2017年1月16日 (月)

神経質礼賛 1345.骨抜き魚

 一昨日は病院で当直していて夕食の献立には「さんま塩焼」と書かれていた。このところ、頭と尾を落として開いた骨抜き魚のさんまがよく登場する。多分それかな、と思っていたら頭と尾はないものの丸いままで出てきた。それもやはり骨抜きになっていた。一度開いて骨を抜いた後、食用の接着剤でくっつけてあるものだろう。食べていて、不思議な感じがする。私はさんま好きであり、はらわたも食べたい方なので(954)ちょっと物足りない。もっとも病院では高齢の患者さんが多くなっているので、自分で骨を取るのが大変な人が増えているし、骨が喉や歯茎に刺さったりする心配がなくて事故防止になる。

こうした骨抜き魚は人件費の安い中国や東南アジアで加工されている。人間が開いた魚の骨を丹念にピンセットで抜き取り、再冷凍して日本に輸送するのである。出荷前にX線にかけて骨が完全に除去されていることをチェックしている業者もあるということだ。病院や介護施設の高齢者用の食事ばかりでなく、近頃は学校給食にも使われるようになってきているそうだ。給食の魚の骨が子供の喉に刺さろうものなら責任を取れと大騒ぎするモンスターペアレントもいるからそういう流れになっているのだろう。

確かに骨抜き魚は食べやすいし安全ではあるが、やはり加工して再冷凍している分、味は落ちる。食用の接着剤は安全とは言うもののちょっと気になるところである。高齢者には良いとしても、できれば小学生くらいになったらたまに骨が喉に刺さることはあっても自分の力で取るようにさせたい。楽をしていると、失敗しながら上手になっていくチャンスを逃してしまう。

同じ日の夜、テレビ東京の「アド街ック天国」という番組のテーマは「豊洲」であり、変わった魚屋さんが紹介されていた。古くからある魚屋さんのようだが午後の4時間しか営業していない。なぜかと言うと、店主は早朝に市場から仕入れた魚を開いて骨を取って保育園の給食に使えるように配達しているのだという。それからまた店舗で販売する魚を仕入れに行くため、店主の睡眠時間はわずか4時間だ。業務用の骨抜き魚と異なり再冷凍しないからおいしい魚を保育園児たちに食べてもらえる。それが成長に必要な栄養補給になるとともに、園児たちも魚好きにくれたら、という心意気がいい。


 骨抜きと言えば、昨今の森田療法も、手軽にやさしくという点はいいのだが、骨抜き森田になってしまってはいないだろうか。精神病の方々に応用するのはそれでいいとしても、本来適応の神経症に対して骨抜きでは治るものも治らないのである。

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2017年1月13日 (金)

神経質礼賛 1344.赤面恐怖

 このところ赤面恐怖を訴える人をとんとみなくなった。なぜだろうか。森田正馬先生の時代には対人恐怖と言えば赤面恐怖というほど多かった。形外会の記録を読むと、赤面恐怖の話が出ると我も我もと発言者が出ていたし、新年会の余興では水谷啓二さんら「赤面恐怖一座」が滑稽劇を披露して赤面恐怖の症状を笑い飛ばしたりしていた。森田先生のお弟子さんの中にも赤面恐怖の人がいた。現代人がクールになったためだろうか。それとも、対人恐怖のため、ひきこもって赤面する場面を回避してしまうためだろうか。あるいは他の症状に隠れて目立たなくなっているためだろうか。

 私などは元々対人恐怖・赤面恐怖であるばかりでなく、実際に緊張するとすぐ顔が赤くなる赤面癖だった。今では赤面しても仕方なしにビクビクハラハラのままで人と会って話をしているので、赤面はしてももはや「恐怖」ではない。時々病院の行事の際には患者さんたちの前で楽器を弾く。これもやはり緊張するもので、後でビデオや写真を見るとしっかり赤ら顔が写っている。そして、冬場には、診察室やナースステーションにいると頭上のエアコンからの暖風が顔に吹き付けるので、それだけでも酔っ払いのように顔が赤くなってしまう。それでも顔が赤いままやるべきことができればそれでよいのである。私は初めて森田正馬全集を読んだ時に、次の文が自分のことをピッタリと言い当てているように感じたものだ。


