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2007年6月29日 (金)

神経質礼賛 200.善悪不離 苦楽共存

 この言葉は森田正馬先生の言葉の中で、特に私が好きなものである。「楽あれば苦あり」「楽は苦の種、苦は楽の種」という諺があるので、後半は理解しやすいと思う。

 神経質人間はとかく白黒をハッキリさせて極端なレッテル貼りをしやすい傾向がある。しかし、これが善でこれが悪だと決められることは実際にはそう多くはなく、たいていの場合、物事には善悪両面があるものである。人間でも完全な善人などいるはずがないし、犯罪常習者や極端な人格障害者でなければまるっきり悪人ということもないはずである。あいつは嫌なヤツだ、と思い込むと毛嫌いしてしまうが、そう思い込んでいる人に親切にしてもらって評価が逆転するという経験はあるだろう。

また、苦しいことはやむを得ないと諦めればよいものを、苦しくないようにしようとジタバタするので、森田正馬先生の言われる強迫観念が起こるのである。要領よくおいしいところ取りをしたくても、そううまくいくわけがない。苦しいのは誰でもイヤである。苦楽はともかく、現実そのままになりきる、すなわち気分にかかわらず行動していくことが肝心である。

アメリカでベック(Aaron.T.Beck 1921- )という精神科医が創始した認知療法という精神療法がある。彼は精神分析を専門としていたが、うつ病患者の夢の内容が悲観的であることに着目し、悲観的な認知を修正することで、うつ病や不安障害(神経症)が改善することを明らかにしたのである。認知療法は今では行動療法とともに、世界的に広まっている。

「善悪不離 苦楽共存」という言葉を座右の銘として、自らを省みれば、偏った認知が修正でき、認知療法同様の効果があらわれると思う。神経質人間にとっては実にありがたい言葉である。

2007年6月25日 (月)

神経質礼賛 199.魚は贅沢品に

 マグロの漁獲量制限、ロシアが生カニの輸出を規制、といったニュースが次々と入ってくる。今度はヨーロッパがウナギの稚魚の保護を打ち出し、中国でのウナギ養殖に影響が出るものと考えられている。養殖には3年位かかるので、いずれ日本でのウナギ蒲焼が高騰しそうである。遠洋の高級魚ばかりではなく、近海のアジ・イワシ・サンマ・サバといった日常の食卓にのぼる大衆魚までが中国・韓国との競合で漁獲量が減少している。前回述べた大豆の高騰で植物性タンパク摂取源に影響が出るのに加えて、日本人にとって良質な動物性タンパク摂取源の魚も口に入りにくくなってきそうである。これまた和食は大打撃である。

 何か対応策はないのだろうか。釣りマニアが川に放流して鮎や山女などの在来種を絶滅させて問題になった、ブラックバスなどの外来種を食用にしてしまうのはどうであろうか。塩焼きではおいしくないかもしれないが、フライなど調理法を工夫すれば何とか食べられそうである。生命力が強いので、養殖して、釣堀用と兼用でいけるのではないだろうか。また、魚を開いた際に捨ててしまっている内臓も調理法を工夫して、骨以外は残さず食べるようにすればよいだろう。漁師町ではマグロやカツオの心臓や眼球までも珍味として食べている。捨ててしまってはもったいない。命をいただく以上、神経質を生かして、あますところなく食べるのが礼儀というものである。

 魚ではないが、鯨もそろそろ食用として見直したらどうだろうか。私の世代では、学校給食で最高のご馳走は鯨の竜田揚げやステーキだった。昔は鯨が浜に打ち上げられたら、海の神様からの贈り物として有難く食べさせていただいたのだろうが、今では何とか命を救おうと手を尽くして大半は死んでしまい処理に大変なコストがかかる。助けようとした漁民が命を落とすという事故まであった。いき過ぎた動物愛護には疑問を感じる。

