2012年5月18日 (金)

神経質礼賛 786.風薫る

 5月の連休明けから、やっとマスクをはずした。インフルエンザ対策、そして花粉対策のため、外出時はいつもマスクを付けていた。それがなくなったら身も心も軽くなったような気がする。通勤列車の車窓から見える茶畑は鮮やかなライトグリーンに輝いている。街を歩けば製茶所から爽やかな新茶の匂いが漂ってくる。街路樹の緑も美しい。こんな中、天気の良い日は、つい、五月(さつき)晴れと言いたくなるが、5月には五月晴れと言ってはいけないのだそうである。本来、6月(旧暦の五月)の梅雨の合間の晴天のことを五月晴れと呼ぶのである。この誤用はTVアナウンサーにもみられる。神経質としては気を付けたい。

 5月の時候の挨拶に使われる言葉に「薫風の候」というものがある。そよ風が運んでくれるすがすがしい新緑の香りを連想させる実にいい言葉である。この言葉を私に教えてくれたのは中学の時の担任の先生である。理科の先生だったが、文学歴史にも造詣が深く、生徒たちからは本名の植松先生ではなく「植麻呂」と呼ばれていた。植麻呂先生はのちに中学校長を歴任された後、教育長になられた。「風薫る5月が一番好きです」と言われたのがつい昨日のようにも思える。

 最近のニュースで気になったことがある。ツバメの数が減っている、というものだ。そういえば街中ではほとんど見かけなくなった。大規模な調査が行われている石川県ではツバメの数は40年前の3分の1に減少したとのことである。森林や農地が減ってエサが減ったこと、住宅の壁が巣作りしにくい素材になってきたこと、天敵のカラスが増加していることが原因なのだそうだ。ツバメが住みにくい環境になったというわけだ。古くから日本人の生活と密接に関わってきたツバメがいなくなってしまうのは何とも寂しい。勤務先の病院は鉄骨建築にもかかわらずツバメが巣を作っていて、毎年この季節はツバメの親子たちで賑わう。直接外壁に巣を作るのは難しいとみえて、換気扇の吹出し口を覆うフードの上や照明器具の横を利用して巧みに巣作りしてある。ツバメも生きていくために創意工夫しているのだ。病院は山の中腹にあるので自然が残っているし、カラスも少なくて安全である。ヒナたちにせっせとエサを運ぶ親ツバメ、そして口を大きく開けてエサをねだるヒナを見ていると、こちらも元気をもらえる気がする。森田正馬先生の「純な心」「生の欲望」という言葉を思い浮かべる。

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2012年5月14日 (月)

神経質礼賛 785.金環食と日食グラス

 ちょうど一週間後5月21日(月)朝には東京をはじめとする関東~東海~近畿南部~四国・九州南部で金環食が観察できる。TVのニュースや新聞などで話題になっていて、御存知の方も多いことと思う。一昨日、近くの東急ハンズに行ったら、399円の紙製の日食グラスが並んでいた。昨日の午前中に行ってみると、すでに完売となっていた。よく行くホームセンターのチラシにも日食グラス686円とあったが、行ってみたらすでに売り切れていた。次の本格的な日食は203592日の皆既日食(能登半島~茨城県を結ぶラインで観察可能)なのだそうで、私には今回がラストチャンスのように思える。

 自宅には若い頃使っていた天体望遠鏡の接眼レンズに取り付ける太陽観察用のサングラスがあったはずだが、いくら探しても見つからなかった。こうなったら自作するしかない。私が小学生の時には日食を見るためにプレパラートにロウソクの炎で黒いススを付けたものを使ったり、黒い下敷きを使ったりした。しかし、これでは遮光が不十分で網膜を痛めるおそれがある。カラーネガフィルムもいけない。市販品の日食グラスにも危険なものがある、と新聞にあった。家の中の蛍光灯がハッキリ見えるようではダメなのだそうだ。試しに真黒く感光したカラーネガフィルム(古い一眼レフで撮影したフィルムには真黒い端の部分がある)を探し出した。そのままでは明るすぎて不十分ながら、2枚重ねてみると、ちょうど良い具合である。蛍光灯がボンヤリ見える程度にまで暗くなる。3枚重ねると暗くなりすぎて使い物にならない。そこで、学会発表のスライドで余ったワクに真黒ネガフィルム2枚を重ねて挟み込んで日食グラスの完成である。調子づいて同様の物を6枚も作ってしまった。実際にこれを使って太陽を見てみた。白黒でなくカラーネガフィルムのため茶色っぽく見える。長時間でなければ大丈夫そうである。本番では念のため濃いサングラスをかけた上でこのフィルターを通して観察してみようと思う。文字通り製作費ゼロ円の神経質製日食グラスである(これで絶対に安全だという保証はありませんので、同様の物を使われる場合自己責任でお願いします)。

