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2007年3月30日 (金)

神経質礼賛 170.智者は常に自分を愚者と思へり

 先日、「○○研創立15周年記念」というメールが送られてきた。○○さんは最初の大学の時の同級生であり、卒論でも同じ研究室にいた人である。彼は母校の理工学部教授となり、新聞社からもニュースに関するコメントを求められる存在となっている。同期の出世頭である。

 学生時代、彼の口癖は「俺はバカだから」であった。そう言いながら、いつもまじめにコツコツ勉強していた。全国のいわゆる有名高校出身で東大・京大を落ちて流れ込んできた人間が多い中、彼はそういう学校出身ではないことにちょっとひけめを感じていたのかもしれない。しかし、本来は非常に優秀な人であって、まじめで謙虚な性格であり、その上に絶え間なく努力を続けたのだから、現在の立場は当然のことである。

 森田正馬先生は「智者は常に自分を愚者と思へり」と色紙に書かれている。智者とは単に知識があるだけでなく、物事の道理をわきまえた人をいう。神経質人間は劣等感を持ちやすく、人と比べて劣るところを探すのが上手である。しかし、これは悪いことではない。これではまだまだダメだ、と根気強く努力を重ねて大きく成長することもできるのである。

2007年3月26日 (月)

神経質礼賛 169.万年筆は今いずこ

 桜の季節になると、自分が中学生になった頃をふと思い出す。中学生になった時には、バスや電車の料金は大人扱いになるし、何となく大人の仲間入り、という実感があった。ことに「大人のアイテム」として万年筆があった。学習雑誌の年間予約の景品が万年筆だった時代である。叔母からお祝いにプレゼントされた万年筆は宝物のように思えた。

 かつては万年筆のテレビCMがあった。大橋巨泉の「はっぱふみふみ」という、わけのわからないCM(パイロット万年筆)は有名だったが、私はオーケストラの楽器紹介風のCMが大好きだった。ペン先の種類、細硬、細軟、中、太硬、太軟、に楽器を対応させたもので、細にはフルートやヴァイオリン、太はチェロだったろうか。最後になぜかティンパニが出て、Tutti(全奏)で終わる、という構成だったように思う。その曲は今でも覚えている。

 最初の大学時代は実験・実習レポートの類は全て万年筆で書いていたし、卒論も万年筆で書いて、青焼きコピーだった。カートリッジインクの万年筆よりもスポイト式の万年筆が気に入っていたので、ガラスの小瓶に入ったブルーブラックのインクを買っていた。

 会社員になってからというもの、パッタリ万年筆は使わなくなった。もっぱらボールペンとシャープペンのみとなった。この頃になると、文房具店で万年筆を見かけなくなった。2度目の大学時代には万年筆は引き出しの奥に引退である。

 現在、仕事で使うのは1本100円位のボールペンで1ヶ月1本のペースで使いきっている。書類関係は2部複写、3部複写のものが多い。自立支援医療の書類は4部複写である。ボールペンに思い切り力を入れて書かないと下まで写らないので肩がこる。ドイツ語・ラテン語まじりで書かれた30年・40年前の古いカルテを見ると万年筆で書かれていたようである。カルテの記載内容も極めて少なく、今と比べるとのんびりしていたことをうかがわせる。

 筆跡にはその人の性格特徴が出やすい。私のような神経質人間は細いペンを好み、ちまちま小さい字で書くことが多い。恩師の大原健士郎先生からいただくハガキは今でも万年筆で書かれている。私と同じ小さな字であり、何となくうれしくなる。

2007年3月23日 (金)

神経質礼賛 168.薬を売るために病気はつくられる

 これは最近読んだ本の副題である。レイ・モイニハン、アラン・カッセルズ共著 古川奈々子訳 「怖くて飲めない!」(ヴィレッジブックス発行 1700円+税)の書評を新聞で読んで買おうと思い、大きな書店に行ったがなかなか見つからない。書店の端末で調べると、「在庫僅少」となってはいたが、医学書関係の棚ではなく健康や料理関係のコーナーにあることがわかり、入手することができた。

