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2006年12月29日 (金)

神経質礼賛 140.ノロウイルス余波

 今年の年末はノロウイルスが猛威をふるっている。各地で飲食店や老人施設や病院などで集団感染が発生し、駅伝大会の選手たちがやられてしまうなどというニュースもあった。冬は生ガキのシーズンだが、ノロウイルス感染を恐れてカキの消費が落ち込み、業者側も出荷できず、いわゆる風評被害にもなっている。今回の大流行の特徴は食物摂取による感染ばかりでなく人から人への感染が目立つことである。

 私の勤務先の病院でも食事に影響が出ている。献立表から刺身類が消えてしまった。ある日のちらし寿司のメニューの予定が五目混ぜご飯に化けてしまった。精神科の病院は長期入院者が多く、食事は大きな楽しみなのだが、刺身の消滅で患者さんたちはガッカリである。正月三が日、例年はささやかなおせち料理とともに登場していた刺身もなくなりそうである。

 ノロウイルス感染を予防するには、貝類の生食を避けることと、十分に手洗いすることの2点が重要である。この辺は神経質人間が得意とするところであり、神経質がノロウイルスにやられるリスクは低いであろう。とはいえ、あまり過敏になると手洗い強迫・不潔恐怖となってしまうので、ほどほどにすることである。

<読者の皆様へ>

今年からスタートしたこのブログも無事に年末を迎えることができました。来年も毎月10話、忙しい時でも5話を目標に投稿していく予定です。コメントをお寄せ下さった、スローライフさん、luckymulinさん、どうもさん、ソーラーさん、ありがとうございました。この場で御礼申し上げます。スローライフさんのように御自分のブログに寄せられたコメントすべてにコメントを返しておられる方には頭が下がります。私には真似できそうもありません。

皆様、よいお年をお迎え下さい。       (四分休符)

2006年12月25日 (月)

神経質礼賛 139.薬の入荷停止騒動(ワイパックス・ロラメット・アーテン)

 今月、ワイスというメーカーで製造しているワイパックスという抗不安薬が品薄となり、患者さんの処方薬を変更せざるを得ない事態が発生した。ワイパックスは短時間型の抗不安薬で血中濃度の上昇が早く、ソラナックス(コンスタン)とともにパニック障害の治療でよく使われる薬である。ワイパックスは代謝の際、肝臓の代謝経路がシンプルで、蓄積しにくいので、高齢者や肝機能が少々悪化している人にも比較的安心して処方しやすいという長所がある。いざワイパックスをコンスタンに変更しようとすると、飲み慣れた外来患者さんからは「ワイパックスの方が効きが早いのに」とか「電車や車の中で不安になって頓服する時、ワイパックスの方が水なしで飲みやすいのに」とか言われて困った。「どちらも作用時間・効果とも近いので、コンスタンでガマンして下さい」、とお願いする一方であった。

 やっとワイパックスの再入荷のメドが立ったと聞いてほっとしたのもつかの間、今度は同じメーカーで製造している睡眠薬ロラメットと抗パーキンソン薬のアーテンが入荷停止という情報が入り、大慌てである。ロラメットはワイパックスと同様に高齢者にも使いやすいという長所がある薬である。アーテンは統合失調症の薬の副作用止めとしてよく処方されている薬である。入院患者さんで長期間服用している人も多く、薬剤変更は大変な作業であるばかりでなく、薬剤変更を患者さんに説明して納得してもらうのが大変である。年末はただでさえ忙しいところでこのドタバタである。

 薬問屋さんの情報によると、メーカーがロラメットとアーテンの製造ラインをワイパックス用に転用したためだそうだ。自転車操業もいいところで実にお粗末な話である。精神科の薬は長期間服用する場合が多いので、風邪薬や抗生物質と異なり、急激に需要が変動することは少ないので生産・出荷計画は立てやすいはずである。例によって「神経質が足りない!!」と叱りつける必要がありそうだ。勤務先の病院では、ついに、ワイス社の製品の採用を取りやめてジェネリック薬品に変更することになった。神経質が足りないと大損することになりますよ。

