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2006年11月28日 (火)

神経質礼賛 130.こちら葛飾区亀有公園前派出所

 漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(通称:こち亀)が連載30年間1回も休載なしの長ロングセラーとなり、単行本も150巻を越えた。

 この漫画の第1作を私が見たのは21話の耳鼻科医院の待合室にあった漫画雑誌である。作者の秋本治さんは、当初「がきデカ」の作者「山上たつひこ」をもじって、「山止たつひこ」というペンネームで出ていた。単行本の最初の8巻位までは弟が買っていたのだが、その後は何となく私が買い続けた。だから1巻から最近の151巻まで全部持っている。

 実際の秋本さんは漫画のハチャメチャな主人公「両津勘吉」通称「両さん」とは似ても似つかない人である。雑学の知識が非常に豊富であり、ディテイル(細かいこと)へのこだわりが強い。漫画の中で歌の歌詞を引用した場合にはJASRAC(日本音楽著作権協会)の承認番号を入れてある。私は以前から、秋本さんは神経質人間であろうと思っていた。先日、書店で「超こち亀」という関連本を見つけ、買ってみると、秋本さんの仕事ぶりが詳しく載っていた。漫画家のアトリエというと、散らかっていて漫画家本人もアシスタントも徹夜続きの不規則生活、というのが一般的である。ところが秋本さんは全く逆で、仕事の時間はきっちり決まっており、昼休みはスタッフも揃ってとるのだそうだ。アトリエというより整然としたオフィスといった印象である。締め切りスレスレに書き上げる漫画家が多い中、秋本さんは何週か分ストックを描きためている。体調を崩すこともあれば、ネタが沸かなくて困る時だってあるはずだが、これだから30年にわたって続けることができたのだと思う。秋本さんはインタビューの中で、「緊張感は今でも持ち続けています」と言っている。また、同じ漫画家の平松伸二さん(ドーベルマン刑事)は「平凡の繰り返しが非凡になる」という秋本さんの発言を紹介している。一つのことを粘り強く続けるのは神経質人間の長所である。「こち亀」がさらに40年、50年とロングランが続くことを期待している。

2006年11月27日 (月)

神経質礼賛 129.私のベンチャー企業体験

 123話に私が医大に再入学したいきさつを書いた。ちょうど私が会社を退職する直前、上司のAさんと、先輩のBさんとで、会社を辞めてシステムハウス(コンピュータのソフトウエア開発の会社)を設立しようという話が持ち上がっていた。他の会社の技術者だったAさんの弟Cさんも加わった。私も誘われて出資し、非常勤取締役になった。医大への通学は電車・バス・徒歩で片道2時間半かかり毎朝6時前に家を出ていた。大学のオーケストラにも入っていたし、頼まれて家庭教師もやっていた。それでも週に2回は会社に顔を出し、できる仕事は帰宅してからやっていた。こんな芸当ができるのは若いうちだけである。

 会社は順調に業績を伸ばし、社員が増えて広い事務所に移転。以前の会社に私と同期で入社したD君も転職してきた。3年後には東京にも事務所を構えることができた。社長のAさんは楽天的な性格で、ヒラメキが鋭い人である。専務のBさんは神経質で慎重な人である。技術部長のCさんは人情に厚く親分肌で、部下の信頼を得ている。この性格の違いがうまくかみ合っていたように思う。全員が理工系出身の技術者であるから業界の方向性については共通の認識を持っていた。

 ところが、バブル全盛期に入り、営業畑を渡り歩いてきたEさんが中途入社してきてから会社に不協和音が生じ始めた。Eさんはソフト開発以外の種々の新規事業の話をAさんに進言した。最初は乗り気でなかったAさんも、「濡れ手で粟」のような話をEさんから吹き込まれているうちに、新規事業に傾いていった。慎重なBさんは当然反対するし、Aさんの弟Cさんも新規事業には懐疑的だった。神経質人間の私も、「会社が利益を上げた今、資本金を増やして借入金を大幅に減らすべきだ」と提言した。しかし楽天的なAさんはバブルの夢に向かって突っ走ってしまった。

 結果は惨めなことになってしまった。有能な技術者は次々と退職した。会社の命運は尽き、BさんもD君も中堅のシステムハウスに転職していった。会社を安定成長させていくためには神経質が大いに必要である。ただの紙くずになってしまったこの会社の株券を見るたびに、つくづくそう思う。

2006年11月24日 (金)

