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2006年3月31日 (金)

神経質礼賛 50.日々是好日(にちにちこれこうじつ)

 これは、唐の禅僧、雲門禅師(864-949)の言葉である。通常は「ひびこれこうじつ」と読まれているが、仏教関係者は「にちにちこれこうにち」と読む場合が多いようである。私の恩師・大原健士郎先生は「にちにちこれこうじつ」と読むよう指導しておられる。来る日も来る日も好い日である、という意味である。

 森田正馬(まさたけ)先生は日々是好日について次のように述べておられる。

私の解釈では、『日々是好日』とは、座禅をして陶然とすることではない。日々の小さい精神の緊張を指して言ふのである。日常、朝も晩も・生も死も・楽しくても苦しくても・皆それぞれが、好日なのである。 (中略) あらん限りの力で・生き抜かうとする希望・その希望の閃きこそ、『日々是好日』なのである。 (中略) 我々の日常生活に於いては、如何なる時も、死ぬ迄、憧れと・欲望とに引づられて、前へ前へと追ひ立てられてゐるが、それが即ち私の『日々是好日』である。生きて居る事実は、誰にも皆同じ様に、『日々是好日』であって、嘆くにも及ばない。安心するにも及ばない。それは事実である。屁理屈をつけてこそ、好日でもなくなるが、屁理屈が無ければ好日である。   (白揚社:森田正馬全集 第7巻 p.475-479)

 1年の中で、その日1日を振り返って「今日はいい日だったなー」と思える日はなかなかないものである。自分の体調が悪い日もあれば、周囲の厄介ごとに巻き込まれる日もある。「もうサイテーだ!」と心の中で叫ぶこともある。特に、悪い所探しの達人である神経質人間は「日々是悪日」と思いがちである。しかし、気分がいいから、楽しかったから、好日なのではない。つらいことがあろうと、気分がすぐれなかろうと、体調が悪かろうと、その時その時にやるべき行動を積み重ねていればそれが好日だということなのである。

 この言葉を目にするたび、ついグチをこぼしてしまいがちな・屁理屈をつけがちな自分を反省するのである。

2006年3月29日 (水)

神経質礼賛 49.緊張ということ(その3)

 イタリア・トリノでの冬のオリンピックが終わった(「トリノオリンピック」が「鳥のオリンピック」に聞こえて困ったのは私だけだろうか)。事前にメダル予想数がいろいろ言われていたが、皮算用がはずれてメダルは荒川静香選手の1個だけに終わった。平成18年2月27日付読売新聞では「荒川の自然体に学べ」と言う記事の中で、多くの日本人選手たちが「自分のレースをする」「力を出し切りたい」「五輪の舞台を楽しむ」と言い、勝負に対する執念が不足していることを批判している。それは確かにそうである。特に中国や韓国の選手の気迫には、試合前から負けている。ここで「自然体に学べ」はいいとしても、「自然体になれ」と言うと無理がある。自然体になろうとしてなれるものではない。神経症の人に「あるがままになれ」というようなもので、すでに「かくあるべし」の理想論なのである(第31話)。荒川選手もショートプログラム終了後のTVインタビューでは「ちょっと緊張していました」と述べていた。フリーの堂々とした最高の演技は、緊張状態を通り越して、緊張しているとか・していないとかを意識しない、演技に完全に没入した状態だったのであろう。自然体になろうとしてなったのではなく、結果として自然体であったということなのである。もちろん心理状態だけではなく、故障を乗り越えて、多くの国際大会での競技経験の裏打ちがあってのことである。

一方、日本人が苦手とするアルペン種目の男子回転で見事4位入賞となった皆川賢太郎選手のインタビュー記事では、2回目のスタート台で、「こんな緊張感は人生の中でもなかなか味わえない、と思ったら笑っていた」と述べている。左膝靱帯断裂の大けがを乗り越えて苦労を重ねてようやくつかんだ晴舞台で緊張しないわけがない。そして緊張の極致を超えたところでふっきれて、思い切りの良い滑りができたのであろう。逆に緊張がなければこうはいかなかったはずである。

不本意な結果に終わった選手の中には、緊張感が少々足りないような人もいたのではないかと思う。

2006年3月27日 (月)

神経質礼賛 48.現金自動支払機盗撮事件

 最近、私の神経質ネタが増えてしまうような事件が起こっている。現金自動支払機の上部に隠しビデオカメラを設置し、利用者の暗証番号を盗撮し、後で本人になりすまして勝手に現金を引き出してしまうという事件であり、全国あちらこちらで発生している。磁気カードでは容易に偽造できてしまうので、こんな事件が起こる。油断も隙もあったものではない。被害額は銀行側で補償してくれるようだが、それでも被害にはあいたくない。そこで、近頃は、機械を操作する前に、普段と違うものが自動支払機に取り付けられていないかどうか、チェックするようになった。もっとも、2,3秒で済ませる程度である。この確認に数十秒かけるようでは、後ろで待っている人々に迷惑が及んでしまう。さらには、暗証番号を操作する時に、雑誌とかパンフレットなどで手を隠しながら操作することも検討中である。用心することにこしたことはない。もっとも、銀行の防犯ビデオには、私の様子が「不審者」として残されているかも知れないが。

2006年3月26日 (日)

神経質礼賛 47.電池の規格

 昔から広く一般的に使われている電池は単一(UM-1)から単五(UM-5)であり、最近は乾電池の性能が向上して容量がアップしたため、小型軽量の単三(UM-3)と単四(UM-4)が多用されている。いずれも円筒型であり、角型は内部で6個の電池が積層された9V006Pくらいのものであり、他はあまり見かけない。写真のフラッシュ用に22.5Vの角型積層電池もあったがストロボの普及で姿を消した。円筒型ではスペース効率が悪いし、転がってしまうから、角型の方が良いはずだが、角型電池は、なぜか普及しなかった。私が子供の頃は巨大な角型乾電池があった。呼び鈴やインターフォン用に、長期間使えるようにするためだったと思う。平五という3Vの乾電池を実験用に買ったことがある。外装は紙でできていた。最後に中をあけて見たら、円筒型の大きな乾電池が2本入っていて、ちょっとがっかりした覚えがある。また、006Pよりも大きくて重い底面が正方形の6Vの角型乾電池があった。プラス極・マイナス極の形状が006Pと同じ構造であった。実際に買って使ってみたが、これまた正体は単三電池4本だと後からわかった。

 今では、携帯電話の電池に代表されるように、小型の充電池が内蔵される機器が多くなった。ほとんどが、角型、平板型の充電池である。ノート型パソコンの充電池は寿命が2-3年であり、買い換えると1個2,3万円もするケースがある。そして、同じメーカーでさえ、互換性がないものが多い。以前、8ミリビデオで、購入後5、6年経ってから、専用充電池を買おうと思ったら、生産中止で入手不能、ということがあった。本体は大丈夫でも、これでは事実上使えなくなってしまう。唯一、比較的共用できるのが、MDプレイヤーの通称「ガム電池」と呼ばれる薄い角型充電池である。何とか、小型機器用充電池の共通規格はできないものか、と思う。規格がバラバラではユーザーが不便なばかりでなく、メーカーさんだって、機器ごとに専用充電地を作っていたらコストがかかるし、不要在庫を抱えなくてはならない。売れ残った充電池は一定期間後に廃棄処分ということになり、資源のムダになる。神経質人間でなくとも、そうは考えないだろうか。

