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2007年1月29日 (月)

神経質礼賛 150.動中の工夫は静中に勝ること百千億倍

 1月のある日曜日、仕事で東京に行く用事ができた。せっかく行くのだから少し早めに出かけて、有楽町駅で降り、出光美術館に立ち寄ることにした。日曜日の午前中ということで、駅から美術館への道は人通りも少なく、強い北風に向かって歩く。

 「書のデザイン」というテーマの展示で、残念ながら今回は仙厓(8990話参照)の書画の展示はなかった。展示の中で最も印象に残ったのは白隠恵鶴の「動中工夫勝静中百千億倍」(動中の工夫は静中に勝ること百千億倍)という書(個人蔵)である。動中の「中」の字が紙面中央に太く大きく長く書いてあり、強烈なインパクトがある。

 森田正馬先生の講話の中に白隠禅師はたびたび登場する。釈迦・親鸞とともに、強迫観念を克服した神経質者として挙げられている。白隠禅師は子供の頃、寺でお経の講義を聞いて地獄の恐ろしさにとりつかれ、地獄の苦しみから解脱したいと出家したと伝えられている。このあたりは、子供の時に寺の地獄絵を見て、死の恐怖にさいなまれた森田先生と共通している。

禅の立場からの解釈はまた違ったものがあるかもしれないが、この言葉は神経質人間にピッタリだと思う。森田先生の数ある色紙の中にこの言葉がないのは不思議である。神経質はどうかすると考えるばかりで行動が伴わないことがある。どんな良い考えでも実際の行動に移さなければ価値はゼロに等しい。めんどうだな、嫌だな、心配だな、と思いながらもノロノロでも行動すれば、その価値はゼロに比べれば無限大である。だから森田療法では「行動本位」という指導になってくる。さらに、仕事でも勉強でも家事でも、実際の行動の中で創意工夫をこらして次の行動に結び付けていくことで、より価値を高めていくことができるのである。

2007年1月26日 (金)

神経質礼賛 149.期限切れ牛乳使用事件

 大手菓子メーカーF社で、期限切れの牛乳を使用していたことが明るみに出て、問題となっている。工場は生産停止に追い込まれ、製品は店頭から撤去され、社長は辞意を表明した。マスコット「ペコちゃん」で子供たちに親しまれてきた同社は大きな危機に瀕している。大手Y乳業の二の舞である。

 F社の場合、ISO(国際標準化機構)の認証を受けていた。この認証を取るのはかなり大変なはずである。きちんとした生産管理が行われていることになっていたのだが、実態はおそまつであった。後から仕入れた材料を積み重ね、古い材料が下に埋もれているようなことがあったそうである。クレームやトラブルを隠蔽する体質もあったようで、隠していた過去の食中毒事件も明るみに出た。そう言えば、トラックのハブの不良で死亡事故が起きていながらリコール隠しをしていたM社もやはりISOの認証を受けていた。医療機能評価機構(146話参照)の認定を受けていながら大きな医療事故が起こる病院も同じことである。

 結局、現場の人間のモラルが低かったり、組織の上層部が現場の実態を把握していなかったりすると、ISO認証も、医療機能評価機構の認定も、骨抜きになってしまう、ということなのである。また、心配性で失敗を恐れる神経質人間がいる職場ではこういうことは起きにくいだろうが、大胆で無神経な人間がいる職場は危険である。人の生命や健康に関係する仕事では大いに神経質であった方がよい。

2007年1月22日 (月)

神経質礼賛 148.フードファディズム

 前話の納豆騒動について、平成19121日付読売新聞の報道では、フードファディズム(food faddism)の問題としてとらえており、群馬大学の高橋久仁子教授(食物学)のコメントが載っていた。今まで紅茶キノコをはじめ数多くの食品がマスコミに取り上げられてきたが、「これさえ食べればやせる」という食品は存在せず、フ-ドファディズムは食生活を乱すだけだ、とのことである。また、それに便乗するメディアの問題についても指摘されていた。フードファディズムとは、ある特定の食品を食べるだけで健康になるとかダイエットできるといった情報を鵜呑みにして、偏った食生活をすることをいう。ちなみにfadとは「気まぐれ」とか「一時的流行」を意味する単語である。

