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神経質礼賛 1988.神経質?無頓着?(森田正馬ADHD説)

 かつて研修医となり浜松医大精神科医局に入った時に大原健士郎教授から頂いた御著書がある。世界保健通信社:目で見る精神医学シリーズ3『森田療法』という200ページの本で写真が多い。本体価格が7000円もする。私の名前の後に「目的本位の生活 大原」とサインして下さっている。何度も何度も読み返したり、事典的に利用したりして、これほどよく利用している本はない。価格の何十倍分も使わせていただき本当にありがたいと思っている。その書の本文初めのページにはいきなり、森田の性格1.神経質?無頓着?という見出しがある。「森田はある面においては、確かに神経質であったが、かなり大ざっぱで、無頓着過ぎる面ももっていた」として具体例を数多く挙げている。また、厳格な父親・正文と過保護の母親・亀の性格についても詳しく述べ、正馬の性格との共通点にも言及している。独立独歩で探求心が強いのは父親ゆずりで、気が多く、時にオッチョコチョイで、ユーモラスで人情家なのは母親ゆずりであるとしている。その後も大原先生は御著書の中で「森田は神経質ではなくて循環気質や執着性格だった可能性も否定できない」とし、それについて大原先生の師である高良武久にただすと「完成された神経質と表現するのが妥当だ」と答えられたという話を書かれている。

 京都森田療法研究所の4月19日・22日ブログでは、森田先生の奇行や性格について詳細に検討した、所長の岡本重慶先生と正知会の杉本二郎氏との対談を公表しており、興味深く読ませていただいた。森田の気が多くオッチョコチョイな点や数々の奇行は注意欠陥多動性障害(ADHD)として説明できる点が多い。さらに、その特徴がプラスとなっていたりマイナスになっていたりした面について検討しておられる。

 現代の精神医学からすれば、森田先生ADHD説は有力な考え方になるだろうと思う。私が森田正馬全集の中で気になったのは第4巻・通信指導の中にある次の記述である。
(猫いらずで猫を毒殺して以来怨みを恐れる人からの手紙に対する返事)
 猫を殺すとか蛇を殺すとか言ふ事は、恐ろしさに、悩まされる事の多いものです。それは、昔から、種々の怪奇的・講談的・迷信的の言伝へがあるからです。小生も昔、中学時代に、猫をなぐり殺して、解剖的研究をなし、其の後猫は祟るといふ言ひ伝へに、長い間恐怖した事があります。
 常識的・或は科学的にはそんな事はあるべき筈はないけれども、迷信といふものは、中々人の心をおののかすものです。それが迷信の迷信たる所以であります。
一 理知では猫のたゝる筈はない。
二 迷信の感情は、おそれおののくものである。
(一) 理知では、四九といつても、死苦には関係はない。
(二) 感情では、四九といふのも、其死と通ずるのが氣味が悪い。
 之等一、二、(一)、(二)共に、当然の事であるから、其まゝに考へれば、恐怖の苦痛は、日を経るまゝに消失するけれども、此両者をむすびつけて、猫はたゝる筈はないから、恐れる筈はない。恐れるのは徒に苦しむのみで、大なる損であるから、恐れない様にしなければならぬと、自分の心をため直さうとする為に、不可能の努力により、強迫観念になり、循環論理(繋驢けつ)のため、永久に其の苦痛から脱する事が出来なくなります。それは、「氣味の悪いものは恐ろしい」「不安心は苦痛である」とかいふ当然の人間の心を、そうあつてはならぬといふ否定の不可能の努力が、のれんと、角力とうやうなものであるからであります。無理な理屈で、我と我心を、ため直さうとせずに、小児の様に只恐れてゐさへすれば、たとへ、昼夜猫の聲が聴へる様な事があつても、決して二、三日とは続くものではありません。(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.421)

 現代ならば重大事件の「少年A」と同様にみられてしまう恐れがある。当時は今ほど動物愛護の概念はなかったであろうが、猫をなぐり殺して解剖するのは尋常とは言い難い。思い付きで突っ走ってしまった行動だろうか。このエピソードもADHD説で説明できるのかもしれない。もっとも、ADHDであったとしても(森田)神経質は別の視点からの人間理解であり、それが否定されるわけではないし、森田先生の評価を下げるものではなく、神経質に加えADHDも活かした人生を送られたと評価することができるかと思う。

 

2022年5月19日 (木)