神経質礼賛 46.プリンター復活

 前回話題のプリンターは結局、修理に出すことにした。修理代を考えると、買った方が安い、ということになるのだが、ゴミにしてしまうのはもったいないし、買い置きのインクカートリッジはその機種専用であり、未使用で捨てるのも癪に触るからである。

 2年半前に購入したパソコンショップに修理依頼ということで預けたが、メーカーから修理金額の見積もりの連絡がなかなか来ない。私の留守に家族が電話に出てもわかるように、「見積金額が1万円以内ならば修理、1万円を超えるならキャンセル」と電話機にメモを張っておいたのであるが、仕事から帰ると、「今日も電話なかったよ」と言われる日が続いた。ところが、修理に出して8日目にパソコンショップから電話があり、無償修理が完了したので、取りに来てください、とのことであった。

 原因は、ヘッドにつながっているチューブのはずれによるもので、インターネットの掲示板で、この機種の所有者からの同じトラブル報告が相次いでおり、消費生活センターにも苦情が寄せられ、その結果、メーカー側も構造上の欠陥であることを半ば認め、送料はメーカー負担で無償修理ということになったようだ。

 これでプリンター復活、万々歳、なのだが、すでに高い代金を払って修理したユーザーもあるわけで、少々釈然としない気持ちが残る。インターネットの掲示板では、「同社のプリンターは2度と買わない」と憤慨したユーザーからの書き込みもいくつかある。自動車やファンヒーターのように生命にかかわるトラブルではないにせよ、メーカーはトラブル情報をユーザーに公開すべきである。派手な宣伝広告に経費をかけるより、こうしたところにお金をかけた方が、長い目で見ればユーザーの信頼が向上し、売上・利益の向上につながると思う。

神経質礼賛 45.プリンターの最期

 また、プリンターがダメになった。印刷ムラがひどくて字が読めない。何度ヘッドクリーニングをしてもインク詰まりが直らない。あるいはインクタンクからヘッド間のチューブがはずれたのか。ワープロ専用機から、パソコンで文章を書くようになって、今までに熱転写式を2台、インクジェット式を2台使ったが、どういうわけか、いずれも12月の年賀状作りシーズンに最期を遂げている。年賀状作りなどで負荷が増大するのと、急激に冷え込みと乾燥で、インクノズルが詰まりやすくなったり、ベルトの不具合が出やすくなったりすることも関係しているのだろうか。

 最近はプリンター本体の価格は以前に比べて随分安くなった。本当かどうかわからないが、本体の価格を安く設定して新型機を買わせて、インク代で稼ごうというメーカーの戦略だ、という説もある。実際、店頭で、インクカートリッジ4色とか6色ワンセットの2-3倍の価格で売られているプリンターもよく見かける。新製品が出るごとに1インチ当たりのドット数が増えて画像が鮮明にプリントできるようになってきている。しかしながら、それは、ヘッド周辺部のみの進化であって、それ以外の部分は10年前のものと大きな変化はない。故障修理は下手をすると新品価格より高くついてしまうこともあり、故障したら買い替えという人が多いことだろう。そのたびに粗大ゴミが出ることになる。本体をある程度標準化して、ヘッドと制御部、それとソフトだけ買い換えればよい、というようにできるはずである。メーカーさんも、最近は使用済みカートリッジを回収する、という環境配慮はしてくれているが、思い切って、前述のような構造にしてくれると、大幅に地球にやさしい製品になると思うのだが、いかがなものか。インクで稼ぐという路線ならば、それでも損はしないであろうに。

神経質礼賛 44.御無沙汰年賀状

 毎年出している年賀状の相手は、普段、顔を合わせている人よりも、長く会っていない人の方が、数の上では多い。学校の恩師、かつての親友、かつての職場の先輩・同僚・後輩が中心である。こうした「御無沙汰年賀状」が過半数を占めている。

 私は、その年に受け取った年賀状・前年に受け取った喪中はがきを基に、年賀状を出すので、特に事情がなければ、相手から返事が来るうちは出し続けることになる。よくよく考えてみると、こういう御無沙汰年賀状が長年続く人は、私と同じで神経質な人が多いようである。

 実際の生活の中で、お付き合いがなければ、年賀状などムダだ、と考える人もいるかと思う。しかし、私は、御無沙汰している人たちに年賀状を出すことは意義深いことだと思っている。自分の消息を伝え、普段会えない人の情報を得る、という実用的な面以外に、年末にその年を振り返り、自分の来し方・行く末を考える貴重な時間が取れる、という面があると思う。今ある自分が、どれだけ多くの人々に支えられてきたかを考えさせられる時でもある。今では絵や文面はパソコンに頼るようになったが、宛名だけはその人のことを思い浮かべながら下手くそな字で手書きしている。年賀状の風習は廃れないでほしいものである。

神経質礼賛 43.喪中ハガキ

 年齢とともに、黒ネクタイの使用頻度が高くなってきた。白ネクタイは、ほとんど御無沙汰である。それとともに年末に送られてくる喪中ハガキも増えてきている。

 いつも疑問に思うのだが、近親者が亡くなって、何ヶ月も喪に服している(酒色を避け、身を清める)ということが実際あるのだろうか。律令時代はいざ知らず、現代でも皇族や寺社関係ならばありうるであろうが、例えば2月や3月に近親者が亡くなって、12月にまだ服喪しているということは一般にはありえないはずである。近親者が亡くなった年は年末に喪中ハガキを出す、というのは、いかにも杓子定規ではないだろうか。逆に、近親者が犯罪被害やひき逃げ等の事故に巻き込まれて亡くなって犯人が捕まっていない、というような場合は、何年たっても御遺族にとっては毎日が服喪であろう。

 喪中ハガキを受け取る相手のことを考えると、私は極力出したくない。喪中ハガキを受け取って気持ちのよい人はいない。だから、自分の父親が亡くなった年も喪中ハガキは出さなかった。そして事情を知らない人に対しては、普通に年賀状を出していた。神経質な私のことなので、自分が年賀状を出した相手の名前は、その年の手帳の最後にメモしておき、喪中ハガキをもらった人の名前もまとめてメモしている。そうすることで、喪中だった人に、翌年、年賀状を出し忘れる、ということが防げるというものである。

2006年3月25日 (土)

