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2007年10月 1日 (月)

神経質礼賛 231.BGM

 読売新聞のエンターテイメントのページには、N響アワーでおなじみの作曲家池辺晋一郎さんのエッセイが載っている。平成19年9月11日の夕刊では「つい聴いてしまいBGMにイライラ」というテーマで、BGMが流れていると、演奏家は誰かな、次のフレーズをどう弾くかな、などとつい集中して聴いてしまい、肝心のことができない話や、場にふさわしくないBGMが流れていて不快になった話などが書かれていた。私のような素人でも、それに近いことは起こる。特によく知っている曲、自分が弾いたことがある曲だと、演奏の特徴が妙に気になったりする。リラクゼーションにならないのである。

 テレビCMのBGMも不似合いなものは気になるものである。ある結婚式場のCMで「蝶々夫人」の「ある晴れた日に」をBGMで使っていたが、オペラのストーリーを考えれば、蝶々夫人は愛する人に裏切られて自殺してしまうのだから、不適切この上ないように思える。実際の結婚式でも使われるワーグナーの結婚行進曲は歌劇「ローエングリン」の中の曲だが、これまたストーリーからすれば早い離別と死につながるわけで、極めて不吉である。メンデルスゾーン「夏の夜の夢」の結婚行進曲ならばハッピーエンドで大変よろしいのであるが。こういう余分なことを考えるのは私のような神経質人間ばかりだろうか。

 他人の携帯電話の着メロ・着うたは街で流れるBGM以上にうっとうしい。すぐに出ればいいのに、意図的に自分が好きな曲を大音量で流してアピールするかの如く見える無神経人間もいる。携帯電話はどんな場面で鳴り出すかわからない。その場にそぐわない曲となってしまうことだってある。そういえばドラマ「のだめカンタービレ」の中で、のだめがピアノコンクール本選の朝、バスの中で近くの人の携帯電話が鳴り、着メロがたまたま「きょうの料理」テーマ曲(冨田勲作曲)でそれが耳についてしまい、舞台で演奏曲目「ペトリューシュカ」(ストラヴィンスキー作曲)とごちゃまぜの演奏をしてしまう場面があった。

 周囲に不快感を垂れ流さないよう、携帯電話の着信音には神経質であるに越したことはない。

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