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神経質礼賛 2328.亡き王女のためのパヴァーヌ

 2年前、副院長の女医さんが退職された時に、送別のミニコンサートを弾かせてもらった(2084話)。その後、病棟ではコロナやらインフルエンザの流行が何度も繰り返され、病棟行事のレクリエーションもできない状態が続いていた。今回は自分の退職もあるが、若くしてお亡くなりになった臨床心理士Tさんの追悼の意味を込めて弾きたいと申し出たらあっさり許可が出た。

 家では追悼の曲として「カッチーニのアヴェ・マリア」を弾いたけれども、皆さんの前で弾くのにはそれでは悲しすぎる。いつも笑顔を絶やさなかったTさんのことを考えてラヴェル作曲「亡き王女のためのパヴァーヌ」を1曲目に持ってきた。そして2曲目は50年以上人前で弾くことを封印してきたマスネ作曲「タイスの瞑想曲」にした(拙著『神経質礼賛』p.251)。その後は元気が出るようにヴィヴァルディ作曲「四季」から春第一楽章、モンティ作曲チャルダシュ、最後はサティのジュ・トゥ・ヴというラインナップにした。

 この曲は、ラヴェルがスペインの画家ベラスケスが描いたマルガリータ王女の絵からインスピレーションを得て作曲したとされている。ラヴェル初期の傑作で、ピアノ版と後に自身がオーケストラ用に編曲した版、さらには他の編曲者たちによる独奏楽器用の様々な編曲版がある。かつて医大オケで演奏した時は、冒頭のホルン独奏者のプレッシャーは大変なものだった。管楽器はどれもそうだが、特にホルンは安定した弱音を出すのはとても難しい。ホルンのソロを吹いた人は、今では県立総合病院で病理医をしている。弦楽器部門にも「軽い早い弓で弾くように」という指示があって、なかなか思ったような音が出せず苦労した記憶がある。簡単そうに見えて綺麗に弾くのは難しい。

 昨日が演奏当日。昼休みの後半に職員が食事をする所で演奏。周囲を囲むように至近距離に特別に椅子が並べられ、ビデオカメラやスマホ動画撮影されるとなると緊張感はMAXである。ぎこちない動きでだいぶミスが出てしまった。ビデオ録画が期間限定で院内研修の一つとして閲覧できるようになっていて、困ったものである。その後で認知症の方々が入院している病棟でも後半の3曲を弾く。普段大声を上げている方も静かに座って聴いていて下さった。こちらはまずまずの出来で、弾かせてもらってよかったなあ、と思った。

 

2025年3月20日 (木)

神経質礼賛 2327.駅ラーメン

 先日、駅のホームにある立ち食いソバの店・富士見そばで明太チーズそばを食べた話を書いた(2321話)。その時、もう一つ食べてみたかったのが一番人気だというラーメンである。定期券があるうちにと、また別の日に行ってみた。先日は東海道線上りホームの店で今回は下りホームの店だけれどもメニューは全く同じである。券売機に600円入れて食券を買う。すべての麺には替え玉(180円)があり、サイドメニューのおにぎり(150円)とか稲荷寿司(2個180円)もある。トッピングの追加もできる。厨房で作っていたのは前回女性で今回は年配の男性だった。すでに一人お客さんがいてそばを食べていた。私が注文した後にもまた一人がやってきた。ラーメンのスープの色は濃いが、それほど塩分は多くない鶏ガラスープ。もしかするとそばつゆも少し混ぜてあるかもしれない。ナルト、豚バラのチャーシュー1枚、メンマ、刻み葱が乗った、基本をしっかり押さえた正統派中華そばである。昔懐かしい街中華のラーメンの味そのものだ。箸がどんどん進んでいく。スープを全部飲み干したい強い衝動にかられながら塩分を気にして2割ほど残した。

 今ではラーメンも高価なごちそうになってしまった。1杯千円以上が普通になり二千円近いところも珍しくない。脂ぎったとんこつスープ、煮干したっぷりのスープ、豪華なチャーシューやら激辛の担々麺を売り物にし、○系ラーメンと称する店もある。開店間もなくは店の前に行列ができるけれども、何年かすると消えていく。このところ廃業・倒産するラーメン店も多いと聞く。やっぱり、昔懐かしい中華そばの味が一番である。これならば飽きがこない。いつまでも残っていてほしい。

 

2025年3月16日 (日)