 高価な健康食品やサプリメントと異なり、納豆という安価で容易に手に入る食品だけに乗せられた人が多かったのだろう。また、「みんながやっている」に弱い国民性で口コミでも拡がり、この騒動に発展したのだと思う。幸いなことに実害はなかったようだが、今後も同じようなことが起こる可能性があり、健康被害が生ずる危険性もある。もっとも、神経質人間は簡単には乗せられにくいとは思うが。

ダイエット食品で騒いでいるうちはまだ平和でいいが、簡単に騙される国民たちが「美しい国ニッポンを守るためにみんなで戦いましょう」なんて煽られたらどうなるのだろうか。政治が情報操作をするのは危険極まりない。政党や宗教団体のTVCMがむやみに流されていて心配になるこの頃である。

 とにかく、これでまたスーパーの店頭に納豆が戻ってきて、我が家の食卓にも再登場することになるだろう。「えー!また納豆?」と子供たちの不満の声が上がるのは、時間の問題である。

2007年1月21日 (日)

神経質礼賛 147.納豆の効果?

 先日、たまたまスーパーへ買物に行ったところ、ショーケースの一部がカラッポになっていた。納豆売場である。どうしてだろうと不思議に思ったが、これはTV番組「発掘!あるある大事典Ⅱ」で「納豆がダイエットに効果がある」と流したためだと後からニュースで知った。世の女性たちが納豆の買占めに走ったのだろう。米騒動ならぬ納豆騒動である。メーカーは生産が追いつかず、うれしい悲鳴をあげているそうである。納豆は以前から健康食としてたびたびブームとなってきたが、今回ほど大騒動となることはなかった。

 TV番組の影響は絶大である。ことに「ダイエット」の話題には敏感な女性が多いようである。しかし、この種の健康ネタは、科学的根拠がまだ不十分なものも多い。「あるある大事典」だけではなく、NHKの「ためしてガッテン」でも数名を対象とした「実験」だけで結論を出すようなことがよくあり、話題としては面白くても科学的にはなっていない、ということがあり、「ためさず早合点」ではないかと思う時がある。番組につられてすぐに飛びつくのはどうかと思う。このあたり、神経質人間は慎重である。あわてて納豆を大量に買い込んだ神経質人間はあまりいないであろう。

 心血管系疾患のためワーファリンという抗血栓薬を服用している人が納豆を摂取すると、薬の作用が減弱するという問題があるものの、普通の人が毎日納豆を2パック食べたところで害はないし、安価に良質の植物性タンパク質が取れるので悪いことではなさそうである。ただ「ダイエット効果」はハテナである。いわゆる「プラセボ(偽薬)効果」でスタイルが良くなったと思う人は出るだろうが。

昨日、またスーパーに寄った際に納豆売場を見たら、ほとんどカラッポで、極めて高価な「黒豆納豆」が数個あるだけであった。普通の納豆が手に入らなくなったので、我が家では納豆好きの妻はガッカリしているが納豆嫌いの子供たちは喜んでいる。この騒ぎがいつまで続くか、見ものである。

と書いたところで、「あるある大事典」のダイエット効果はデータの捏造だった、というニュースが飛び込んできた。「なんちゃって大事典」のガセネタであった。

2007年1月19日 (金)

神経質礼賛 146.病院評価の本末転倒

 16日の教育テレビETV特集でよい病院の評価ということで、日本医療機能評価機構が取り上げられていた。これは病院の安全性や医療の質を第三者の立場から評価するものであり、10年前にアメリカの制度を日本に直輸入したようなシステムである。番組には「がんばらない」という著書で有名になりテレビドクターと化したK先生が登場し、この制度を賞賛しておられた。厚生労働省の広報番組さながらである。実際の取材では、小規模病院が認定を取るために、医師も看護スタッフも残業を続けて努力し、最後は涙を流すという「プロジェクトX」風の作りもあった。

