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神経質礼賛 1889.数を数える癖

 職場の外来にあるレターボックスは一日に何度かチェックしている。郵便物よりもはるかに多いのが文書作成依頼だ。見つけ次第書いていかないと追いつかない。外来患者さんが多い日だと、自立支援医療診断書、手帳診断書、年金診断書、傷病手当金意見書などが一度にたくさん発生することがある。電子カルテに情報が入っていない場合、古い紙カルテを出してもらってそれを見て作成する必要があって時間がかかる。退院してだいぶ経った人の保険会社に提出する入院診断書の要望が寄せられることもある。担当医がもう退職してしまっていて書ける人がいないからと頼まれることもある。そして、外部の訪問看護ステーションからまとめて10人分位の指示書を要求されることがある。神経質ゆえ、まず枚数を数え、頭の中では書くのに要する時間を計算している。森田正馬先生も数を数える癖があったようだ。

 私が葉書を書くような事にも、何かにつけて、数えるという事は、気をあせる事の結果としての一つの手段であるが、私の母と姉にも、この数える癖があるという事は、近年になって、初めて知った事である。私の母も姉も、ともに何事にも、仕事の非常にはかどる方である。これはあるいは、一つの精神的傾向の遺伝性のものかもしれない。私の父は、これと全く反対で、何事にも、ゆっくりと落着いていて、数を勘定するとかいう事はなかった。私は母に似たところが多いのである。 (白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.628)

 最初は「ああ、10枚もあるか」と気が重いけれども、一枚一枚書いていき、残りが少なくなってきて「あと3枚、あと2枚」と思うと元気が出てくる。この位はいいとして、私の場合、どうでもいいものもカウントする癖があって、例えば駅の階段の段数を数えてしまって、数字の語呂合わせで縁起を気にするのである。神経質はもっと有効利用しなくては、と思うのだが、この癖は直りそうにない。

2021年7月22日 (木)

神経質礼賛 1888.椅子に座れない人

 昨日の午後は65歳未満の入院患者さんの2回目の新型コロナワクチン接種を頼まれていた。注射している最中にも他の病棟からのコールや事務方からの連絡でポケットの院内PHSが鳴って落ち着かない。ワクチンの希釈と薬液を注射器に詰めるのは看護師さんがやってくれてあるけれども、問診と電子カルテへの入力もあるからそれなりに時間がかかる。打つ前から「痛い!痛い!」と騒ぐ人がいたり支離滅裂な話をしてくる人がいたりする。広告新聞を持って診察室に入って来た人がいた。何だろうと思ったら、椅子の上にそれを敷いてから座った。注射が済むとまたそれを持って去って行った。何か妄想があるのだろうか。

 他の医師が担当している外来患者さんがたまたま私の担当日に受診したので代診する。若い男性患者さんだ。「どうぞお掛け下さい」と声をかけるが、そこに立ったままである。電子カルテを見ると、病名は強迫性障害となっていて抗うつ薬が処方されている。そうか、不潔恐怖のために座るのを避けているのだな、と思って尋ねると案の定だった。「不潔が気になるのはわかるけれども、他の人と同じように行動していくことが大切ですよ。薬は少し気分を楽にしてくれて行動しやすくしてくれるけれども、あなた自身のガマンも必要です。悪い癖を直すというつもりでやっていきましょう」と話す。強迫行為は不安を軽減するための行為だけれども、続けているうちにどんどんエスカレートしていき、やがては日常生活に支障をきたすようになる。薬だけで解決することはなく、やはり本人のガマンと努力が欠かせない。

 新型コロナ対策のために頻回の手洗い・うがい、マスク常用、生活環境の消毒・殺菌がすっかり当たり前になっている。数年前にこんな生活をしていたら全員不潔恐怖である。今はこの生活習慣が合目的であるけれども、新型コロナが収まって平時に戻っても簡単には戻らないだろう。何年か先には不潔恐怖に悩む人が増えるかもしれない。

2021年7月18日 (日)

