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神経質礼賛 1751.風呂敷

 考えてみれば日本には風呂敷という伝統的なエコバッグがある。私が子供の頃はよく見かけたものだ。他の家に挨拶に行く際には御挨拶の品を風呂敷に包んで持って行くのが習慣だった。行商人(時に押し売り)が大きな風呂敷を背に歩いている姿もまだあった。漫画で手拭いを頬被りした泥棒が唐草模様の風呂敷に盗品を包んで逃げていく姿はおなじみだった。私が大学に入って家から布団を三畳一間のアパートに持って行ったのは、大きな風呂敷に入れてである。以後、長い事布団袋代わりに使っていたものだ。

 どうして風呂敷というのだろうか。物を布で包んで運ぶ習慣は奈良時代や平安時代にはすでにあったらしい。入浴する際、脱いだ衣類を入れたり濡れた風呂衣を持ち帰ったりするのに使われていて、それが風呂敷の名の起源ということだ。江戸時代には江戸や大坂などの大都市で銭湯が出現し、庶民が風呂敷を盛んに使うようになった。

 風呂敷の強みは重箱や寿司桶のように底面積の広いものを包むのに便利だということがある。スイカのような球形の物にも対応できる。この辺は普通のエコバッグではどうにもならない。最近は風呂敷を持って歩いている人を見かけることはほとんどないが、これからは見直されてもっと活用されてもいいのではないだろうか。

2020年5月31日 (日)

神経質礼賛 1750.レジ袋有料化(2)

 この4月から行きつけのドラッグストアでレジ袋が有料となった。さらに6月からはよく行くホームセンターや100円ショップでもレジ袋が有料化される。このホームセンターのレジ袋は市の指定ゴミ袋として利用できるので大変ありがたい存在だった。3Lサイズは市販の45ℓ、2Lサイズは20ℓのゴミ袋と同じ大きさだから購入できるけれども、それよりも小さい大・中・小に見合ったサイズのゴミ袋は市販されていない。高齢者の一人暮らしではそうゴミは出ないので10ℓ程度の大がちょうどいいサイズであるし、個別に回収に来てもらう燃えないゴミを捨てる際、金物類は中、乾電池は小サイズがピッタリで重宝していた。これからは無駄なようでも市販の20ℓ袋に入れて出すことになる。

 以前、レジ袋有料化の話を書いたのは357話であり、月10話・1年に120話ずつ書いているからちょうど10年前ということになる。その間、有料化は一部の店に限られてきたけれど、環境問題の深刻化もあって、このところ急速に進んできた感がある。コンビニも有料化の動きをしている。外出する時にはいつも軽い折り畳み式のエコバッグをポケットに入れて行く。ホームセンターでの買物に備えて大きめのエコバッグも買った。そして最終兵器はKALDIのエコバッグ「カルディ伝説」(165円)である。耐荷重25㎏でベルトが長短2種類付いているから肩掛けも可能だ。前の病院を撤収する際に、大量の荷物を突っ込んで家まで運ぶのに役立った実績がある。これならばお米やペットボトルを買った時にも安心である。神経質としてはエコバッグをうまく使い分けて対応していきたい。

2020年5月28日 (木)

神経質礼賛 1749.コレラとコロナ

 森田先生が詠まれた短歌に次のようなものがある。
  大坂の とある橋の上 黄旗立つ コレラありてふ しるしなりとぞ
     (白揚社:森田正馬全集 第7巻 p.444)

 コレラはコレラ菌が作る毒素が急性腸炎を引き起こす伝染病で、江戸時代後期にオランダ船から長崎に広がった。その頃は交通が不便だったから、箱根を超えることはなかったが、明治以降は全国的に感染が拡大し、致死率が極めて高かったから「コロリ」として怖れられていた。森田先生の生きた時代にも流行があって、感染地には近寄らないようにこのような警告が行われていたのだろう。

  現代では、新型コロナの感染拡大警告のため東京レインボーブリッジを赤く照らして「東京アラート」が発せられた。今週には緊急事態宣言が解除されてレインボーブリッジは再び七色に照らされているそうである。しかし、これで安心というわけではない。以前の生活に戻していけば、第二波・第三波の感染が起こり得る。現在はほぼ鎖国状態であるが、海外との人の移動が始まればその危険性はさらに高まる。感染を警戒して注意を怠らないことが大切である。少々気になるのは、警戒宣言が出てパチンコ店が休業になっても県外の営業している店を探し出して車で駆けつけてパチンコをしていた人たちがインタビューに対して口々に「自分は大丈夫」と発言していたことだ。こういう根拠のない楽観が感染を広げてしまう恐れがある。再度緊急事態に陥らないためには神経質を緩めてはいけないということだ。