確かに、認定を受けるために病院側が努力することで医療の質が改善される部分もあるし、病院側としても認定病院であることを宣伝でき、一部で診療報酬加算が認められるというメリットもある。第三者が評価することで、普段は見落としている問題点を明かにして改善が図られる可能性もある。平成18年末現在、全国の病院の約25%が認定を受けているという。

 私の勤務先の病院はまだ認定を受けていないが、近隣の精神科病院でこの認定を受けたところがある。その結果、どういうことになっただろうか。なんと看護師さんたちが大量退職してしまったのである。そのため、この病院は空床があっても新規入院患者の受け入れを制限せざるをえなくなった。この認定を受けるためには、マニュアルが整備され、いろいろな会議が継続的に開かれ、その文書が残っていなくてはならない。認定を受けるために、文書が大幅に増え、その記録のために看護師さんたちが残業する破目になった。女性看護師さんの多くは家庭の主婦でもあり、残業続きでは家族が犠牲になってしまうので、大量退職の流れとなったのであろう。

ただでさえ年々、カンファレンス(会議)や院内研修の時間が増大し、看護スタッフがナースステーションにいない「無人くん」状態も見かける。また、都道府県や保健所の指導により記載を要する帳票類やその項目数は年々増加の一途をたどっていて、スタッフのデスクワークに要する時間が増えて患者さんと接する時間は減る一方なのである。残業続きの疲労状態では医療ミスの発生リスクは高くなる。認定を受けたがために医療の質の低下をきたすとしたら、何のための病院評価なのか。実際、認定病院での大きな医療事故も相次いでいる。これでは本末転倒である。

 参加者を医療関係者だけに限ったインターネット掲示板でも、この制度はボロクソに叩かれている。医師や看護師の時間的負担が増えて患者さんへのサービス低下をきたす点以外にも、評価機構自体の問題点が挙げられている。すなわち厚生労働省関係の天下り役人と元医師会幹部で運営されており、認定には数百万円かかり、評価機構には多額のカネが流れ込んでいる。調査官の採用についても不透明な部分が大きい。怪しげなブローカーまがいのコンサルタントが介在し、百万単位の金を要求する。認定を取るために高額な接待が行われている。といったダークな部分も存在するのだ。

 このテーマはNHKでなく、民放で取り上げた方が、まだマシな報道ができたかもしれない。

2007年1月15日 (月)

神経質礼賛 145.NHKの女子アナウンサー

 年末のNHK番組「スタジオパーク」にピアニストの梯剛之(かけはしたけし)さんが出演していた。梯さんは小児ガンのため生後まもなく失明し、何度か手術を繰り返すという極めてきびしい試練にもめげず、世界的なピアニストとなった人である。最近では自作のDVDを学校に無償配布し、情操教育やいじめ防止に役立てよう、という活動もされている。私も演奏会に行って、大変感銘を受け、梯さんのCDは揃えている。以前N響アワー(お父さんはN響のヴィオラ奏者である)で放送されたラヴェルのピアノ協奏曲は素晴らしい演奏であり何度も繰り返し見ている。

ところが、番組のUアナウンサーは「演奏前に何度も鍵盤を触るのはどうしてですか」というような極めて失礼な質問をしていた。「神経質が足りない!」と叱りつけなくてはならない。目の見えないピアニストが演奏前に鍵盤の位置を確認するのは誰が考えても当たり前のことである。いくら確認していても最初の音を出す時は、ものすごく不安なはずである。梯さんもまさかそんな質問をされるとは思ってもみなかったであろうが、そこはさすがで「心の準備をしているんですよ」というように答えておられた。

