神経質礼賛 193.老外科医先生の最期
現在勤務している病院には、精神科の常勤医が4人、一般内科の常勤医が1人いる。一般内科の先生は元産婦人科の開業医で、長年有床診療所で手広くやっておられたが、出産に対応するのが困難となって内科・婦人科の外来だけにして、さらにご高齢で後継者もないため診療所を閉鎖し、勤務医となっておられる。
以前は老外科医のO先生が勤務されていた。一時、常勤医は院長と私とO先生の3人だけという時期もあった。そのO先生は日本で開業していた時期もあったが、南米のボリビアに長いこと住んで、現地の人々の医療にあたっておられた。外科・内科だけでなく出産など何でもこなして来られた。口ひげをはやし、古武士のような風貌であった。京大出身ということもあってか反骨精神旺盛で、医療行政については歯に衣着せぬ厳しい批判をされていた。入院患者さんには「おう、元気か」と気さくに声をかけ、人気があった。
「外科医は何も知らないが何でもやる。内科医は知っているが何もやらない。ついでにね、精神科医は何も知らないし何もやらない、だね」といたずらっぽく笑いながら言っておられたのを思い出す。なかなかツボをついた発言である。しかし、一見ズボラのように見えても、何もしないのが最善、ということは精神科ではよくあるのだ。統合失調症の薬でもうつ病の薬でも、効果が出始めるまで、2週間から1ヶ月はかかる。患者さんも焦るだろうが、治療者もまだるっこく感じる。特に私のような神経質人間にとってはじれったく感じる。そこをガマンすることが大切である。あわてて薬の量を増やしてしまうと大きな副作用が出てしまうこともあるのだ。
O先生の口癖は「もう、やりたいことは全部やった。あとはオツリの人生だよ」であった。超ヘビースモーカーの先生の最期はやはり肺癌だった。週1回の当直勤務をしておられたが、当直中に呼吸不全となり、ご自分の後輩が呼吸器科部長をしている市立病院に入院。一時は小康状態で、私がお見舞いに行った時には「よく来てくれたねえ」といつもの笑顔を見せられたが、それから長くはなかった。遺言で葬儀は行われず、しばらくしてご自宅にお線香をあげに行った。香典返しは先生からの最期のメッセージとフラワーギフト券であった。先生らしく颯爽と逝かれたのだな、とつくづく思った。
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