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2006年11月10日 (金)

神経質礼賛 123.私のうつ体験

 神経質な私は、物事を悲観的に考えるのが常である。しかし、悲観的な考えを出し尽くすと、「そこまで悪くはないか、とりあえずやってみよう」と開き直って、結果的にはニュートラル状態で行動している。最悪のことを考えた上であるから、少々悪い結果が出ても「想定範囲内」であり、ひどく落ち込むこともない。そんな私にも、今にして思えば「うつ状態」と考えられる時期があった。

 私が大学4年の時、父が病気で倒れた。腰部にできた悪性線維性組織球腫という悪性腫瘍だった。大学院へ進学するか、電気メーカーに就職しようか、と考えていた矢先だった。父の看病の役に立つことを考えて、地元の企業に就職した。ガス会社のシステム開発部門に配属され、事務処理ソフトの開発に従事していた。入社3年目に、突然、大阪に行ってくれと言われた。今では禁止されている二重派遣である。サラ金大手のP社に、システムハウスS社のエンジニアという名目で入り込んでオンラインシステムの開発にあたった。最初は上司の課長代理と私の二人だけが送り込まれた。2ヵ月ほどたって急激に食欲がわかなくなった。大阪駅前の地下街は安くてうまい定食屋がいっぱいあり、最初の頃は「今日はどこに行こうか」と楽しみだったのが、まったくダメで、食事を注文したものの箸をつけずにお金だけ払って出てきてしまったこともあった。夜も眠れない。会社で借り上げたマンションの窓には桜ノ宮ラブホテル街の色とりどりのネオンが映り、ますます気分が落ち込む。わずか3ヶ月の間に体重が12kg減るという激ヤセ状態となり、一度内科にかかったらストレスによる十二指腸潰瘍と言われた。確かに仕事のストレスもあったが、父親の病状がだんだんと悪化していることが気になっていたし、もともと電子回路が好きな自分が事務処理システム開発の仕事をこのままずっと続けるべきかどうかという悩みもあったのだと思う。今考えると、「うつ状態」である。幸い仕事の方は、システム設計のヤマを越えてプログラミングの段階になり、会社から応援部隊が次々と派遣されてきて精神的負担が軽減したのと、休日には京阪電車に乗って京都へ行き、禅寺の庭園を見て過ごして気分転換ができたのが良かったのかもしれない。

いろいろ考えている中で、医学部に入り直そう、という考えが出てきた。当時、3年次への学士編入をしているのは阪大医学部だけだったので願書を取り寄せてみた。しかし、私の卒業した大学では教養学科が数学と物理・化学に偏っており、人文系の単位数が不足していたため、受験資格がないことがわかった。結局、4年間勤めたところで会社に辞表を出して地元の国立医大を受験して幸運にも入学することができた。父が亡くなったのはその直後である。この「うつ」体験は私の人生の中で大きな転機であったと思う。

「うつ」は季節の冬と同じである。冬の後には必ず春が来る。草木の葉がいったん枯れても、春にはまた新しい芽が出てくる。「うつ」で苦しんでいる方々には、「うつ」は新しい芽を出すためにエネルギーを蓄える時だと考えていただければと思う。

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コメント

「うつ」は新しい芽を出すためにエネルギーを蓄える時ですか・・・
何か、この言葉で勇気が出てきました。そして、癒されました。
パニック障害と鬱症状で悩んでいる僕にとっては貴重な言葉です。
いつも為になるお話、ありがとうございます。
感謝です!

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