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2007年10月29日 (月)

神経質礼賛 240.不安常住

 私の勤務先から少し離れた町で、夫婦でクリニックを開業している先生方がおられる。御主人は外科、奥さんは皮膚科が御専門である。御主人も奥さんも浜松医大オーケストラでコンサートマスターを務め、私も御主人の後にコンサートマスターを務めたという御縁がある。そのクリニックの町には精神科の病院やクリニックがないため、精神疾患の患者さんをよく私宛に紹介してこられる。

 先日、60代の女性がうつ病の疑いということで紹介されてきた。しかし、よくよく話を聞いてみると神経症の対人恐怖(社会不安障害)だとわかった。小心・内向的・取越苦労しやすい性格で、若い頃から対人恐怖のため人と接することを極力避けてきた人である。子供さんが学校に行っている頃は、PTAの役は全て断り、授業参観だけは仕方なく出ていたという。症状が悪化したのは、御主人が定年退職してからである。買物に出かけて知っている人に話しかけられるのが嫌だということで、優しい御主人がすべて買物などの用事を足してくれるようになったところ、ますます外出することが不安でできなくなってしまった。ところが、近々、親戚の結婚式の予定が入り、さらに自分の息子さんが結婚相手を自宅に連れて挨拶に来る予定も入り、それらのことを考えると心配で恐ろしく、食欲も落ち、夜も眠れなくなって、一見うつ病ではないか、という状況になっていたのである。「たけしの本当は怖い家庭の医学」の症例(186話)とよく似ている点がある。クリニックですでに処方されていたSSRIのパキシルはうつ病だけでなく社会不安障害にも有効とされているので、それを継続するとともに、神経症となるメカニズムを説明した。そして不安ながらもそれを避けずに少しでも外へ出て行くこと自体が治療になる、と話した。さらに神経質な性格は悪いことではなく、それを生かしていけば良い、ということも忘れずに付け加えておいた。

 すでに何度も述べているように、私自身、人前で緊張しやすい人間であり、今でも講演や講義の予定が決まると、不安になる。そしてその日が近づいてくると緊張が高まっていくのである。しかし、事前に工夫して十分に準備をするのが神経質の特長で、それなりに何とかなるものである。森田先生の言葉に「不安常住」ということがある。「常住」とは仏教の言葉で、生滅変化することなく、過去・現在・未来にわたって存在することをいう。日常生活を送っていく上で不安は避けて通れないものである。その不安をなくそうと、「はからう」ことがさらに不安を高めて、悪循環となるのである。不安に苦しむ人にしてみれば、不安がなければどんなにいいだろうと思うだろうが、不安は人間にとって警報装置・安全回路でもあり必要不可欠なものでもある。不安があるからこそ、危険を避けたり、失敗しないように準備したり、不測の事態に備えて保険をかけたりして、最悪の状況を防ぐこともできるからだ。これが大酒を飲んで不安を全く感じない状態では不用意な行動や言動で大失敗をしてしまうだろう。薬で不安を軽くするのも似たようなところがある。だから不安をなくそうというムダな努力をやめて、不安を抱えながら仕方なしに行動していけばよいのである。

2007年10月26日 (金)

神経質礼賛 239.新幹線の肘掛

 いつも新幹線に乗ると、隣席との境の肘掛の存在が悩ましい。後から座ってきた人がその肘掛を利用して、こちらの席に肘をはみ出してくるのは不快である。かといって、自分がその肘掛を使ってしまうと図々しい人間と見られるのではないか、と気になる。いかにも小心者の神経質らしい悩みである。そこで、とりあえず境の肘掛に軽く自分の肘を掛けておくか、大きなカバンの端を肘掛に軽く乗せるかしておいて、後から座ってくる人間を観察する。大抵の人は無理やり境の肘掛を「侵略」しようとはしないので頃合を見てから自分の肘やカバンをはずしている。それでも肘掛に肘をかけようとする図々しそうな人の場合は要注意であり、決して譲らないようにしている。ただし後から座ってきた人が女性の場合は接触を避けるため、すぐに自分の肘を引っ込める。セクハラの疑いをかけられたら大変なので「李下に冠を正さず」で誤解されないように気を配る。これが新幹線でなく、映画館やコンサートでの隣席との間の肘掛であれば、あまり肘を掛けない人が多いのではないかと思う。

