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2007年11月30日 (金)

神経質礼賛 250.かくあるべしといふ なほ虚偽たり あるがままにある 即ち真実なり

精神科で行う心理検査にエゴグラムというものがある。これは交流分析という自己分析の理論に基づくもので、人間には「親」、「大人」、「子供」の三つの自我状態があり、この三つの領域のバランスを見る検査である。実際の検査では、「親」はさらに父親的な状態CP(critical parent)と母親的状態NP(nurturing parent)、「子供」は自由な子供FC(free child)と言われたとおりに従う子供AC(adaptive child)に区分されるので、「大人」A(adult)と合わせて5種類の状態で分析することになる。エゴグラムによって自我状態に気づき、望ましい状態になるよう、行動パターンを修正していくことができる。ネット上では無料で検査できるサイトもあるので、興味のある方は一度試してみるとよいだろう。

神経質な人に多いパターンは高CP・低NPである。つまり、タテマエや規則にこだわり、頑固オヤジ的に「こうでなければいけない」と硬く考えがちで、母親的に「まあいいじゃない」と柔軟に対応しにくいのである。また、神経質ではFCが低くACが高くなりやすい。つまり、決められたことに従って行動し、あまり自己表出しないので社会適応は良い反面ストレスがたまりがちである。5つの自我状態はどれも高ければ良いわけではないし低ければ良いというわけでもない。

ちなみにヒステリー性格では、逆にFCが高く、ACが低く、勝手気ままで人の注意に従わない、というようになりがちで、中にはCPが低くて社会規範が守れない人もいて、いわば非行少年タイプ・社会不適応となりやすい。

以前、森田療法学会で、森田療法の前後でエゴグラムの変化を調べた研究発表があった。森田療法を受けるとCPが低くなりNPが高くなる、という結果だった。物事へのこだわりが軽くなり、「○○すべきだ」というような「すべき思考」が少なくなり、「まあいいや」「こんなものだろう」と許容する範囲が広くなるからなのだろう。「かくあるべし」から「あるがまま」に変化した結果と言えるだろう。

「あるがまま」は森田療法のキーワードとしてよく知られている。しかし、これは誤解されやすい言葉でもある。どうかすると「あるがまま」をお題目のように唱えているだけで行動がともなわない人がいる。森田療法は宗教ではないので、それでは効果がない。「あるがまま」になろう、自然体になろうとしてできるものではない。そうすること自体がすでに「かくあるべし」であり「虚偽」なのである。森田先生の言葉にあるように、あるがままに「する」とか「しよう」でなくあるがままに「ある」ことがポイントなのだ。不安や問題点を抱えながらも神経質を生かして行動していれば、それが「あるがまま」になっているのである。

2007年11月26日 (月)

神経質礼賛 249.路上喫煙

 先日、精神科専門医の講習会で横浜へ行った。横浜は小学校の3年間を過ごした懐かしい街である。子供の頃、駅前のダイヤモンド地下街はよく一人で歩き回り「王様のアイデア」というアイデアグッズの店が気に入っていた。もう今はその店はなくなっている。講習の受付開始時間まで30分ほど時間があったのでヤマハ横浜店に向かった。楽譜売場で、10年ほど前に販売されていた輸入のオケ伴奏CD付楽譜の売れ残りを1冊発見。ヴィエニャフスキーの協奏曲とツィゴイネルワイゼンという変わった組み合わせで、迷ったあげく購入した。今回、横浜駅周辺を歩いていておや、と思ったのは路上喫煙者がほとんどいないことだった。よく見たら、駅周辺は路上喫煙禁止区域となっていた。駅前には喫煙所の小さな建物があった。歩道には吸殻もほとんど見かけず実に気持ちが良い。

 私が住んでいる地方都市でもやっと繁華街の一部で路上喫煙禁止となった。しかし駅周辺は相変わらず路上喫煙天国である。駅前はその街の顔なのだから特に禁煙にしてほしい場所である。自分の前を歩いている人間がタバコを吸っているのは実に不快である。後ろを歩く人間はたまったものではない。本人はフィルターを通して有害物質を減らした煙を吸うのに受動喫煙はもろに有害な煙を吸い込むことになる。しかも最後はポイ捨てと決まっている。いったい誰が掃除をするのか。私はいつも走って追い越すか、距離をおいて、なるべく煙を吸い込まないようにしている。神経質人間は路上喫煙のような迷惑行為は決してしないものである。

