2010年2月 8日 (月)

神経質礼賛 514.嘘

 日経メディカル1月号に「医師のためのパフォーマンス学入門」という女性の心理学者が書いている連載で、患者の「嘘」をどこで見抜くか、という題名の記事があった。同じ話をした時の言葉の矛盾だとか、口調だとか、顔の表情から嘘が見抜けるという。かつて流行した演歌に「うそ」という歌があった。「折れた煙草の吸殻で あなたの嘘がわかるのよ 誰かいい女できたのね」というような歌詞だったろうか。ちょっとしたしぐさを観察して嘘を見抜く能力は女性の方が長けているようだ。

 私が大学病院勤務時代、30代の太った女性が外来に通院していた。前任者から引き継いだ人なので、あまり詳しくは覚えていないが、目つきが鋭かったのと、御本人の雰囲気には不似合いなブランド品を身に付けていたのが印象的だった。3つ子がいて超低体重で生まれたため東京の某有名病院に入院したままだ、という。私はどうも怪しいと思って、同じ綴りにある、同時に通院している産婦人科のカルテを見ると、妊娠0回、出産0回とあった。嘘は明らかである。子供が危篤だと言っては公務員の夫から金を巻き上げていた。夫が子供に会いたいと言うと、ICUに入ったままで母親の自分でさえ会えないと言っていたらしい。夫はいつも金策に走り回り、ついに職場の備品を持ち出して密かに売却したのがバレて懲戒免職になった。その後、この女性は受診しなくなったのでどうなったかわからない。

 クレペリンという精神病理学者が唱えた精神病質という人格類型の中に「虚言者」がある。異常に活発な空想力を持ち、それに熱中し、過去も現在も未来も好きなように思い描き、空想と現実の区別が付かなくなる、というような人である。しかし、この女性にせよ、前回の連続不審死事件の容疑者にせよ、虚栄心の強いヒステリー性格であるとしても、「虚言者」というレベルではなく、全部承知の上でやっていたことであろうと思われる。

 嘘をついたことのない人はまずいない。大人になれば時には方便としての嘘も出る。しかし、虚言癖の人がいたら周囲の人々は大迷惑である。小心者の神経質人間の場合、嘘をつくのが下手であり、嘘で人に迷惑をかけることも少ないだろう。

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2010年2月 5日 (金)

神経質礼賛 513.連続不審死事件

 埼玉県と鳥取県で男性が金を貢がされた挙句に次々と不審な死を遂げた事件が長いこと新聞の三面記事をにぎわせていたが、ようやくどちらの事件も容疑者の女性が逮捕された。容疑者の女性はいずれも睡眠導入剤を悪用して「用済み」の男性たちを死亡させていたのではないかと考えられている。近頃は、犯罪のカゲに睡眠導入剤あり、というような事件が多く、薬を処方しなくてはならない立場としては困ったものである。より一層神経質に処方しなくてはいけない。「死人に口なし」で直接的な物的証拠が乏しく状況証拠を積み重ねていくしかないので、今後の裁判は長引きそうである。

それにしても、新聞に出た顔写真を見ると、両容疑者とも、いわゆる魔性の女にはほど遠い顔である。もっとも、地味な顔立ちだからこそ男性たちも気を許して、騙されてしまったのかも知れない。埼玉の事件の容疑者の場合は「育ちの良い家庭的なピアノ講師」を装ったブログに誘導して男性たちを騙していたらしい。結婚したらとことん尽くす、とか老後のめんどうをみてあげる、といった決めの言葉が犠牲者男性たちの結婚願望を揺さぶったのだろう。

 恋は盲目とはよく言うが、いろいろな名目で次々と金を貢がされているうちに変だなと思わなかったのだろうか。犠牲者の男性たちは、あまりにも「いい人」が多かったようだ。その点、油断はできないが神経質人間の場合は騙される可能性は低いだろう。小心者で心配性の神経質人間に「悪い虫」は付きにくい。(その代わり良い虫も付きにくいという難点はあるが。)

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2010年2月 3日 (水)

