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2006年2月22日 (水)

神経質礼賛 16.神経質と教育

 「ここの神経質の入院療法は、一つの精神修養法であって、学校教育のやり直しで、再教育というようなものです。今の学校教育の知識記憶の詰め込み主義とは、全く反対の着眼点から出発するものです。それで学校教育が多くて、それにこだわりの多いものほど、悟りが悪いのであります」(白揚社:森田正馬第5巻p.614)と森田正馬先生が形外会で語られたのは、昭和10年のことである。人の人格形成に教育(家庭教育・学校教育)の及ぼす影響は極めて大きい。 周囲の物事をよく観察し、「己の性(しょう)を尽くし、人の性を尽くし、物の性を尽くす」の言葉のように最大限の価値が発揮されるよう行動していくのが森田流である。その結果、神経症としての症状は消失し、神経質の良さが発揮されていくのであるが、これは、神経質人間ばかりでなく、誰にとっても有用な教育法であろう。

今の教育はどうだろうか。以前の詰め込み教育に対する珍妙な反省から「ゆとり」教育となったが、「学力低下」問題を生み出している。自分の子供の教科書を見ると、唖然とするほど文章がない。カラー写真と漫画で埋め尽くされている。どの教科もそうである。子供たちの頭の中身もこんな風にカラッポになっているのではないかと心配になる。「ゆとり」で生じた時間は地域で面倒見ろ、ということだったらしいが、どこの子供会も少子化のため、少ない父兄で悲鳴をあげながら行事をやりくりしていて、それどころではない。結局、親の不安から小学校のうちから夜遅くまで予備校・塾に通う子供と、親の放任でTVゲーム漬け・ケータイのメール漬けのような子供と2極化しているのが現状である。

学力の問題だけではない。TVのニュースや新聞を見れば、子供による殺人、傷害、強盗、売春(最近は買春と称して「買った」大人の責任だけが追及され本人は「被害者」扱いだがそれで良いのか?)といった犯罪も目立つ。学力・知識以前の問題である。道徳教育の必要性を振りかざす気はないが、家庭や学校での「しつけ」がまず必要だと思う。その前に、未熟な親も教師も自分たちが模範となるよう、自分自身を律し、成長していく必要がある。「外相整いて内相自(おのずか)ら熟す」である。

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