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2007年8月31日 (金)

神経質礼賛 220.神経質は仕事の為にす 治るためにせず

 この言葉は、神経症の症状に苦しみ、何とか治そうとしている人にとっては厳しい言葉であるが、真実を突いている。「自己の病的状態を克服して正常に戻そうとする強い意欲を持っている(高良武久)」のが神経症患者さんの特徴ではあるが、治そう治そうと焦ること自体が症状へのとらわれを強め、かえって症状を悪化させてしまうのである。症状を治そうとすることをやめて、苦しくてもやるべき仕事をやっていく習慣がつけば、森田先生の治療を受けて強迫観念が改善した劇作家・倉田百三のように「治らずに治った」ということになってくるのである。

 森田先生は、入院患者さんたちの前で、退院者からの手紙を披露した後で、次のように述べている。

 掃除でも風呂焚きでも、病氣を治すために働いて居る間は病氣は治らない。病氣を治さうとする事を忘れた時に、病氣がなくなって居るのである。退院後も、周囲に適應して行く間は再発はないが、再発しないために、一定の模型的の生活状態をとって居る間は、病氣は本当に治って居ないのである。  (白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.264

 せっかくの高性能エンジンも空ぶかししていたのでは何の役にも立たない。症状にとらわれている状態はまさにエンジン空ぶかしに等しい。しかし、次々と仕事に手を出していき、注意が自分自身でなく周囲に向かうようになった時、神経質という高性能エンジンは最大パワーを発揮するようになるのである。

2007年8月27日 (月)

神経質礼賛 219.冷蔵庫も夏バテ?

 8月も終わりに近づいているというのに、まだまだ厳しい残暑が続いている。先週は最高気温が36℃を超える猛暑日があったが、その日の昼間、自宅の冷蔵庫が止まってしまった。妻は大慌てである。6年前に家を新築する際、妻の希望でキッチンと一体デザインの冷蔵庫にした。埋め込み型で見た目がスッキリしているので、妻はとても気に入っていたが、冷蔵庫はいずれ故障したり買い換えたりする必要があるので、私は正直言って厄介なことにならなければいいが、と心配していた。妻は業者に電話したが、そもそも流し台を作っているメーカーであり、冷蔵庫は家電メーカーのOEM品のため、冷蔵庫のメーカーのサービスセンターと連絡が取れるまで手間取った。「冷凍がとけてしまうから」ともっともらしい理屈をつけて子供たちはちゃっかりアイスを食べまくる。そうこうしているうちに夕方になると、なぜかまた冷蔵庫は動き出した。翌日、サービスセンターから点検に来てもらい、中を開けて点検してもらうと、コンプレッサー周囲に埃が溜まっていて、それが停止した原因らしいことがわかった。サービスマン氏によれば、「今年は同じようなケースで呼ばれることが多い」とのことである。ただでさえ、一体埋め込み型だと、放熱が悪く、コンプレッサーに負担をかけやすい。それに、見えないから埃が溜まっていても全く気づかなかったわけである。ともあれ、冷蔵庫の夏バテ原因がわかったので一安心である。この暑さでつい冷たい飲み物を、ということで、いろいろ詰め込んで、冷蔵庫を酷使していた。もう少し整理して、中に入れるものを減らし、たまにはコンプレッサー周囲の清掃もしてあげる必要がある。神経質の仕事がこれでまた一つ増えた。

2007年8月24日 (金)

神経質礼賛 218.解離性障害

 朝青龍の診断だが、今度は精神科医が診察して「解離性障害」で昏迷状態とのこと。モンゴルに帰国して治療を受ける、という本人の思惑通りの流れになりそうだ。

 犯罪者の精神鑑定で多様な診断がついて「精神科の診断はあてにならない」と世の批判をあびることは多々あるが、今回もしかり、である。特に最近のDSM(米国精神医学会の診断基準)やICD(世界保健機関の診断基準)では病因論ではなく状態像から機械的に病名をつけるため、典型的な精神病ではない人格障害系では診断が分かれやすいように思う。診察時の状況や気分で言動や態度が変わるからである。相手を見て態度を変えることもよくある。

