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2008年2月29日 (金)

神経質礼賛 280.思想矛盾 事実唯真

 「死を恐ろしくないようにしたい」「苦しいことを平気でやろう」というように、当然あるべき事実を、そうでないように作為することを、森田正馬先生は「思想の矛盾」という言葉で表現された。死は恐ろしく、苦しいことは苦痛であるのは、どうにもならない事実なのである。恐ろしくないようにしようとすればするほどますます恐ろしくなる。苦しいことを苦しまないようにしようとすればするほど苦しくなってしまう。事実をあるがままに認めて、素直に行動していくことが大切である。

 私は以前にも何度か述べたように人前でとても緊張してドキドキする、いわゆるあがり症である。特に人前で話さなければならない時には心臓はバクバクして、カーと頭に血が上ってくるのがよくわかり、赤面しているのを自覚するのである。そういう対人緊張・赤面恐怖は小中学校の頃からあった。授業中に指名されると、頭の中ではわかっていても緊張してしどろもどろになり、思ったことが言えなかった。自分は情けない、何とか大胆になれないものか、性格を変えられないものか、と悩んだものである。中学・高校時代、自律訓練法や催眠関係の本を読んでいろいろやってみたこともあるがうまくいかなかった。高校を卒業する時の寄せ書きには「あなたほど女性の前でテレる人は珍しい」と同級生の女の子たちに書かれたものである。自分はこれで仕方がない、ドキドキしながら赤面しながらやっていくしかない、という結論に何となく達したのは20代後半のことである。ひと頃、「世界ふしぎ発見」というTVのクイズ番組に回答者で出ていた映画監督の羽仁進さんが、どもりながらもニコニコ話しておられるのを見て、大いに勇気付けられたものである。話し下手であっても、一生懸命に話していれば、かえって好感が持たれるものだなあと思った。人前で話すのは苦手であっても、避けることが少なくなると、あがることは以前に比べれば気にならなくなった。今でも人前では緊張するし話す時はドキドキするが、これでいいのだと思っている。

「緊張せず、あがることもなく、堂々と人と話せるようになりたい」というのは森田の言う思想の矛盾であり、「自分は小心者・恥ずかしがり屋で緊張しやすい」「しかし緊張しながらも話すことはできる」という事実を認められるようになって気にならなくなってきたのである。私の場合は森田を知らないまま試行錯誤の末に森田と同じことになったわけだが、もっと早くに森田を知っていれば、自分の人生も少し変っていたかもしれない。

2008年2月25日 (月)

神経質礼賛 279.車のバッテリー

 自動車を12ヶ月点検に出した。買い換えて4年になる。4年間で走行距離はやっと1万km。点検ではいつも「バッテリーが弱ってますねえ」と言われてしまう。1年前にバッテリーを交換したばかりだが同じである。あまり乗らないでいるとバッテリーが十分に充電されず、良くないのだそうである。最近の車はキーを抜いても、内臓コンピューターやキーレスエントリーなどのために電流を消費するとのことである。と言われても乗る機会が少ないのだから仕方がない。子供が小学生位までの頃は、毎週末、公園のアスレチックや博物館などに連れて行ったので、それなりに走らせていたのだが、今ではもっぱらホームセンターでの買物専用である。そういえば高速道路を走った記憶もここ1、2年はない。始動時と降車前に少々アイドリングして少しでも充電しているつもりだが、それでもバッテリーにとってはかわいそうな状態である。

 そこで、バッテリー充電器を購入した。電気製品なら何でも分解したことはあるが、恥ずかしながら車のボンネットを開けるのは初めてである。おそるおそる説明書にしたがってボンネットを開けて、おっかなびっくり充電器からのコードを接続し、バッテリーを充電してみた。これからは月に1-2回は充電することにした。これで神経質の仕事がまたひとつ増えた。

2008年2月22日 (金)