神経質礼賛 2326.申し送り

 いよいよ現在の病院の勤務も残すところあと半月になった。私の後任の医師は今の所おらず、今いる先生方に患者さんたちの診察をお願いすることになる。病棟の看護師さんたちは普段から日勤から夜勤、夜勤から日勤に引き継ぐときに「申し送り」と言って患者さんの情報を伝達しているし、病棟を移る時にも、前の病棟の看護師さんから新しい病棟の看護師さんに伝達が行われる。その点、医師が交代する時の申し送りはないことが多く、あってもカルテに2,3行まとめが入っていればいい方である。私も前主治医から引き継いだ時に情報をもらえた患者さんはほとんどなく、ぶっつけ本番で、正直よくわからないまま、時々カルテの情報をパラパラ見ながら引き継いだケースが多い。それはやはり患者さんにとって不利益となる可能性があるから、なるべくカルテ上に申し送り情報を書き込んでいる。安定していて2,3か月に一度しか受診しない方も入れると患者数は200人を超えている。時間はかかるけれども、何とか全員の申し送りを書き残しておこうと思っている。

 外来で、次回から担当医が代わることを告げると、「あ、そうですか」という人もいるし、長く通院している人だと勝手を知っているから「〇〇先生がいいなあ、△△先生はやめて下さい」と注文してきたりする。たまに悲しんで涙を流す人もいて、こちらも別れが辛くなってしまう。

   昨日は、3年以上入院していた人が退院していった。うつ病で当初は3か月位で退院の予定が、御主人が白血病の治療のため浜松の大きな病院に入退院を繰り返されたため、退院が延び延びになってしまっていた。自宅近くの施設に入所することが決まり、御主人が再入院したとしても心配ない状況となって退院していかれた。やはり、お元気で退院して行かれるのを見るのはうれしい。この病院に勤めてからというもの80代・90代の認知症の方の入院受けが多くて、やがて食事摂取ができなくなって衰弱されて肺炎などでお亡くなりになり、霊柩車をお見送りすることが多かった。来月からは死亡診断書を書かなくて済む。

 

2025年3月13日 (木)

神経質礼賛 2325.生き尽くす(2)

 院内メールで職員の訃報が流れた。常勤の臨床心理士Tさんが亡くなられた。まだ30代前半の若さで私の子供と同年齢である。5年前に私と時を同じくして入職された。たった一人の心理士さんだったから数多くの心理検査オーダーをこなしながら心理面接(カウンセリング)を精力的に行っていた。日本では心理士さんの経済的立場が弱い。保険では心理面接で料金は取りにくいので、カウンセリングの前後に医師が短時間面談して、その精神療法としてコストを取る形にならざるを得ない。Tさんはいずれ心理士単独で料金をいただけるようにいい仕事をしていきたいと語り、病院の幹部にもいろいろ提言して、近隣のクリニックなどとも協力して精力的に仕事をしておられた。いつも明るいムードメーカーで患者さんたちから慕われ、同僚たちからも深く信頼されていた。私も元気を頂いていた一人だった。

 そのTさんを病魔が襲った。院内の会議の後にTさんから小声で話しかけられた。「当分休みますので、カウンセリングができなくなった患者さんたちのフォローをお願いします」「実はがんが転移していてもう復帰は難しいですが、出たり休んだりしながらやっていきます」とのことだった。私は絶句して涙をこらえるのがやっとだった。数か月して、Tさんはウイッグを付けて復職された。抗がん剤治療で体力的にきつかったはずだがそんなことは表情に出さず、笑顔で仕事を続けておられた。だんだん休んでいる期間の方が長くなっていった。そしてついに訃報を目にしたのだった。まさに生き尽くす(802話)そのものである。私だったらとてもそこまではできないだろう。Tさんの冥福を祈りながら「カッチーニのアヴェ・マリア」を弾く。

 

2025年3月 9日 (日)

神経質礼賛 2324.主観の暴走

 先週の日曜日の毎日新聞でいつものように将棋の次の一手の問題を見ようと思ったら、同じページに人生相談プラスということでコラムニストのジェーン・スーさんの「新しい環境に適応するには」という記事に目が行った。「主観の暴走」に御用心、という大きなタイトルが目を引く。4月には新しい職場や学校が待っている。期待と不安の入り混じった状態で新たな環境に飛び込んでいくことになる。そうした中で、周囲の人になれなれしくしたり、逆になめられないように居丈高に振舞ったりして失敗することがある。そして自分だけが取り残されているような気分に陥る。スーさんは、そういう時には一旦、蚊帳の外に出て周囲をくまなく観察することを勧めておられる。自分だけがうまくいってない、と考えるのは主観の暴走だと言う。視野狭窄の状態では、「レッテル貼り」「全か無か思考」「心のフィルター」「感情的決めつけ」などの認知の歪みが生じやすい。一歩離れて冷静に観察するというのは有効な解決法だと思う。