解離性障害とは従来診断のヒステリーの一症状である。ヒステリーとは子供っぽい人格未熟な人間に起こる精神症状であり、成人のヒステリーでは演技性人格障害の診断が併記されることが少なくない。今までヒステリーについては何度か述べているが、ヒステリーには転換症状と解離症状がある。転換症状は、子供が嫌なことがあった時に「お腹が痛い」「頭が痛い」というようなもので、「目が見えない」とか「歩けない」とか「話せない」などという身体症状で表現される。解離症状は、早い話が「ここはどこ?私は誰?」状態であって、記憶障害もみられることがある。たまにこの種の人が警察に「保護」されて精神科に連れてこられることがあるが、うかつに「治療」しようものなら、後で「サラ金に追われて」の演技だったと判明するようなことになる。いずれにせよ、ヒステリーには疾病逃避・疾病利得という心理が働いており、詐病・仮病と紙一重のことがよくあるので、真の診断をつけるのは困難である。私は朝青龍の「症状」が演技や詐病であることを強く疑っている。自宅を出て車に乗る時の憮然とした表情や動作からすると、「昏迷状態」には疑問を感じる。

 ともあれ、今まで種々の問題行動に目をつぶって彼を横綱にしてしまったのがいけなかったのである。同じ外国人横綱でも、引退した、体格や顔に似合わず小心者の武蔵丸は愛すべき神経質横綱だったのかもしれない。

2007年8月20日 (月)

神経質礼賛 217.四方八方に気を配るとき即ち心静穏なり

 この言葉は、私が患者さんの日記指導でよく書く言葉である。それまで神経症の症状にとらわれて、頭の中が症状のことでいっぱいだった患者さんが、種々の作業に手を出していき、周囲に気を配るようになってくると、ふと症状にとらわれていない自分に気がつく瞬間が出てくる。こうなればしめたもので、注意が内側から外側に向かうようになって、結果的には症状も気にならなくなってくる。さらには神経質を生かして、仕事や生活がうまくいくようになるのである。この言葉の後には「自転車の走れる時、倒れざるが如し」と続く。自転車はこぐのを止めたら倒れてしまう。周囲に気を配っていれば、やるべきことは次々と見つかってくる。倒れるヒマもなくなるものだ。

 浜松医大の森田療法では、作業ばかりでなく、レクリエーションの時間があった。グランド、テニスコート、体育館を授業やサークル活動で使われていない時間帯に借りて、ソフトボール、テニス、バレーボール、バトミントンなどいろいろなスポーツをすることができた。

 ある日のレクリエーションはテニスだった。参加している患者さんは神経症の方だけでなく、統合失調症、うつ病、アルコール依存症、認知症など多岐にわたっていた。気がつけばテニスをしているのは神経症の患者さんばかりで、他の患者さんたちはベンチに座っている。そこで、リーダーの患者さんに注意すると、テニスの上手な患者さんを中心に初心者向けのテニス教室が始まった。他の森田グループの患者さんたちは面白くなさそうに球拾いをしている。そして使っているコートは1面だけで、後のコートは空いている。そこでまたリーダーを呼んで注意を与えた。球拾いをしていた人たちが交代で空いたコートを利用し、ベンチに座っていた精神病の患者さんを誘って一緒に打つようになった。こうなれば、神経症の患者さんたちは、他の患者さんたちの役に立つことができるし、自分たちも交代で楽しむことができる。コートも無駄なく使えるようになったわけである。神経質を生かして、周囲に気が配れるようになれば、もはや病気ではなくなっている。人並み以上の健康人である。

2007年8月17日 (金)