 当日、金環食となる朝7時半頃は、駅を降りて病院へ向かう職員送迎車を待つ時間であるから、駅前の広場で見られるはずである。交番近くの安全な場所で見るようにしよう。後は好天を祈るばかりである。

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2012年5月11日 (金)

神経質礼賛 784.メンタルヘルス検査義務化の愚

 5月3日毎日新聞第1面に『検査義務化「拙速だ」 メンタルヘルス 専門家から批判』という見出しの記事があった。厚生労働省が自殺・うつ病対策のためにメンタルヘルス検査を職場で行うことを義務化しようとしているが、この検査は科学的根拠が薄く、一人当たり350円の検査を3000万人の労働者に行えば、105億円の金がかかる。ストレスが高い人を早期発見するのが目的だというが、専門家たちからは「ストレスが高い人が必ずしもうつ病のリスクが高いとは限らない」「効果が実証されないのに費用を投じるのは無駄」「検査の結果、機械的に精神科受診を勧められたら医療機関が混乱する」といった批判が上がっている。例の腹囲を測定する「メタボ検診」の二の舞というわけだ。さらに新聞第3面には厚生労働省の官僚たちが強引に法制化しようとするウラ事情が載っていた。産業医や保健師が参加している日本産業衛生学会のホームページに、この検査の義務化に反対する意見が掲載されたのだが、厚生労働省から圧力がかかって、反対の文字は消えたという。法改正で「実績」をあげ、利益を得ようとする官僚たちの暗躍があるのだそうだ。何のことはない、国民のためではなく官僚たちのための法改正である。都合の悪い言論を封殺するようでは近隣某国と大差ない。

 ちなみに、この検査は9項目からなり、最近の1カ月、

①ひどく疲れた

②へとへとだ

③だるい

④気がはりつめている

⑤不安だ

⑥落ち着かない 

⑦ゆううつだ

⑧何をするのも面倒だ

⑨気分が晴れない

という質問に対して、ほとんどなかった(1点)、ときどきあった(2点)、しばしばあった(3点)、ほとんどいつもあった(4点)を選択させ、合計点で判定するというものだそうである。神経質な人だと不調を強く感じやすく、スコアが高くなる可能性がある。

 この質問紙には見覚えがある。以前、私は国のある機関のメンタルヘルス相談を委嘱されたことがあって、この種の質問紙で点数が高い職員が相談対象となっていたが、こういう質問紙の点数で抽出することに意味があるのか、と疑問に思っていた。疲労感や抑うつ感を押し殺して無理に働いている人の方が本当は危ないのではなかろうかと。

 

 今週の月曜日、連休明けの外来は多くの新患の方たちで大変混雑した。その中には、ここ3カ月間全く休みがなく連休も出勤しなければならず、ついにダウンした、という人がいた。まだ子供さんは小さく普通の会社ならば休日に加えて育児休暇も取れるはずなのだが、毎日帰宅が遅く普通の休日すら休めないのではおかしくなって当然である。この人が働いている会社は世間的には優良企業と思われているが、過重労働や職場内のパワーハラスメントのために具合が悪くなって受診する社員が多い企業である。意地の悪い言い方をすれば、「適応障害」や「うつ病」社員を効率よく大量生産する企業ということになろう。残念なことに、成果主義・人件費削減の旗印のもと、最近はこうした企業が増えている印象がある。さらには、社員予備軍、就活学生さんたちの消耗も激しい。5月8日付読売新聞夕刊には「就活失敗し自殺 急増 10-20歳代 4年で2.5倍に」という見出しの記事が載っていた。メンタルヘルス検査義務化よりも、もっと厚生労働省がやらなくてはならないことがあるはずだ。