2020年5月24日 (日)

神経質礼賛 1748.紺碧の空

 前話の続き。早稲田大学応援部から応援歌「紺碧の空」の作曲依頼を受けた古関裕而は気乗りしなかったが、応援団長の熱意に触発されて一気に曲を書き上げ、それが早慶戦で歌われることになる。そして慶應に連戦連敗していた早稲田は勝利をつかむ。古関にとって、この曲は人々に歌われる事実上最初の曲となり、売れずにクビ寸前の状態から飛躍していく起爆剤になった。

 「紺碧の空」は、野球の試合でチャンスが回ってきた時に歌われることが多く、盛り上がる曲で、卒業してからも集まりがあると、校歌とともに必ず歌う曲である。早稲田に入学する学生の過半数は東大や京大を落ちてきた敗残者である。私もその一人だった。もちろん、高校時代をのびのびと過ごして附属の高校からエスカレーター式に進学してくる人や私大一本に絞り早稲田を第一志望にして入って来る人もいるけれども、多くは入学した時には強い挫折感・落伍者意識を引きずっている。しかし、野球の応援に行って、この「紺碧の空」を歌っているうちに1年もすれば熱烈な早稲田人に変貌している。まさに起死回生の応援歌である。

 学生の時に買った校歌や応援歌が入ったLPレコードはまだ持っている。レコードプレーヤーを処分する前にパソコンに取り込んでおいたので、いつでも曲を聴くことは可能である。古関裕而作曲の応援歌は昭和6年作の「紺碧の空」の他にも昭和24年作の「ひかる青雲」が収録されている。「ひかる青雲」も大変よくできているけれども、やはり「紺碧の空」は若さと勢いに溢れていて、それ以上に元気が出る曲である。曲の終わりで校名を連呼する部分は3か所とも上昇音型で作られていることもあるのだろうか。レコードのジャケット内側は見開きで昔の大隈講堂付近のセピア色の写真になっていて、歌詞の紙も入っているから、何となく捨てられないでいる。

 応援歌は私たちを力づけてくれるものであるが、神経質にとって最強の応援歌は森田先生の言葉である。神経質人間は些細なことで凹みやすく自分はダメだと思いがちである。そして頭の中で屁理屈を空転させ、行動を止めてしまうと自縄自縛の神経症に陥ることになる。それが森田先生の言われるように、神経質が本来持っている「よりよく生きたい」という生の欲望に目を向けてできる行動を積み重ねていくと心機一転となるのだ。ピンチをしのいで逆転ホームランが飛び出す。

 「自分は駄目だ」と思ふ絶望は、只恐怖に対して見つめる時にのみ、起る事であり、あゝなりたい・あれが欲しい・と欲望に心を集中する時、初めて勇氣が出るのでありまして、其見つめる方向によつて、自由自在になるものであります。家の内に向へば暗く、戸外に向へば明るい事は、自由に自分の好きな通りになる事であります。
(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.510)

 神経質は、机上論の屁理屈を押し進めているうちに、病の悩み死の恐怖という一面のみにとらわれ、動きもとれなくなったものが、一度覚醒して、生の欲望・自力の発揮という事に気がついたのを心機一転といい、今度は生きるために、火花を散らして働くようになったのを「悟り」というのである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.705)

2020年5月21日 (木)

神経質礼賛 1747.エール

 現在NHKで放送中の朝の連続テレビ小説(朝ドラ)『エール』は東京オリンピック開会式の行進曲の作曲で知られる古関裕而(1909-1989:ドラマの中では古山裕一に変名)を主人公としている。先日、新型コロナ肺炎で亡くなった志村けんさんが山田耕筰(ドラマでは小山田耕三)役で出演していることで話題を呼んでいる。朝、病棟を回っていると患者さんたちがTVを食い入るように見ているので、つい私も足を止めて見てしまう。

 古関裕而の名を知ったのは、子供の頃から日曜日の夜にラジオの「日曜名作座」(森繁久彌・加藤道子の語り)を親がよくかけていて、「作曲、古関裕而」のアナウンスが入っていたためである。その後は早稲田大学の応援歌の作曲者として知ることになる。医師になってから、病院の1泊2日の旅行で福島へ行った際、自由行動の時間に古関裕而記念館を訪れた。そこで、ああ、この曲もあの曲も古関裕而の作曲だったのか、と聞いたことのある曲の多さに驚いた。タイガースの「六甲おろし」、NHKのスポーツ中継の始めに流れる「スポーツショー行進曲」、夏の甲子園の「栄冠は君に輝く」、さらには「高原列車は行く」「長崎の鐘」「モスラの歌」などの歌謡曲、ものすごい数に上る。

