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2007年2月28日 (水)

神経質礼賛 160.スピリチュアリズムの隆盛

 前回話題の「死後体験」ばかりでなく新聞の広告欄には前世療法の類の本の宣伝を多数見かける。「スピリチュアルカウンセラー」と称する江原啓之氏が売れまくっている。スピリチュアリズム(霊魂との交信を信じること)真っ盛りのようである。毎日新聞の平成19年2月17日付の「論点」では、「スピリチュアル・ブームを考える」というテーマで、宗教学者の島田裕巳氏、作家の溝口敦氏、精神科医の香山リカ氏が意見を述べていた。島田氏はかつての「先祖の霊」から霊の個人化に着目し、ブームの背景には核家族による家制度の崩壊があると考える。そこでカウンセラータイプの霊能者がもてはやされるという。溝口氏は霊性の迷い道に踏み込んだ人々が霊感商法の類に騙される惨状に警鐘を鳴らしている。香山氏は現実社会でがんばっても何も変わらないという不満から、「あなたは悪くない」と個人を免責してくれるような内容のスピリチュアル系書籍が売れているとし、自分たちの力で社会を良くしていこうという視点が欠けている問題点を指摘している。

3氏の意見はどれももっともであると思う。社会をよくしていくはずの政治も、心に安らぎを与えるはずの宗教も、まともに機能しておらず、カネと権力欲の亡者が跋扈している。毎日のニュースは凶悪犯罪や偽装事件ばかり。「いやな渡世だなー」と多くの人が感じているのではないか。特に神経質人間はそう感じやすいだろう。しかし、そこにつけこむスピリチュアルの世界に取り込まれては、溝口氏の言うように食い物にされるだけである。たとえ正直者が馬鹿を見る、努力が報いられない、というような世の中ではあっても、スピリチュアルの世界に逃避するのではなく、少しでも今よりはよくしようと、できる努力を積み重ねていくことが大切だと思う。

森田正馬先生は「労苦のある処、至る処に幸福がある。それは、幸福と労苦と、相対的であるからである。相対性原理に、絶対速度のないやうに、幸福にも、一定不変の存在はない」(白揚社:森田正馬全集第7巻p.432)と述べている。悪いことだらけに見えても、意外と幸福の「青い鳥」は自分の身近な所にいるのかも知れない。

2007年2月26日 (月)

神経質礼賛 159.読み終わらない本・・・死後体験Ⅲ

 本を買う時は、読みたくてかつ手元に残したいと思うものだけを買うようにしている。そうしないと本や雑誌の類がどんどん増えていき、処分するのに苦労することになる。

 しかし失敗することもある。以前、新聞広告につられて「死後体験」(ハート出版)という本を買った。外来の看護師さんがその本のことを話題にしていたということもある。その後「死後体験Ⅱ」、「死後体験Ⅲ」と続編が出たので、神経質の完全欲のためか何となく買ってしまったのだがどうもいけない。Ⅲともなると、面白くなくて5ページ読み進めるのも大変である。買ってから2年たってもまだ半分位しか読めていない。

 新宗教関係とは違い、音響工学が専門のエンジニアが書いたところに興味をひかれたのである。アメリカのモンロー研究所が開発したヘミシンク(左右の脳半球を同調させ脳を集中した全能状態にするという)CDを聞いて、自分の過去や未来や遠く離れた星の様子を体験し、自分を癒すということらしい。だが、これは、臨死体験とは異なり、催眠状態で「見た」世界にすぎないのだと思う。著者の坂本政道氏は何度も渡米して、モンロー研のワークショップに参加しており、レクチャーを受けているため、フォーカスと呼ばれる各ステージのイメージを刷り込まれているのである。その上でCDを聴いて催眠状態になっていると解釈するのが妥当ではないだろうか。森田正馬先生が大久保彦左衛門の言葉としてよく引用した「夢の中の有無は有無とも無なり」の通りである。そう考えてしまうと、もはや興ざめである。早いところ読みきって処分しようと思うのだが、ますます読みたくなくなっている。

2007年2月23日 (金)

