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2006年10月 2日 (月)

神経質礼賛 111.まあこんなもの

 108話で、自分の講演前に、緊張でお腹の具合が悪かったりドキドキした際、「まあ、いつものこと」と受け流したことを述べたが、神経症の人の「症状」への対処法も同じである。

 以前、私の外来に対人緊張が強い女性が通っていた。結婚前は金融機関でバリバリ働いていた優秀な女性だが、第一子出産を契機に専業主婦となり、そのあたりから「症状」を強く意識するようになった。近くの心療内科クリニックで薬を処方され、症状は改善したが、第二子の妊娠を希望し、薬をやめたいということで森田療法を希望され、遠方から通院されていた。日記の中では、幼稚園のお母さん同士の集まりがよくあり、その際、他のお母さん方の思惑が気になり、とても緊張するのだが、次第に、「まあ、こんなものだと思う」という記述が増えてきた。そして、待望の妊娠が判明。5ヶ月通院したところで、「何とかやっていけそうです」ということで治療終結となった。その後、お会いする機会はないので、今どうされているかはわからないが、おそらく二人のお子さんの育児に追われていることと思う。そして、時期が来ればまた仕事に就かれることと想像する。薬物療法は薬をやめたら効果は終わりである。それに対して、森田療法の効果は持続する。「症状」を何とかしようとジタバタしないで「まあこんなもの」と受け流す術を会得すれば、「症状」はあってなきがごとき状態となるのである。強い風に枝葉をなびかせて受け流す柳と同じである。

森田先生はこう言っておられる。

神経質の症状の治ると治らないとの境は、苦痛をなくしよう、逃れようとする間は、十年でも二十年でも決して治らぬが、苦痛はこれをどうする事も出来ぬ、しかたがないと知り分け、往生した時は、その日から治るのである。すなわち「逃げようとする」か「踏みとどまる」かが、治ると治らぬとの境である。 (白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.389

「まあこんなもの」は神経症の症状へのとらわれから脱却する魔法の言葉かもしれない。

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コメント

いつもためになるお話、ありがとうございます。
大変参考になります。
僕も神経質で、約35年ほど前から不安神経症(パニック障害ともいうそうですが)の症状があります。軽快したり、また少し酷くなったりの繰り返しです。
でも、もう慣れました。

今は仕事からくる鬱の症状もあり、薬を飲み続けています。
参考になるお話、これからも楽しみにしています。

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