2016年9月26日 (月)

神経質礼賛 1309.弓

 土曜日の朝、いつもと同じ時刻の列車に乗るために駅に向かう。平日に見かけるサラリーマンやOLや制服姿の学生さんの姿は少なく、同じジャージを着た運動部らしき高校生のグループとよくすれ違う。そして、切符券売機や改札近くには弓を持った高校生のグループをいくつも見かける。何か大会があるのだろう。着物に袴の弓道着姿で、長い弓を立てているのでとても目立つ。神経質ゆえ、横を通る時に弓がこちらに倒れてこないか心配であり、改札を通るまでは気を付けている。

 私はやったことがないが、弓道は極めて高い集中力を要求される競技だろうと思う。森田正馬先生は、患者さんたちに次のように言っておられる。

兼好法師のいってある事に、弓をひく者が、矢を二つ持ってはいけない、必ず一つの矢で射なければ、二つの矢を試す気になって、真剣にならないから、結局二つともあたらないという事がある。試すとか手習いするとかいう事がいけないのである。この練習練習という事が、今日教育上の大なる弊害の一つである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.203

 これは、入院生活の中の作業を「練習」だと思い込んでいる患者さんに対して徒然草の一節を引用して注意した言葉である。一本の矢で決めなくてはならないとなるとプレッシャーが強く緊張感にさいなまれる。二本のうちどっちか当たればいいや、と思えば緊張は軽くなるけれども、集中力も緩みがちとなって、結局は両方とも外すということになりかねないのである。誰しも緊張するけれども、神経質人間は特に緊張を感じやすく、それを苦にしやすい。しかし、緊張は自然なことであるし、逆に緊張感が抜けた温泉気分ではよい成果は得られない。リラックスしなくてはいけないと焦る必要はない。ハラハラするままに、臨機応変、事に当たって、適応して行ければよいのである。

| | コメント (6)

2016年9月23日 (金)

神経質礼賛 1308.歴史上の年月日の表記

 9月21日付読売新聞文化欄に「歴史の年月日 正確な表記を」という笠谷和比古さん(国際日本文化研究センター名誉教授)の記事が載っていた。例えば大河ドラマの「真田丸」で関心を持たれた方も多いであろう関ヶ原の戦いは慶長5年9月15日のできごとであるが、正確に西暦に換算すると16001021日になるのだそうである。江戸時代以前の和暦は太陰暦なので、閏月が存在し、西暦(太陽暦)と日付がかなりずれることがあって、時には季節感が合わないこともある。特に問題となるのは年をまたがった場合である。赤穂浪士の討ち入りの日は元禄151214日。江戸で雪が降るには少々早過ぎるとどなたも感じることと思う。これを正確に西暦に換算すると1703年1月30日となり、それなら雪が降るのも当然となる。ここで、元禄15年は西暦1702年にあたるからといって1702年1月30日としたら完全に間違いであるし、笠谷さんの言われる「疑似西暦」・・・和暦年を一対一に機械的に西暦に変換し和暦の月日をそのままにして17021214日としてしまうのもおかしい。

徳川家康が誕生したのも天文111226日、天文11年は概ね1542年だが、正確な西暦では1543年1月13日にあたり、年をまたがることになって、年齢計算にも影響が出る可能性がある。大した問題ではないじゃないか、と叱られそうだが、神経質ゆえ『家康その一言』の原稿を書く時に私も気になった。天文111226日(1543年1月13日)というように和暦に正確な西暦年月日を併記するのがベストだが、それがわからない場合には和暦に加えその年号は西暦では概ね○○年にあたるという程度の意味合いで、天文11(1542)1226日と表記するのが現実的であるし、せめてそのように記載してほしいと笠谷さんも述べておられる。調べてみたら、ネット上に和暦年月日を正確な西暦年月日に変換するサイトがあった。これからはこうしたツールを使って正確に和暦と西暦を併記するのが主流になってほしいものだ。

| | コメント (0)

2016年9月19日 (月)

