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2018年6月18日 (月)

神経質礼賛 1517.鯖(サバ)

 いつも母に頼まれて買って届ける食材の中に鯖がある。ほとんど肉を食べない母にとっては貴重な栄養源である。アルミホイルを敷いたオーブントースターで時間をかけて焼いているようである。ノルウエー産ではなく国内産をと言われているので、焼津などの県内産あるいは三重産をよく買うが、生が入っていないこともあるから、非常食を兼ねて鯖缶も買っている。鯖はDHAEPAなどの不飽和脂肪酸を多く含んでいる。最近は健康食品として鯖缶を使った料理レシピが数多く公開されている。


 その鯖缶がピンチだと新聞に書かれていた。近海の鯖の漁獲量が減っているのと、鯖缶人気によるものらしい。鯖缶は以前から郷土料理に使われているそうだ。山形の「ひっぱりうどん」(釜あげうどんを鯖缶や納豆と一緒に食べる)、信州の「根曲竹と鯖缶の味噌汁」、丹後の「ばらずし」などがある。思いもよらない組み合わせだけれども、考えてみれば鰊(ニシン)蕎麦があるのだから、鯖とうどんや味噌汁との組合せも美味しそうな気がする。鯖缶は廉価で保存に適しているから、災害用の保存食として買っておき、時々料理に使って買い替えていくといいだろう。


 いいことずくめの鯖だが、時々、鯖アレルギーの人がいて、患者さんの食事でも「鯖禁」でオーダーすることがある。鯖はヒスチジンというアミノ酸を多く含むためヒスタミンを生じやすく、蕁麻疹の原因になりうる。神経質ゆえ、患者さんの入院を受ける時には必ず「鯖で蕁麻疹が出たことはありますか」さらに念のため「他の食品でトラブルが出たことはありませんか」と尋ねるようにしている。

2018年6月15日 (金)

神経質礼賛 1516.信康の性格

 家康の嫡男・信康はどんな性格だったのだろうか。父親の家康は神経質である。神経質性格は発展向上欲や完全欲が強い強力性と小心で取越苦労しやすい弱力性という表裏一体の二つの面を持ち合わせている。家康はその性格を最大限に活用して、偉業を成し遂げた。母親の築山殿に関する情報は少ないが、教養があってハッキリ物を言う人だったと推測される。信康の妹・亀姫をみると母親譲りの性格を受け継いだと考えられる。亀姫は長篠の戦で軍功のあった奥平家に嫁いだが、夫には側室を許さず四男一女を産み育てたといい、強い女性だったようである。


 人間の性格の中核部分は遺伝的に親から受け継ぎ、その後の生活環境などの影響を受けながら形成されていくものであると考えられている。信康にも神経質な素因は受け継がれておかしくないのだが、母親の性格素因が強く出たのか、それとも挫折体験・失敗体験がなかったため神経質が目覚めることがなかったのだろうか。ある意味、天真爛漫に育ち、思ったことをハッキリ言い、もっぱら武芸に関心を持っていた。


 男の子は多かれ少なかれ父親を強く意識し、父親を乗り越えようとするものである。精神分析の世界ではフロイトが提唱したエディプス・コンプレックスという概念がある。異性の親に性的愛情を抱いて同性の親に嫉妬や憎しみや恐怖を抱くというもので、3-4歳に生じ、
6歳頃に一旦抑圧され、思春期に復活するとされる。信康の場合、母・築山殿が家康に冷遇されていたから、そのコンプレックスは強かった可能性がある。さらに、妻の父・信長から「信」の一字をもらっていて、妻に見下されたくないという気持ちもあって、信長をも強く意識したはずである。だから、武功を立てて、父・家康や義父・信長から認められたいという気持ちが非常に強かったと思われる。14歳で初陣。長篠の戦では16歳だったが一軍の大将を任されて戦果を挙げ、信長からも注目された。その後の武田との戦いでも武功を挙げ、戦の場では難しい役を買って出て、それを見事にこなして家康から高く評価された。