 魚介類を安定的に得るには、農作物以上の難しさがある。日本人の生命線を守るために、海洋研究、養殖法の開発などに力を入れるべきである。

2007年6月22日 (金)

神経質礼賛 198.大豆のピンチ

 スーパーで子供用のジュースを買おうと思って見ると、500ml入りの100%オレンジジュースがいつの間にか20円ほど値上がりしていた。この原因はアメリカ政府がバイオエタノール燃料を奨励するようになって、トウモロコシの需要が急増して、オレンジや大豆などを作っていた農家がトウモロコシに切り替えたためらしい。TVの報道番組では、アメリカの食品会社がトウモロコシを買占めて古い炭鉱に貯め込んで、さらなる値上がりを待っている実態を紹介していた。

ここにきて、トウモロコシを原材料としている植物油やマーガリンやマヨネーズなどに値上げの動きが出始めている。オレンジジュースは生活への影響は少ないが、トウモロコシは意外に影響が大きい。

 

さらに困っているのは豆腐・納豆業界のようである。大豆も大部分はアメリカ・中国からの輸入に頼っているため、価格が激しく高騰し、大幅値上げをしなければ商売がやっていけない状態だという。一部の業者は高級豆腐の開発に力を入れてしのごうとしているようだが、どこの家庭でもそうそう300円や400円もする高価な豆腐を食べるわけにもいかないだろう。油揚げが大好物の私にも影響が出そうである。ビールの友の枝豆も高騰しそうである。さらには味噌・醤油にも影響が出てきそうで、このままでは和食全般がひどいことになりそうだ。日本の食生活に大打撃である。残念ながらすぐにできる対策はない。地道に国内での大豆生産を増やすしかないだろう。最近の農業分野では、発光ダイオードを使った屋内での栽培法が研究されている。畑でなく、工場内で大豆を生産できるようになれば、輸送コスト・エネルギーもかからず、収穫→即加工となって効率も良い。何とかこのピンチをしのいで大豆を輸入に頼らない体制を確立して欲しいものだ。

 アメリカ政府のやることは常に目先の自国の利益・政治献金する業界の利益しか考えていない(イラク戦争をはじめ数多くの戦争・軍事介入を見れば明らかだが)ので、こういうことも起こる。驕れるものは久しからず。いかに強大な国家もローマ帝国のようにいつかは滅びる。これから100年、200年先まで栄えていたければ、少しは神経質を勉強して見習った方がよい。

2007年6月18日 (月)

神経質礼賛 197.中学の同窓会

 毎年、高校時代のクラブのOB会にはなるべく出席していて、記録写真を撮ったり、部史のようなCD-Rを自費で作成して主なOBに配布したりしている。しかし中学・高校の同窓会やクラス会はサボりがちである。中学校の同窓会は10年に1回の大会があり、お世話になった恩師の先生方にお会いするのが楽しみで一昨日参加した。

 中学の2年間担任だったU先生とは10年ぶりの再会だった。理科の先生で、昼休みには連珠や将棋の相手をしていただいた。私のようなヒネた生徒は扱いにくかっただろうと思う。「親しみをこめて君の髪の毛を引っ張ったら本気で怒った」と今でも言われる。U先生はその後、いろいろな中学の校長を歴任され、教育長を務められた。私の結婚披露パーティーにお呼びしたが、「今まで数多くの教え子の披露宴に出たけど、君のが最高だね」とお褒めいただいている。妻とは医大の学生の時に結婚して家族だけで結婚式を挙げ、医大を卒業した時に披露パーティーを行った。型にはまった披露宴は嫌なので、仲人なし、ケーキカットなし、お色直しなし、という当時としては常識はずれの結婚披露パーティーだった。結婚行進曲ではなくバッハの管弦楽組曲第1番序曲で入場し、自分で自己紹介し、ワインサービスと称して各テーブルを回ってお客様と話をし、お客様に料理を楽しんでいただいている間、自分たちや音楽仲間が演奏するというスタイルだった。私は妻の伴奏でヴィヴァルデイ作曲「四季」から「春」の第一楽章を演奏し、190話のkeizoさんにも演奏していただいた。学業成績はイマイチでも結婚披露宴の成績は「特優」だったようである。U先生にはぜひ10年後にまたお元気で再会したいと切に願っている。

