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2006年7月31日 (月)

神経質礼賛 90.仙厓と森田正馬先生

 前回の話に出た仙厓(1750-1837は、型破りの僧であり、面白い逸話がたくさん残っている。時の豪商に一筆せがまれて「おごるなよ 月の丸さも ただ一夜」といましめたり、菊の花ばかり大切にしている殿様を一喝したり、ということで、博多では「仙厓さん」として頓智で有名な一休さん以上に親しまれているようである。

 仙厓は美濃の国の生まれで、家が貧しく、寺に引き取られた。その寺の住職になることはかなわず、雲水の修行を積み、のちに博多の聖福寺の住職(1788)となった。毎日新聞の日曜版に書家の(焼酎のCMでおなじみ)榊莫山先生の「莫山つれづれ」という連載エッセイがあり、平成18年6月11日付日曜版では、仙厓の作品を紹介している。なんと、仙厓が若い龍門と向き合って小便をしている図である。若い龍門の小便は威勢良く大きなアーチを描き、仙厓のは情けなく下に垂れている。「厓まけたまけた」と書いてある。高僧でありながら全く構えるところなく自在の心を表しているようにも見える。莫山先生によれば、「仙厓の魅力は、頭ごなしに説教はせず、やわらかいくすぐりのあるところである」ということだ。

 仙厓は臨終の際、「死にともない、死にともない」と言ったと伝えられている。禅を極め悟りきった高僧の身では、「死にたくない」などとは口が裂けても言えないところであるが、「死にたくない」という気持ちを正直に言うところが仙厓さんらしい。森田正馬先生の「死にたくない、死にたくない」と言って死んでいかれたエピソードもこれに重なるところがある。森田先生は森田療法と禅との関連を否定されていたが、若い頃から仏教に傾倒し、御自分でもオリジナル経文を作られた森田先生のことであるから、当然、仙厓のエピソードも知っていたと思う。森田先生の色紙の通り「死は恐ろし 恐れざるを得ず」である。「死の恐怖」を抱えながらも「生の欲望」に沿って建設的な行動を続けていくのが森田的生き方の真髄である。

2006年7月28日 (金)

神経質礼賛 89.気に入らぬ 風もあろうに 柳かな

 これはよく引用される句である。禅寺には月(週)替わりで標語が貼られているが、そこでもお目にかかることがある。森田正馬先生もこの句を引用しておられる。

 「気に入らぬ風もあろうに、柳かな」という事がある。「今度あの風が吹いたら、こんな風に靡(なび)いてやろう」とかいう態度が少しもなく、柳の枝は、その弱いがままに、素直に境遇に従順であるから、風にも雪にも、柳の枝は折れないで、自由自在になっているのである(森田正馬全集第5巻 p.318

と述べ、症状はあっても仕方なしに仕事をしていれば神経症がよくなっていくと説かれている。

 東京の出光美術館には江戸時代の禅僧・仙の「堪忍柳画賛」がある。風に靡く柳の絵の左側には「気に入らぬ風もあろふに柳哉」、右側には大きく「堪忍」の文字が書かれている。会社で創業者の写真を額に入れて飾っているところはよくあるが、出光佐三は自分の写真のかわりにこの画を掛けさせたという。

 風は自分で選ぶことができない。台風の強い風、冷たい北風、柳にとってもつらいものである。しかし、枝葉を風になびかせて受け流し、幹はしっかと立っているのが柳の本分である。人間も同じで思いも寄らぬ逆風も吹くものである。神経質人間は、「自分ばかりこんな目に遭って、不公平だ」と感じがちであるが、誰にも「気に入らぬ風」は吹くものである。逆風は仕方なしとあきらめて受け流し、やるべきことをコツコツやっているうちにいつしか風向きは変わってくるものである。

 偶然、この句をもじったブログを見つけた。「気に入らぬ風あろうが、柳かな」という題名の日記である。投稿者は実習で忙しい男子学生さんのようだが、料理が得意で、「作品」の写真をアップしておられる。レシピも満載で役に立ちそうである。スーパーで見切り品を上手に購入したり、レジ袋節約カードを利用したり、残り物もうまく一品に仕上げたりしていて、まさに「物の性(しょう)を尽くす」である。神経質上級者とお見受けした。今後の御活躍を期待いたします。

2006年7月24日 (月)

