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2006年3月19日 (日)

神経質礼賛 37.岡本常男さんのこと

 森田療法の関係者で岡本常男さんを知らない人はいない。1924年のお生まれだからすでに齢80を越えていらっしゃるが、いつも笑顔を絶やさず、若々しいエネルギーが感じられる。終戦後、九死に一生を得てシベリアの抑留生活から生還され、裸一貫から商売を始められた。後にダイエー・ヨーカドー・ジャスコと並ぶ4大スーパーの一つであるニチイ(後のマイカル)の創業に参画され、副社長にまでなった方である。元々バリバリの営業マンで神経質とは一見、無縁そうに思われるかもしれない。しかし、仕事が多忙な中で、胃腸神経症にかかり、医者にかかってもよくならず、森田療法を勉強して実行したところ治った、という経験をされた。そこで私財を投じて「メンタルヘルス岡本記念財団」を設立され、森田療法の普及のため、奔走されているのだ。昔の言葉で五人力とか十人力とかいう表現があるが、岡本さんの場合、大学教授十人分以上の働きぶりである。

 岡本さんは講演で、いつも御自分の神経症体験を語られる。その中で、劣等感についてこう述べておられる。「かつて私は、学校を出ていない。背が低く貧弱な体である。小心で臆病、方向音痴で、人の顔もよく忘れる。何よりも内向的でネクラ。そういう自分が嫌いで、自己嫌悪感のかたまりでした。一方、同僚の副社長で一流大学を出て背が高くユーモアがあり、女性によくモテる人がいて、その人が羨ましくて仕方ありません。自分もあんな人になりたいもの、と心の中で憧れていました。つまり自分にない自分を求めて劣等感に悩んでいたのです」

 岡本さんのようにビジネスで大成功された方がこのような劣等感を持っておられた、というのは意外に思われるであろうが、劣等感を森田先生のいう「生の欲望」としてエネルギーに転化されて、努力を重ねて、成功を収められたのだと思う。

ちなみに岡本さんが引退された後、ニチイ(マイカル)はバブルの拡大路線の失敗から破綻してしまう。以前にも述べたように、会社でも暴走をチェックして止めてくれる神経質人間は欠かせない存在なのである。

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