 
 顔が赤くなるといふことは、恥かしいとか怒るとかいふ時に誰でも起る反応であり表情である。只だ色の黒い人には目立たぬのみである。又人によりては一杯の酒にも顔が眞紅になるやうに、交感神経の関係で其潮紅反応の多少の相違はある。然れどもこれは恐怖即ち強迫観念といふことには全く無関係である。単なる赤面癖は、只だ氣の小さい恥かしがり屋といふに止まる。

 赤面恐怖はこれに反して単なる恥かしがり屋ではない。恥かしがるのを以て、自らをフガヒなしとし、恥かしがらじとする負けじ魂の意地張り根性である。単に氣の小さいのは意志薄弱の素質から起り、負けじ魂は神経質の素質から起るのである。(白揚社:森田正馬全集                    第3巻 (赤面恐怖の治療法) p.114


 
 後半の「恥ずかしがるのを以て、自らをフガヒなしとし、恥ずかしがらじとする負けじ魂の意地張り根性」は神経質性格の本質を捉えた見事な言葉であり、赤面恐怖ばかりでなく他の症状の神経質にも当てはまる。神経質の弱力性と強力性が表裏一体のものであることを言い表している。赤面したところでどうということはない。生の欲望に沿って行動あるのみである。

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2017年1月 9日 (月)

神経質礼賛 1343.ヒートテック肌着に御用心

 寒さが厳しくなってきた。朝はホームに止まっている始発電車に乗るので楽だが、仕事帰りに冷たい西風が吹き曝しのホームで電車を待っているのがつらい。天気予報の気温予測を見て、寒さが厳しそうな日はヒートテックタイツを穿いて凌ぐことにしている。これを続けて穿いていると、どうも下肢の皮膚がかさかさしてくる感じになるため連用は避けている。

 ユニクロのヒートテックですっかりお馴染みになった保温肌着はこれからの季節に便利なアイテムだ。その一方で皮膚症状に悩まされる人も増えているという。日経メディカルの最新号(1月号)p.24-25に「乾燥肌やマラセチアの陰に保温肌着」というタイムリーな記事が掲載されていた。

 保温肌着は皮膚表面から放出された湿気を繊維が吸収して水蒸気が水に変わる際に発生する熱により表皮を温めている。冬は空気が乾燥しているため皮脂欠乏性湿疹を生じやすい。特に中高年は要注意である。そしてマラセチアという真菌(カビ)による、ニキビのように見える毛包炎の原因にもなりうるのだそうだ。対策としては直接肌が保温肌着に接触しないように綿の肌着の上に着用するのがいいという。比較的温暖な私の地方ではそこまでしたら完全に着ぶくれになってしまうので、やはり連用はせずに冷え込みが厳しい日だけ限定で利用するのが現実的な対策のように思う。

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2017年1月 6日 (金)

神経質礼賛 1342.痛風対策には低脂肪牛乳

 一昨日、仕事から帰って夕食を食べている時に妻がNHKの「ガッテン」を見始めた。こういう健康番組は食事をしながら見るのには不向きな気がするが、妻は平気である。結論は低脂肪牛乳(あるいはヨーグルト)が尿酸値を下げ痛風の予防に効果があるということだ。何かの雑誌で読んだことがある話である。牛乳やヨーグルトに含まれるカゼインやラクトフェリンが腎臓からの痛風排泄に作用するのだそうで、アメリカでの大規模な疫学調査でも効果が認められているという。普通の牛乳でも効果はあるものの脂肪を多く摂ってしまうのが逆に尿酸値を上げる方に作用するため低脂肪の方がよいとのことだ。ということは無脂肪牛乳(235話)はもっとよいことになりそうである。この種の番組で○○が健康に良いということを言うと、急に売れ出してスーパーの棚から○○が姿を消すことがある。今回はどうだろうか。