神経質礼賛 88.アイドリングストップ

 バス・トラックの業界では、信号待ちなどの際、アイドリングストップということで、エンジンを切ることを実施している会社がある。無駄なエネルギーの消費を防ぎ、大気汚染や地球温暖化の防止という観点で好ましいことである。おりしも原油高のため、ガソリンや軽油の価格は高騰しており、追随する会社も増えてくることであろう。駐車場でエンジンをかけっぱなしでエアコンやカーステレオをかけて休んでいるような運転手が減るのは大いに結構なことである。

 ただし、やみくもに信号待ちでアイドリングストップすればいいというものでもない。例えば5秒や10秒程度の短時間の停車で一旦エンジンを切ってまたエンジンをかけるというのでは、トータルのエネルギー消費や排気ガスでは改善は期待できないし、バッテリーに負担をかけてしまうだろう。エアコンなど電装品が多く使われる昨今では、あまり短時間のアイドリングストップは好ましくないかもしれない。

 路線バスの場合ちょっと困った問題もある。最近の路線バスは行き先表示が電光掲示になっている。信号待ちのバスがアイドリングストップでエンジンを切ると、行き先がわからなってしまうし、バスの中でも料金表の表示が消えてしまったり両替機が作動しなかったりして不都合である。やはり、路線バスの場合、アイドリングストップは、バスターミナルでの長時間の時間調整の時だけにして、短時間の信号待ちではエンジンを切らないほうがよいと思う。せっかくやるのであれば、この辺は神経質にした方がよい。

2006年7月21日 (金)

神経質礼賛 87.外相整いて内相自(おの)ずから熟す(2)

 外来の診察室には実にいろいろな患者さんがやってくる。私のような神経質人間から見ると、おやおや、と思うような服装や態度の人もよく見かける。毛糸の(?)帽子をかぶったまま入室し、携帯電話が鳴ると、診察そっちのけで話し込んでしまう若者は珍しくなくなった。もう少し年配の人でも、診察机にひじを付き、頬杖つきながら話す人、缶コーラをドンと診察机の上に置き、チビチビ飲みながら話す人、ガムを噛みながら話す人、いろいろである。こういう人たちは、当然、社会適応が悪い。病気ではない、神経症でもない。人格の問題が主である人が多い。きちんとした服装をし、姿勢や言葉遣いを正すのが、最良の「薬」のように思う。

 以前、森田療法で入院している患者さんたちに「外相整いて内相自ずから熟す」というテーマで絵をかいてもらいそれについて討論したことがある。何人かの患者さんは学生服を着て勉強している学生さんの絵を描いていた。やはり、きちんとした服装にすると、気も引き締まるものである。しかし、最近の学生さんたちはどうも外相からしていけない。男子は、ズボンをだらしなくずらして今にも落ちそうで、見ているほうがハラハラする。女子は夜の商売に行くような厚化粧で、トレパンの上に土人の腰蓑のようなスカートを巻いている。皆さん、歩きながらケータイのメール打ちに忙しい。この人達はいったい学校に何をしに行くのだろうか。高い月謝を払って実に「もったいない」である。

神経質礼賛 86.外相整いて内相自ずから熟す(1)

 この言葉の原典は吉田兼好の徒然草第157段に出てくる「外相もし背かざれば、内証必ず熟す」であると考えられている。まず心を静めようとするのではなく、姿勢を正して仏前でお経を唱えるようにすると、心が自然と落ち着いてくる、ということを述べている。

 森田療法では、気分をどうにか良くしよう、症状を何とかなくそう、ではなく、気分はすぐれなくても症状は苦しくてもやるべきことに手を出していく。そうしていると、いつしか気分や雑念はどこかへ行ってしまい、作業に集中して症状にとらわれていない自分にふと気づくものである。ここが悪い、あそこがおかしい、と神経症の人は次から次へと「病気」を探し出すが、そもそも病気はないのであるから、仕事はできるのである。したがって、健康人らしく行動すれば、健康になれる、ということなのである。

2006年7月17日 (月)

神経質礼賛 85.秋葉原今昔

 読売新聞の夕刊にはシティライフという洒落たコーナーがある。平成18年6月20日夕刊では「切り絵で見る旬な風景」ということで秋葉原を取り上げていた。担当の女性ライターが十数年ぶりに取材で秋葉原を訪れたところ「メード」関連の店だらけで驚く。「メード美容室」なる店に入ってみると男性客ばかりで「旦那様」と呼ばれており、女性ライターは「お嬢様」と呼ばれたそうである。