そして家族思いでもあった。妹・亀姫が、地侍に過ぎない奥平家に嫁がされるのには反対したし、家康から子として認められなかった次男(後の結城秀康)を家康に対面させて子供であると認知させている。切腹した時に殉死者を出したことをみても、岡崎の家臣たちからは慕われていたのだろう。

 もし、挫折体験があって、もう少し慎重さがあったら、神経質が発揮されていたら、悲劇の主人公になってしまうことはなかったかもしれない。挫折体験も必要である。

2018年6月11日 (月)

神経質礼賛 1515.強過ぎたアニキ

 悲劇的な信康切腹事件については当ブログ1064話や拙著に書いている。家康の嫡男で岡崎城主だった信康には織田信長の娘・徳姫との間に二人の女の子がいたが男の子ができないため、何としても信康の跡継ぎが欲しい母親の築山殿が信康に次々と側室をあてがった。これが夫婦関係・嫁姑関係を決定的に悪化させた。その側室は元武田の家臣の娘たちだった。徳姫は信康と築山殿の悪行や武田に密通していることを書いた手紙を信長に送る。信長は家康の家老である酒井忠次を呼びつけ、徳姫が書いた十二か条について問い質したが、忠次は信康を庇わなかったため、信長は信康の処分を家康に要求した。家康は迷った末に信康に切腹を命じ、築山殿は家康の家臣によって斬殺された、というのが事件の概要である。信康はまだ20歳だった。


 簡単には人を殺さない家康が、よりによってどうして自分の嫡男に切腹を命じたのかは大きな謎であり、諸説がある。なぜ、出家させるとか廃嫡の謹慎処分ではなかったのか。そもそも信長が家康を飛び越えて直接酒井忠次を呼びつけるのは不自然だし、忠次が主君の嫡男を庇わなかったのもおかしい。


 酒井忠次は家康よりも
15歳ほど年長であり、家康が少年時代に今川氏の人質だった時期も最年長の家臣として付き添っていた。酒井家は松平家と先祖を同じくし同格とも言え、忠次の妻は家康の叔母だから家康の義理の叔父にあたる。一人っ子の家康にとっては強いアニキ、父親代わりの存在だった。今川館での立小便・・・正月に今川義元がお出ましになるのを待っていた今川家臣たちの見ている前で竹千代(家康)が堂々と庭に立小便をした件は今川家臣になめられないように忠次がけしかけたのではないかと私は推測している。そして、竹千代少年の手はプルプル震えていたのではないかと勝手に想像する。忠次は戦では滅法強く、いつも徳川軍の勝利に大きく貢献していた。大敗した三方原の戦でも酒井隊は武田勢を破り浜松城の守備のため引き上げている。命からがら浜松城に帰ってきた家康が脱糞しているのを見て笑い飛ばし、家康はこれは味噌だと言い訳したと言われる。織田・徳川連合軍が武田軍を破った長篠の戦の際には連合軍の軍議で忠次は武田の砦に夜襲をかけることを提案する。信長は却下したが後でこっそり忠次を呼び、兵と鉄砲隊を授けて奇襲作戦を実行させ、本戦での勝利に大きく貢献し、忠次は信長から激賞された。主君の家康を飛び越えての動きに家康は内心面白くなかったであろう。現代のプロ野球某球団にアニキと言われる監督も口出しできない選手(現監督)がいたが、家康にとって忠次は強過ぎるアニキだった。


 三河一向一揆の際に家臣が真っ二つに割れ、家臣から銃撃された経験を持つ家康は、家臣の扱いに非常に気を配った。何しろ祖父も父親も家臣に殺されている。そして、特に忠次は別格だった。信長が忠次を高く評価し、家康を飛び越えて指示を出していたことを考えると、直接に忠次を呼び出したことも理解できる。いくら何でも呼び出された理由がわかっていれば、家康とも事前に相談して信康を庇う発言ができたろう。その場で、突然、徳姫が告げ口した内容の真偽について信長から追及されて、内心では信康付の岡崎派の家臣団を良く思っていないこともあって、庇う発言が咄嗟に出なかったのかもしれない。


