フォト
無料ブログはココログ

神経質礼賛 2032.光回線への切替

 かれこれ15年ほど家のインターネットは月額税込で2800円ほどの安上がりなADSLを利用してきた。電話局からの距離が離れていて高周波が減弱するため通信速度は実測値で3Mbps程度といったところだった。今まで光回線への切替を勧めるキャンペーンのセールスが何度もあったけれども、特に不自由しているわけではないので断ってきた。しかし、今年に入って、県内の一部地域ではADSLの利用が終了となってきて、このままではまずい、という状況になってしまった。そのタイミングでセールスが来たので一番安上がりな30Mプランで即決である。

 回線業者と新しいプロバイダへの支払いはカード払いにする手続きをネットから行う。10日ほどして工事日の確認の電話が入る。予定日は1か月近く先だった。台風シーズンなので気になる。工事日当日は台風襲来の直前。雨が降ったりやんだりで風は少し強かったが、作業員2人がクレーン付きの車で来て、作業時間は実質40分ほどで済んだ。この日からネットは光回線になり、実測で24Mbps程度にアップした。しかし、従来のADSLのプロバイダを止めてしまうわけにはいかない。というのも、このブログが利用しているココログは従来のプロバイダのサービスだから解約するわけにはいかないのである。連絡して一番安いADSL1.5Mというプランに変更してもらい、形だけ会員を維持する。今まで使っていたADSLモデムはレンタルなので返さなければならない。最初に送られてきた時の箱は神経質らしく保管してあったので、スムーズに梱包することができた。それを宅急便の営業所に持ち込む。「手書きの伝票にしますか?それとも入力しますか?入力の方が少し安いですよ」と言われて、タッチパネル入力でやってみることにした。慣れていないので結構時間がかかった。宅急便もいずれは手書き伝票がなくなっていくのだろうか。まだやることはある。今週に電話機の回線も光に切替るため、その日に自分でコネクターの差し替えをしなくてはならない。長年利用してきた電電公社→NTTともお別れだ。一通り終わって問題がないことを確認したら、3か月間無料の設定サポートを利用しているので、忘れないうちに解約する必要がある。0120の電話でコールセンターに連絡するのだが、これも手間と時間がかかりそうだ。面倒だけれども一つ一つ片づけていくしかない。

 今回のことでアカウントとパスワードがまたまた増えた。さらに高齢になったらいずれ管理しきれなくなる心配がある。デジタル社会は本当に便利なのだろうか。逆のような気がしてならない。ともあれ、どんどんデジタル化・見えない化・流動化が進んでいく中を生き抜いていくしかないのである。

 

2022年10月 1日 (土)

神経質礼賛 2031.逆境を生きる

 9月30日・10月1日と二日続けて毎日新聞朝刊のくらしナビのページに「お金とわたし」と題して、お笑い芸人パトリック・ハーランさん(パックン)のインタビュー記事が載っていた。パックンは両親が離婚。彼を引き取った母親は一時無職で生活保護を受ける厳しい状況にあった。彼は穴の開いた靴を履き続け、周りの友達のように遊ぶことができず、10歳から新聞配達をしていたそうである。「お金がなくても絶対に死なない。なんとかするぞと知恵を働かせて生きてきた」と言う。それでも自分は恵まれている、めちゃくちゃラッキーだとも述べている。少数民族だったり、病気があったり、容貌に恵まれなかったりして、もっと大変な人がいる、という謙虚な気持ちを忘れないところがいい。彼のように厳しい境遇にいたら自暴自棄になり、周囲に八つ当たりしたくもなるとことである。奨学金などの援助を受けながらも、できる限り自分の力で道を切り開いてきたところに価値がある。

 逆境はその人にとって試金石である。自分だけが苦しい、自分ばかりがひどい目に遭っているという差別観(631・1312話)で見るか、誰もが苦しみながら生きているのだ、自分よりもっともっと大変な人は世界にはいくらでもいる、という平等観で見るか。そしてどう行動するかで先が左右される。逆境と向き合うことで人は精神的に成長する。そして、それを乗り越えた時には磨きがかかって輝く存在になっている。