神経質礼賛 1887.青錆

 昨日の朝は目覚時計をかけ忘れていた。それでも普段通りに5時半に起き、トイレに行った後、顔を洗い、髭を剃る。洗面所の時計を見ると、あれ、まだ結構時間があるじゃないかと思う。新聞を取り込んでざっと目を通し、体温を測りながらパソコンのメールをチェックし、朝食を食べに行く。おや、もう時間があまりない、と焦る。結局、洗面所の時計が15分ほど遅れていたのだ。電波時計だから1日でそんなに遅れるのはおかしい。とりあえず時計が遅れているというメモを付けてから出かける。

 仕事から帰ってから洗面所の時計の電池を新品に交換する。もう1年以上電池を交換していなかったから替え時なのだろうと思った。ところが、全くデタラメな表示になってしまって操作不能になった。もう一度電池を外して入れ直しても同じである。どうしてだろう。電池ボックスの接点部分を見ると、青い錆がついている。それまで使っていたアルカリ電池をよく見ると少し漏液していた様子だ。例によって目が細かいサンドペーパーを小さく切ったもので錆びを落とす。それから電池を入れ直すと今度はOKだ。錆による接触不良が原因だった。

 このような電池ボックスの錆トラブルはたびたび経験する。もう何度か書いているかもしれない。置時計だけでなく種々のリモコンなど、1-2年は電池がもつけれども、交換してもおかしい時は接点が錆びていないかチェックしてみることだ。現在主流になっているアルカリ乾電池は大電流が流せて寿命が長い反面、漏液しやすい欠点がある。大電流が必要ない時計やリモコンはマンガン電池の方が適していると言われている。昔の機器の接点は赤茶色の銅板だった。錆は緑色、いわゆる緑青(ろくしょう)だった。最近の機器の接点は銅にスズなどのメッキを施した銀灰色である。近頃見る錆はなぜか水色に近い青色である。どうしてこの色になるのかわからない。酸化スズや酸化亜鉛は白~灰色で青くならないはずだ。アルカリ電池の漏液成分と銅が反応してのことだろうか。神経質ゆえ気になる。また思い出したら調べてみるとしよう。

2021年7月15日 (木)

神経質礼賛 1886.エトピリカ

 前任の先生から引き継いだ双極性障害(躁うつ病)の患者さんが十数名いる。そのうち二名が躁状態となって再入院中である。躁状態になると、多弁・多動となり夜も寝ないで活動しまくる。困ったことに本人は「調子がいい」「もうすっかり病気が治った」と思い込んで服薬をさぼって、ますます症状を悪くするのだ。気が大きくなって高額な商品を注文してしまったり、周囲の人に干渉して迷惑をかけたりする。そのうちエネルギーが枯渇して失速するかのように、うつ病相に移っていく。本人が「ちょっとうつ」と言う位が客観的にはちょうど良い状態なので、それが維持できるように薬を調整したり生活上のアドバイスをしたりしている。うつ病や双極性障害などの気分障害の人に森田療法的なアドバイスをしていくには、その人の状態を的確に把握してそれを本人に認識してもらう必要がある。やみくもに行動本位ではなく、躁状態の時は「調子がいい時こそスピードを出し過ぎずに安全運転しましょう」、うつ状態の時は「無理せずにできることをやっていけばいいですよ」、と話している。

 二名の入院さんのうち一人はデイケアに通所していた人で、私が楽器を弾くのも知っている。廊下で顔を合わせると「私もヴァイオリン習いたいなー。エトピリカくらいなら弾けるようになるかなあ」と言ってくる。「退院したらまたデイに通って、少しずつ就労に向けて準備していきましょう。あまり手を広げ過ぎない方がいいですよ」と答えている。エトピリカとは鳥の名前で、アイヌ語のエト(くちばし)+ピリカ(美しい)の通り、橙色の大きなくちばしをもっている。葉加瀬太郎さんのヴァイオリン曲の名前でもある。以前買った伴奏CD付きの楽譜集の中にあるので弾いてみる。たった1ページの楽譜で楽勝に見えるが、同じ音のシンコペーションが続く部分がどうもうまく合わせられない。モールス信号のように思えてしまう。ト・ツーツーツー・ト・ツーツー・ト・ツーツー・ト、これを頭に叩き込まないといけない。リズム音痴の私には意外と難物だ。葉加瀬さんの演奏にはあって楽譜には載っていないピチカート(弦をはじく奏法)を加え、最後のところに鳥が舞い上がっていくような旋律をアレンジ追加して、完成だ。繰り返し弾いていると愛着が湧いてくる。そのうち、デイケアの場で弾かせてもらうとしよう。

