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2008年1月28日 (月)

神経質礼賛 270.神経質の相性

 前回・前々回に述べた岡本常男さんのビジネスマン人生では奥様の存在は極めて大きい。大阪で露天商からスタートし、2坪半の小さな衣料品店を持って間もなくお見合いをして、すぐに結婚を申し込んだそうである。その後、奥さんとの二人三脚で岡本商店は急成長を遂げていくことになる。「佳子の人柄は誰もが認めるように、物事にこだわらない性格である。商売がうまくいかなくなったときでも、決して明るさを失わず、愚痴ひとつこぼすこともなかった」と書かれている。私は何度かメンタルヘルス岡本財団「心の健康セミナー」で講師をさせていただいた際、奥様ともお会いしているが、明朗でおおらかな方、という印象だった。セミナーを終えて大阪の街を連れ立って歩くお二人の後姿はとてもほほえましかった。やはり神経質にはおおらかな循環気質の人がベストマッチのようである。

 森田正馬先生は神経質の相性について次のように言っておられる。

(劇作家・倉田百三の「神経質同士の結婚はよくないようですね」という発言に対して)

 それはそうです。神経質同士は、お互いにその心持がわかり、心の底まで見透しているから、互いにその欠点を挙げあって、相手ばかりにそれを改良させようとする。グジグジといつまでも、しつこく言い争いをする。

 またヒステリー同士でも、これもいけない。喧嘩が早くて始末にいけない。

 また陽気の者同士もいけない。気が軽くて家のしまりができない。およそ結婚は、気質の異なった人が、うまく組み合わされるとよい。

 神経質の人は、気の軽い大まかな人と結婚するがよい。すると気の軽い人は、あの人はどうせ気難し屋だからといって大目に許し、また神経質の方では、どうせあれには、難しい事をいってもわからないといって、あまりやかましくいわなくなる。お互いに許し合うから円満になる。   (白揚社:森田正馬全集第5巻 p.729

 まさに岡本常男さんと奥様は森田先生の理論にかなったベストカップルというわけである。

 ヒステリー同士がうまくいかないのは、芸能人カップルを見ればよくわかると思う。お互い自己中心的で目立ちたがり屋なので、くっつくのは早いが別れるのも早い。相性の悪いとされる神経質同士の場合はグジグジ言い合いながらもそれなりに長続きしそうである。お互いの性格をよく理解して、相手の立場を考えるようにすれば、相性がよくないとされる組み合わせでも、うまくやっていけるのではないだろうか。

2008年1月25日 (金)

神経質礼賛 269.運命は切りひらくもの(2)

 「運命は切りひらくもの」の著者である岸見勇美さんはフリージャーナリストであるが、御自身が強迫神経症に苦しんだ経験を持っておられる。著書の中には経済・経営関係ばかりでなく「ノイローゼをねじふせた男」「森田正馬癒しの人生」といった森田療法関係のものもある。一方、今まで岡本常男さんの書かれた「ビジネスマンのための心の危機管理術」「自分に克つ生き方」はビジネス書の名著として知られているが、謙虚な岡本さんは自慢話と受け止められそうなエピソードはすべてカットして書いておいでなので、今回の出版は岸見さんの公正な目で見た岡本さん像だと言えよう。

 岡本さんの人生には「運命を切りひらいた」と言える大きなヤマがいくつかあるが、その一つ、岡本さんがシベリア抑留生活から奇跡的に生還できたのは、神経質の持つ強い「生の欲望」や粘り強さ・敏感さといった性格特徴が大きく寄与していたことがわかる。命じられたまま重労働に従事していたら体が丈夫でない岡本さんは助からなかっただろう。極限状況の中で生き延びるために必死にロシア兵士から言葉を学び、辞書メモを作り、3ヶ月で片言の会話ができるようになって、ついにロシア将校に認められて通訳となり、重労働から開放されたのだという。この体験はその後、苦難に遭遇した時にそれを乗り切っていく原体験となったことと思う。

 この本を読み終えて、私自身の人生を振り返ってみると、若い頃は、大学受験失敗、失恋、父親の闘病生活と死、不本意な就職、うつ体験、医大再入学といったヤマがいくつかあったが、岡本さんのそれに比べれば高さが10分の1にも満たない小さなヤマに過ぎない。運命を切りひらいたなどと大それたことは言えないが、苦しい時にクヨクヨしながらもどうにか踏ん張ってきて今の自分があるのは神経質な性格のおかげだと感謝している。

