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神経質礼賛 2412.家康公の立ち上がり石

 小國神社の境内にある「家康公の立ち上がり石」を撮った写真の看板を拡大して見ると石の由来が書かれていた。それによれば、元亀二年(1572年)九月、家康は小國神社の神力に頼ろうと願文と名刀2本を奉納して戦勝と開運を祈願した。さらに、天正二年(1574年)、犬居城攻略の途中で再び参拝して、この石に腰掛けて休んだという。それ以来、運が開け、戦勝を重ねた。縁起がよいということから立ち上がり石の名で呼ばれるようになったそうである。

 ここで犬居(いぬい)城とは今川氏の国衆から武田氏に帰属した天野氏が居城とする山城であり、現在の浜松市春野町に城跡が残っている。看板には記載がないが、この二度の参拝の間には家康にとって大事件があった。元亀三年(1573年)十二月の三方原の戦いである。武田信玄の侵攻に対して家臣の多くが浜松城での籠城戦を進言したのに反して神経質な家康にしては珍しく強気に武田軍への攻撃を指令した。結果は惨敗。多くの家臣を失い、家康は命からがら浜松城に戻っている。以後も武田軍とは遠州の各地で戦いを繰り返し、小國神社も武田軍に占拠されそうになり、当時の神主さんが御神体を移して社殿に火を放ち、神社が武田軍に利用されるのを阻止したということもあったそうだ。三方原の戦いは家康にとって大きなトラウマだったはずだが、あえてまた同じ小國神社に参拝したところに諦めない家康の粘りが示されていると思う。二度目参拝の翌年の天正三年(1575年)、長篠の戦いで織田・徳川連合軍は武田勝頼軍に勝利し、大きく流れが変わった。同じ年、家康は神社を再建している。神頼みだけでは勝てない。神経質の特性を生かして無謀な戦いは避けて十分に準備を行い、家臣の意見にも耳を傾け、粘り強く事に当たるようになって勝ちが転がり込むようになったのである。

2025年12月 1日 (月)

神経質礼賛 2411.小國(おくに)神社の紅葉

 昨日は日帰りバスツアーで小國神社へ行ってきた。小國神社は周智郡森町にある。掛川の病院に勤務していた頃、外来患者さんたちが小國神社の紅葉がきれいだ、とよく言っておられたので一度行ってみたいと思っていた。ただし路線バスが廃止になっていて交通が不便である。最近、試験的にまたバスを復活させているという話が新聞には出ていたが、最寄りの天浜線の駅まで行くのにも時間がかかる。そこで、バスツアーを予約したのだった。

 ツアーのバスは9:15に静岡駅前を出発。すでに清水駅前から乗車してきた人たちもいる。好天に恵まれ道路も順調に流れていた。しかし神社に近くなると駐車場に入る車で大渋滞が発生していて、予定より20分ほど遅れて到着した。境内の紅葉はちょうど見頃を迎えていた。深紅に染まっている所あり、まだ黄色から赤色に移行しつつある所もあって、なかなかよい。本殿近くに徳川家康が戦勝を祈願しに訪れた際に腰掛けたという「家康公の立ち上がり石」があって、私も座ってみた。なかなか座り心地のよい石である。本殿前の舞台では雅楽に合わせて舞が奉納されていた。本殿横を流れる宮川沿いには紅葉の木々が立ち並んでいて、夜間はライトアップが行われている。七五三の着物を着た女の子がポーズを取り親たちがせっせと写真を撮っていた。こういう平和な時代がずっと続いてほしいと思う。

 ツアーは浜名湖近くで昼食を摂ってから、うなぎパイファクトリーへ。製造過程を見学できるはずだったが、残念ながら日曜日のため生産ラインは止まっていて、ビデオで見た。うなぎパイは静岡土産の代表と言えるメジャーな菓子であるが、パイ生地を作り上げるまでは職人さんたちによる手作りであることを知った。温度や湿度などの条件に応じて最適な作り方をしているとのことで、一人前の職人になるまでの修行もなかなか大変なようである。うなぎパイには神経質が詰まっているのだ。

 

2025年11月30日 (日)

神経質礼賛 2410.片足は墓穴にありてわれは立つ

 J.S.バッハが作曲した協奏曲の緩徐な第2楽章にはとても美しく癒しに満ちた曲が多くみられる(1689話)。ハープシコード(チェンバロ)協奏曲第5番BWV.1056の第2楽章ラルゴはその代表例であろう。アリオーソとも呼ばれ、ヴァイオリンやチェロでしばしば演奏されている。フランス映画「恋するガリア」の主題曲としても用いられ、スイングル・シンガーズの美しいスキャットが日本でもヒットした。バッハはこの旋律を教会カンタータ「片足は墓穴にありてわれは立つ」BWV.156の序曲に転用している。