 こんなことを考えるのは私ばかりかと思って、「新幹線 肘掛」で検索をかけてみると、意外と肘掛に関する掲示板の書き込みやブログ記事もあるものだ。一般的には境の肘掛は、先に座った人に優先権があると考えられているようである。それでも、図々しい人間と思われたくないということで、絶対に境の肘掛を使わないという人もいるし、隣席の人がひどく肘をはみ出してきた時に、怒って肘掛を上げてしまったという人もいるようだ。

 前話で、わずか1時間半ほど東京滞在後、帰りの新幹線に乗ったところ、後から体重150kg以上あろうかという巨漢が隣席に座ってきた。相撲取りではなくYシャツを着たサラリーマンらしい人だが腹部が両脇の肘掛にはみ出す「トトロ」(超メタボ?)体型であり、軽く私の腕は巨大なお腹にはじき落とされた。まあこの体型の人では文句は言えまい。この人の腕は置く所がなく、前で手を組んでいるが、時々ウトウトすると、巨大な腕が私の方に落下してくる。困ったものである。仙厓展で布袋さんの画を沢山見たからこんなことになったのでは、と余計な考えも浮かぶ。幸い途中で他の窓側の席が空いて移動してくれてほっとした。

 肘掛侵略よりもっと始末が悪いのは、シートバックを足で押したり足を前席の肘掛の上に伸ばしたりする中高年男性である。背中の後ろから足で押されるのは気分が悪いし、自分の席の肘掛の上に後ろの人間の足、それも臭そうな靴下を履いた足が見えるのは気色悪い。間違っても神経質人間はこんな迷惑行為はしないものである。

2007年10月22日 (月)

神経質礼賛 238.仙厓展

 出光美術館で仙厓没後170年記念の企画展「仙厓 禅画にあそぶ」が開催されている。新聞で紹介され、先週のNHK新日曜美術館でも取り上げられていた。なかなか行く機会がないままあと一週間で終わりになってしまうので、土曜日午前の外来が終わってから見に行ってきた。

 出光美術館は仙厓の作品を数多く所蔵しているが、常設展示はなく、このような企画展でもなければ実物を見ることができない。私が前回訪れた時には仙厓の画は一枚も展示されていなかった(150151話)。仙厓は8990話でも述べたように福岡・聖福寺の住職だった禅僧である。一休さんと同様、面白いエピソードがたくさんあって、地元では博多の仙厓さんとして親しまれている。

 会場は結構混んでいた。年配の方ばかりでなく、意外と若いカップルも数多く見かけ、天真爛漫な画を楽しんでいたようだった。会場に入って間もない所には「指月布袋画賛」があり、無心な布袋(ほてい)さんのほほえましい姿が来場者の注目を浴びていた。「仙厓と人生訓」のコーナーには、有名な「堪忍柳画賛」があった。強風に枝葉をなびかせる柳の画の右側に大きく「堪忍」の二文字。左側には「気に入らぬ風もあろうに柳哉」の一句。これは神経質人間にとって貴重な人生訓でもある。逆風を受け流し、短気を起こさず辛抱していれば、いつかは風も収まってくるものだ。そうすれば、神経質の特長が活かせるのである。その横には「老人六歌仙画賛」がかかっている。古人の歌として「しわがよるほ黒が出ける腰曲る 頭まがはげるひげ白くなる・・・」という身体的変化と、「心は曲る欲深ふなる くどくなる気短になる・・・」といった性格的変化が書かれている。私も中高年なのでドキッとする内容である。が、描かれている老人たちはかわいらしく、それぞれ人生を愉しんでいるようにも見える。通路中央には二文字書「無事」があった。これは臨済禅師の「平常無事」からとったもので、「日々是好日」と同じことである。「○△□」という謎の画もある。仙厓自身はこれについて何も述べていない。どう考えるかは見る人の自由ということなのだろう。その他にもユーモアたっぷりの画をいくつも見ていると、素直に楽しい心持ちになるものである。この展示を見るだけのために東京まで足を運んだ甲斐があった。