 

2022年9月29日 (木)

神経質礼賛 2030.ガチャポン

 近頃ネット記事、さらには新聞記事で「親ガチャ」という言葉を目にするようになった。子供は親を選べない。裕福な恵まれた家に生まれるか、貧しく不安定な環境の家に生まれるかで人生が大きく左右される。さらには親から受け継いだ遺伝的な容姿・才能も選べない、ということらしい。私はてっきり自動販売機から出てくるカプセルトイ(丸い透明プラスチックに入った玩具)、あるいはその販売機ガチャポン(ガシャポン)が語源かと思っていたら、ネットゲームの「ガチャ」が元なのだそうだ。ケータイやスマホのゲームを全く知らない人間なので、ネット常識が欠如していていけない。

 さらには就活生の「配属ガチャ」「上司ガチャ」などという言葉も見かけるようになった。就職してどんな部署に配属されるかはわからない。やりたい仕事ができるかどうか、いい上司と巡りあえるか、それともパワハラ上司に当たってしまうか、運次第でありそれによって人生の流れが変わってくるから不安になるということだ。

 しかしながら、こういったことは、いつの世でも同じである。親を恨んでも職場を恨んでもどうにもならない。不満はあれこれあっても、とりあえずできる工夫をしながら、今の環境で精一杯やってみることである。うまくいかない時には応援者を探したり、理不尽なことには声を上げたりすることも必要な時もあるだろう。森田の言葉で言えば「自然に服従し境遇に従順なれ」(828話)、同話で紹介した渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」ということになる。人生はクジのように当たりとハズレがハッキリ決まっているわけではない。塞翁が馬(201話)の故事の通りである。長い目で見れば、大当たりだと思っていたのが実はハズレだったり、逆にとんでもない貧乏くじを引いたと思っていたことが幸運につながったりすることだってあるのだ。

 

2022年9月25日 (日)

神経質礼賛 2029.線状降水帯と停電・断水

 一昨日の秋分の日は朝のうちに墓掃除をして香花を供えておく。熱帯低気圧から台風になったばかりの台風15号が翌日には直撃しそうなルートを動いている。夜から叩きつけるような大雨になり、雷も鳴り始めた。土曜日は勤務があり、鉄道の運行状況を気にしながら早めに寝た。夜中の2時頃目が覚めてトイレに行こうとするとおかしい。常夜灯が消えていて真っ暗であり、雷のフラッシュが断続的に窓から入ってくる。激しい雨も続いている。手探りで自分の部屋に行って懐中電灯と充電中のスマホを取ってくる。4時には起きて着替える。5時位になると雨はやんできた。玄関を開けて家の前を見ると、車用の段差プレートが打ち上げられていた。おそらく、家の前の道路が水深20cm位の川状態になっていたのだろう。連結したプレートは1か所、細いチェーンでポールに繋いであったので流されずに済んだ。段差プレートを直していると、新聞配達の人が来て「大丈夫ですか」と声をかけてくれた。新聞を直接受け取る。路上には他の家から流されてきた段差プレートや車止めのコーンや植木鉢などが散乱している。近くの交差点では信号が消えたままである。

