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2006年5月31日 (水)

神経質礼賛 70.神経質を生かす仕事法

 森田正馬先生が神経質を「重い車」に例えたことは以前にも述べた。最初のとりかかりが遅いのである。やらなければならない仕事も「いやだなあ」「馬鹿馬鹿しいなあ」「めんどうだなあ」といった批判が頭に浮かぶと、後回しになり、時間が経つにつれてますますヤル気が出ないのである。ところが仕方なしに一旦やり始めてしまえば、最初思ったほど嫌でもなく気分も乗ってくるものである。

 神経質人間である私も、元来はスロースターターである。早くから先のことをあれこれ考える割には動き出すのが遅い。小中学校の夏休みの自由研究もいろいろ企画は浮かびながら、実際に始めるのは、いつも新学期が迫る8月26日からと決まっていた。受験勉強でも苦手科目の問題集にはなかなか手がつけられず、買ってそのままになっていることもあった。その後、最初の大学は理工学部であり提出しなければならない実験・実習・演習のレポートが多く、「ため込んだら大変だ」と思い、すぐにとりかかり、やっつけ仕事でもとにかく期限内には提出するという習慣がついた。この習慣はとても役に立っている。精神科医をしていると書類書きの仕事が実に多い。診察時に書く診断書や紹介状はともかく、自立支援医療(以前の通院公費負担制度)にまつわる書類、医療保護入院に関する書類、年金診断書、生活保護の書類、介護認定の書類、等等、次から次へと事務員やケースワーカーから渡されるが、その日のうちに手があいた時にどんどん書いて、先送りしないようにしている。脳波の検査も、その日のうちに検査記録紙に目を通して、所見を書いている。入院患者さんの退院予定が決まるとあらかじめ退院サマリー(入院中の経過・検査結果などの要約)を作っておき、退院日には外来カルテに添付できるようにしている。先送りしたところでどっちみちやらなくてはならないのだから、少しでも空いた時間を利用して早く片付けておいた方が、仕事がスムーズに運び、時間が有効に使える。自分もラクだし、スタッフも助かる。同じ病院で自称神経質(?)の某先生はこれが苦手らしく、外来診察室の空いたテーブルの上には書いていない書類がため込まれ、未読の脳波の検査記録紙がうず高く積み上げられており、検査技師さんや外来看護師さんたちにはすこぶる不評である。それでいて、その某先生も森田療法の患者さんたちには「どんどん仕事に手を出していくように」と指導されている。森田療法で大切なのは理屈ではなく実際の行動であるのだが。

 神経質の良さを仕事に生かすためには、気分は乗らなくてもとにかく第一歩を踏み出すことである。完全欲が強い神経質のことであるから、一旦動き出せば、よりよいものにしようと自然とがんばるものである。例えば、レポートや書類の場合、最初の題名の部分だけでも良いから、一行でも書く(打つ)ことである。そうすると、他の事をしていても何となくそのことが気になり、手があいた時に続きに取り掛かるようになるものである。動き出してしまえばしめたものである。このコツさえ身につければ、仕事が面白いように、はかどっていくのである。

2006年5月29日 (月)

神経質礼賛 69.なくならないケータイ運転

 携帯電話・インターネットが登場してまだ歴史は浅いが、これほど人々の生活を短期間に変えてしまった商品はないだろう。これらの利便性は今更言うまでもない。しかし、変化があまりにも急激なため、人間の方がついていけない部分もあるし、非常に便利な反面、種々の問題点も出てきている。

 その一つが携帯電話で通話しながらあるいはメールを打ちながらの運転である。今では道路交通法の改正で、ケータイ運転の罰則ができ、取締りの対象となった。しかし、実際にはなかなかなくならないのが現状である。私は電車通勤なので、車の運転は休日だけであり、今では車での遠出はしなくなり、ホームセンターなどへの買物の際に運転するだけである。それでも、必ずといっていいほどケータイ運転を見かける。自分の後ろの車の運転者がケータイで通話していると、いつ追突されるかと気が気ではない。赤信号でメール打ちを始め、青信号で動き出しても、平気で打ち続けている若い人もよく見かける。いくら注意していたとしても交通事故はゼロにはならない。それがケータイ運転では事故の危険性が何倍あるいは何十倍になるし、事故も大事故につながりやすい。自動車に限らず、歩道でのケータイ運転自転車も激増している。こちらは取締りも行なわれないだけに始末が悪い。

