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2006年3月29日 (水)

神経質礼賛 49.緊張ということ(その3)

 イタリア・トリノでの冬のオリンピックが終わった(「トリノオリンピック」が「鳥のオリンピック」に聞こえて困ったのは私だけだろうか)。事前にメダル予想数がいろいろ言われていたが、皮算用がはずれてメダルは荒川静香選手の1個だけに終わった。平成18年2月27日付読売新聞では「荒川の自然体に学べ」と言う記事の中で、多くの日本人選手たちが「自分のレースをする」「力を出し切りたい」「五輪の舞台を楽しむ」と言い、勝負に対する執念が不足していることを批判している。それは確かにそうである。特に中国や韓国の選手の気迫には、試合前から負けている。ここで「自然体に学べ」はいいとしても、「自然体になれ」と言うと無理がある。自然体になろうとしてなれるものではない。神経症の人に「あるがままになれ」というようなもので、すでに「かくあるべし」の理想論なのである(第31話)。荒川選手もショートプログラム終了後のTVインタビューでは「ちょっと緊張していました」と述べていた。フリーの堂々とした最高の演技は、緊張状態を通り越して、緊張しているとか・していないとかを意識しない、演技に完全に没入した状態だったのであろう。自然体になろうとしてなったのではなく、結果として自然体であったということなのである。もちろん心理状態だけではなく、故障を乗り越えて、多くの国際大会での競技経験の裏打ちがあってのことである。

一方、日本人が苦手とするアルペン種目の男子回転で見事4位入賞となった皆川賢太郎選手のインタビュー記事では、2回目のスタート台で、「こんな緊張感は人生の中でもなかなか味わえない、と思ったら笑っていた」と述べている。左膝靱帯断裂の大けがを乗り越えて苦労を重ねてようやくつかんだ晴舞台で緊張しないわけがない。そして緊張の極致を超えたところでふっきれて、思い切りの良い滑りができたのであろう。逆に緊張がなければこうはいかなかったはずである。

不本意な結果に終わった選手の中には、緊張感が少々足りないような人もいたのではないかと思う。

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