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神経質礼賛 2366.金髪のジェニー

 今年の「アマチュア・アンサンブルの日」で演奏予定の最後の曲はフォスター作曲・ハイフェッツ編曲の「金髪のジェニー」だ。重音奏法が美しい編曲なのでいつかホールで弾いてみたいと思っていた。ただし、難点があって、曲の最初の音はG線(一番低い音の弦)で弾くように指定されている。この音はG線の開放弦より10度上の音で、あのG線だけで演奏する「G線上のアリア」の最高音よりも高い音である。さらに3度高い音までやはりG線のハイポジションで取らなければならない。今まで使っていた楽器ではこれがとても鳴りにくかった。幸い、最近入手した楽器はG線のハイポジションがきれいに鳴ってくれるのでクリアできそうだ。

 別れた恋人への郷愁を歌ったこの曲の原題はJeanie with the Light brown Hair(薄茶色の髪のジェニー)であり、フォスターの妻ジェーン・デニー・マクダウエルのことだと言われている。スティーブン・フォスター(1826-1864)はジェーンと結婚して娘をもうけ、「ケンタッキーの我が家」「主人は冷たい土の中に」「故郷の人々(スワニー河)」などの名作を次々と発表するが、経済的には恵まれず、生活は困窮を極め、ジェーンとも別居生活となる。下町の安宿で急死した時に所持していたのはわずかな小銭のみ。対面したジェーンはその場に泣き崩れたと伝わる。死の数日前に書き上げたとされる「夢見る人(夢路より)」は2か月後に発表された。

 まだ作曲家が生計を立てるに十分な報酬が得られなかった時代のことで、のちに「アメリカ音楽の父」とまで言われるようになったフォスターには気の毒過ぎる最期である。それでも、自分が作った歌がいつまでも世界中で愛され歌い継がれ、クラシックの作曲家からも高く評価されているのは救われる。短いけれども精一杯生き尽くした人生だったと言えるだろう。

 

2025年7月13日 (日)

神経質礼賛 2365.オールド・ヴァイオリン

 今までメインで使っているヴァイオリンは40年前、医大オーケストラにいた時に買ったものだ。ラベルなし製作年不明のかなり古いドイツ製のオールド・ヴァイオリンだ。いくつかの楽器を試奏して弾きやすいものを選んだら、7/8あるいはレディースサイズと呼ばれる小ぶりの楽器だった。手が小さい私には向いていたのだろう。普通サイズは胴の長さが355mmのところ、1cm短い345㎜である。柔らかく優しい音色でとても気に入っているが、音量がやや小さく、G線(一番低音の弦)のハイポジションが鳴りにくい。持主に似て、ちょっと引込思案の神経質な楽器と言えそうだ。一昨年と昨年、ヴァイオリンソナタをAOIホールで弾いた録音を聴くと、ピアノの音量に完全に負けてしまっている。いつも伴奏してくれる友人からは、「新しい楽器を買わない?」とよく言われていた。確かによく鳴る楽器は欲しいけれども、もう終活の年頃であり、楽器が弾けるのもあと5年から10年位がいいところだ。子供が一時期使ったヴァイオリン、エレキヴァイオリン、1859年製の小型オールド・ヴィオラも持っていて、楽器をこれ以上買うのもなあ、と思っていた。

 ところが、先週、高校の弦楽合奏部の後輩でプロのコントラバス奏者から「プロのヴァイオリニストが使っていたオールド・ヴァイオリンがあるから買いませんか」という連絡が入った。とりあえずお借りして試奏してみることにした。ラベルにはGEORG KLOTZ 1779とあり、250年近く前に作られたドイツ製のオールド・ヴァイオリンである。音の芯がしっかりしていて、よく響く。思い切って買うことにした。

 ヴァイオリンは良い楽器で手入れが良ければ300年以上でも生き続ける。今までいろいろな国のいろいろな人の手を渡り歩いてきたのだろうなあと想像する。

 