神経質礼賛 128.減塩生活

 勤務先の病院では年2回、職員の健康診断がある。2年前までは、私の血圧は110/70から120/80位の間で全く問題なかったのだが、1年前から上がり始め、今年の健康診断の時には140/100になってしまった。完全にレッドゾーン入りである。他の医師たちは(私と年齢は近いのだが)皆、すでに降圧剤を服用している。

 加齢による動脈硬化は否定できないが、一つ思い当たるのは、食事の変化である。我が家は以前から塩分少なめの食生活だったのだが、子供たちが周囲の子の影響で味の濃いものを好むようになり、それに合わせて、おかずや味噌汁の味付けが濃くなってきた。まあ、血圧正常だし、よく汗をかく(冷や汗をかく?)から少しくらいいいや、と油断していたらこの有様である。

 さっそく、減塩生活を決意した。極力しょうゆの使用は減らす。納豆はタレなしで食べる。トーストにつけるマーガリンはごく少量にする。病院で食べる味噌汁は具だけ食べて汁は捨てる。おいしいラーメンを食べると今まではスープを飲み干していたが、なるべく残すように努力。神経質はやり始めたら止まらない。徹底的である。1年間がんばってみてそれでもダメなら降圧剤を飲むと決めている。1年後に神経質万歳になるといいが。また、成果を報告します。

2006年11月22日 (水)

神経質礼賛 127.いじめ自殺

 最近、いじめによる自殺が次々と起こっている。学校や教育委員会がいじめの実態を隠蔽していたケースや中には教師がいじめに加担していたという信じられないケースもあった。困ったことに、自殺は伝染する。かつてアイドル歌手が自殺した時に次々と後追い自殺者が出たことを思い出す。また敬老の日に次々とお年寄りが自殺することもあった。あまりテレビや新聞の報道が過熱すると、自殺念慮を持った人たちは自殺者に対する共感から自分も死ぬしかないという考えにとらわれていくのではないかと懸念する。

 いじめは今始まったことではなく、いつの世にも、学校だけではなく職場やどんな世界でもあるものである。ただ、今の学校でのいじめは陰湿化し、犠牲者を精神的に追い詰めるものになってしまっているのではないか。昔は兄弟で取っ組み合いのけんかをしても、お互い痛みは知っているから、あるところで手加減するし、近所の子供たちで遊んでいて争いが起こっても必ず仲裁する子がいた。つまり小さい時から人との付き合い方を知らず知らずのうちに体験的に学習できるシステムがあった。今の子は兄弟も少なく、近所の子供たちで自然に遊ぶということがない。少子化が「孤子化」を招いているのだと思う。TVゲームのバーチャルの世界だけでは相手を思いやる能力は育たない。土曜日が週休2日となり、子供たちは塾・予備校へ吸い込まれていくが、小学校のうちは大勢で外で遊ぶことのほうが大切だと思う。泥んこになったり、時には取っ組み合いのけんかになったりしてもいいではないか。時間はかかるが、そうしているうちに陰湿ないじめは減ると思う。とはいえ、即効性のある対策も必要であるので、①いじめを隠蔽しない ②いじめられた子供のサポート体制作り ③後追い自殺を防ぐような報道の工夫(いじめを乗り越えた人からのメッセージを伝えるなど) はすぐにでも実行してほしいものだ。

A首相が教育改革で「愛国心」を前面に押し出しているが、順番が逆で、まず相手を思いやる心を育て、公共道徳を遵守することを学習させることが先である。郷土愛や愛国心はその上に成り立つものである。いきなり「愛国心」から始めようとすれば、「将軍様」の某国と同じである。今のようにいじめ自殺が続くようでは、「美しい国ニッポン」どころか「心が貧しい国ニッポン」である。

 相手がどう思うだろうかと考えて発言や行動が慎重な神経質人間はいじめに加担することは少なく、いじめられる側になってしまうことが多い。私自身もおとなしい子だったから、小学校・中学校くらいまではいじめにあったことがある。しかし、「今に見ていろ」と口惜しさを勉強や趣味などに向けているうちに、周囲から一目置かれるようになりいじめられなくなった。我慢強く、転んでもタダでは起きないのが神経質人間のとりえである。

2006年11月20日 (月)