 同期生だけの二次会には遠路はるばる参加した人たちも加わった。期せずして、その中には私にとってマドンナだった旧姓Mさんもいた。30年ぶりの再会である。Mさんは高校でも同級になり、東京での大学時代に手紙のやり取りはしていたが、結局私の片思いで終わってしまった人である。神経質人間はどうも自己アピールが苦手で、押しが弱い。あきらめて引いてしまいやすい。相手に迷惑をかけないだろうか、嫌な思いをさせないだろうか、そんなことばかり心配してしまう。まあ、そこが良いところでもある。神経質では相手に迷惑をかけることは少ないし男女関係のトラブルに巻き込まれる心配はまずない。若い頃、私のような男は一生結婚することはないだろうと思っていたが、気がついたら結婚し、子供たちは自分と同じ中学に通っている。神経質でもいつかは何とかなるものである。10年後には子供たちと一緒に同窓会に参加したいものである。

2007年6月15日 (金)

神経質礼賛 196.年金データ問題

 国民年金や厚生年金のデータをコンピュータ化する際の不手際で、5000万件分ものデータが誰のものかわからない、というとんでもないことが起こっている。ということは、多くの人々の年金の掛け金が未納扱いにされてしまっているのである。このままでは掛け金を払っていたのに年金がもらえなかったり減額されたりしてしまうことが起こりうる。ただでさえ少子化やらバブル期の年金財源無駄遣いやらで、年金は「国営ネズミ講」に近い状態と化しているのが、これでは「振り込め詐欺」・「ぼったくり」も同然である。各地の社会保険事務所には自分の年金データを確認しようという人々が押しかけ、問い合わせの電話もパンク状態である。世論の批判が強く、マスコミの目もあるので、今までのんびりしていたお役人様たちも対応に大慌てある。長年にわたりこのような不備を放置し続けたお役人様方の鈍感力にはただただ呆れるばかりであり、「神経質が足りない!!」と5000万回叱りつける元気も沸かない。

 TVの報道番組では単純なコード番号の打ち間違いによるデータ入力ミスの例を出していた。こういった重要データをコンピュータ化する際は、複数のオペレータが同じデータを打って照合し、さらに原データと照合するのは常識だが、手抜き作業だったのではないだろうか。転職した人のデータを「名寄せ」せずに別のコードをつけてしまったケースも少なくないらしい。新聞では、漢字の読みがわからない人はいいかげんな読みを入力していた、という実態が匿名職員の談話として載っていた。それ以外に、会社に採用となった際、求人条件の年齢制限に合わせて年齢を偽っていたために別人データとなってしまったようなケースもあるらしい。それにしても、銀行だって預金通帳があり、中には定期的に預金一覧を送付してくれる銀行もあるのに、年金手帳は最初に作った時や転職した時に記載するだけで、支払い状況が全く記載されないのはおかしな話である。コンピュータ化したからには銀行の通帳記帳のように端末機に入れれば支払い状況や現時点のルールでの年金支給額予定がわかるようにするのが当然であろう。

 そういえば、今年度は社会保険事務所の職員のメンタルヘルス相談を委嘱されていたのだった。この騒動で具合が悪くなった職員からの相談が急増しそうである。

正直言って、職員のメンタルヘルス相談より、私自身の年金がどうなっているか調べたいところである。神経質ゆえ、会社員時代を含めて過去の全ての給与明細は保管しているので、年金掛金給与天引きの証拠になるとは思うが。この騒動が収まってから確認に行く予定である。

2007年6月11日 (月)

神経質礼賛 195.準ひきこもり

 昨年に引き続き(79話)、今年も「ひきこもり」の講義を保健所から依頼されてしまった。本来は児童・思春期を専門とする精神科医の得意分野であり、私にとっては専門外ではあるが、やむをえない。