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2012年5月 7日 (月)

神経質礼賛 783.運と不運

 6年前に出た本だが、将棋の米長邦雄さんが書いた『不運のすすめ』(角川書店)という本を読んだ。米長さんといえば一昔前、中原誠名人とトップの座を争った棋士であり、中原さんの「自然流」に対して「泥沼流」と呼ばれていた。現在は引退して日本将棋連盟の会長をしている。最近では将棋ソフト「ボンクラーズ」と平手の勝負に敗れて話題となった。概して勝負師は強気の人が多い。例えば加藤一二三(九段)さんはNHK将棋講座の講師をすれば自分が勝った将棋ばかりを例題にして自画自賛していたし、対局中に立ち上がって相手を威圧する盤外戦術(?)も有名である。屋敷伸之(九段)さんのように講座で自分が負けた将棋ばかり例題に出して反省しているような人は例外中の例外だろう。米長さんも強気の発言がしばしば新聞に取り上げられ、神経質人間の私からすれば、正直言ってあまり好きになれない棋士の一人だった。しかしこの本を読んで、米長さんのイメージは少々変わった。米長さんとて人の子。いつも強気のようでも、スランプに悩み、プレッシャーに苦しんでいたのだ。この本の中で米長さんは、「不運」と「幸運」は表裏一体の関係だとし、「幸運」だけでは人生は勝てない、人生はいかに勝つかでなくいかに負けるかである、将棋も人生も勝ったり負けたりで勝ちっぱなし負けっぱなしということはない、勝っても負けても幸福になりうる生き方を追求すべきだと説いている。泥沼流の米長さんが長い勝負師人生の末につかんだのは「負けるが勝ち」(276)ということだったのではないだろうか。

 面白いのは、勝利の女神に好かれ貧乏神を遠ざける勝負の極意は、勝ち続けている時には自分の負け将棋を並べて欠点を直し、スランプに陥って落ち込んでいる時には自分の勝ち将棋を並べて「俺は強いんだ」と納得することなのだそうだ。これなどは、気分変動に悩む人に応用がききそうだ。気分が上がっていると人に干渉して嫌われたりお金を浪費したり余計な仕事を抱え込んだりして後でうつに転じる原因をつくってしまう。そんな時には過去の失敗を思い出してやり過ぎていないかどうかチェックすれば、自然とエンジンブレーキがかかる。気分が落ち込んでいる時には、過去の成功体験を思い出してみる。自分は決してダメなわけではない、と思えてくる。そして、必ず持ち直すだろうという希望が出てくるだろう。

 この本では晩年の過ごし方もテーマになっている。60歳過ぎの男性の悩みの一つはやがてくる死への恐怖、もう一つが定年退職して肩書も収入もなくなった自分に自信をなくすこと、と言われている。米長さんは、定年になったら、それまで大事だと思っていた学歴・地位・収入・仕事の実績・プライドといった古い物差しを捨て去るようにアドバイスしている。これは他人事ではない。私にもそういう時がやって来る。しかしながら、仕事をやめてすべて捨て去った時にも森田道だけは残るだろう。さんざん対人恐怖や強迫観念に悩んだ御褒美である。これはとても「幸運」なことだと思う。

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2012年5月 4日 (金)

神経質礼賛 782.海ぶどう

 時々立ち寄る沖縄ショップ「わした」で買物をしていたら、レジの近くに海ぶどうという海藻が置いてあった。全体が薄い黄緑で、小さな房状の形をしている。100g入りの小さなパックが650円。海ぶどうは今まで食べたことがなかった。昔、那覇の牧志市場でよく見かけたし那覇空港の土産物屋にもあって興味は持っていた。先日、沖縄の食をテーマにしたBSの番組で海ぶどう丼が登場したのを思い出して買ってみることにした。パッケージには「冷蔵庫に入れないで下さい」と書いてある。店員さんも同じことを言っていた。神経質人間ゆえなぜだろうと疑問を持つ。さらに、普通の海藻類は水に浸して塩抜きして食べるのに、「ザルに入れて軽く水洗いして」という説明書きもなぜだろう、と思う。

