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2007年3月16日 (金)

神経質礼賛 165.神経質力(1)

 渡辺淳一さんの著書「鈍感力」が話題になっている。鈍感力という言葉はすでに流行語となりつつあるようだ。

鈍感であることは出世の条件の一つなのかもしれない。K前首相などはその好例であろう。人が何と批判しようとお構いなし。人の話は聞かない。たとえ自分が間違えても反省はしない。まともに議論はせず声高に自己主張ばかりを繰り返す。こういう自己愛のかたまりのナルシストは始末が悪い。I東京都知事も多分、同類項である。

 私が知っている人の中にも鈍感力に長けた人がいる。某病院の総師長(看護婦から看護師に呼称変更となったため、現在はどの病院でも総婦長を総師長と呼ぶ)がそうである。ズック靴にリュックサック姿で御通勤。ノッシノッシとお歩きになり、昔の流行語「オバタリアン」さながらである。医局(医師たちの居場所)にズカズカお入りになっては御自分のゴミを捨てて行かれる。医局の新聞を持ち出され、いらなくなると投げて返される。看護師さんの机の引き出しを物色して、おやつのチョコを盗み食い。昼食のカレーはおかわり。自販機で誰かが取り忘れた釣り銭をゲット。人の物は自分の物。まあ、このくらい図々しい方が対外的には強くていいのだろう。押しの強さで看護職員をリクルートする能力は抜群らしい。しかし黙って辞めていく優秀な看護職員も多いように思えるのは、私の気のせいだろうか?

 「運・鈍・根」というのが商売の極意とか成功の秘訣とか言われている。時々、この「鈍」を鈍感と勘違いする人がいるが、ここでの「鈍」とは鈍感ということではなく、鈍重で愚直であることを言う。つまり、あわてず騒がず、正直一途ということなのである。

 同じ鈍感でも天然ボケで周囲をなごませてくれるような人はありがたいが、上に立つ人間が鈍感力を発揮するとろくなことはない。組織の一体感はなくなり、誰もが心に不満をくすぶらせるようになる。時流に乗っているうちはいいが、逆風が吹くと組織はあえなく沈没である。神経質を礼賛する立場の私としては鈍感力とは逆に「敏感力」というか「神経質力」を主張したい。

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コメント

毎週月・金を楽しみにしています。子供の頃からずっと悩んでいたのですが、先生のブログを読むうちに、「神経質って長所なのかも」と思えるようになってきました。
ただ、現在膝の痛みで整形外科に通っているのですが、担当医からは「器質的な障害はないので、痛みは精神的なものでしょう」と言われています。神経質だと、あるはずもない痛みを感じやすいのですか?(水はたまりませんが、腫れは少し出ます・・・)

神経質でいいのかも様
 膝の痛みに限らず痛みというものはつらいものですね。しかし、痛みというものは客観的に測ることが困難です。炎症所見があれば判断できますが、そうでなければ本人にしかわかりません。専門の先生が「精神的なもの」と判断されているということは、多少の腫れは出ても、整形外科的治療を必要とするレベルの異常ではない、ということなのでしょう。ですから、多少の痛みはあっても「まあこんなものだ」と日常生活を過ごされて、腫れがひどくなったり、水が溜まった時に、また受診すればよろしいのではないでしょうか。
 誰しも、時々、頭痛がしたり、胃が痛くなったり、関節が痛んだり、ということはあります。しかし、日常生活で忙しくしているうちに忘れてしまうことも多いのです。ところが、「また痛くなったらどうしよう」とか「(たけしの本当は怖い家庭の医学みたいに)実は重大な病気じゃないのか」と思っていると、痛みが強く感じられる、ということはありえます。
 最近では、難治性の疼痛に対して森田療法を応用することも行われています。
 「神経質でいいのかも」、がいつか「神経質でいいのだ」と思えるようになることを祈っております。

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