2007年11月23日 (金)

神経質礼賛 248.インフルエンザワクチン

 11月も下旬に入り、天気図は西高東低の冬型になってきている。温暖化のためか夏が年々長くなっていて、快適な秋は本当に短く感じる。駅から勤務先の病院へ向かうイチョウ並木の歩道は黄金色に染まり、この秋最後の輝きである。一方、冬が近づくにつれてインフルエンザの発生情報も流れはじめた。入院中の患者さんも職員も全員インフルエンザの予防接種を済ませた。わが家では子供たちが来春受験で、その時にインフルエンザにかからないように、ということで私が子供たちに注射することになった。全くの抜き打ちで、子供たちも帰宅したら家に注射器が待ち構えているとは知らなかったので、「心の準備ができるまで待って」「お父さん大丈夫なの?」などと逃げ腰である。精神科医では注射の腕前の信用がないのも無理はない。自分の子供に注射するのは初めてだったので正直言って少々緊張した。

 インフルエンザには特効薬として内服薬タミフルと吸入薬リレンザがあるが、タミフルには御存知のように幻覚・妄想・興奮などの精神症状を引き起こす副作用があり(167話)、リレンザに人気が集まり入手困難なこともある。インフルエンザワクチンで予防できれば理想的だが、ワクチンはその年に流行するウイルスの型を予測して、それに対応したワクチンを製造するため、ハズレもあり得る。となると、やはり平凡ではあるが、人ごみの中になるべく行かないようにし、外出時にはマスク着用、帰宅時に手洗い・うがいをするのがベストのようである。この辺は神経質を生かしてインフルエンザあるいは普通の風邪を予防したいものである。

2007年11月21日 (水)

神経質礼賛 247.怒りの解消法

 前話の「ためしてガッテン」ではいくつかの心理学的な実験が紹介されていた。怒りの解消にサンドバックでも叩いたら良さそうな気がするが、実験では意外と効果がないことが示されていた。不快なことが起こると脳の扁桃体からノルアドレナリンが分泌され、心拍数が上昇する。それがまた脳にフィードバックされ、怒りの感情の連鎖となる。別の実験で被験者には実験が始まる前、しばらく待っていて下さいとだけ伝えられ、喫茶店で待たされる。実はこれが実験なのである。喫茶店で注文したものと別の飲物が来たり、後から来た客に自分より先に飲物が出たり、注文して時間が経ってから「ご注文は何ですか」と聞きに来られる、という不快なことが次々と起こり、心拍数がどんどん上がっていく。ある女性はついにキレて立ち上がり、店員に苦情を言い始める、という場面もあった。そうした中で、ほとんど心拍数の変化が見られなかったのは僧侶だった。終始ニコニコ笑顔でいて、ちょっとムッとした時には「自分は別にコーヒーを飲みにここに来ているのではなく、実験の前に時間をつぶすためにここにいるだけなのだ」と考えたそうである。これが「認知的再評価」というもので、怒りの感情も収まってしまう。悟った人は自然にそういう対応ができるのだろう。

 悟っていない人でもできることとして、表情フィードバックという技法が紹介されていた。女性がお化粧すると気分も乗るように、作り笑いでもいいから笑顔にしている、というものである。笑顔でいると他人の怒った表情も受け流せ、怒った表情でいると他人の怒った表情が自分を非難しているように感じられるものなのである。