神経質礼賛 1307.夢と幻覚

 デイケアで月一回お話ししている「日常生活に生かせるワンポイント森田療法」は先週で9回目になった。私の勤務先の病院のデイケア参加者には統合失調症の方が多い。そこで前話の悪夢の話をした上で、幻覚(幻聴)についても話をした。なお、私のように突然試験の場面でパニックになる夢をよく見るという方は参加者の中にもおられ、スタッフの中にもいた。

 もちろん、幻覚は夢とは全くメカニズムが異なることなのだが、共通点がある。それは、本人にとっては極めてリアルなものとして感じられるが現実ではない、という点である。幻覚を体験していない人にとってはわかりにくいけれども、怖い夢を見ている時は自分もリアルに見たり聞いたりしているのだから、それが日常生活中に起きたらさぞ辛いだろうな、と考えれば、理解を深め共感してあげることができるだろう。

 私の外来患者さんに、「愛しているわ」「○○まで来てね」という女性の声がしょっちゅう聞こえてくる、という男性患者さんがいる。以前は本当に呼び出された場所に行ってしまったことも何度かあったそうだが、もちろん女性が待っていることはなかった。だから本人も体験的に、これはまたいつもの幻聴だろうなとわかってはいるが、やはり気にはなるそうである。幻聴はその人の脳内で起きている現象であるから、よくある「バカ」「死ね」など悪口のような幻聴に対して「うるさい!」「バカはお前だろう!」などと叫んでしまうと、それに対する考えが起きてさらなる幻聴を発生させやすい。この悪循環を防ぐには、幻聴は相手にしないのがよい。リアルに感じられても、体験的に幻聴らしい、あるいは他の人の指摘からやはり幻聴かなあ、とわかった時には前話の「夢の中の有無は有無とも無なり」という対処法がよいようである。前述の男性患者さんも、気にはなりながらも幻聴をあまり相手にしないことで何とか仕事は続いて収入を得て生活している。

| | コメント (2)

2016年9月16日 (金)

神経質礼賛 1306.怖い夢

 外来患者さんの中に、悪い夢、怖い夢ばかり見て困る、と訴える人が時々いる。睡眠は、体と脳の両方を休ませる深い睡眠のノンレム睡眠と体は休んでいるが脳は活発に活動しているレム睡眠がセットになっていて、それが普通は一晩に4、5回程度繰り返される。レム睡眠の時に夢を見ると考えられている。夢の内容は忘れてしまうことが多いが、レム睡眠の時に覚醒すると夢の内容を覚えていやすい。レム・・・REM(Rapid eye movement:急速眼球運動がみられる)睡眠の時には骨格筋は弛緩しているが眼球だけは動いている。睡眠のリズムが崩れると、このレム睡眠の間にいわゆる金縛りが起きることもある。睡眠薬やアルコールはノンレム睡眠とレム睡眠のバランスを崩してしまうことがある。それらのために睡眠前半のレム睡眠が抑制されて後半のレム睡眠が増加すると、変な夢ばかり見て疲れが取れない、寝たような気がしない、ということにもつながる。睡眠薬や寝酒がかえって逆効果になりうるのである。睡眠薬の服用はなるべく減らすに越したことはない。

 小心者の私は怖い夢をよく見る。この歳になっても、学校の教室に入ったらいきなり試験当日で自分だけ知らなくて配られた試験問題を見てもチンプンカンプンで愕然とするという夢は定番である。仕事に行こうと駅へ向かっているのにどんどん深い山奥に迷い込んでいく夢、トイレを探して走り回るがどこも人で一杯とか故障中で使えず慌てる夢、殺されそうになって逃げ回る夢もある。そこで目が覚めて、ああ、夢でよかった、とホッとするのである。身内の不幸を暗示して縁起が悪いとされる歯が抜ける夢、それも全部抜けてしまう夢を見ることもあるが、今のところ、それで実際に不幸が起きたことはない。髪が寂しくなってくる年頃のためか、髪の毛が全部抜ける夢も見るが、幸いまだ髪の毛は何とか残っている。

