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2007年1月 1日 (月)

神経質礼賛 141.一年の計・「日新又日新」

 一年の計は元旦にあり、と言われる。「今年こそ日記を付けよう」とか「タバコをやめよう」とか「スポーツを始めよう」とか考えている人は少なくないであろう。だが、多くは長続きせず、いわゆる「三日坊主」に終わってしまうことが多い。三日坊主はまだいい方で、考えただけで「絵に描いた餅」になってしまうこともある。

 最近は元日も営業しているスーパーやショッピングセンターが多くなった。以前よりは元日も普段通りに働いている人も増えていることと思われる。それでも多くの人にとって元旦は特別な休みであり、無宗教の人でも神社仏閣に初詣に行き、昨年のことをリセットして、さあ一年のスタートだ、という気分を味わう時である。こういう時には新しいことを始めようという気分が起こりやすいものである。しかし、正月三が日が過ぎ、また普段の生活に戻ると、日常生活に埋没してしまい、一時的な気分から生まれた新しい企画は計画倒れになりやすい。むしろ忙しい日常生活の中で考えて始めた企画の方が持続しやすいものである。

 森田正馬(もりたまさたけ)先生は患者さんの指導の際、「日新又日々新」・ひにあらたにまたひびにあらたなり、という言葉をよく使っておられた。エジソンの発明を引き合いに出して、毎日を漫然と同じように過ごすのではなく、生の欲望に従って創意工夫していくように指導しておられた。この言葉は儒教の経書「大学」(二宮尊徳が子供の時に薪を背負いながら読んだと言われる書)からとったもので、森田先生の色紙では「日新又日新」・ひにあらたにまたひにあらたなり、となっている。

これは私の恩師である大原健士郎先生が好んでおられた言葉でもあり、私ども医局員がいただく御著書にもサインとともにこの言葉がよく添えられていた。大原先生はジュール・ルナールの小説「にんじん」で、主人公がつらい毎日を送る中、「今日はまた新しい日だ頑張ろう」と自らを励ます場面を紹介しながら、同じような日々であっても、昨日よりは今日、今日よりは明日とより充実した日々を送るように努力しなさい、と患者さんたちや医局員たちを指導されていた。

考えてみれば、元日の一日も、普段の一日も価値は同じである。何でもないように見える平凡な日々の中で、ちょっとした努力・ちょっとした工夫をすることで、平凡な日が特別な日にもなりうるのである。「思い立ったが吉日」と同じ事で、何かをしようと実際に「一歩踏み出した日が元日」なのである。

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コメント

>「思い立ったが吉日」と同じ事で、何かをしようと実際に「一歩踏み出した日が元日」なのである。

一昨年暮、このことに気付き、
自分の掲示板を「日々の賀状」(a happy new day)
という名前に替えてみました。

今朝起きて、’07の「あいうえお」考えてみました。

ありがとう(感謝)
いいですね(肯定)
うれしいな(随喜)
えらいなあ(尊敬)
おもしろい(好奇)

・・・多分今年も行き当たりばったりで生きてゆくと思いますが、
こんな気持ちを忘れないようにしたいと思います。

 keizoさんの名前をお見かけしました。那田先生の掲示板で知りました。今回の書き込みを見て私の体験を。
 私は松下幸之助さんを勉強しています。彼のことを「感謝の人生を送られた人である」と表現しています。
 私もマネをして「感謝」を毎朝必ずしています。感謝の対象はその時々で変わりますが、天と地、空気と水、衣食住でお世話になっている人たち、家族、会社や地域の人たち、趣味を同じくする人たち、私のご先祖の方々。私独自のものとして悟りをくださった神様、悟りの方法を残してくれたお釈迦様、現代人のために「素直な心」を説かれた松下幸之助さんなどです。
 結構時間がかかりますが、時間をかけるほど、幸之助さんが言われたように「幸福感」が育ったり、「癒しの効果」があったりするようです。
 コツは本当に感謝できる対象に絞ること。続けているとだんだん対象が増えて、自分が支えられていることを実感できて、心が豊かになっていきます。
 えらそうなことを書いてしまいました。お気を悪くなさらないでください。

無学求道様
 貴重なコメントありがとうございました。神経質人間は、つい「我」にばかりに目が向いてしまいますが、他者に配慮し、いつも感謝を忘れないようにしていくと、神経質の良さが大いに発揮できるということですね。
 古歌「世の中に 我といふもの 捨ててみよ 天地万物 すべて我が物」の境地かと思います。もっとも求道様のそのレベルまでいくのはなかなかのものでしょう。
 その少し前の段階として、森田先生が言われた「何事も 物そのものに なってみよ 天地万物 すべて我が物」までは行動本位の生活態度でいけるかと思います。

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