 さて、森田正馬先生は怒りの解消法としてどんなことを言っておられただろうか。森田先生の出身地である土佐の武士に伝わる教訓として、腹が立ったときには3日待て、ということを述べられている。3日経っても怒りが収まらないのはよほどの時である。たいていは時間が経つに連れて怒りの感情は薄らいでくるものである。これが森田先生の言われた「感情の法則」第一である。感情はこれをそのままに放任すれば、時を経るに従って自然に消失する、ということである。第二法則では、行動しているうちに感情は消失・変換すると述べられ、第三法則では、感情を続けて刺激し、発動すれば、ますます強盛となるとしている。つまり、八つ当たりしたのではかえって怒りは強くなるので、やらねばならない仕事に手を出していれば、自然に収まってくるということなのである。怒りの感情で苦しい時にはこの感情の法則を思い起こして応用するとよいだろう。

2007年11月19日 (月)

神経質礼賛 246.夫婦ゲンカ

 1111日付毎日新聞のサラリーマン川柳に「予知不能 妻の怒りの 時期と規模」という句が載っていた。いずこも同じである。思わずニヤリとしてしまう。妻の怒りの初期微動をとらえることは可能だが、その段階ではすでに退避不能となっており、必ず被災するハメになるものだ。神経質人間の私は、なるべく夫婦ゲンカを回避するように言葉を選んで話しているつもりなのだが、遠まわしに言われるのがまた腹に立つのだそうで、結局は同じことである。地震予知よりも早期復興にエネルギーを使った方が賢明かもしれない。

 11月7日のNHK「ためしてガッテン」は「一触即発! 夫婦ゲンカ 怒りの心理学」というテーマで面白そうだったので録画して見た。小さい男の子が一人いる若夫婦のダイニングキッチンにビデオカメラを設置し、夫婦ゲンカが起こる時の会話を分析するところから始まる。最初はカメラを意識していても、ささいなことをきっかけにいつものケンカが始まるのである。その後、いくつかの心理学的な実験が紹介された。この種の実験は、本来は偏りのないサンプル集団の多数のデータで統計的に物を言わなくてはならないのだが、この番組ではいつも数例のデータだけで結論を述べてしまう問題点があるので、「早ガテン」しないように注意したいものである。

最終的に夫婦ゲンカの解決法として処方されたのは、ケンカになりそうなところで、「愛(I)」と書かれた旗を振るというものだった。怒りを感じると、「大体お前(あなた)は・・・」というように相手に対する非難をぶつけてしまい、売り言葉に買い言葉の応酬で収拾がつかなくなってしまうものである。そこで、「愛」の旗を振られたら、あるいはムッとしたらすぐに、私(I)はこう思っているのだ、ということを言葉で示すのである。アサーション(主張)の技法である。理屈ではわかるが、直下型地震が多発するわが家では実行困難なようである。

2007年11月16日 (金)

神経質礼賛 245.ちっとももてなかった(理系男子編)

 前話の「ちっとももてなかった」のスレッドには男性からの投稿もみられた。その中で目についたのは「理系男子」である。大学の理工系だと学科にもよるがほとんど女子がいないし、実験・実習で拘束時間が長く遊んでいる時間も少ないためますます女性との出会いが少なくなる。就職先には困らないものの、技術系の職場では大学と同じで女性が少なく残業が多いため、就職してからも同じような状況が続くのである。

 

これは私にも言えることだった。最初の大学は理工学部電子通信学科で女子学生ゼロ。実験・実習・演習で夜10時まで学校にいることもしばしば。実験の途中に抜け出して麻雀に行くような男もいたが、概してみなマジメだった。女子大との合コンに出ている男もいたが、女子大生たちの方が遊び慣れていて手玉に取られる様子だった。私の場合たまにヒマな日曜日に行くのは新宿や中野の将棋道場でこれまた女性ゼロ。友人と飲みに行く酒場も女性がほとんど入らない店だった。大学4年の時に父がガンで倒れてやむなくUターン就職したが、4年間の会社員時代全く女性とのお付き合いはなかった。当時の平均結婚年齢は男27歳女23歳と言われていたので同僚や友人の結婚式に出るたびに自分も何とかしなくてはという意識はあった。上司から「お前はマジメ過ぎてスキがなさ過ぎる。(会社の)女の子のお尻を触るくらいやってみろ」などとお説教されたものである。もっともこのお触り名人の上司は女子社員たちからは要注意人物とされていた。会社を退職して浜松医大に再入学し父が亡くなってしばらくしてから、ようやく動き出した、というのが実情だった。ただでさえ人前で緊張しやすい私にとって、女性にお誘いの電話をかけるのはかなりハードルが高かった。親御さんが電話に出ようものならパニック寸前である。それでもがんばって10歳年下の同級生を誘ってデートできるようになっていった。