 信康の処置を信長から命じられたと忠次から告げられた家康は狼狽し、最悪のケースをあれこれ考えただろう。忠次が庇わなかったのは信康の切腹を望んでいるからではないか。下手をしたらまた家臣が真っ二つに割れるおそれがある。それに武田との密通を疑われたとなると、出家や廃嫡程度の処分では後々蒸し返される可能性がある。織田・徳川同盟の証として徳姫を信長殿から送られたのに、このような始末になっては申し訳が立たない。やはり切腹させるしかないのだろうか。神経質な家康は、忠次に忖度し信長に忖度した。家臣の大多数が信康切腹に反対して忠次も同意してくれればいいのだが、そんな淡い希望を抱いて
1か月以上が過ぎ、結局、断腸の思いで切腹を命じたのではないだろうか。


 ある意味、家康が神経質だったために起きた悲劇ではある。しかし、徳川家にとって結果的にはそれが最善の選択だった。信康切腹は信長やその家臣たちからしてみればサプライズの処置だった。徳川殿は度を超した律義者であり、決して盟約を裏切らない男である、という強烈な印象を焼き付けた。後日、秀吉が家康を警戒しながらも潰すことはなくナンバー2として遇し、秀頼の将来を家康に託して亡くなっていったのも、信康の犠牲のおかげだろう。その結果、家康は天下人となることができたのである。そして平和な社会を構築することができたのである。

 強過ぎたアニキはどうなっただろうか。その後も戦で活躍したが、目の病気もあって嫡男・家次に家督を譲り隠居する。息子の禄が少ないと家康に訴えると、「お前も息子がかわいいか」と強烈な嫌味を言われた。晩年は豊臣秀吉から与えられた京の屋敷と千石の禄で寂しく過ごしたようである。徳川四天王筆頭、第一の功臣にふさわしからぬ最期だった。

2018年6月10日 (日)

神経質礼賛 1514.珍事

 先々週、BSの歴史番組を制作している方から突然に連絡があり、企画書が送られてきた。徳川家康の長男・信康が家康の命で切腹させられた事件をテーマに番組を計画していて、拙著『家康その一言』を読み、家康や信康の性格について聞きたいとのことだった。目の前の患者さんのことでバタバタ毎日を送っていたのが、ちょっぴり家康モードになる。夜には自分が書いたものを読み直したり、またいろいろ調べたりしていると、夜中に目が覚めて新たな考えが浮かんだりして不眠がちだ。


 院長・事務長の了解を得て、先週の休診日に外来診察室でインタビューを受けた。ピンマイクを付け、目の前にカメラがある状態で話すという状況は、大勢の人の前で話すのとはまた違った緊張感を醸し出す。なかなか思ったように言えないものである。ただでさえ緊張しやすく話下手の私であるから、時々言葉に詰まる。とにかく何とか終わってホッとしている。


 家康のイメージは衣冠束帯姿の肖像画によってでき上がってしまっている。どっしり構えて何があっても動じない人だと思われがちであり、神経質性格だとは考えにくい。しかし、肖像画は理想的にデフォルメされていることが多い。神君・家康ともなればなおさらである。一方、久能山東照宮所蔵の小笠原家(信康の長女・登久姫が嫁いだ家でもある)に伝わった
60歳頃の家康の肖像では普段着で顔はぷっくりしているものの、少し伏し目がちで神経質らしさを漂わせている(1079話)。これこそリアル家康だと私は思っている。ぜひ番組で紹介していただきたい、とお願いしておいた。


 さてどんな番組になるのか、楽しみでもあり、私の醜態が晒されるのではないかと恐ろしくもある。

2018年6月 8日 (金)

神経質礼賛 1513.人気のナンバー

 自動車のナンバープレートで希望が多い番号の2017年版が業界団体から発表された。それによると、3ナンバー(普通自動車)では1位から5位まで順に、「1」、「8」、「3」、「8888」、「5」、5ナンバー(小型自動車)では、「2525」、「1122」、「1」、「8」、「1188」、軽自動車では「2525」、「1」、「3」、「1122」、「5」だったそうだ。