神経質礼賛 512.横浜中華街の占い

 先週の水曜日朝のNHKニュース「おはよう日本」を見ていたら、横浜の中華街で占いがブームだという話題を取り上げていた。食事目的でなく風水や手相などの占い目的に訪れる人が増え、その数は年間10万人以上だという。番組では昨年占い師になったという30歳の男性を追っていた。大学中退後、定職に就けず、将来に希望が持てなかったが、占い師の言葉で人生が変わった。人に希望を与えたいと、自分も占い師になった。客に伝えたいメッセージを手帳に書き溜め、心に刻み込む。客として訪れた20代の失業中の若者に、幸せになるために笑うようにとアドバイスしていた。

 精神科の外来には時として、自分はどうすればいいのかわからない、ということで答えを求めに来る人がいる。不安や不眠ということで受診しても、主要テーマが転職したらいいかどうか、結婚した方がいいかどうか、というようなことがある。お見合い相手の写真付履歴書を持参して相談する人までいる。健康保険を使ってこの手の相談事は正直言って困る。「私は占い師じゃないからね」と言いながら、仕方なくカウンセラーのようにその人の考えを整理する手助けをすることもある。

 占いとは、本来、人の将来を予言したり運勢や吉凶を判断したりするものであるはずだが、番組で扱っていたような「占い」に人気があるとすれば、今「占い」に求められているのは未来の予言よりも行動指針のアドバイスなのだろう。一生懸命勉強しても仕事にありつけない若者が増えている。大企業に勤めていても安泰ではなく、いつリストラの憂き目に遭うかもしれない。ある日突然、通り魔に襲われて命を落とすかもしれない。運良く健康で長生きしたとしても少子高齢化の加速で年金財政は破綻が見込まれ、楽隠居できそうな状況にない。各種の調査で、これから世の中が良くなっていくと思っている人より、世の中が悪くなっていくと思う人が多い昨今である。世の中、不安だらけだ。

 しかし、不安を消そうとあがいてもどうにもならないし、ジタバタしていては不安スパイラルにはまるだけである。森田正馬先生が言われたように、不安はどうにもならないものをあきらめて、目の前のできることを一つ一つやっていくほかはない。行動しているうちにいつしか気分も変わって「不安心即安心」となるものである。就職先に困っている若者の場合、ダメもとで面接や採用試験に次々とチャレンジしていくしかない。番組に出た占い師にしても、考えるだけでなく実際に占い師になろうという行動に出て初めて道が開けたのである。「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る(高村光太郎:道程)」という言葉が思い浮かぶ。

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2010年2月 1日 (月)

神経質礼賛 511.神経質の劣等感

 神経質人間は間違い探しや悪いところ探しは得意技で、自分に厳しく人にも厳しい傾向があるが、とりわけ自分の方にばかり注意が向いている神経症状態では自分の欠点ばかりが目に付いて強い劣等感にさいなまれることになる。そこで欠点を補おうとコツコツ努力していけばよいものを、自分はダメだとレッテルを貼って投げやりになって努力を放棄してしまったら、ますます悪循環で自分の欠点に目が行って劣等感が強くなってしまう。

 かつて森田正馬先生のもとに強迫症状を訴えて学生さんがやって来た。この人は、ある医院の住込み書生をしながら物理学校予科に通っていた。一回の診察で読書恐怖は改善するも勉強に集中できないことが気になる。そこで森田先生に手紙でアドバイスを求めた。ちょっと長いが森田先生のアドバイスを引用してみよう。

 薬を間違へる事を頭の悪い所為にしてはいけません。幾ら頭の悪いものでも骨を折れば間違ふことはありません。自分の頭の良し悪しを批評するひまには常に「どうすれば決して間違ふ事はないか」といふことを絶へず工夫するやうにしなければなりません。どうすればよいかといふことは、時としては寝てゐるひまにでも考へておけばよい。事に当つて人よりも遅く機転のきかぬやうに思はれるのは平常の心がけがないからであります。

 失敗の連続-其原因は、「間違ひはせぬか」「又叱られはせぬか」と考へる心が常にあるからの事であります。此時は「泣面に蜂」とか「二度ある事は三度ある」といふ風に、幾らでも其間違ひを繰り返す。そして其原因に気がつかないで、くやしがり、悲観し、負けおしみを起こせば起こすほど、益々手も足も出なくなり、神経質の「劣等感」といふ症状になります。