 男性からの投稿で、「理系男子」を草食動物、「文系男子」を肉食動物に喩えるものがあって面白かった。農耕民族と狩猟民族に喩えてもいいのではないだろうか。また、理系出身で、大学時代は勉強に明け暮れ、会社でも仕事に明け暮れ、その結果、それなりの収入と地位を得て「世帯主候補」「安全パイ」としてモテるようになったのだが、自分が一生懸命やっている間、相手が遊びまわっていたことを考えると不愉快だ、というものがあった。これなどいかにも神経質人間が考えそうなことでわからないでもない。しかし、女性とは置かれた境遇が違うのだし、元カレがいたとしても現在の自分をそれ以上の存在として好きになってくれる女性ならそれでよいではないか、とも思う。

 前話のマジメでもてない(と思い込んでいる)女性たちと「理系男子」たちとは価値観が近いので、「もてない」さん限定のお見合いパーティーでもあればいいのにと思う。投稿の中で、お互い「もてない」同士だったが、自分で作ったホームページを見てメールを出してくれたのがきっかけで結婚まで行き着いた、というものもあった。これなど理系男子にも大いに参考になりそうである。神経質を生かして新しい出会いを求めてみてはどうだろうか。考えているだけではお相手は見つからない。ちょっぴり勇気を出してして行動してみることである。

2007年11月12日 (月)

神経質礼賛 244.ちっとももてなかった(女性編)

 読売新聞には「人生案内」という人生相談コラムがあり、大体毎日目を通している。これがインターネット版のYOMIURI ONLINEになると人生案内の上に「発言小町」というコーナーがあり、これは読者の掲示板になっている。2ちゃんねる系掲示板とは異なり、大人がまじめに意見を述べ合う場になっているようである。

 最近、「ちっとももてなかった」という30代独身女性の投稿が目にとまった。仕事もでき、容姿も悪くないが、なぜか男性との出会いが乏しく彼氏ができない方が立てたスレッドである。

それに対する読者のコメントは

①未婚女性から、私も同じで年齢イコール彼氏いない歴、という同感のコメント

②男性から、やはり彼女ができないというコメント

③既婚女性からのコメント

3種類に分けられる。さらに内容的には、もてない原因分析だったり、軽い批判を交えたお説教だったり、純粋な共感だったり、励ましだったりする。

 ②の男性からのコメントもなかなか興味深いのでこれは次回に述べることにする。

 ①は30代ばかりでなく40代女性からも数多く寄せられている。出会いを求めて努力しているのに成果が出ない方もいれば、もう達観して一生独身で通す覚悟の方もいる。もてない原因として、理想が高すぎる(ストライクゾーンが狭い)こと、出会いを求める努力が足りないこと、衣服や化粧などの外見に気が回らないこと、などがあげられている。

このようなコメントを寄せる人は、スレッド主と同様、小さい頃から「良い子」で学校での成績が良く、就職してからもきちんと仕事をこなし遊びが少なくまじめな方が多いように思う。スレッド主も含めて神経質人間ではないかと思われる方もいる。おとなしくて自己主張が少ないと目立ちにくいので、印象が薄く「いい人」レベルで終わってしまいやすい。神経質人間は慎重なのでなかなかお付き合いに発展しにくい反面、「ハズレ」を引くリスクは少ない。周囲の評価は悪くないはずであるから、劣等感はあっても、よさそうな人がいたら少しでも話しかけたり接近したりするような努力を積み重ねてチャンスに備えていけばいいように思う。

 それとは少々別のタイプかもしれないが、私の知っている人で、美人・才媛・家柄もいいのになぜか結婚されない女性が何人かいる。あまり立派過ぎる女性だと、男性側が劣等感を感じて引いてしまうのでは、という気もする。そうした人の場合、必ずしも理想が高いわけではなくても、釣り合いの取れる男性はかなり限られるので「出会いがない」ということになってしまうのだろう。

