたら声を出して歌っていただいた。最後に余興的に大河ドラマ「真田丸」のメインテーマを弾いた。普段、ちょっと硬い表情で参加されていた方が、曲に合わせて体を動かし穏やかな表情をしておられるのを見て、変わった企画ながらやってみてよかったなあと思った。

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2016年11月18日 (金)

神経質礼賛 1326.支配欲

 1113日(日)の毎日新聞に掲載された小池龍之介の「つながりの引き算」と題するコラムは「支配欲のむなしさ」がテーマで、夫婦間のいさかいを例にして、支配欲に基づく怒りについて述べていた。小池さんは、私たちには身近な人の気に入らない部分に「こうしろ」「ああしろ」と働きかけて思い通りに支配したいという欲があり、支配欲に駆られて自分の考えを押し付けようとすれば相手は反発して思い通りにはいかずに怒りを感じることになるという。そして、相手の中では起こらないはずの因縁を起らせようとするのは因果法則に反するのだから、他人の世界に入り込んで変えるのは無理だと諦めれば平和になる、と僧侶らしく結んでおられる。


 以前紹介したことがある森田先生の結婚の組み合わせに関する話でも、結局は支配欲が関係を悪くする要因であり、互いに許し合うことで円満になれるということになるだろう。


 
 (倉田百三の「神経質同士の結婚はよくないようですね」という発言に対して)

 それはそうです。神経質同士は、お互いにその心持がわかり、心の底まで見透しているから、互いにその欠点を挙げあって、相手ばかりにそれを改良させようとする。グジグジといつまでも、しつこく言い争いをする。

 またヒステリー同士でも、これもいけない。喧嘩が早くて始末にいけない。

 また陽気の者同士もいけない。気が軽くて家のしまりができない。およそ結婚は、気質の異なった人が、うまく組み合わされるとよい。

 神経質の人は、気の軽い大まかな人と結婚するがよい。すると気の軽い人は、あの人はどうせ気難し屋だからといって大目に許し、また神経質の方では、どうせあれには、難しい事をいってもわからないといって、あまりやかましくいわなくなる。お互いに許し合うから円満になる。 (白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.729


 
 夫婦関係、親子関係、兄弟関係では、このくらいわかってくれるはずと考えがちであり、もっと自分のためにしてくれてもいいだろうという甘えが出やすい。また、職場や学校での人間関係に比べると一緒にいる時間・期間が長くて距離を置くことが難しい。そこで支配欲をむき出しにすると関係がこじれやすい。自分にとって都合の良い「かくあるべし」を相手に押し付けようとすれば関係が悪くなるのは必然である。相手は簡単には変えられない。「気に入らぬ 風もあろうに 柳かな」(895)、堪忍である。そして、嫌な気分については感情の法則(442)を思い出そう。

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2016年11月14日 (月)

神経質礼賛 1325.クリーム豆腐

 先週、NHKの番組「ガッテン」ではスーパーで買った100円の豆腐が高級豆腐のようにおいしくなる方法を紹介していた。普通の絹ごし豆腐の水を切ってフードプロセッサに入れ30秒ほど回してクリーム状にするだけで、旨みと甘味が出ておいしくなるのだという。しかも豆腐臭さがなくなって豆腐嫌いの子供も喜んで食べるようになるのだという。そのクリーム豆腐はそのまま食べてよし、御飯にかけてよし、ポテトチップに乗せてよし、デザートにもなる、万能選手のように宣伝されていた。それを食べたゲストや豆腐作りの名人たちの表情からは、こんなうまいものがあったのか、という驚きがうかがえた。

この番組を見た妻は次の日、さっそく夕食に登場させた。以前、何かの時に買って一度使ったらお蔵入りになっていたフードプロセッサを引っ張り出してくる。すぐに番組で見たようなクリーム豆腐ができ、家族一同期待に胸をふくらませながらスプーンを口に運ぶ。「ん?」「いつもと同じ」と子供が言う。妻も私も同感である。おいしいけれども、そのままの場合に比べて特においしくなったとは感じられない。期待が大きかっただけにガッテンではなくガッカリである。使った豆腐はスーパーで買った、北海道産大豆「とよまさり」使用と書かれた絹ごし豆腐。150gの小パック3個で128円(税別)。いろいろ試してこれが値段の割においしいということで買っているわが家の定番品であり、特に高級品というわけではない。他の豆腐を使えばおいしくなるのだろうか。それとも私を含めて家族一同味覚がおかしいのか。神経質人間としては気になるところである。番組では旨みと甘味が出るメカニズムを科学的に説明していたけれども、食べた感じでは疑問符が付く。まあ、豆腐の食べ方の選択肢が広がるということでは悪くはないだろう。このクリーム豆腐を食べてみられた方、ぜひご感想を聞かせて下さい。