神経質にはケータイ運転などとてもできないものである。

2006年5月26日 (金)

神経質礼賛 68.キャリーバッグの恐怖

 この頃、駅周辺でキャスター(車輪)付バッグを引きずりながら歩いている人をよく見かけるようになった。新幹線のデッキには鞄メーカーのキャスター付バッグの広告が貼られている。確かに海外旅行などの長旅では大きなバッグにキャスターは必要であろうが、最近では通常の手提げバッグ程度の大きさなのにキャスターと長い取手が付いたキャリーバッグと称するものが流行しているようである。しかし、混雑した通路では他の通行人の足に当たることはよくあるし、エスカレーターでは乗り降りの際、ワンテンポ遅くなるため、下手をすると将棋倒し事故の誘因にもなりかねない。点字ブロックの上を通るときのガラガラ音も耳障りであるし、これでは、点字ブロックが傷みそうである。本人は横着ができて便利だろうが、周囲には実に迷惑なものである。

 エスカレーターでの危険性は以前から気になっていたが、先日、東京駅の昇りエスカレーターでこんなことがあった。私の前にいた女性がキャリーバッグの長い取手から手を離したところ、倒れて落ちてきたのだ。運動神経が鈍い私だが、危ないなーと思って、2段、間をあけていたのと、気になって注意していたので、落ちてきたバッグをかわすことができた。全く神経質が幸いした。

 私が担当している外来患者さんで、「物が落ちてくるのでは・倒れてくるのでは」と心配で仕方がない強迫神経症(強迫性障害)の人がいる。この人は、置いてあるテレビまでもが、地震か何かの拍子に飛んできて自分に当たるのではないかと心配で、外出しても看板が倒れてきそうで外出できず、とうとう仕事もできなくなってしまった。今では、薬と森田療法的アプローチで良くなり、復職している。ここまで心配になるようでは困るが、街を歩いていると、青信号でも無謀運転の車が突っ込んでくることだってあるし、突風で看板が倒れてくることもある。身を守るためには神経質な方が良い。キャリーバッグも要警戒である。

2006年5月22日 (月)

神経質礼賛 67.終末期医療

 某市民病院外科部長が終末期医療を受けている患者さんの治療を打ち切ったことが問題となった。当初は、あたかも外科部長が独断で治療を打ち切って患者さんを死に至らしめたかのように報道された。しかし、後から、患者さん本人あるいは家族の希望でそうしたことが明らかになってきた。いわゆる安楽死・尊厳死が認められていない日本では、以前から今回のような問題が繰り返し起きている。また、医療関係者ばかりでなく、患者さんの家族が、人工呼吸器を止めて、殺人罪に問われるという事件もあった。

 欧米では終末期を迎えた人に対し点滴、経管栄養は一切しないため、食物摂取ができなくなった患者さんは2-3日で死を迎えるのに対し、日本では内視鏡的胃ろう増設術(胃に穴を開けて体外からチューブで栄養できるようにする)が行なわれている(今井昭人:寝たきり高齢者再考、メディカル朝日 第35巻4号 p.84)。日本でも昔は、患者さんや家族とかかりつけの医師との間の「阿吽(あうん)の呼吸」で積極的な治療は行なわず、自然に死を迎えるというスタイルであったが、今はそうはいかない。畳の上で死を迎えることは極めて困難である。「スパゲティー」のように種々のカテーテルを体内に挿入し、本人が苦しかろうが何だろうが、1分1秒でも延命するのが医療の使命となっており、そうしなければマスコミに殺人者扱いにされてしまう。安楽死・尊厳死について医療関係者が語るのもタブーといった空気さえある。ましてや医療資源の有効利用やコストパフォーマンスの観点で論じることは禁忌となっている。しかし、このままでいいのだろうか。これは政府やお役人様が勝手に決めてよい問題ではない。国民全体の問題である。医療関係者も安楽死や尊厳死について意見をどんどん出していくべきである。

