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2006年3月 5日 (日)

神経質礼賛 25.叱るということ

 森田正馬先生の症例報告の中に、「57歳女性・重症不潔恐怖」の例がある。この患者さんは極めて難治であり廃人同様に長年精神病院に入院させられていたりしたが、森田先生の家に移っての治療が著効し、普通の生活ができるようになった。その最後の部分を引用する。「患者が治癒する前、一ヶ月許りの間には、余が患者を一度は殴り、一度は突き飛ばして患者が泣き出した事がある。此の邊の事は固より治療の方法でもなければ、患者をおどかすためでもない。只患者を治したいといふ余の眞剣の氣合から出たものである。今は此の事も患者の治癒の幸福と共に、患者の感謝の話の種になって居る。理外の理の存する処である。(白揚社:森田正馬全集第1巻・神経質及神経衰弱症の療法P.489)」

また、森田先生の奥さんの指導で不潔恐怖が治った20歳の学生の日記から引用する。「これまで、御命令に反して、前の家の水道で手を洗ッて居た事を、奥様に見付けられ非常なお叱りを受けた。退院させるといはれたけれども、今後は決して御命令にそむかない事をお誓ひして、漸くお許しを受けた。今日は僅に、飯を炊く前に洗ッた位で、苦もなく、それで済んだが、これ迄は実に、毎日二十回余も洗ッて居たのである。この様に手を洗はずに、楽に済んだのは、皆奥様のお蔭であッて、深く感謝する次第である。(森田正馬全集第4巻 p.377)」

感情的に「怒る」のは誰でもできるが、上手に「叱る」ということはなかなかむずかしい。叱る側に深い愛情があり、叱られる側に十分な素直さがある時、はじめてその効果があらわれるのである。森田先生も奥さんも、大変な叱り上手であった。

私の恩師・大原健士郎先生も叱り上手であった。毎週月曜の朝、教授回診の前には病棟全体に緊張感がみなぎっていた。真剣勝負である。主治医が不勉強だと厳しい御言葉が待っている。カルテで頭を叩かれる医師もいた。神経症の患者さんの部屋では、「今、君たちが手入れをしている花壇では何の花が咲いてるんだね」という質問をよくされていた。患者さんが答えられないとその主治医も一緒に叱られた。「ただ、言われた仕事を機械的にやっているだけでは良くならない。いつも、周囲に気を配り、神経質を発揮しなさい」ということなのである。私もよく「お前が患者のお手本になるように行動するんだよ」という御注意をいただいていた。

森田先生の入院治療では森田先生が父親・奥さんが母親として、過保護に育てられた神経質のしつけのし直しのような面もあったと思う。大原先生も「俺たちは家族」と言われたように、医局員たちにとっては厳しくも暖かい親父の存在であった。医療機関で「患者さま」と呼ぶようになった昨今ではあるが、神経症患者を「お客様」扱いにするのはその人にとってマイナスとなる場合も少なくない。神経症治療に関してはこのような「親父」が必要ではないかと思う。

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