夢見が悪いと気分もよくないが、森田正馬先生が患者さんの指導の際に用いられた言葉「迷いの中の是非は是非とも非なり 夢の中の有無は有無とも無なり」(260話:大久保彦左衛門著『三河物語』冒頭に書かれている言葉)の通りであり、いい夢を見ようが悪い夢を見ようが現実とは関係ないのであって、夢判断をする必要はない。怖い夢を見たら、夢で済んでラッキーだった位に思えばよい。日常生活で必要なことをやっているうちに、いつしか怖い夢のことも忘れている。

| | コメント (4)

2016年9月12日 (月)

神経質礼賛 1305.井伊直虎と直政(2)

 天正二年(1574)、虎松(のちの直政)は井伊谷に帰還。この時、遠江国は徳川家康の支配下になっていた。翌年、直虎は虎松を伴って浜松城で家康に面会し、虎松は万千代の名を与えられ家康の小姓として取りたてられる。その後、万千代は目覚ましい出世をとげていく。当然、古くからの家康の家臣たちからは妬まれた。それでも家康は「どうか井伊万千代に手柄をたてさせてやってくれ」と公言していたという。万千代は小柄な美少年だったため、この贔屓ぶりから家康の「愛人」説が昔からある。しかし、家康は万千代にかつての自分を重ね合わせて見ていたのだと思う。名家の一人息子「プリンス」でありながら、親を殺され、幼い時から自分の身も危険にさらされて転々とする不安定な日々、自分を命がけで守ってくれた親族や家臣たち、そして禅寺で学んだ日々。松平家嫡男が代々用いる「千代」の名を与えたのも、自分の分身という強い思いがあったからだろう。著者の梓澤要さんは、家康の正室・築山殿の母が実は直虎の大叔母にあたり、築山殿や長男・信康と血縁関係があったことを指摘している。

 天正十年(1582)、本能寺の変が起き、家康が堺から脱出して伊賀を越えて三河に帰還した際には万千代も同行していた。この年に直虎が亡くなり、万千代は元服して直政を名乗る。その後も直政は家康の期待に応えて戦の時には先頭を切って武田遺臣の赤備え軍団を率いて戦い武功を上げ、家康の関東移封の際には上野国の十二万石を与えられる。また、政治能力や外交能力にも優れていた。後世、徳川四天王と称せられる存在となる。関ヶ原の戦いでも大活躍したが、島津勢を追撃中に鉄砲で撃たれて落馬。この時の傷が元で翌々年に亡くなっている。直政の子孫は代々彦根藩主として栄えたが、井伊家の繁栄は直虎の名リリーフがあってのことである。

 直政は寡黙で自分に厳しく人にも厳しかった。負けず嫌いでもあったが、周囲への気配りは抜群だった。さらに、恐妻家であったことを考えると、家康と同様、神経質性格だったのではなかろうかと私は考えている。

| | コメント (0)

2016年9月11日 (日)

神経質礼賛 1304.井伊直虎と直政(1)

 この週末は梓澤要著『城主になった女 井伊直虎』(NHK出版)を読んだ。井伊直虎は来年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公であり、何かと話題になっているが、井伊家について書かれた歴史書にも詳しくは取り上げられていない。先日、書店でこの本を見つけて買ってみた。

 井伊氏は現在の浜松市北部にある井伊谷を本拠地とした一族であり、始祖は平安時代の藤原氏の流れという。平安末期には源義朝に従い、その子・頼朝の鎌倉幕府では有力御家人の一つだった。南北朝時代には後醍醐天皇の第四皇子・宗良親王が井伊氏を頼って身を寄せたこともあった。室町時代は足利一門の今川氏と斯波氏の争いに巻き込まれるが最終的には今川氏のもとで井伊谷の領主となる。直虎は22代当主の井伊直盛の一人娘であり、大叔父の直満の息子・亀之丞(のちの直親)と結婚して亀之丞が後継者となる予定だった。ところが家老の小野政直が、謀叛の疑いありと今川義元に讒言したため、直満はその兄とともに駿府に呼び出されて謀殺され、亀之丞も捕らえて殺せという命令が下った。このため亀之丞は信濃国に逃れ、彼女も出家して次郎法師と名づけられる。十年後に亀之丞が戻り、直親と名乗ったが、桶狭間の戦いで直盛や重臣たちが戦死し、さらに直親も今川氏真に呼び出されて駿府に向かう途中に掛川城主・朝比奈氏の配下に襲われて家臣十八人とともに殺された。井伊家唯一の希望は数えで二歳になる直親の遺児・虎松(のちの直政)だけである。次郎法師は直虎と名乗り女地頭となり、虎松の後見人となる。その後、今川・武田・松平の戦いが繰り返されて井伊谷は何度も焼野原となり、直虎は虎松を鳳来寺に預けて井伊家菩提寺の龍潭寺の維持や領民たちの保護に力を注いだ。「おんな城主」というネーミングからは派手な武者姿を想像してしまうが、本当は井伊家と井伊谷の領民を守るために黒子のように働きぬいた人だったのである。出家して禅の修行を積み高い教養も身に付けた上で、「己の性(しょう)を尽くし 人の性を尽くす」(350)を実践した、すばらしい女性であったことは確かなようである。