 スマホでJR東海のホームページを見ると、東海道新幹線・東海道本線とも運休。運転再開は正午過ぎの見込みとのことだ。停電の状況はよくわからない。水道は普通に出るし、家のトイレは電磁式でなくレバー式だから問題なく使えて、助かった。最近のトイレだったら停電でアウトだ。だんだんスマホからネットに繋がりにくくなる。昔使っていたポケッタブルラジカセを引っ張り出して単3電池を入れ、ラジオのニュースから情報を得る。静岡駅に行ってみると、コンコースは人が溢れ、寝ている人もいる。線路上の新幹線車両にはまだ閉じ込められている人たちがいるらしい。運転再開はやはり正午以降の見込みとのアナウンスが流れているので、一旦帰宅。途中の商店は冠水のため開店は午後になるという張り紙がある。停電も続いている。再度、駅に行ってみると、在来線は複数個所でトラブル発生のため復旧のめどは立たない状態。新幹線ホームに並んで待つ。向かいの上りホームには本来静岡駅に止まるはずのない「のぞみ」が来て20分以上停車。その後もいくつか上り列車は来たが、どうやら昨日の列車なのだろう。ホームには長蛇の列ができる。やっと最初の下り電車が来たのは午後1時過ぎ。通路やデッキも一杯で乗れたのはわずかだった。掛川駅に着いても駅前にタクシーはいない。出勤できたのは2時過ぎになってしまった。

 静岡市では12時間の雨量が400ミリというかつてない状況だった。台風の前方に線状降水帯が形成されて長時間激しい雨が続いたのだ。山間部の送電線の鉄塔2基が根こそぎ倒れて停電となり、静岡市内で12万戸が停電。回復には半日かかった。清水区では取水口に流木などが詰まって断水。今なお断水が続き、他県から応援の給水車が派遣されて来ているという。台風そのものよりも雨の被害がひどかった。温暖化・気象不安定のため、台風の多発、線状降水帯による豪雨、竜巻などがこれからも見込まれる。スマホに頼っていると、災害時はネットに繋がりにくいということも起きて情報が不十分になる可能性がある。ぜひ電池で動くAMラジオも用意しよう。

2022年9月22日 (木)

神経質礼賛 2028.肺炎球菌ワクチン

 「高齢者肺炎球菌予防接種のお知らせ」と書かれた通知が送られてきた。そういう年頃になってしまったのか、と思う。勤務先では患者さんや職員の接種を頼まれることがあるが、今度は自分が打ってもらう番である。ワクチンは院内に常備していて、頼めばいつでも打ってもらえると聞いていたが、通知には予診票が入っていない。調べてみると、住所地の市外で接種してもらうには、保健所に予防接種依頼書交付願という書類を提出しなければならないとわかった。市のホームページから書類を印刷。記入して保健所に届けた。2週間近くしてようやく保健所から大きな封筒が送られてきた。中には予診票が入っているが、医療機関の事務宛の書類が4枚入っていた。接種料金は8,550円。自己負担は4820円。その差額3,730円は市からの補助となるため、医療機関から市に振込むよう請求するという仕組みになっていたのだ。こういう書類を作成して郵送するのだから、手間と日数がかかるのも無理はない。

 これなど縦割り行政の問題点の典型である。かかりつけ医療機関が市外にあることは珍しくないし、市外に転居する人だっている。市町村任せにしないで、厚生労働省が動いて全国統一の制度にすれば効率よく実施できるのではないだろうか。無駄な手続きやそのための書類を減らす工夫がデジタル化よりも最優先である。「ものそのものになる」という発想が欠如している。

 

2022年9月18日 (日)

神経質礼賛 2027.メタノール

 D製薬の研究員が妻にメタノール(メチルアルコール)を飲ませて殺害した疑いで逮捕されるという事件が起きた。メタノールは小学校の理科実験で用いられていたアルコールランプの燃料としておなじみである。学校で使われていたメタノール液はピンク色に着色されていたような覚えがある。そして、先生から「有害だから注意するように」とも教えられていた。私は学研の雑誌「科学」だけでは飽き足らず、理科実験の図鑑を見て家でいろいろな化学実験をするために実験道具や薬品を持っていて、アルコールランプもあった。劇薬や燃料用メタノールは子供には売ってくれないので、父に頼んで買ってもらっていた。メタノールはプラスチックの瓶に入った無色透明の液だった。今にして思えば、小学生が一人でずいぶん危険なことをしていたものである。アルコールランプは今でもコーヒーマニアの人が自宅で使っている例があるらしい。メタノールが4分の3、エタノールなどが4分の1含まれる燃料用アルコールが通販でも売られていたが、この事件を受けてか現在は販売停止になっている。購入者の書き込みを見ると、「消毒用アルコールと間違えて買ってしまいました」というものもある。飲めるアルコールは酒税がかかって高価だが、燃料用は安いので誤って買ってしまう例もあるのだろう。