 ひきこもりについていろいろ調べていくと、最近では「準ひきこもり」なる言葉があるらしい。富山国際大学講師の樋口康彦氏が提唱した概念で、大学には登校するものの家族以外の他者との交流がほとんどなく、対人的な社会経験が不足している状態をいうのだそうである。樋口氏自身がこの準ひきこもりだったという。ただし、この言葉は用語として定着しているわけではない。対人交流が乏しく表面的で趣味に没頭するいわゆる「おたく」と重なる部分も大きいだろう。準ひきこもりの特徴は、たくましさに欠け男性的役割を身に着けておらず、自己中心的で被害者意識が強いという。そして、「処方箋」としては、①挨拶を心がける。②サークルやボランティアで人との交流を持つ。③美容室で髪をカットし、ブランド品を身につける。④大学教授や公務員など自己主張に乏しくても勤まる職業に就く。だそうである。

 ここで①や②は極めて常識的な処方箋である。森田正馬先生の言葉「外相整いて内相自(おの)ずから熟す」で健康人らしくするよう指導することにも通じる。しかし、③の美容室でカットするとかブランド品を身につける、というのには少々疑問を感じる。④の大学教授に至っては、全く現実的ではない。教授になるためには自己中心的である(80話参照)ことは必要だろうが、他人を蹴落とすような強い自己主張がなくてはなれないのが普通である。自己主張をしなくてもよい(というよりしてはいけない)点で向いているのは大学職員や公務員であれば技官であろう。

 神経質な人でも、対人恐怖のあるような人ではこの準ひきこもりに該当しそうな人はいる。しかし、神経質な人の場合、森田正馬先生の高弟・高良武久先生の言われたように、自己の「病的」状態に対して反省批判能力があり、これを克服して正常に戻そうとする強い意欲を持っているものである。ひきこもり状態にいつまでも甘んじることはなく、常に「これではいけない、何とかしなくては」と思っているのである。従って、学校卒業・就職などをきっかけに何とかなる場合が多く、中にはあえて苦手な営業職に就いて成功する人もいる。初めてプールに飛び込む時は怖いものだがやってしまえば何でもない。苦手な仕事も同じことである。

2007年6月 8日 (金)

神経質礼賛 194.ネットカフェ難民

 勤務先の病院がある田舎町にも昨年ネットカフェが誕生した。日曜日には開放病棟の若い患者さんたちがネットカフェに外出するようになった。携帯電話でもメールはできるが、長いメールを作成したりホームページを閲覧したりするのはやはりパソコンの方がはるかに便利である。私はまだ利用する機会はないが、仕事で出張が多いような人にとっては助かるだろう。

 都会のネットカフェや漫画喫茶では、住居を持たないフリーターが寝泊りすることが社会問題化していて、ネットカフェ難民としてテレビや新聞で報道されている。平成19年5月18日付毎日新聞夕刊特集ワイドは「ネットカフェ」ルポで「安心感求め狭小空間へ」という大きな見出しが付いていた。取材に応じた男性は39歳で工場の深夜勤専門。手取り月収は22万円位。家賃が高いので家財道具はレンタルスペースに預け、ネットカフェに定住しているという。お金は全く残らず、ギリギリの生活だそうである。しかし、このケースは収入的にはかなり恵まれている方ではないだろうか。古い安アパートを探せばいくらでもあるはずで、一人暮らしなのだから節約すれば月15万円位の生活費で十分やっていけるし貯金もできるのでは、と疑問に思う。結局、わずらわしい人間関係を避け、掃除やゴミ出しなどの面倒を嫌ってのことなのではないかと思う。その点、神経質人間ならば、「もし病気になったらどうしよう」「将来が不安だ」と考えて節約して少しでも貯金する、という行動に出るだろう。他のいくつかの報道を見ると、ネットカフェは現実には月10万程度の収入でその日暮らしの若者たちの居場所になっているらしい。お金が尽きると、ファーストフード店にコーヒーおかわりで長時間居座る、いよいよその金もないと公園のベンチで野宿ということだ。こうなるとホームレス予備軍である。