2007年10月19日 (金)

神経質礼賛 237.睡眠薬あれこれ

 自殺サイトで知り合った自殺願望のある女性に睡眠薬を服用させた上で殺した男が嘱託殺人の疑いで逮捕された。この男はインターネットを悪用して睡眠薬のハルシオンやサイレース(ロヒプノール)を1錠3000円とか5000円で密売して小遣い稼ぎをしていたことも判明している。薬はこの男の妻に医療機関から処方されたものだったという。

 ネット上で睡眠薬やリタリン(228話)などの薬物が違法売買されているのは周知の事である。当ブログでも睡眠薬に関する題名で記事を書くと、怪しげなトラックバックが大量に付けられて削除に手間がかかる。リンク元は薬の違法売買やアダルトグッズ販売の業者である。たぶん睡眠薬などの薬物をネット経由で買う客層はアダルトグッズを購入する客層と重なるのであろう。単純に「睡眠薬」というキーワードを見つけるとトラックバックを送るシステムになっているような気がする。

 睡眠薬はうつ病や統合失調症など精神疾患の治療に欠かせないものであるが、61話で述べたように犯罪に悪用されてしまうことがある。ちょっと気がかりなのは、最近の口腔内崩壊錠である。水なしで手軽に服用できるのは便利であるし、のどにひっかかるトラブルも少ないのだが、溶けやすいということは、他人の飲み物にこっそり投入してもわかりにくく、悪用されやすいのではないかという懸念がある。また、手軽であることから寝床の近くに置いておくと、すでに飲んでいることを忘れて中途覚醒時にまた服用してしまう可能性もあり、過量服薬をきたす恐れもある。さらに自殺目的で大量に服用した場合、早く救急受診すれば通常の錠剤ならば胃洗浄処置が有効だが、口腔内崩壊錠ではすでに吸収されてしまっている可能性が高くなり胃洗浄の効果はあまり期待できない。私の勤務先では、睡眠薬の口腔内崩壊錠は院内だけの使用に限っており、外来処方はしていない。利便性を追求していると問題点が後から出てくることはよくある。生命にかかわる場合もあるので、こうした薬剤の使用には大いに神経質であった方がよい。

2007年10月15日 (月)

神経質礼賛 236.ワーカホリック(仕事中毒)

 先日、いわゆるキャリアウーマンの方の相談を受けた。というより正確には上司が心配して相談を受けるように勧めた、と言うべきだろう。業務内容は事務の中間管理職であり、数名の部下がいる。毎晩10時過ぎまで残業しても部下たちの仕事のバックアップに追われ、自分本来の仕事は溜まっていくので土日も出勤して働いているのだそうである。部下の中には「うつ病」で戦線離脱した人や復帰しても負荷をかけるわけにはいかない人もあり、かといって今はどこの職場でもそうだが人の補充はしてくれないので、サッカーの試合のように退場者分は少ない人数でカバーしなくてはならない。結局、彼女の仕事量は増えるばかりである。20代の頃は職場で仕事の後に飲みに行ったりしたが、今ではそんな雰囲気もないそうだ。週に1回は早く帰る日を作って気分転換したらどうでしょうか、と提案してみると、「そんなことをしたら、仕事が溜まって、かえって心配で落ち着かないんです。少しでも仕事をしていれば安心なんです」という。一見、彼女に悲壮感はない。しかし、仕事をしていないと不安、というのはある意味で仕事依存症とでも言える状態である。友人関係について尋ねてみると、かつての友人たちはほとんど結婚していて話題は子供のことばかりになってしまうので、よく電話で話をするのは自分と同じように結婚せずに仕事を続けている人だけ、とのことである。私は彼女の上司に対して、人を補充して彼女の仕事量を減らすのが望ましい、と進言しておいた。