神経質礼賛 42.マイホームの業者

 5年ほど前、家を建てた。なけなしの貯金をはたいて、住宅密集地に「猫の額」ばかりの土地を買った。当然、3階建にせざるを得ない。いわゆるペンシルハウスである。となると、火災や地震対策として、鉄骨系住宅ということになり、中小の業者では技術力が心配なので、ハウスメーカー大手のHハウスとSハウスに大まかな間取りを見せて見積りをお願いした。私も欲張りで、1階は車庫にして来客者が駐車できるように2台横並びに入れるつもりだった。Hハウスの営業マンは、社内の一級建築士を連れてきて、車庫入口の中央にどうしても柱が必要だと言う。自社基準では震度7の地震を3回クリアできる設計にしているが、そのためには車が入れにくくてもそうするしかない、とのことだった。一方のSハウスの営業マンはとても頭の回転が速い優秀そうな人で、すぐに私の希望通りのプランを図面にして持ってきた。Hハウスには入口中央に柱が必要と言われた件を告げると、Sハウスならなくても大丈夫だという。見積価格はSハウスの方が若干高かったが、「まだまだ下げられますよ」という。Hハウスの営業マンはのんびりしたもので「ご都合のよい時にまたご連絡下さい」だが、Sハウスの営業マンは「どうでしょうか」と抜け目なく頻回に電話や直接訪問でせっついてくる。

 結局、Hハウスにお願いすることにした。もちろん、両社とも代表的な住宅メーカーであり、技術力にほとんど差はないであろうが、客の要望よりも安全設計を重視する姿勢に信頼できたからである。Hハウス若手の現場監督は建築業界のイメージにそぐわない神経質な人で細かなことも心配してくれて、こちらも筋金入りの神経質ゆえ、設計後の仕様変更がかなり出て、仕様書の厚さが通常の倍近くになったそうである。担当営業マンも実直な人で、建てた後の細かなクレームによく対応してくれて満足であった。

2006年3月24日 (金)

神経質礼賛 41.耐震強度偽装問題(その2)

 耐震強度偽装問題で渦中の一級建築士は免許取り消し処分となった。巷では頭髪も偽装で、カツラではないか、とそちらの方が話題になっている。私も同じ年齢だが、そろそろ額が後退し始め、白髪だらけになってきていて、あのようにフサフサした髪は不自然に思える。それはともかく、新聞報道によれば、かつての上司の話が載っていて、たたき上げの苦労人で努力に努力を重ねて一級建築士になった人だという。その人がどうしてこんなことになってしまったのか。地震に弱い建物を作れば、一度に多くの人命や財産が失われる。それを承知で設計するのであれば、大量殺人に近い行為である。

 問題は、この元建築士個人だけではない。コストダウンのため、建設会社や販売会社が建築士に圧力をかけていたとか、都道府県のチェックもいいかげんで見逃していたとか、問題の根は深い。建設業界以外でも、数多くの食品偽装事件が明るみに出ていることを見れば、「偽装」大国ニッポンである。

 特にバブル以降、目先の金を得るためには手段を選ばないのが普通になってしまったのではないか。老舗の誇り・看板の重みもない。かつて日本人の美徳でもあった「恥」の意識などゼロである。マネーゲームで隙を突いて儲けた者が勝ちである。グローバルスタンダードならぬアメリカンスタンダードで義務を果たさず権利だけを声高に主張するおかしな社会になってきた。犯罪も凶悪化の一途をたどっている。何の落ち度もない人を残虐な方法で殺しておきながら自分の人権ばかり主張する人非人ども、それを助長する司法関係者。「人権尊重」とやらで死刑を免れて、数年後に無期懲役から仮出所した人非人どもが再び殺人を犯して、善良な市民の命が失われても、誰も責任を取らないのはおかしな話である。善良な市民の人権よりも、人非人の人権が最優先されているのが現状である。私が子供の頃、TVの時代劇は勧善懲悪だったし、子供向けアニメも正義の味方が主人公であり、「卑怯者」と呼ばれることを誰もが一番恐れた。今のTVドラマでは、残虐な殺人・暴力シーンや不倫ネタが売り物である。視聴率が上がりさえすればよい、という「市場原理」によるものであろう。「土人や低級の人間は、強い刺激性のもの、あくどいものを好むのが常」(白揚社:森田正馬全集第7巻,恋愛の心理,p.107)であり、ずいぶん、民度の低い国に成り果てたものだ。

 話を戻して、問題の元建築士も、かつては高い志を持っていたのだろうが、昨今の社会風潮の中で、自分の良心も偽装してしまったのだろうか。人一倍「恥」を恐れる対人恐怖や、罪業恐怖・過失恐怖の神経質ではこういうことはありえない。

神経質礼賛 40.耐震強度偽装問題(その1)

 マンションやホテルの設計の際、耐震強度が偽装され、建物には通常の半分程度しか鉄筋が使われておらず、震度5の地震でも倒壊の恐れがあることが判明し、大問題になっている。当初、担当の建築士の責任が追及されたが、実は、販売会社、建設会社もグルだったようである。マンション住人にとっては、住宅ローンを組んでようやく手に入れたマイホームがこれではたまったものではない。被害者はマンションを買ってしまった人たちばかりではない。老後のために長年やっていた商売をたたんでホテルを建設した人たちもいるという。さらに、周辺住民は、いつ地震で倒壊して巻き添えを食うのでは、と気が気ではない。転居費用や転居先の家賃もかかり、建築士個人では全く賠償能力がないし、販売会社、建設会社も支払能力不足、とあっては、国からある程度の助成はやむをえないところであろう。またしても企業の不始末を税金で穴埋めである。

 購入者には全く責任はないが、「好立地で安いマンション」はどこか怪しい、とは思わなかったのだろうか。実際に建設に携わった下請け業者たちは一目見て鉄筋が少ないことを察知したそうである。素人では判断が難しいにせよ、怪しいと思ったら、欠陥住宅の専門家や業界の事情に詳しい人に相談してから購入するかどうか判断する、という方法もあったのではなかろうか。この件に関しては、神経質人間が得意の、石橋を叩くだけで渡らないのが正解であった。

2006年3月22日 (水)

神経質礼賛 39.mandy氏の森田的自転車療法

 前回紹介した財団スタッフの中でM代さん・・・ペンネームmandy氏についての話である。mandy氏も、かつては神経症に苦しみ、森田療法に救われた一人である。現在は財団スタッフであると同時に、生活の発見会の幹部として、症状の真っ只中にあって苦闘している後輩たちを強力にサポートしている。「生活の発見」誌には、彼のおかげで「症状」のトンネルから抜け出せた人たちの体験記が次々と寄せられている(生活の発見 第49巻・第8p.30-36,第49巻・第10p.8-15,第49巻・第11p.2-8,第50巻・第1p.22-28)。中には後輩同士で結婚したカップルもあるとのことである。mandy氏は大都会の中で自転車通勤をされており、休日には発見会の後輩たちを誘って自転車でツーリングに出かける。これは「森田的自転車療法」とでも言えるであろう。森田療法の作業と同様、「症状」にばかり向いていた注意が外に向くことになる。何しろ、自転車の運転は四方八方に気を配らなければできないことである。症状を気にしているヒマなどない。少しずつペダルをこぎ続けることで、山を越え、谷を越え、思いがけない距離を走ることができ、達成感が得られ、自信にもつながる。神経質人間は孤立しがちだが、坂道でへこたれそうになった時の先輩や仲間からの励ましに支えられ、今度は自分が後輩を励ますようになり、「自分ばかりが」という差別観が平等観に変化してくる。そして目的地でくつろぎながらの会話、行ってきてからの会話もはずみ、集団精神療法としての効果が大いにあらわれるというものである。森田的自転車療法のますますの発展を期待したい。