 前話のアマチュア・アンサンブルの日の演奏の翌日、循環器内科を受診して心エコー検査を受けた。それまでの種々の検査結果と合わせて慢性心不全と診断された。腎機能低下も合併している。普段、自分の死をそれほど具体的に意識していなかったのが、急に現実味を帯びて来てしまった。不安ではあるが何とも仕方がない。まさに「片足は墓穴にありてわれは立つ」状態である。まずは薬物治療を受け、節制しながら、働けるうちは働き続けよう。そして弾けるうちは楽器も弾き続けたい。神経質を発揮してとにかく粘って行こうと思う。これからが森田的生き方の見せ所だ。

 

2025年11月27日 (木)

神経質礼賛 2409.アマチュア・アンサンブルの日(3)

 11月24日(月・振替休日)に第15回アマチュア・アンサンブルの日が静岡AOIホールで開催された。一昨年(2169話)、昨年(2282話)に引き続き3年連続の出場である。1グループ15分の持ち時間で24グループが演奏。今年はなんとトップバッターで、正午の出演となった。

 昨年の暴風雨とは打って変わり秋らしい穏やかな日和に恵まれた。10:55受付、11:15リハーサル、12:00演奏開始。前に演奏するグループがいないので、気分的には楽である。例年通り時間には極めて神経質に進行していく。今年の第1曲はシューマン作曲クライスラー編曲の3つのロマンス第2番op.94-2。原曲はオーボエ曲だ。美しい主題で始まり、中間部の短調部分はいろいろな障害を示しているように思える。シューマン自身もクララとの結婚をその父親からの強い反対を乗り越えて愛を貫いている。無難に弾き終わる。第2曲はブラームス作曲FAEソナタ第3楽章スケルツォ。ベートーヴェンの「運命」へのオマージュと思われる作品で、タ・タ・タ・ターンのリズムが多用される。テンションが極めて高くなる曲だ。今年入手したヴァイオリン(2365話)がよく鳴ってくれてピアノの音量にそれほど負けない音を出してくれた。ただし最後の重音の一部が少しかすれてしまった。第3曲はフォスター作曲ハイフェッツ編曲「金髪のジェニー」(2366話)。重音奏法が美しいが、出だしの部分は簡単そうに見えて一番低いG線の超ハイポジションで弾くことを指定されていて楽器が鳴りにくく音程も取りにくくて難物である。繰り返し練習してどうにか満足が行くレベルになっていたのだが、肝心の本番で最初の音程が低くなってしまい痛恨のミスである。緊張感が足りなかったと反省する。それでも、貧乏のどん底の中で愛妻ジェーンとの離別を余儀なくされたフォスターの切ない思いを込めて弾くことができたと思っている。このホールで演奏する機会を与えてもらえたことに感謝。そしてピアノ伴奏を担当してくれた友に感謝である。後で民放のローカルニュースに紹介されていたことを知った。

 

2025年11月23日 (日)

神経質礼賛 2408.ボールペン

 勤務先のカルテが紙カルテだった頃はボールペンの使用頻度が非常に高くて黒ボールペンは月1本位使い切っていた。書類も手書きだったから右手の人差し指と中指にはボールペン胼胝(たこ)がいつもできていた。やがて定型的な書類は決まった書式をパソコンのエクセルで作ってもらい、画面に打ち込んで作るようになってボールペンの使用頻度は減った。さらに電子カルテになってボールペンでの手書きは著しく減った。それでも、手書きの2枚とか3枚複写の書類や伝票はボールペンで書かなくてはならない。そしてとっさにメモを取る時はやはりボールペンを使う。そういう時に外来や病棟にあるボールペンを使った後うっかりそのまま持ってきてしまったり、逆に自分のボールペンを置いてきてしまったり、どっちが自分の物かわからなくなることがある。これは職場でのボールペンあるあるだ。

 今年の4月から勤めている精神科クリニックでは紙カルテに逆戻りである。再びボールペンの消費が早くなった。長いこと未使用のままのボールペンを使おうとすると書けなくなっていることがよくある。ペン先に乾燥防止のための小さな球状のカバーが付けられているものでも一度も使っていなくても年数が経っていると意外と使えなくなっている。3色ボールペンの場合、赤色や青色は書けるのに、一番使いたい黒色だけが使えなくなっているものが多い。まだ生きている赤インクあるいは青インクだけを1本の多色ペンに付け替えて、赤専用とか青専用のボールペンとして使う手もありそうだが、労多くして益少なしとみて、それはやめておくことにする。