2021年7月12日 (月)

神経質礼賛 1885.お使い根性(2)

 神経質は頭が固いところがある。森田先生の所に入院している人が「植木に水をやるように」と言われて雨でも水をやって「お使い根性」(580話)と叱られた例がある。この言葉はしばしば出てくる。しかし、すぐには理解できなかった人もいたようである。

「何でも無理に・がまんして、面倒をこらへなければならぬという風であれば、只の『お使ひ根性』になり、自発的の心がなくなってしまう」という先生の話がわからない、という読書困難を訴えて入院していた高等学校生の第二十二日の日記に対して森田先生は次のようにコメントしている。

 いやな事をめんどうと感ずるのは、自然の人情であり・純なる心である。之をめんどうと思つてはならぬと、強いておさへるのを、自然にもとるといふ。しかし、之をいやだといつて、何もしなければ、ズボラ我儘であつて、境遇に柔順でない事になる。いやなまゝに、境遇に服従して、やつて行く時に、初めて工夫発明が起る。いやな氣分を、徒に圧迫する時に、鋳型にはまつた・器械的の・愚直の・偽善の人となつて、少しの進歩のない人になつてしまうのである。又いやな事を、なぜするかといへば、それは人から好かれたいとか、何かを仕上げたいとかいう目的に対してゞあつて、其目的の欲望のために、境遇に柔順にしなければならぬ事になるのである。

第二十八日 今日も野菜拾いに行く。人中を歩く事は、もはや自由自在である。野菜拾ひの感想をきかれると、僕は笑ひながら、「恥かしくて、やりきれませんよ」と答へる。全く其言葉通りで、そして只それだけの事だ。

第三十二日(退院前日) 自分には、もはや夢もなければ、理想もない。只現在の現実の自分があるだけだ。此のまゝやつて行こう。ふるへながら・苦しいまゝ・不安なまゝに、生きて行こう。 (白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.88-89)

 ニワトリやウサギなどの餌になるクズ野菜を拾いに青物市場へ行くのは入院患者さんの仕事の一つであり、森田先生自ら行くこともあった。当時、旧制高校へ行けるのはごく一握りのエリートだったから、この仕事はかなり恥ずかしかったはずである。労働者たちから「いい若いもんが何やってんだ」と冷やかされることさえあった。しかし、必要だから目的本位に行動するのである。ものそのものになって「お使い根性」でなくなれば、正直に恥ずかしいと言いながら自在に行動できるようになっている。退院前日には、震えるまま・苦しいまま・不安なままに生きていけばよいのだという心境に達している。まさに「あるがまま」が体得できたと言えるだろう。

2021年7月11日 (日)

神経質礼賛 1884.ベビーチーズ(3)

 QBBのベビーチーズのことは以前にも書いている(1603話・1661話)。毎年、「ビールに合う」とか「ワインに合う」というキャッチフレーズの限定商品が発売されていて、楽しみにしている。昨年出た「アンチョビ味」は強烈な場外ホームランといった感じだった。また食べたいがもう売っていない。最近、巣ごもり需要を見込んでか、「おうち居酒屋」と外装フィルムに書かれた、「カルボナーラ味」と「焦がしにんにく&ねぎ油風味」というものが並んでいたので買ってみた。価格は通常品と同じく4個で100円程度だ。

 たまには本物のカルボナーラも食べに行きたい。勤務先の外食自粛令のため、洋食料理店とはすっかり御無沙汰である。カルボナーラはパンチェッタ(塩漬け豚)・黒胡椒・卵のスパゲティだ。「カルボナーラ味」を食べてみると、ベーコンっぽい味と胡椒の味はするけれども卵感が薄く、今一歩といったところ。それでも楽しめた。一方、「焦がしにんにく&ねぎ油風味」はにんにくが効いていてとても良い。ねぎの味や香りはよくわからないけれど、和風ブルサンチーズといったところか。トーストのお供にいい。朝からにんにくは臭いがどうかとも思うが、今どきはマスクをしているからまあいいかな。売り切れになる前に買い足しておくとしよう。

