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2006年3月 8日 (水)

神経質礼賛 27.「不問」と暗黙の共感

 森田療法の特徴の一つに「症状は不問にふす」ということがある。症状を問題にしない、という治療法は森田療法以外ではおそらくないだろう。神経症の症状に悩んでいる人にとっては、症状をなくしたい、それがダメでもせめて少しでも症状をよくしたい、という切実な願望がある。しかし、この「症状」に対するこだわり・とらわれこそが、注意集中→意識の狭窄→感覚の鋭化→注意集中→・・・を繰り返す「精神交互作用」という悪循環を招き、症状を悪化させる原因となるため、あえて治療者は症状の良し悪しを問題にしないという対応をとり、症状から日常生活の行動へと患者さんの目を向けさせていくのである。

 「不問」というのは一見とても冷たい対応のように思われるかもしれない。しかし、実は治療者の側も、症状がどうなるかはとても心配なのである。森田正馬先生も、便秘を訴え下剤を多量に常用していた患者さんに対し、規則正しい生活をさせて下剤をやめさせ、患者さんの訴えは不問としたが、やはり、排便があるまではとても心配されていた。突き放しているように見えても、言葉には出さなくとも、表情には出さなくとも、そこには暗黙の共感があるのだと思う。また患者さんの側も、半信半疑であっても神経質を克服した先生の言う事だからつらいけれどやってみよう、という面もあるだろう。現在の大学病院での森田療法は、マニュアル化され、たとえ神経質でない医師が主治医であっても、新人の研修医が主治医であっても、効果を上げるようになってはいるが、神経質な医師の方が、目には見えにくい部分で、より高い効果を上げるのではないかと思う。

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