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2006年3月 5日 (日)

神経質礼賛 26.叱られるということ

 神経質人間は失敗を非常に恐れるので、叱られるということを極力避けようとする傾向がある。森田正馬先生の診療所でも、先生に叱られることを恐れて逃げ回っていた患者さんがいたが、そういう人はなかなか良くならなかった。よく叱られながらも、逆に先生について回り、退院してからも、月一回の形外会に出席し、かわいがられた人たちもいた。面白いもので、こういう人たちは、神経質を生かして社会でも活躍し、出世していった。

 こうした人の中で、特に先生にかわいがられたのが水谷啓二さん(故人)ある。森田先生も「修養に熱心な人に対しては、僕もなるたけ、その人を偉くしたいと思って、随分残酷に扱う事がある。水谷君とか井上君とかという人は、なかなか意地悪くいじめられたものである。しかしこれらは、治った後には、丁度反対にこれを残酷とは少しも思わず、かえって有難い事と考えるようになる。婆やにやかましくいわれる事も、初めは随分恨む事があるが、後にはこの事をいつまでも、感謝の心をもって、思い出すようになる」(森田正馬全集第5巻 p.447)と述べているように他の患者さんたちの前で、よく名指しで叱られている。しかし、素直な気持ちで、先生のお叱りを受け止め、修養していったのである。のちに、水谷啓二さんは、共同通信社のジャーナリストとして活躍される一方、森田療法の普及につとめ、神経質者のセルフヘルプグループ「生活の発見会」を創立されている。

 叱られることを喜ぶ人はまずいない。だが、叱られたことを感情レベルで終わらせるか行動レベルで生かすかでは雲泥の違いである。

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