神経質礼賛 240.不安常住
私の勤務先から少し離れた町で、夫婦でクリニックを開業している先生方がおられる。御主人は外科、奥さんは皮膚科が御専門である。御主人も奥さんも浜松医大オーケストラでコンサートマスターを務め、私も御主人の後にコンサートマスターを務めたという御縁がある。そのクリニックの町には精神科の病院やクリニックがないため、精神疾患の患者さんをよく私宛に紹介してこられる。
先日、60代の女性がうつ病の疑いということで紹介されてきた。しかし、よくよく話を聞いてみると神経症の対人恐怖(社会不安障害)だとわかった。小心・内向的・取越苦労しやすい性格で、若い頃から対人恐怖のため人と接することを極力避けてきた人である。子供さんが学校に行っている頃は、PTAの役は全て断り、授業参観だけは仕方なく出ていたという。症状が悪化したのは、御主人が定年退職してからである。買物に出かけて知っている人に話しかけられるのが嫌だということで、優しい御主人がすべて買物などの用事を足してくれるようになったところ、ますます外出することが不安でできなくなってしまった。ところが、近々、親戚の結婚式の予定が入り、さらに自分の息子さんが結婚相手を自宅に連れて挨拶に来る予定も入り、それらのことを考えると心配で恐ろしく、食欲も落ち、夜も眠れなくなって、一見うつ病ではないか、という状況になっていたのである。「たけしの本当は怖い家庭の医学」の症例(186話)とよく似ている点がある。クリニックですでに処方されていたSSRIのパキシルはうつ病だけでなく社会不安障害にも有効とされているので、それを継続するとともに、神経症となるメカニズムを説明した。そして不安ながらもそれを避けずに少しでも外へ出て行くこと自体が治療になる、と話した。さらに神経質な性格は悪いことではなく、それを生かしていけば良い、ということも忘れずに付け加えておいた。
すでに何度も述べているように、私自身、人前で緊張しやすい人間であり、今でも講演や講義の予定が決まると、不安になる。そしてその日が近づいてくると緊張が高まっていくのである。しかし、事前に工夫して十分に準備をするのが神経質の特長で、それなりに何とかなるものである。森田先生の言葉に「不安常住」ということがある。「常住」とは仏教の言葉で、生滅変化することなく、過去・現在・未来にわたって存在することをいう。日常生活を送っていく上で不安は避けて通れないものである。その不安をなくそうと、「はからう」ことがさらに不安を高めて、悪循環となるのである。不安に苦しむ人にしてみれば、不安がなければどんなにいいだろうと思うだろうが、不安は人間にとって警報装置・安全回路でもあり必要不可欠なものでもある。不安があるからこそ、危険を避けたり、失敗しないように準備したり、不測の事態に備えて保険をかけたりして、最悪の状況を防ぐこともできるからだ。これが大酒を飲んで不安を全く感じない状態では不用意な行動や言動で大失敗をしてしまうだろう。薬で不安を軽くするのも似たようなところがある。だから不安をなくそうというムダな努力をやめて、不安を抱えながら仕方なしに行動していけばよいのである。
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