2021年7月 8日 (木)

神経質礼賛 1883.タクシードライバー

 朝、駅から病院までの送迎車はないため、タクシー券を渡されている。タクシー会社は2社あるので、それぞれのタクシー券を持っていて、週末に使った分を事務所でもらって補充するというやり方である。最初の緊急事態宣言が出た時には駅の乗降客が激減してタクシー会社も大変だったようだ。「(駅で)早朝から3時間待ってようやく(あなたに)乗ってもらいましたよ」「今月の出は10日もないですよ」「人じゃなくて食事配達の荷物を運んでますよ」という話を聞いた。タクシー会社は青息吐息。ドライバーさんは年配の人ばかり。若いドライバーさんは仕事を替えてしのいでいるらしかった。最近は駅の乗降客もだいぶ戻ってきて、ドライバーさんも若い人が増えて女性ドライバーのこともある。顔なじみの年配のドライバーさんの話では、高齢者の新型コロナワクチン接種の際の足としてタクシー利用が増えていて、交通不便な地区では市から五千円までの補助金が出るという。「正直言ってありがたいです」とのこと。ワクチン特需らしい。「私もやっとワクチンを打ってもらいました。今まで心配だったんですよ」と。不特定の客、特に夜間は酔客も乗せるタクシードライバーさんは感染リスクが高い。いくら窓を開けて走っていても狭い車内である。医療関係者だけでなく、タクシードライバーさんも優先的に接種できるようにすべきだったのではないか。

 タクシードライバーさんには話し好きの人と無口な人といる。私は話好きではないので、話しかけられると簡単に答える程度である。一人困ったドライバーさんがいる。年配だが、酒場で飲んでいるような感じでペラペラ話し、抑制が取れているようで卑猥な言動が目立つ人である。交差点で赤信号になりかけてもスピードを出して通ってしまう。今どきは就業前にアルコールチェックがあるから、よもやアルコールが残っていることはないだろうけれども。やはり、おしゃべりは少なくて安全運転の神経質なドライバーさんの方がいい。

2021年7月 4日 (日)

神経質礼賛 1882.梅雨後期の大雨

 このところ毎日雨が降り続いている。昨日の朝は大雨だった。電車に乗っていると、窓から外の景色が全く見えないほどの強い雨だ。病院には7時頃着いて仕事を始める。昼のニュースで大雨による災害状況を知る。熱海では土石流に家が流されて大変なことになっている。安否不明の人も出ているとのことで、被害が大きくならなければいいなと思う。私が高校生2年の時に静岡を襲って多数の死者を出した「七夕豪雨」を思い出す。東海道新幹線・在来線ともストップしているとのことで、帰れるかどうか心配になる。もし駅に行って、運転再開の見込みが立たなければまた病院に戻って泊まることになる。午後は職員の家族を対象としたワクチン接種の「打ち手」をこなす。二度体温を測っても37.6℃と37.7℃のため、接種を後日に変更してもらった人が一人いた。それ以外の方々は問題なく接種できて経過観察後に帰宅していかれた。仕事が終わる頃には一旦雨は止んでいた。JR東海のホームページの運行状況を見ると、新幹線は運転再開していて、在来線も折り返し運転をしているとわかりホッとする。「運行状況」のページの「列車走行位置」を開くと列車が現在どこにいるか一目でわかり、遅れ時間が列車ごとに赤字で表示されていて、わかりやすい。便利になったものだ。

 テレビやネットのニュースでは、土石流に家が流される様子を個人がSNSで発信した動画が繰り返し流れている。その迫力には驚くが、そうした災害動画を録ろうとして危険に巻き込まれてしまう人が出ないか気にかかる。それを録っている人自身も危険な状況にいるわけで、一刻も早く安全な所へ避難した方がいい場合もあるだろう。いくら「いいね」をたくさんもらっても、再生回数が何百万回になっても、撮影したがために犠牲者の一人になってしまっては何もならない。安全第一である。

2021年7月 1日 (木)

