神経質礼賛 90.仙厓と森田正馬先生
前回の話に出た仙厓(1750-1837)は、型破りの僧であり、面白い逸話がたくさん残っている。時の豪商に一筆せがまれて「おごるなよ 月の丸さも ただ一夜」といましめたり、菊の花ばかり大切にしている殿様を一喝したり、ということで、博多では「仙厓さん」として頓智で有名な一休さん以上に親しまれているようである。
仙厓は美濃の国の生まれで、家が貧しく、寺に引き取られた。その寺の住職になることはかなわず、雲水の修行を積み、のちに博多の聖福寺の住職(1788)となった。毎日新聞の日曜版に書家の(焼酎のCMでおなじみ)榊莫山先生の「莫山つれづれ」という連載エッセイがあり、平成18年6月11日付日曜版では、仙厓の作品を紹介している。なんと、仙厓が若い龍門と向き合って小便をしている図である。若い龍門の小便は威勢良く大きなアーチを描き、仙厓のは情けなく下に垂れている。「厓まけたまけた」と書いてある。高僧でありながら全く構えるところなく自在の心を表しているようにも見える。莫山先生によれば、「仙厓の魅力は、頭ごなしに説教はせず、やわらかいくすぐりのあるところである」ということだ。
仙厓は臨終の際、「死にともない、死にともない」と言ったと伝えられている。禅を極め悟りきった高僧の身では、「死にたくない」などとは口が裂けても言えないところであるが、「死にたくない」という気持ちを正直に言うところが仙厓さんらしい。森田正馬先生の「死にたくない、死にたくない」と言って死んでいかれたエピソードもこれに重なるところがある。森田先生は森田療法と禅との関連を否定されていたが、若い頃から仏教に傾倒し、御自分でもオリジナル経文を作られた森田先生のことであるから、当然、仙厓のエピソードも知っていたと思う。森田先生の色紙の通り「死は恐ろし 恐れざるを得ず」である。「死の恐怖」を抱えながらも「生の欲望」に沿って建設的な行動を続けていくのが森田的生き方の真髄である。
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