 外来患者さんにも痛風の既往がある人、尿酸値を下げる薬を処方している人がいる。姿を思い浮かべると大体が身長は中位で体重80kgくらいの小太りの中年男性である。メタボリック症候群と痛風の関係も取り沙汰されている。インスリンが腎臓からの尿酸やナトリウムの排泄を抑制するので糖質を取り過ぎると尿酸値が上がりやすくなるのである。

 痛風の人には尿酸の元となるプリン体の多い食物を控えるようにという食事指導が行われる。ビールがすっかり有名になってしまったが、プリン体が多い食物というと煮干し、アジやイワシの干物、レバー、大豆などが代表選手である。妻の料理でよく出るのが、アジの干物に納豆、煮干しがそのまま入った味噌汁であるから、痛風促進食と言えるかもしれない。しかし、それぞれ貴重な栄養素に富んだ有用な食品であって、単純にプリン体の少ない食品だけ食べていれば健康になれるかと思ったら大間違いである。低脂肪牛乳ばかり飲んでいればいいというものでもない。ある病気の予防に良い食品が摂り過ぎると他の病気の誘因になることもある。神経質人間はつい「○○が体に良い、××が悪い」という話に乗りやすいが、こと食品に関してはやはり「善悪不離」であって、結局はバランスよく摂取することが大切なのである。

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2017年1月 2日 (月)

神経質礼賛 1341.年男・年女

 元日には例年通り妻の実家へ行き、家族で瀬戸川沿いの土手の小屋に佇む日限地蔵さんへお参りする。

 今年は酉年で私は年男にあたる。年男・年女は縁起がいいとか逆に悪いとか諸説あるけれども、大きな神社の前に掲げられた表を見ると、私の年齢の男は大厄なのだという。厄年にも意味はある。心身の大きな変化が出やすい年齢だから無理をせず慎重に暮らすようにという古くからの知恵のような気がする。

 年齢は○十代と十年単位で括って言い表されている。現代人の人生の区切りを考えると案外年男・年女にあたる12年単位で見ていくと面白いのではないかと思う。12歳・小6までが基礎教育の期間であり、24歳くらいまでに多くの人は学校を出て自立し、36歳くらいまでに仕事に慣れ結婚生活や子育てを始め、48歳くらいまでは公私ともに大きく活躍し変動が大きく、60歳までは仕事が安定し子育てから親の世話へと役割がシフトする。サラリーマンの定年が56歳とか60歳だった時代と違って年金もアテにならないこの御時勢、60歳を過ぎても働けるだけ働け、である。楽隠居はできそうもない。72歳くらいまではフェードアウトしながらも働く必要がありそうだ。

 だんだん歳を取ってくると正月には一休さんの言葉が思い浮かぶようになる。

「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」

「世の中は起きて箱して(糞して)寝て食って 後は死ぬを待つばかりなり」

 幸いにして一休さんの時代のように戦火や疫病に斃れることはないものの、店や病院にいても暴走車が突っ込んできて一瞬にして命を落とすようなこともありうる。無常であることに変わりはない。その一休さんも臨終の際には「死にたくない」と言ったというし、江戸時代の禅僧・仙厓さん(90話・238話・1033)もやはり「死にたくない」と繰り返して死んでいったという。そして我らが森田正馬先生も同じだった。神経質の強い「生の欲望」に沿って、今こうして生きているありがたい時間を少しでも活用していきたいものである。

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2016年12月30日 (金)