神経質礼賛 126.「必修逃れ」は教育偽装

全国各地の高校で、必修科目を履修させずに受験に関係した科目を教えていたことが発覚し、大問題となっている。地理や歴史は受験に関係ないからと切り捨てられていたようである。わかった以上、補講を受けさせなくてはならない。受験を間近に控えた高3生にとっては大変な迷惑である。責任を強く感じた校長先生が自殺するという悲劇まで起きた。こういう事態となった背景には、週休2日制になって主要科目の授業が十分に行えないとか、大学合格者数の高校間の競争が厳しいとか、大学が受験生獲得のため入試科目を減らしているとか、いろいろなことが言われている。しかし、これは、食品の産地偽装、耐震強度偽装(4041話)、と同根の問題だと思う。偽装大国ニッポンで起きた教育偽装問題である。

ホリエモン、村上ファンド、F日銀総裁ばかりではなく、ズルしてもやったもの勝ち、の風潮が教育界にも蔓延しているのではないか。少子化で、大学や高校は生き残るために、なりふりかまわずの面がある。一例として、長距離走選手を留学生としてアフリカから連れてきて箱根駅伝で活躍した地方私立大学は、知名度アップから人気が上がり、受験者数が増え大学の偏差値も上昇した。その真似をしている高校もある。しかし、教育としてこれはどうなのか。留学生と言うより実態はプロスポーツ選手と大差ない。留学生本人にとっても幸せなことなのか。本国に帰って、講義や実習で学んだことが生かせるような留学ならば大いに結構なのだが。「一芸入試」で芸能人を入学させて批判を集めた大学もある(恥ずかしいことに私の出身大学である)。これは逆効果で人気低落の一因にもなった。一方、学生も学生で、試験のカンニングはハイテク化され、大胆になってきているようである。普段の講義も、小中学校のごとく出席を取るため、出席率はいいが、私語がひどくて講義にならない、という実態もあるようだ。学生側も最初から勉強しようという気はなく、ラクして卒業できればいいや、である。こういったところにも教育偽装の土台がある。学校側は教育の使命とは何か、勉強しなおす必要があるし、学生さんたちも何のために学校に行くのか目的をハッキリ自覚する必要があるだろう。今と違って本が宝物だった時代に多くの本を読み哲学について語りあって過ごした旧制高校の学生さんから学ぶべき点が多いのではないだろうか。

2006年11月17日 (金)

神経質礼賛 125.神経質vs野良猫 第3ラウンド

 113話のさらに続編である。雨の降る休日、家の近くを歩いていて、野良猫の根城を見つけた。正確に言うと野良猫たち、と複数形になる。3軒先に「ゴミ屋敷」がある。変わり者の元・高校英語教師が借りていて、ガラクタが山積みになっている。住人はすでに他の借家に移り、普段は無人である。その家の屋根の雨がしのげるところで雨宿りしている2匹の猫がいた。一匹は白色、もう一匹は茶色である。一晩の間に2カ所にウンチされることも多いので、どうしてだろうと思っていたが、理由がわかった。それにしても、我が家を野良猫たちのトイレにされたのではたまったものではない。

 ウンチ処理をしたついでにキッチンハイターを大量に散布してみたが、次の日もやられていた。次の一手は、パラゾールである。ホームセンターの安売りで、引出用に2個ずつ小さな紙パックに入ったパラゾール1kgを購入。その半分の500g位、紙パックから出して家の周りにばら撒いた。これは強烈な臭いである。中学の理科実験(パラジクロルベンゼンの融点を調べる実験だったか?)を思い出す。妻が「家中、昔のトイレの臭いじゃないの!」と怒りまくる。これは確かに効果があった。それから3日間というもの野良猫たちは寄り付かなかった。しかし、揮発して粒が小さくなってきた途端にまたやられてしまった。3日ごとに散布して臭いを維持すれば良いが、それではこちらが参ってしまうし、近所からも苦情が出そうである。残念ながら今回も野良猫に軍配が上がってしまったようだ。しかし、神経質はまだまだあきらめない。

2006年11月13日 (月)

神経質礼賛 124.工学部不人気

 平成181025日付け毎日新聞夕刊のトップ記事は、大学工学部の不人気ぶりについてだった。工学部の受験志願者数は10年前に比べて半減しているという。それに代わって医療関係の学部の志望者が増えているという。これは深刻な問題である。資源に乏しいわが国は科学技術力すなわちモノ作りの力で勝負していく他ないのだが、優秀な人材が工学部を避けるようになったのでは行く末が心配である。

 こうした背景には理工学系出身者が仕事に見合った待遇を受けていないことがある。研究者や公務員で理系出身者の冷遇ぶりは「理系白書」で話題になった。週刊誌などで取り上げられる年収比較を見ても、メーカーの開発技術者は事務や営業に比べて待遇が悪いし、いわゆる出世も困難である。その割には長時間の残業、休日出勤という実態もある。受験生もその辺は承知で、いくらやりがいある仕事であっても、それに見合った対価がなければ敬遠してしまうだろう。プロジェクトXの美談には釣られない。