2006年12月23日 (土)

神経質礼賛 138.さらにもうひとつの記念年・ショスタコーヴィチ

 今年は、ショスタコーヴィチ(1906-1975)の生誕100年でもあった。ショスタコーヴィチはまぎれもなく神経質人間であると思う。強迫神経症だったという説もある。

 ショスタコーヴィチはスターリン独裁下のソ連で生き抜いた人である。友人の舞台演出家が秘密警察の拷問で死亡し、やはり友人の小説家たちが殺されたり自殺に追い込まれたりする中、ショスタコーヴィチ自身もソ連共産党の機関紙プラウダで「人民の敵」とまで批判され、危険な目にあっている。子供の前で涙を流したのは、妻が亡くなった時と、むりやり共産党に入党させられた時の2回だけだったというエピソードもある。「社会主義リアリズム」という当局の要求に迎合した作品を作りながらも、反骨精神は失わなかった。生存中発表せずに隠し通した曲もある。しかしながら当局の意図に沿って作曲した交響曲第5番「革命」や第7番「レニングラード」は今でも名曲として親しまれている。彼の曲には「死の恐怖」と「自由を奪われた苦悩」がテーマとなっているとも言われている。交響曲の第9番の作曲時は、ベートーヴェンの第9番のプレッシャーが大きかったらしく、立派な大曲を作らねば、と思っているうちに、軽妙な曲ができ上がってしまった。いかにも小心な彼らしい。最後の交響曲第15番は何とも不思議な曲である。「ウイリアム・テル」の旋律が引用されているが、堂々とした勇ましさはなく、私は寂しい村祭りの夜店を連想してしまう。曲の最後は消え入るように終わっていき、打楽器の響きが印象に残る。ソ連の崩壊を予言していたのか、それとも人類の滅亡を予言していたのか・・・。

 意外な一面としては、彼は熱烈なサッカーファンで、運動神経が鈍いにもかかわらず公式審判員の資格を取り、サッカーにちなんだ曲まで作っている。

 芸術家・知識人たちに対する厳しい弾圧の中で、何とか適応しつつも自分の世界を失わなかったのは、彼が神経質だったからこそできたことだと思う。

2006年12月22日 (金)

神経質礼賛 137.もうひとつの記念年・シューマン

 モーツァルト・イアーの陰に隠れてしまったが、音楽界では、今年はもうひとつの記念の年、シューマン(1810-1856)没後150年記念でもあった。シューマンはピアニストとして出発したが指の障害を機に、作曲に専念するようになった。もともと文学に造詣が深かったシューマンは「トロイメライ」に代表される詩的なピアノの名曲を数多く残しているし、交響曲もよく知られている。ただ、管弦楽曲はユニゾン(同じ旋律を複数の種類の楽器で演奏すること)が多いためか、聴いていてちょっと物足りなさも感じる。とは言え、情感豊かな旋律はとても魅力的である。昔、中学や高校の合唱で「流浪の民」を歌ったり聴いたりして感銘を受けた人も少なくないであろう。ピアノと無縁の私が弾くことがある曲は3つのロマンス(元来オーボエの曲で、ヴァイオリニストのクライスラーがヴァイオリン用に編曲)である。

 シューマンが自殺を図り、精神病院で最期を遂げたことはよく知られている。幻覚・妄想があり、父親や姉やシューマンの末子にも同様の症状があったと言われており、統合失調症とも考えられるし、神経梅毒だったとも考えられている。元来の性格は循環気質であったと思われ、「子供の情景」の作品からもうかがえるように子煩悩であったようだ。

 神経質人間はどうも現実的過ぎてしまう傾向があるが、時にはシューマンのロマンティックなファンタジーの世界に浸かってみるのもよいのではないだろうか。

2006年12月18日 (月)