| | コメント (0)

2016年9月 9日 (金)

神経質礼賛 1303.ブロッコリースプラウト

 最近、妻がブロッコリースプラウトと称するものをよく買ってくるようになった。味はカイワレダイコンと同様、少しほろ苦く、カイワレよりもさらに細くて小さい。そのまま食べていると草食の小動物になった気分である。「またスプラウト先生(ハリー・ポッターに登場する薬草学の先生)ですか」、とつい言葉に出すと、「体にいいんだから」、という答えが返って来る。さては、またTVの健康番組を見たな。

ブロッコリースプラウトに含まれるスルフォラファンという成分には解毒作用、抗酸化作用があって、がん予防効果やアレルギー予防効果が宣伝されている。その成分をサプリメントとして食品メーカーが売り出しているものもある。とはいえ、スプラウトそのままでは摂取できるグラム数は微々たるものであるからそのありがたい成分もどれだけ摂れるか疑問である。本人がそれで満足なのはよいが、巻き添えになる家族としては有難迷惑である。どうせなら、オルニチンの効果を謳った美味しいシジミ汁でも作って欲しいところである。と思っていたら、今度は空芯菜(ヨウサイ)のスプラウトが登場した。ブロッコリースプラウトより少し太く長い。「苦みが少なくていいでしょ」と。当分、草食動物生活が続きそうである。

| | コメント (0)

2016年9月 5日 (月)

神経質礼賛 1302.長生きする人の性格は?

 製薬会社のMR(医療情報担当者)さんたちが置いていくパンフレットには国内外の最新の医学論文の要約集のようなものがあって、時間がある時にパラパラと見ている。時々、特定の身体疾患と性格との関連について書いたものがあって、たまに神経質は良くないように考察しているものを見かける。しかし、神経質な人は、体調が悪いと早い段階で心配になって医療機関を受診して検査や治療を受けるから、重篤にならずに済んでいるという面もあるだろう。楽観的で無神経な人だと病気を放置しがちなので、患者数として挙がってこない可能性があるし、知らぬ間にその病気が命取りになることも考えられる。

 長寿と性格との関係を調べた画期的な研究がある。アメリカで約1500人の人を何と80年かけて追跡調査した大規模なものである。実用的な知能指数を出す検査法を編み出したことで知られるスタンフォード大学のルイス・ターマン教授が1921年に10歳前後の児童約1500人の性格を調査し、その後どのようになっていくか、5年から10年おきに面接調査していった。ターマン教授が亡くなった後も、カリフォルニア大学のハワード・フリードマン博士が追跡調査を継続し、80年にわたる調査結果を発表した。すると、健康な高齢者には共通する性格があることがわかった。意外なことに、一般的に良いと考えられているプラス思考をするポジティブで楽観的な人は早死だった。そして健康で長生きだったのは、conscientious・・・良心的な、誠実な、注意深い、慎重な、念入りな性格の人だったということである。

 これはまさに神経質性格に近い。そうなると神経質礼賛どころか神経質万歳である。と言って手放しで喜んでいて不慮の事故で命を落とすようではいけない。神経質は神経質のまま、ビクビクオドオドのままがよい。森田正馬先生も神経質は優れた性格ではあるが自慢しないように、と次のように釘を刺しておられる。