 説明の通りザルに入れて軽く水洗いしてから水を切って、ガラスの器に入れるときれいで食べてしまうのがもったいない感じである。一房取って、そのまま食べてみる。口に入れた時にはあまり味はしないが、噛むとプチプチした食感がとても楽しい。そして、じわーと磯の味が口の中に広がる。添付のタレをかけてみる。これもさっぱりした味でなかなかいける。リピーターになってしまいそうだ。

 プチプチの粒の中には海水が蓄えられているのだろう。海ぶどうの味は、美しい沖縄の海の味に他ならない。多分、水に漬けてしまったら浸透圧の関係で塩分が出てしまうとともにプチプチの食感がなくなってしまうのだろう。冷蔵保存も水滴が付いてそういう問題が発生するからではないかと考えた。理屈はともかく、今度は泡盛を片手にあのプチプチを楽しみたいものだ。

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2012年5月 2日 (水)

神経質礼賛 781.大型バス事故

 大型連休が始まったばかり先月29日の早朝、関越自動車道で夜行の大型バスが事故を起こし、金沢から東京都内やディズニーランドへ向かっていた乗客のうち7人が亡くなる大惨事となった。事故の際、ブレーキをかけた痕跡はなく、直接の原因はバスの運転手の居眠り運転である。特に渋滞していたわけでもないのに、わざわざ遠回りのルートを走っていたなど疑問点も残る。運転手の取り調べには中国語通訳が必要だということで、まだ時間がかかりそうである。それと並行してバス会社の管理が適切だったかどうかの調べが行われている。民放のニュースでは会社側がコストを下げるために安全をおろそかにしていた実態を報道している。

 最近、居眠り運転の車が登校中の小学生の列に突っ込むという大事故が続いていた。ニュースでそういった事故を知れば、神経質な人は自分が事故の現場に居合わせたような恐怖を感じるとともに、「もしも、自分が運転して居眠り事故を起こしたら大変なことになってしまう」と恐れて安全運転に気を付けるところだが、神経質が足りない人には全く他人ごとである。

 今回の事故では防音壁がまるで包丁のようにバスの前面から後部近くまで車体を縦に切り裂いていた。これではいくらシートベルトをしていても乗客は助かるまい。バス車体の軽量化の危険性とともに、防音壁の構造上の問題を指摘する新聞記事もある。今までこういう事故はなかったけれども、心配性の神経質人間が道路を設計していたら、防音壁の端がバスやトラックの前面に当たる事故を想定して、防音壁の端を外側に開いた構造にするとか、ガードレールと防音壁の位置関係を工夫するなどして、大惨事になるのを防げたかもしれない。新聞によれば、全国の道路には同じような構造の箇所が数多くあるという。早急に改善してほしいところである。

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2012年4月30日 (月)

神経質礼賛 780.人生観が変わった

 前々話で、森田療法は神経症(不安障害)症状を改善するだけでなく、心身ともに健康にし、仕事や勉強や家事の能率があがる、ということを書いたが、その根本について森田正馬先生はさらに次のように述べている。

「またここの全治患者の、よくいう事であるが、それは例えば、自分の不眠や赤面恐怖の治った事は嬉しいが、それよりもさらに有難い事は、日常生活に能率があがるようになり、人生観の変わった事であるとかいう事である。

 しかしこれは物の本末を誤り、部分と全体とを思い違えたものである。それは、人生観が変わったから病気が治ったのである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.139)」