神経質礼賛 136.モーツァルト・イアー

 今年はモーツァルト(1756-1791)生誕250年ということで、それにちなんだ演奏会やTV番組が多かった。また、それに乗じてCDも多数発売され、10枚組の廉価版がいろいろ発売された。私もつい買ってしまった一人である。1枚1枚「おはようモーツァルト」とか「仕事がはかどるモーツァルト」とかテーマが決まっていて、テーマに合うような名曲からの抜粋を集めたものである。モーツァルトの音楽は、没入して聴くこともできれば、仕事をしながら聞き流すのに邪魔にならない、という特徴があって、BGMにはうってつけのように思う。私がよく買い物をするショッピングセンターの開店時の音楽はモーツァルト作曲ディヴェルテメント・ニ長調(K.136)第一楽章で心がウキウキするような旋律であり、サイフのヒモが緩みそうである。この曲は私が高校時代に所属していた弦楽合奏部で、高2の文化祭の時に演奏した思い出深い曲である。確かモーツァルトが16歳位の時の作品だったと思う。

 モーツァルトの人柄については、映画「アマデウス」でご存知の方も多いであろう。映画の中での奇妙な高笑いは強烈に印象に残るはずである。まれにみる大天才であるが、残っている手紙には糞尿に関するような下品な言葉が見られ、精神科的にはトゥーレット症候群(チック障害の一種)にみられる汚言症とも考えられている。

 父親のレオポルト・モーツァルトは代々職人の家に生まれたが、学業が優秀だった上、歌やヴァイオリンの才能もすぐれており、宮廷音楽家となった。かつてハイドン作曲と思われた「おもちゃの交響曲」は今ではレオポルトの作曲だということになっている。しかし、モーツァルトの大天才ぶりに気付いてからは、もっぱら息子のマネージャーに徹するようになった。モーツァルトは学校へは行かず、音楽を含む全ての学問をレオポルトから学んだ。モーツァルトが大天才ぶりを発揮できたのは父レオポルトのおかげに他ならない。レオポルトは厳格で神経質であった。やがて、成長したモーツァルトが、安定した就職先探しを期待するレオポルトのプレッシャーから逃れようとする様子は映画の中でもよく表現されていた。もしモーツァルトが父レオポルトの神経質さを受け継いでいたならば、借金に追われることもなく、健康を害することもなく、もっと長生きして活躍し、より多くの名曲を残せたかもしれない。しかし迫り来る死に追い立てられるかのように作った「レクイエム」のような曲はできなかったかもしれない。

2006年12月15日 (金)

神経質礼賛 135.禅と森田療法

 わが国独自の神経症の治療法である森田療法は、禅の思想に基づいていると思われていることが多い。京都・東福寺の近くで森田療法を行っている三聖病院の開設者・(故)宇佐玄雄先生(森田先生の高弟)は禅僧であったし、息子さんで現院長の宇佐晋一先生は同病院での治療を「禅的森田療法」と表現されている。森田先生が患者さんを指導する際に用いた言葉は禅の言葉が多いし、実際森田先生の治療を受けた患者さんにも、森田療法は禅から出たものだと思われていた。しかし、森田先生御自身はそれを否定しておられた。

 私の著書に、禅語の引用されているのは、みな強迫観念の治療に成功して後に、初めて禅の意味がわかるようになったものである。すなわち、禅と一致するからといっても、禅から出たのではない。私が神経質の研究から得た多くの心理的原理から、禅の語を便利に説明する事ができるようになったのである。 (白楊社:森田正馬全集第5巻 p.388

私は禅の事は知らない。ただ聞きかじりだけである。昔、三十年ほど前に、釈宗禅師の提唱を聴き、また参禅すること四回でありましたが、その時の公案「父母未生以前、自己本来の面目如何」という事を、一度も通過する事ができないでやめてしまいました。それで禅の体験は全く知らないものですが、神経質の病的心理の研究から、禅に対して相当の批評ができるようになったという事は、自分も大分偉いのではないかと密かに思ったのであります。(笑)          (白揚社:森田正馬全集第5巻 p.643