 「1」は一番、トップということで縁起が良さそうだし、「8」は漢字の「八」が末広がりを表し縁起が良いということで人気があるのだろう。一桁ナンバーは覚えやすくて便利だ。ラッキーセブンの「7」が入っていないのは意外である。最近はあまりそう言われなくなったからだろうか。「2525」はニコニコという語呂合わせなのだろう。小型車や軽自動車ではかわいくて良さそうだが、高級自動車には不似合いだから3ナンバーではないのかもしれない。品川ナンバーでは「3298」が割と人気があるという。これはミニクーパーの語呂合わせで、ミニクーパーのオーナーが選んでいるそうである。


 一桁や二桁の桁数が少ないナンバーは覚えやすいというメリットがあるが、単なる識別番号なのだから、縁起のよい語呂合わせのナンバーにする必要性はない。ナンバーの縁起にこだわるよりも、安全運転にこだわる方がずっと縁起が良い。もっとも、私が最初に買った車のナンバー「く 7979」(苦、泣く泣く)ではちょっと気になるが(
444話)。

2018年6月 4日 (月)

神経質礼賛 1512.ハンドドライヤー

 この頃はハンカチを使う機会が少なくなった。職場では衛生上の理由からペーパータオルを使っているし、駅や商業施設のトイレにはたいていハンドドライヤーが設置されている。強い風を吹きつけて手を乾かすタイプと温風で手を乾かすタイプがある。これらを使えばハンカチを使わずに済んでしまう。ハンカチの主な用途は暑い時期の汗拭きとなっている。


 ハンドドライヤーはペーパータオルに比べて、電気代を考慮してもランニングコストが安いとされる。それに、ゴミが出ず、エコであるとも言える。しかし、ちょっと気になることもある。衛生面でどうなのか、という点である。作動している時には殺菌灯が点灯するけれども、どの程度の効果があるのだろうか。先日、医療関係者向けのサイトにあった記事では、手に菌を付けてハンドドライヤーで乾かす実験をしたところ空中に菌が散布されるという結果が出たという。特に強風を吹き付けるタイプでは温風タイプよりも菌が多く散布されたそうだ。


 こんな話を聞いたら、他人が手を乾燥した時の菌が空中に浮遊していてそれを吸ってしまうのではと恐れて、不潔恐怖の人はますます駅などのトイレに入れなくなってしまうだろう。しかし、既に洗った手を乾かしているのだから、実験のように人為的に菌を手に付けたのとは違う。心配したらキリがない。ほどほどのところで妥協しないと大変である。

2018年6月 1日 (金)

神経質礼賛 1511.Mahler Four by Four

 ネット上の楽譜図書館IMSLPで面白い楽譜を見つけた。マーラー(402)作曲の交響曲第4番の第1楽章を弦楽四重奏版に編曲したものだ。表題がMahler Four by Fourと洒落ている。4×4つまり四輪駆動とも読める。管楽器の分まで織り込んだ編曲だから、ヴァイオリン第一・第二・ヴィオラ・チェロともまさに四輪フル駆動である。空いた時間に少しずつ楽譜をパソコンに入力していき、2か月近くかかって完了。とりあえず、第一ヴァイオリン用カラオケ音源を作って、それに合わせて弾いてみる。


 
 この曲には思い出がある。浪人しても希望の国立大学に入れず、私大に入学し、3畳一間のボロアパートで生活した。大学のオーケストラに入部したけれども、「もっといい楽器を買え」「ドイツへ演奏旅行に行く金を用意しておけ」と言われて、これは無理だと思って辞めた。その時、練習していた曲がこの曲だった。この曲は「大いなる喜びへの賛歌」とも呼ばれる。しかし、私にとっては「負けっぱなしの青春の挽歌」に他ならない。