 かつて日本のサラリーマンたちは欧米諸国からは「働きすぎ」と見られ、ワーカホリック(仕事中毒)とも思われていた。しかし、バブル期の頃からだろうか。仕事よりも家庭優先、デート優先、趣味優先といった風潮に変わり、週休2日制の定着もあってか、仕事人間は明らかに少なくなっている。現在はこの女性のように結婚しないキャリアウーマンの方々が過適応状態やワーカホリック状態に陥りやすいのではないかと思う。女性の社会進出が著しいとはいえ、欧米に比べると女性管理職は日本ではまだまだ少ない。その少数の女性たちは「女だから・・・」と言われたくない、自分の能力を認めさせたい、という意識も常にどこかにあるのではないだろうか。がんばりすぎて自ら望んで仕事を増やし続けていくと、いつかは破綻して「うつ」になる危険性があるように思う。よい仕事をするためにも適度な休養は必要である。森田先生の「休息は仕事の転換の中にあり」という言葉はあくまでも神経質人間のための言葉である。

2007年10月12日 (金)

神経質礼賛 235.無脂肪牛乳

 勤務先の病院の食事には牛乳が出ることがある。以前は普通の牛乳かコーヒー牛乳だったが、2、3年前から低脂肪牛乳が出るようになった。さらに先月あたりから無脂肪牛乳が出るようになった。無脂肪牛乳を飲むのは初めてだったので、つい神経質根性から調べたくなった。調整した牛乳で、乳脂肪分0.5%以上1.5%以下が低脂肪牛乳であり、乳脂肪分0.5%未満が無脂肪牛乳なのだそうである。ちなみに実際に無脂肪牛乳のパックに印刷されたデータによれば、乳脂肪分0.1%200ml当たり、エネルギー69Kcal、たんぱく質6.8g、脂質0.2gとなっている。同じメーカーの乳脂肪分3.6%の通常の牛乳ではエネルギー130kcl、たんぱく質6.6g、脂質7.4gと表示されているから、無脂肪牛乳ではカロリーも半分近くということになる。優れた低カロリー高タンパク食なのである。

 最近は、ダイエット本で牛乳が悪者にされ、牛乳を飲むと太ると思われて敬遠されがちだが、牛乳を飲んで肥満になったという人の話を聞いたことはない。ましてや無脂肪牛乳ならばその心配もないだろう。牛乳の消費が低迷し(104話)、生産地では余剰牛乳が廃棄されているという実にもったいない話もある。肥満の真犯人はスナック菓子・甘い飲物などの間食と運動不足である。ひきこもりがちの患者さんではそのパターンをよくみかける。

 私自身は低脂肪・無脂肪牛乳だと味の上でちょっと物足りない感じがする。夏でも温めてインスタントコーヒーを1杯入れてカフェオレにして飲むのが常であるが、普通の牛乳だと温めた時に脂肪分の甘みがおいしく感じられるのである。ほぼ毎日牛乳を飲んでいても、肥満とは無縁である。神経質人間は概して太らないものである。ただし体重は同じあるいは少し減少してきても、そこは中高年の悲しさ、少々お腹が出て臀部の肉が下垂傾向にあることは否めない。

2007年10月11日 (木)

神経質礼賛 234.精神科専門医(2)

 今年の7月に私が精神科専門医の口頭試問を受けた話は210話に書いた通りである。小心者で口下手の四分休符のことだから落ちたのではないかと御心配(期待?)された読者もおられるかと思うが、先月末に合格証が郵送されてきた。まだ精神科専門医制度が発足したばかりの経過措置期間中であり、希望者全員の試験が終了していないため、あと2年くらいはおおっぴらに標榜できず、院内掲示やホームページ上での記載が黙認されているだけである。とりあえず登録料を振り込む。ちなみに申込時・口頭試問時・合格時に支払った料金の合計は10万円である。それ以外に東京での説明会、名古屋での試問の際の交通費も自分持ちである。

 さて問題は合格証と一緒に送られてきたポイントカードである。お店のポイントカードならばキャッシュバックなどの特典があってうれしいのだが、このポイントカードは精神科関係の学会や講習会への出席状況を管理するためのものである。そして5年間のポイントが一定以上に達しないと専門医の更新ができないのである。これは結構キビシイものがある。メインの精神神経学会が一番ポイントを稼げるのだが、毎年全国持ち回りで開かれるので、遠隔地だと3日か4日続けて仕事を休まなければならない。クリニック開業医や医師数の少ない病院の勤務医ではそうそう休むわけにはいかないのである。現在の勤務先では精神科医が4名なので、毎年交代で一人が行くのがやっとだろう。こうしてまた新たな取越し苦労が始まるのであった。