 しかし我も我もと、あまり自慢されても困る。神経質の事は、雑誌や私の著書でも、その素質を礼賛してあるが、九州大学の下田教授も、根岸病院の高良博士も、神経質の肩をもって礼賛してくれる。神経質はこのように立派でも、自慢してはかえって間違いの元になる。赤面恐怖も、も少しオドオドして、気を小さくしてもらわなければ、あまり大胆にやられても困ります。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.220

 養生訓の貝原益軒(60512151216)のように神経質を生かして健康長寿になれれば幸いである。

| | コメント (2)

2016年9月 2日 (金)

神経質礼賛 1301.アモバンとデパスが向精神薬に指定される

 このほど政令の改正により、ゾピクロン(商品名アモバンなど)とエチゾラム(デパスなど)が向精神薬に指定されることとなった。改正政令・改正省令は9月公布、10月施行とのことである。向精神薬に指定されると投薬期間が制限され、人に譲渡することができなくなる。また、自己治療目的で携帯して輸出入できる量は、ゾピクロン300mg、エチゾラム90mgに制限される見込みだという。つまりそれぞれ1日最大量の30日分までしか入出国の際に持込み・持ち出しができなくなるのである。

 ゾピクロンは血中半減期約4時間の入眠効果の強い短時間型睡眠薬である。ベンゾジアゼピン(Bz)系の短時間型睡眠薬ハルシオンやレンドルミンと比べて筋弛緩作用が少なく依存性も少ないので安全性が高い薬剤だとされていた。とはいえ、乱用や不正売買の対象となるおそれはあるので、向精神薬指定は当然かと思われる。ゾピクロンの改良型エスゾピクロン(商品名ルネスタ)は指定にならないというのは片手落ちの感がある。

エチゾラムは精神科だけでなく、内科・整形外科・脳神経外科などで古くからよく処方されている強力なBz系抗不安薬ながら、今まで向精神薬に指定されずにきたのは不思議である。半減期が6時間と短く、睡眠薬代わりとしても使われてきた。筋弛緩作用が強いので、高齢者では転倒リスクもある。短時間型ということもあって、切れてくるとまた服用したくなりやすく、依存しやすく止めにくい薬の一つとも言われている。

こうした薬はなるべく常用しないのが望ましい。まずは生活リズムを正していくのが「最良の薬」なのである。

| | コメント (0)

2016年8月29日 (月)

神経質礼賛 1300.餓死はあっても不眠死はない

 森田正馬先生の治療を受けて神経症が治り、形外会の会長をしていた貿易商の香取修平さんはしつこい不眠に悩まされて、静かな環境なら眠れるだろうと別荘を買って住んだが治らなかったという経験を持っていた。著明な医師が「五日眠らなければ死ぬ」と雑誌に書いていたのを読んで不眠恐怖になったのがきっかけだった。それについて森田先生は次のように言っておられる。


 ○○博士のいった不眠の事は机上論である。学者の空論である。昔から餓死という事、よく聞く事であるが、不眠死という事は我等薄聞にしてまだ聞いたことがない。飢餓に迫った人は土でも食うとかいう事であるが、実際に食物がなければ、どうする事もできない。これに反して睡眠はどこでもできる。強行軍では歩きながらでも眠る。拷問でもあまり疲るれば眠らないとも限らない。(白揚社:森田正馬全集 第5巻
p.60


 そして不眠を訴える他の患者さんに「二日なり三日なり、試みに眠らずにいる事を実行しさえすればよい」と教えておられる。自分は全然眠れない、と主張される方は試みに何日寝ないで過ごせるか調べてやろう、と起きて仕事や勉強をし続けてみたらよい。双極性障害(躁うつ病)の躁状態や統合失調症の激しい興奮状態のために何日かほとんど眠らない人はたまにいるが、それでもいつかは眠っている。神経症性不眠の場合には、眠れなくてよい、と起きていようとすれば、たいていは三日ならずして眠ってしまうのである。

| | コメント (0)

«神経質礼賛 1299.ドクターイエロー