 神経質人間、特に対人恐怖の人は、新しい環境に馴染むのに時間がかかる。私もその一人である。あれこれ取越苦労して不安に襲われるが、何のことはない「一人相撲」なのである。自分ばかりがオドオドしいていて情けない、と思い込みがちだが、実は誰だって新しい環境は不安なのである。期待したほど楽しいことはなくても心配するほど悪いことばかりでもない。緊張しながら周囲に気を配って行動していけば、何となく流れに乗れていくものだ。

 

2025年3月 6日 (木)

神経質礼賛 2323.自灯明 法灯明

 朝、通勤で通りかかるお寺・華陽院の掲示板に静岡仏教徒大会のポスターが貼ってあった。華陽院は家康の母方祖母・源応尼(於富の方)が眠る浄土宗の寺である。以前は住職さん(私の中学の時の1年後輩)が有名な和歌や仏教的な標語を書いて掲示していたが、最近はお忙しいのかもっぱら宗派提供のポスターかイベントのポスターが貼られている。暗闇の中に光る一本のロウソクの写真の横には「自燈明 法燈明」と書かれている。

 「自灯明 法灯明」とは、釈迦が亡くなる間際に弟子から「師が亡くなられた後は何を頼りに生きたらいいのでしょうか」と問われて答えた言葉だという。自らを灯りとせよ、法を灯りとせよということだ。すでにお前たちには御仏の教えを授けてある。これからは人に頼らず、自分が信じるものをよりどころとして前に進んでいきなさい、である。

 森田療法も同じようなところがある。病院やクリニックで森田療法の指導を受けたり、生活の発見会などで先輩から指導を受けたりしても、最後は自分で道を切り開いて行かなくてはならない。まずは教えられた通りに行動していく。そして、いろいろ自分なりの工夫をしていく。それでも行き詰った時には最初の教えに立ち返ってみる。武道の極意「守破離」(598話)の繰り返しとも言えるだろう。

 通勤のため華陽院の横を歩いて駅へと向かう生活はあと1か月で終わりとなる。静岡から三島に23年間、掛川に5年間新幹線通勤していた。4月からは市内のクリニックで働かせてもらう予定になっている。これからは先輩医師から教えを受ける機会がぐっと減る。まさに自灯明 法灯明である。

 

2025年3月 3日 (月)

神経質礼賛 2322.墓じまい(3)

 昨年は妻の両親の墓じまいを進めてきた(2256・2299話)。昨年10月に義父の四十九日の際には遺骨は墓には収めずにまた自宅に持ち帰り、寺と離壇交渉を済ませて、墓を建てた時の石材店に墓の撤去を依頼。12月中旬に撤去作業が終わり、義母の遺骨を自宅に持ち帰った。撤去費用は約40万円ほどだった。神経質が行き届いた石材店さんで、工事の過程をきちんと写真に撮って記録してくれてあった。そして、一週間前に義父母の遺骨を新しい寺に運んでおいた。すでに墓石はできあがっていて、樹木葬なので超コンパクトながら、二人の名前と戒名そして亡くなった日が刻まれていた。隣にいずれ私と妻の骨が収められる場所の墓石が並んでいて、苗字だけが刻まれていた。

 今日が納骨の日。昨日の春の陽気から一転して冷え込み、あいにく昨夜から雨が降っている。首都圏では雪が降るという予報もある。義父の通夜の時のような道路が川になる集中豪雨(2261話)でなければまあよしとしよう。朝9時前にお寺に行く。「お骨を収める袋は3色どれにしますか?」と言われて、義父は紫色、義母はピンク色の袋になった。ちなみにもう一色は緑である。本堂で般若心経の読経をしてもらってから墓所に納骨。風も強くなってきた。傘をさしながら焼香と礼拝をする。所要時間25分。これで一段落である。宗派関係なしの樹木葬ではあるけれども一応けじめとして一周忌の法要はお願いしてきた。

 

2025年3月 2日 (日)

神経質礼賛 2321.明太チーズそば

 静岡駅東海道本線(在来線)ホームには地元の駅弁メーカー東海軒が運営する立ち食いソバ屋がある。創業して60年ほどのもはや老舗である。ここで食べることはまるでない。というのも営業時間は7:30~13:30で、仕事を終えて帰って来る時にはシャッターが下りていて開いているのを見ることがないからだ。数年前にここのチーズそばが話題になった。さらに最近ではそれに明太子をトッピングした明太チーズそばを出している。通勤の定期券がある今のうちに行ってみようということで公休日に寄ってみた。