神経質礼賛 1987.集中力アップのトリセツ

 先週、夕食を食べていると、妻が見たいテレビ番組があると言い出したので、見てみる。NHKの「あしたが変わるトリセツショー」という番組で「集中力のトリセツ」がテーマだった。新聞の番組欄には、脳をだまして集中力アップ、というようなキャッチコピーが書かれている。番組ではよくある場面が出てくる。掃除や片づけをしていると、昔の写真が出てきたりして、つい見ているとどんどん時間が過ぎてしまい、全く進まない。勉強中もいろいろなことが気になってスマホで検索して集中できない。そこで、人を夢中にさせるゲームの手法を取り入れたらどうか、ということなのだ。ゲームの開発者や研究者も登場する。要点の第一は時間制限をつけて、タイムアタック方式にする。少し難しい時間設定にするとよい。第二は、目的の明確化で、決めたこと以外にやることが出てきた場合は後回しにして今に集中するということだ。実際にその手法を取り入れると家事や勉強がはかどる様子が示されていた。

 神経質な人では、雑念が気になって集中できないと悩む人が少なくない。特に強迫の人は、本筋から外れた枝葉の部分にこだわって時間を空費しがちである。しかし、森田療法のやり方を実践していると知らず知らずのうちに集中力がアップして仕事や勉強がはかどるようになっているのである。森田では気分本位ではなく目的本位に行動するように説いている。そして、今、実際の行動を重視する。そういう姿勢が身につけば、トリセツは不要である。

 さて、番組を見た妻。しきりと感心していたが、そもそも時間を気にせずマイペース、気になることがあるとそちらへ頭がすっ飛んでしまう人だから、効果がなかったことは言うまでもない。

 

2022年5月15日 (日)

神経質礼賛 1986.知らないうちに眠っている

 外来患者さんで不眠を強く訴える人がいる。前医が「合わない」と言って私の外来に来るようになった。前医の薬は眠気が残ってボーとすると言うので、半減期の短い薬に変えると、全然眠れないと言う。何度か薬を調整したが訴えは同じで、予約前の日に来たり、家族に頼んで電話で訴えを代弁させたりする。眠れた・眠れないはさておき、日中の行動を充実させていきましょうとアドバイスするが、眠っている時が一番幸せだから大事だ、と主張され、あくまでも眠りに固執する。気持ちはわからないでもないが、それをやっているから不眠に悩み続けるのである。

 眠らないと悪影響がある、眠らなければいけない、と考えて眠ろう眠ろうとして却って眠れなくなるのが神経症性不眠の特徴である。自分は一睡もできていない、このままでは死んでしまう、とまで訴えるような人もいる。しかし、実際には知らないうちに眠っているのであり、御家族に聞いてみるとそれなりに眠っていて、本人が気づいていないだけなのである。逆に眠ってはいけないと思うと眠くなるのは、授業中や会議中に「落ちていた」経験がどなたにもあることかと思う。

 私には元々不眠傾向があったが、年齢とともに夜中にトイレに起きるようになった。午前2時とか3時に目が覚めて、それから全く眠れず、そろそろ10分か20分位経ったかな、と思って時計を見ると5時近かったりする。自分では眠っていたことに気が付かずに眠っていたのだ。

 神経症性不眠の特効薬は最新の睡眠薬ではない。「眠りは与えられただけとる」という言葉のように、眠ろうとすることをやめるのが特効薬なのである。

2022年5月12日 (木)

神経質礼賛 1985.再来年の大河ドラマ

 検索サイトのニュースには必ずその週の大河ドラマの話題が組み込まれている。NHKが宣伝のために流しているのだろうかと思ってしまう。私は長年、大河ドラマは見ていない。史実と異なる部分が多かったり架空の人物が出過ぎたりすることがどうも気になっていけない。我が家では、毎週日曜日、妻が一人で大河ドラマを見ている。早くに放送される6時からのBS放送を見て、それから夕食を作り始める。妻が見ている間、私は邪魔をしないように自室で過ごしている。

 大河ドラマで人気を博すのは戦国時代モノや明治維新モノである。来年の放送は「どうする家康」だそうだが、早くも再来年の放送が紫式部(414話・1760話)を主人公にした「光る君へ」に決まったというニュースが流れた。昨今のウクライナ情勢のように、やりきれないニュースばかりの毎日には、平安時代の藤原道長(413話)の全盛期、血なまぐさい戦がほとんどなかった時代の話はいいかもしれない。華やかな女性の衣装も話題になるだろう。