 都会の一等地には議員様や高級公務員様向けの超格安の議員宿舎・公務員宿舎があり、それも空室がかなりあるという。実にもったいない、税金の無駄遣いである。一戸につき数人ずつ「ネットカフェ難民」に住んでもらえば、強力な支援策になり、空室にしておくよりは多少でも家賃収入が国や地方公共団体の収入となるわけだから、一挙両得ではないかと思うのだが、このアイデアはいかがであろうか。

2007年6月 6日 (水)

神経質礼賛 193.老外科医先生の最期

 現在勤務している病院には、精神科の常勤医が4人、一般内科の常勤医が1人いる。一般内科の先生は元産婦人科の開業医で、長年有床診療所で手広くやっておられたが、出産に対応するのが困難となって内科・婦人科の外来だけにして、さらにご高齢で後継者もないため診療所を閉鎖し、勤務医となっておられる。

以前は老外科医のO先生が勤務されていた。一時、常勤医は院長と私とO先生の3人だけという時期もあった。そのO先生は日本で開業していた時期もあったが、南米のボリビアに長いこと住んで、現地の人々の医療にあたっておられた。外科・内科だけでなく出産など何でもこなして来られた。口ひげをはやし、古武士のような風貌であった。京大出身ということもあってか反骨精神旺盛で、医療行政については歯に衣着せぬ厳しい批判をされていた。入院患者さんには「おう、元気か」と気さくに声をかけ、人気があった。

「外科医は何も知らないが何でもやる。内科医は知っているが何もやらない。ついでにね、精神科医は何も知らないし何もやらない、だね」といたずらっぽく笑いながら言っておられたのを思い出す。なかなかツボをついた発言である。しかし、一見ズボラのように見えても、何もしないのが最善、ということは精神科ではよくあるのだ。統合失調症の薬でもうつ病の薬でも、効果が出始めるまで、2週間から1ヶ月はかかる。患者さんも焦るだろうが、治療者もまだるっこく感じる。特に私のような神経質人間にとってはじれったく感じる。そこをガマンすることが大切である。あわてて薬の量を増やしてしまうと大きな副作用が出てしまうこともあるのだ。

O先生の口癖は「もう、やりたいことは全部やった。あとはオツリの人生だよ」であった。超ヘビースモーカーの先生の最期はやはり肺癌だった。週1回の当直勤務をしておられたが、当直中に呼吸不全となり、ご自分の後輩が呼吸器科部長をしている市立病院に入院。一時は小康状態で、私がお見舞いに行った時には「よく来てくれたねえ」といつもの笑顔を見せられたが、それから長くはなかった。遺言で葬儀は行われず、しばらくしてご自宅にお線香をあげに行った。香典返しは先生からの最期のメッセージとフラワーギフト券であった。先生らしく颯爽と逝かれたのだな、とつくづく思った。

2007年6月 4日 (月)

神経質礼賛 192.森田的「生と死」

 生と死について考える時、まず思い浮かぶのはデーケン先生の講義である。アルフォンス・デーケン先生(1932年ドイツ生まれ)は上智大学教授として長年「死の哲学」などを教えておられた方で、カトリックの神父さんでもある。終末期医療の改善やホスピス運動の発展に尽くしてこられた。私も一度、医大で講義を聞かせていただいたことがある。死の準備教育についての講義だった。「死」についての教育は「生きる」ことについての教育でもある。普段から死について考え、準備することでよりよく生きていくことができる。よく死ぬことイコールよく生きることである。つらい時にもユーモアを絶やさず、「にもかかわらず笑うこと」の大切さを説いておられたように思う。