 そんならどうすればよいか。自分が間抜けであり頓馬であると思はれないやうにといふ負けおしみとごまかしとを断念して、自分は間抜けであり頓馬であると覚悟をきめる事を修養する事が大切です。さうすると前に述べたやうに、もはや利巧ぶる事も笑はれないやうにと見かけをごまかす心がなくなつて、診療場の整頓なり、物の取扱ひなどにも心がいきとヾくやうになります。(白揚社:森田正馬全集第4巻 p.615-616

 劣等感は決して悪いことではない。自分は人より劣っていると覚悟して、その分を努力と工夫で補っていこうとすればよい。そもそも神経質人間は劣っているわけではなく欠点に対する感度が高いだけのことであるから、元々人並み以上の人間がそういう努力と工夫をしていけば、大いに人よりも優れて役に立つ人間として活躍できるのである。森田先生の言われるように、悲観しているヒマがあったら、絶えず工夫や努力をしてみることである。劣等感は発展向上のエネルギー源に変化する。

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2010年1月30日 (土)

神経質礼賛 510.大原健士郎先生

 去る1月24日、私の恩師、大原健士郎先生が亡くなられた。享年79歳。膀胱がんの再発による多臓器不全だった。大原先生は森田正馬先生と同じ高知県の御出身。慈恵医大で森田先生の高弟・高良武久先生に師事し、自殺、うつ病、森田療法の研究で業績をあげ、浜松医大精神神経科教授になられた。神経症ばかりでなく精神科の入院治療全般に森田療法を応用され、「浜松方式」「ネオモリタセラピー」と呼ばれていた。研究・治療・教育ばかりでなく、数多くのエッセイを書かれ、NHKでTVドラマ化(1992915日放送「家族」)もされた。また、メンタルヘルス岡本記念財団の岡本常男さんとともに中国をはじめ世界中に森田療法を広める活動をされていた。

 私が研修医として入局した時には、もう60歳を過ぎておられた。医局員たちにとっては怖い「カミナリ親父」でもあった。月曜日朝の教授回診はいつも修羅場だった。患者さんを前にして、質問に答えられないと、カルテで頭を叩かれる医師もいた。「もうダメ。助けて」というメモを残して逃げ出した医師もいた。水曜日朝のケーススタディがもう一つのヤマ場だった。プレゼンテーションする研修医に次々と鋭い質問が繰り出される。往生していると、オーベン(指導医)の助手も「お前は見殺しにする気か」「何で助け舟を出さないんだ」と絞り上げられた。しかし、御自分が誤ったことを言ったのに気付かれた時には、相手が研修医であっても頭を下げて謝られた。学問には厳しかったが、大変な人情家でもあり、「おれたちは家族」の言葉通り医局員の健康や家庭の事情を心配して下さる先生だった。先生は教授室の椅子よりも医局のソファを好まれた。朝6時に医局に入ると、ソファでタバコを吸いながら新聞を読んでおられたり、万年筆で原稿を書いておられたり、時には仮眠をとられたりして、「おう、元気か」「子供さんはどうだね」などと気さくに声をかけて下さった。大原先生が定年退官されるまでの間、私は大学助手として、森田療法の実務を担当させていただいた。毎年発行される医局年報には教授以下医局員たちのエッセイが載せられる。ある時、「お前のエッセイ、無断借用したぞ」と笑いながら御著書を下さった。先生の名文の中に、確かに数行私が書いた下手な文があり、大変光栄に思った。定年退官される際、後任の教授は大原先生が推薦した助教授が上がれず、てんかんの専門家である福島県立医大の先生が新教授となった。大原先生にとっては断腸の思いだっただろう。よくある医学部の「掟」で、当時の助教授以下スタッフの大部分は大学を去って行き、森田療法も大原先生の築き上げたものとは別のものに変わっていった。しかしながら定年退官後もかつての医局員が院長をしている病院やクリニックで診療を続けられ、執筆・講演活動も続けられていた。私が最後にお会いしたのは一昨年の秋のこと、後輩が開業したクリニックで大原先生の講演会があった時だった。講演の始まる前に私を呼ばれ、10分ほど話されただろうか。白髪の増えた私に「相変わらず好青年してるなあ」と笑顔でおっしゃった。昨年秋には入院されて一時危篤との報が流れたが、その後は情報もなかったので回復されたものとばかり思っていた。