 私が神経質と認めた歴史上の人物の中で紫式部は唯一の女性である。内向的な彼女にとってはプライバシーのない宮中生活は苦しかっただろうと思う。周囲の無神経で目立ちたがりの人物には怒りを感じながらもそんなことは表には出さずに内に秘めていた。それが紫式部日記の中では炸裂し、あの強烈な清少納言批判となったに違いない。夫と死別し一人娘を育てていたとはいえ、中流貴族で生活に必要な資産はあって、働かなくてはならないというわけではなかったはずである。しかし、教え子の中宮・彰子から深い信頼を寄せられ、その父・道長から高く評価され、自分が書いた物語を一条天皇が愛読されたのは、「生の欲望」を突き動かして執筆を続ける強いモチベーションになったのだろう。時には寺に籠ったり、実家に帰ったりして、上手に周囲と距離を置いて自分を保つことも忘れなかった。源氏物語は神経質の粘り強さが作り出した傑作だと思う。

 

2022年5月 8日 (日)

神経質礼賛 1984.ポピー(ヒナゲシ・コクリコ・虞美人草)

 高天神城跡からの帰り道、畑一面に真っ赤なポピーの花が咲いている所を見つけた。丘の茶畑のライトグリーンを背景にして見事な光景である。思わず足を止めて写真を撮ると、シャッター音に驚いたのか鳥がパタパタと舞い上がって行く。さらに道なりに歩いていくと道の両端にずっと白いマーガレットが咲いているところがある。後ろから自転車で走って来た小学生位の兄妹が「こんにちはー」と元気な声を掛けてくれて追い越していく。気持ちよく歩いていたら、だいぶ南の方にそれてしまった。バスは1時間に1本だけでまだたっぷり時間がある。

 家に帰ってから、さっきのは確かにポピーだよなあ、と思いながら『四季の花』というポケット図鑑を広げてみる。この本は浜松医大で助手をしていた時に買ったものだ。大原健士郎教授の回診の時には森田療法を受けている患者さんたちに、「今、花壇には何の花が咲いているんだね」などと質問されていた。答えられないと「神経質が足りない」と主治医も一緒にお叱りを受けることになる。さらには「花言葉は何だね」と尋ねられることもあった。だから白衣のポケットに忍ばせていたのである。ちなみにポピーの花言葉は「優しさ」だそうである。

 今ではニュースなどではポピーの呼び名が一般的であるが、かつてはヒナゲシと呼ばれることが多かったのではないだろうか。アグネス・チャンのデヴュー曲が「ひなげしの花」だった。フランス語の読みからコクリコとも言う。情熱の歌人・与謝野晶子が渡仏していた夫・鉄幹を追って再会した時の短歌「ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟」を思い起こす。虞美人草という呼び名もある。四面楚歌の故事で有名な項羽が愛した虞美人の墓から咲いた花だという。いろいろと文学的な想像を膨らませることができる花である。

 

2022年5月 5日 (木)

神経質礼賛 1983.高天神城跡

 昨日の朝は5時半に家を出て出勤。休みが続いている間に病棟の患者さんたちにはいろいろなことが起きているし、書かなくてはならない書類も発生する。予想通り電子カルテには報告事項が大量に溜まっていた。それをチェックしてから病棟に行って担当患者さんの様子を見て回る。幸い大きな問題は起きていなかったので、10時までには仕事を終える。

 掛川は普段通勤のため往復するだけであるが、一度行ってみたい場所があった。『家康 その一言』にも書いた徳川氏と武田氏の激戦地、高天神城跡である。両氏はこの城を巡って激しい争奪戦を繰り返していた。城主の小笠原氏は徳川方についており、三方原の戦の前年1571年、地形を生かしたこの堅固な城で武田信玄の二万余の大軍の攻撃に耐えていたが、1574年、やはり二万の大軍で攻めてきた武田勝頼についに落とされた。その後、長篠の戦で敗れた勝頼はこの城を重要拠点として守備を固めていた。一方の徳川家康は横須賀城を築き、さらに六つの砦を作って包囲して兵糧攻めを行った。兵糧が尽きても武田氏からの援軍はなく、城代の岡部真幸らは突撃して討死したのだった。拙著ではその際のエピソードを紹介している。

(家康の)執念深さを示す話がある。天正九年(1581)に家康は武田方の重要拠点だった高天神城を攻め落とした。その際、生き残った敵方の将兵たちは助けたが、一人だけ切腹させた武将がいた。それは、今川家の元家臣だった孕石(はらみいし)元泰。家康が今川の人質だった時代に隣家に住んでいて、しばしば家康が飼っていた鷹が迷い込むと「三河の小倅にはうんざりだ」と文句を言っていた。家康にしてみれば嫌がらせに思えて根に持っていたのだろう。二十年以上も経ってから、倍返しどころか千倍返しである。(『家康 その一言』 p.13-14)