2025年7月10日 (木)

神経質礼賛 2364.汗

 産婦人科クリニック診察室のカレンダーの7月7日月曜日には休診日を示す赤丸が付けられている。先々月、スタッフに「何の休みですか」と聞いたら「クリニックの創立記念日です」ということだった。「七夕が創立記念日なんですね」間違えないように自分の手帳と自宅のカレンダーにも赤丸を付けておいた。ところが、当日朝、9時過ぎにクリニックの事務員さんからケータイに電話がかかってきた。「どうされましたか?9時予約の患者さんが来てますよ」と(!)。休診はとりやめになって通常の診察日になったらしく、知らないのは私だけだったようだ。暑いのに冷汗ものだ。あわてて通勤用のバックを肩にかけて近くの電車の駅へ向かう。電車を降りてからクリニックへといつもより速足で歩く。日傘をさし、マスクは外しているけれども、いつもより2時間近く遅い時間ですでに日が高くなっていて暑さが厳しい。9時50分にクリニックに着いて着替えするが汗がどうにも止まらない。待たせてしまった患者さんには平謝り。その後は順調に診察が進み、御迷惑をおかけしたのはお一人だけで済んだ。診察の合間に家から持ってきたスポーツドリンクをバックから取り出して飲む。2時間で1本500mlを飲み切ってしまった。通常の発汗分と冷汗分である。汗は生きるしるし(1167話)ながら冷汗はかきたくない。

 私は神経質ゆえ、確認癖があるけれども、今回は確認が足りなかったと反省する。先週、もう一度、スタッフに、休診日かどうか確認しておけば防げたことである。

 

2025年7月 6日 (日)

神経質礼賛 2363.はひふへほ

 ネットのニュースを見ていたら、「幸せの はひふへほ」についての記事があった。産業カウンセラーでビジネスコーチの渡部卓さんが唱えておられる「半分でいい 人並みでいい 普通でいい 平凡でいい ほどほどでいい」というものだ。老子の「足るを知る」という教えをわかりやすくしたものと言えよう。高い理想と現実とのギャップに苦しんでいる人に適したアドバイスになる。私も生真面目なうつ病の方には「あまりがんばらずにちょっと力を抜いて60点を目指していきましょう」と話している。

 これが神経質となるとちょっと話が変わってくる。よりよく生きたいという生の欲望が人一倍強く、完全欲が強い。エネルギーは十分にあるがそれが空回りしている。そこで、森田療法では、その完全欲・向上発展欲を生かして、さらに高きを仰ぎ、それに向かって努力していくことを勧めている。森田正馬先生は次のように述べておられる。

 完全欲の強いほどますます偉い人になれる素質である。しかるにこの完全欲の少ないほど、下等の人物である。この完全欲をますます発揮させようというのが、このたびの治療法の最も大切なる眼目である。完全欲を否定し、抑圧し、排斥し、ごまかす必要は少しもない。学者にも金持にも、発明家にも、どこまでもあく事を知らない欲望がすなわち完全欲の表われである。我々の内に誰か偉くなって都合の悪い人がありましょうか。偉くなりたいためには、勉強するのが苦しい。その苦しさがいやさに、その偉くなりたい事にケチをつけるのである。あの人が自分に金をくれない、それ故にあの奴は悪人である、とケチをつけるようなものである。偉くありたい事と差引きして考える必要はない。これを別々の事実として観察して少しもさしつかえはないのである。この心の事実を否定し、目前の安逸を空想するのが、強迫観念の出発点である。 (白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.32)

 前述の「はひふへほ」がよいのか、それとも森田先生の指導がよいのかは、患者さんの性格や状態による。そこの見極めが重要であり、まさに「人を見て法を説け」である。

 

2025年7月 3日 (木)