神経質礼賛 158.花粉の季節

 日がだんだん長くなり花が咲き始める2月中旬から3月は、本来なら喜ばしい季節のはずなのだが、花粉症持ちにとってはつらーい季節である。例年3月には激しいクシャミ・鼻水・目のかゆみで花粉症も5分咲きから満開となる。とても仕事にならない。私も長年、花粉症と付き合っている。クシャミは5連発どころか10連発で、目の痒さときたら眼球を裏返してポリポリ掻きたいくらいのものである。私はスギだけでなくヒノキ花粉にも反応してしまうため、2月から5月いっぱいまで内服薬・点眼薬・鼻スプレーが欠かせない。今年の花粉予測は例年よりも飛散が少ないということだったが、暖冬の影響で飛び始めるのが少々早いような気がする。

 鼻水止めの薬と言えば、カゼ薬に含まれる抗ヒスタミン剤のマレイン酸クロルフェニラミンであるがこれでは眠気がかなり強い(薬局での市販品には含まれている)。現在、医療機関で処方している薬は第2世代抗ヒスタミン剤と呼ばれ、眠気や注意力低下が少ないもので各メーカーから発売されている。私もそれを服用しているが、薬だけで抑えきれるものではない。対策としては、気温が高く風が強い日の外出はなるべく避け、やむなく外出する時はマスク着用である。(マスクをしていると眼鏡が曇りやすく不便である。)また、花粉を家の中に持ち込まないよう、外から家に入る時には衣服をよくはらっている。洗濯物もこの時期はあまり外に干さないようにしてもらっている。症状が悪化しないようにアルコール摂取もなるべく控える。この辺は神経質を生かしていく他ない。

 以前に沖縄に勤務していた年は、ウソのように症状が出なかった。スギ・ヒノキ花粉がないのだから当然である。もし仕事が作家だとか作曲家のような一人でできる自由業であれば、花粉症の季節は沖縄か北海道に避難するという究極の対処法があるのだが。

2007年2月21日 (水)

神経質礼賛 157.シベリウスも神経質

 前話と同じく北欧を代表する作曲家シベリウス(1865-1957)も没後50年という記念の年にあたる。交響曲第2番、ヴァイオリン協奏曲、交響詩フィンランディア、カレリア組曲がよく知られている。交響曲は全部で7曲あり、近年その評価は高まっている。

 シベリウスもまた神経質だったと言われている。晩年のツルツル頭の写真はちょっと怖そうだし、若い頃の写真も立派なヒゲを生やし額にしわを寄せ眼光鋭く近づきにくい雰囲気である。厳しい表情と堂々とした体格からは想像がつかないが、意外と小心だったらしい。彼は自然をとても愛したと言われる。口数が少なく、よくヴァイオリンを持って、一人自然の中で弾いていたそうである。一流のヴァイオリン演奏家をめざしていたが、いざステージに上がると激しく緊張してあがってしまい、実力が発揮できなかったという。それで作曲家を目指すことになるのだが、それが結果としては幸いしたようである。ヴァイオリン協奏曲の冒頭部分について、シベリウスは「極寒の澄み切った北の空を悠然と滑空する鷲のように」と述べているが、どの曲もフィンランドの雄大な自然が思い浮かぶような名曲ばかりである。「鷲」とは孤高のシベリウス自身を投影しているのだろう。

 シベリウスはグリーグをとても尊敬していたと言われている。彼もグリーグと同様、自国の文学や音楽に強い誇りを持っていた。交響詩フィンランディアの中間部には愛国的な歌詞が付けられ、ロシアからの独立運動の精神的支柱ともなった。フィンランドは1919年に独立を果たしている。シベリウスは祖国独立の隠れた英雄と言えそうである。

2007年2月19日 (月)