 一方、森田正馬先生は、肺結核と脊椎カリエスに苦しみながらも俳句の世界で大きな足跡を残した正岡子規(1867-1902)を引き合いに出して、生と死について次のように話されている。

 正岡子規が、七年間、寝たきりで動く事ができず、痛い時は泣きわめきながら、しかも俳句や随筆ができたというのは、これが「日々是好日」ではなかったろうかと思うのであります。

                     (白揚社:森田正馬全集第5巻 p.559

 仏教に涅槃という事がある。一般には死を意味するのであるが、その反面は、「生き尽くす」事であり、「生をまっとうする」事である。子規も命の限りを尽くして、涅槃すなわち大往生を遂げたのである。僕も著書が今度十二冊目になったが、僕が死んでも単に灰になるのではない。著書となって残るのである。

 神経質は、机上論の屁理屈を押し進めているうちに、病の悩み死の恐怖という一面のみにとらわれ、動きもとれなくなったものが、一度覚醒して、生の欲望・自力の発揮という事に気がついたのを心機一転といい、今度は生きるために、火花を散らして働くようになったのを「悟り」というのである。             (白揚社:森田正馬全集第5巻 p.705

 デーケン先生はカトリックに基づいた哲学であり、森田先生は仏教思想をバックボーンに持つ精神療法であるが、死生観については、不思議と共通する部分があるように思う。森田療法に根ざしたガンの治療法である伊丹仁朗先生の「生きがい療法」ともなれば、さらに近くなる。「生きがい療法」ではガンの進行・再発を恐れながらもその日一日できることを積み重ねていく、ということに加えてユーモア・笑いを重要視している。末期がんの患者さんたちもつらい治療ネタからユーモアたっぷりの小話を作ったりしている。その結果、免疫力が活性化し、予後が改善するばかりでなく、生活の質も向上するという。

 神経質人間は、人一倍死を恐れる。生物学的な死ばかりでなく、社会的に人から相手にされなくなる社会的死を極端に恐れるのが強迫観念の心理でもある。死は怖いままに、生の欲望に沿って行動して自己の存在意義を示していくのが森田的生き方である。

2007年6月 1日 (金)

神経質礼賛 191.千の風になって

 昨年の紅白歌合戦でテノール歌手の秋川雅史さんが「千の風になって」を歌って話題となった。CDはベストセラーとなった。その後もこの歌の人気は続いており、ロングヒットになりそうである。とても情感深い歌であるが、クラシック界の歌手が感情的になり過ぎずに歌っているのも魅力なのだろう。

 この歌に関しては、最近TV番組や新聞でいろいろ取り上げられている。平成19年5月28日付読売新聞には、訳詩・作曲をした作家の新井満さんの談話が載っていた。奥さんを亡くした友人を慰めようと思って作った歌だという。その奥さんの追悼文集で作者不詳の原詩を知り、死者が生者を慰めるという発想に感動して、訳詩と曲を作って私家版CDとして出したところ、大反響を呼び、多くの歌手が歌うようになったということである。人間の死は、再生でもあり、無数の命の集合体の中に帰っていくことだ、と新井さんは言う。

 この歌は宗教にかかわらず、誰でも自然な感情として受け入れられるところが素晴らしいところである。親しい人を亡くした悲しみを癒してくれるばかりでなく、これから死んでいく我々にとっても死の恐怖を和らげてくれる力を持っているように思う。

 考えてみれば、我々の体を構成している原子の大部分は、外部から食品として多くの命をもらって置き換わっていく。酸素だって多くの生命たちと共有して入れ替わっている。長い目で見れば、亡くなった人を構成していた原子は自然に帰って多くの生命に取り込まれていくのだ。そんな風に思いを馳せれば、自分の命も人の命も動植物の命も一体であり、大切にしていかなければならないことは自明の理で、破壊行為や犯罪や戦争が極めて愚かなことは、神経質人間でなくてもわかるはずである。

 この風が日本ばかりでなく、国境を越えて世界中を吹きわたることを願わずにはいられない。

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