 一昨日、冷たい雨の降りしきる中、大原先生の葬儀が行われた。かつて医局員の大部分が集まる場は初夏の新入医局員歓迎会と忘年会だった。そしてその最後の〆はいつも「今日の日はさようなら」の歌と決まっていた。「お前が指揮しろ」と仰せつかったものだ。歌の最後のリフレイン「♪また会う日まで」が葬儀の場というのは何とも悲しい。会場の壁全面に関連病院からの生花スタンドが隙間なく並び、外の壁にもあふれていた。花を愛し、花言葉にまつわるエッセイを多数書かれた先生に似つかわしかった。先生と二人三脚で森田療法普及の旅をされた岡本常男さんもみえていた。途中で現在の浜松医大学長も現れた。ただ、参列者は全部で60名ほどだったろうか。大原先生の恩顧を受けても、現在の教授と関連がある人の姿はなかった。これも医学部の「掟」なのだろう。神式の葬儀が一通り終わり、最後のお別れでお棺に花を供えて拝んだ時には思わず涙があふれ出た。かつての医局員たちは大学教授や大病院の院長になったり大きなクリニックを開業したりしている。私は不出来な弟子で、この年になっても一介の勤務医に過ぎない。私にできることは、死ぬまで一人の臨床医としての職務を全うすることと、森田療法を少しでも多くの人に知ってもらうよう努めることだとあらためて思う。

 大原健士郎先生の御冥福を心からお祈り申し上げます。

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2010年1月25日 (月)

神経質礼賛 509.冬の肌

 今年の冬は暖冬だという長期予報がはずれ、年末から厳しい寒さが続いている。暦の上でも大寒を過ぎ、一年で最も寒い季節がやってきた。

この季節に連想される歌は(私のような中高年では)「♪ 垣根の 垣根の まがりかど」で始まる童謡「たき火」である。作詞者の巽聖歌(たつみせいか:1905-1973)は岩手県出身で北原白秋に師事した詩人である。作詞した当時住んでいた借家の近辺が舞台といわれ、東京都中野区には「たき火」発祥の地を示す立て札があり、当時をしのばせる垣根の道も残っているそうである。発表されたのがちょうど太平洋戦争開戦時で、たき火は敵機の目標になるし、枯葉は燃料として風呂を沸かすことができる、この非常時に何事かという軍部の圧力で放送禁止になってしまい、戦後になってようやく愛唱されるようになった。渡辺茂作曲の旋律はファとシの音が出てこない「ヨナ抜き音階」で作られていて(よく見ると1箇所だけファがあるが)、どことなく懐かしさを感じる。ほのぼのとした情景が浮かぶ名歌だと思う。

私が子供の頃も落ち葉を集めてたき火をする家庭は多かった。サツマイモを入れて焼き芋にして体の中までホカホカに温まることができた。今ではたき火を見かけることはまずない。火災の危険があるし、煙で苦情が出る。ダイオキシンが発生するなどと騒がれたこともあった。都市化で緑が減って落ち葉自体が昔ほど多くないせいもあるかもしれない。ただ、歌の二番の歌詞にあるようにこの季節に子供の手にしもやけができるのは今も変わらないだろう。

皮膚に水分が多いみずみずしい子供の肌ではしもやけができるが、大人の乾燥した肌ではいわゆるヒビ・アカギレができる。私が住んでいる地方は気候温暖で、手袋が必要なのは寒い朝だけである。今年は油断していたら、手指がカサカサになって、アカギレがあちこちにできてしまった。インフルエンザ対策で手洗いをする回数が増えて皮膚が荒れているのが一因かもしれない。また、急に寒くなって暖房を使うようになり、皮膚乾燥がひどくなったこともあるだろう。寝る前にウレパールローション(尿素配合クリーム)を塗るという対策を始めたが、ちょっと遅かったという気がする。外出時にはめんどうがらずに手袋をして、室内の過度の乾燥に気をつける、といった対策が必要だった。肌の手入れまで神経質が回らなかったのは失敗だった。その点、普段からお肌のケアに神経を使っている女性の方々は、対策万全かと思う。

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2010年1月22日 (金)