2008年1月23日 (水)

神経質礼賛 268.運命は切りひらくもの(1)

 メンタルヘルス岡本記念財団から創立20周年記念出版の岸見勇美著「運命は切り開くもの」(文芸社)を送っていただいたので、仕事の合間に3日間で読み切った。メンタルヘルス岡本記念財団と岡本常男さんのことについてはすでに37・38・39話に書いているし、森田療法関係者で岡本さんを知らない人はいないが、御存知ない方のために、改めて少し書かせていただく。

岡本常男さんは1924年生まれ。単身満州に渡るが終戦でシベリアに抑留され、生き地獄のような厳しい状況を耐え抜き、九死に一生を得て帰国された。そして大阪で文字通り裸一貫から衣料品店を起こし、後にダイエー・ジャスコ・ヨーカドーとともに4大スーパーと言われたニチイ(マイカル)の共同経営者として副社長になった立志伝中の人である。なお、マイカルは岡本さんの引退後にバブル拡大路線に乗ってしまい破綻しているが、岡本さんが続投しておられればそうはならなかったのに、というのが関係者の一致した見方である。企業を安定成長させていくためには向上心が強く石橋を叩いて渡り四方八方に目配りする神経質が必要なのである。

そんな岡本さんも営業本部長の時に激務の中で食事が摂れなくなり体重が激減。いくつかの病院で検査を受けても異常はないと言われて途方に暮れたが、最後に知人に勧められた森田療法を本とテープで勉強されその通りに実行して回復された。結局、体の病気ではなく胃腸神経症であって、森田療法の絶大なる効果を体験されたのである。その後、森田療法を広めるのが天命であると、私財40億円を投じてメンタルヘルス岡本財団を設立され、森田療法の普及に粉骨砕身されている。今日、国内はもとより中国をはじめとする海外での森田療法の普及は岡本さんの尽力なしにはあり得なかったことである。

 岡本常男さんは経営の神様・松下幸之助(211話)と共通点が多い。お二人とも身体的には幼少時より病弱であり、家が経済的に貧しくて十分な教育が受けられなかったが、「純な心」の持ち主で努力家であり、神経質を生かして創意工夫をこらし、会社経営で大成功されている。そして、私利私欲ではなく社会貢献していこうという志の高さも同じである。財団の理事長職は息子さんに譲られたが、まだまだこれからもお元気で御活躍されることを祈らずにはいられない。

2008年1月21日 (月)

神経質礼賛 267.源氏物語千年紀

 今年は源氏物語が書かれて1000年が経ち、源氏物語千年紀なのだそうである。17日・8日と2日間にわたって毎日新聞夕刊に二人の女流作家・瀬戸内寂聴氏と綿矢りさ氏の対談が載っていた。

 私が源氏物語にハマッたのは高校生の時である。古文はもともと中学生の頃から好きだったが、高1の時に角川文庫で3分冊になっている与謝野晶子訳の源氏物語を買って読んで、その世界にすっかり魅せられた。さらに学校の図書館で源氏物語関連の評論を何冊か読んだ。与謝野訳は他の訳と異なり敬語を大幅に省略しているため、登場人物が身近に生き生きと感じられる特徴があるように思う。源氏物語の通読は難しいと言われるが、高校古文の資料集に載っている登場人物の系図と年表を時々見ながらこの与謝野訳を読んでいけば、比較的たやすく通読できるのではないだろうか。瀬戸内寂聴さんも13歳の時に与謝野訳で源氏物語を読んだそうである。女性が出家することで心の安らぎを得ることがテーマだと寂聴さんは言われる。恋愛遍歴の末に出家された御自身を投影しておられるのだろう。さらに、光源氏の愛は最愛の紫の上を幸せにすることができなかったし源氏自身をも幸せにできなかった、と言っておられるが、この点に関しては私も同感である。源氏が紫の上を大切にしていないのは読んでいてとても気になった点である。紫の上に子供がいない設定になっているのは、源氏の愛以外には逃げ場がない状況に設定したかったからだと思う。

