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2006年8月14日 (月)

神経質礼賛 94.「車輪の下」と放火殺人事件

 奈良の有名進学校の高校生が自宅に放火し、継母・弟・妹が焼死するといういたましい事件が起きた。父親、継母とも医師である。父親は子供も医師にするため、徹底的に勉強させており、暴力もふるっていたという。期待通り、中高一貫の有名進学校に入学したが、高校になって成績が下降し、それが父親にバレることを恐れての犯行だったという。父親に対しては尊敬の念と憎しみの両価的な感情があったらしい。私も私の同僚たちも事件の父親に年齢が近く子供も同じ位の年齢なのでショックを受けた。それにしても事件後の逃避行で民家に忍び込み、TVでサッカーW杯の試合を見ていた、というあたりはちぐはぐで理解しがたいものがある。

 この事件の報道を見て、私の頭に浮かんだのが中学生時代に読んだヘッセの「車輪の下」という小説である。もはや詳しいことは覚えていないが、村の期待を一身に背負って町の神学校に入学した主人公があたかも車輪の下で押しつぶされるように勉強の重圧の中で挫折し、最後は川に身を投げて自殺する、という話だったと思う。作者自身をモデルにした小説だという話も聞いたことがある。

 今回の事件の高校生は「すべてがイヤになった」と言うが、何も放火して家族の命を奪わなくても、自分が家出すれば済むだけのことである。見つかれば叱られるだろうが、それ位、今の生活がイヤであるということをアピールしてうまく収まったかもしれない。

 「車輪の下」の主人公と今回の事件の高校生の決定的な違いは、自罰性と他罰性、他者への思いやりの有・無ではないだろうか。父親や継母に対する恨みがあったにせよ、継母だけでなく罪もない弟や妹の命まで奪って平気でサッカーの試合を見ていた、というところからして、勉強はできても人間として基本的な部分が欠落していたのではないか。

 かつて森田正馬先生はこう言っておられる。

「一般の人々は、人を見るに秀才とか何とかいって、外面的の智識といふ事に重きを置くけれども、自殺・殺人とかいふ破壊行為は、既に其基礎に性格の変質といふ事があっての事と見なければならない」(白揚社:森田正馬全集第7巻 p.219

勉強が原因ではないが、神奈川で小学生をマンション15階から投げ落として死亡させた事件の40代の犯人も同様である。自分の抱えたストレスを理由に人を傷つけたり殺したりしていいはずがない。弱い立場の児童を殺傷するような事件が頻発している。15話「ヒステリーの時代」で述べたように、大人も人格未熟で自己中心的、自責感に乏しい他罰的な人間が増えている。

 その点、神経質は「自分はダメだ」と劣等感を持ちやすく、まだまだ努力が足りないと努力し続けるものであり、他人を傷つけることも自分を傷つけることもできない善良な小心者である。

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