 しかしながら、森田療法のバックボーンに東洋思想とりわけ禅があることは誰の目から見ても明らかであろう。それでは森田療法と禅との相違点はどんなところだろうか。

 我々は、人生の丸木橋を渡るのに、足元を恐れないような無鉄砲の人間になるのが目的でなく、彼岸に至りさえすればよい。座禅や腹式呼吸で、心の動かない、すましこんだ人間になるのが目的ではなく、臨機応変、事に当たって、適応して行く人間になる事が大切である。(白楊社:森田正馬全集第5巻 p.519

 神経質は、とかく練習をしたがる。平常心になるために座禅をするようなことを森田先生は嫌っておられた。よく、北条時宗の逸話を引き合いに出して「事上の禅」の話をされていた。単に作為的な無念無想では隠し芸のようなもので、実際に役に立つものでなければならない、ということである。

 私も禅は門外漢である。母が臨済宗の藤原東演禅師の講演会を聞いて、その著書を買い込んだ。いい本だから読め、と渡されたので通勤の電車の中で読んでみた。成美文庫の「人生はゆっくり変えればいい!」と「心がラクになる生き方」という本である。とても良いことが書いてあるな、と思う反面、森田療法と立場の違いを感じた。禅師は「心が雑念でいっぱいなら、仕事に打ち込めるわけがない」ということで雑念を放り出すことを勧めているが、森田のやり方では、雑念はそのままにして(心はいじらず)仕事をしていくように、ということになる。あれもやらなくては・これもやらなくてはとハラハラしながら仕事をしているうちにいつしか雑念にとらわれていない状態となってくるものだ。禅僧のように修行を積んだ人であれば雑念を放り出すことは容易にできようが、普通の人間にはなかなかできることではない。一方、森田のやり方は誰でも実行可能だと思われる。また、題名の「人生はゆっくり変えればいい」は、うつ病の方にはピッタリであるが、神経質人間の場合、「嫌なことは先送り」癖を推奨しかねない。森田流では、できることはすぐに実行しなさい、である。もちろん禅は大変すばらしいものであるが、修行は必ずしも容易ではない。誰でも・いつでも・日常生活の中で実行できるところが森田のすぐれた面だと思う。

2006年12月11日 (月)

神経質礼賛 134.なぜ生きるのか

 日曜日の新聞は各紙とも話題の本の書評を掲載している。休日用に作り置きしやすいという事情もあるのだろう。読売新聞も御多分にもれず書評が充実しているが、「著者来店」という面白いコラムがあって、著者の短いインタビューが載っている。平成181119日付の著者来店は「老師と少年」の著者・南直哉(みなみじきさい)さんの話だった。人間はなぜ死んではいけないのか、というような悩みを抱えた少年が老師を訪ね、問答を重ねるがはっきりした答えは教えてくれない、というストーリーである。お坊さんの本だから悩みに答えてくれると思ったのに何もいってくれない、という非難があったそうだが、南さんは「本来、一発解答みたいなものがあると思うのが錯覚です」と述べている。さらに「リストカットをして死にたいという人がいる。彼らに人生は素晴らしいと話しても何の意味も持たんですよ。生きるのが苦しいのは当然だ、だけど生きていて欲しい、と伝えるしかない」と続けている。

 精神科の仕事をしていると、希死念慮や自殺企図のある人と向き合うことが多い。「死にたくなってしまうほど苦しいのですね」と共感を伝えたり、「もしもあなたが死ぬようなことがあったら多くの人が嘆き悲しむでしょう。あなたはひとりぼっちではないのですよ」と話したりしているが、私も「なぜ死んではいけないのか」に対する明確な答を持ってはいないし、多分これからも答が見つからないような気がしている。

 「生活の発見」誌で神経症に苦しんだ人の体験発表を読むと、「苦しくて自殺を考えた」という文をよく見かける。しかし、神経質は「よりよく生きたい」という願望が人一倍強いのだ。完全欲が強いだけに、今の自分に対するふがいなさを強く感じやすい。それがために自殺を考えることもあるのであって、本当は死にたくない、もっともっとよりよく生きたいのである。森田先生は次のように言っておられる。

