神経質礼賛 230.雑念即無想
森田正馬先生の時代には雑念が浮かんで集中できない、読書ができなくて困る、といった雑念恐怖を訴える人がよくいた。なぜか最近はそういったことを訴える人は少ないように思う。ライフスタイルの変化も一因なのだろうか。時間に追われる日常生活の中ではじっくり読書三昧できるまとまった時間が取りにくい。何かしていても電話などの割り込みが入ったりする。
私が雑念で困ったのは、かつて医師国家試験を受けた時のことである。なぜか突然、頭の中でチェンバロの曲が鳴り出した。その数ヶ月前に買ったCDに入っていたスカルラッティのソナタニ長調の旋律である。もちろん幻聴ではなく、ついつい想起してしまうのである。よりによって大事な試験の最中であるから気になって、集中しようと焦れば焦るほどかえって集中できない。どうしようもないので放置していたらいつの間にか曲は消散していた。試験も何とか合格できた。
雑念恐怖に限らず強迫観念はどれでも追い払おうと焦れば焦るほどますます気になってしまうのである。強迫観念を体験したことがない人でも、わかりやすい例として「鼻尖恐怖」がある。自分の鼻が視野に入って気になって仕方がないというものである。どんなに鼻が低い人でも視野障害がない限り必ず鼻が視野に入るはずである。これを一旦意識し始めると気になって仕方がないものである。しかし、見えるのが正常なのであってどうにもならないのだから「不可能の努力」はやめて放っておいて日常生活をしていれば、いつしか気にならなくなっているものである。雑念はあっても相手にせずに放置しておけば無想の状態になり、結果的には集中できるのである。
最近のコメント