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2007年5月25日 (金)

神経質礼賛 188.レジ袋・過剰包装

 スーパーでついてくるレジ袋には以前から資源の無駄遣いという批判があった。レジ袋不要のお客さんにはサービススタンプを押しているスーパーもあったが、いよいよ大手スーパーではレジ袋有料化の動きとなってきた。マイバッグ持参で、ということである。しかし、少し泥がついているようなゴボウなどの野菜では袋が欲しくなるし、生のアサリが入った袋、牛乳や冷凍食品では、露が付いて袋が濡れやすいのでやはりレジ袋はありがたい。一律廃止とか有料化よりも濡れたり汚れたりするものだけ無料で付けて、それ以外、欲しい人は買えばいいのではないだろうか。第一、私の住んでいる地域では、指定のレジ袋ならばゴミ袋として集積場に出してよいことになっているので、まるっきり無駄になっているわけではない。

 レジ袋よりも過剰包装はもう少し何とかならないものかと思う。デパートのお中元・お歳暮の包装は以前よりは簡易包装にはなってきたが、まだまだ改善の余地はある。通販で品物を買うと、大量の段ボールがゴミとして発生する。

 私がいつも行きつけの老舗書店では、週刊誌を買っても文庫本を買っても、中が透けて見えない、立派なロゴ入りのビニール袋に入れてくれる。これを捨ててしまうのはもったいない。そこで、商品をレジに出す時に、「袋はいらないのでレシートを貼って下さい」と頼むようにしている。もっとも、私のような神経質人間は、本をそのまま持っていると、万引きと間違えられはしないか、と心配にはなるが。

 かつて森田先生は講演の中で、病気でもない神経衰弱(神経症)の患者が無駄な医療を求めることを、過剰包装にたとえて次のように言っておられる。

「近代人と神経衰弱」(昭和9年11月3日 高知第一中学における講演)より

 特に神経衰弱の患者は、医者が新奇の学術的検査を多くしてくれるほど、悦(よろこ)んでゐる。それは恰(あたか)も、商人から物を買ふ時、其品物を立派な箱に入れて、キレイな包紙をしてくれるほど、親切な商人かと思って、悦ぶやうなものである。實(じつ)は何の用にも立たない見かけだおしであって、其費用は買手の方で負担する・といふ事に気がつかないので・之が文化生活者の通弊であります。つまり民衆は、医者や商人やの・真実の親切と・虚偽との見分けがつかないのである。         (白揚社:森田正馬全集第6巻 p.172

 この神経症患者の心理・過剰包装とも、現在でも当てはまるのではないか、と思う。

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