 もし私が末期がんなどで終末期医療を受ける段階になったとしたら、無駄な延命処置はしないで、痛みや苦痛を緩和する処置をしてもらえれば十分だと思っている。

 森田正馬先生の場合は、そうではないだろう。死にたくない、死にたくない、と言って亡くなって行かれた話は有名である。晩年の10年間はほとんど病床にあり、その間に一人息子と妻を失いながらも、寸暇を惜しんで神経症に関する診療・研究・教育に励まれたのである。死の瞬間まで、「生の欲望」に沿って生き抜かれたわけである。森田先生が現代に生きておられたら、最期まで延命治療を受ける事を望まれるかもしれない。

 死に対する考え方は様々であり、こうあるべきだと決める必要はない。それぞれの人の希望に沿った終末期医療が行なわれるようになることを私は望む。

2006年5月19日 (金)

神経質礼賛 66.琉球民謡(沖縄音楽)の効用

 私がまだ小さい頃、親に連れられて行ったデパートで沖縄の物産展をやっていて、そこで流れていた琉球民謡が子供心に強烈に焼きついた。この音楽は何だろう、と不思議に思った。聞いたことのない音階であるから当然である。まだ沖縄が本土復帰前だった時代である。それから30年以上たって、沖縄の病院に派遣され、あの曲は多分、「ちんさぐの花」と「谷茶前」だったのだろうと知った。わずか半年の勤務だったが、琉球民謡や喜納昌吉、りんけんバンドなどのCDを買いあさり、カラオケに行っては盛んに歌っていた。とはいえ、半年では琉球語はマスターしきれず、標準語を話さない年配の方とお話するには「通訳」を要した。「ヤマトの医者は信用できない」と頑なに「ヤマト言葉」を拒否した御老人もいたが、太平洋戦争で地上戦となり、多くの民間人が犠牲になった歴史を考えれば無理もない。

 沖縄の人々の生活は実にゆったりとしていて、あくせくしたところがない。特に時間に追われる、という感覚がない。勤務先の飲み会で、決まった時間に行ってみると誰も来ておらず、場所を間違えたかな、と心配になることがよくあった。台風の日に、何とか出勤すると、「台風休み」で外来は休診。当直医以外はお帰り下さい、と言われてしまった。病院の外来患者さんも神経症の人にはあまりお目にかからなかった。沖縄から大阪や東京に出て就職した時に、精神病を発病した人によく出会ったような気がする。ゆったりした生活テンポから急に速いテンポにするのは大きなストレスなのだろう。

 今でも沖縄の音楽はよく聞いている。特にスローテンポの琉球民謡は「まあ、いいさー。小さいことでクヨクヨすることはないさー」という気分にしてくれる曲が多い。車にも用意してあって、渋滞の時にかけると、イライラ感が薄らぎ、「まあ、そのうち着くさー」と時間を気にしなくなるものである。騙されたと思って一度試してみてはどうでしょうか。

2006年5月15日 (月)

神経質礼賛 65.人間のクズ

 私の手持ちのCDに、ちょっと変わったものがある。忌野清志郎「冬の十字架」というアルバムである。「(パンク版)君が代」というとんでもない曲が入っており、店頭販売されなかったのも無理はない。戦前ならば投獄モノである。そのアルバムの中で、「人間のクズ」は特に気に入っている。自転車でツーリングしながら全国各地でコンサートを開き、元気に飛び跳ねながらロックンロールを歌っている忌野さんからは想像できないような歌詞である。「川のほとりで自殺を考えたが怖くてできなかった」「俺はダメな奴だ、もう死んでるんだ」「レコードが売れなくてスタッフを恨んだけど意気地がなくて何も言えなかった」「友達らしき人々よ、みんな離れていった」等等。これではまるで内向的・小心・取り越し苦労の神経質そのものである。外見からは想像がつかないが、忌野さんにも意外と神経質な部分があるのだろう。そして「クズ、クズ、クズ、クズ、人間のクズ」を連呼して思い切り自分を貶めまくるのである。しかし、一緒になって「クズ、クズ、クズ、人間のクズ」「俺はクズなんだー!」と言っていると、逆にスカッと爽やかになってしまう。最後には忌野さんと一緒になって「今日も元気だー、人間のクズ」と開き直って叫びたくなる。落とすところまで落とすと、後は上がるしかない、ということなのだろう。「君はどうだーい?」と問いかけているのもいい。俺がクズならみんなクズである。完璧な人間なんかいない。