 戦前の日本では、粗悪な密造酒にメタノールが混入していて、飲んだ人が失明したり死亡したりすることがあった。近年でも海外ではそのような事例があるようだ。しかし、今回の事件の報道で、その強い毒性に驚いた。わずか10ml摂取しただけで失明のおそれがあり、個人差はあるものの30~100mlが致死量だという。酒に含まれるエチルアルコール(エタノール)との味の違いはわかりにくいというから、故意にメタノールで作られたカクテルを1~2杯飲まされただけで死亡するおそれがあるというわけである。

 病院で使われている消毒用アルコールは主成分のエタノールにイソプロピルアルコールを加えたものでメタノールのような毒性はない。しかし、患者さんが誤飲する危険性はあるので、配置場所やその管理には十分に注意を払う必要がある。

 

2022年9月15日 (木)

神経質礼賛 2026.聞き違い

 先週の初めに仕事の最中にポケットの携帯電話が鳴った。母の担当医からで、やはり手術は難しいので保存的に経過をみます、とのこと。ある程度予想はしていたことだったがもう立って歩くことはできないかと思うと残念だ。コロナが収まったら一度家に外出させたいと思っていたけれども、それは困難になる。月に2回はリハパンと尿パッドを施設に届けていたのが、寝たきり時間が多くなれば普通の紙おむつになってしまうのかなあ、などと考える。その次の日には病棟の看護師さんからやはり仕事中に電話があって、来週の木曜日(今日のこと)に退院していただきます、と。午前中は私自身の呼吸器内科の受診があって無理なので午後にしてもらった。3時ということだったので、手帳にメモしておいた。家に帰ってから、カレンダーにも書き込んでおく。施設から迎えに来てもらえることになっていると聞いたので、今週になって施設にお礼がてら確認の電話を入れた。すると、退院は午後1時だという。心配になって病棟に確認の電話を入れると、13時だという。結局、「じゅうさんじ」の最初が聞こえなくて、「さんじ」だと思い込んでいたのだ。こういう聞き違いは怖い。日時はその場で「15時、午後3時ですね」というように、もう一度確認した方がいい。

2022年9月11日 (日)

神経質礼賛 2025.重陽の節句

 朝晩は少し涼しくなってきた。一昨日の9月9日、昼の病院食は栗御飯だった。献立表を見ると「☆重陽の節句☆」と書かれている。重陽の節句と栗とどういう関係なのだろうか。
  陰陽思想では奇数は陽の数とされ、それが重なって気が強過ぎて不吉になるのを払うのに節句の行事が行われたという。3月3日、5月5日、7月7日の節句は現代にもつながっている。今は9月9日にこれといって行事があるわけではないが、菊の節句とも呼ばれ、平安時代から菊の花を浮かべたお酒を飲んで祝い、無病息災や子孫繁栄や不老長寿を願う習慣があったようだ。もっとも旧暦での話であるから、本来は10月半ばに当たる。秋も深まって、菊が咲き乱れ、栗(971・1799話)もとれる頃となる。栗御飯は秋の実りを愉しめる料理である。さらに、「くんち(九日)に茄子を食べると中風(脳血管障害後遺症による麻痺)にならない」という言い伝えがあって、茄子の煮びたしや焼き茄子などの茄子料理も出番だそうだ。九州北部の秋祭りは「長崎くんち」のように「くんち」と呼ばれることが多いが、重陽の節句の「九日」が語源になっているとは初めて知った。
 今年はもう過ぎてしまったけれど、来年は日本酒の菊正宗でも買っておこうか、と企む。