 
 神経質人間はしばしば過去の失敗を振り返って反芻する。徳川家康が「しかみ像」(209)を座右に置いて慢心を戒めたのと同じである。一見、マイナス思考のように見えるかもしれないが、神経質は生の欲望が強いから、向上心が強く、ダメ人間なりに努力していこう、という方向になる。粘り強く努力しているうちに、結果的には何とかなっているのである。

2018年5月28日 (月)

神経質礼賛 1510.須(すべから)く往生せよ

 昨年10月に京都森田療法研究所の岡本重慶先生から宇佐玄雄先生の講話などを収めた貴重なCDを送っていただいた。宇佐玄雄先生は禅僧にして森田正馬先生の弟子であり、京都の三聖病院院長だった。講話の中から抜粋で研究所ブログに紹介された部分は聴いていたが、この講話全体はとても長い。講話1が1時間54分、講話2が2時間25分にわたる。MP3形式で編集してあるので、パソコンに入れて少しずつ聴いて行こうと思っているうちに半年経ってしまった。これではいけない。MP3プレーヤーに移して、通勤の電車の中で聴いていくことにした。


 
 講話1の最初の部分は「あるがまま」について語られている。気分がよくないから、やりたくないから、「あるがまま」にやらないというのは誤りであって危険である。やりたくない気分はそのままに行動しなさい、ということである。森田先生は「須らく往生すべし」と言われた。ここでの往生とはそのまま行け、Go on!(英)、Gehen!(独)のことである。さらに般若心経の「諦羯諦波羅羯諦(ぎゃあていぎゃあていはらぎゃあてい)」も同じである、と森田療法的解釈をしておられるのがとても面白い。


 
 森田正馬先生は三聖病院で次のように講話されている。

最近驚いた実例は、静岡県の人で、三十余歳の人である。胃アトニーが、主症候で、そのほか十五年以来の反芻癖があり、これが自分で非常に厭わしい。胃アトニーは、一週間ほどで治ったが、その後、日記で、反芻癖はどうすれば治るかと、質問したから「どうもしかたがない」と赤字で答えて置いた。それから、いつ治ったかは、本人も気付かなかったが、三週間後には、いつの間にか、全く治っていた。これは療法上の術語で、不問療法という。知らぬふりして、放ったらかして置くことである。医者としては、不親切で、無責任に思われるから、実際には、素人が考えたよりも、なかなか難しいものである。「しかたがない」ということは、僕の『根治法』の内に、「須(すべから)く往生せよ」といってある事に相当するものである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.334


 
 また、刑外会でも次のように話しておられる。

 神経質の症状の治ると治らないとの境は、苦痛をなくしよう、逃れようとする間は、十年でも二十年でも決して治らぬが、苦痛はこれをどうする事も出来ぬ、しかたがないと知り分け、往生した時は、その日から治るのである。すなわち「逃げようとする」か「踏みとどまる」かが、治ると治らぬとの境である。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.389

 
 苦痛をなくしたい、症状を取り去りたい、とは誰もが願うことながら、そうしようとすればするほど悪循環にはまって、苦痛を深め症状を固着させてしまう。踏みとどまって苦しいままに行動していくうちに、いつしかそれらは薄れている。そして神経質が生かせているのだ。

2018年5月25日 (金)

神経質礼賛 1509.潰せ

 N大のアメリカンフットボールの選手が交流試合で試合の流れとは無関係に相手チームの選手に後ろからタックルして負傷させた件が大問題となっている。その状況が録画されていてTVニュースに何度も流された。そして、その選手が監督やコーチから「相手選手を潰せ」と指示されていたことが判明して監督やコーチの責任問題に発展した。

 この話を最初に聞いた時は、「潰せ」というのはあくまでも比喩的表現で、それを選手が字義通り実行してしまったのではないか、もしかしてアスペルガー症候群的な傾向のある選手なのだろうか、という考えが浮かんだ。しかし、選手の記者会見での発言によれば、コーチから「相手選手がけがをしたらこっちの得」と具体的に言われ、監督からはやらなければ日本代表を辞退させると脅されていたようだ。それが事実ならば、傷害行為・犯罪行為を強要されたようなもので、この選手も被害者ということになる。