 ③は、容姿が劣っているが結婚して幸せになれた、とか、長いこと独身でいて結婚相談所などを利用して夫と出会うことができた、などで、励ましのコメントが多かった。「美人は3日で飽きる。○○は3日で慣れる」という言葉を引用している人もいた。

 人は見た目で決まる、という話はよく聞くし、そのような題名の本も出ているように思う。確かに男女に限らず容姿の優劣によってスタートラインで差がつくことはあるだろう。しかし、実際に付き合っていくと、外観ではなくまず誠実な人かどうかが大きなポイントであって、さらに性格や教養も影響してくる。容姿は決定要因ではないと思う。そういえば、森田正馬先生の時代には見合い結婚が大部分だったが、先生は一目惚れのような自由恋愛を「こんなものは鰻の蒲焼の香にあこがれて一週間も食ひつゞければ間もなく其(その)香も厭(いや)になるといふ事は自然の成行(なりゆき)である」(白揚社:森田正馬全集第7巻p.567)と評しておられる。

 一応匿名とはいえ、このようなスレッドを立てるにはとても勇気がいることだったと思う。同じような立場の「もてないさん」からの意見に共感するだけでなく、多少批判的な意見やお説教にも「そういう面もあるかな」と内省してきちんと返事を書いていてとても好感が持てる人である。このスレッドが呼び水になって、遠からず良いお相手が見つかるのでは、と思う。

2007年11月 9日 (金)

神経質礼賛 243.睡眠改善薬

 TVコマーシャルや新聞広告で睡眠改善剤と称する薬の宣伝をよく見かける。医師の処方箋なしに町の薬局で手軽に買えることからよく売れているらしい。外来初診の方で眠れないからそうした薬を買って飲んでいたが効かないから来院した、というケースがしばしばある。中には眠れないということで市販の「ドリエル」と「ネオデイ」を50錠以上服用し、もうろう状態となっているところを家族に発見され、救急病院で胃洗浄処置を受けた後に転送されてきた人もいた。

 「ドリエル」も「ネオデイ」も正体は塩酸ジフェンヒドラミンという抗ヒスタミン剤、すなわち古くからある風邪薬の鼻水止め成分である。風邪薬を飲んだ時に頭がボーとして眠くなった経験は誰もあると思うが、その副作用を利用した薬である。2003年にエスエスから「ドリエル」が発売されると、たちまち爆発的なヒット商品になった。1回に2錠服用、6錠で1000円だから結構な値段である。同じ成分で処方薬のレスタミン10mg錠の薬価は1錠わずか6円40銭である。鼻炎や蕁麻疹などが適応症であり、1回3-5錠、1日2-3回服用となっている。仮に5錠服用するとしても価格はドリエルの10分の1である。製薬メーカーとしては睡眠改善薬として売ることで、まさに「濡れ手で粟」である。他のメーカーもこの薬の人気に目を付け、同じ成分で売り出すところがいくつも出てきている。「ネオデイ」はその一つである。確かに安全性は高い薬だが、緑内障や前立腺肥大の人には禁忌であるし、口渇や頭重感も出やすい。翌朝ボーとした状態でのお目覚めでは仕事や勉強にもマイナスである。

 私も含めて神経質人間はささいなことが気になって不眠になりやすい。眠ろうと焦れば焦るほど眠れないものである。しかし、眠ろうとすることを諦めて、とにかく体の疲れを取れば良い、くらいに考えて横になっていれば、どこかで眠っているものである。高い睡眠改善薬を買って製薬メーカーを儲けさせることはない。

2007年11月 5日 (月)

神経質礼賛 242.わが家にも偽装余波?