神経質礼賛 1340.叱ること・叱られることも必要

 森田正馬全集第5巻に掲載されている形外会の記録は森田先生が亡くなる1年前の昭和12年4月に行われた第66回で終わっている。前半は強迫について参加者の体験談が中心になっていて、高弟の古閑義之先生も御自分の体験を語っておられ興味深い。これについてはまた紹介したい。その後で、参加者の一人がつい子供にどなりつけていけない、と述べたことについて森田先生が話をされている。子供を叱ることもある程度は必要だということで、次のように続けておられる。


 
 神経質の患者には、子供の時から親に叱られた事がないというのが割合に多いが、これもいけない。社会に出て、あるいは人の世話になるとかいう時にも、ちょっと叱言や不親切にも、たちまち精神的の打撃を受けて悲観し・憤慨し・邪推し・ヒネクレるという風になる事が多い。

 丁度、親から惰弱の養育を受けて、寒い風にも当たらず・不消化物も食わないとかいうようなものが、ちょっと変わった境遇にあっても、少しも身体の抵抗力がないと同様に、精神的に惰弱の養育をうけたものは、少しも外界の境遇の変化に適応する強い精神力がないのである。

 面白い事には、母親が気が強くて子供に思いやりがなく、ムチャな事をいって叱り飛ばし、かわいそうな仕事をさせたような子供が、兄弟そろって出世し・偉くなっている人の事を私は知っている

 これはしかし、その子がもし変質性のものであった時には、そのためにますます悪化したかも知れないけれども、良き素質のものである時は、これが鍛錬教育になって、ますます精神的に強い人間となる事かと思うのである。(白揚社:森田正馬全集第5巻p.767-768


 
 叱るということ(25)、叱られるということ(26)、については初期の記事に書いている。私は戦後生まれだけれども、子供の頃は学校の先生から拳骨を食らったり体を叩かれたりしたことはある。友達と外で遊んでいて日が暮れてから帰宅したら、母親から「お前は安倍川の橋の下で拾ってきた子なんだよ」と言われて家に入れてもらえないこともあった。今で言えば体罰や言葉の暴力にあたるであろう。子供の人権は大切だが、何でもかんでも児童虐待やハラスメントとして糾弾するのはどうかと思う。例えば、危険な悪ふざけに対して「やめようね」では効果がないし、危険を回避できない可能性もある。ほめて伸ばす教育も必要だろうけれども、そればかりでは、森田先生が言われたように過保護のために適応能力が身に付かないのではないだろうか。「適応障害」という病名のカルテが増える一方の昨今、子供の頃に適度に叱られることも必要だろうと思う。

 私の師の故・大原健士郎教授は毎週の教授回診中に研修医を叱り飛ばすことで有名だった。カルテで頭を叩かれた研修医もいた。医師の診断・治療は患者さんの人生を左右する。それだけにしっかり勉強して全力を尽くして診断・治療に当たれ、という厳しい指導だったのである。今ではこういう教授はいない。


 本年も当ブログをお読みいただきありがとうございます。神経質ゆえ、月
10話書かなければと強迫的に続けているうちに、気が付けば12年目に突入です。(四分休符)

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2016年12月26日 (月)

神経質礼賛 1339.クリぼっち

 一昨日、仕事を終えて帰宅する途中、街は大変な人出だった。駅からつながっているデパートの地下は買物客でごった返していて、レジ待ちの長い行列も目についた。クリスマスイブが土曜日と重なったからだろう。夜のニュースを見ていたら「クリぼっち」という聞き慣れない言葉が使われていた。クリスマスを一人で過ごす人のことを言うらしい。小さい子供がいる人やカップルならばクリスマスプレゼントを買う。一緒に過ごす相手がいないお一人様が増えている昨今、そうしたクリぼっちをターゲットにした商戦が盛んになっているのだそうだ。デパートでは自分一人用の小さなケーキ、自分へのプレゼントの売り込みに力を入れているというから、あの混雑の何割かはクリぼっちが支えていたのだろう。カップル入店禁止という飲食店もあるというのは驚く。晩婚化・少子高齢化が一層進んでいくことは明らかだから、年々こうした商戦はヒートアップしていくことだろう。

