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2006年11月27日 (月)

神経質礼賛 129.私のベンチャー企業体験

 123話に私が医大に再入学したいきさつを書いた。ちょうど私が会社を退職する直前、上司のAさんと、先輩のBさんとで、会社を辞めてシステムハウス(コンピュータのソフトウエア開発の会社)を設立しようという話が持ち上がっていた。他の会社の技術者だったAさんの弟Cさんも加わった。私も誘われて出資し、非常勤取締役になった。医大への通学は電車・バス・徒歩で片道2時間半かかり毎朝6時前に家を出ていた。大学のオーケストラにも入っていたし、頼まれて家庭教師もやっていた。それでも週に2回は会社に顔を出し、できる仕事は帰宅してからやっていた。こんな芸当ができるのは若いうちだけである。

 会社は順調に業績を伸ばし、社員が増えて広い事務所に移転。以前の会社に私と同期で入社したD君も転職してきた。3年後には東京にも事務所を構えることができた。社長のAさんは楽天的な性格で、ヒラメキが鋭い人である。専務のBさんは神経質で慎重な人である。技術部長のCさんは人情に厚く親分肌で、部下の信頼を得ている。この性格の違いがうまくかみ合っていたように思う。全員が理工系出身の技術者であるから業界の方向性については共通の認識を持っていた。

 ところが、バブル全盛期に入り、営業畑を渡り歩いてきたEさんが中途入社してきてから会社に不協和音が生じ始めた。Eさんはソフト開発以外の種々の新規事業の話をAさんに進言した。最初は乗り気でなかったAさんも、「濡れ手で粟」のような話をEさんから吹き込まれているうちに、新規事業に傾いていった。慎重なBさんは当然反対するし、Aさんの弟Cさんも新規事業には懐疑的だった。神経質人間の私も、「会社が利益を上げた今、資本金を増やして借入金を大幅に減らすべきだ」と提言した。しかし楽天的なAさんはバブルの夢に向かって突っ走ってしまった。

 結果は惨めなことになってしまった。有能な技術者は次々と退職した。会社の命運は尽き、BさんもD君も中堅のシステムハウスに転職していった。会社を安定成長させていくためには神経質が大いに必要である。ただの紙くずになってしまったこの会社の株券を見るたびに、つくづくそう思う。

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