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2006年11月20日 (月)

神経質礼賛 126.「必修逃れ」は教育偽装

全国各地の高校で、必修科目を履修させずに受験に関係した科目を教えていたことが発覚し、大問題となっている。地理や歴史は受験に関係ないからと切り捨てられていたようである。わかった以上、補講を受けさせなくてはならない。受験を間近に控えた高3生にとっては大変な迷惑である。責任を強く感じた校長先生が自殺するという悲劇まで起きた。こういう事態となった背景には、週休2日制になって主要科目の授業が十分に行えないとか、大学合格者数の高校間の競争が厳しいとか、大学が受験生獲得のため入試科目を減らしているとか、いろいろなことが言われている。しかし、これは、食品の産地偽装、耐震強度偽装(4041話)、と同根の問題だと思う。偽装大国ニッポンで起きた教育偽装問題である。

ホリエモン、村上ファンド、F日銀総裁ばかりではなく、ズルしてもやったもの勝ち、の風潮が教育界にも蔓延しているのではないか。少子化で、大学や高校は生き残るために、なりふりかまわずの面がある。一例として、長距離走選手を留学生としてアフリカから連れてきて箱根駅伝で活躍した地方私立大学は、知名度アップから人気が上がり、受験者数が増え大学の偏差値も上昇した。その真似をしている高校もある。しかし、教育としてこれはどうなのか。留学生と言うより実態はプロスポーツ選手と大差ない。留学生本人にとっても幸せなことなのか。本国に帰って、講義や実習で学んだことが生かせるような留学ならば大いに結構なのだが。「一芸入試」で芸能人を入学させて批判を集めた大学もある(恥ずかしいことに私の出身大学である)。これは逆効果で人気低落の一因にもなった。一方、学生も学生で、試験のカンニングはハイテク化され、大胆になってきているようである。普段の講義も、小中学校のごとく出席を取るため、出席率はいいが、私語がひどくて講義にならない、という実態もあるようだ。学生側も最初から勉強しようという気はなく、ラクして卒業できればいいや、である。こういったところにも教育偽装の土台がある。学校側は教育の使命とは何か、勉強しなおす必要があるし、学生さんたちも何のために学校に行くのか目的をハッキリ自覚する必要があるだろう。今と違って本が宝物だった時代に多くの本を読み哲学について語りあって過ごした旧制高校の学生さんから学ぶべき点が多いのではないだろうか。

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