 神経質人間は悪いところ探しの名人でもある。誰にでも起こりうる不安をことさら過大評価して、自分ばかりが特別苦しいと言い立て、そういう差別観で見れば「症状」ということになる。そして、それをなくそう、避けようと「はからいごと」をしていてはますますとらわれの悪循環となって「症状」の深みにはまっていくのである。例えば、寝つきが悪いながら実際には十分に眠っていて「一睡もできない」と訴える不眠症。人前で緊張し「あがる」のは誰しもあるのに、自分だけが苦しいのは気が小さいからだとクヨクヨ悩む対人恐怖。不安になれば胸がドキドキし息苦しさを感じることは誰でもあり、心臓病でもなければそのために死ぬ心配はないのに、このまま死んでしまうのではないかと大騒ぎする不安神経症(パニック障害)。完全にミスをなくしたり完全に清潔にすることは不可能なのに必要以上に何度も確認したり儀式的に手を洗ってしまう強迫神経症(強迫性障害)。タイプは異なっても共通のメカニズムで「症状」が起きているのである。

森田療法では、個々の「症状」をどうこうしよう、ということはしない。不安な気持ちはそのままにして、仕方なしに目の前のやるべきことをやっていく。することがなければ仕事を探すのも仕事のうち、と指導する。苦しいまま行動していくうちに、苦しくても行動はできるのだ、という事実を体感する。そして誰もが苦しみながら行動しているのだ、とわかってくる。これが平等観である。森田の立場からすれば神経質は病気ではない(「神経質は病氣でなくて、こんな仕合せな事はありません」森田正馬全集 第4巻 p.386)。だから、差別観が平等観に変わる、つまり人生観が変われば、とらわれの悪循環から解放されて自然と「症状」も消失しているし、神経質性格を生かして上手に気を配って行動するようになって、仕事や勉強がはかどるようになっているのである。

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2012年4月27日 (金)

神経質礼賛 779.高価な治療器

 不眠を訴える高齢男性が初診でやってきた。なかなか眠れないし、眠っても途中で目が覚めてしまって困る、と言う。かかりつけの内科の先生から弱い抗不安薬と短時間型睡眠薬が処方されている。この人は定年退職してからも長いこと別の職場で働いていた。その仕事を辞めてからというもの暇を持て余して、午前中は近所の健康器具販売所に通い、そこで過ごしているのだそうだ。販売員が「△△堂大学病院にも入っている」と言うその機械を無料でかけてくれるということで「タダなら」と思い毎日通っていた。今回眠れない症状が出てきたので販売所の人から強く勧められてついに53万円もするその機械を買った。「精神科の薬を飲んだら機械の効果が出なくなるから飲んではいけない」と言われて薬をやめたとのこと。この機械は電位治療器と呼ばれるものの範疇に入り、一応は認可を受けて製造しているものだ。これだけ高価な機械であれば少なくともプラセボ効果が出そうなものだが、「パワー○○○」と称するその機械はこの人には効果がなかったようだ(○○○には健康を意味する言葉が入る)。

 御本人は見るからにお元気そうで食欲低下・体重減少もない。眠れないことにだけこだわっている。付添の御家族に聞けば、眠れないからと言って朝は10時頃まで寝ているそうだ。当ブログを普段からお読みの方々はすでにおわかりだと思うが、これは不眠というより不眠に対する過度のこだわり、つまり神経症性不眠である。「一番大切なのは生活のリズムを作ることで、眠れようと眠れまいと朝は6時とか7時とか決まった時刻に起き、なるべく明るい外に出るようにする。風呂は熱くしない(この方の場合42℃の風呂に入っている)」という注意をした上で、それでも眠れなくて辛ければ、内科で処方された睡眠薬を飲むか、この漢方を飲んでみて下さい、とツムラ抑肝散を処方しておいた。

 無料と称する治療器の施術はとんでもなく高くつくことになる。それに対して、生活リズムを是正し不眠を相手にしない森田療法的アプローチは極めて安上がりである。そしてその通りに実行すれば着実に効果がある。どちらがトクか。よーく考えるまでもないだろう。

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2012年4月23日 (月)

神経質礼賛 778.医者いらず

 古くから「医者いらず」と呼ばれているものがいくつかある。アロエはその一つであり、食用と外用と両方の使い方がある。また、「リンゴ1個で医者いらず」とも言う。リンゴにはビタミン類が豊富に含まれている。同様に「みかんが色づくと医者は青くなる」という言葉があって、みかんを摂取することで病気が防げるということだろう。日本では「大根おろしに医者いらず」と言う。大根はビタミン・ミネラルが豊富な上に消化酵素を含んでいて胃腸によい。