 今まで種々の偽装問題が新聞やTVニュースを賑わせていたが、私には直接関係がなかった。ところが大手建材メーカー・ニチアスの耐火性能偽装が発覚し、ついにわが家にも偽装の波が押し寄せてきた。あらかじめ水に浸しておいた試料を使って性能検査を通過させていたというから極めて悪質である。このメーカーは多くの住宅メーカーに防火仕様の天井板を供給していた。わが家は42話に書いたように、狭小住宅で1階を車庫にしているため、この種の天井板を多用している。住宅密集地なので、火事の延焼を防ぐ意味で耐火性能は極めて重要である。平成13年からの出荷分が耐火性能の劣った製品とのことであり、1031日朝のニュースで、問題の建材の供給を受けていたHハウス(A化成)は天井版を無償交換することを表明していた。わが家の新築工事はまさに平成13年のことである。これは大当たりかと思ったが、その日の昼、Hハウスの営業担当から電話があり、わが家の場合、契約時点で確保した建材を使用しているので問題の建材ではない、とのことだった。とりあえずはセーフのようである。使われた材料の記録がしっかり残っているのはさすがである。しかし、それ以前の天井板も本当に大丈夫なのか、と心配になってしまう。

 以前の耐震強度偽装の問題は一人の建築士に留まらなかった。次々と不正を行っていた建築士が摘発され、ビルやマンションの建て替え問題が発生した。今度の問題も、同社の他製品や他社製品で、次々と出てくるのではないかと懸念される。偽装の多発は業界の体質もあるだろうが、これだけ多くの分野で偽装だらけなのは、日本人から良心・恥への恐れが欠落してきているということなのではないだろうか。鈍感力がはびこりすぎている。大いに恥を恐れる小心で善良な神経質でありたいものである。

2007年11月 2日 (金)

神経質礼賛 241.赤福と空也もなか

 食品の偽装問題が次々と発覚しているが、お土産の定番・赤福までも売れ残りを冷凍保存し解凍して販売していたことが明るみに出て大問題となっている。赤福は伊勢神宮の門前ばかりでなく、名古屋駅の各ホームの売店などに山積みして置かれ、着実に売れる定番商品であった。かなり甘いので私は敬遠しているが、お土産にいただくと食べていた。包み紙の表示では賞味期限が短いが、実際は賞味期限を2日くらい過ぎてもそれほど硬くならず食べられた記憶がある。売れ残りを冷凍保存するようになったのはかなり前からだったという。業務を拡張して遠隔地でも販売するようになったことが背景にあったようだ。店頭に出回った商品の2割位が解凍日を製造日と偽装したものだったらしい。幸い健康被害や苦情はなかったものの、長年にわたって積み重ねられた老舗の信用は完全に失墜した。やはり手を広げ過ぎず、着実に商売をしていた方が良かったのではないだろうか。そう思っていたら今度は御福餅という赤福の類似商品で製造日先付けが発覚した。毎日TVニュースでこの種のお詫び記者会見を見ているとうんざりである。「神経質が足りない!」と叱りつけなくてはならない。

 私の弟が帰省の際、時々買ってきてくれるうれしいお土産が銀座の空也もなかである。値段はさほど高くはないが予約するのが大変だそうだ。夏目漱石の小説にも出てくる小さな最中で、パリパリした皮に甘すぎない上品な味の小豆餡が入っている。オーブントースターで少し炙ってからいただくとさらに美味である。この店では商品をデパートなどには一切出さず、予約分を作って売るだけである。平成19年5月21日付の朝日新聞「ニッポン人脈記」というコラムに「並木通りに小豆の香り」「もなか一徹、開店即売り切れ」というタイトルで空也の記事が載っていた。空也では家族と職人さんだけで餡を手作りしている。皮を依頼している業者も江戸時代からの老舗で家族だけで手作りしている。空也4代目の御主人は「作りたてを毎日売り切るのが商いの喜び」「それには安くて、おいしくて、安全なもなかをつくること」「私どもの目の届く範囲で作っているからできる。需要に追われ、工場を建てて生産でもしたら、とてもできはしません」と語っている。赤福や御福餅の社長が聞いたらさぞ耳が痛いことだろう。金儲けに走らず、神経質が行き届いた良い仕事を続けているからこそ、長年愛され続ける人気商品でいられるのである。

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