神経質礼賛 180.努力即幸福
私の恩師・大原健士郎先生が現役の教授だった頃、毎週月曜日の回診の時に、色紙とサインペンを用意して待っている患者さんがいた。その週に退院していく患者さんである。私はいつも教授がどんな言葉を書かれるか心の中で予想していて、5割位は当たっていただろうか。定型的な森田療法の患者さんには「日々是好日」、「日新又日新」、「外相整いて内相自(おのずか)ら熟す」、「柳は緑 花は紅」といった森田の言葉を書かれた。ヒステリー傾向の女性には「君が笑えばみんなが笑う」というイギリスの女流詩人ヴァージニア・ウルフの言葉を書かれ、「これには続きがあってね、君が泣けば君一人で泣くのだ、というのだよ」と語りかけておられた。ヒステリー性格の良いところを生かしなさい、という御指導だと私は解釈していた。一方、統合失調症や躁うつ病の患者さんに求められると、「努力即幸福」という森田の言葉を書かれることが多かった。これは神経質に限らず万人向けの言葉だろうと思う。
努力即幸福は文字通り、努力すれば幸福になれる、という意味である。「即ち」という語は、前の事柄をうけて、その結果として後の事柄が起こることを示すからである。しかし、「即ち」にはもう一つ意味があって、前の事柄を後の事柄で言い換えすることを示す語でもある。そういう目で見れば、努力することそのものが幸福である、という解釈も成り立つだろう。この方が奥が深そうである。
一生懸命に努力しても結果に恵まれないこともある。一生懸命勉強したのに試験で不合格になった、一生懸命仕事したのに失敗した、あるいは周囲から認められなかった、というような経験は誰にでもあるだろう。私自身もそういう体験は数多くある。しかし、その努力は必ずしもムダではなく別の面で役立つことも少なからずあるし、一生懸命だった時のことを後から振り返ると、「つらかったけど充実していたなあ」という思いもする。失敗がいい思い出だったりする。
森田先生は次のように言っておられる。
神経質に生れても、赤面恐怖に生れても、なんともしかたのない事です。これを生かして行くよりほかにしかたがない。劣等感を起すのは、人に勝れたいがためである。そのあるがままであれば、ただその欲望にしたがって向上一路よりほかにしかたがない。そこから「努力即幸福」という事もわかってくる。神経質はそのまま神経質であって、これをいたずらに否定するような事をしなければ、そこにはただ希望に充ちた努力ということが現れるだけである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻p.712-713)
神経質人間はどうかすると「どうせダメだ」とレッテルを貼って努力を放棄してしまうことがある。しかし、神経質人間はひとたび動き出したら粘り強いので予想外の力を発揮することもあるのだ。努力なしで「棚からボタモチ」の幸運などそうはない。やってみなければわからない。「生の欲望」に沿って努力していく中に幸福があるのである。
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