 かくいう私も、週末は妻が父親の世話のために実家に泊まっているので、今年はクリぼっちの一人である。もっとも、病棟のクリスマス会で楽器を弾いた後に患者さんや職員さんたちと乾杯してきた。スパークリングワイン風のグレープサイダーを小さな紙コップでいただいた。サイダーのボトルといい、紙コップといい、ちょっと見は本物そっくり。患者さんからは「ワインなんて飲んじゃっていいんですか?」という驚きの声が上がった。一人ずつに供されたフライドチキン・ポテトとケーキを患者さんたちは楽しんでいた。職員さんたちは少しでも患者さんたちに喜んでもらうための創意工夫をこらしているのである。私もその楽しさのお裾分けをいただいた。

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2016年12月23日 (金)

神経質礼賛 1338.生死事大 無常迅速 光陰可惜 慎勿放逸

 前々話、大徳寺聚光院と臨興院を拝観した後、同じ大徳寺の大慈院にある泉仙(いずせん)という精進料理の店に入ったと書いた。この店の料理は鉄鉢(てっぱつ)料理と言って、托鉢僧の鉢の形を模した朱塗りの椀に入れた精進料理が次々と出てくる。野菜と豆腐・湯葉を使い優しい味付けでなかなか美味しい。面白いことにこの椀は入れ子になっていて、最後にきれいに重ねられるのである。また、箸の包み紙も興味深い。右側に「有漏路より無漏路へ帰る一休み 雨降らば降れ風吹かば吹け」と書かれている。これは修行中の一休さんが師の公案に対して答えた言葉であり、有漏路とは煩悩(迷い)の世界、無漏路とは仏(悟り)の世界を意味し、これにより一休の号を師から賜ったとされている。さらに、包み紙の中央には「生死事大 無常迅速 光陰可惜 慎勿放逸」と書かれた木版(もっぱん)の絵がある。生とは何か死とは何か・いかに生きるべきかを明らかにするのが究極の課題である、すべては無常であり時間はあっという間にすぎてしまうのだから無駄に過ごしてはいけない、といった意味になろうか。

 何ともドッキリする言葉である。不安をなくすための「はからいごと」に終始している人、強迫観念で頭を空回りさせている人や確認行為や手洗いなどの儀式で時間を無駄遣いしている人には強烈な鉄槌になるだろう。私も毎日をその日暮らしで生きていていつもジタバタしていて少し閑になると放逸しがちな情けない自分を反省するばかりである。と言いながら、明日は病棟のクリスマス会で楽器の演奏を急に頼まれて、気安く引き受けてしまい、あわてて準備している自分がいる。悟れなくてもどっこい生きている。これでいいのだ、と開き直る。

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2016年12月19日 (月)

神経質礼賛 1337.源光庵

 今回、もう一つ行こうと思っていたのがやはりこの秋JR東海が宣伝していた源光庵だった。大徳寺から西へ佛教大学まで歩き、バス停の時刻表を見ると、バスが来るまで20分位待つことになる。待っていては寒いので歩いて行くことにした。途中には京野菜を売っている店や漬物屋さんがあって、のぞいて見るのも楽しい。まっすぐ坂を上って行き、道が二手に分かれる突き当りが源光庵である。