2007年10月 8日 (月)

神経質礼賛 233.脳内メーカー

 「脳内メーカー」なるネット上の姓名判断が話題になっている。今年の6月16日に公開され、10月にはアクセス数が延べ5億件を突破したという。子供たちの間ではすでに夏休み前くらいには広がっていたが、気にも留めなかった。10月6日付毎日新聞夕刊の1面「知りたい!」というコラムで取り上げられていたので興味を引いた。氏名を入力すると、脳の断面図のイラストが現れ、その中に「悩」「金」「愛」「善」「悪」「秘」というような漢字が表示されるのである。そして、何度やっても同じ結果が出るのである。開発者によれば、多くの人が考えていそうな40種類の漢字(例外は「H」)が使われているのだそうである。

さっそく検索サイトで探してそのページを開き、自分の姓名を入力してみると・・・ありゃりゃ、脳内が全部「H」という文字で埋め尽くされていた。私の脳は「生の欲望」ならぬ「性の欲望」のかたまりということではないか。一生これでは困ったものである。ただでさえ「李下に冠を正さず」というように気にしやすい性分なので、どこかの教授のように「ミラーマン」になりはしないか、出来心でワイセツ行為をしないだろうかと心配してしまうではないか。まあ、神経質に心配しているうちは、そのようなことは起こさないので大丈夫ではある。

どうしてこれだけ人気となっているのだろうか。どんな人でも関心のある漢字を使った「診断」なので、必ず当たっている部分があるから納得しやすいのだろう。アクセス数から考えると一人で何十回、何百回と利用している人が多いことになる。自分だけでなく、家族・友人・職場の人などの「診断」をしているのだろう。人と人との会話によるコミュニケーションが希薄になり、相手が見えにくくなっている現代の要求にマッチしたのだとも考えられる。

2007年10月 5日 (金)

神経質礼賛 232.社会的ひきこもり(2)

 昨年に引き続き、今年も「ひきこもり」講座の講義を依頼され、精神保健福祉センター(保健所)に行ってきた。昨年(79話参照)はまず私が講義をしてから参加者のグループワークだったのだが、今年は順番が逆で、グループワークの後で講義、というようになっていた。参加者の方々はひきこもっている若者(多くは30歳前後の男性)の母親あるいは父親である。県の精神保健福祉センターで行っているデイケアなどに参加されている方もいて、グループワークでは話が盛り上がって予定の時間を大幅にオーバーし、私の講義の時間が短くなってしまうハプニングも起きた。講義の後の質疑応答の際に出た主な質問で、

     精神科の診断はわかりにくい。他の医療機関では別の診断がつくことがある。どちらを信じたらよいのか。

     精神科にかかっても薬を出すばかりだが、他の治療はないのか。

といったものがあった。

それについては

① 精神科の疾患では、身体科的疾患のようにCTX線などの画像診断や血液検査データでの診断ができず、本人への問診とその時の様子、家族からの情報が判断材料となる。心理検査もあるが、それだけで診断できるものではなく、あくまでも補助的なものである。そのため、どの医師が診ても明らかに統合失調症やうつ病というように診断がつけられる場合もあるが、症状が軽微な場合には診断が付けにくい。特にひきこもり状態を呈しているだけで、明らかな精神病症状がみられない人ではそうである。また、本人が診察に協力的でなかったり、意図的に症状を隠したり逆に誇張したりする場合には診断が困難となる。例えば朝青龍の一件はこれにあたる。さらには、当初は強迫症状だけで神経症圏の診断だった人が、1年、2年たって明らかに統合失調症の症状が出揃って、統合失調症に診断が変わるというような場合もありうる。しばしば精神鑑定で多様な診断がついてしまう背景にはこういった事情がある。結局は本人と医師とのコミュニケーションが円滑に取れて家族の側からも納得がいく診断がベストである。もし納得がいかなかったり明らかに病像が変化しても診断が同じままだったりする場合にはセカンドオピニオン、サードオピニオンを求めることも必要となるだろう。

