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神経質礼賛 1763.見るよろこび

 閉鎖されていた全国各地の美術館が少しずつ再開しつつある。いわゆる三密を回避し、マスク着用、会話禁止、入場者数の制限などの感染症対策を行いながら手探りでの展示といった感じである。地元の静岡市美術館も6月17日から「見るよろこび:東海道図屏風・竹久夢二を中心に」と題して無料の展示会を行っている。試験再開といったところだ。収蔵品のみの展示であり、展示品の数は通常の半分にも満たないから、ちょっぴり寂しいけれども、展示を見られるだけでとてもありがたい。竹久夢二の絵とデザインは40点近くあった。そのうちの20点がセノオ楽譜の表紙だった。

 セノオ楽譜はラジオやレコードがまだ普及していなかった大正時代に爆発的に売れたそうである。歌曲、オペラの抜粋などの小品が1-2曲入った楽譜で、竹久夢二が表紙を描いていた。楽器屋だけでなく呉服屋の店頭にも並べられ、通信販売でも購入することができた。作曲家の古関裕而は少年時代にセノオ楽譜を買い集めていたという話がある。私がもしその時代に生きていたら、夢二の表紙絵につられて片っ端から買い揃えていたに違いない。

 東海道の屏風絵、地元画家による子供の頃に見た懐かしい静岡の情景の絵画、そして夢二美人たちを眺めて、しばし現実から離れる。展示室内にいた時間は15分ほどだったが、リフレッシュできた。神経質は行動本位に仕事をしていくものではあるけれども、森田先生の形外会でもレクリエーションがあったように、こういうちょっとした休符も潤滑油として必要である。もう長いこと県外に出ていない。また東京の美術館や博物館へ行ける日が来てほしいものである。

2020年7月 5日 (日)

神経質礼賛 1762.電気設備の定期調査

 買物に家を出ると、近所を中部電気保安協会の人が点検器具を持って歩いていた。そういえば、先日、点検予定の連絡がポストに入っていたから、今日がそうなんだろうなと思った。4年に1回の定期調査で、屋外の電力メーターの所と屋内の配電盤の所で漏電がないかどうか調べていく。帰宅してから妻に聞いてみると、調査には来たけれど、「こういう(新型コロナの)時期ですから、中はやめておきますか」と聞かれて、そうしてもらった、中に入って来られなかったからよかったわ、とのことだった。妻にとってはそうなのだろうけれども、それでいいのだろうか。

 家の中に入って点検するのは係員にとっても面倒だし、家人にとってもうっとうしいことではある。しかし、これは法律に基づいた大切な点検である。電気設備が古くなってくると漏電の危険性が高まり、漏電火災や感電事故を招くこともある。時に無人の倉庫などから出火して、漏電が原因だった、ということもある。点検に要する時間はせいぜい1-2分である。新型コロナを理由に屋内の点検を回避するのはどうかと思うし、係員の方からそれを誘導するのはまずいのではないかとも思う。頻度は低いとはいえ、漏電を見落として火災や事故が起きたら取返しがつかない。ウチは新しいから大丈夫、と思っていても、近隣の古屋から漏電出火して延焼することだってありうる。神経質人間からすると、きちんと点検してほしいし、住人もなるべく屋内点検には応じてほしいと思う。

2020年7月 2日 (木)

神経質礼賛 1761.3か月経過

 今の病院に移ってちょうど3か月が経過した。当初は電子カルテが変わり、仕事のやり方もいろいろと異なるので、どうなることかとハラハラしたが、やっと慣れてきた。担当する入院患者さんの数は前よりも少なくなった代わりに急性期の患者さんの入院をどんどん受けるため、入退院が多くて、その分仕事量は多い。外来患者さんの数は前の倍近いという印象がある。午前の外来が午後2時近くまでかかる日もある。患者さんが多い分、自立支援医療や障害手帳の診断書、傷病手当金の意見書、訪問看護の指示書、年金診断書、介護認定の際の医師意見書などの書類書きの仕事も大量に発生する。電子カルテになる前の紙カルテを取り寄せて読まなくてはならない場合もあって、意外と手間取る。その間にも病棟から入院患者さんに関しての報告や診察依頼の電話が次々と入って来る。統合失調症の患者さんの持続性注射剤(LAI・いわゆるデポ剤)の注射は以前の病院では病棟看護師さんがすべてやってくれていたけれども、今の病院では医師が行うことが多い。肺炎球菌ワクチン、破傷風トキソイドなどの予防注射も病棟では医師の仕事になっている。今までこれほど多くの患者さんに注射をしたことがなかった。院内での歩数は1日6000歩前後。デスクワークが多い割には意外と歩いている。何とかその日の仕事を終わらせる時には電池切れ近くなっている感じである。県や市からの委託業務も以前よりも増えたから、予定がいろいろと入って、先のことを考えるとあれこれ心配になる。