 この本では、欧米(特にアメリカ)で巨大製薬会社が健康な人々に薬を売りつけるために、新しい「病気」を作り出したり、病気の範囲を広げたりしている実態を暴露している。もちろん製薬会社が直接そうしたことをすることはできないので、ソートリーダーと呼ばれる影響力を持った医師たち、あるいは食品医薬品局(FDA)の有力スタッフたちに講演料や顧問料や研究費などの名目で資金提供をして手なずけ、「病気」の人が増えるように診断基準を変更させたり、効果を過大評価し副作用を過小評価させて薬を認可させているのだ。患者団体にも資金提供を行い、薬が認可されるように運動させる。またその一方で、テレビや雑誌のCMで「病気」の恐怖をあおり、有名人の「闘病経験者」を出して薬によって生活が改善したり重大な「病気」が予防できたりするというキャンペーンを行って、直接消費者に働きかけている。その際、不都合な薬のリスクは伏せて、統計のウソで「病気」の人が非常に多いようかのように宣伝する。それを真に受けたら、健康な人でもいくつも「病気」を抱えていることになり、何種類もの薬を一生飲み続けなくてはならない。身体疾患では高コレステロール、高血圧、骨粗しょう症などが取り上げられており、精神科関連では注意欠陥多動性障害(ADHD)と社会不安障害が取り上げられている。アメリカでは8人に1人が社会不安障害という「治療」可能な「病気」だと宣伝され、SSRIの一つパキシルの売れ行きが爆発的に伸びたと言う。

 この本を読んでみると「やっぱり」という感じである。当ブログでも20話、102話でSSRIの安易な処方に対する懸念をすでに書いたし、13話でADHDの診断を拡大しすぎることへの懸念も書いている。もはや欧米だけでなく日本でも、ソートリーダーと言えそうな私立医大教授たちが、製薬会社の御用雑誌に薬を宣伝するような内容の大量の医学論文を載せ、薬にまつわる講演を繰り返し、医師たちを「教育」しているのである。特にSSRIや新型の抗精神病薬は欧米の巨大製薬会社の製品がほとんどであるので、アメリカと同じような手法が日本でも使われ始めたのだろう。そう言えば在来の日本の製薬メーカーは外資系に次々と買収され、合併で身を守ろうとするのがやっとである。SSRIを売り込みに来る外資系製薬会社のMR(医薬情報担当者)さんたちは皆、若くて元気がいい。自社製品のSSRIを服用しているんじゃないかと時々思ったりもするほどだ。こちらがそっけなく対応しても懲りずに週一回は必ず外来診察室に現れる。たまに「社内研修会の講師をお願いできませんか」と言ってくるが、全部お断りしている。対人恐怖に「社会不安障害」という病名をつけてSSRIを飲ませることには、病気ではないとする森田療法の立場から抵抗があるからだ。この本では、医師に研修会や講演会の講師を依頼し、うまくいけば徐々に大きな講演を依頼し、自社製品をPRするようなソートリーダーを育成していく様子が書かれていた。私もそういう路線に乗っかれば「勝ち組」に入れるのであろうが、神経質のプライド(?)が許さない。

2007年3月21日 (水)

神経質礼賛 167.タミフル問題

 今年になってインフルエンザの特効薬タミフルを服用した子供がマンションから飛び降りて死亡するという事故が相次いだ。こういった事故はすでに昨年以前にも起きている。アメリカではFDA(食品医薬品局)が昨年11月に「インフルエンザ患者、特に子供はタミフル服用のすぐ後に自傷行為や精神錯乱の危険性が高まる可能性がある」と警告している。しかし、なぜか日本の厚生労働省は事故とタミフルとの因果関係を認めようとしない。インフルエンザの大流行に備えて大量のタミフルを備蓄した手前、認めたくないのだろうか。一部の報道によれば厚生労働省タミフル研究班のメンバーには輸入販売会社から資金提供を受けているメンバーがいるとのことで、これも一因かと勘ぐられても仕方ないだろう(かつて、ミドリ十字の血液製剤による薬害問題でも厚生省研究班のトップが製薬会社から資金提供を受けていた大学教授だったことは周知の通りである)。

 タミフル服用後に自殺関連症状が出た成人の生存例2例が公表されている。いずれもタミフル服用後に強い不安・抑うつ気分が生じ、自殺念慮が起こり、一人は自殺未遂で救出され、もう一人は飛び降り自殺寸前で思いとどまり事なきを得たという。

