神経質礼賛 190.keizoさんのこと
このブログに何度かコメントをいただいたkeizoさんとは旧知の間柄であるが、もう長いこと直接お会いしていない。以前は手紙、今はメールのやりとりだけである。123話に書いたように、私が最初に就職した会社は地元のガス会社だったが、アミューズメント産業関連のS社(有名なSEGAやSONYではない)と合同で業務用(つまりゲームセンター用)TVゲームの開発を行った時期があった。無論、社長がTVゲームそのものに関心があったわけではなく、TVゲーム開発の技術力でホームセキュリティやホームオートメーション関連機器を自社開発しようという目論見からであった。若手のソフト開発担当者数名が参加していたが電子回路がよくわかる人間が他にいないからということで、途中から私が加えられた。仕事場はS社の倉庫の中である。keizoさんはその時、S社のチーフでゲームの企画を作るイラストレーターたちを統括する役目だった。イラストレーターと言えば聞こえはいいが、長髪にヒゲもじゃ、出勤退社時刻不詳、仕事中に自分たちの趣味で巨大なゴジラの壁画を制作していたり、エレキギターの音をテケテケさせたり、突然ドラムを叩いたり、というようなとんでもない連中に仕事をさせるわけだから、気配り上手とはいえkeizoさんの苦労たるや大変なものであった。いろいろ紆余曲折の末、1作目は何とかモノになり、実際にゲームセンターに並び、そこそこの評判を得ることができた。私が会社を退職して医大に入学した後、129話のベンチャー企業でも、ご一緒に仕事をする機会があった。私の結婚披露パーティーではkeizoさんにギターと歌を披露していただいた。その後、keizoさんは結婚して地元を離れ、自分で学習塾を開き、俳句の師匠もされている。
keizoさんから送られてきた3年前の年賀状はベネツィアのゴンドラに奥さんと二人でおさまった写真であった。ところが、2年前の年賀状には、なぜか年賀状断筆宣言が書いてあった。「A HAPPY NEW DAY 日々の賀状」というネット掲示板を作ったので、ということだった。このネット掲示板には俳句仲間やkeizoさん自身が次々と投稿されていた。そして、最近、keizoさんの奥さんが3年前からスキルス性胃癌で闘病生活をされており、この5月に亡くなられたことが発表された。スキルス性胃癌は恐ろしい病気で、極めて進行が早く、判明した時には余命数ヶ月というのが普通である。TV番組で人気の高かった逸見政孝アナウンサーがこの病気で亡くなったことを覚えている方も多いであろう。私が知っている大学病院産婦人科医長だった先生が開業して仕事が軌道に乗り始めた矢先にこの病気で急死されたという記憶もある。今月にはタレントの塩沢ときさんもこの病気で亡くなっている。keizoさんの奥さんは2回の大手術に耐え、3年間にわたり、闘病しながらも充実した日々を送っておられたとのことである。keizoさんの献身的な支えが奥さんの命を長めたことは間違いない。奥さんの容態がいつ急変してもおかしくないというギリギリの中で、普段通りに仕事をされ、俳句の活動もされ、掲示板ではジョークも書かれていたことには、心から敬服する。まさに日新又日新(141話参照)、一日一日が勝負だったのである。「日々の賀状」の謎が今頃になってわかるようでは私もまだまだ神経質が足りない。
「死期は序を待たず。死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり」と徒然草(第155段「世に従はん人は」)にあるように、人はいつどのように死ぬかわからない。我々は生かされているありがたさを忘れ、つい日常生活に埋没して惰性的になりがちだが、また新しい一日がやってきたことに感謝して、その日一日を精一杯、力いっぱい生きることの尊さをkeizoさん御夫妻に教えていただいたように思う。掲示板の感動的な一文を引用させていただく。「最期は、苦手なマラソンをやらされているように肩で息をしてとてもつらい様子でしたが、突然訪れた死の瞬間においては、きっとゴールテープを切ったかの達成感を味わっていたのではないかと思います」。keizoさん、長丁場の伴走、お疲れ様でした。奥様のご冥福をお祈り申し上げます。
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