神経質礼賛 280.思想矛盾 事実唯真
「死を恐ろしくないようにしたい」「苦しいことを平気でやろう」というように、当然あるべき事実を、そうでないように作為することを、森田正馬先生は「思想の矛盾」という言葉で表現された。死は恐ろしく、苦しいことは苦痛であるのは、どうにもならない事実なのである。恐ろしくないようにしようとすればするほどますます恐ろしくなる。苦しいことを苦しまないようにしようとすればするほど苦しくなってしまう。事実をあるがままに認めて、素直に行動していくことが大切である。
私は以前にも何度か述べたように人前でとても緊張してドキドキする、いわゆるあがり症である。特に人前で話さなければならない時には心臓はバクバクして、カーと頭に血が上ってくるのがよくわかり、赤面しているのを自覚するのである。そういう対人緊張・赤面恐怖は小中学校の頃からあった。授業中に指名されると、頭の中ではわかっていても緊張してしどろもどろになり、思ったことが言えなかった。自分は情けない、何とか大胆になれないものか、性格を変えられないものか、と悩んだものである。中学・高校時代、自律訓練法や催眠関係の本を読んでいろいろやってみたこともあるがうまくいかなかった。高校を卒業する時の寄せ書きには「あなたほど女性の前でテレる人は珍しい」と同級生の女の子たちに書かれたものである。自分はこれで仕方がない、ドキドキしながら赤面しながらやっていくしかない、という結論に何となく達したのは20代後半のことである。ひと頃、「世界ふしぎ発見」というTVのクイズ番組に回答者で出ていた映画監督の羽仁進さんが、どもりながらもニコニコ話しておられるのを見て、大いに勇気付けられたものである。話し下手であっても、一生懸命に話していれば、かえって好感が持たれるものだなあと思った。人前で話すのは苦手であっても、避けることが少なくなると、あがることは以前に比べれば気にならなくなった。今でも人前では緊張するし話す時はドキドキするが、これでいいのだと思っている。
「緊張せず、あがることもなく、堂々と人と話せるようになりたい」というのは森田の言う思想の矛盾であり、「自分は小心者・恥ずかしがり屋で緊張しやすい」「しかし緊張しながらも話すことはできる」という事実を認められるようになって気にならなくなってきたのである。私の場合は森田を知らないまま試行錯誤の末に森田と同じことになったわけだが、もっと早くに森田を知っていれば、自分の人生も少し変っていたかもしれない。
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