 今のボールペンは油性インク、水性インクだけでなく、両者のいいとこ取りをした優れたインクが使われているものもある。スラスラ滑らかに書けて気持ちが良い。しかし、複写の伝票に書く時は強い筆圧が必要であり、古いタイプのボールペンでないとうまく下の紙まで字が写らないので、使用状況に応じて2~3種類のボールペンを使い分けた方が良いようである。そして、突然のインク切れに困らないように、洒落た高級ボールペンよりもインク残量が見える透明軸のものがありがたい。透明でないものは、時々軸を外して残量をチェックするのが神経質人間のやることである。

 

2025年11月20日 (木)

神経質礼賛 2407.年賀状じまい

 一昨年・昨年と続けて喪中はがきを出した。もっとも、仕事関係や患者さんからは年賀状をいただくので、少数の年賀状は用意しておき、返り年賀状は出していた。今年はすべて年賀はがきになるので、郵便局に行って、大体の枚数の年賀はがきを購入する。そして、書店に行き、年賀状作成ソフト雑誌のコーナーを見る。例年よりソフト付き雑誌の数が減っていた。そうか、年賀状を出さない人が増えてソフトも売れなくなっているということなのだろう。

 「今年で年賀状を終了させていただきます」といった文面のスタンプやシールなどの年賀状じまいグッズの売れ行きが好調だというニュース記事があった。年賀はがきの生産も激減しているそうだ。2003年には過去最高の44億5936万枚出された年賀はがきはここ数年で大きく落ち込み、今年は昨年に比べて7割減の7億5000万枚なのだそうだ。優便料金の値上げも原因として考えられる。企業ではコスト削減。個人ではメールやSNSで済まそうという流れになっている。特に歳を取ったら無駄な人間関係は終わりにすべきだと説く人も少なくない。

 私自身はまだ年賀状を続けるつもりでいる。もう会うこともなく、年賀状のやり取りだけになってしまった懐かしい旧友や同じ職場で働いた人々の顔を思い浮かべ、今の自分があるのもその人たちのおかげだなあ、と年に一度くらいは振り返るのも悪くはない。それに、喪中はがきを受け取って出さなかった人が漏れていないかチェックし、宛名と住所を書くひと手間も認知症予防に役立つのではないかと考えている。

 

2025年11月16日 (日)

神経質礼賛 2406.町中華

 週2回仕事に行っている産婦人科クリニックの近くは手頃な定食屋さんがなくて最初の頃は昼食を食べる場所に困っていた。ちょっと離れた所に弁当販売もしている古い喫茶店で定食が食べられることを知って、週1回はそこを利用している。メニューは日替わりで5種類位の中から選び、ライス・サラダ・小鉢付き。たまに牛タンシチューが出る日があって、うれしくなってしまう。味噌汁はセルフサービスで保温ジャーから自分で器によそう。栄養が十分に補給できて値段も700円と手頃で、とてもありがたい。女将さんと陽気なオニイサンで切り盛りしていて好感が持てる。

   最近、駅とクリニックのちょうど中間位の街道沿いに町中華が開店した。元はハンバーグやスパゲティなどの洋食屋さんだったのが閉店になり、そこに入った店である。開店の前週、店の前にチラシが置いてあったのを出勤途中に見つけて1枚もらう。開店日はまず醤油ラーメンを注文。チャーシュー2枚入りだが、メンマがちょっと少ない。刻んだ水菜が載っている。細麺でスープはくどくなく、おいしかった。680円だが開店サービスのためそれから200円引きだった。次の週に入った時はチャーハンを注文した。味は特に濃くはなく、食べやすい。卵スープが付いて580円でとてもお得感がある。この次は餃子やセットメニューを頼んでみようかと思っている。店主や店員さんは皆さん中国人のようであるが接客対応は良い。どのテーブルにもボックスティッシュが置かれている配慮もグッドだ。最近のラーメン屋は1杯千円以上の所が増えているけれど、やはり町中華はこのくらいの価格で気軽に食べられなくては。この店も定番化しそうである。

 

2025年11月13日 (木)

神経質礼賛 2405.熊荒(くまあれ)

 外来に通院してくる高齢女性。うつ病はすっかり良くなり、御自分で車を運転して山へ行き花の写真を撮る趣味を楽しんでおられる。ところが、最近その楽しみが中断している。県内でもクマが出たという情報があって心配になり止めているのだそうだ。心配されるのも当然だ。今年はクマに襲われる死傷事件が相次ぎ、死者数はすでに2ケタに達している。クマが住宅に入り込んだり、学校に入ってきたり、スーパーの店内に入ってうろついたりする衝撃動画が拡散している。紅葉狩りハイキングやキノコ狩りなどの山間部の観光に影響が出たり、山道を走る駅伝大会が中止されたりといった事態も起きている。今年はクマの食物になるドングリが不作のためクマにしてみれば食糧不足に見舞われているとも言われる。人間による環境破壊が原因だとする説もある。