彼のポケットの中にある秘密兵器PDAには森田正馬全集が全部入っているという。長年コツコツとワープロやパソコンで入力し続けたのだそうである。森田療法研究者にとっては垂涎の的である。この根気には完全に脱帽である。

神経質礼賛 38.岡本記念財団のスタッフ

 前回述べた、メンタルヘルス岡本記念財団には、岡本常男理事長の他、数名のスタッフがいる。実務面全般をとりしきるのが事務局長で、私が初めておじゃました頃は、M田さんであった。M田さんは、以前は福祉施設で仕事をしていた方で、茶目っ気たっぷりで、神経質軍団の中では異色の存在であった。新大阪駅で待ち合わせの時も、私に気付かれないように背後から登場して驚かせるのが得意技であった。いつもやられっぱなしでは面白くないので、こちらも負けずに一度だけ1本早い電車で行って待ち伏せし、M田さんを逆に驚かせて仇をとったこともある。学会の時など、懇親会で料理をぱくついていようものなら、間抜け面をすかさず隠し撮りされてしまった。話題が豊富で、一緒にいるだけで楽しい人であった。残念ながら、「都会を離れて釣り三昧の生活をしたい」と田舎に家を建てられ、引退された。その後を継いだのが、現事務局長のS田さんである。堂々とした風格で、ちょっとやそっとの事には動じない、という落ち着いた雰囲気ではあるが、細かいところまで気配りされる方である。財団の顧問、Y中さんは、セルフヘルプグループ「生活の発見会」の相談役でもある。発見会発足時からのメンバーで、重鎮といえる存在であり、後輩会員への的確な指導で知られている。そして財団図書室・財団ホームページなどの維持運営にあたっているのがM代さんであり、次回に詳しく述べる。最後に忘れてはならないのが理事長の秘書さんである。一見おっとりしているが、テキパキと仕事をこなす、とてもチャーミングな女性である。

2006年3月19日 (日)

神経質礼賛 37.岡本常男さんのこと

 森田療法の関係者で岡本常男さんを知らない人はいない。1924年のお生まれだからすでに齢80を越えていらっしゃるが、いつも笑顔を絶やさず、若々しいエネルギーが感じられる。終戦後、九死に一生を得てシベリアの抑留生活から生還され、裸一貫から商売を始められた。後にダイエー・ヨーカドー・ジャスコと並ぶ4大スーパーの一つであるニチイ(後のマイカル)の創業に参画され、副社長にまでなった方である。元々バリバリの営業マンで神経質とは一見、無縁そうに思われるかもしれない。しかし、仕事が多忙な中で、胃腸神経症にかかり、医者にかかってもよくならず、森田療法を勉強して実行したところ治った、という経験をされた。そこで私財を投じて「メンタルヘルス岡本記念財団」を設立され、森田療法の普及のため、奔走されているのだ。昔の言葉で五人力とか十人力とかいう表現があるが、岡本さんの場合、大学教授十人分以上の働きぶりである。

 岡本さんは講演で、いつも御自分の神経症体験を語られる。その中で、劣等感についてこう述べておられる。「かつて私は、学校を出ていない。背が低く貧弱な体である。小心で臆病、方向音痴で、人の顔もよく忘れる。何よりも内向的でネクラ。そういう自分が嫌いで、自己嫌悪感のかたまりでした。一方、同僚の副社長で一流大学を出て背が高くユーモアがあり、女性によくモテる人がいて、その人が羨ましくて仕方ありません。自分もあんな人になりたいもの、と心の中で憧れていました。つまり自分にない自分を求めて劣等感に悩んでいたのです」

 岡本さんのようにビジネスで大成功された方がこのような劣等感を持っておられた、というのは意外に思われるであろうが、劣等感を森田先生のいう「生の欲望」としてエネルギーに転化されて、努力を重ねて、成功を収められたのだと思う。

ちなみに岡本さんが引退された後、ニチイ(マイカル)はバブルの拡大路線の失敗から破綻してしまう。以前にも述べたように、会社でも暴走をチェックして止めてくれる神経質人間は欠かせない存在なのである。

2006年3月18日 (土)

神経質礼賛 36.神経質な医師の系譜(その2)

 森田療法の創始者である森田正馬先生自身、神経質であったことは有名であるが、そのお弟子さんたちにも神経質者が多くいた。

 白揚社・森田正馬全集第5巻の形外会の記録では、こうしたお弟子さんたちの発言も散見する。森田先生の助手で、先生の晩酌相手だった「佐藤先生」(佐藤政治:のちに沼津精神病院院長)は、自分自身、赤面恐怖であると述べているし、「香川先生」(香川亙)は、患者さんたちから同じ入院患者と思われていて、「あなたも随分長く入院していますね」と言われてしまい、「どうも治らなくて困ります」と答えたという。「堀田先生」(堀田繁樹)は神罰恐怖・劣等感恐怖で中学時代に入院経験があり、岩手医専卒業後、森田先生の弟子となっている。患者の「鈴木」とは、のちに東大医学部に進学して、森田療法専門の診療所を開業した鈴木知準先生のことである。皆、森田先生のおそばにいることで、薫陶を受け、神経質を大いにプラスに生かしていったのだと思う。

神経質礼賛 35.神経質な医師の系譜(その1)

 以前から私の神経質ぶりは述べているが、医療関係者で神経質人間は少なくないものである。

 「主人在宅ストレス症候群」という著書で有名な黒川順夫先生は、大阪で内科を開業され、ユニークな外来森田療法・・・歩行訓練療法を行っておられるが、かつては「対人恐怖症」に苦しみ、水谷啓二さんのもとで森田療法を受けた経験を学会講演などで述べておられ、論文の中でも御自身を症例として発表されている(黒川順夫:「対人恐怖症」全治における告白の意義,日本森田療法学会雑誌,16(2),p.147-153)。黒川先生は医大卒業後、九大の心療内科で学ばれているが、そのきっかけは、心療内科の大家である池見酉次郎教授もかつては赤面恐怖症で悩み、森田療法を受けたことがあると知ったためだそうである。黒川先生によれば、対人恐怖症は普通神経質や不安神経症に比べて自分の経験や悩んだことを人に告白しにくく、告白できるようになれば「最終ゴール」とのことである。

 精神科医や心療内科医は、「しゃべるのが商売」であり、話し上手、話し好きが多い、と一般には思われがちだがそうでもない。神経質で対人緊張が強くても、仕事であれば仕方なしにやっているうち何とかなるものである。