2006年5月12日 (金)

神経質礼賛 64.消えた短調

 最近、子供が買ったり、借りてきたりするCDの音楽を「聴かされて」いると、私が中高生の頃の歌とは随分違うものだ、と感じる。ヒットしやすいように、あるいはCMソングとしての利用も考慮してか、いわゆる「サビ」の高音部を中心に作られていて、ハイテンションであり、短調の曲は少ないように思う。覚醒度は上がりそうだが、こういう曲ばかりずっと聴かされていると、疲れてきてしまう。

 音楽療法で、「同質の原理」ということがある。その人のその時の気分に合わせた曲を選ぶというものである。例えば、気分が落ち込んでいる時は、早いテンポの明るい曲は不適切で、短調のゆったりした曲が良いのである。間違っても行進曲はいけない。

 私が子供の頃、周囲の大人たちが聴いたり口ずさんだりしていた曲は演歌であり、もちろん明るい曲もあるが、「酒・涙・女」系の短調の歌も多かった。失恋ばかりではなく、日常生活がうまくいかなかった時に、そうした歌を聴いたり口ずさんだりすることで癒される人も多かったのではないだろうか。

 私の中高生時代は、フォーク全盛期であり、実体験はなくても「神田川」「赤ちょうちん」の世界に共鳴を感じていたものである。それに続くニューミュージックの世界でも別れや悲しみをテーマにした曲は少なくなかった。特に自己評価の低い神経質人間にとっては、落ち込んだ気持ちを癒す上でこうした曲は有用なのではないだろうか。

 ぜひ今の若い世代向けに短調の名曲をヒットさせてほしいものである。

2006年5月 8日 (月)

神経質礼賛 63.森田先生と音楽・踊り

 森田正馬(まさたけ)先生というと謹厳実直のイメージが強いかと思う。月1回の集まりの形外会も真面目一方の会と思われるかもしれないが、実際は家庭的な雰囲気であり、娯楽的な面もあったようだ。時々、東京近郊の東村山貯水池、高尾山、奥多摩、豊島園へピクニックに行くこともあったし、熱海の森田旅館に泊まって初島へ行くこともあった。落語家を呼んでお笑いを聞いたり、森田先生はじめ先生方による「芸」の披露があったり、会員による芝居もあったりした。第21回形外会・森田邸新築記念(昭和7年5月)では森田先生が「土佐・木遣節」を披露しているし、第29回形外会(昭和8年1月)では森田先生が「綱渡り芸」を披露している。もちろん本当の綱渡りではなく、畳のヘリを綱に見立てて面白おかしく渡る真似をされたのである。第37回形外会(昭和8年10月)では、先生方をはじめ形外会会員そろいの浴衣に赤手拭着用で東京音頭を踊ったという記録があり、以後も踊りは盛んに行なわれていた。

 森田療法を始められる前から、森田先生は精神病の治療に音楽を取り入れていた。明治36年、東京帝国大学助手・府立巣鴨病院(現在の都立松沢病院)作業主任となった森田先生は、オルガンを買入れ、遊戯療法を奨励した、という記録がある。今ではレクリエーションや音楽療法は精神科医療で広く行なわれているが、当時は画期的なことであった。また、明治41年には藤村トヨ女史の東京女子音楽体操学校(現在の東京女子体育大学)の創立にも大きな援助をしている。事実上無給で心理学の講義をし、暇な時には生徒たちとテニスやダンスに興じていたという。

 不眠や不安を訴える神経症の患者さんはどうも趣味らしい趣味がない人が多いように思われる。健康人らしい生活とは、仕事だけやっていれば良いわけではない。こうした能動的な趣味・娯楽も必要なのである。

2006年5月 5日 (金)