 最近、技術者個人への発明に対する対価請求を認める判決が出るようになってきた。企業側もこれまでは仕事の中での発明だとしてビタ一文出さなかったのが、発明や研究に対する報奨金制度を整備せざるを得ない状況になってきた。良い発明や研究で一攫千金ともなれば、モチベーションが向上して、さらにすぐれた発明や研究に結びつくことが期待できる。そうなれば、優秀な人材が理工系に回帰してくるだろう。

 私の外来に長いことパニック障害で通院しておられるコンピュータメーカーの技術系管理職の方がいる。毎日、帰宅するのは夜の11時、12時。睡眠時間は4-5時間。休日も実際にはなかなか休めない。出張続きで家を空けることも多い。時々、無精ヒゲを生やして来院されることがあり、「ここ3日、会社に泊り込みだったので失礼で申し訳ありません」と言われる。私はいつも「休める時には少しでもお休み下さい」と言っている。ハードワークの中で、列車に乗っている時などにパニック発作が起こるようになった。薬で良くなり、もう全く日常生活に支障はないのだが、「定年退職までは薬を飲んでおこうと思います」と神経質に服薬しておられる。この方は私とは逆コースで、最初は医学部にいたが電気やコンピュータが好きで理工学部に転じた経歴の持ち主である。メーカーは、もっと技術系社員を大事にしてほしいものだ。

2006年11月10日 (金)

神経質礼賛 123.私のうつ体験

 神経質な私は、物事を悲観的に考えるのが常である。しかし、悲観的な考えを出し尽くすと、「そこまで悪くはないか、とりあえずやってみよう」と開き直って、結果的にはニュートラル状態で行動している。最悪のことを考えた上であるから、少々悪い結果が出ても「想定範囲内」であり、ひどく落ち込むこともない。そんな私にも、今にして思えば「うつ状態」と考えられる時期があった。

 私が大学4年の時、父が病気で倒れた。腰部にできた悪性線維性組織球腫という悪性腫瘍だった。大学院へ進学するか、電気メーカーに就職しようか、と考えていた矢先だった。父の看病の役に立つことを考えて、地元の企業に就職した。ガス会社のシステム開発部門に配属され、事務処理ソフトの開発に従事していた。入社3年目に、突然、大阪に行ってくれと言われた。今では禁止されている二重派遣である。サラ金大手のP社に、システムハウスS社のエンジニアという名目で入り込んでオンラインシステムの開発にあたった。最初は上司の課長代理と私の二人だけが送り込まれた。2ヵ月ほどたって急激に食欲がわかなくなった。大阪駅前の地下街は安くてうまい定食屋がいっぱいあり、最初の頃は「今日はどこに行こうか」と楽しみだったのが、まったくダメで、食事を注文したものの箸をつけずにお金だけ払って出てきてしまったこともあった。夜も眠れない。会社で借り上げたマンションの窓には桜ノ宮ラブホテル街の色とりどりのネオンが映り、ますます気分が落ち込む。わずか3ヶ月の間に体重が12kg減るという激ヤセ状態となり、一度内科にかかったらストレスによる十二指腸潰瘍と言われた。確かに仕事のストレスもあったが、父親の病状がだんだんと悪化していることが気になっていたし、もともと電子回路が好きな自分が事務処理システム開発の仕事をこのままずっと続けるべきかどうかという悩みもあったのだと思う。今考えると、「うつ状態」である。幸い仕事の方は、システム設計のヤマを越えてプログラミングの段階になり、会社から応援部隊が次々と派遣されてきて精神的負担が軽減したのと、休日には京阪電車に乗って京都へ行き、禅寺の庭園を見て過ごして気分転換ができたのが良かったのかもしれない。

いろいろ考えている中で、医学部に入り直そう、という考えが出てきた。当時、3年次への学士編入をしているのは阪大医学部だけだったので願書を取り寄せてみた。しかし、私の卒業した大学では教養学科が数学と物理・化学に偏っており、人文系の単位数が不足していたため、受験資格がないことがわかった。結局、4年間勤めたところで会社に辞表を出して地元の国立医大を受験して幸運にも入学することができた。父が亡くなったのはその直後である。この「うつ」体験は私の人生の中で大きな転機であったと思う。