 古関裕而は正式な音楽教育を受けておらず独学で作曲を学び、ピアノなどの楽器を使わずに頭の中だけで曲を作っていたそうであるから大変な天才である。また、スポーツにそれほど強い関心があったわけではなく、特に贔屓の球団や学校もなく、依頼されれば応援歌や校歌などを平等に作曲していたという。ドラマの中の主人公は少々内気で自意識過剰気味、神経質な面が出ていて、猪突猛進型の妻との対比が面白い。レコード会社の専属作曲家となるも売れる曲が全く作れずに同輩から差をつけられてどんどん落ち込んでいく主人公。そこに早稲田大学応援部から応援歌「紺碧の空」の作曲依頼が舞い込みドタバタが起きる。「♪陸の王者慶應」の歌詞で知られる慶應の応援歌「若き血」(堀内敬三作曲作詞)が作られて以来、野球で早稲田は慶應に連戦連敗中。3週間後に迫った試合に負けるわけにはいかない、と早稲田の応援団長が主人公の自宅に押し掛けてきて作曲を迫る。今週は見逃せないのでビデオに録画して見ることにする。

2020年5月17日 (日)

神経質礼賛 1746.オリーブの花

 昨日は一日中雨だった。今朝、家と道路の境付近に小さな白い花が多数落ちていた。どこから飛んで来たんだろう、と周囲を見渡してもそれらしいものはない。上を見上げてみれば、我が家のオリーブの木の長く伸びた枝の尖端の方にたくさんの小さな白い花がついているのに気付いた。落ちた花も小さな十字形で可愛らしいけれども放置しておくと御近所から苦情が出るかもしれない(1734話)ので掃除しておく。

 日曜日によく行くホームセンターは生鮮食品も豊富に取り揃えているので、母のところに届ける食材を買い込む。今まで高かったピーマンがようやく安くなってきた。近海物のサバの切身が安く買えた。今日は父の35年の命日なので菊の花も買っておく。それらを届けたら母の家の清掃。

 家に帰ると、台所の換気扇の電球が切れたから取り換えて、と妻が言う。換気扇に内蔵されたミニクリプトン電球(1638話)が切れたのだ。時々、廊下・階段・トイレ照明用のミニクリプトン電球が切れることがあるので60Wと40Wはそれぞれ2個ずつ予備を用意していて、こういう時にあわてて買いに行く必要はない。

 先日妻の実家から持ってきた電子レンジを今まで25年使っていたものと交換する作業を午後に行う。一度は子供が引っ張って床の上に落としたこともあるが、問題なく使えていた。さすがにボタンのところのフィルムが破れてセロテープを貼って使い続けていた。古いレンジは家の外に出して、来月の燃えないゴミの収集で回収してもらう予定だ。それから掃除機をかける。 休日でもオトーサンがやることは次々と発生する。おかげで神経症になっている暇がない。大変ありがたいことだ。

2020年5月14日 (木)

神経質礼賛 1745.マスクは余っている?

 3か月前にマスク不足の話を書いた(1712話)。御存知のようにドラッグストアやホームセンターからマスクが姿を消し、朝一番開店前には入荷待ちの人が行列を作るという状況が続いていた。現在勤務先の病院で医師に配布される紙マスクは在庫が減ってきたため一人週2枚になっている。布マスクを自作する動きも出てきた。外来通院中の女性患者さんの中にはとてもきれいな花柄模様の布マスクをしている人がいて、聞いてみると、自分で作ったものだが評判がいいので友人・知人に販売もしているという。なければないなりに工夫するものである。

 ところが、連休中にいつものホームセンターに買物に行ったら紙マスクが出ていた。一家族5箱以内でお願いします、と書かれている。C国製で値段は一箱5枚入り350円ほどとやや高価である。一応家族用の予備を4箱買っておいたが、さほど売場に人々が殺到する感じはなく、時間が経っても結構売れ残っていた。東京のアメ横では、あちこちの飲食店の店頭でマスクを販売して問題になっていると新聞に写真入りの記事があった。仕事帰りに新静岡セノバの通路を通ったら休業中の東急ハンズが出店でマスクを販売していた。