近頃のNHKは民放の「女子アナ」ブームを真似して、アナウンサーの個人的人気に頼るような番組が目に付く。アナウンサーもアナウンサーで、自分が芸能人であるかのように勘違いしている人がいて、このUアナウンサーなどは週刊誌のスキャンダル記事でおなじみである。「公共放送」と称しTVを所持している人から半強制的に料金を徴収しているNHKがこれでは困る。

2007年1月12日 (金)

神経質礼賛 144.社員監視システム

 毎日新聞で「ネット君臨 第1部失われていくもの」というテーマでITの負の側面にスポットを当てた連載が続いている。平成19年1月4日付のシリーズ第3回の記事では、企業での社員監視システムについて書かれていた。仕事中の私用メールやネットの不正使用を防止しようというわけである。ところが、仕事に必要な遺伝子組み換え関連の英語文献を検索したのに、その文中の「SEX(性別)」という単語に監視システムが反応して「業務中に性的描写を見た」と判断されてしまう例が紹介されていた。こうした監視システムの需要はどんどん膨らんでいるという。

 確かにIT社会になって、社員の仕事ぶりが見えにくくなっている。一見、一生懸命仕事しているように見えても、私用メールを打っているかもしれないし、出会い系サイトを利用するような不届き者もいるかもしれない。しかしながら、コンピュータ端末で打ち込む内容を全部検閲する、というのもどうだろうか。うかつな内容を打つことはできない。見えないものにいつも監視されているというのは気味が悪い。心配性で注意深い神経質人間はこういう中でもうまく適応できる可能性が高いであろうが、息が詰まりそうである。今まで職場の潤滑油になっていたズッコケ社員ではとても勤まりそうにないし、ハッタリとウソが得意な人もアウトである。

これからますます直接の人間同士のコミュニケーションが希薄になり、ネット経由のコミュニケーションの比重がだんだん大きくなっていくことだろう。私が学生時代に読んだ松本零士さんの漫画に出てくるような近未来の機械化都市がこんなに早く現実のものとなってくるとは夢にも思わなかった。松本さんの漫画の中では、人間が何重にも監視され、その元締めは誰にもわからない。IT社会の進展は、人間のあり方を根本から変えてしまう、という点では過去の産業革命を大きく越えた人類史上最大の変革となることは間違いない。

小さい時からTVゲームで育った世代ではそうした変革に違和感なく順応していけるだろうが、私くらいの世代ではちょっと抵抗がある。生活の中にある身近な自然を表現した「春の小川」「おぼろ月夜」「夏は来ぬ」「故郷」などの文部省唱歌の世界に郷愁を感じるのは私だけだろうか。不便であっても自然が身近にあり人の心のぬくもりが感じられるようなスローライフはだんだん手の届かない世界となりつつある。

2007年1月 8日 (月)

神経質礼賛 143.スポーツ選手のネックレス

 前回、マラソンや駅伝の先導車の話を出したが、近年どういうわけかネックレスをしているスポーツ選手が多くなった。そういうことに関する記録は見当たらないが、最初にやりだしたのは黒人の短距離走の男子選手たちだったような気がする。今ではプロ野球ばかりでなく種々のスポーツでネックレスがはびこっている。私のような神経質人間の目から見ると、どうもこういうものは気になっていけない。それほど重いものではないにせよ、マラソンなどの長距離走では無駄なエネルギーを費やすことになるはずで、ネックレスをはずした方が少しでもタイムがよくなるのでは、と考えてしまう。また、接触プレーのある競技では、ネックレスが思わぬ事故の原因になりはしないかと心配である。金属製ネックレスでは落雷事故に遭うリスクが高まる。サングラスも目の疲れを防ぎ、ゴミなどが目に入るのを防ぐ効果はあるのだろうが、コワそうなサングラスをかけ、派手なネックレスをジャラジャラ揺らしながら走る駅伝選手を見ていると、暴力団対抗駅伝じゃないかと思ったりする。神経質人間としては、スポーツマンらしい格好で競技に臨んでもらいたいものである。

