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2006年5月22日 (月)

神経質礼賛 67.終末期医療

 某市民病院外科部長が終末期医療を受けている患者さんの治療を打ち切ったことが問題となった。当初は、あたかも外科部長が独断で治療を打ち切って患者さんを死に至らしめたかのように報道された。しかし、後から、患者さん本人あるいは家族の希望でそうしたことが明らかになってきた。いわゆる安楽死・尊厳死が認められていない日本では、以前から今回のような問題が繰り返し起きている。また、医療関係者ばかりでなく、患者さんの家族が、人工呼吸器を止めて、殺人罪に問われるという事件もあった。

 欧米では終末期を迎えた人に対し点滴、経管栄養は一切しないため、食物摂取ができなくなった患者さんは2-3日で死を迎えるのに対し、日本では内視鏡的胃ろう増設術(胃に穴を開けて体外からチューブで栄養できるようにする)が行なわれている(今井昭人:寝たきり高齢者再考、メディカル朝日 第35巻4号 p.84)。日本でも昔は、患者さんや家族とかかりつけの医師との間の「阿吽(あうん)の呼吸」で積極的な治療は行なわず、自然に死を迎えるというスタイルであったが、今はそうはいかない。畳の上で死を迎えることは極めて困難である。「スパゲティー」のように種々のカテーテルを体内に挿入し、本人が苦しかろうが何だろうが、1分1秒でも延命するのが医療の使命となっており、そうしなければマスコミに殺人者扱いにされてしまう。安楽死・尊厳死について医療関係者が語るのもタブーといった空気さえある。ましてや医療資源の有効利用やコストパフォーマンスの観点で論じることは禁忌となっている。しかし、このままでいいのだろうか。これは政府やお役人様が勝手に決めてよい問題ではない。国民全体の問題である。医療関係者も安楽死や尊厳死について意見をどんどん出していくべきである。

 もし私が末期がんなどで終末期医療を受ける段階になったとしたら、無駄な延命処置はしないで、痛みや苦痛を緩和する処置をしてもらえれば十分だと思っている。

 森田正馬先生の場合は、そうではないだろう。死にたくない、死にたくない、と言って亡くなって行かれた話は有名である。晩年の10年間はほとんど病床にあり、その間に一人息子と妻を失いながらも、寸暇を惜しんで神経症に関する診療・研究・教育に励まれたのである。死の瞬間まで、「生の欲望」に沿って生き抜かれたわけである。森田先生が現代に生きておられたら、最期まで延命治療を受ける事を望まれるかもしれない。

 死に対する考え方は様々であり、こうあるべきだと決める必要はない。それぞれの人の希望に沿った終末期医療が行なわれるようになることを私は望む。

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