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2006年12月11日 (月)

神経質礼賛 134.なぜ生きるのか

 日曜日の新聞は各紙とも話題の本の書評を掲載している。休日用に作り置きしやすいという事情もあるのだろう。読売新聞も御多分にもれず書評が充実しているが、「著者来店」という面白いコラムがあって、著者の短いインタビューが載っている。平成181119日付の著者来店は「老師と少年」の著者・南直哉(みなみじきさい)さんの話だった。人間はなぜ死んではいけないのか、というような悩みを抱えた少年が老師を訪ね、問答を重ねるがはっきりした答えは教えてくれない、というストーリーである。お坊さんの本だから悩みに答えてくれると思ったのに何もいってくれない、という非難があったそうだが、南さんは「本来、一発解答みたいなものがあると思うのが錯覚です」と述べている。さらに「リストカットをして死にたいという人がいる。彼らに人生は素晴らしいと話しても何の意味も持たんですよ。生きるのが苦しいのは当然だ、だけど生きていて欲しい、と伝えるしかない」と続けている。

 精神科の仕事をしていると、希死念慮や自殺企図のある人と向き合うことが多い。「死にたくなってしまうほど苦しいのですね」と共感を伝えたり、「もしもあなたが死ぬようなことがあったら多くの人が嘆き悲しむでしょう。あなたはひとりぼっちではないのですよ」と話したりしているが、私も「なぜ死んではいけないのか」に対する明確な答を持ってはいないし、多分これからも答が見つからないような気がしている。

 「生活の発見」誌で神経症に苦しんだ人の体験発表を読むと、「苦しくて自殺を考えた」という文をよく見かける。しかし、神経質は「よりよく生きたい」という願望が人一倍強いのだ。完全欲が強いだけに、今の自分に対するふがいなさを強く感じやすい。それがために自殺を考えることもあるのであって、本当は死にたくない、もっともっとよりよく生きたいのである。森田先生は次のように言っておられる。

 ともかくも、神経質の人は精神病にならず、自殺に至らず、自暴自棄・放縦・ズボラにならない。真面目・忠実で・忍耐力が強い。しかしまだ治らない人は、物に拘泥し・鋳型にはまり・ヒネクレて・自我中心的で、機転が利かず・仕事が間に合わないが、これが全治すると、打って変わって、非常に能率があがるようになる。なかなか面白い事です。

 そのほかの気質の人には、さまざまの長所があるけれども、神経質のように、安心という訳には行かない。         (白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.573

 私自身、若い頃は厭世観が強く、希死念慮も普通の人よりは強かったと思う。漢文で習った屈原の漢詩の一節「衆人皆酔い、我独り醒めたり」に共感を覚えていた。しかし、森田先生の言われた通りで、今のところ「精神病にならず、自殺に至らず、自暴自棄・放縦・ズボラにならない」ようである。周囲からは「真面目・忠実で・忍耐力が強い」と思われている。これも神経質のおかげであろう。

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