 物語第一部は光源氏の華やかな恋愛と政争を乗り切って栄華を極めていく様が描かれる。第二部では初老期にさしかかった光源氏の生活に影がさし始め、最愛の紫の上を失い失意の中で出家を志すまでが書かれている。そして第三部「宇治十帖」は源氏の死後、表向きは源氏の子である薫と源氏の孫である匂の宮、その三角関係に悩み出家する浮舟を中心に話が展開する。

 よく源氏物語は恋愛小説のように思われているが、愛する人の死と葬送の場面がこれだけ繰り返し書かれている小説もないだろう。また、物の怪・生霊がよく登場し、精神科の立場からすればヒステリーの解離症状(解離性障害)と捉えることができそうである。

 さて、源氏物語の登場人物で神経質キャラはいるだろうか。光源氏と正妻葵上との間の子である長男の夕霧が神経質だと私は思う。光源氏の息子ならば労せずして五位以上の位階(殿上人)からスタートするところだが、源氏の意向で大学寮に入れられみっちり勉強させられる。まじめだが少々要領が悪く、出世レースでもライバルより少し後れがち。幼馴染である雲居の雁との結婚をなかなか認められず、やっと結婚すると次々と子供が生まれて、雲居の雁は育児に追われている。父親の源氏とは対照的に女性関係は極めて地味だったが、光源氏に睨まれて死んでいった友人・柏木の未亡人(落葉宮)に惹かれるようになる。国宝の源氏物語絵巻には手紙を読んでいる夕霧の後ろから嫉妬に燃えて迫ってくる雲居の雁が描かれている。結局、落葉宮とも関係ができるが、怒った雲居の雁は子供たちを連れて実家に帰ってしまう。その後は月の半分を雲居の雁のもとに通い残り半分を落葉宮のもとに通う、と何とも律儀な生活を送ることになり、最後は大臣にまで出世する。この上なく美しい紫の上を偶然に垣間見た時には、間違いを起こさないように父の源氏が自分から遠ざけているのだと悟るし、薫が源氏の子ではなく柏木の不義の子だと感じながらも兄として援助するなど、とにかくガマンと気配りの人である。初めて源氏を読んだ時にすでにこの夕霧に親近感を感じて心の中で応援したくなったのはやはり同じ神経質人間として共感したからであろう。

 こんなことを書いていたらまた通読してみたくなった。次に読む時には第二第三の神経質キャラを探しながら読んでみようか。

2008年1月18日 (金)

神経質礼賛 266.震災後13年

 6434人もの方が亡くなった阪神淡路大震災から昨日で13年が経過した。壊滅的な被害を受けた街は復興し、伝統産業である酒造会社の再建もあり、震災の爪あとは消えたかに見える。しかし、震災で家族を失った方々の痛みが完全に癒える日はまだまだであろう。倒壊した家の下敷きになったり火災に巻き込まれたりした家族を、すぐ近くにいながら助けることができなかった無念さは想像を絶するものがある。また、人的被害はなくても住宅や家財を失い経済的に大打撃を受けた人たちの数はさらに多数である。

 地震自体は防ぐことができないし、某住宅メーカーの「神様、いつ地震は来ますか?」「わかんないんだよねー」というCMではないが予知することも実際には困難である。活断層は全国あちこちにあって、おそらく未知の活断層もあるので、今まで大丈夫な所でも突然に直下型地震に襲われることだってありうる。地震は起こるものとして備えを十分にしていく他はない。住宅の耐震化ということもあるが、家具が倒れることを防止する工夫をするとか倒れた場合ケガをするような家具類のない部屋で寝るなどの被害防止策はそれほどコストもかからずにできることである。飲み水や非常用食料・医薬品の確保も大事だ。まさに備えあれば憂いなし。神経質人間ならば家の中や周囲の危険箇所・心配な所を探し出したり非常用品を準備したりするのはお手の物であるはずだ。われわれも気を緩めずに神経質を生かして地震対策をしていくことにしよう。

2008年1月14日 (月)

神経質礼賛 265.不安への対処法

 読売新聞の医療ルネサンスというコラムが「シリーズこころ」として精神疾患を扱い始めた。18日・9日はパニック障害についてであり、9日の記事では歌手の円広志さんの話が載っていた。「パニック障害の治療は薬物療法が基本」という編集者の書き方には私としては反論したくなる。統合失調症・躁うつ病・てんかんの治療ならば、まず薬物療法が基本と言っていいだろうが、パニック障害のような不安障害では精神療法の役割は大きい。確かに重症の場合はまず薬物療法ということになるだろうが、軽症の場合は薬なしで認知行動療法的なアプローチや森田療法的アプローチで改善することも少なくない。それに薬だけの治療では再発もしやすい。

