神経質礼賛 582.パワースポット
TV番組や雑誌の記事でパワースポットを扱ったものが目に付く。何でも明治神宮の加藤清正ゆかりの「清正井」をケータイの待ち受け画面にすると幸運に恵まれるということで、大勢の若者が押しかけているという。出雲の須佐神社では樹齢1300年の「大杉」がパワースポットとされ、木に向かって若い女性たちが手をかざしていくという。鳥居や本殿をお参りせず素通りでパワースポットに集まる人たちに、神社側も当惑しているそうだ。
社会情勢を見れば、少子高齢化、円高不況、就職難、国家財政の危機的状況、と明るい未来が思い描けない。家族の結びつきも弱くなっている。そうした「不安の時代」の中で、風水が流行し、スピリチュアル・カウンセラーと称する人がもてはやされるようになって、パワースポットというものが注目されるようになってきたのではないだろうか。
もちろん、謙虚な気持ちで神社仏閣を参拝するのも良いし、万物に霊は宿ると考えることは悪いことではない。気のパワーを分けてもらいたいという気持ちもわからないでもない。けれども、マスコミに踊らされてパワースポットと称する所に行列を作るのはいかがなものか。ケータイの待ち受け画面にパワースポットを入れたところで、所詮はおまじないにすぎない。
550話で引用した森田正馬先生の言葉を再掲しよう。
そもそも自信とは、どんなものですか。強い人が勝ち、弱い人が負ける、上手の人がよくできて、下手な人が、うまくできない。それが事実であって、その事実をそのままにみるのが、信念であり自信であります。
しかし、それではなんの変哲もないから、皆さんは、できない事もでき、強い人にも勝つように、自信というものを作りたいという野心があるのではありませんか。
そこが自欺のもとでもあり、間違いだらけになる原因であります。「事実唯真」の私の言の反対になります。 (白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.606)
不安を解消して安心したい、自信をつけたい、ということでパワースポットを訪れたところで、自分自身が行動していかなければ何も状況は変わらない。不安なまま、自分ができることを積み上げていくほかはないのである。


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