 タミフルの添付文書によれば体重37.5kg以上の小児には成人量を投与することになっているので多くの中学生が成人量を服用することになる。従って体重60kg前後の成人に比べれば血中濃度が急激に上昇しやすい。また、中学生位では大人に比べれば脳はまだ発達の途中である。薬剤によって精神的な影響を受けやすい可能性がある。インフルエンザでなく、仮に薬害で死亡したとしたら、御遺族はやりきれない思いであろう。

 インフルエンザと診断がついたら機械的にタミフル処方では危険である。やはり家族が見守れる状況であり、高層住宅に居住していないことを確認してから処方すべきであろう。私のように神経質でなくとも、そう考える人も多いと思う。

 職場の同僚とそんな話をしていたのだが、3月20日になって、やっと厚生労働省がタミフルの10代への投与中止を求める指示を出した。さらに飛び降り事故が2件(不幸中の幸いで2件とも足の骨折だけで済んだ)続いたためである。だが、この期に及んでなおタミフルと異常行動との因果関係は認めていない。また、10歳未満の児童への投与は規制しないようである。20歳は大丈夫で1911ヶ月は投与するな、10歳の誕生日以前は投与してよい、というのも変な話である。こんなことでいいのだろうか。どう考えても神経質が足りない。

2007年3月19日 (月)

神経質礼賛 166.神経質力(2)

 会社の経営者やトップビジネスマンには意外と神経質な人も珍しくない。日本企業の代表的な経営者であった松下幸之助さんは神経質を生かして一代で成功をおさめた人だったと考えられる。また、岡本常男さんの例は37話ですでに述べた通りである。

平成19年3月6日付の読売新聞夕刊「追悼抄」に今年96歳で亡くなられた安藤百福さんのことが載っていた。安藤さんはチキンラーメンやカップヌードルで世界的な企業となった日清食品の創業者である。毎日のように自社製品を試食し、急死されるまで現役で働き続けたのは御存知の方も多いと思う。かつては自宅の小屋でインスタントラーメン開発の研究をしていた。NHKの朝のTVドラマ「てるてる家族」で登場したラーメン博士は安藤さんがモデルだそうである。台湾出身の安藤さんは、戦時中に憲兵の拷問を受けたり、戦後、信用組合の理事長を頼まれたところ倒産したり、と何度も苦境を乗り越えてきた人である。現社長である次男の話として「寝ても覚めても仕事の話ばかり。99%は心配で、喜びはわずか1%だけ」だったという。安藤さんも心配性の神経質人間だったわけである。神経質人間は逆境に強いし粘り強い。成功してもまだ心配で「勝って兜の緒を締めよ」でさらに努力を重ねる。チキンラーメンやカップヌードルは神経質力から生まれたものだったのである。

2007年3月16日 (金)

神経質礼賛 165.神経質力(1)

 渡辺淳一さんの著書「鈍感力」が話題になっている。鈍感力という言葉はすでに流行語となりつつあるようだ。

鈍感であることは出世の条件の一つなのかもしれない。K前首相などはその好例であろう。人が何と批判しようとお構いなし。人の話は聞かない。たとえ自分が間違えても反省はしない。まともに議論はせず声高に自己主張ばかりを繰り返す。こういう自己愛のかたまりのナルシストは始末が悪い。I東京都知事も多分、同類項である。

 私が知っている人の中にも鈍感力に長けた人がいる。某病院の総師長(看護婦から看護師に呼称変更となったため、現在はどの病院でも総婦長を総師長と呼ぶ)がそうである。ズック靴にリュックサック姿で御通勤。ノッシノッシとお歩きになり、昔の流行語「オバタリアン」さながらである。医局(医師たちの居場所)にズカズカお入りになっては御自分のゴミを捨てて行かれる。医局の新聞を持ち出され、いらなくなると投げて返される。看護師さんの机の引き出しを物色して、おやつのチョコを盗み食い。昼食のカレーはおかわり。自販機で誰かが取り忘れた釣り銭をゲット。人の物は自分の物。まあ、このくらい図々しい方が対外的には強くていいのだろう。押しの強さで看護職員をリクルートする能力は抜群らしい。しかし黙って辞めていく優秀な看護職員も多いように思えるのは、私の気のせいだろうか?