「うつ」は季節の冬と同じである。冬の後には必ず春が来る。草木の葉がいったん枯れても、春にはまた新しい芽が出てくる。「うつ」で苦しんでいる方々には、「うつ」は新しい芽を出すためにエネルギーを蓄える時だと考えていただければと思う。

2006年11月 6日 (月)

神経質礼賛 122.こころの風邪

 風邪は3日、悪くて1週間くらいでおさまるものであるが、こころの風邪と言われる「うつ」はすぐにはよくならない。風邪も軽いものでは鼻風邪で済むが、こじらせると気管支炎、肺炎になってしまう。こころの風邪もこじらせて本格的なうつ病になってしまうと厄介である。

 うつ病は原因別に、内因性うつ病、身体因性うつ病、心因性うつ病に分類されている。内因性うつ病は原因がハッキリしないもので精神病としての色彩が強いものであり、単極型うつ病と双極型うつ病(躁うつ病)がある。身体因性うつ病は身体疾患や薬の副作用で起こるうつ病である。心因性うつ病は精神的なストレスが原因で起こるものである。いずれも治療は一に休養、二に抗うつ薬による薬物療法、三に精神療法である。

 最近の精神科の外来には心因性うつ病というかうつ状態、それも軽度の風邪レベルで受診される人が多くなった。その中で特に目に付くのが、中高年サラリーマンの仕事上のストレスからくる、うつ状態である。

企業業績が回復し、統計上は長い好景気が続いているのだそうだが、あまり実感がないと言われる。個人の所得には反映されていないからである。どこの企業もリストラで人件費削減を図ったことによる、つまり社員を犠牲にしての企業業績回復なのである。少なくなったメンバーで以前と同じかそれ以上の仕事をしなくてはならない。それでいて経費削減のため残業はするなという。できないのはお前の能力不足だ、いやなら辞めろ、と言われる。結局、サービス残業、休日出勤、残務の家への持ち帰りということになる。仕事に縛られる時間は激増しても手取り収入は横ばいか減少である。まともな神経の持ち主なら、気分が落ち込んで当たり前である。有名大企業に勤めている人たちが次々と精神科外来を訪れている。業績・成果ばかりを追求する社会になって、人々の心身の健康が損なわれ、医療費も余分にかかる、というのは本末転倒である。日本もアメリカ流で企業の合併・買収が盛んになってきたが、会社は株主や経営者のためだけにあるものではない。会社で働く人々のためでもあることを忘れてはならない。

こういう生きづらい社会でやっていくにはどうしたらいいだろうか。高校生時代に聞いた「フォークの神様」岡林信康の歌「くそくらえ節」の歌詞に「金で買われた奴隷だけれどこころは俺のもの」とあったのを思い出す。

2006年11月 3日 (金)

神経質礼賛 121.風邪は気の緩みから?

 仕事柄、人と向かい合って話をする時間が長いこともあり、風邪をひいた患者さんと話をしているうちに自分も風邪をもらってしまうことがある。情けない話だが年3、4回は風邪をひいているような気がする。私の場合、もともと鼻アレルギーがあって、風邪の時には一日以上激しい水様鼻汁が続くことになる。鼻水タラタラでは仕事にならない。内科医や外科医ならばマスクをしてもおかしくないが、精神科医がマスクをしたら商売あがったりである。ひき始めたかなと思ったら、早めに葛根湯を飲み、消毒薬でうがいする。それでもダメならやむなく抗ヒスタミン剤を服用する。巷で緊張していると風邪をひかないというが、私も風邪をひくのは仕事のヤマを越えて気が緩んだ時やたまの2連休の時が多いようにも思う。

森田正馬先生は(神経質が)全治した人は、誰も不思議と風邪をひかないようになる、という話題の中で、「風邪をひくのも魔がさすのも、必ず常に気の緩んだ時で、周囲の事情とこれに対する自分の反応が、適応性を失った時に起こるものである。周囲と自分との釣り合いが取れていれば、必ずそんなシクジリは起こらない」(白揚社:森田正馬全集第5巻p.59)と述べておられる。「生の欲望」に沿って常に仕事をみつけて行動していれば風邪をひかなくなるのかもしれない。私の場合は、時々四分休符のつもりが二分休符や全休符に伸びてしまうのがいけないのだろう。とはいえ、やはり時には気を緩めて休みたくなるのが人情である。

緊張すると風邪をひかないというのはあながち迷信ではない。緊張していると交感神経が優位となり、リンパ球の活動が抑えられるので、風邪症状が起こりにくくなる、と考えられている。

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