神経質礼賛 2362.森田神経質健在

 長年の精神科病院勤務からクリニック勤務に切り替わって3か月。ようやく新しい生活パターンにも慣れてきた。仕事の上では受診される患者さんの層の違いを感じている。精神科クリニックでは精神科病院の患者さんに比べたら軽症の方が多いけれども中には治療歴の長い統合失調症や双極性障害の方もおられる。産婦人科クリニックでは軽うつや神経症圏の方が圧倒的に多くなる。精神科クリニックの敷居は低くなったとは言え、まだ気軽に相談に来院するにはちょっと抵抗を感じる方も少なくないだろう。その点、産婦人科クリニックだと、月経不順や更年期の種々の症状で来院される方も多く、精神科もあるならばついでに診てもらおうか、というニーズもある。

 そんな中、不眠やイライラを主訴としているけれども、よく話を伺うと、自分自身に対しても他人に対しても厳しく、完全欲が強い・生の欲望が強い森田神経質と読める人が少なからずおられる。学校や職場や家庭では一生懸命に真面目にやっているが十分に成果が出ていないように感じてあまり自信が持てず、ズルをしたりハッタリをきかせたりして成功するような人間に対しては強い憤りを覚えてイライラする。そうした方々には今のあなたは立派にやっていますよ、と伝えている。森田神経質があまりいなくなったとはよく聞くけれども、まだまだ健在である。

森田先生は次のように言っておられる。

 「自分は頭が悪い、読書が少しもできぬ」と苦しむ人が、学校成績は一番になったりする事もあるように、およそ神経質は、何事につけても、いわゆる劣等感で、自分の悪い方面ばかりを考えるものであるから、事実においては、神経質は常に善良優秀なる人であるべきである。これがすなわち我々が、神経質に生まれたという事を感謝すべき事柄であります。これに反して、ヒステリーとか・意志薄弱性素質とかの人は、常に自分のよい面ばかりを考えて、独り得意になっているから、丁度神経質と反対になります。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.433)〔最後の一文を読んで、A国のT大統領を頭に思い浮かべるのは私だけだろうか〕

 

2025年7月 1日 (火)

神経質礼賛 2361.カレーライス物価指数

 昨今の食料品価格上昇には驚く。スーパーへ行くたび、あれも上がった、これも上がったとあきれるばかりである。弁当類や外食代も高騰している。熱中症対策にペットボトル飲料を買おうとすると1年前よりずいぶん値上がりしている。私の感覚では「狂乱物価」レベルだ。その割にはニュースでそれほど話題にならない。食品値上げには慣れっこになっている、給料が上がっているからいいだろう、ということなのだろうか。本当に皆さん困っていないのだろうか。衣類は古いものを我慢して着ていれば節約できるけれども食品は待ったなし、そうはいかない。特に低所得の人々の生活を直撃していると思われる。

 食品の物価を示すわかりやすい指数がある。カレーライス物価指数(カレー指数)は2020年に1杯のカレーを作るのに必要な原材料や水道光熱費などの合計を100としてそれがどう変化したか比較するものである。2023年まではあまり上昇していなかったのが、2024年の平均は一食365円・カレー指数は133.6と跳ね上がった。2025年3月のデータではコメの高騰を反映して一食421円・カレー指数は150以上に達している。

 カレーが嫌いという人はめったにいない。学校給食や病院食でもカレーは人気メニューである。国民食と言ってもいいだろう。森田正馬先生もカレーは大好物で、胃腸を患い回復したばかりにカレーを2杯3杯もお代わりするので妻が食べさせないようにすると、勤務先の根岸病院に出かけてカレーとこれまた好物のゆで卵を何個も召し上がっていたという逸話が残っている。

 私が東京で学生生活をしていた頃、大学生協食堂で一番安いのは120円のカレーだった。週1~2回は必ず食べていた。カレーは栄養が摂れて元気も出る、貧乏学生にとってはありがたい料理だった。下宿でもゆで卵を作りながら同じ鍋で安売りの時に買っておいたレトルトカレーを温めてうどんやスパゲティにかけて食べたこともあった。弟が遊びに来る時には材料を買いそろえてカレーを多めに作り、残りは冷蔵庫に入れて翌日温め直してまた食べたものだ。