 新型コロナの発祥地C国では自国内の感染が収まってきたので、大量生産して余ったマスクを世界中に売って一儲けということなのだろう。それに日本国内でもマスクの増産を続けているから、そろそろ出回って来る頃である。今まで買い占めて値上がりを待っていた連中も、そろそろ売りさばかないと大損するので手放し始めたのだろう。マスク不足騒動もそろそろ収まってきそうだ。

 トイレットペーパー不足のパニック同様、人々が買いに殺到すれば、値上がり待ちの買い占めや売り惜しみを誘発する。それがますます品薄を呼び、悪循環になる。そのうち供給が過多になって店頭に出回り価格が下がる、というお馴染みのパターンである。もっとも、ウイルスは突然変異するものだから、今後さらに危険な超新型コロナが流行する可能性も否定はできない。神経質としては、普段からある程度の備蓄をしておいて、いざという時に慌てて買いに走らないようにしたい。

 新たな感染者が出ていない多くの県では今日にも緊急事態宣言が解除される見込みとのことだ。我が家には国民一人に2枚ずつ配布の「ア〇のマスク」はまだ送られて来ていないし、職場でもマスクが届いたという話は聞かない。多額の税金を無駄に費やして、やってる「感」を出すがための演技。これこそ事実を離れた「はからいごと」に過ぎない。

2020年5月10日 (日)

神経質礼賛 1744.塵土不驚幽夢

 テレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」という番組は私の地方では1-2カ月遅れてローカル局から日曜の正午から放送されている。昼食までの間、何となく見ている。今日は東京で3月17日に放送されたものだった。福島県会津美里町の出張鑑定で勝海舟の書が出てきた。かなり茶色く変色していて、勝海舟が不眠に悩む人に書いたという話を聞いて私は耳ダンボになった。鑑定士の増田孝さんは「塵土不驚出夢」(実物は右から左に書いてある)と読み、真筆として50万円の鑑定を出した。意味はよくわからない、勝海舟は思いつきでいろいろ書くことがあった、と解説されていた。調べてみると中国明代の詩の中に「塵土不驚幽夢」という一節があるようだ。崩し字なので、「出」にも「幽」にも見える。塵土(俗世間)は幽夢を驚かず。ということは不眠に悩む人よりも夢に悩む人向けの言葉なのではないかと思ってしまう。

 神経質人間はよく不眠に悩まされる。正確に言うと、不眠のために体に支障をきたすのではないか、仕事や勉強に支障をきたすのではないか、早死にするのではないか、などと取越苦労する、いわば不眠恐怖なのである。森田療法では「眠りは与えられただけとる」という指導をする。神経症性不眠の人は実はどこかで眠っている。だから眠れようが眠れまいがそれは問題にしない、という態度で臨めば不眠は解決するのである。そして、悪夢や変わった夢へのこだわりも強い。260話に書いたように、森田正馬先生は「夢ノ本態」の中で大久保彦左衛門の言として「迷いの中の是非は是非とも非なり 夢の中の有無は有無とも無なり」という言葉を紹介しておられる(白揚社 森田正馬全集第6巻p.48)。良い夢を見ようが悪い夢を見ようが関係ないということなのである(1306話)。不眠も悪夢もともに不問とするのが良い。

2020年5月 6日 (水)

神経質礼賛 1743.eラーニング

 この連休中にやっておこうと思っていたことがある。精神科専門医の5年に一度の更新の際に学会発表や講演会参加などで規定の単位を取っておかなくてはならない。今度からは内科や外科など他の専門医と共通の必修単位を最低3単位取らなくてはならなくなった。その単位を取るための講習会は地方ではなかなかやってくれなくて困っていた。今年の初めに珍しく静岡でも県と医師会による講習会があったけれども、私はあいにく当直のため参加できなかった。これをクリアする別の方法としては、精神神経学会ホームページにあるeラーニングの共通講習の講演を視聴してそれについての問題を全問正解したらクレジットカードで料金を払って単位が認められる、というものである。期限はまだ3年近くあるけれども、家にいる時間が長い連休中に何とか片付けようと思っていたのだ。