神経質礼賛 156.グリーグ没後100年

 昨年、クラシック界はモーツァルト・イアーで沸いたが、今年はグリーグ没後100年という記念の年にあたる。コンサートで取り上げられる回数も増えることと思う。

 グリーグ(1843-1907)はノルウェーの作曲家である。ノルウェーの民俗音楽の影響を強く受けた名曲を残している。よく演奏されるのは、ピアノ協奏曲とペール・ギュント組曲で、中学校の音楽鑑賞で聴いたことがある方も多いことと思う。ピアノ協奏曲の第一楽章冒頭部分はとても印象的な旋律でフィギュアスケートのフリー演技の際の音楽としてしばしば用いられている。ゆったりした第二楽章は心地よく曲に浸ることができる。また、ペール・ギュント組曲の中の「朝」という曲は音楽療法でよく用いられる曲である。TVのCMでも使われたことがある。フルートの爽やかな音色で柔らかな朝日の中で目覚め、しだいに管弦楽のうねりが大きくなっていき、それにつれて太陽も上がり元気が出てくるといった感じである。朝、スッキリ起きられなくて困る、という方は試しにこの曲をかけてみてはどうだろうか。グリーグは交響曲の作曲はしておらず、室内楽曲、ピアノ曲、声楽曲などを残している。いとこで妻となったソプラノ歌手ニーナ夫人の影響もあったのだろう。1894年にフランスでドレフュス事件(ユダヤ軍人の冤罪事件)が起こると、それに抗議してパリでの演奏を拒否する、という毅然とした態度を取っており、強い正義感がうかがえる。彼はノルウェーの民俗音楽に誇りを持っていた。強い愛国心が彼の作曲の原動力だったとも言われている。彼の亡くなる2年前にノルウェーはスウェーデンから独立を果たしている。

 このグリーグは小柄でとても神経質だったそうである。小さなカエルの置物を大事にしていて、演奏会の時にはポケットに入れて握りしめ、あがらないようにしていた、というエピソードがある。何ともほほえましいではないか。

2007年2月16日 (金)

神経質礼賛 155.疥癬

 疥癬(かいせん)という病名を知っておられるだろうか。皮膚感染症で、ヒゼンダニというダニの寄生により強い痒みを伴った皮疹を生ずるものである。もちろん、生命に影響するようなものではないのだが、時に病院や老人施設で集団発生して、患者・入所者だけでなく職員やその家族にもひろがって問題となる。

 先月、私の勤務先の病院に、ある病院から患者さんが転院してきた。全身に湿疹があるということだったが、どうも怪しいということで皮膚科を受診させたところ、「ノルウェー疥癬」と診断された。これは免疫力の低下した人にみられる重症の疥癬のことである。ノルウエー疥癬の患者では通常の疥癬の患者の1000倍位のダニ数を保有していると言われ、感染リスクが極めて高い。本人を隔離し、厳重な防護体制を敷いた。皮膚科受診の際に本人を乗せた自動車は殺虫剤でくん煙し、対応した職員には軟膏を配布した。この軟膏は実はγ-BHCを混ぜたものである。γ-BHCは私が子供の頃、DDTとともに家庭でも殺虫剤として用いられていて、大掃除の時によく噴霧されたものだが、人体に対する毒性や環境汚染の問題があって、現在は使用禁止で試薬としてしか手に入らない。しかし、疥癬の治療・防護には欠かせないので、病院内で軟膏を製造して保健請求せずにアンダーグランドで使用することになる。昨年から、本来は糞線虫症という寄生虫感染症の内服薬だったイベルメクチン(商品名ストロメクトール)が疥癬に対する保健適応を認められ、疥癬治療の強力な切り札となった。今回の患者さんもこの薬の内服と軟膏処置で短期間に驚くほど良くなった。

 この患者さんと同じ病院から転院してきた患者さんは以前にも疥癬の人が何人もいた。私が担当していた入院患者さんが骨折して、たまたまその病院に転院して治療後に戻ってきたら疥癬になっていたという苦い経験もある。ということは疥癬がずっと蔓延しているのであろう。その病院では看護職員やその家族にもひろがっている可能性が高い。MRSAなどの日和見感染をきたす病原体の院内感染が大問題となっているが疥癬だって看過できない問題だと思う。ケースワーカーがその病院に連絡したが、「ああ、そうですか」と、どこ吹く風といった返事だったと言う。全く「神経質が足りない!」である。ケースワーカー氏は完全にブチ切れていた。

2007年2月12日 (月)