 今や秋葉原は「おたく」のメッカとなっている。この激変ぶりにショックを受けているのは私だけではないだろう。元々、秋葉原は電気街である。私のような電子工作を趣味とする人間やオーディオファンやアマチュア無線ファンのメッカであった。地方に住んでいると電子部品の調達は難しい。中学生の時は、同じような趣味を持つ友人たちと共同で、誰かが上京する時には、秋葉原の信越電気(現在の秋月電子)という店でトランジスターや発光ダイオードなどを100個単位で購入し、学校で分け合っていた。後は、ジャンクといわれる古い基盤から取り外したパーツを再利用して、ラジオやステレオアンプなどを自作していた。秋葉原にはパーツ屋ばかりが集まったビルがいくつもあり、そこを見て歩くだけでも楽しかった。しかし、私が最初の大学を卒業した頃から秋葉原も変わり始めた。ラジオやステレオも安く手に入るようになり自作するマニアも少なくなったせいか、地方にも家電量販店ができたせいか、パーツ屋ばかりでなく家電販売店までもが減り、スキー用品などを売る店が目立つようになった。私が作る物も、マイコン周辺回路が多くなった。医師になってからは半田ごてを握ることもなくなり、秋葉原に立ち寄ることはめっきり少なくなった。2、3年前、秋葉原駅前のラジオ会館に寄って驚いた。かつて安いオーディオや電気関係の小物を買っていた店が閉店し、美少女や怪獣のフィギュア専門店に変わっていたのである。老舗のオーディオ専門店もエロ漫画専門店に変わっていた。そして最近、マイナーな室内楽のCD探しに秋葉原に寄ってみると、メード服を着た女の子たちが街頭でティッシュ配りをしていた。古い電気ビルの中で、真空管アンプなどを売っている店も残っていたが、もはや「風前の灯」である。それでも秋月電子の周辺はまだがんばっている。パソコンやロボットを自作する若い人たちが、そのあたりに残ったパーツ屋・ジャンク屋に「お宝」を求めてやってくるのだろう。そこには真剣にコツコツとモノ作りする神経質の空気が流れている。

2006年7月14日 (金)

神経質礼賛 84.田原綾さんのこと

 今では、森田正馬先生から直接教えを受けた方で御存命の方は極めて少なくなった。私が身近に接したことがある田原綾(あや)さんも、故人である。

 田原綾さんは森田先生の親類で、高知県から上京して先生のお宅に住み込み、家庭見習い・看護婦として先生のお世話をしていた方である。御自身も神経質であり、森田先生の薫陶を受け、「人生とは仕方なしの生活なり」と悟り、ありのままの努力を心がけていかれた。その後、私が現在勤務している病院で、森田療法の指導員をされていた。病院の近くの寮に住み、朝7時頃にはもう病院に来ておられ、神経症の患者さんを指導しておられた。若い大柄の男性患者さんも、一見小さなおばあちゃんである田原さんには頭が上がらなかった。患者さんを叱る時は毅然とした態度で叱り、なかなか迫力があった。普段はニコニコしておられ、時々、患者さんたちを寮の自室に招いて、お茶とお菓子をふるまっていた。心臓の持病がおありだったが、亡くなる直前まで仕事を続けておられた。森田先生と同様、「己の性(しょう)を尽くす」を実践して生き抜かれた方だと思う。

 森田療法でよく使われる言葉で「いろはカルタ」を患者さんたちが作って、田原さんも一緒にカルタ遊びをした時のことを今でも思い出す。なかなか患者さんたちが見つけられない札を、田原さんが大きな声で「あったー!」と取って、みな大笑いしたことがある。当時の病院はボロだったが、家族的な雰囲気に溢れていた。退院して行った患者さんがすっかり元気になって、仕事や学校に行っていますと田原さんのもとに報告に訪れると、ご自分の家族のことのように喜んでおられた。

 こうした生き生きとした人間関係や治療にたずさわる人間の気合、といったものは現代の「マニュアル医療」では欠落しているが、本当は重要なものではないかと思う。

2006年7月11日 (火)

