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2007年7月 2日 (月)

神経質礼賛 201.塞翁が馬

 前話の「善悪不離 苦楽共存」と同様に認知療法的な作用を持つ言葉として森田先生の言葉以外では「塞翁が馬」という言葉がある。この故事は高校の漢文の教科書にもあったので御存知の方も多いと思う。塞翁とは古代中国の北方の砦に住んでいた占いを得意とする老人である。塞翁が飼っていた馬が逃げてしまったので周りの人たちが慰めると、塞翁はこのことが福となることを予言した。逃げた馬は駿馬を連れて戻ってきたので、周りの人たちはお祝いすると、塞翁はこのことが禍となることを予言した。塞翁の息子が駿馬に乗っていて落馬して足を折ってびっこになってしまった。しかし塞翁はこのことが福となると予言した。その後、戦争が起こり、若者たちは兵隊に取られて戦死したが、塞翁の息子は足が悪かったために兵役を免れ、生きのびることができた。福と思われたことが禍となることがあり、またその逆もありうることをいう。従って一喜一憂することはない、ということである。

 神経質人間はつい自分ばかりに悪いことが起こっていると考えがちであるが、実際にはそれほど悪いことばかりが起こっているわけではない。ちょっと見方を変えて、良いことにも目を向けて、減点法でなく加点法で考えていけば、気分も楽になってくるものである。イヤなことがあってもガッカリすることはない。この故事のようにそれが福の元であるかも知れないのだ。それに確率的に考えても、コイン投げでウラ面ばかりが続くはずはなく、長い目で見れば表もウラも同程度に出るはずだ。悪いことが続いたら、いつかいいことが続くと思えばよい。なお、神経質人間は悪い方も考えて準備するので、大損害は避けられるという長所もあるのだ。

逆に無神経な人、「鈍感力」過剰の人は楽観しすぎて禍の芽を見落としてひどいめにあう可能性がある。こちらの方は救いようがない。

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