 「運・鈍・根」というのが商売の極意とか成功の秘訣とか言われている。時々、この「鈍」を鈍感と勘違いする人がいるが、ここでの「鈍」とは鈍感ということではなく、鈍重で愚直であることを言う。つまり、あわてず騒がず、正直一途ということなのである。

 同じ鈍感でも天然ボケで周囲をなごませてくれるような人はありがたいが、上に立つ人間が鈍感力を発揮するとろくなことはない。組織の一体感はなくなり、誰もが心に不満をくすぶらせるようになる。時流に乗っているうちはいいが、逆風が吹くと組織はあえなく沈没である。神経質を礼賛する立場の私としては鈍感力とは逆に「敏感力」というか「神経質力」を主張したい。

2007年3月12日 (月)

神経質礼賛 164.年度末の工事

 土曜日の朝、通勤で駅に向かう途中、いつも通っている地下道が工事中で通れなくなっていた。作業員は、右の方へ回ってください、と言う。しかし、その先もまた工事中である。そこの作業員も、右の方へ回ってください、である。ちっとも駅に近づけない。電車に乗り遅れてしまうので、荷物を抱えて小走りである。そんなことを繰り返しているうちに、かなり大回りになってしまった。普段通ったことのない長いエスカレーターを全力で駆け上がり、さあ駅の入り口だ、というところで段差につまずいて、派手に転倒してしまった。神経質を忘れるとこういう痛い目に遭う。情けないことに、その日の外来では患者さんから「どうしましたか?」と聞かれる始末であった。事前に全面通行止め告知の看板もないのには腹が立つ。土曜日の朝は通勤・通学客が少ないから夜間から朝にかけて工事したのであろうが、中には旅行などで指定の時刻に急ぐ人だっているだろうに。

 世の批判を受けて以前ほど露骨ではないものの、年度末は予算を消化するための工事が多い。それにしても、道路の同じ箇所を何度もほじくりかえすのは実に効率が悪い。舗装工事、電気工事、ガス工事、水道工事、下水道工事といろいろあろうが、ある程度まとめてできないものかと思う。特に無駄だと思うのは、道路や歩道をきれいにレンガ風にしたりモザイク模様にしたりして景観をよくしても、1、2年後には何らかの工事でほじくりかえして黒いアスファルトが盛り上げられてしまい、かえって醜悪な景観となってしまう。これなどは全く税金の無駄遣いである。神経質が足りない!

2007年3月 9日 (金)

神経質礼賛 163.心機一転

 平成19年2月27日付読売新聞朝刊1面の「日本 第2部 格差を越えて」というコラムに「引きこもり 今は社長」という興味深い記事が掲載されていた。現在は従業員100人をかかえるIT企業の社長の話である。中学2年の時に友人とのケンカをきっかけに孤立し、他人と接するのが怖くなり、高校もすぐに中退し、3年間ひきこもりだったという。転機は、人と会わずに済む画家になろうと美大受験を思い立ち、学費を稼ぐため人目につかない早朝の新聞配達をするようになったことである。規則正しい生活が身に付き、自信がついた。ひきこもり時代にパソコンの知識をつけていたためIT企業を起こして大成功したが、今でも人と会うのは苦手だと言う。

 この社長の場合、もともと神経質傾向(森田先生の言われた「ヒポコンドリー性基調」)があって、友人とのケンカをきっかけに対人恐怖となり、ひきこもり状態になってしまったと考えられる。しかし、よりよく生きたい・自己実現したいという「生の欲望」に引かれてアルバイトなどの行動していくうちに規則正しい生活習慣が身につき、ビクビクハラハラのまま仕方なしに仕事しているうちに神経質を生かして成功したということだと思う。この人が森田療法を知っていたかどうかはわからないが、まさに森田療法そのものである。森田的新聞配達療法と言ってもよいであろう。仮にこの人が精神科クリニックを受診して「社会不安障害」と診断されSSRIを投与されたとしたら、症状は良くなったかもしれないし、それで高校、大学と順調にいったかもしれない。しかし、苦しみながら自分の力で症状を乗り越えてこそ、今の成功があるのではないだろうか。

 森田先生は次のように言っておられる。「心機一転とは、平生・内向性の心が、次第に変化して、或機会に一転して外向的となる事である。其手段としては、第一に自分の病状を言はない事、書かない事で、第二には仕事に乗りきる事の二つである。(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.329)」

 グチをこぼしているうちは良くはならない。最初は嫌であっても仕事に手を出していくうちに、いつしか注意が外に向くようになる。自転車が走り始める時は大変だが、一旦動き始めれば前へ前へと自然に走っていくのと似ている。何でも病名をつけて「病気」にして、さあ薬を飲め、の時代ではあるが、神経症的なひきこもりには仕事が一番の処方箋であろう。