神経質礼賛 83.三畳一間の生活

 先日、TVを見ていたら、マスコミによく登場する某弁護士が、若い頃よく食べていた、早稲田大学周辺の食堂を紹介する番組があった。最後に、学生時代に住んでいた下宿を訪問する場面もあった。何でも、向かいのアパートで若い女性が洗濯物を干すのを見るのが楽しみだったという。

私が最初に学生生活を送ったのは早大に近い早稲田鶴巻町だったので、とても懐かしかった。当時、私が住んでいたのは家賃1万円、三畳一間のアパートである。表札もなく、外観は倉庫のようだった。1階は10部屋ほどあり、私がいた2階は6部屋あった。部屋のドアはベニヤ板に取っ手をつけたようなものだった。住人はというと、社会学部や第二文学部といった夜学の学生と早稲田をめざす予備校生がほとんどで、私の真下の部屋は、法学部卒で司法試験を10回位受験している人であった。小路を隔てた家は、自営業者の家で、某宗教団体の「新宿区困りごと相談所」なる看板が掲げてあった。早朝から近辺の信者さんたちが集まって「南無妙法蓮華経」の大合唱で目覚まし時計は不要だった。その家は「困りごと相談所」どころか親子喧嘩・夫婦喧嘩が激しく、怒鳴り声や女性の金切り声がよく聞こえてきたものである。大学の同級生が住んでいたアパートはたいてい、六畳または四畳半に台所付であったから、たまに友人が来るとびっくりされたものだ。私は方丈記の鴨長明扱いされてしまった。畳の上にビニールのカーペットが打ち付けてあって畳の状態は不明だったが、部屋の中央部は激しくへこんでいた。また、窓枠もかなりゆがんでいて、閉めても1cm近く隙間があき、大雨の時には雨がひどく吹き込んだ。2階の廊下の照明は10Wの裸電球1つで、これがよく切れて困った。店で売られている電球は30W位が最低のはずだが、節約のため、10W球だった。普通の電球と違い、透明ガラスでフィラメントが見えるもので、夜店の裸電球を連想させた。共同の流し台は不潔でゴキブリの大運動会状態であった。トイレも共同。風呂はなく、下駄を履いて徒歩5分の銭湯へ通った。私の部屋の中は小さい勉強机と冷蔵庫だけで、TVは買わなかったが、特に不自由を感じなかった。たまに寮生活をしていた弟が泊まりに来て、フトンを2L字型に敷いて、どうにか二人とも寝ることができた。町内に大家さんが住んでいたが、東京が空襲で田舎に疎開する人が多い中、逆に信州から東京に出てきたというから大したものである。

それから10年以上経って、結婚した当時、妻とお互いの元住んでいた所を見てみようということになり、立ち寄ってみたら、周辺は一変していた。牛込消防署は昔のままであったが、アパートへの小路は消失し、角の駄菓子屋もなかった。その辺一帯が「地上げ」で大きなマンションに変貌していたのだ。アパートの写真を一枚位撮っておけばよかったのに、と思う。私の一人暮らしの原点であるあのアパートは私の記憶の中だけの存在となった。今では「ウサギ小屋」とはいえ、何とか自分の家を建て、便利な電化製品や種々のモノ(ガラクタ?)に囲まれて暮らしているが、時々、あの「原点」の生活を思い出して、何もないことの良さも考えさせられる。

 森田療法を行っている私の勤務先は3年前に新築移転となり、患者さんたちの生活環境は大幅に改善した。冷暖房完備で広いスペースの4人または2人部屋である。仕切りのカーテンもあり、プライバシーもある程度保てるようになった。古い病院の時は、何もない畳の大部屋で5,6人が寝起きしていた。不便な反面、患者さんたちは、いろいろ工夫をこらし、便利な道具を自分たちで作ったり、足りないものは遠くの店まで歩いて買いに行ったりしていた。また、家族的な雰囲気や一体感もあった。最近はそういう面が薄れてきてしまった。居心地が良くなりすぎて、全体の作業スケジュールがない時は、エアコンの効いた部屋のベッドでゴロゴロ寝て過ごすような弊害もある。本来の森田正馬先生の治療では、夜、寝るとき以外は病室に入ることは許されず、絶えず仕事を探して行動していくよう指導されていた。神経質人間は発展向上心が強いのだが、あまり便利で楽な環境だと、神経質の良さが発揮されにくいようにも思う。