2007年1月 5日 (金)

神経質礼賛 142.マラソン・駅伝の先導車

 冬はマラソンや駅伝のシーズンである。1月は箱根大学駅伝から始まる。12月のうちに大量に作り置きされたテレビ番組は面白くないので、駅伝をかけっぱなしにしている。もちろん自分の出身校の選手が活躍しているとうれしいが、どの大学であっても一生懸命に走っている選手全員を応援したくなる。

 日本人はマラソンや駅伝が好きだとよく言われる。神経質はさらなり、である。坂道や向かい風にもめげず黙々とゴールに向かって一歩一歩進んでいく様は神経質魂を熱くしてくれるものである。

 マラソンや駅伝の先導は警察の白バイであり、報道関係者の乗った自動車も一緒に走ることになるのだが、選手たちはバイクや自動車のすぐ後ろで排気ガスをもろに吸いながら走ることになる。いつもこれを見て思うのは、先導車や報道関係のバイクや自動車はすべて電気自動車や電気バイクにできないのだろうか、ということである。そうなれば選手の健康上望ましいし、タイムの向上も期待できるであろう。今や日本の自動車メーカーはアメリカのメーカーを追い越して世界の頂点に立っているのだから、マラソンや駅伝用に電気自動車を提供する位のことはしてもいいのではないだろうか。

2007年1月 1日 (月)

神経質礼賛 141.一年の計・「日新又日新」

 一年の計は元旦にあり、と言われる。「今年こそ日記を付けよう」とか「タバコをやめよう」とか「スポーツを始めよう」とか考えている人は少なくないであろう。だが、多くは長続きせず、いわゆる「三日坊主」に終わってしまうことが多い。三日坊主はまだいい方で、考えただけで「絵に描いた餅」になってしまうこともある。

 最近は元日も営業しているスーパーやショッピングセンターが多くなった。以前よりは元日も普段通りに働いている人も増えていることと思われる。それでも多くの人にとって元旦は特別な休みであり、無宗教の人でも神社仏閣に初詣に行き、昨年のことをリセットして、さあ一年のスタートだ、という気分を味わう時である。こういう時には新しいことを始めようという気分が起こりやすいものである。しかし、正月三が日が過ぎ、また普段の生活に戻ると、日常生活に埋没してしまい、一時的な気分から生まれた新しい企画は計画倒れになりやすい。むしろ忙しい日常生活の中で考えて始めた企画の方が持続しやすいものである。

 森田正馬(もりたまさたけ)先生は患者さんの指導の際、「日新又日々新」・ひにあらたにまたひびにあらたなり、という言葉をよく使っておられた。エジソンの発明を引き合いに出して、毎日を漫然と同じように過ごすのではなく、生の欲望に従って創意工夫していくように指導しておられた。この言葉は儒教の経書「大学」(二宮尊徳が子供の時に薪を背負いながら読んだと言われる書)からとったもので、森田先生の色紙では「日新又日新」・ひにあらたにまたひにあらたなり、となっている。

これは私の恩師である大原健士郎先生が好んでおられた言葉でもあり、私ども医局員がいただく御著書にもサインとともにこの言葉がよく添えられていた。大原先生はジュール・ルナールの小説「にんじん」で、主人公がつらい毎日を送る中、「今日はまた新しい日だ頑張ろう」と自らを励ます場面を紹介しながら、同じような日々であっても、昨日よりは今日、今日よりは明日とより充実した日々を送るように努力しなさい、と患者さんたちや医局員たちを指導されていた。

考えてみれば、元日の一日も、普段の一日も価値は同じである。何でもないように見える平凡な日々の中で、ちょっとした努力・ちょっとした工夫をすることで、平凡な日が特別な日にもなりうるのである。「思い立ったが吉日」と同じ事で、何かをしようと実際に「一歩踏み出した日が元日」なのである。

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