すでに紅葉のシーズンは終わっていて楓の木はすっかり裸になっていた。拝観者はほとんどいない。紅葉が綺麗な頃は大勢の参拝客で賑わったことだろう。手持無沙汰に受付に座る僧がぶっきらぼうに拝観料を告げ、「血天井があります」と言う。関ヶ原の戦の前哨戦、伏見城の攻防の際、切腹して果てた鳥居元忠ら徳川勢の武士たちを慰霊するため、血の付いた床を天井に残したものであり、養源院など京都のいくつかの寺院にあるものだ。ここの血天井も足跡がしっかりと残っていた。有名な四角い「迷いの窓」(生老病死の四苦八苦・人間の生涯を示す)と丸い「悟りの窓」(禅と円通の心・大宇宙を示す)を見る。花も紅葉もなかりけり。隣の小学校から昼休みに遊ぶ子供たちの元気な声が聞こえてくる。これもまたよし。徒然草の「花は盛りに月は隈なきをのみ見るものかは」である。

 源光庵前からバスに乗り、終点の四条大宮でバスを乗り換えて東山七条へ。京都国立博物館で生誕400年伊藤若冲の展示を見る。小規模ながら、普段あまり展示されないものが出展されているとのことで面白かった。まだ時間があったので、昨年行った時に見なかった豊国神社の宝物館を見てから帰途についた。

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2016年12月18日 (日)

神経質礼賛 1336.聚光院

 公休日に京都の大徳寺聚光院へ行ってきた。駅や電車にある「そうだ京都行こう」の写真パネルを毎日見ているうちに、ぜひ狩野永徳による障壁画の実物を見たいと思ったからだ。聚光院は今年創建450年にあたり、普段は博物館に保管されている国宝の障壁画を里帰りさせて特別公開している。拝観はネット予約で、空き状況をカレンダーから見て空いている時間帯に予約を入れるというやり方になっている。拝観時間は40分間。予約は20分おきで、1回あたり定員は15名位らしい。1か月前に予約を入れた。

 大徳寺は中学の修学旅行でその中の塔頭の大仙院へ行ったきりである。コンパクトによくまとまった枯山水庭園、そして当時まだ若かった住職・尾関宗園さんの気合いの入った説法が強烈に印象に残った。「今頑張らずにいつ頑張る!!」と修学旅行生たちに喝を入れておられたのを思い出す。不安はそのままにして今を生きることを説く森田療法も禅の教えと共通する部分がある。

予約の時刻は朝一番の9時だった。8時に京都駅に着く。京都駅から大徳寺までバスで行けるけれども、もし渋滞で遅れたら困るので、まず地下鉄で北大路まで行く。地上に出てバス乗り場を探すが見当たらない。どうやら地下にバスターミナルがあるらしく、あわててまた地下へと潜る。バスに乗ってしまえば大徳寺前はすぐである。22もの塔頭がある境内はとにかく広い。あらかじめプリントアウトしておいた地図を見ながら聚光院に20分前に着いて受付の開くのを待つ。足から寒さが伝わってくる。受付をして建物に入ると、手荷物はすべてお預りします、とのことで係員に手渡す。ガイドの人の案内で拝観していく。永徳の「花鳥図」は博物館や美術館で見るのと異なり、自然光が差し込み磨かれた木の床に反射している中で見るとタイムスリップして見ているような感がする。「琴棋書画図」とも永徳がまだ24歳の時の作で力強さが伝わってくる。面白かったのが永徳の父・松栄による「竹虎遊猿図」だった。虎はどこかユーモラスである。そして猿の一家は狩野家を表しているのだそうだ。木の上の目立つ白猿は松栄の父で狩野派の画法を確立した元信を示している。木の下には茶色の夫婦猿が座っていて、雌猿が白い小猿を抱っこしている。この小猿は大天才・永徳で、ちょっと冴えない表情の雄猿は松栄自身だという。自分の父そして息子の狭間で目立たない存在になってしまっているが、どうして、なかなか良いではないか。拝観コースは茶室の中を見学し、最後に千住明による現代の障壁画「滝」を見た。群青と白だけの大迫力の画だった。

聚光院を後にし、さらに期間限定で公開している興臨院も最終日に拝観することができた。そのすぐ近く大慈院の泉仙という精進料理の店に入る。通路から見える名残の紅葉が美しかった。

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