2006年3月16日 (木)

神経質礼賛34.ニセ医者事件に思う

 東京都内の病院で8年以上も無資格で内科医として勤務していた男が逮捕された。慶応大学医学部卒と称し、偽造した医師免許証のコピーを使っていたという。実際は定時制高校中退で、都立某病院で1年間「見学生」をしただけで内科医としての医療行為をしていた。「見学生」などという制度があるとは私も初めて聞いた。医学生や看護学生の臨床実習としての見学ならば話はわかるが、有名な病院が一般人対象に診療を「見学」させているとは理解できない。患者さんのプライバシーはどうなっているのか気がかりである。

 それはともかく、いつも、ニセ医者が逮捕されると、「やさしくて親切でいい先生」などと評判がよい医師として通っている場合が多い。ニセ医者は、ミスをしたらバレてしまうので、危ない処置は避けて他の医者に紹介するであろうし、患者さんの訴えをよく聞くだろうし、スタッフとも対立しないように気を配るであろう。事故が起こらなかったのは幸いであったが、ニセ医者から学ぶべき点もあるのではないか。医学部の5年・6年生の時、臨床実習ですべての診療科を回るが、とんでもない光景を見てきたものである。特に密室ともいえる手術室内では、器械出しが遅いと介助の看護婦さんを罵倒したり器具を投げつけたり、他の医師に蹴りを入れたり、という御仁がいた。「チクショー」と叫びながら医療機器に八つ当たりして蹴飛ばしている人もいたが、この人は某医大の助教授になった。最近ではどこの医学部でも低学年で医療者としての基本的な部分の教育に力を入れているようだが、ニセ医者経験者を講師として呼んでみたらどうだろうか。

 話は変わるが、ミスを恐れ、人間関係に気を配る、という点は神経質人間の得意技でもある。医療関係は言うに及ばず、どんな職場でも人並以上の活躍ができるはずである。神経質人間は、目立つことは上手ではなくても、周囲からは高く評価されている場合が少なくない。なお、小心者の神経質人間は「ニセ医者」のような詐欺的行為はできないものである。

2006年3月13日 (月)

神経質礼賛 33.迷ったときはGO それとも STOP?(その2)

 私の場合、迷った時、GOは10-20%位だろうか。迷いに迷って保留にして、結果的にSTOPになってしまうことが多い。しかし、私はこれも悪いことではないと思っている。慎重なのは神経質人間の特質で美点でもある。ハイリスク・ハイリターンを避けるのを非難される筋合いはない。野球で、ヒットエンドランで一気に勝負をかける監督もいれば、送りバントとスクイズで着実に加点していく監督もいる。将棋で、一か八かの勝負手を連発する棋士もいれば、手堅くガッチリ受けていつの間にか勝っているというような棋士もいる。どちらにしても気風というものではないか。神経質だと、大儲けするチャンスは逃すかもしれないが、インチキの儲け話に騙される危険性は少ない。世の中がバブルに沸き立っていた頃、どの会社もこぞって不動産投資やリゾート開発に手を出し、挙句の果てにはいくつもの大企業や銀行が潰れた。この時、手堅く本業に精を出していた企業やハイリスクの融資に消極的だった銀行が、生き残ったのである。企業の中でも、「ちょっと待て、危ないぞ」と警鐘を鳴らす人間が必要なのである。前回述べたように、森田先生は、やるかやるまいか迷った時は、やりなさい、と言っているわけだが、これはあくまでも神経質者向けの方便だと思う。この位に言っておけば、連中ももう少し動くだろうというヨミであろう。この言葉どおりに何でもかんでも「迷ったらGO」にしたら大損失を被るリスクもある。私は、森田先生のお言葉にもかかわらず、今の自分でいいのだと開き直っている。(影の声:これだから出世も金儲けもできないのだ。)

2006年3月12日 (日)

神経質礼賛 32.迷ったときはGO それとも STOP?(その1)

 以前、「神経質 石橋叩いて 渡らない」と述べたが、やろうか・やるまいか迷った時、皆さんはどうしているでしょうか。森田先生は迷った時はやりなさい、と述べている。

「戦ふが利か・戦はざるが利か・不明の時は、断乎として敵軍と正面衝突する・とネルソンが格言を残してある。勉強しようか・遊ばうかと迷ふ時は、ノロノロでも勉強した方がよい。仕事なり・講演なりを人から頼まれて、どうしてよいか判断に迷ふ時は、断乎として、之を請合はねばならぬ。奉職口があッて、損か徳か不明の時は、断然之を引受けたがよい。之が特に神経質の心掛くべき・よき態度である。」(森田正馬全集第7巻 p.517)

その森田先生も一度だけ、迷いに迷った末、「奉職口」を断ったことがある。恩師の呉秀三先生から千葉医専(現在の千葉大医学部)精神科の教授になるよう薦められた時のことである。明治40年、森田先生33歳の時のことである。当時、官立学校の教授になるということは非常に魅力的な話であった。ただ、今のように交通機関が便利ではないから、東京から通勤というわけにはいかなかったであろう。その頃、森田先生は慈恵医専の教授として講義をしながら、根岸病院の顧問をつとめ、巣鴨病院(現在の都立松沢病院で、事実上、東京大学精神科の医局もあった)にも出入りしていた。千葉医専に赴任してしまえば、そういう生活も成り立たなくなる。「巣鴨病院ニハ余ノ整理シタル図書ノ自由ニ使用サルベキモノアリ。千葉醫専ニハわいがんと精神病学只一冊アリタルノミ」(森田正馬全集第7巻p.781)というところも引っかかっていたのであろう。結局、迷いに迷った末、後輩にその地位を譲ってしまったのである。「余ノ後来ノ発展に対スル失策ナリシナリ」と後悔されている。

しかし、もし、この時、森田先生がこの話を引き受けて千葉医専の教授になっていたら、家庭的な森田療法は成立しなかったであろう。森田先生が自宅に患者を入院させるようになったのは、大正8年、森田先生46歳の時のことである。「奉職口」を断ったことは、出世という点では森田先生にとって惜しいことだったが、森田療法にとっては良かったのではないかと思う。

神経質礼賛 31.あるがままということ

 森田療法では「あるがまま」という言葉がよく用いられる。いわば自然体ということで、響きのよい言葉である。しかしながら、この言葉は誤解を招きやすい。理解が不十分な人は「今日は疲れて気分が乗らないから、あるがままに仕事を休む」という誤用にもなりかねない。本来は、森田療法では症状は気分であるとし、気分はあるがままに(気分は悪くても・症状が苦しくても)やるべきことをやる、ということなのである。中には、「あるがまま」という言葉をお題目のように繰り返し唱えるばかりで行動が伴わない人もいる。森田療法は宗教ではないので、いくら「あるがまま」を唱えても何の御利益もない。逆に半信半疑であっても目的本位に行動していく人は治っていくのである。森田先生は「かくあるべしといふ なほ虚偽たり、あるがままにある 即ち真実なり」と色紙に書かれている。「あるがまま」であろうとすること自体が「かくあるべし」であり「悪智」であり、すでにあるがままではない。「あるがまま」にしなさい、自然体にしなさい、という指導は適切とは言えない。神経症の中でも特に強迫神経症の方はこういった言葉にとらわれやすい。それゆえ、特に意識しているわけではないが、私はあまり「あるがまま」という言葉は用いない。森田先生も「あるがまま」よりは同様の意味で「事実唯真」という言葉を多用されていたように思う。