 かつて高校野球の応援では「○○倒せ!ぶっ倒せ!」などとやっていたものだが、現在では、「ぶっ潰せ」「ぶちかませ」などはもちろん、「ぶっ倒せ」もよからぬ表現とされて聞かなくなった。しかし、闘争心を煽るためにスポーツの指導者がそうした言葉を使うことはあるのかもしれない。ただ、勝敗やチームの損得にこだわるあまり、相手の選手がけがをすれば得だと考えるのはいくら何でも異常である。

 趣味程度のスポーツは健康的で心身に有益ながら、プロやオリンピックや大学など競技としてのスポーツは身体に有害であるだけでなく、勝ちさえすればよい・強ければ何をやってもよいという歪んだ思考に陥る危険性もはらんでいる。また、閉鎖的な指導環境はハラスメントの温床にもなりやすい。競技スポーツは輝かしい面だけでなく、そうした負の側面も持っているのである。


 ところで、私はいつも、新しい患者さんの診察の際、生活歴の中で、学校でどんな部活に入っていたかを尋ねることにしている。神経質傾向の人は、バスケットやサッカーやラグビーのように人とぶつかり合うようなスポーツを選ばず、テニスや卓球のように相手とはネットを隔てていて直接ぶつからないスポーツを選んでいることが圧倒的に多い。神経質人間に「相手を潰して来い」と命じても相手の身を案じてできない話である。喧嘩も弱いがそれでよい。

2018年5月21日 (月)

神経質礼賛 1508.スヌーピーの作者は神経質

 私が中学生の頃、同じ学年にスヌーピーのキャラクターグッズを沢山持っている男の子がいた。彼の周りには「わー、可愛い」「これ、いいなあ」と女の子たちがよく集まっていたものだ。彼は小柄で痩せていて神経質な人だった。親の後を継いで小児歯科医になっている。私はスヌーピーが登場する漫画はそれほど読んでいないが、医学生新聞に転載されていたものは印象に残っている。それは、主人公でスヌーピーの飼い主であるチャーリー・ブラウンの友達が抗ガン剤の治療を受けて髪の毛が全部抜けてしまったのを見て、クラスの男の子たちが坊主頭になって励ますというような、いい話だったように思う。

先週の火曜日、NHKのアナザーストーリーズという番組でスヌーピーの作者チャールズ・シュルツ(1922-2000)を扱っていた(今夜BSプレミアムで再放送される予定)。シュルツの父親は貧しいドイツ移民の床屋だった。シュルツは内気ながら勉強はよくできて2年飛び級したが、年上で体の大きなクラスメイトたちから仲間外れにされてしまう。高校を卒業してから漫画を投稿するが採用されなかった。しかし、ボツになってもめげずに投稿を続け、負けず嫌いさが出てくる。第2次世界大戦従軍後、アートスクールで働きながら漫画の投稿を続け、ついに地元新聞に掲載される。さらには全米の新聞に連載となり、世界中の雑誌に掲載され、アニメ化もされ、キャラクター商品も売り出されるようになった。主人公のチャーリー・ブラウンがシのュルツの分身であることはシュルツ自身認めていたという。チャーリー・ブラウンの野球チームは負けっぱなし。その原因を作っているルーシーからはいじめられ、責任を押し付けられる。野球に限らず、思うようにならない困ったことが次々起こる。その困ったことに対処していくのが漫画のテーマになっていると評されている。「人生はうまくいかない」と嘆きながらも仕方なしに行動していくのは作者自身の姿でもある。チャーリー・ブラウンが憧れている「赤毛の女の子」は、シュルツがプロポーズして断られた同僚女性がモデルなのだそうだ。この赤毛の女の子は顔が描かれることはほとんどなく、長いこと登場しているという。内気でも負けず嫌いで失敗にこだわるシュルツは神経質だったことは間違いない。神経質の粘り強さのおかげで、亡くなるまで50年の長きにわたり、スヌーピーとチャーリー・ブラウンが活躍する漫画「ピーナッツ」を描き続けることができたのだろうと思う。

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