2007年3月 5日 (月)

神経質礼賛 162.食品添加物

 私が子供の頃は食品添加物全盛期であった。駄菓子屋へ行くと、鮮やかな色の菓子が並んでいた。学校給食でも、真っ赤なソーセージや周囲が赤色のいわゆる「赤ハム」が登場していた。その後、人口甘味料のチクロやサッカリンがやり玉に挙げられ、世のお母さん方も人工着色料や人口甘味料などの食品添加物に敏感になってきた。

 今では食品添加物の表示義務が強化されているが、保存料や魚肉製品の発色剤はなかなか減らないようだ。

 最近、TVや新聞にも登場する食品ジャーナリスト安部司(あべつかさ)さんは有機農業JASの判定員もされている。講演では実際の添加物で実験して見せたりして、大人気である。もともと食品や添加物の商社に勤めていたが、家族で食べた食品が添加物を大量に含む商品で自分が開発したものであったことに衝撃を受け、商社を退職して現在のような仕事をしているという。安部さんは頭ごなしに食品添加物を否定するのではなく、そのメリットも考えた上で、どちらがいいか自己責任で選択すべきだという考えのようだ。

 有機栽培や無農薬、無添加にこだわる主婦の方々は少なくない。時に、不潔恐怖に近いようなアンチ添加物主義の方もおられる。もちろん無農薬・無添加で済めばそれにこしたことはないのだが、栽培・製造コストや流通を考えると、現実的には難しい。そこで無農薬、無添加などと表示しながら実はそうではないニセ物まで現れる。食品が安い価格でいつでもどこでも入手できる、日持ちがして食中毒を防止できる、といった食品添加物による恩恵を受けているのも事実である。結局は安部司さんの主張されるように、メリットとデメリットを知った上で、うまくつきあっていくことが大切ではないだろうか。

 私自身、着色された食品は大嫌いである。しかし、たまには見て楽しめるような和菓子は食べることがある。「環境ホルモン」で叩かれたカップ麺も、当直中に空腹の時にはありがたい存在である。添加物摂取をゼロにすることは、もはや不可能に近い。添加物ゼロに近づけることばかりに神経質を費やすよりも、摂取する食品のバランスに神経質を使った方がベターだと思う。

2007年3月 2日 (金)

神経質礼賛 161.病院食

 総合病院に勤務していると食事は職員食堂で好きなものを選んで食べることになるが、精神科病院に勤めていると食事は患者さんと同じものを食べることになる。1食280円で給与天引きである。当直の食事は、検食すなわち毒見?ということで無料である。休日分を差し引いても当直分を考慮すると、全食事の3分の1以上は病院食を食べていることになる。こちらも長期入院者と同様である。栄養面ではバランスが良いはずだが、味は調理担当者次第である。ミソ汁がかなりしょっぱいことがある。黒コゲのかき揚げが出ることもある。

 今では病院食はずいぶん良くなった。昔のように午後4時頃に夕食が出てくるようなこともなく、適時適温ということで温かい状態で食べられるようになった。しかし、病院食だけでは少々もの足りない。カップ麺や菓子で補う患者さんも多いが、職員も同様である。当直の夜、病棟を巡回していくと、ナースステーションのテーブルの上には夜勤入りの職員が出勤途中にコンビニで調達したと思われる惣菜・カップ麺・菓子等がずらりと並んでいる。病院の近くには商店が全くない。私の場合、当直の日は着替えなどで荷物が多いので、当直がなくて荷物が少ない日に保存のきく食品や菓子類を家から運ぶことにしている。

 以前、病院食で朝は週2回、食パンが出ていた。高齢者や、抗精神病薬を多めに服用している人では、嚥下が悪く、パンをのどに詰まらせる危険性がある。勤務先の病院でも残念ながら3年ほど前、パンによる窒息死亡事故が起こった。パンは禁止していた患者さんだったが、他の患者さんからこっそりもらって、部屋で隠れ食いをしていて起こった事故である。以後、対策として、朝の食パンは全面廃止し、麺類の時に出る菓子パンも嚥下のよくない患者さんを集めた病棟では一切出さないことになった。マーフィーの法則(153話)の通りで、事故が起こってからでは遅い。あらゆる状況を考えて事故を防いでいくことが大切である。人の生命に関わることについては大いに神経質である方が良い。

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