2006年7月 7日 (金)

神経質礼賛 82.男おいどん

 私が中学から高校生の頃、少年漫画雑誌に松本零士さんの「男おいどん」が連載されていた。後に「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」で有名になった松本さんの作品である。主人公の大山昇太は九州から単身上京し、古ぼけた「下宿館」の四畳半に住み、自活している。下宿館の家主バーサンだけが、おいどんを暖かく見守ってくれる。しかし、アルバイト先はすぐにクビになってしまうし、夜間高校も授業料が払えず中退し、復学もむずかしい状況である。下宿館には、大学生や浪人生が入ってくるが、しばらくすると新しいアパートに移っていってしまう。次から次へ美女が現れ、おいどん君にも春が来たように見えるが、いつもはかない夢と消えてしまう。それでも志は曲げず、何もない部屋の押入れのパンツの山の奥には、学生服と学帽が御本尊として鎮座している。おいどん君は作者である松本さんの分身なのだろう。松本さんは漫画で身を立てるため、夜汽車に乗って単身上京している。頼れるものは自分以外ない。辛くてへこたれそうな時には、主人公と同様「なにくそ、今に見とれー」と歯を食いしばってがんばってきたに違いない。この歯を食いしばる、という言葉は、もはや若い世代には通じない言葉かもしれない。日本人の若者の顔は「小顔」に変化してきたそうで、専門の歯科医によると、柔らかいものばかり食べて顎を使わなくなったためだそうだが、歯を食いしばってがんばることをしなくなったのも一因ではないかと私は思う。

 おいどんは決して大胆な青年ではない。劣等感が強く、他人の目を気にし、小さいことをクヨクヨ考えてしまう、どちらかというと神経質な青年である。しかし、九州男児たるもの男らしくしなければ、という信念に沿って、追い詰められると、行動力を示す。ある意味、武士道精神のようなものがおいどんを支えている。今の日本にはこれが欠落してしまっているように思う。自己愛で他人を見下す若者ばかりでなく、その親世代でもこれが失われているのではないだろうか。

2006年7月 3日 (月)

神経質礼賛 81.チルドレン社会

 前々回の社会的引きこもりで、大きな社会問題となっているのは日本ばかりであることを述べた。

 少子高齢化が問題になる一方、いつまでも精神的に成熟しない大人が増えているのも問題であろう。これは学校での教育の影響や家庭での躾が不十分であることによるところが大きいのではないかと思う。ヨーロッパ諸国では中学卒業くらいの段階で職業訓練を受けるか進学するかの選別が行なわれるところが多いようである。日本では、今ではほとんど全員が高校に進学する。さらに、少子化により大学も希望者全員が(もちろん大学を選ばなければ)入れる時代も近いという。高校や大学へ進学するのは、大多数の場合、本人が高等教育を受けたいからではない。「みんなが行くから」「働かないで遊んでいられるから」が本音ではないか。そもそも勉強したくない人間が高校や大学に入学するのだから、教育者も大変である。昭和初期、まだ高等学校や大学がごく一部のエリートしか行けなかった時代に森田正馬先生はすでに「学校の目的は、決して生活の安定ではない。人格の向上である」(白揚社:森田正馬全集第5p.224)と述べておられるが、もし今の状態を見られたら絶句されることだろう。一方、家庭でもかつてのカミナリ親父は消滅し、トモダチ関係の母子が中心になっている。これでは躾も何もあったものではない。

 さらに学校を出てからも親に寄生し続ける「パラサイト・シングル」が増えている。結婚年齢は高くなる一方であり、晩婚化は少子化の一因となっている。日本では子供の数はどんどん減少し、子供のままの人格を持った大人は増加する一方なのである。子供のままの人格では、出産・育児などまともにできるわけがない。産んでも産みっぱなし、児童虐待のあげく子供が死亡するケースが次々と報道されている。

いくらチルドレンの元締め首相が女性の少子化対策担当大臣を任命しても、児童手当を増やしても、少子化には歯止めがかかるはずはない。このままではアジアや南米からの労働力に依存する国になってしまうかもしれない。誰もが関心のある公的年金も急激な少子化により、実態は「国営ネズミ講」「国によるぼったくり詐欺」になりつつある。

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