 

2022年9月 8日 (木)

神経質礼賛 2024.人数確認

 県内の幼稚園でとても痛ましい事故が起きた。幼稚園の送迎バスに3歳の女の子が5時間も閉じ込められ、熱中症のため死亡したというものだ。持っていた水筒が全部飲み干されていた、というのが涙を誘う。苦しかったろうなあ、辛かったろうなあ、と考えてしまう。御家族の悲憤を思うとやり切れない。たまたま普段の運転手が休みで、園長が運転していたというが、人数確認をしなかったのだろうか。人数確認以外にも、全員が下りた後に、車内に忘れ物がないか、シートが汚れていたりしないか、などと車内を一通り見回るところだろう。そうしたところで時間は1分もかからない。大した手間ではないはずだ。バスに乗っていた子供は6人だったというから油断したのだろうか。子供や高齢者の送迎では確認は忘れてはならないことだ。登園アプリで6人とも出席として登録されていたが、担任は今日はお休みだろうと思って確認の電話を入れなかった。普通ならば「今日はどうしたんでしょうか」と親に電話を入れてみるところだろう。そこで気が付けば、すぐに見つかって、命を落とすことはなかったはずだ。神経質が足りない、では済まされない。

 今の勤務先は全病棟閉鎖で集団での出入りがないが、大学病院や前の勤務先では、レクリエーションや洗濯干しや畑作業のため、職員が患者さんたちを引率して病棟を出入りすることがよくあった。潮干狩りや森林公園などバスで院外に出ることもあった。私も同行した時には必ず何度も人数確認をしていたものだ。いなくなって事故が起きたら一大事だからだ。確認行為のやり過ぎは強迫性障害になってしまうが、全く確認をしないのは危険極まりないのである。

 

2022年9月 5日 (月)

神経質礼賛 2023.夫婦円満に大切なこと

 ネットの検索サイトを開くと、ニュースや天気予報の他に雑誌の紹介記事などが載っている。気になる記事があると見ている。小学館のkufuraという働く女性向けのwebメディアの記事に目が留まった。「結婚生活をうまくいかせるために大切なこと」のアンケート結果である。夫側・妻側それぞれ百数十人の調査であるから人数がちょっと少ないけれども、一つの参考にはなるだろう。
 夫側からは1位 思いやり、2位 我慢、3位 干渉しすぎない、4位 コミュニケーション、5位 相手の話を聞く、6位 感謝する、7位 相手を尊重する、8位 適度な距離感、9位 うそをつかない、10位 期待しすぎない。
 妻側からは1位 コミュニケーション、2位 思いやり、3位 感謝する、4位 干渉し過ぎない、5位 妥協する、6位 相手を尊重する、7位 我慢する、8位 我慢し過ぎない、9位理解しようと努める、10位 適度な距離感。
 実際のところ、どの項目も大切なことであるが、やはり相手に対する思いやりがベースとなっている。概して女性の方が言語能力に長けているので、言葉でいろいろ言ってきて、男性の方は黙って我慢して聞くという傾向も少しありそうだ。(我が家の場合だけかな?)

  森田正馬先生の場合、奥さんの久亥さんと夫婦円満だったとは言い難い。元々いとこ同士で親が決めた結婚ということもあるかもしれないが、夫婦喧嘩を繰り返していた。森田先生の方が子供っぽく久亥さんをいじめて、久亥さんは来客があったりするとすぐに切り替えていたが、森田先生はいつまでも不機嫌だった。患者さんたちの前でも夫婦喧嘩をしては、どちらが正しいか判定するように患者さんに迫るようなこともあったようだ。しかし、これは森田先生の甘えのような面もあったであろうし、久亥さんは「余の療法(森田療法)」にとってもかけがえのない存在だった。歳を重ねるに従い、徐々に夫婦円満となっている。

 

«神経質礼賛 2022.ひたすら待つ

最近のトラックバック

2022年10月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31