  そんな具合だから、特に、体調がよくない日や、朝から大雨が降っているような日には、気分も重くなりやすい。山頭火(887話)の句を思い浮かべる。「だまって今日の草鞋(わらじ)穿く」、先の心配をしたところでどうにもならない。今日一日を過ごせばいい。とにかく靴を履いて一歩一歩前に進んでいく。「どうしようもないわたしが歩いてゐる」という気持ちをぶら下げながら。「捨てきれない 荷物のおもさ まへうしろ」、重荷を背負いながらも、その場その場でできることをやっていくしかないのだ、と自分に言い聞かせる。気分はともかく、何とかなっているのである。これでいいのだ。

2020年6月28日 (日)

神経質礼賛 1760.紫式部複数説

 以前、実家の整理をして大量の本を処分したが、その中に多分読まないままきれいな状態の文庫本があって、捨てずに持ってきたものがある。推理作家の藤本泉(せん)著『王朝才女の謎<紫式部複数説>』という本である。母は買ってはみたもののすぐに挫折してそのままになっていたのだろう。自分の部屋も本で一杯なので、捨てる前に読んでみる。

 源氏物語が複数の人物で書かれたのではないかという説は従来からある。いわゆる宇治十帖を含む第三部・光源氏死後の部分は別の作者、例えば紫式部の娘の賢子(大弐三位)の作ではないかと言われてきたし、前半部分も「紫上系」と「玉鬘系」とに分かれていて別の作者と考える説もある。藤本氏は源氏物語のストーリーは源氏(天皇の皇子で臣籍に下った人)が出世でも恋愛でも藤原氏に常に勝っていて、藤原道長の全盛期に藤原氏の一族である紫式部が書くはずがないとして、光源氏のモデルと言われ藤原氏の陰謀により安和の変で失脚させられた源高明あるいはその子孫の作ではないかという説を唱えた。また、紫式部日記を分析して、慎み深い内向的な紫式部と清少納言を徹底的に叩くような外向的な紫式部という分裂がみられ、一人の人物が書いているとは考えられず、紫式部よりずっと後の時代に作られたものではないかとしている。さらには紫式部の墓が小野篁の墓と一緒になっていることから小野氏と関連の深い別の紫式部がいたのではないか、などとあれこれ推理を働かせている。

 紫式部が神経質だったことは414話に書いているし、拙著(p.225-227)でも神経質傑物伝の一人に入れている。神経質人間は内向的であり周囲を気にして出しゃばらずにぶつかりそうになれば引くからトラブルを起こしにくい。しかし本当は負けず嫌いでもある。弱力性と強力性の両面を持っているのだ。枕草子の清少納言は才気煥発で、宮中の皇族や貴公子たちとのやりとりを自慢げに語っているようにも見える。もっとも清少納言が仕えた皇后定子の実家が没落して、紫式部の仕えた中宮彰子の父親である藤原道長が権勢を極めるような状況で、定子を盛り立てようと清少納言が意図的にスタンドプレーに走っていたという事情があった。しかし、自分に厳しく人にも厳しい紫式部には許しがたかったのだろう。そして清少納言を激しく批判した直後に、今度は自分に矛先を向け自己批判をするのは藤本氏には全く理解できないことだったろうが、神経質人間の私には腑に落ちるのである。

2020年6月25日 (木)

