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2006年7月14日 (金)

神経質礼賛 84.田原綾さんのこと

 今では、森田正馬先生から直接教えを受けた方で御存命の方は極めて少なくなった。私が身近に接したことがある田原綾(あや)さんも、故人である。

 田原綾さんは森田先生の親類で、高知県から上京して先生のお宅に住み込み、家庭見習い・看護婦として先生のお世話をしていた方である。御自身も神経質であり、森田先生の薫陶を受け、「人生とは仕方なしの生活なり」と悟り、ありのままの努力を心がけていかれた。その後、私が現在勤務している病院で、森田療法の指導員をされていた。病院の近くの寮に住み、朝7時頃にはもう病院に来ておられ、神経症の患者さんを指導しておられた。若い大柄の男性患者さんも、一見小さなおばあちゃんである田原さんには頭が上がらなかった。患者さんを叱る時は毅然とした態度で叱り、なかなか迫力があった。普段はニコニコしておられ、時々、患者さんたちを寮の自室に招いて、お茶とお菓子をふるまっていた。心臓の持病がおありだったが、亡くなる直前まで仕事を続けておられた。森田先生と同様、「己の性(しょう)を尽くす」を実践して生き抜かれた方だと思う。

 森田療法でよく使われる言葉で「いろはカルタ」を患者さんたちが作って、田原さんも一緒にカルタ遊びをした時のことを今でも思い出す。なかなか患者さんたちが見つけられない札を、田原さんが大きな声で「あったー!」と取って、みな大笑いしたことがある。当時の病院はボロだったが、家族的な雰囲気に溢れていた。退院して行った患者さんがすっかり元気になって、仕事や学校に行っていますと田原さんのもとに報告に訪れると、ご自分の家族のことのように喜んでおられた。

 こうした生き生きとした人間関係や治療にたずさわる人間の気合、といったものは現代の「マニュアル医療」では欠落しているが、本当は重要なものではないかと思う。

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コメント

私的なことですので掲載不要ですが、田原綾さんの事を知りなつかしくなり連絡させて頂きました。
ビートルズが日本に来た時ですから、昭和41年の夏、私は丁度当院に入院中でした。
その頃でも結構白髪混じりのおばさんといった感じのかたでいつもニコニコして子供さんを抱いて面倒を見ておられました。
もっと大きなお子さんもいらして、ジャニーズのファンだった様で写真やグッズが沢山あったような気がします。
田原さんは時々、インスタントラーメン(袋入り)を分けてくれました。
凛とした明治の女性といった感じの方でした。
奥様はものすごくきれいな方だった気がします。
残念なことに私は日射病になって20日ほどで退院し、その一年後に水谷啓二先生の啓心寮に入寮して対人恐怖症を克服しました。
その26年後に今度は不安神経症の発作で鈴木知準先生のお世話になり完治しました。
大原先生も亡くなられたようで、本当に森田療法の伝承者がいなくなって行くのは寂しいことです。
突然のメール申し訳ありませんでした。

shin様

 貴重な情報をお寄せいただきありがとうございました。

 当院は昭和34年の創立ですからshin様がいらした頃は、まだできて新しかったことと思います。30周年記念誌を見ると、田んぼの真ん中にポツンと建った木造二階建ての写真があります。また、昭和40年に水谷啓二さんが当院を訪問された時の写真も載っています。森田正馬先生の(甥に当たる)養子である秀俊先生(昭和63年逝去)が創立者・院長で、直接、患者さんの指導に当たられていました。現在、奥様はお元気に病院理事長をしておられ、毎日出勤されています。

 記念誌に載っている田原綾さんの文の一部を御紹介しておきましょう。

「患者さんは、心臓が少しドキドキすると大病人のように思い込み、家の中に引っ込み、何もせずに寝てばかりいるものですから、廃人となってしまいます。大病人と思って一生懸命病気でないのに大切に大切にしているのです。そんなとき森田療法を知り、入院して、本当は身体は病人ではないのですから、作業をどんどんやって、社会に戻ります。退院してから昔の自分の思い違いを考え、院長の指導の言葉を思いだし、自分を励ましながらどんどん働いている由、手紙をくださいます。また、別の方は森田学校が懐かしく、近くに来たのでちょっと寄りました、と言って顔を見せてくださいます。皆、感謝感謝してくださいます。」

 森田正馬先生の治療、そのお弟子さんたちである高良武久先生、古閑義之先生、鈴木知準先生の治療はいずれも家族的な雰囲気の中で人間の再教育・人格の再形成という面が強かっただろうと思います。かつての当院もそのような雰囲気で森田療法を行っていたかと思います。

メール非公開のつもりでしたが、うっかりしてしまいました。つまらぬ内容にお返事まで賜り
ありがとうございました。

田原綾さんの文章、素晴らしいです。
かつての家庭のような、学校のような人間修養の場が絶えることなく、後継者の育成も途切れることのないよう祈ります。

たらふく様

 コメントいただきありがとうございます。

 仰るように、森田療法には単に神経症の治療というだけでなく、再教育の場・人間修養の場という大きな側面があります。そこを少しでも多くの方々に知ってもらえるよう、努力していきたいです。

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