神経質礼賛 216.エスカレーター事故

 エレベーターでの死亡事故がクローズアップされ(78話)、安全管理が重視されるようになったが、今度は川崎駅でエスカレーターのステップの垂直部分に穴があいていて、サンダル履きの女性が挟まれて足の指を切断するという、何とも気の毒な事故が起こった。昇りエスカレーターでは、外側に手を伸ばしていた子供が手を挟まれるような事故や急停止による事故は時にあるが、このようなケースは初めてなのではないかと思う。ステップの水平部分には大きな加重や衝撃が加わるが、垂直部分には加重や衝撃が加わることは通常ありえない。しかし、最近は車輪付きのいわゆるキャリーバッグを使用する人が多くなり、エスカレーターでは急ぐ人のために片側をあけておくことが多いため、昇りでは自分より一段下にキャリーバッグを置く人が多い(68話)。ガツンと勢いよくバッグをステップの垂直部分にぶつける人もいる。そもそも垂直部分への加重や衝撃は想定外なので、こういったことで破損した可能性もありそうだ。

 私はデパートやショッピングセンターではエレベーターに乗ることは少なく、エスカレーターが多い。別に閉所恐怖症というわけではないが、地震や停電で閉じ込められたら困るという心配と、いつ来るかわからないエレベーターを待っているよりはエスカレーターで着実に進む方を好むという理由からであろう。この事故を契機に、エスカレーターについても神経質に安全管理を徹底してほしいものである。

2007年8月13日 (月)

神経質礼賛 215.お盆休み

 TVのニュースを見ると、お盆休みで海外へ出かける人の話や帰省ラッシュの話題ばかりである。私は長年、夏休みがない生活が続いているので、別世界の出来事のように感じる。朝の通勤列車を並ぶ列にも普段見かけるサラリーマンたちの顔ぶれはなく、家族連れが目立つ。勤務先の病院がある町の駅前には夏祭りのやぐらが組まれ、提灯が並んでいる。路線バスも夏祭り期間はかなり運休になるらしい。クリニックの先生方がお休みするので、この時期は急に調子が悪くなったり、うっかり薬を切らしたりした患者さんが、ウチの病院に飛び込んでくることがある。血液検査の外注先がお盆休みで検体が出せないため、不自由する。しかし、休めないのは我々だけではなく、給食関係の業者さんや清掃・クリーニング関係の業者さんも同じである。

今週は土日・火水と当直勤務が続くため、病院に缶詰状態であり、例年出席していた高校のOB会も欠席してしまい、ますます季節感がない。家に帰れば、暑い中で三度の食事の支度と子供の世話で煮詰まった妻が爆発寸前である。精神療法(?)にも限界がある。すでに危険水域に達しているようだ。時々「外食」を処方する必要がある。

この時期は交通事故・水難事故が多い。休みの開放感から来る気の緩みが一因なのだろう。神経質の皆様には、神経質を生かして、充実した楽しい休みを過ごされることを望みます。

2007年8月10日 (金)

神経質礼賛 214.立秋過ぎ

 一昨日、立秋を迎えたが、熱帯夜が続き、日中の暑さも厳しい。20年、30年前だったら、立秋過ぎ位から朝のひんやりした空気を感じることができたのだが、温暖化・ヒートアイランド現象のためか、最近は9月になっても朝のひんやり感はなかなか得られない。4月のうちから30℃を越える日があり、10月でも日中は30℃を越えたりするのだから、体感的には1年の半分が夏になってしまっているようである。そして快適な春・秋はその分短くなってしまっている。俳句を作る方々は季語に苦労されているのではないだろうか。

 街中の暑さは緑化をすすめることでいくらか改善するのではないかと思う。そういう我が家は狭小住宅なので、隣家との境界を兼ねた細長い花壇があるだけである。6年前に家を建てた時、ここに何を植えるかで妻と意見が合わなかった。建築家のプランではコニファー3-4本を植え、下草にアイビーを植えることになっていた。私もそれでいいかなと思ったのだが、妻は木を植えたいと言う。山法師がいいのではとも言うが、幅が狭い場所だし、大きくなれば隣家にはみだすのは目に見えているので、私は反対した。そのままでは殺風景なので、とりあえずアイビーだけでも植えておくことで妥協し、1鉢200円の小さなアイビーを4つ買ってきて植えたのだった。ところが、このアイビーの生命力は恐ろしい。どんどん枝葉を伸ばして、ちょっと油断するとブロック塀を乗り越えて隣家に侵入していくは南側道路にはみ出していくはで夏場には月1回はヘアカットならぬアイビーカットをしてやらなくてはならない。1回のカットで45ℓゴミ袋が一杯になる。私の仕事が増えてしまっている。これはヨミが甘かった。最近は屋上緑化用の草や軽い土が開発されているらしい。いずれは我が家もベランダや屋上を緑化したいと思っている。

2007年8月 8日 (水)

神経質礼賛 213.朝青龍が神経衰弱??