神経質礼賛 154.仕事が人を治す

 私の勤務先の病院に、統合失調症で長年通院している50代の男性患者がいる。若い頃に3ヶ月ほど入院したこともある。いつも足の不自由な母親が杖をついて薬を取りに来ていた。本人はどうしても受診しようとしない。母親を車で送ってきて、自分は車の中で寝ている。母親の話では入院させられると嫌だから出てこないのだそうだ。無診察で処方を続けるのはまずいので、やむなく駐車場に出向いて「診察」となるわけだが、「うるせーなー。早く薬を出してくれりゃあいいんだ」で取り付く島もない。10年以上職についておらず、ゴロゴロ寝てTVを見て過ごす毎日である。外出はタバコと酒を買いに行くだけ。大声での暴言があり、近所から苦情が絶えない。老いた両親には暴力を振るう。両親から「病院の職員を派遣して収容して欲しい」と懇願されたが、数十年前の精神病院ならいざ知らず、今はそんなわけにもいかない。警察に相談しても、家族の問題ですから、と取り合ってもらえない。両親は思い余って保健所に相談したが、保健所の職員が自宅を訪問すると、本人は「何しに来やがった!」と激しく興奮し、職員は逃げ帰るありさまである。

ところが、ある時ひょんなことから工場のアルバイトをすることになった。すると、意外にもうまくいって、そのうち正社員に取り立てられた。もう、それから1年になる。今では本人がきちんとした格好で診察を受けに来る。会話の中では冗談も出る。以前とは、まるきり別人である。薬は最近、本人の希望で睡眠薬を少し調整しただけで、基本的な薬は全く変更していない。いったい、何が彼をここまで良くしたのだろうか。

結局、この人の場合は仕事が病気を治してくれたようなものである。もちろん服薬を続けた上で本人の努力あってのことだが。

 神経症ではなおさらのことである。症状探し・悪いところ探しに費やしているエネルギーを仕事(職業でなく家事でもボランティア活動でもよい)に向けさえすれば、もともと「病気」ではないのだから、治っていくものである。健康人らしくすれば健康になれるということなのである。

2007年2月 9日 (金)

神経質礼賛 153.マーフィーの法則

 毎日のように報道される種々の偽装事件や人為的事故を見ていると、マーフィーの法則が頭に思い浮かぶ。

 マーフィーの法則はアメリカ空軍が発祥と言われる。If it can happen,it will happen.(起こる可能性のあることは、将来起こる)という考え方をベースとしていて、Everything that can possibly go wrong will go wrong.(うまくいかなくなりうるものは、何でもうまくいかなくなる)というような経験則をいう。

 日本では当初、科学研究者や技術者の間に広がったが、1990年代になって大ブームとなった。ちょうど日本ではバブル崩壊の経済危機状態にあり、バブルに踊らされた反省から広く一般に受け入れられたのだろう。この考え方は、一見悲観論的に見えるが、失敗を防ぐという点では、システム設計の際の「フェイルセーフ」や事故・災害の予防にはとても重要である。最悪の事態を想定してそれに備えることでトラブルを未然に防ぐことができるわけである。一方で、これがブームとなった頃は、心理学者たちからマイナス思考だとか悪い自己暗示につながるといった批判も出た。

神経質人間にとってはマーフィーの法則は自明の理であり、この「法則」を知らなくても同じように考えている人が多いことと思う。心配性で取越苦労しやすい神経質は、こうなったらどうしよう、ああなったらどうしよう、とあれこれ心配してしまうものである。しかし、社会で活躍している神経質人間は、心配しながら、行動しながら、悪い事態が起こらないように、あるいは起こっても被害が少ないように工夫して、神経質を大いに生かしているのである。106話で「マイナスのマイナスはプラス」と書いたが、マーフィーの法則の考え方は、「臭い物に蓋」で根拠のないプラス思考よりもはるかに優れていると思う。

中国やインドの経済成長に引っ張られて世界的に好景気であり、日本でもバブル崩壊の反省はどこへやらの昨今である。そろそろマーフィーの法則を思い出さないと、また痛い目に遭う。

2007年2月 5日 (月)

神経質礼賛 152.のだめカンタービレ

 昨年の10月から12月にかけて「のだめカンタービレ」というドラマがTV放映されていた。二ノ宮知子さんの漫画のドラマ化である。クラシック音楽界を扱った漫画ということで、以前から興味はあったが、女性漫画雑誌に連載されていたため読む機会がなかった。ドラマの方ものんびり見ているわけにもいかないので、一旦ビデオに録画しておき、空いた時間に少しずつ見て、やっと見終わったところである。