神経質礼賛 1759.駅前の二宮金次郎

 掛川に通勤を始めて3カ月近くなる。駅北口前バス停・タクシー乗場の近くに二宮金次郎像が立っていることに今頃になって気が付いた。薪を背負い書を手に歩く金次郎像は小学校に立っていることはあるが、駅前というのは見たことがない。しかも、掛川市のゆるキャラはなぜか「茶のみやきんじろう」であり、緑色の着物をまとい掛川茶を背負っている。そもそも、相模国、現在の小田原市に生まれた金次郎と掛川とは関係はないはずだが、と気になる。

 やはり二宮尊徳(金次郎)自身と掛川との直接のつながりはないようだ。尊徳の弟子で掛川出身の岡田佐平治・良一郎親子が尊徳の報徳思想を広めようと遠州報徳社(のちに大日本報徳社)を設立するなど尽力したという縁がある。岡田良一郎は実業家、政治家として活躍し、掛川信用金庫を創立し、掛川市の発展に大きく寄与した人物であるから、金次郎像が駅前にあるのは理解できる。金次郎というと、質素倹約、戦前の道徳教育というイメージから敬遠されるむきもあるかもしれないが、創意工夫をこらしてきびしい状況を次々と乗り切っていき、多くの人々を救済した人物であることは確かである。新型コロナや財政難など困難な状況に追い込まれている現代社会で再評価されてもいいのではないだろうか。特に私利私欲の塊の政治家センセイたちには金次郎の思想を勉強していただく必要がありそうだ。

 金次郎が歩きながら読んでいたのは四書(論語、大学、中庸、孟子)の「大学」だったと言われている。そうした書は明治時代になっても知識人たちに読まれていて森田正馬先生も学生時代に読んでおられたはずである。森田先生の色紙に「己の性(しょう)を尽くし 人の性を尽くし 物の性を尽くす」(350話)というものがあり、これは四書の「中庸」の中にある言葉だそうである。森田療法の本質を示す言葉でもあると私は考えている。物を大切に使い、その価値が最大限に生きるようにしていく。森田先生自身のエコ生活は「物の性を尽くす」そのものだった。行動本位は「己の性を尽くす」につながる。そして、人が便利なように尻軽く行動していき、周囲の人たちが力を発揮できるようにしていく「人の性を尽くす」までいけば森田上級者、さらには陶冶された、完成した神経質のレベルとなっていくのである。

2020年6月21日 (日)

神経質礼賛 1758.PCリサイクル

 このところ妻は父親関係の種々の契約の解除で忙しい。毎月、多額のお金が銀行口座から引き落とされているのに気付いたが、すでに本人は何の引き落としかよくわからなくなっている。妻はクレジットカードの明細などを頼りにあちこちに電話を掛けまくって出所を調べ、いくつも入ってしまった保険、ゴルフ場の会員、インターネットのプロバイダー、ケーブルテレビ、ケータイなど片っ端から契約解除手続きをしていく。新規加入は簡単でも解約はなかなかめんどうである。解約手続きの0120電話はなかなか繋がらないし、自動音声が相手だと埒があかない。それでも人間が出てくればあれこれしつこく聞き出してどんどん話を進めていく。この能力たるや大したものだと感心する。最後に本人確認のため父親にケータイを渡して生年月日などの質問に答えさせていく。

 それに加えて実家にあった物品も次々と処分している。ノートパソコンが3台出てきて、この処理は私に回って来た。「さてもさても面倒なことを仰せつかったものじゃ」と狂言の太郎冠者の心境である。義父は80歳頃までは年賀状作成や確定申告にパソコンを使っていたようだが、ここ7-8年はほとんど使っていなかった。最も新しい機種はWindows8であり、まだ当分はサポートがあるから、これは家で使うことにする。もう1台はWindows7で動くけれどもサポートは切れているので処分だ。さらに古いものはWindowsXPで、ACアダプターもなくなっていて、動作確認はできないが、当然処分である。ノートパソコンの処分は1台4000円かかると聞いている。自分のパソコンは新しいものを買う時に古いものを店に持ち込んで処分してもらうことが多かった。市からのゴミの捨て方について書かれた冊子を見ると、パソコン3R推進協会に連絡するようにとある。同協会のホームページを見ると、結局はメーカーの窓口に連絡することになるらしい。廃棄する2台とも富士通製なので、リンク先のページを開いてみると、新型コロナ対策のため、電話ではなくホームページから申し込むようにとのこと。2台ともPCリサイクルの対象となっていて、処分料は無料だった。必要な項目を入力すると、3日ほどして着払いのエコゆうパック伝票が送られてきた。ビニールで梱包して伝票を貼り付け、近くの郵便局に持ち込んで作業完了である。神経質はことあるたびに気が重くなりがちだが、やってみればさほど面倒ではなかった。