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2016年11月11日 (金)

神経質礼賛 1324.神経質な動き

 一昨日のTV番組はトランプ一色。アメリカ大統領選で事前の予測を覆してトランプ氏が当選した話題で持ちきりだった。イギリスのEU離脱についての国民投票といい、今回のアメリカ大統領選といい、扇動政治家に大衆が動かされて国がとんでもない方向に向かってしまう御時勢である。その懸念は日本にもある。かつて独裁者ヒトラーは「大衆は愚かだ。感情だけで動く」と言った。新ヒトラーが世界のあちこちに出現しないことを祈るばかりである。そして、その抑止力となるのは扇動政治家に簡単には騙されない心配性の神経質である。

 アメリカ大統領選の情勢により株価や為替相場は時々刻々と大きく動いた。ちょっとした動きで相場が変化することを「○○をにらみながらの神経質な動き」とか「神経質な相場」とか表現されることがある。そういう使われ方をすると、神経質イコール不安定イコール悪、というマイナスのイメージを植え付けられるようでよろしくない。そもそも株価や為替相場は社会情勢により常に変動しうるものなのである。「機敏な動き」とでも言ってほしいところだ。

 最近の国内のニュースを見れば、神経質が足りないがために起こった事故がいくつもある。大学生が木とおがくずで作ったジャングルジム風のアート作品の中に白熱電球照明を入れたため火災となり、中で遊んでいた子供の一人が焼死するという事件があった。おがくずは引火しやすい。大学生にもなって、白熱電球の熱さに気付かない無神経さには驚く。また、博多駅前の大規模な道路陥没事故にも驚かされた。昼間の人通りの多い時間帯に起きたら大惨事になるところだった。地下鉄工事が原因だという。都会の地下は複雑に入り組んでいる。それに地盤が弱いところもある。心配な点があってもちょっとくらい大丈夫だという正常性バイアス(450)のために多くの人命が失われる事故は後を絶たない。そして津波や火山噴火からの避難のように一刻を争う場合には最悪の事態を考えて身を守らなくてはならない。危険を予測して事故や災害死を未然に防ぐ神経質は必要不可欠なのである。

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2016年11月 7日 (月)

神経質礼賛 1323.医大の同期会

一昨日の同期生の集まりは卒後四半世紀を記念してのものだった。現役で入学した人は50歳である。100人ほどの同期生のうち60人余りが集まった。学生当時、浜松医大は医学科だけで1学年100名。山の中の小さな単科大学というより小さな専門学校のような雰囲気だった。夜遅くまで実習や研修を共にしていた仲間である。同期生同士の夫婦も4組参加していた。多くの人とは卒業以来の再会である。一度大学を出て社会人経験をしてからまた入学した私のような人間からみると、当時は授業中の私語が多くて時間にルーズで、しょうもない子が多いなあ、と思っていたが、医師になって25年以上経って、大学病院や市中病院で経験を重ねた後にクリニックを開業したり要職に就いていたりすると随分変わってきている。あれこれ気を配って仕事していかなくてはならない医業には神経質が欠かせない。次々と仕事が発生し、優先度を考えながら処理していかなくてはならない。性格の根本は生まれつきの部分が大きいが、長い間の環境や生活習慣でも変化しうるのである。誰もがいつの間にか神経質度が高まっているように感じた。集合写真を撮る時にはさっと集まり、まとまりも良い。参加できなかった人から送られた写真と近況をスクリーンに映し出す工夫もあった。参加者が順々に近況を報告した。皆、自分の学籍番号を言っていてしっかり覚えているものである。私も同じである。年中試験があって追試該当者の学籍番号がしょっちゅう掲示されたから、みんなハラハラしていて番号は決して忘れることはないのである。投票で「変わったで賞」を3位まで発表、表彰が行われた。やはり髪が薄くなった男性が選ばれていた。女性を選ぶような失礼な真似はしないのである。

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