2006年3月10日 (金)

神経質礼賛 30.掃除のススメ

 前回は掃除の問題を取り上げたが、平成171024日読売新聞(朝刊)の記事にこんなことが載っていた。教育ルネサンスというコラムであるが、群馬県富岡市の小中学校では、「自問清掃」といって、教師が生徒を指図せず、生徒たちが自主的に校内の掃除をしているという。トイレ掃除も自分たちで行なっている。その結果、生徒の自発性の向上が見られるようになった、とのことである。以前にも、どこだったか忘れたが、外人が校長先生をしている私立の学校で、生徒たちがトイレ掃除をしていて、教育上効果がある、というような記事を別の新聞か雑誌で読んだことがあるが、複数の公立学校で一斉に行なっているという話は初めて聞いた。

 また、ある医療関係の雑誌で見かけた記事であるが、患者さんの入りが悪く経営状態が悪い医院の院長が有名なコンサルタントに相談したところ、院長が朝一番に出勤して自分で医院のトイレ掃除をしなさい、とアドバイスされた。言われたままそれを実行していたら、職員全体の士気が上がり、いつの間にか患者さんが待合室にあふれるようになった、ということである。

 最初からトイレ掃除が好きな人はいないだろう。特に、神経質人間は、「いやな事を、いやでなくしておいて、それから手を出そうとするのが、神経質の通弊でありずるいところである(森田正馬全集第5p.409)」と森田先生も言われたような傾向があり、トイレ掃除にはなかなか手が出ない。「何で自分がこんなことをやらなきゃならないんだ」という思いが浮かぶだろう。今は水洗トイレが普通であるが、昔は汲み取り便所であったから、掃除どころか、屎尿を汲み取って、畑に撒きに行く必要があり、森田先生は自ら肥担ぎをして患者さんにお手本を示されていた。仕事は、必要だからやるのであって、好きとか嫌いとかは問題ではないということなのである。

 私も、トイレの汚れが気になったり、風呂の排水口の臭いが気になったりすると、トイレ掃除や排水口掃除に、仕方なしに手を出す。もちろん気持ちがいいものではない。やっつけ仕事ではある。しかし、終わった時の爽快感は格別である。それに、やっているうちに自分の思い上がりが薄れ、謙虚な気持ちになってくるものだ。一石二鳥どころか三鳥の効果がある。ぜひ一度お試しあれ。

神経質礼賛 29.不可解な保健所の御指導

 精神科医療では、作業療法を含むリハビリテーションの重要さが認識されるようになってきている。ただ薬を服用してもらうのではなく、生活習慣を改善していくことで、よくなる部分も大きいのである。まして、神経症の治療法である森田療法では作業中心の生活が重要であり、行動を通じて森田理論を体験的に理解していくのである。

 ところが、お役人様の頭の中はそうはいかないようだ。毎年、何度か保健所のお役人様たちが病院に医療監視にお見えになり、医療上の問題がないか、患者さんの人権上の問題がないか、とお調べになって行かれる。いつもクレームが付くのは、森田療法の作業である。「タダで働かせるのはけしからん。賃金を支払わなければ使役にあたる」ということで、患者さんが自分たちの部屋や廊下の掃除をすることまで問題視される。職員に掃除させるか業者を雇ってやらせなさい、である。

 お役人様たちは、御自分たちのお部屋は御自分では掃除なさらないのだろうか。召使をお雇いなのだろうか。よほど裕福な人間か上級公務員でもなければ、身の回りの掃除くらいは自分でやるのが当たり前であり、生きていく上で必要な作業なのである。したがって、病状の悪い患者さんならばともかく、退院して社会復帰していくような患者さんには、掃除も大切な治療の一環だと思う。かつて、宇都宮病院事件が問題になった時代は、患者さんの人権が軽視されたり、「使役」にあたるような労働を強制していたりしたケースがあり、そうしたことが二度とないように、とお役所がチェックすることは当然であるが、「人権」をはきちがえては困る。薬を飲みさえすれば、あとは食べて寝てタバコを吸っているだけ、というのではいつまでも社会復帰はできない。病院はホテルではない。治療の場である。

 ついでに言うと、保健所の指導では、「患者さんがいつでもタバコを吸えるように配慮しなさい」とのことである。これも「人権」のはきちがえかと思われる。健康増進法で、公的な場所が禁煙となり、一般病院が全面禁煙化されつつある中で、精神病院だけが喫煙促進はないだろうに、と思う。統合失調症などで長期入院している患者さんたちは、生活習慣病を合併しやすい。長期の喫煙のため、肺気腫・COPDをきたしたす人もいれば、脳梗塞や狭心症の原因となることもある。私が担当していた患者さんで長年の喫煙の末、肺癌(扁平上皮癌)で苦しみながら亡くなられた方もいる。逆に、院内全面禁煙をすすめる方が、患者さんたちの健康増進・QOL(生活の質)向上につながり、医療費抑制にもなることが、お役人様たちにはお分かりにならないのだろうか。

2006年3月 8日 (水)

神経質礼賛 28.「形外」の意味

 森田正馬(まさたけ)先生の雅号は「形外(けいがい)」という。この言葉の意味について、森田先生自身が語った記録は見当たらない。明治38年、森田先生が32歳の時に、「余ハ従来、是空ト号シタリシガ、日本美術、原氏ノ案ニヨリ形外ト改メタリ」(森田正馬全集第7巻p.778)とある。

原安民(1871-1922)は鋳金家で、正岡子規とは歌仲間であり、昔人(せきじん)と号した人である。「余の懇親の人の内に、今は故人になッた・原といふ人があッた。もと美術学校出で、後年、美術鋳物工場を経営したが、死後に恒産を残す事が出来なかッた。此人は、余が「萬屋博士」と渾名(あだな)したやうに、読書家で何事にも通じて居た。故事や歴史や・其他何でも、余は此人の処へ尋ねに行ッて、非常に便利であッた。しかし此人も、自分の智識の頭の蔵庫を、自ら灰燼にする事を惜しまなかッた人で、能書家であッたけれども、其書も幾らも残らず、俳句の宗匠にもなッたけれども、其俳句も僅かしか残ッて居ない」(森田正馬全集第7p.756)と、その才能を森田先生は惜しんでいる。こんな具合であるから、名づけ親である原安民の記録も期待できそうにない。