神経質礼賛 1881.ジェネリック薬品の問題

 今から15年ほど前、ジェネリック薬品に関する記事を書いた(103話)。ジェネリック薬品は特許切れとなった薬を他の製薬会社が製造販売するものである。開発費や宣伝費がかからないから安くできる。医師や薬剤師に薬に関する情報提供する手間も省ける。昔からあるにはあったが、小規模メーカーが作っていることが多く、品質や安定供給能力の問題があり、安かろう悪かろうということで軽蔑的に「ゾロ」と呼ばれていた。安く買い叩いた「ゾロ」ばかり処方しているような病院は悪徳病院とみなされたものである。しかし、近年は医療費削減のため国策としてジェネリックの処方が推奨されるようになり、現在では処方薬の約8割がジェネリックとなっている。

 以前から懸念されていたことだが、品質上の問題が発生している。小林化工が製造したジェネリック薬に多量の睡眠薬が混入していて2人の死者を出したほか、服用して運転中に交通事故を起こしたケースがあった。そしてジェネリック薬の最大メーカー日医工が不適合品を適合品として不正に販売していた事件も明るみになった。2つのメーカーは処分を受けたが、生産停止により、ジェネリック薬の供給が不安定になっている。私が担当しているてんかんの患者さんで長いこと服用している薬が日医工製だったため、調剤薬局で手に入らなくなり、錠剤でなく粉末の薬に変更せざるを得なくなった例がある。患者さんにも不便をかけているのだ。日医工や小林化工が製造していた薬は他のメーカーも製造してはいるものの、品薄になって供給が不安定になり、薬局の管理者は薬をかき集めるのに苦労している。みんな新型コロナ対策で忙しいというのに、迷惑千万である。安いというだけで品質には目をつぶり安易に誘導してきた国のやり方にも問題がある。生命にかかわることだから、もっと神経質になってもらわなくては困る。

2021年6月27日 (日)

神経質礼賛 1880.普通の人・上等の人・下等の人

 森田正馬先生の診療所では、入院患者さんたちは作業をしながら外来患者さんの診察を聴くことが許されていた。プライバシーを重視する現代ではありえないことだが、同じ神経症に悩んでいる人の心の中に起きているからくりを知ることができ、共感し、さらに自己洞察につながり、絶大な治療効果があったものと思われる。疾病恐怖で入院していた46歳の人の日記の記録からその様子を紹介しよう。

第四十三日 新患者の御診察があつた。「無理に奮発して、元氣を出して・勉強しやうとするのは、却て苦しくて・勉強が出来ない。試験があるから・下調べをしなければならぬから、仕方なしに勉強する。前者は、自分の感情を、強いて抑へつけようとする處に、無理があり、虚勢と付け焼刃とがある。後者は、厭なまゝで、境遇に柔順になるので、素直な心持である。似て居るやうで、全く反対の事実である」と言はれた。此間の消息は、ハツキリ解るやうになつた。(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.91)

第四十五日 外来患者の診察を聴く。「人が自分を除け者にする。自分が変に思はれないかと絶えず氣になる」といふのに対して、先生は、「このやうな人の心持ちには、色々あるが、便宜のため、大体三種に分ける。第一種の人は、人から変に思はれると、単にそれを氣にして、直ちに忘れる人。之が普通の人。第二種の人は、何か自分に変な所があるのではなからうかと、自分を反省して、之を矯正する工夫を凝らす人。之が上等の人。第三種は、変だと思はれるのは苦しいから、さう思はないやうに、氣を紛らせたり・大胆になり・達観しようとするやうな人、之が下等の人である。君はどの種類に属しますかといふ。患者曰く、第三種ですと。先生曰く、それは不可能を可能にせんと・もがく人で、そこに強迫観念が生ずる。自分の素質を肯定して、よく反省し、第二種の心掛けになれば、絶へず向上して、苦悩はなくなるのである」といふやうなお話があつた。(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.93)

 誰でも気になる時には気になるけれども、時間とともに忘れていく。神経質の場合は簡単には忘れない。神経質という優れた素質を自己の発展向上に活用して上等の人となるか、素質を無駄遣いして神経症に苦しむ人になるかは、本人の行動次第だ。必要とあれば、嫌なことは嫌なままに仕方なしにやっていけば自然に上等の人となっていくのである。

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