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2006年12月23日 (土)

神経質礼賛 138.さらにもうひとつの記念年・ショスタコーヴィチ

 今年は、ショスタコーヴィチ(1906-1975)の生誕100年でもあった。ショスタコーヴィチはまぎれもなく神経質人間であると思う。強迫神経症だったという説もある。

 ショスタコーヴィチはスターリン独裁下のソ連で生き抜いた人である。友人の舞台演出家が秘密警察の拷問で死亡し、やはり友人の小説家たちが殺されたり自殺に追い込まれたりする中、ショスタコーヴィチ自身もソ連共産党の機関紙プラウダで「人民の敵」とまで批判され、危険な目にあっている。子供の前で涙を流したのは、妻が亡くなった時と、むりやり共産党に入党させられた時の2回だけだったというエピソードもある。「社会主義リアリズム」という当局の要求に迎合した作品を作りながらも、反骨精神は失わなかった。生存中発表せずに隠し通した曲もある。しかしながら当局の意図に沿って作曲した交響曲第5番「革命」や第7番「レニングラード」は今でも名曲として親しまれている。彼の曲には「死の恐怖」と「自由を奪われた苦悩」がテーマとなっているとも言われている。交響曲の第9番の作曲時は、ベートーヴェンの第9番のプレッシャーが大きかったらしく、立派な大曲を作らねば、と思っているうちに、軽妙な曲ができ上がってしまった。いかにも小心な彼らしい。最後の交響曲第15番は何とも不思議な曲である。「ウイリアム・テル」の旋律が引用されているが、堂々とした勇ましさはなく、私は寂しい村祭りの夜店を連想してしまう。曲の最後は消え入るように終わっていき、打楽器の響きが印象に残る。ソ連の崩壊を予言していたのか、それとも人類の滅亡を予言していたのか・・・。

 意外な一面としては、彼は熱烈なサッカーファンで、運動神経が鈍いにもかかわらず公式審判員の資格を取り、サッカーにちなんだ曲まで作っている。

 芸術家・知識人たちに対する厳しい弾圧の中で、何とか適応しつつも自分の世界を失わなかったのは、彼が神経質だったからこそできたことだと思う。

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