学生時代に森田先生の診療所に入院した経験を持ち後に香川大学教授となった大西鋭作さんは森田正馬全集・月報三の中で「形外とは、形式を無視し人間の心の事実に生きるという意味と思います。「形外」は、先生の生活の至る所で、私達は感じたものでした。大学教授・医学博士たる先生が、粗末な着物で、近くの青物市場へ、鶏の餌にする野菜拾いに患者を引きつれて行ったこと等は、形式を無視し物を惜しむ神経質が作り出した傑作です。修業というようなケチな堅苦しいものではありません。人の足に踏みにじられ、捨て去られる野菜を惜しいと感ずる純なこころの動きに素直に応じただけのことです」と述べている。これは、森田療法的な解釈であろう。形でないもの、というところから、形外とは精神のことを指しているのではないか、という見方もできる。あるいは以前の雅号「是空」の言い換えなのだろうか。いずれにせよ、形外の意味について森田先生自身が語らなかったところを見ると、意味を詮索するのは無用ということなのかも知れない。

神経質礼賛 27.「不問」と暗黙の共感

 森田療法の特徴の一つに「症状は不問にふす」ということがある。症状を問題にしない、という治療法は森田療法以外ではおそらくないだろう。神経症の症状に悩んでいる人にとっては、症状をなくしたい、それがダメでもせめて少しでも症状をよくしたい、という切実な願望がある。しかし、この「症状」に対するこだわり・とらわれこそが、注意集中→意識の狭窄→感覚の鋭化→注意集中→・・・を繰り返す「精神交互作用」という悪循環を招き、症状を悪化させる原因となるため、あえて治療者は症状の良し悪しを問題にしないという対応をとり、症状から日常生活の行動へと患者さんの目を向けさせていくのである。

 「不問」というのは一見とても冷たい対応のように思われるかもしれない。しかし、実は治療者の側も、症状がどうなるかはとても心配なのである。森田正馬先生も、便秘を訴え下剤を多量に常用していた患者さんに対し、規則正しい生活をさせて下剤をやめさせ、患者さんの訴えは不問としたが、やはり、排便があるまではとても心配されていた。突き放しているように見えても、言葉には出さなくとも、表情には出さなくとも、そこには暗黙の共感があるのだと思う。また患者さんの側も、半信半疑であっても神経質を克服した先生の言う事だからつらいけれどやってみよう、という面もあるだろう。現在の大学病院での森田療法は、マニュアル化され、たとえ神経質でない医師が主治医であっても、新人の研修医が主治医であっても、効果を上げるようになってはいるが、神経質な医師の方が、目には見えにくい部分で、より高い効果を上げるのではないかと思う。

2006年3月 5日 (日)

神経質礼賛 26.叱られるということ

 神経質人間は失敗を非常に恐れるので、叱られるということを極力避けようとする傾向がある。森田正馬先生の診療所でも、先生に叱られることを恐れて逃げ回っていた患者さんがいたが、そういう人はなかなか良くならなかった。よく叱られながらも、逆に先生について回り、退院してからも、月一回の形外会に出席し、かわいがられた人たちもいた。面白いもので、こういう人たちは、神経質を生かして社会でも活躍し、出世していった。

 こうした人の中で、特に先生にかわいがられたのが水谷啓二さん(故人)ある。森田先生も「修養に熱心な人に対しては、僕もなるたけ、その人を偉くしたいと思って、随分残酷に扱う事がある。水谷君とか井上君とかという人は、なかなか意地悪くいじめられたものである。しかしこれらは、治った後には、丁度反対にこれを残酷とは少しも思わず、かえって有難い事と考えるようになる。婆やにやかましくいわれる事も、初めは随分恨む事があるが、後にはこの事をいつまでも、感謝の心をもって、思い出すようになる」(森田正馬全集第5巻 p.447)と述べているように他の患者さんたちの前で、よく名指しで叱られている。しかし、素直な気持ちで、先生のお叱りを受け止め、修養していったのである。のちに、水谷啓二さんは、共同通信社のジャーナリストとして活躍される一方、森田療法の普及につとめ、神経質者のセルフヘルプグループ「生活の発見会」を創立されている。

 叱られることを喜ぶ人はまずいない。だが、叱られたことを感情レベルで終わらせるか行動レベルで生かすかでは雲泥の違いである。

神経質礼賛 25.叱るということ

 森田正馬先生の症例報告の中に、「57歳女性・重症不潔恐怖」の例がある。この患者さんは極めて難治であり廃人同様に長年精神病院に入院させられていたりしたが、森田先生の家に移っての治療が著効し、普通の生活ができるようになった。その最後の部分を引用する。「患者が治癒する前、一ヶ月許りの間には、余が患者を一度は殴り、一度は突き飛ばして患者が泣き出した事がある。此の邊の事は固より治療の方法でもなければ、患者をおどかすためでもない。只患者を治したいといふ余の眞剣の氣合から出たものである。今は此の事も患者の治癒の幸福と共に、患者の感謝の話の種になって居る。理外の理の存する処である。(白揚社:森田正馬全集第1巻・神経質及神経衰弱症の療法P.489)」

また、森田先生の奥さんの指導で不潔恐怖が治った20歳の学生の日記から引用する。「これまで、御命令に反して、前の家の水道で手を洗ッて居た事を、奥様に見付けられ非常なお叱りを受けた。退院させるといはれたけれども、今後は決して御命令にそむかない事をお誓ひして、漸くお許しを受けた。今日は僅に、飯を炊く前に洗ッた位で、苦もなく、それで済んだが、これ迄は実に、毎日二十回余も洗ッて居たのである。この様に手を洗はずに、楽に済んだのは、皆奥様のお蔭であッて、深く感謝する次第である。(森田正馬全集第4巻 p.377)」

感情的に「怒る」のは誰でもできるが、上手に「叱る」ということはなかなかむずかしい。叱る側に深い愛情があり、叱られる側に十分な素直さがある時、はじめてその効果があらわれるのである。森田先生も奥さんも、大変な叱り上手であった。

私の恩師・大原健士郎先生も叱り上手であった。毎週月曜の朝、教授回診の前には病棟全体に緊張感がみなぎっていた。真剣勝負である。主治医が不勉強だと厳しい御言葉が待っている。カルテで頭を叩かれる医師もいた。神経症の患者さんの部屋では、「今、君たちが手入れをしている花壇では何の花が咲いてるんだね」という質問をよくされていた。患者さんが答えられないとその主治医も一緒に叱られた。「ただ、言われた仕事を機械的にやっているだけでは良くならない。いつも、周囲に気を配り、神経質を発揮しなさい」ということなのである。私もよく「お前が患者のお手本になるように行動するんだよ」という御注意をいただいていた。

森田先生の入院治療では森田先生が父親・奥さんが母親として、過保護に育てられた神経質のしつけのし直しのような面もあったと思う。大原先生も「俺たちは家族」と言われたように、医局員たちにとっては厳しくも暖かい親父の存在であった。医療機関で「患者さま」と呼ぶようになった昨今ではあるが、神経症患者を「お客様」扱いにするのはその人にとってマイナスとなる場合も少なくない。神経症治療に関してはこのような「親父」が必要ではないかと思う。