 かねてより数々の傍若無人の振る舞いや種々の問題行動のあった、相撲の横綱朝青龍が巡業をサボって故国モンゴルでサッカーのイベントに出ていたことが発覚し、2場所出場停止の謹慎処分を受けた。ところが、知り合いの医師が「神経衰弱・うつ状態」と診断し、故国で治療を受けさせるべきだと言っているという。この「神経衰弱」という病名は現在ではほとんど使われない病名なので、何だろうと思われた方も多いだろう。今回の件がなくても普段の彼の状況からして「反社会性人格障害」および「自己愛性人格障害」の診断がつく可能性がある。今回の「憔悴して落ち込んでいる」のがもし本当だとしたら(演技・仮病でないとしたら)従来診断の「心因反応」を付けるところである。DSM(アメリカ精神医学会の診断基準)では経過をみた上で「急性ストレス反応」あるいは「適応障害」という診断となってくるであろう。

 ここで「神経衰弱」という病名について簡単に述べておこう。精神科で最も権威のある弘文堂「新版精神医学事典」によると、神経衰弱は1880年にアメリカの医師ベアードが記述した症候群で、主症状は、疲労感、頭痛・頭重、不眠、肩こり、耳鳴り、めまい、手指や眼瞼の振戦、知覚過敏、注意力散漫、記憶力減退、被刺激性亢進、腱反射亢進などで、本態は刺激性衰弱とされる。この大部分は森田正馬のいう普通神経質の型に含まれる、とのことである。ちなみにこの項目を書いたのは私の恩師・大原健士郎先生である。そもそも、神経症の範疇の古い病名であり、小心、内向的、取越し苦労、といった神経質傾向の人に起こるものであり、朝青龍のようなパーソナリティではありえないことである。神経質人間としては朝青龍などと一緒にされては迷惑千万である。神経質は彼のように人に迷惑をかけることはしないものである。

 今朝の新聞報道では、相撲協会診療所の医師が紹介した精神科医の診断で「急性ストレス障害」となっていたが、これは妥当なところである。もちろん演技や仮病でないことが前提であるが。

2007年8月 6日 (月)

神経質礼賛 212.恐怖突入

 夏はプールの季節である。私は運動神経が鈍く、水泳も苦手だった。小学校6年の時に友人と毎日学校のプールに通って特訓してやっと50m泳げるようになったのだが、頭から飛び込むというのがなかなかできなかった。みんなやっていることだから何でもないはずなのだが恐怖心が先に立ってしまうと足はすくむし体は硬くなるし、どうしようか、とモタモタすることになる。しかし、思い切ってやってしまえば、別段恐れることでもないことがわかってくるものである。恐怖の中に飛び込んでしまえば、もう恐怖ではなくなっているのである。