 この孕石元泰は南を向いて切腹しようとしたところ、家康の家臣から「(浄土のある)西を向いて切腹するものだ。そんなことも知らないのか」と言われても改めず南を向いて果てた。その際、「十方が浄土でどこを向くも随意なり」と言ったとか「(浄土は)皆身(→南)にぞある」と言ったとも伝えられ、実は気骨のある人物だったように思える。

 掛川駅の観光案内所で高天神城跡のパンフレットをもらう。大東方面行のバスに乗り、20分ほどで土方というバス停で降りる。駅で乗った若い男性3人もここで降りた。どうやら目的地は私と同じらしい。しかし、バス停周辺には案内板が見当たらないので、みな右往左往である(実は100mほど先に大きな看板があったのを帰りに知る)。向かいの交番は留守で、地図も貼ってない。だいぶ遠回りをしたけれども、大手門近くの駐車場に行きつく。そこから石段の山登りだ。息切れがして時々休む。途中、二の丸方面への分岐点にはロープが張られ、「がけ崩れのため通行禁止」の札が出ていた。三の丸跡と本丸跡を見て引き返す。高低差100mほどと、さほど高くはないが、急斜面のため攻め上るのは難しかっただろうな、と実感したのだった。

 

2022年5月 2日 (月)

神経質礼賛 1982.葵舟

 昨日は昼から雨の予報。以前から気になっていた駿府城公園の葵舟の様子を見に行く。昨年から土日祝運行を始めた内堀一周の観光船である。最初の便が朝9時半なので9時少し過ぎに歩いて乗船券売場に行ってみると先客はいなかった。30分ごとに8人まで乗船でき、40分かけて内堀を一周する。料金は大人1200円。今は一周年記念で1000円になっている。

 私の後に夫婦二組が並び、5人で乗船。まずウエストベルトのような形のライフジャケットを腰に巻いてもらう。船内には半畳サイズの畳が2×4列並んでいて、靴を脱いで乗る。頭上はちょっと窮屈ながら透明ビニール屋根になっているので明るいし少々の雨に見舞われても大丈夫そうだ。スピーカーから解説が流れるが、船頭さんも操縦しながら解説をしてくれる。いろいろな年代の石垣の組み方の違いを間近に見ることができる。桜の季節であれば満開の桜を愉しんだり、花筏を眺めたりできるところだ。ツツジも終わってしまったけれども、新緑は美しい。一番の圧巻は水面から橋の下まで1mほどしかない所を通る時、舟の屋根が下がり、乗客は体を伏せる場面だ。ちょっとハラハラする。この特殊な舟は島根の松江城の観光用に造られたのだそうだ。舟は私が通学していた中学の横を通って行く。最後に、船着き場近くの石垣に近づいて、石組工事にあたった諸藩の石工によって刻まれた刻印を間近に見せてくれた。降りる時には、乗船時に一瞬だけマスクを外して記念に撮ってくれた写真をもらった。日常生活を忘れたひと時を過ごすことができた。

 

2022年5月 1日 (日)

神経質礼賛 1981.規制解除後の連休

 新型コロナ対策の規制が解除された連休は3年ぶりである。新幹線は旅行や帰省の人々で賑わっている。街も買物客にぎわっている。ニュースではハワイなど海外旅行へ向かう人々の様子が伝えられている。ただし、私の勤務先の規定ではまだ県外へのお出かけは控えることになっていて、外食も禁止のままである。私も今日から5連休。とはいえ入院したばかりで状態が心配な患者さんもいるので、中1日は自主的に出勤して病棟を回る予定だ。

 連休前、知床の観光船事故の痛ましいニュースがあった。まだ行方不明者の捜索は続いていて海底深く沈んだ船が発見されたところである。そもそも波が穏やかな瀬戸内海で使われていた古い観光船であり知床で使うのは無理だったとか、スタッフが辞めてしまって操縦技術が未熟だったとか、無線が故障し衛星電話も使えずケータイだけが連絡手段だったとか、座礁事故をすでに起こしていたとか、波が荒く風も強く出航は止めた方が良いという周囲の忠告を振り切って無理に出てしまったとか、安全意識の欠如がこれでもかこれでもかと明るみに出ている。管理会社は人命よりも利益最優先だったと非難されても仕方がない。神経質が足りないとこういうことになるのである。「ちょっとくらい大丈夫さ」が重なった時に大惨事は起きる。