 ともかくも、神経質の人は精神病にならず、自殺に至らず、自暴自棄・放縦・ズボラにならない。真面目・忠実で・忍耐力が強い。しかしまだ治らない人は、物に拘泥し・鋳型にはまり・ヒネクレて・自我中心的で、機転が利かず・仕事が間に合わないが、これが全治すると、打って変わって、非常に能率があがるようになる。なかなか面白い事です。

 そのほかの気質の人には、さまざまの長所があるけれども、神経質のように、安心という訳には行かない。         (白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.573

 私自身、若い頃は厭世観が強く、希死念慮も普通の人よりは強かったと思う。漢文で習った屈原の漢詩の一節「衆人皆酔い、我独り醒めたり」に共感を覚えていた。しかし、森田先生の言われた通りで、今のところ「精神病にならず、自殺に至らず、自暴自棄・放縦・ズボラにならない」ようである。周囲からは「真面目・忠実で・忍耐力が強い」と思われている。これも神経質のおかげであろう。

2006年12月 8日 (金)

神経質礼賛 133.ボーダー

 精神科領域で治療が困難なものとして、境界性人格障害(BPD)、通称ボーダーあるいはボーダーラインというものがある(ここでは以下ボーダーと略す)。最近は人格障害という表現は好ましくないとしてパ-ソナリティ障害と呼ぶようになったが、実態は同じことである。強い「見捨てられ不安」があり、相手を理想化したり・こきおろしたりして対人関係が不安定である。ゆきずりの人と性的関係を結ぶこともある。自殺をほのめかしたり、実際にリストカットや大量服薬をしたりする。激しい怒りをコントロールできない。こういう状態であるから治療関係もまた不安定となる。

 神経症が大人の人格だとすると、よく話に出るヒステリーは子供の人格で、ボーダーは赤ちゃんの人格だという説明をすると理解が得られやすい。もちろん知能や体は大人であるのだが、精神的な葛藤を処理する様式や能力が乳児レベルということなのである。従って、薬で治せるものではない。本人がつらいところをガマンして乗り越えていくことで少しずつ精神的に成長していくのを待つしかない。

 歴史上で有名なボーダーとしては、作家の太宰治が挙げられる。親や師匠(作家の井伏鱒二)に対して依存しながらもこきおろす、という両極端な認知をしていたようである。女性関係も不安定で、何度か自殺未遂の末、心中で亡くなっている。

 かつてリストカットはボーダーの「専売特許」であったが、今は中高生では日常茶飯事になってしまった。テレビドラマの影響か、小学生でもあるという。感情のコントロールができず、ボーダーのように激しく「キレる」子供も増えている。全体的に精神的な成長が遅れているように思えてならない。

2006年12月 4日 (月)

神経質礼賛 132.神経質は営業には不向き?

 病院を訪問してくる製薬会社の担当者は1年くらいで交代していく。いろいろな個性を持った人がいて、観察していると面白い。今月、某社の新しい若手の担当者が病院に来て、新薬のプレゼンテーションをしていった。この人は薬学部出身ではなく、文系出身で、機械メーカーの営業マンからの転職だそうである。最初の自己紹介で「小心者でこういう場では緊張しやすい性格です」、と述べていた。しかし、十分に準備をしてきているので、よどみなくプレゼンテーションができ、質問に対しても適切に答えていた。傍からは緊張しているようにも見えない。

 小心で取越苦労しやすい神経質人間は営業向きではないと思われがちだが、必ずしもそうではない。ハッタリと脅しで高額商品を押し付けるような悪徳営業マンは勤まらないだろうが、まっとうな会社の営業マンは立派にできるのである。相手の都合を考えてアポイントを取り、自社商品の長所だけでなく欠点についてもきちんと説明し、アフターフォローもしっかりやるような、神経質営業マンは、弁舌が立たなくても顧客から信頼され、人並み以上に実績をあげることができるのだ。