 ショックで白目をむいて気絶するとか、殴られて鼻血ドバーとか、漫画の表現をそのままドラマで出しているのには「ここまでやらなくても」と思ったが、BGMとして使われるクラシック曲が場面にピッタリの選曲で楽しかった。演奏場面はオーボエ奏者の茂木大輔さん(10話参照)が監修し、実際の演奏は東京都交響楽団のメンバーが担当していて、本格的だった。映画やドラマでピアニストが主人公のものはよくある。本人は弾けないので手だけプロの演奏を写すことになる。このドラマのようにピアノばかりでなく、いろいろな管弦打楽器の俳優が出ていると、撮影は相当苦労しただろうと思う。視聴率も20%近くを取り、テーマ曲のラプソディー・イン・ブルーとベートーヴェン作曲交響曲第7番は一気に知名度が上がったようである。

 ストーリーは天才的な才能はあるが変人の音大ピアノ科学生「のだめ」こと野田恵と、マンションの隣室に住む指揮者志望のエリートながら飛行機恐怖で留学できない千秋真一を中心に展開する。のだめは千秋に音楽の楽しさというものを教えてくれる存在となる。落ちこぼれ学生を集めて編成されたSオーケストラを千秋が指揮することになる。最初はどうにもならなかったのが、学園祭ですばらしい演奏をし、メンバーたちも大きく成長する。さらに他の音大の学生を集めたRSオーケストラも大成功し、のだめの催眠術で飛行機恐怖も克服した千秋は留学を決意する。といった話である。音楽の楽しさだけではなく、プロの卵たちの苦しみも、よく表現されていたと思う。

 ドラマの中にも神経質キャラクターがいた。オーボエ奏者の黒木君である。茂木さんの著書によるとオーボエ奏者は神経質が多いようだが、黒木君も御多分にもれずいつも楽器のリードの調整に余念がない。合コンでもひとりポツンとしている。モーツアルトのオーボエ協奏曲のソロでは「いぶし銀」のような演奏をするが、のだめに恋してしまうと急にシアワセいっぱいバラ色の演奏に変化する。自分のコンクールではリードの調整に失敗して力を出せずに終わってしまう。しかし純情な好人物である。

先日、楽器店の楽譜売場を見たら「ヴァイオリンで弾こう!のだめカンタービレの世界」というのが出ていて、早速買ってみた。伴奏CD付で、のだめに関連したクラシック曲のおいしい所を短く編曲したもので、手軽に気持ちよく弾くことができた。フルート用も出ている。

「のだめカンタービレ」は好き嫌いがハッキリ出ると言われている。ちなみに音大出身の妻は拒絶反応を示した。妻によれば、医療関連ドラマを見ようとしない私も似たようなものだ、とのことで、これは一理あるだろう。とにかく「のだめ」がクラシック音楽の楽しさを広めてくれたことは確かである。原作者・ドラマ制作関係者に大きな拍手を送りたい。ブラヴォー!

2007年2月 2日 (金)

神経質礼賛 151.富久者有智 遠仁者疎道(ふくはうち おにはそと)

 前回の続きだが、出光美術館の展示で、他に目を引いたのは、小林一茶の「朝顔画賛」(個人蔵)である。句の中で、「朝顔」の文字の代わりに朝顔の絵を入れていて、洒落ている。

 明治・大正時代の文人画家である富岡鉄斎の「福内鬼外図」(出光美術館蔵)も良かった。福は内、鬼は外の言葉が、「富久者有智 遠仁者疎道」と表記されていた。表音文字のひらがなと表意文字である漢字の両方が使える日本語ならではのことである。なかなか含蓄ある言葉である。神経質には智者が多い。神経質という宝物を十分に活用して、富久となることを祈念する。

 美術館ロビーからの眺望はすばらしい。超高層ビルからの見下ろすような展望とは異なり、ほどよい角度で、お堀と皇居周辺が見渡せる。たまたま快晴で、青い空も美しかった。給茶機のお茶をすすりながら景色に見とれている人たちもいた。地味な美術館だが、交通の便は申し分ないので、ちょっと空いた時間に寄るのには適している。

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