2006年3月 3日 (金)

神経質礼賛 24.仕事と休養

 私の勤務先の病院は一昨年、新築移転となった。古い病院は、畳の大部屋に精神病の患者さんたちが詰め込まれているような状態だったが、新しい病院では、すべてベッドの広い4人部屋となった。差額ベッドの個室もある。一方、医師の居場所である医局も、古い病院ではとても狭く、小さな事務机と「平社員用」事務椅子がひしめいていたが、新しい病院では、机・椅子とも一回り大きくなり、パソコンも置かれ、近代的なオフィスらしくなった。ただし、失われてしまったものもある。壁がハゲ落ちうす暗い以前の医局の奥には、森田正馬先生直筆の色紙がかかっており、いつも医師たちを見おろしていた。「休息は仕事の中止に非ず、仕事の転換の中にあり」と書かれていた。森田先生御自身、講演旅行から家に帰られると、休む間もなくたまった手紙や書類の整理に手をつけられ、入院患者さんの指導にあたられたりしていた。神経質人間は特に「疲れた疲れた」と疲労感を訴え、休みたがりがちである。だが、必ずしも疲労感イコール疲労ではない。疲労感を感じながらも仕事の目先を変えることで、いつの間にか心が引き立って、疲れを忘れて新しい元気が出てくる、ということなのである。私も神経質でちょこまか動く方であり、年配の看護師さんから「先生はまめったいねー」と言われているが、とても森田先生の域までは達することができない。疲れた時にはちょっとお茶をひとすすりしたくなる。四分休符である。全休符になってしまうとまずいので、よっこらしょ、と次の仕事に移っていくのである。

神経質礼賛 23.ガス欠とカラ吹かし

 森田先生の「重い車」の例えが出たところで、車の例えを一つ。

 私は、講演の時に、うつ病と神経症の違いをよく車に例えて話している。もっとも森田先生の時代の大八車や荷車ではなく、自動車の例えではあるが。うつ病の時には、いわば生物学的エネルギーが枯渇しているような状態であり、ガス欠の自動車状態である。本人は一生懸命にがんばってアクセルを踏もうとするが、ガソリンがないので、エンストするだけである。だから、「今は十分に休養して、ガソリンが貯まるのを待ちましょう。そうすれば、また走れるようになれますよ」というアドバイスとなる。それに対して、神経症は、エネルギーは十分、ガソリン満タンなのだが、ギアがN(ニュートラル)に入ったままなので、アクセルをいくら踏んでも、カラ吹かしになるだけのことである。それなのに、本人は「おかしい、車の故障だ」と騒いでいるようなものである。特に強迫観念・強迫行為はまさにカラ吹かしという表現がマッチしていると思う。つまり、本人がギアをD(ドライブ)に入れさえすれば・・・いろいろ気にはなっても仕方なしに次の行動に移っていけば、・・・故障ではないのだから、車は動き出すのである。森田療法の治療者は、無愛想な自動車学校の教官にも似たところがある。周囲の状況に応じて適切な操作ができるように、行動を通じて教えていくものである。ともすれば神経質は頭でっかちになりやすく、なかなか行動につながらない欠点がある。そこで、体で覚えてもらうということが大事になってくる。一旦、体で理解すればしめたもので、神経質は安全で効率よく運転ができる。森田療法を体験的に理解した神経質者は、実生活でも神経質を生かして、合理的でありながら、対人関係も上手にこなせるようになるものである。

神経質礼賛 22.神経質 石橋叩いて 渡らない

 このブログを思いついたのはもう1年近く前になる。しかし、何だかんだと先送りしてきた。やはり、5回や6回で消えてしまっては恥ずかしいから「とりあえず10回分書きためてからアップしよう」と思い、ようやく2、3カ月前から原稿を打ち始めた。実は、これを打っている現在もまだアップできていない。神経質ゆえ、おかしな文章を書いてはいないか、森田正馬先生のお顔に泥を塗るようなことはないか、と気になってしまうのである。神経質は用心深く、石橋を叩くが、それでも心配でなかなか渡ろうとしないものである。さて、第何話の原稿作成中にアップになるか、自分でもわからない。

 森田先生は神経質を「重い車」「鉄の車」に例えている(森田正馬全集第7p.391)。つまり、なかなか動き出さないが、一度回転し始めると、今度は急に止まることができない、ということなのである。私も、週に一話くらいのペースで書ければいいだろう、というつもりでいるが、案外、重い車が回り始めたら、調子付いて、簡単には止まらなくなるクチかもしれない。そうであることを期待しよう。

2006年3月 1日 (水)

神経質礼賛 21.薬以外の処方

 私が高校2年の時、体育で柔道の授業中に相手の腕で顔を強打し、鼻血が出た。学校近くの耳鼻科医院で鼻骨骨折と言われ、その後も鼻出血を繰り返し、よくお世話になった。その耳鼻科の先生は「変人」として有名であった。小柄・色黒・50歳位の先生で、三河弁で話していたように思う。独身で登山が好きであり、待合室の壁には山のモノクロ写真が貼ってあった。「来週からアンデスに行っているから、もし私がいない時にまた出血があったら○○医院に行きなさい」という調子で時々休診になる。看護婦さんや事務員はおらず、先生一人で診察していて、時々薬屋さんが来ては、薬を整理棚にセットしているような状態である。待合室には最新の週刊誌と漫画雑誌が豊富にそろっていて退屈はしないが、長時間待つのも困るので、大声で「スミマセーン」と呼ぶと、奥から先生がのこのこ出てきて診てくれる。あまり他の患者さんを見かけることはないが、ある時、カゼらしい患者さんが来て、診察を受けた。しかし、薬の処方はなく、「薬はないんですか?」という患者さんに「寝とれば治る」と答えていた。人間には自然治癒力があり、体力や免疫力が落ちている人でない限り、普通のカゼは自然に治るものである。風邪薬を飲めば、確かに症状は緩和されるが、本当に治しているわけではなく自分で治しているのである。それに、薬には副作用もある。だから軽い風邪であれば「寝とれば治る」が正しい処方であり、解熱剤・抗ヒスタミン剤・鎮咳剤ばかりでなくウイルスには無効な抗生剤まで処方するのは邪道なのである。

 「不安障害にもSSRI」の時代ではあるが、私もその「変人」先生と同様、神経症に関しては、なるべく薬は最小限にとどめ、「神経症は自分で治すもの」と説いている。時には、「ここに来るんじゃなくてハローワークに行きなさい」と「処方」し、後日その患者さんから「先生に喝を入れられて、正社員になれました」と感謝されたこともある。もし、森田正馬先生が今生きておられたら、どうだろうか。ありとあらゆる治療法を試された上で森田療法を確立された先生のことであるから、SSRIなどの薬物療法は当然されると思うが、やはり、その人の自然治癒力を生かして、薬は最小限・短期間・効果的に使われるだろうと思う。「人の性(しょう)を尽くす」である。

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