   近頃では原材料高・人件費高騰などの影響でカレー店の閉店・倒産が増えているという話もある。食品高騰に対して(と言うより選挙対策に)一人2万円の給付金をばらまくことを主張する政治家がいるが、そんな姑息な手段では効果がない。カレー指数を意識した根本的な物価高対策が必要だ。

 

2025年6月29日 (日)

神経質礼賛 2360.エアコントラブルの顛末

 前話のエアコントラブルの修理業者が来てくれた。私は仕事で不在だったので妻から聞いた話である。水漏れの原因は室内機内の排水用のドレーンチューブの外れであることが判明。簡単に直ってくれた。なぜ、チューブが外れたのだろうか。昨秋、家中の5台のエアコン室内機のクリーニングを清掃専門業者に依頼した。ほぼ1日仕事でやってくれたが、その際に、チューブを外して元に戻すのを忘れた可能性が高い。冬場の暖房では水は出ないので気が付かなかった。今月になって急に真夏の暑さになり、冷房を多用するようになって、問題が顕在化したのではないか、という結論に達した。

 エアコンがまた使えるようになったのは良かったが、問題は水浸しの後始末である。壁紙の一部が浮き上がり、これはどうしようもない。いずれリフォームの機会に対応を考えるしかない。グランドピアノ下のカーペットはまだ乾ききっていない。そもそもピアノを購入する前にサイズを測って注文したカーペットである。ピアノを持ち上げてカーペットを外すのは容易ではないし、新しいカーペットを注文してピアノの下に設置するのも大変なことだ。可能な限りカーペットをまくり上げて下に新聞紙を入れ、交換していく。雨でなければ窓を開けて扇風機を回しっぱなしにして少しでも乾燥させようとしている。

 

 家屋の問題は発見・対応が遅くなると大きな修理が必要となり修繕費用がかさむことになる。普段から周囲をよく観察して、神経質らしく異常を早く捉えて手を打つことが大切だと思う。

 

2025年6月26日 (木)

神経質礼賛 2359.エアコン水漏れの惨劇

 3日前、仕事から帰ると、妻が待ち構えていて次々と詰問してくる。「昨日(日曜日)、掃除していて気が付かなかったの!一体、どこを掃除したのよ!」「・・・?」「床が水浸しでピアノの下のカーペットがびしょびしょ!どうするのよ!」「・・・?」 どうも私に嫌疑がかかっているらしい。何か失敗をやらかしたような言われようである。いつも日曜日には掃除機をかけていて、妻のグランドピアノや私のヴァイオリン・ヴィオラ類が置いてある楽器練習室は御指摘の通り私の担当だ。しかし、前日は何も異常なかった。改めて見てみるとグランドピアノの下に敷いてある綿製のカーペットは、エアコンに近い部分が激しく濡れている。エアコンの壁には大きな鏡が張ってあるので、様子がわからないが、その下側は水が垂れていて、白い壁紙が一部浮き上がっている。とにかく、エアコンの故障が原因であることは明らかなので、写真を撮って住宅メーカーの修理依頼窓口にメールを送ろうとしたがなぜかエラーで送れない。電話で対応をお願いすると、折り返しエアコンメーカーの担当者から電話があって、修理は早くても3日後の木曜日になるという。そうだ、うっかりしていた。漏電防止のためエアコンのコンセントを抜いておかなくては。

 エアコンの水漏れは排水のドレーンチューブの詰まりやドレンパンの破損が原因であることが多いらしい。今日、修理に来てもらって直ってくれれば助かるが、ダメなら買替が必要となり日数がかかってしまう。また、グランドピアノ下のカーペットの交換には人手が必要で、業者に依頼しなくてはならないだろう。長期間濡れた状態で床や壁のカビ発生も懸念される。何とも前途多難である。

 

2025年6月22日 (日)