 午前11時前で他に客はいない。横の券売機で券を買う。同じ600円のラーメンにもそそられるが、それはまたの機会にしよう。湯切りした麺の上に揚げ玉と刻みネギを載せて汁をかけた「タヌキそば」の上にさらにモッツアレラチーズをたっぷり掛け、中央に明太子を盛り上げて完成。注文して1分ほどで出てきた。彩鮮やかである。カウンターの上にコショウ・七味唐辛子とともにタバスコが置かれているので、タバスコも少し掛けてみる。和洋折衷の面白い組み合わせ。麺にとろけたチーズがからんで美味しい。揚げ玉とも意外と相性が良い。チーズは下に沈んでいる分もあって、ついつい汁は最後まで飲んでしまった。惜しむらくは塩分がやや多くなってしまっていることだ。チーズや明太子の分、少し汁を薄味にしてくれたら三重丸だろうけれど、普通のそばと同じ汁なのでやむを得ないか。なお、うどんバージョンもあるのでそれもいいかもしれない。健啖家だったらうどんの替え玉を追加する手もありそうだ。

 

2025年2月27日 (木)

神経質礼賛 2320.診察室で帽子を被ったままの人

 年々増えているのが帽子を被ったまま診察室に入って来る人である。そして、帽子を脱がずにそのまま椅子に座って話し始める。私は古い人間のせいか、どうも違和感がある。今は寒い時期だけれども、院内は暖房が入っているから毛糸の帽子を被り続ける必要性もないはずだ。

 いつも野球帽を深く被りつばを下ろして目が合わないようにしている患者さんがいる。統合失調症の人では自我境界を守りたいという心理が働いて帽子を常用したり濃いサングラスをしたり大きなマスクをしたりすることがあって、それは十分に理解ができる。

 一般的に女性の場合は室内で帽子を被っていても相手に対して失礼にあたらないと言われている。もっとも、女性皇族のような上品な帽子であれば、お召し物の一つとしてよいけれども、毛糸の帽子ではなあ、とも思う。男性の場合は室内では帽子は脱ぐべきとされている。画家や漫画家のベレー帽は例外かもしれないが。

 ただ、これだけ室内での帽子着用者が増えてきて、当たり前のこととなってしまったのでは、それに慣れていくしかないのだろう。心理検査P-Fスタディに出てくるストレスフルな場面・・・映画館で自分の目の前に座っている人が大きな帽子を被っていて邪魔で良く見えない・・・というようなことがなければ、どこでどんな帽子を被ろうがOKということになろうか。

 

2025年2月23日 (日)

神経質礼賛 2319.蛍光灯製造中止

 2027年末に蛍光灯の製造・輸出入が禁止されるという話が新聞に載っていた。蛍光灯の蛍光管には少量だが水銀が使われている。以前から環境汚染や人体への悪影響が指摘されていた。私が住んでいる市でも、燃えないゴミの回収の際には蛍光管を分別回収するようになっていた。

 この話はまだ十分には周知されていない。それに、丸型の蛍光灯器具ならば素人でも容易にLED照明に取り替えができるけれども、直管型の蛍光灯器具だと配線変更工事が必要だったり、器具全体の取り替え工事が必要だったりして簡単には済まない。勤務先の病院の照明を考えると長い40W直管型蛍光管が多く使われている。学校や事務所でも事情は同様であろうと思う。これらを全部取り替えるとなると相当のコストがかかることになる。

 我が家でもLED照明への取り替えは進めているが、居間と寝室と和室はまだ丸型蛍光管の照明器具のままである。しかも、丸型蛍光管の予備はかなり買い込んでしまってある。買い置き分を使い切ってからの交換になる。20W直管型蛍光管を使用していた納戸などでは既にグローランプを外して同等型のLED管に交換した。しかし、電子回路を使ったラピッドスタート型の蛍光灯だと業者に工事を依頼して器具全体を取り替えなくてはならない。また、洗面所の蛍光管はLED管に交換したら肌の色が青っぽくなって不健康そうに見えてしまうと妻から苦情が出て蛍光管に戻したということもあった(1942話)。肌の色がきれいに見える電球色のようなLED管が販売されるようになったらまた交換しようと思っている。ダウンライトに電球型蛍光管が使われていて、サイズの関係でLED電球に置き換えにくいものもある。交換が完了するまでまだ数年かかりそうである。

 

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