② 統合失調症に対する非定型精神病薬、うつ病・パニック障害・強迫性障害に対するSSRIのように、ここ10年ほど薬物療法が大幅に進歩してきている。さらに現在開発中の薬剤もある。治療のエビデンスが求められる現在、種々の不安障害においても効率よく症状を改善する薬物療法が中心となりつつあるのが現状である。しかし、神経症圏のものや、病気でない社会的ひきこもりでは、行動療法・認知療法・カウンセリング・森田療法などの精神療法が有力な治療法となりうる。ただし、本人がそれに取り組もうとする意欲がなければ適応とはならない。

というのが私の意見である。なお、出席者の話の中で、「ウチの子は心療内科のクリニックに通院していて、精神科にかかろうとしない」ということがあったが、実は、心療内科クリニックの医師はたいてい精神科医である。精神科医が開業する時は、心療内科か神経内科をトップに標榜して最後に精神科を掲げることが多い。患者さんの受診しやすさと近隣住民への配慮からである。

 当事者の方々の話を聴いていると、子供さんに対する思いがひしひしと伝わってくる。ただ、親として何とかしてあげたいという強い気持ちが裏目に出ることもあるようだ。本人だって情けないと思っているところで、つい叱りつけてしまうこともある。本人が「さあ、やろうかな」と動き始めたところで「早くしろ」などとせっついたら本人も反発したくなるだろう。私にも子供に対して同じようなところがあると反省する。

 ひきこもりの子供を抱えて親だけで悩んでいないでこのような場を利用して、つらい思い吐き出したり第三者の冷静な視点からのアドバイスを受けたりすることはとても有益だと思う。

2007年10月 1日 (月)

神経質礼賛 231.BGM

 読売新聞のエンターテイメントのページには、N響アワーでおなじみの作曲家池辺晋一郎さんのエッセイが載っている。平成19年9月11日の夕刊では「つい聴いてしまいBGMにイライラ」というテーマで、BGMが流れていると、演奏家は誰かな、次のフレーズをどう弾くかな、などとつい集中して聴いてしまい、肝心のことができない話や、場にふさわしくないBGMが流れていて不快になった話などが書かれていた。私のような素人でも、それに近いことは起こる。特によく知っている曲、自分が弾いたことがある曲だと、演奏の特徴が妙に気になったりする。リラクゼーションにならないのである。

 テレビCMのBGMも不似合いなものは気になるものである。ある結婚式場のCMで「蝶々夫人」の「ある晴れた日に」をBGMで使っていたが、オペラのストーリーを考えれば、蝶々夫人は愛する人に裏切られて自殺してしまうのだから、不適切この上ないように思える。実際の結婚式でも使われるワーグナーの結婚行進曲は歌劇「ローエングリン」の中の曲だが、これまたストーリーからすれば早い離別と死につながるわけで、極めて不吉である。メンデルスゾーン「夏の夜の夢」の結婚行進曲ならばハッピーエンドで大変よろしいのであるが。こういう余分なことを考えるのは私のような神経質人間ばかりだろうか。

 他人の携帯電話の着メロ・着うたは街で流れるBGM以上にうっとうしい。すぐに出ればいいのに、意図的に自分が好きな曲を大音量で流してアピールするかの如く見える無神経人間もいる。携帯電話はどんな場面で鳴り出すかわからない。その場にそぐわない曲となってしまうことだってある。そういえばドラマ「のだめカンタービレ」の中で、のだめがピアノコンクール本選の朝、バスの中で近くの人の携帯電話が鳴り、着メロがたまたま「きょうの料理」テーマ曲(冨田勲作曲)でそれが耳についてしまい、舞台で演奏曲目「ペトリューシュカ」(ストラヴィンスキー作曲)とごちゃまぜの演奏をしてしまう場面があった。

 周囲に不快感を垂れ流さないよう、携帯電話の着信音には神経質であるに越したことはない。

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