 神経症にみられる種々の恐怖症も、いわば「案ずるより産むはやすし」なのであるが、恐怖のために行動しないでいると、ますます恐怖感が強まってしまうものである。

 私が浜松医大に勤務していた頃、重症の不安神経症(パニック障害・広場恐怖)で入院してきた患者さんがいた。父親が心筋梗塞で急死したことをきっかけに、動悸やめまい感などの症状が出現し、薬物療法では改善しないため森田療法希望で入院となった30代男性A氏である。当時、作業療法を行う畑は病院から1km以上離れた農家の畑を借りていたので、この人にとっては恐怖であった。病院内ならば何かあってもすぐに助けてもらえるだろうが、もし、畑との往復で症状が出たらどうにもならない、ということで、絶対に畑作業には参加しようとしなかった。私が外来診察していると、病棟から内線が入った。「またAさんが畑に行きません」と。これでは入院していてもよくなるはずはない。外来の患者さんには待ってもらい、A氏の部屋に行くと、A氏はフトンを被って寝ていた。私はフトンをはがして恐怖におののくA氏をベッドから引きずり降ろし、有無を言わさず畑へと引っ張っていった。「もうダメです。心臓がバクバクいってます」という泣き言にも、「大丈夫だから、その先の交差点まで行こう」と引っ張る。心電図で異常がないことはわかっているのでこちらも強気である。ヤクザなようだが、治ってもらうためにはこの位の気迫は必要である。私自身神経質であるから、今ここで「恐怖突入」させれば良くなる、というツボは心得ている。こんなことを3回繰り返してA氏は畑に行けるようになり、めきめき良くなった。「ちっとも良くなっていません。苦しいだけです」と本人は言うが、入院3ヵ月後には片道3時間ほどかかる外泊も問題なくでき、森田グループのリーダー役もこなせるようになった。

 実はこの話にはオチがつく。A氏の退院の見込みがついた時に、私が急に転勤になってしまった。後任の先生は、「調子が悪ければやらなくてもよい」という対応だった。すると、たちまち症状は逆コースをたどった。後で聞いたところ、A氏は森田療法患者の最長入院記録を作ってしまったということだ。

 物事に慎重なのは神経質の美点ではあるが、苦手なことであっても恐怖を感じることであっても必要なことは先送りせずに思い切って恐怖突入することが大切である。

2007年8月 3日 (金)

神経質礼賛 211.松下幸之助のこと

 徳川家康に負けないような現代の偉大な神経質人間として松下幸之助(1894-1989)について一度書いておかなければならない。彼は神経質を生かして一代で成功をおさめた人だったと考えられる。

 松下幸之助は8人兄弟の末子として生まれ、大変かわいがられて育った。裕福な家庭で不自由もなかった。人をうらやんだりいじけたりすることなく、素直な心の持ち主であったのはこうした育ちのよさにもよるのであろう。ところが4歳の時に父親が米相場で失敗して財産を失い、一家は辛酸をなめることになる。幸之助自身も小学校4年で中退し、単身大阪の火鉢店に奉公に出される。さらに次々と兄や姉が早死にするという不幸にも見舞われる。一方、父親は家族の不幸をかえりみず、小金を手にすると、相場につぎ込んでいた。幸之助は16歳の時から7年間、現在の関西電力で働いた後、妻とその弟と3人でソケットの開発を始めた。当初はまるで売れずに苦労したが、ソケットの技術と関連した扇風機の部品の注文が入り、その利益で松下電器器具製作所を創業してからは次々とヒット商品を送り出していった。創意工夫と細かな配慮は神経質人間ならではのことである。幸之助の性格は若い頃は短気で直情的な面もあったが、自身が言うように神経質で気弱な面も持っていた。父親が反面教師となり、神経質な性格もあって、投機やバクチを嫌い、借金に頼らない堅実な経営哲学になったと考えられる。

幸之助は「ダム経営」という考え方を提唱した。これは資金・人材・技術・在庫などの面で適度にゆとりを持った経営のことであり、突発的なトラブルにも影響されにくく、安定成長を目指すものである。最近の新潟県中越沖地震で自動車部品メーカー「リケン」の柏崎工場が被害を受けたところ、国内の全ての自動車メーカーの生産ラインがストップしてしまったが、これは目先のコストダウンばかりにとらわれて、リスクマネージメントが欠如していたことによるものである。幸之助の「ダム経営」の考え方を活用していればこのようなトラブルによる被害は最小限度に抑えられたであろう。

また、成功に慢心することなく、「失敗の原因はわれにあり」と考え、就寝前の一時間を一日の反省にあてていたという。「ナショナル」「パナソニック」は神経質が作り出した世界の一流ブランドだったのである。

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