 今日は全国的に雨予報だが、連休後半は好天に恵まれそうだ。規制解除の開放感はあるけれども、新型コロナがおさまったわけではない。感染には十分に気を付けながら、安全に連休を楽しみたいものである。

 

2022年4月28日 (木)

神経質礼賛 1980.症状は言わない

 精神科の外来では初診の時には生活歴や病歴について細かく尋ねるので30分から1時間を要するが、それ以降の再診ではそんなに時間をかけられない。1時間に10人位のペースで診察しなくてはいけないので、一人当たり平均6分になる。病状が悪化している人の診察や、本人の同意のもと職場の上司がついてきて復職について話をするような状況だと20分前後かかってしまい、その後が大渋滞となる。もっと話をしたい・話を聞いて欲しいという患者さんが臨床心理士によるカウンセリングを希望することがある。現状では保険診療で追加料金をいただくわけにいかないので、全くのサービスである。臨床心理士さんのマンパワーは限られているので、あまりカウンセリングに向かない方はお断りしている。自己洞察困難でただただ不満を吐き出してスッキリしたい、というような方ではカウンセリングの効果は期待できないばかりか、過去のできごとを反芻してかえってとらわれを深めてしまうこともあるからだ。

 神経症、特に強迫の人の場合、症状を事細かく言いたがる傾向がある。後から後から「それから・・・」と話を続ける。細かい字でびっしりと症状について書いた紙を何枚もまとめて渡して「読んでください」という人もある。実は、それをやっているから症状の呪縛から抜け出せないのだ。森田先生は次のように言っておられる。

 私のところの治療法では、入院中に、神経質の患者に、自分の症状の事を、一切、口外させない様にする。患者は、初めの間は、当分、とやかくと、容体を訴え、治ったとか治らないとか、いろいろといいます。理解の悪い人は、いくらいわないようにといっても、なかなかやめない。面白い事には、時々、心悸亢進とか足がしびれるとかいう患者に、一週間または十日間、決してその事をいわないという事を約束させて、わずかその間の短い日数以内に、いつの間に忘れたのか、本人の知らないうちに、治ってしまい、本人はもとより、治療者の私までも、その不思議に驚く事があります。
 それは実は、そのままになりきる事・禅でいわすれば「心頭滅却」であって、苦しいまま・恐ろしいまま、雑念・煩悶・強迫観念のままにただ無言でいるだけの事です。治ったとか治らぬとか、問題ではないのであります。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.507)

  森田療法では「症状は不問」として症状よりも日常生活に目を向けさせ健康人らしく行動していくよう説いている。行動本位の姿勢が身に付けば、日常生活が充実するとともに、いつしか症状の呪縛から解放されているのである。

 

2022年4月24日 (日)

神経質礼賛 1979.石田組

 一昨年、らららクラシックというTV番組で硬派弦楽アンサンブル石田組を紹介していた。「組長」の石田泰尚さんの姿を見てびっくり。どう見てもヤ〇ザのオニイサン。もしも電車に乗っていてこんな人が横に座って来て足を大きく広げたら、絡まれるのが怖いから、小心者の私はそそくさと逃げ出すだろう。しかし、ヴァイオリンのテクニックは物凄い。クラシックからロックまで幅広いレパートリーを弾きこなす。本職はもちろんヤ〇ザではなく、神奈川フィルの首席ソロコンサートマスターをしておられる。最近、FM番組で石田組の演奏を聞いた。ネット動画で見ることができて視覚的にインパクトが強いけれども、音だけ聞いてもグイグイ惹きつけられる。  石田組というタイトルのデビューアルバムCDを買ってみた。最初の曲はTVでも紹介された紫の炎というロック曲。組長の激しい演奏に触発されたかのように、地味なヴィオラの「組員」までが弾け出してソロを披露して、組長と丁々発止の掛け合いを演ずる様が面白い。その後はU.K.やレッド・ツェッペリンのロック曲、リベルタンゴで有名なピアソラの曲、映画音楽が並ぶ。しかし最後は弦楽の定番曲・レスピーギ作曲リュートのための古風な舞曲とアリア第3組曲できっちりと締めくくっている。外見とは裏腹に、とても真面目な人であり、繊細な神経の持ち主であることがうかがえる。弦楽合奏というと堅いイメージがあるが、クラシックファンの裾野を広げてくれそうだ。こういう組長ならば大いに結構である。

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