神経質礼賛 62.睡眠と音楽

 クラシックのコンサートで演奏曲目がベートーヴェンの弦楽四重奏曲などというと、強力な催眠効果があるらしく、とりわけ第2楽章ともなると客席では舟をこいでいる人が多くなる。このような曲を集めて、不眠症のためのCDでも作ったらどうだろうかと思う。

不眠のための音楽として作られた曲では、バッハのゴールドベルク変奏曲が有名である。バッハの弟子ゴールドベルクが仕えていたカイザーリンク伯爵の不眠を癒すため作曲したと言われている。しかし、グレン・グールドのピアノ演奏では眠りにつくどころか頭が冴えてしまう。やはりゆったりとしたチェンバロ演奏で繰り返しを全部行なっているものがよいだろう。

逆に、不眠の苦しみを表現していると思われる曲もある。ヴィヴァルディ作曲の多くの協奏曲は急-緩-急3楽章構成だが、短調の第2楽章は、長く苦しい夜を思わせるものが多い。ヴィヴァルディには持病の喘息があり、しばしば激しい発作に襲われたため、ヴェネチアの町から外へ出ることはなかったと言われている。ヴィヴァルディが神経質だったかどうかはわからないが、喘息のために眠れない夜を過ごすことが多かったのは確かであろう。最期はヴェネチアを追放され、ウイーンで客死しているが、この事情は謎に包まれている。有名な協奏曲「四季」から「春」の第2楽章では牧童たちが眠る中、自分は犬の鳴き声が耳について眠れない、といった風情だし、「秋」の第2楽章では村人たちが飲めや歌えの宴会後に酔いつぶれて眠っている中、自分一人目覚めていて、ひんやりした秋の空気の中にたたずんでいるという情景が浮かんでくる。ヴァイオリンの初心者が必ず弾くイ短調の協奏曲の第2楽章では夜中に一人で物思いにふける様が連想される。第1楽章と第3楽章が溌剌としているだけに、第2楽章は一層際立っている。

なお、その曲が眠くなるかならないかは個人差があると思われる。私の子供は、どんなコンサートに連れて行っても必ず寝てしまう。子供向けの曲を並べたプログラムでも同じことで、金管楽器が全開状態・シンバルがジャンジャン鳴りまくる中でも平気で熟睡していた。いつしかコンサートには連れて行かなくなったのは言うまでもない。

2006年5月 1日 (月)

神経質礼賛 61.睡眠薬いろいろ

 先日、土曜日の夕方、外来受付にいきなり「ハルシオンとリタリン出してくれ」と言って来た男性がいた。今まで受診歴はなく紹介状も持っていなかったので、ケースワーカーが対応し、当院ではリタリン(精神刺激薬)は処方していないし、睡眠薬も診察を受けた上で必要な場合だけ処方される、と説明したところ、その男性は「じゃあいいよ」と帰って行ったそうである。いずれもインターネットで不法売買される薬の代表選手である。病院は薬(ヤク)の売人ではないので、「はい、どうぞ」というわけにはいかない。

 国内で現在使われている睡眠薬はベンゾジアゼピン(BZ)系の薬剤が主流である。筋弛緩作用が少なく(つまりフラツキや転倒の危険が少なく)健忘も起こりにくい非BZ系も近年発売されているが、薬価が高く効果も従来薬ほどではないためか、依然としてBZ系がよく使われている。BZ系の基本は抗不安薬のジアゼパム(商品名セルシン、ホリゾンなど)であり、その構造式を少し変化させたものが睡眠薬として使われている。その中でトリアゾラム(商品名ハルシオン)は最も半減期が短い超短時間型の薬剤であり、切れ味鋭く眠りにつけるということで人気(?)が高い。しかし、短時間型のものほど、反跳性不眠(薬をやめた時のリバウンド現象)が起こりやすく、薬をやめにくいという問題がある。また、アルコールとともに服用すると、意識障害を起こす危険性が高く、睡眠薬強盗などの犯罪に悪用されてしまうこともある。

 夜勤の後、昼間に寝なければならない交代勤務の人や、海外との往復が多い仕事で時差ボケのためになかなか眠れないという人の場合はやむを得ないが、睡眠薬はなるべく飲まない方がよい。第14話の森田先生のお話にあるように、医師が安易に睡眠薬を処方するのは今もありがちのことである。

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