しかしながら記事の中での円さんの発言には大いに参考になるところがある。「かつては『50歳まで生きられないのでは』と悲観的になったが、今は『また不安がお出ましになりましたね』と慌てずに受け止めることができる」と述べておられる。この「お出ましになりましたね」とうやうやしく不安を受け流してしまうのが円流なのだろう。円さんが良くなったのは、薬のおかげだけではない。奥さんをはじめ周囲の人々の支えがあり、そうした中で不安を受け流して相手にしない術を会得されたことが大きかったのではないだろうか。

神経質人間は些細なことでも不安になりやすい。しかし、不安から逃げようとしてジタバタすればますます不安は追いかけてくるものである。不安常住でどうにもならないものだと諦めて、気分はともかく目先の仕事をこなしていけば、いつしか不安はおとなしくなっているものである。そうなればこっちのもので、神経質パワーが存分に生かせるのである。

2008年1月11日 (金)

神経質礼賛 264.酸欠事故

 新年早々、次から次へと事件や事故のニュースが新聞紙面を埋めている。先日、北九州の地下工事現場で送水管工事にあたっていた作業員3人が酸欠・一酸化炭素中毒で亡くなる、という事故が起こった。その後の調べでは、酸素濃度のチェックを怠り、送風機はあったものの使用しておらず、さらにはガソリン式の発電機を使っていたことがわかり、酸欠および発電機の不完全燃焼による一酸化炭素中毒が死因とみられている。

酸欠事故はしばしば起こる。坑道や古井戸などの地下ばかりでなく、サイロ内の食料が発酵して農家の人が酸欠になったり古い冷蔵庫の中に隠れた子供が出られなくなって酸欠になったりすることもある。時に救助に駆けつけた消防署員や救急隊員が犠牲になることもある。

 仕事の管理がずさんだったことは確かである。しかし、酸欠になったら死ぬことは小学校高学年以上であれば誰でも知っている。また、換気の良い所でなければ発電機の使用が危険であることはわかるはずである。もし誰か一人でも神経質な人がいて「心配だから送風機を回そう」とか「発電機は危ないからやめよう」と思っていたら、このような惨事は防げたはずであり、無駄に命を落とすことはなかったのに、と思う。「鈍感力」では命がいくつあっても足りないだろう。神経質かそうでないかが生死を分けることもあるものだ。

2008年1月 7日 (月)

神経質礼賛 263.柔順

 従順・柔順を国語辞典で引くと、性格、態度が素直で逆らわないこと(従順)、もの柔らかでやさしく素直なこと(柔順)、となっており、現在は「従順」を用いるのが一般的、とのことである。

 今まで数多くの神経症の人を診てきて思うのは、良くなって社会や家庭でうまくやっていけるかどうかは、「柔順」かどうかにかかっている、ということである。治っていかない典型的なタイプは、自分が今苦しんでいるのは親のせいや環境のせいだと周囲を恨み、グチばかりこぼして努力しない人である。一方、素直に努力していく人は驚くほど治りもよいし、社会や家庭でもうまくいくものである。

 貧乏な家に生まれた、容貌に恵まれなかった、持病や障害がある、などといったことをいくら恨んだところで何の足しにもならない。恨めば恨むほど性格もひねくれて、周囲からは嫌われるばかりである。たとえ五体不満足だったとしても、与えられたものを最大限生かして努力していけば、自分も幸せになり、周囲の人たちをも幸せにすることができるのである。

 柔順とは何でも言われたとおりにするということではない。生活の発見会の創始者・水谷啓二さんは、強迫観念に苦しみ森田先生の治療でよくなり、東大を卒業してジャーナリストになった人である。その水谷さんは森田先生から、治りたければそこで3べん回ってお辞儀をしてみ給え、と言われてその通りにしたら、先生に叱られた、というエピソードがある。先生いわく「それは柔順ではなく盲従だ」と。