 しかし、これさえ摂っていればいい、というものでもない。最近も納豆が良いとか皮が黒くなりかけたバナナが良いとか酒粕が良いとかいろいろブームがあったけれども、やはりそれだけに偏ってはダメである。結局はバランスよく栄養を摂り、食べ過ぎない・・・「腹八分目に医者いらず」なのだろう。体が弱く神経質だった貝原益軒(605)の養生訓である。

 養生訓は日本だけではない。12-13世紀、イタリア南部サレルノの医学校の規則には古代ギリシアの健康法を取り入れられた「サレルノ養生訓」というものがあり、「笑いと休息と節制のあるところに医者要らず」とあったそうだ。食物や酒を節制して、適度な休養を取り、笑いのある生活をしていれば、病気になりにくいというわけである。

 考えてみれば、森田正馬先生の療法も、適応力を高めて心身ともに健康にしていく、いわば医者いらず生活法を体得させるものだったと言えるかもしれない。森田先生は患者さんたちの前で次のように言っておられる。

「ここで全治した患者が、風邪をひかぬようになるという事は著明の事です。ここの療法は、冷水摩擦をやるとか、皮膚を鍛えるとか、決して特殊の強健法というものはなく、ただ自然に従って適応性になるだけの事である。それで風邪をひかなくなるが、つまり日常の生活に心のゆるみがなくなるからである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.138)」

単に神経症(不安障害)の症状を治療するのではなく、心身全体を健康的にし、さらには仕事や勉強や家事がはかどるようにもする、というのは森田療法ならではである。

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2012年4月20日 (金)

神経質礼賛 777.ラッキー7

 以前、縁起の悪い語呂合わせという記事を書いた(444話)。逆に縁起の良い数字はどうだろうか。日本では古くから8という数字が好まれる。漢数字の八が扇を広げた形を連想させ、「末広がり」ということで縁起がいいとされてきた。語呂合わせでいくと「11」(いい)とか「41」(よい)は好まれる。車のナンバー「1111」は人気が高い。以前勤務したことがある老人病院の電話番号は「2525」(ニコニコ)だった。そういえば「4126」(よい風呂)を電話番号として宣伝していた伊東のホテルがあった(このCMソングの作詞者は作家の野坂昭如さんである)。

一方欧米で7という数字がラッキー7と呼ばれ、好まれるのはどうしてだろうか。ハッキリした理由はわからない。1週間を7日とした古代のユダヤ人は旧約聖書の中で、神は6日間で天地を創造し7日目には休息した、としていた。それがキリスト教にも受け継がれて7が特別な意味を持ち続けているのかもしれない。

 野球では7回をラッキー7と言う。高校野球や大学野球ならば校歌を歌って盛り上げる回であるし、プロ野球の某球団の試合ではファンたちが風船を放つ(神経質人間から見ると、後片付けが大変だろうな、と気になる)。それまで相手の投手に完全に押さえ込まれていても、7回位になれば疲れも出てきて打ち込みやすくなる。また、心理的に見ても、投手が勝ちを意識したり完投を意識したりして投げ急いで失投が出やすい頃でもある。試合時間も開始から1時間から1時間半くらいになって、集中力が途切れて守備のエラーも出やすくなる。だから7回には試合が大きく動きやすいので攻撃側にとってはラッキー・イニングになりやすい。とはいえ、野球の歴史はそんなに長いわけではないので、7が縁起がよいとされるのは野球が起源とは考えにくい。

  日本で縁起の悪いとされる四や九であろうが縁起が良いとされる八であろうが同じ数字である。キリスト教圏の欧米で縁起が悪い13であろうがラッキー7でも同じ数字であって、そこに意味づけするとおかしなことになる。神経質人間には縁起を気にする人はよくいるけれども、あまりこだわっていると強迫観念になってしまう。ラッキー7もほどほどにした方がよいだろう。

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