   しかしながら、クマによる人身被害は昔からあった。弘前藩に残る記録では「熊荒(くまあれ)」のため、25年間に70人の領民が死傷したという。時は元禄。徳川綱吉による「生類憐みの令」が出ていた時期だからクマの駆除も容易ではなかった。当時の猟師は槍一本でクマと戦っていたから逆に襲われてしまうことも少なくなかった。のちに、藩の管理のもと鉄砲を使うようになってようやく熊荒は鎮まったという。現代でも動物愛護の観点からクマの駆除に対する批判はあるが、あまり個体数が増えると問題が起きる。クマ以外にもシカが増えすぎて農林業に被害を及ぼす鹿害もある。「かくあるべし」の理想論では解決できない。極端な保護、極端な駆除にならず、うまくバランスを取った現実的な対応が必要だと思われる。

2025年11月 9日 (日)

神経質礼賛 2404.大雲寺335年ぶり公開の秘仏

 ツアーの最後は岩倉にある大雲寺の秘仏・行基作の十一面観音像で335年ぶりの開帳というキャッチフレーズだ。この寺は紫式部の母親の祖父が創建したと言われ、源氏物語・若紫に出てくる「北山のなにがし寺」のモデルだという説がある。平安時代からすでに脳病(精神病)平癒の御利益があるとされていた。織田信長の叡山焼き討ちの際は奇跡的に難を逃れたが、その後は衰退。昭和には多額の借金を負い、今から40年前になんと売却され取り壊されてしまった。今回の秘仏公開は寺の再建目的が大きい。ネット上でクラウドファンディングによる募金が行われているものの十分には資金が集まっていない。秘仏は寺があった所から離れた場所の仮本堂に安置されている。岩倉という地は日本の精神医療の原点のような場所であり、寺院の周辺の茶屋には精神病患者さんたちのお世話をしてきた歴史があり、現在では精神科病院がいくつも集まっている。

 仮本堂まではバスを降りて閑静な住宅街の中を歩く。寺の再起を強く願う住職さんの説法には力が入っていた。十一面観音像は頭部の上部分が1551年に三好長慶軍がこの地に攻め入った際に火災で焼けてしまっているが、それがゆえに観音様が人々の身代わりになって下さったと考えられているようだ。元よりの脳病平癒に加えて認知症が人々の関心を引く昨今では呆け封じの御利益が期待されているとも言う。

 すべての拝観を終えて京都駅に着いたのは5時頃。ツアーの大部分の人たちは1時間後ののぞみ乗車まで買物自由行動。私たちは2時間後のひかりを予約していたのでツアーの人たちと別れる。この時間では近くの東寺も拝観時間を過ぎているし、長時間の買物も疲れてしまう。伊勢丹の地下で夕食の弁当を購入した後は空いていそうな喫茶店を探す。伊勢丹3Fのロマンの森という喫茶店に入った。オリジナル京都紅茶を飲む。窓際の席に座ると照明が灯る京都タワーを眼前に見ることができた。密度の濃い2日間の旅だった。

 

2025年11月 8日 (土)

神経質礼賛 2403.願徳寺

 ツアー2日目は観光バスで移動し、西山・大原野神社近くの宝菩提院願得寺からスタート。今までこのお寺の存在を知らなかった。以前、大原野神社に行った時にも完全に見落としていた。京都一小さい地図に載っていない観光寺院なのだそうだ。朝9時の開門と同時に入る。特に秘仏というわけではないが、本尊の国宝・如意輪観音像の美しさには息を飲む。照明の下ではキリっとしたお顔に見え、照明を消した自然光では穏やかな優しさが漂う。今回のツアーで一番印象に残った仏像になった。

 その後は仁和寺の霊宝館で国宝阿弥陀三尊像の特別公開を見る。国宝の医心方などの医薬書類も多数展示されていた。昼食は大徳寺脇にある泉仙の紫野店で雲水という名前の精進弁当をいただく。ビールを追加注文して一人で飲んでいる男性もいた。バスの出発まで少し時間があったので、一人で北大路通を渡って源氏物語の中にその名が登場する雲林院をのぞいてみる。平安時代には大寺院だったらしい。今では大徳寺の塔頭の一つとして残っているばかりだ。さらにそこから徒歩5分ほどの堀川通沿いに紫式部の墓と小野篁の墓とされるものがあるらしい。それはまたの機会の楽しみに取っておく。

   バスはまた西へ戻るルートを辿る。団体のため、お寺との調整でその順番になってしまったとのことだ。嵯峨の清涼寺で国宝・釈迦如来像と阿弥陀三尊像の特別公開を拝観する。本堂の裏庭もなかなか立派だった。紅葉もし始めていた。バスツアーだと歩きが少なくて楽である反面、気に入った所をじっくり見ることができないのと、一度にあれこれ見てしまうと印象に残りにくい欠点があって、一長一短だと思った。

 

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