 森田正馬先生の色紙には柔順(従順)について書かれたものがいくつかある。

① 自然に服従し境遇に従順なれ

② 柔順なるものは常に自分を我がままもののやうに思ふ

③ 柔順ほど安楽なるものはなし

 私は①の言葉はあまり好きではなかった。特に「服従」という言葉に抵抗を感じた。しかし、年を取るにつれ、だんだん理解ができるようになってきた。加齢とともに肉体的な健康は徐々に失われ、自分を支えてくれた人々もだんだん亡くなっていく。そしてやがて自分が逝く番が来るだろう。エントロピー増大の法則には逆らえない。与えられた境遇の中で最大限努力して自分の使命を果たしていく他はないのだ。そう覚悟を決めると、不思議な安心感が沸いてくる。まさに③である。そして②のように自分のわがままな点・素直でない点を反省するのである。

 神経質を生かすカギは「柔順」にある。

2008年1月 5日 (土)

神経質礼賛 262.プレッシャー(2)

 2日の夜、帰宅すると妻がTVで大リーグ・マリナーズのイチロー選手の番組を見ていた。私も食事をしながら何となく見てしまった。野球のルールをよく知らない妻はイチロー選手の家の家具や奥さんの言動に興味があったようだ。毎日1回は奥さんが作ったカレーを食べているというのは意外である。私はイチロー選手のプレッシャーについての発言に注意が引きつけられた。はた目には、いつも平常心で試合に臨んでいるかのように見えるイチロー選手でさえ、打率のプレッシャーから、試合前は緊張し、脈が速くなるのを意識するそうである。以前はプレッシャーから逃げようとした時期もあったがうまくいかず、今シーズンはプレッシャーと向き合う覚悟で試合に臨んだそうである。残念ながら首位打者は逃したが、最後まで首位打者争いでファンを沸かせた。

 イチロー選手には遠く及ばなくても、我々は誰でも日常生活で多かれ少なかれプレッシャーを感じる場面に遭遇する。特に神経質人間はプレッシャーを強く感じやすい。事前に不安や緊張は高まるばかりである。しかし、プレッシャーから逃げようとしてもかえって不安や緊張はより高まってしまう。イチロー選手のようにプレッシャーと向き合うのはムリとしても、プレッシャーはつきものだとあきらめて、とりあえずできる準備を積み重ねていき、ドキドキハラハラのまま本番に臨むのがベストである。

 今年は自分の子供たちが高校受験で、親としても落ち着かない。私からはプレッシャーをかけないように気をつけているつもりである。結果はともあれ、プレッシャーに耐えて、力が出せることを祈っている。

2008年1月 4日 (金)

神経質礼賛 261.プレッシャー(1)

 毎年、正月のTV番組でよく見るのは大学箱根駅伝である。一生懸命に走っている選手の姿には胸を打つものがあり、どこの大学の選手であっても思わず声援を送りたくなる。さらに自分の出身校が活躍していれば楽しみは倍増する。TVの前に釘付けでは何もできなくなるので、ラジオで中継を聞きながらやることを片付けて、中継所の前後や、デッドヒートの場面ではTVをつけて見る、という見方をしている。今年は足の故障や脱水のために3校が途中棄権するという大波乱があった。棄権は免れたものの照りつける太陽と空気の乾燥により脱水状態寸前で監督から水を渡される選手もいた。

団体種目のスポーツで駅伝ほど個人にプレッシャーがかかる種目もそうはないだろう。誰か一人でも体調不良で走れなくなったら他の選手がいくらすばらしい記録を出していたとしてもおしまいである。選手たちはタスキの重みを感じながら走っている。監督さんも選手の体調管理・補水・ペース配分に細かく気配りすることが要求される。脱水でフラフラになりながらも責任を果たそうと、一歩でも前へ進もうとする鬼気迫る選手の姿は感動的ではあるが、そのような状況を起こさないことが大切なのである。

一般に仕事の世界でも、駅伝型のシステムで仕事をしていると、個人のプレッシャーが大きいだろう。最近のニュースで勤労者の週休消化が進まない原因として、個人がパソコンで片付けなければならない仕事が増え、その人以外では代わりができないので、休みたくても休めない人が増えているのではないか、という分析があった。休んだら他の人に大きな迷惑がかかる、だから休めない、というのでは駅伝に似ている。誰しも病気にかかることはありうるのだから、アクシデントに備えて、他の人がカバーしやすいような仕事のシステムにしていく必要があるだろう。心配性の神経質人間お得意の「転ばぬ先の杖」も必要である。

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