神経質礼賛 100.人のすることに出来る出来ぬの別あることなし
この言葉は森田正馬先生の色紙にあるもので、私も患者さんの日記にコメントとして書くことがある。この後には「出来ぬといふは したくなきが為なり」という手厳しい言葉が続く。症状にとらわれている人は、「この症状さえなければ人並み以上に仕事ができるのに」と症状のせいにしがちであるが、本当は症状はあっても人並み以上に仕事はできるのである。
対人恐怖の人は人前で話すことを極度に恐れ、それを避けようとする。症状があるから「できない」というわけだ。しかし、これは上手に話したい、うまくやりたい、という気持ちが強いからであって、せっぱつまってやらざるを得なくなればできるものである。最初は緊張して多少ぎこちなくても・時々言葉に詰まってもやっているうちに何とかなってくるものであり、一生懸命になって話そうとする真剣な態度で周囲からはかえって好感を持たれる場合も少なくない。結局「できない」のではなく「やりたくない」から避けてしまうだけのことである。
手洗いや確認の場合、強迫行為はガマンして次の仕事に手を出していけばよいものを、手洗いして気分をよくしよう・確認して安心したいという気分を優先してしまい、本来やるべきことを「やらない」イコール「やりたくない」ということなのだ。
不安神経症の場合、パニックになったらどうしよう、と予期不安し、電車に乗ったり、会合に出たり、床屋に行ったり、歯医者に行ったりすることを避ける。そうこうしているとますます敷居が高くなって、そうした行動ができなくなり、不安も一層強くなる、という悪循環となる。だが、パニック発作になったところで死ぬことはない。「できない」と避けないで思い切って飛び込んでいけば何とかなる。そして大丈夫だという体験を積み重ねていけば頭の中のソフトウエアも書き換えられてくるというわけだ。
神経症ではなくても神経質人間は「重い車」のたとえのようなところがある。「めんどうだなあ」「やりたくないなあ」という考えが浮かび、仕事の批判をし始めると、こんなのは「できない」になりかねない。70話「神経質を生かす仕事法」で述べたように、いやでも面倒くさくてもとにかく早めに手を出していくことが大切である。
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