 共通講習の最初はまず「医療倫理」である。講演の内容は利益相反(COI)について具体的な事例について考えていくもので興味深かった。製薬会社から多額の講演料や原稿料をもらっている大学教授や有力医師たちがその製薬会社の製品に忖度したガイドラインを作ったり、結果的に宣伝するような学会発表や講演を行ったりすることが問題となっている昨今、重要な話である。レポート用紙に講演内容をメモしながら見ていたら、50分があっという間に過ぎた。そして問題が提示される。講演を聞いていれば正解できる問題ばかり。回答すると正答が表示される。よし、5問全問正解だ。あれっ。5問中4問正解と表示されてしまう。再回答は可能なので、もう一度やると一部の問題は入れ替わっていた。それでも全問正解できた・・・はずなのに5問中3問正解と表示されてしまう。一体何なんだ!と怒りを覚えながらも気を取り直して5回6回と回答するが、なぜか全問正解にならない。7回か8回目でようやく全問正解と表示され、クリアできた。何度もやらせて記憶を定着させるため、わざとそういうシステムにしてあるのか。それとも単なるシステムの欠陥なのだろうか。ともかくクレジットカード情報を入力して支払を済ませる。

 一日一つずつやっつけようと思っていたが、やり始めると止まらないのが神経質である。次の「医療安全」にとりかかる。これは講演が12分ほどのところでフリーズしてしまった。やむなくまた最初から始める。途中から音声が途切れてバッファリング中の表示が出る。だんだんスライド画面と音声とのずれがひどくなっていった。医療事故を防ぐための話であり、昨今はちょっとしたインシデントも報告するようにはなっているが、どれも反省文みたいなものになってしまい、それでは意味がない。そして「犯人さがし」もよくない。もっと広く報告できるようにして多くのデータから分析してその情報をスタッフで共有することが大切だという。この講演に関する問題もやはり全問正答しても5問中3問正解などと表示されてしまう。毎度全問正解しているのに認めてもらえず、かれこれ十回ほどやり直してやっと通った。

 昼過ぎに母のところに初めてヘルパーさんが来てくれて入浴介助をしてくれることになっていたので、立ち合いに行き、その後バスタオル類を洗濯する。仕事の目先を変えればさほど疲れは感じない。帰宅してから最後の共通講習「感染対策」にとりかかる。抗菌薬をいかに有効に安全に使い分けていくかという話で、とてもためになる話だった。これは一回で全問正解として通ったのでかえって拍子抜けした。

 学会総会が新型コロナのため開けない状況になっているので、こうしたeラーニングの利用は避けては通れない。神経質は初物には身構えてしまうけれどもやってみればどうということもなかった。とにかく手を付けてみることだ。

2020年5月 3日 (日)

神経質礼賛 1742.理屈はわかるが実行できない

 神経症には普通神経質(不眠、頭痛、胃部不快感、めまい感、書痙など)、発作性神経症(不安発作、動悸、呼吸停止発作など)、強迫神経症(対人恐怖、不完全恐怖、疾病恐怖、不潔恐怖など)と実に多彩な症状があるけれども、森田療法による対処法は実に単純明快。症状はありながらも不安を抱えながらもそれはそのままにして(⇒あるがまま)やるべきことをやっていく(⇒行動本位)という一点につきる。これを実行した人たちはどんどん良くなっていく。一方、理屈倒れで行動しないためになかなか脱却できない人たちもいる。森田先生のもとにも、『根治法』を読んで、理屈は解りますが、実行が出来ません、という手紙を送ってきた人がいて、それに対して先生は次のように返事をされている。

 貴方のいふ事は、結局、本を読んでも、対人恐怖が治らない・といふ事でせう。それは夏は暑いといふ理屈は解つたが、どうしても涼しいと思ふ事は出来ない・といふと同様です。暑いのは、どうしたつて暑い。人前では恥かしい・きまりが悪い・それは吾々の心身の事実であるから、どうする事も出来ない。どう思へば・よいかといふ事はない。耐(こら)へても耐へなくとも、思つても・思はなくとも、暑い事に相違ない、又例へば、急に発熱して、四十度になつたとする。苦しい。どうしたつて、苦しい事に相違ない。これを・どう考へればよいかとか、理屈をいへば・いふほど、益々苦しくなるばかりである。(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.49)

 ともすると、森田療法関連本を二、三十冊読んだが良くならないと言うような人もいる。森田先生の養子で三島森田病院の創業者・森田秀俊先生は「理屈はいらない。理屈は役に立たない」と患者さんを指導されていた。私は「百の理屈より一つの行動」と言っている。なかなか実行できないという人へのアドバイスとしては、まず手の付けやすい小さなことから始めてみることだ。行動してみれば小さくても成果が得られてそれなりの達成感がある。神経質人間は生の欲望が強く発展向上欲が強いので、その小さな行動が呼び水・起爆剤となって、次々と行動の連鎖となっていけばしめたものである。いつしか気が付けば症状をすっかり忘れている。

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