神経質礼賛 2358.薬ではないクスリ

 前の先生から引き継いだクリニックでの患者さん。「うつ」で長いこと休職している。毎週受診され、「全然眠れない」「昼間眠くて何もできない」と言い、日中はごろごろして過ごしておられる様子。毎回身体の不調をあれこれ訴えていかれる。抗うつ薬が2剤、それを増強する抗精神病薬も加えられ、睡眠薬は長時間型が2剤処方されている。睡眠薬の持越し効果により日中に眠気が残ってしまうのではないか。生活リズムの問題も大きいように思われた。まずは睡眠薬の調整を行っていった。減量しても特に症状悪化はない。しかし、本人の訴えは変わらない。そこで、拙著『ソフト森田療法』をお貸しし、「字が大きいし軽く読める本ですから、試しに50ページまで読んでみて下さいね」と伝えた。50ページまでの間には、①不安・②不眠・③気分の落ち込み・④意欲低下・⑤体調不良への対処法があり、この人へのアドバイスになると考えた。そして、通院間隔を1週ごとでなく2週に1回とした。

 その次の診察の際に「本をありがとうございました」と返却された。特に感想はなかった。しかし、それから2週後、4週後に変化がみられた。引きこもり同然だったのが、買い物に出かけるようになった。家事も以前よりできるようになった。元々好きだった韓流ドラマも続けて見ることができるようになり、「録画ストックがなくなっちゃいました」と笑う。診察時の表情も明るい。第4章に書いた「意欲のわかない時」に小さなことでいいから行動してみると、それが「呼び水効果」となって、行動の好循環が起きる、その結果「症状」も薄らいでいく、それを御自分で示したのだった。うつには抗うつ薬、それでも効果がなければ抗精神病薬による増強療法、不眠には新規睡眠薬がエビデンスのある治療法となっている昨今であるが、本当は生活上の適切なアドバイスをするのが良いクスリなのではないかと思う。

 

2025年6月19日 (木)

神経質礼賛 2357.「グレる」の意外な語源

 何かの時にふと気になることがあって、後で調べようと思っているうち忘れてそのままになることが多い。その一つが「グレる」の語源である。ニュースでスウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリさんが話題になると、思い出すけれども、そのままになってしまう。先日、グレタさんが乗っていた船がイスラエルに拿捕されたというニュースがあって、また思い出した。

 グレる、とは不良になる、という意味だ。語源は意外にも優雅なところにあった。平安時代末期、貴族の遊び「貝覆い」、神経衰弱のような遊びである。ハマグリの殻の内側に美しい絵が描かれている場合もあった。ハマグリの殻を選んで合わせてみて合えば獲得でき、たくさん獲得した者が勝ちというわけである。のちに、ピッタリ合わないことを「ハマ」と「グリ」を逆にして「グリハマ」と呼んだのが「グレハマ」と転じ、それが動詞化して「グレる」になったということだ。ズレる、正しい道から外れるという意味で使われるようになって今日に至っている。ちなみに繁華街を徘徊する不良仲間のことを愚連隊と呼ぶが、これも「グレる」の派生語で漢字は当て字だと言われている。

 前述のグレタさんは自閉症スペクトラム障害、強迫性障害と診断されたことを公表している。最初はその診断に縛られていたが、病気とは見ず、「スーパーパワー」と呼ぶようになったそうである。自分の特性を認識してそれを最大限活用しているようにも思える。

 神経質も同様である。自分は神経質・小心者で情けない、と思っている方もいらっしゃるかもしれないけれども、森田正馬先生が神経質を礼賛されたように本来は優れた特性なのであり、これまた「スーパーパワー」に他ならない。宝の持ち腐れにしていてはもったいない。「神経質は病氣でなくて、こんな仕合せな事はありません」(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.386)の通りであって、「病気」探し・「病気」作りにそのパワーを無駄遣いせず、周囲に気を配って行動して、神経質を大いに活用していただきたいと思う。

 

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