2020年6月18日 (木)

神経質礼賛 1757.自己中心からの解放

 勤務先が変わっても、大変ありがたいことに、生活の発見会から毎月「生活の発見」誌を送っていただいている。その中の名文発掘プロジェクトのコーナーは最近の4月・5月・6月号とスーパーお宝名文と言えるものが続いている。昭和49年(1974年)の新春懇談会から山野井房一郎さん(660-662話)の講演が5月号と6月号に、その話を受けて続く高良武久先生の講演が4月号に掲載されている。山野井さんの講演は森田先生のところでの入院体験を元にした話で、高良先生の講演は「自己中心からの解放」という題である。

 高良先生は、神経質の場合、自己中心とは言っても人に迷惑をかけても自分の利益をはかるような積極的な利己主義とは異なり、消極的に自分を守ることに懸命になっているような自己中心であると説いておられる。そして、何でも自分のことに関連付けして、悪い方に解釈するとともに、自分だけが欠陥を持っていると思い込んで症状を作り上げてしまう。それでは、どうすれば自己中心から解放されるかと言うと、外界のものごとにどんどん飛び込んでいって、自分の気持ちはさておき、外界の物事をよく世話していく・処理していく、そういうことに重点を置くような生活態度になれば、自然に症状は消えていく。逆に症状と真っ向から取り組んで早くこれを治そう治そうと懸命になればなるほど深みにはまり込んでしまう。生活全体をよくしていくのが自己中心から解放される道だとしておられる。

 対人恐怖や強迫観念に悩まされた私自身も若い頃は自意識過剰で消極的な自己中心が目立っていたと思う。今でも時々そうしたものがふっと頭をもたげることもあるけれども、それはともかくできることをやっていく、そして人の役に立つように行動しているといつしか自然と消えているのである。

2020年6月17日 (水)

神経質礼賛 1756.アンデイコ(栄屋乳業)の北海道チーズケーキ

 ここ4か月以上、全く外食をしていない。たまには蕎麦屋に行きたいなあ、なじみの西洋料理店にも行きたいなあ、と思うが、新型コロナが収まるまではまだまだガマンである。本屋でゆっくり雑誌などを見て買う楽しみもない。もちろん美術館探訪もできない。職場と家と母の介護、短時間での食品雑貨の買い出しの繰り返しである。

 雑貨と食品と両方が買えるいつものホームセンターに行った際、普段通らないジュース・冷蔵菓子のコーナーに妻が時々買ってくる岡崎のアンデイコ(栄屋乳業)の商品、「こだわり極プリン」があるのに気付いた。これはコクがあってとても美味しい上に、妻が好きな「香料・着色料・保存料無添加」である。以前は季節限定でチョコプリンが出たことがあって、それは生チョコの味がしてさらに良かったが、今はないようだ。現在こだわり極シリーズには杏仁プリンと抹茶プリンがあるらしい。さて、その横に同じくアンデイコの「北海道チーズケーキ」が並んでいるのに目が行った。北海道産の材料にこだわっていると書かれている。1個100円なので家族分を買って帰る。ただ、残念なことに妻が喜ぶ無添加ものではない。

 コーヒー(インスタント)を飲みながら食べてみる。2層構造になっていて、上部はふわふわのスフレ状、下部は濃厚な味わいのクリームチーズである。これは美味しい。ブラックコーヒーとの相性抜群だ。イチオシの百円グルメである。妻は添加物が使われていることに難色を示したが、食べてみると「たまにはいい」と言ったので、また買ってみようと思う。ただ、量は少なめでも208Kcalあるので、体重が気になる方はお気をつけ下さい。