 森田正馬全集第5巻は形外会(森田先生の治療を受けた人たちが毎月集まる会)の記録であるが、その会長の香取修平さんは実業家(貿易商)であった。不眠を治すために別荘を買って移り住んだが良くならず、心悸亢進もあり、森田先生のところで入院治療を受けた。その後はさらに仕事もはかどるようになったという。また、赤面恐怖治療の最初の症例である根岸氏は学校卒業後、上海に渡ってビジネスマンとして成功をおさめた。悪いところ探しをしていたエネルギーが仕事に生かせるようになったということなのである。

 現代でも岡本常男さん(メンタルヘルス岡本財団理事長・元ニチイ副社長)のように胃腸神経症に苦しみながら森田療法を勉強され、神経質を生かしてビジネス界で大成功をおさめられた方がおられる(37話参照)。

 気が小さくて情けない何とかならないものかと悩んでおられる神経質営業マンの方、性格の根本は変えようがないし、変える必要もないのです。気が小さいのは逆に美点となることだってあります。ドキドキ・ハラハラしながら、神経質を仕事に生かしていけばよいのです。

2006年12月 1日 (金)

神経質礼賛 131.なれ合いの功罪

 127話でいじめの問題を取り上げたが、平成181124日付の毎日新聞1面に興味深い記事が載っていた。「教師と教え子 友だち感覚 なれ合い学級 いじめ多く」という見出しで都留文科大の調査結果の概要が紹介されていた。優れた教師は、状況に応じて、有無を言わせず指導したり、子供の言い分を尊重して援助したりするが、前者に偏ると管理型、後者に偏るとなれ合い型となる。年々なれ合い型学級が増えており、いじめの頻度はなれ合い型学級の方が高いのだそうである。なれ合い型では最初は教師と生徒の関係は良好だが、最低限のルールを示さないため学級はまとまりを欠き、子供同士の関係は不安定でけんかやいじめが生じやすいという。こうなると教師が注意しても子供たちは言うことを聞かず、学級崩壊につながってしまう。

 なれ合い型学級は、私が子供だった頃には考えられなかったことである。いくら子供たちが騒いでいても、「先生が来た」と誰かが言うと急にみんなが席について静かになった。注意を聞かず悪ふざけしている子供には、ゲンコツやビンタが飛んできたものである。私自身も小学校6年の時、卒業式の予行練習の際、内心「こんなのばかばかしいなあ」と思って、だらけて歩いていたところ、担任の女の先生に尻をバシーンと力いっぱい叩かれたことをよく覚えている。痛みとともに悪いことをしたんだなあ、という反省がジワーと湧き上がってくるものである。この先生はしつけには厳しかったが普段は温厚で、生徒からはとても慕われていた。当時としては珍しく、女性で校長先生にまでなった。良い先生に指導してもらったと思っている。

 生徒の人権を重視し民主的なことは大いに結構なのだが、子供のうちはまだ咄嗟には善悪の判断がつきにくく自分をコントロールしきれない部分があるのだから、体罰が良いわけではないが、状況によっては、迅速かつ強力な指導も必要なのではないだろうかと思う。

 親子関係についても同じようなことが言えるだろう。かつての厳格なカミナリ親父は消失し、今は母子密着型のトモダチ親子が多くなっており、しつけが十分にできていないという問題を引き起こしている。

 同じことが神経症の治療にも言える。「先生が恐ろしいのは、勉強が苦しいように、当然の事であって、もし、それが友人や路傍の人のようであっては、ここへ入院しても、なんの効もないのである」(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.409)と森田先生は言っておられた。薬も使わずに40日程度の入院で神経症を完治させていた当時の森田療法に比べれば、優れた多くの薬剤が使用できる現在の方がはるかに有利なはずなのだが、今では入院は3ヶ月以上かかるのが普通で、さらに長期間薬を飲み続けることも多い。平たく言えば治りが悪い。多くの研究者は純型の神経症が減っていることを理由に挙げるが、実は治療者が「神経症は病気ではない」「症状は不問」として厳しく行動本位の生活態度を迫っていく姿勢(25話・26話・27話参照)から、森田先生の言われる「友人や路傍の人」と化していることにも一因があるのではないかと思う。

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