神経質礼賛 508.心筋梗塞

 かつて巨人と阪神で投手として大活躍した小林繁さん急死の報道があった。巨人軍時代、エースとして優勝に貢献して、沢村賞を受賞した。細い体にもかかわらず気迫に満ちたピッチングは強く印象に残った。江川投手の「身代わり」として阪神に移った年には22勝を挙げ、特に古巣の巨人から数多くの勝利を挙げて巨人キラーと呼ばれ、男の意地を見せた。二度目の沢村賞も受賞している。現役引退後は事業で失敗ということがあったようだが、最近は日本ハムの二軍ピッチングコーチをしていて今年から一軍を任されることになっていたそうである。新聞報道によれば、死因は心不全ということで、状況からして急性心筋梗塞らしい。まだ50代なのに大変残念なことである。

 心筋梗塞は心臓を栄養する冠動脈の閉塞によって心筋が虚血状態に陥り壊死してしまう病気で、この病気のために日本では年間4万人以上の人が亡くなっている。発症した場合、救命できるかどうかは時間との勝負になるので、救急隊が駆けつけるまでの間、心臓マッサージをするかどうかで予後が左右されることもある。身の回りの人が突然この病気で倒れることもありうるので、一般の方々も心臓マッサージの講習は受けておいた方がよいだろう。

 アメリカの循環器病学者フリードマンとローゼンマンは1959年にA型行動パターンという概念を発表した(ここでA型というのは血液型とは無関係である)。気性が激しく、競争心が強く、絶えず物事を達成する意欲を持つような行動パターンを言い、そうした行動パターンは心筋梗塞などの虚血性心疾患の発症と密接に関連するとしている。A型行動パターンはスポーツばかりでなくビジネスなどの競争社会で勝利を収めやすいが、無理をして事業に失敗したり病に倒れるリスクも高いため、長い目で見ればA型行動パターンとは正反対のマイペースでのんびりの行動パターンの方がうまくいくという説もある。小林さんの場合もA型行動パターンに当てはまるように思われる。強い闘争心が魅力的な人だったが、もし引退してからのんびりと過ごす生活にギアチェンジされていたら、長生きできたのかも知れない。

 冬は中高年の健康にとって危険なシーズンである。寒さから血圧が上昇して脳血管障害を起こしやすくなるし、急に寒い所に出たのが引き金になって心筋梗塞を起こすこともある。冬の夜遅くまで飲酒しての帰宅や早朝ゴルフは要注意だ。自分の健康を過信しないで、あまりムリをしないことも大切である。

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2010年1月18日 (月)

神経質礼賛 507.日航法的整理

 経営危機に陥っていた日本航空の処理問題が昨年末からニュースをにぎわしていたが、ついに会社更生法による法的整理の方向で動き出した。厚生年金に上乗せされる企業年金は減額された上で保護される見込みで、利用者のポイントであるマイレージも保護されるらしい。株主優待の割引券も保護の対象となる見込みだ。融資していた大銀行は債権放棄で大損害をこうむるし、個人株主も株券が紙切れになってしまう損害を考えると、税金を投入しての企業年金維持やマイレージ保護はちょっと甘い気もするが、やむを得ない事情もあるようだ。とにかく再生にあたり、運航の安全がおろそかにならないようにしてほしいものだ。

一年前にこうなることを予測できた人がどれだけいただろうか。かつてパイロットは男の子の憧れ、スチュワーデスは女の子の憧れの職業だった。そして日本航空は就職先として人気企業だった。日の丸を背負った準公営企業のような存在でもあった。ところが燃料費の高騰、テロやインフルエンザの影響による利用者の減少などで、世界中の大手航空会社は赤字に陥っていて、日本航空も例外ではなかった。さらに不要な地方空港を次々と開港させる誤った行政に乗って、採算の取れない路線を運航させたことも足を引っ張った。どこの航空会社もコスト削減・リストラで窮地を脱しようとしてきた中、事なかれ主義で問題を先送りし続け、高コスト体質から抜け出せなかったと言われている。破綻したアメリカの自動車メーカー・GMと状況がよく似ている。

 超一流大企業でも経営を誤ったらたちどころに潰れてしまう厳しいご時世である。経常赤字に陥っている大企業は少なくない。企業年金の運用で巨額の損失を出している大企業もある。今まで大丈夫だったからというような楽観主義・根拠なきプラス思考・鈍感力にあふれた経営陣では社員や株主はたまったものではない。最後には社会全体に損失を撒き散らすことになる。経営陣には会社の危機を察知し警鐘を鳴らすような神経質人間が必要不可欠なのである。