2020年6月14日 (日)

神経質礼賛 1755.ヨイショ癖

 3月に母親が退院してくる際、介護サービスを利用していこうということになった。食べることは私が週2回食材を買ってくれば何とか自分でする。1階の台所に近い所にベッドを入れたのでワンルーム同然で動線は極めて短くしてある。足の調子が悪くてゴミ出しが難しい時には前日に私が取りに行って、うちのゴミと一緒に出す。私の新しい勤務先では勤務日数や当直回数を減らしてもらったので、何とかできるのだ。ただし入浴はどうにもならない。週1回、入浴付のデイサービス利用の話を進めたが本人の強い拒否にあい、週1回、家での入浴に訪問介護に来てもらうことになった。それでも、母の抵抗は強く、「今日は調子が悪いから」と電話で勝手に断ってしまう。最初に来てもらった時には「自分でできますから結構です。どうぞお帰り下さい」と言い放ったので、何とか顔をタオルで拭いて、バケツに入れた湯で足を洗ってもらうにとどまった。2回目は洗面所で洗髪のみ。3回目でやっと入浴できた。

 介護士の方は40代くらいの女性で、母を上手になだめすかして下さる。我の強い母なのでいつも申し訳ないと思っている。本当によく気を配って下さってありがたい。一つだけ気になるのは、ヨイショの口癖だ。重い物を持つような時のヨイショはわかるが、小さな帳面をカバンから出す時やボールペンをノックする時にもヨイショが出るのである。

 もっとも最近は私もはっきり声には出さないが、ヨイショが増えている。人のことは言えない。前の勤務先では1階から2階へ上がる階段は24段で比較的ゆるやかだった。今の勤務先の階段は18段でちょっと急な感じがする。思わずヨイショ、ヨイショと心の中で唱えている自分がある。ヨイショ、ヨイショでも一歩ずつ前に進んでいればそれでよいではないか、と開き直ることにしよう。

 ヨイショの語源は何だろうか。神経質ゆえ気になるがよくわからない。外国ではどう言うのだろうか。あの「ヴォルガの舟歌」(1437話)の日本語歌詞は「えいこーら」となっているけれども元のロシア語では「エイウッフネェム」という発音なのだそうだ。戦国時代の合戦の際の鬨(とき)の声「エイ、エイ、オー」は母音だけで言いやすいから外国でも掛け声として使っている所もあるかも知れない。

2020年6月11日 (木)

神経質礼賛 1754.梅雨入り

 昨日、中国・近畿・東海が、今日、関東甲信、北陸、東北南部が梅雨入りとなった。週間天気予報を見るとこれから毎日のように傘マークが続いている。朝から雨だと少々気が重い。傘をさして駅に向かう足取りも重くなる。元気なのは公園に咲くアジサイの花とアマガエルくらいのものだろう。雨は仕方なし。気分はとにかく一歩一歩前に進んでいくだけである。

  ひと頃、営業自粛や在宅勤務のため減っていた電車の乗客もだいぶ戻ってきた。学校も再開され、駅には電車通学の学生さんたちの姿もある。ガラ空きだった電車は新型コロナ流行前の7-8割位にまで戻っているような印象だ。しばらくぶりに出勤し始めた人たちにとっては少々つらく感じる雨かもしれない。そういえば、毎年6月に自動車保険更新の手続きに我が家へやってくる保険会社の人も今年は在宅勤務とのことで、書類を郵送してきた。そろそろまた自転車で出勤し始めているだろうか。

 今年はさらにマスクという悪条件がある。これからの梅雨時、さらに盛夏ともなれば、マスクは苦しい。汗をかいて紙マスクをしていると、不快感大である。今までになかった体験だ。熱中症のリスクもある。郵便配達の人たちは熱中症防止のため、バイク運転中はマスクを外すことになったそうである。私たちも外出中ずっとマスクを付けっ放しではなく、状況に応じて付けたり外したりする臨機応変が必要になってくるように思う。感染防止に気を配りながら少しでもよりよく社会生活を続けていけるよう神経質を発揮していこう。

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