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2010年1月15日 (金)

神経質礼賛 506.日の出時刻の謎

 連日、日本列島は寒気団に覆われて厳しい寒さとなっている。特に日本海側の地方では大雪に見舞われているようだ。私も毎朝6時に新聞を取りに外へ出る時は震え上がる。この時期になると、夕方の日の入りは冬至の頃よりも遅くなっているのだが、なぜか朝の日の出は冬至の頃より早くなっていない。むしろ遅くなっているのは、いつも一定の時刻に新聞を取りに行くので空の明るさで体感するところである。実際に、私の住んでいる地方では、昨年の冬至の日の日の出時刻6:51、日の入り時刻は16:39で、今日1月15日の日の出時刻は6:54、日の入り時刻は16:58である。毎日の新聞に出ているが、簡単に調べたい方は、国立天文台ホームページで「日/月の出入り情報」(暦計算室)をクリックして、皆さんのお住まいの地方と調べたい日を選べば、日の出・日の入り時刻がわかる。

 小中学校の理科で教えている知識だと、冬至が一番昼の時間が短いので、冬至の日に日の出が一番遅く、日の入りが一番早い、と思っておられる方も多いだろう。ところが、実際には日の出が一番遅いのは1月5日頃であり、日の入りが一番早いのは12月7日頃なのである。さらには、太陽の南中時刻は理屈の上ではピッタリ正午のはずだが、国立天文台発表の南中時刻を見ると、季節によってずいぶん変動がある。

 こんなことが起るのは均時差というものがあるからである。均時差の原因はいくつかあるらしいが、主な原因として、地球が太陽を回る軌道が正円ではなくわずかに楕円軌道であることが挙げられる。ケプラーの第2法則から、太陽から距離が離れている時にはゆっくり公転し、太陽に近い時には速く公転することになる。地球が太陽を一周する公転周期を1年としてそれを等分して暦や時間を定義しているためにズレが生じてしまうのだ。もちろん日常生活上あまり影響はないことではあるが。

神経質を自分の外に向ければいろいろ不思議なことは見つかる。そして、ついつい調べたくなる知りたがりの習性で、楽しみながら知識が増えていくものである。

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2010年1月11日 (月)

神経質礼賛 505.白髪

 数ある老化現象の中でも、白髪は特に目につきやすい。私も50を過ぎた頃から少しずつ額が後退するとともに急速に側頭部が白くなってきた。栄養に気をつけ、タバコは吸わない神経質人間にも老化は忍び寄ってくる。東洋水産のマーク「マルちゃん」のような丸顔なので実年齢よりかなり若く見られてきたのだが、今となっては年齢相応といったところだろうか。まあ、白くなっても毛が7割位は残っているからまだいいか、と自分を慰める。数日前、病棟内を歩いていたら、長いこと入退院を繰り返している60代後半の躁うつ病の男性患者さんから、「先生も歳とったねえ」と声をかけられてしまった。精神病の患者さんは概して正直だ。

 今年の元日、弟と会ったら、ずいぶん若く見えた。聞けば髪を染めたのだそうだ。若い頃から白髪を気にしていた弟もついに染めたか。2日に高校の同窓会があって2年ぶりに出てみると、白髪が多くなっている人もいれば、逆に黒々とした人もいた。女性は染めるのが普通だが、やはり男性でも気になって染める人が増えているのだろう。よく全国版のNHKニュースに出ている男性アナウンサーは白髪が目立つが、髪を染めればかなり若く見えるだろうにと思ったりもする。

 平家物語で、「老いぼれ」と見くびられないように髪を黒く染めて合戦の場に出て行った斉藤別当実盛の心意気は大切だ。しかし私は多分染めずに自然に任せるだろう。見た目は老いぼれてきても、こころは老いぼれないように気をつけたいものだ。前話のまど・みちおさんを見習いたいと思う。

 ブログ開設以来、4年間同じ顔写真のままだったので、今回、同じポーズで撮った最近の写真に入れ替えてみました。やはり少々クタビレていますか(笑)。

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