神経質礼賛 278.イージス艦事故

 2月19日早朝、自衛隊のイージス艦「あたご」が漁船と衝突し、漁船は沈没、乗組員2人が行方不明となる事故が起きた。位置関係からすると、イージス艦側の回避義務が大きかったらしい。最新鋭レーダーなどのハイテク機器を備えた艦船がこんなことでは困る。日本近海には某国の工作船がいることだし、もしも自爆テロの船がぶつかってきたら避けられないだろう。20日付の読売新聞朝刊コラム「編集手帳」では、国の防衛をヴァイオリンに喩えて、楽器の表板と裏板の間で音を伝えるのに最も重要な働きをする魂柱が欠落したようなもの、と批判している。

魂柱(こんちゅう)について補足説明をするとヴァイオリンの表板と裏板の間にある丸い木の棒のことで、この棒は接着されていない。挟まっているだけである。そのわずかなズレで音がこもって響かなくなってしまう。ヴァイオリン職人は細長いフォークのような道具を表板の「f字孔」から差し入れて魂柱の位置を微妙に調整する。腕のいい職人さんに調整を頼むと、まるで別の楽器のようによく鳴るようになったりもする。今回の場合で言えば、魂柱がない、というよりも、それを適正に調整する能力を持った職人、すなわち優れた指揮官がいない、と言った方がより適切かと思う。

同じ19日のTVニュースでは、昨年12月にヘリ搭載護衛艦「しらね」で火災が起きて戦闘指揮所が全焼した原因が、無許可で持ち込まれた私物の中国製冷温庫の過熱によるものだったと報じていた。修復には200-300億円もかかるという。緊張感の不足、神経質の不足が蔓延している。

軍人は勇猛で大胆であればよい、というものでもない。特に上に立つ人間ほど緻密さや神経質さも必要である。軍人の気の緩みや判断ミスは大きな人的・経済的損害を出す。

かつて強迫観念のため森田正馬先生の治療を受けた軍人さんは何人もいた。退院後も月1回の形外会に参加していた黒川邦輔陸軍大尉は全治者として、会員たちにとても尊敬されていた。息子さんの名付け親は森田先生である。やがて陸軍少佐に昇進。最後はビルマ派遣師団参謀長となり、飛行機事故で亡くなっている。森田正馬全集第5巻には黒川大尉の発言が散見する。上官にも神経質な人がいて、森田先生の治療を詳しく知りたがったというエピソードもある。黒川大尉は神経質性格を大いに礼賛していた。

いくら高性能なハイテク機器でも鈍感力人間たちが動かしていたのではこういう事故も起こる。本当に必要なのは神経質ではないだろうか。

2008年2月19日 (火)

神経質礼賛 277.弱くなりきる

 前話の「負けるが勝ち」に近い森田の言葉は、「弱くなりきる」だと思う。森田正馬先生は次のように言っておられる。

 なお赤面恐怖の人に一言注意したいのは、自分が小さい、劣等である、どうにもしかたがないと、行きづまった時に、そこに工夫も方法も、尽き果てて、弱くなりきる、という事になる。この時に自分の境遇上、ある場合に、行くべきところ・しなければならぬ事などに対して、静かにこれを見つめて、しかたなく、思いきってこれを実行する。これが突破するという事であり、「窮して通ず」という事である。すなわち「弱くなりきる」という事は、人前でどんな態度をとればよいかという工夫の尽き果てた時であって、そこに初めて、突破・窮達という事があるのである。(森田正馬全集第5巻 p.282

 これは赤面恐怖に限らず、他の神経症症状に悩まされている人にも言えることである。症状に追い詰められて、まさに背水の陣となった時に、「恐怖突入」で思い切って行動すると、予想外の成果が得られるものである。森田先生御自身、学生時代に「神経衰弱・脚気」と診断され、たまたま親からの仕送りが滞り、もうどうにもならないところまで追い詰められた。当時、「神経衰弱」は不治の恐ろしい病気だと思われていた。思い切って薬をやめて症状は放置して勉強したところ、試験の成績は思いのほか良く、いつの間にか症状も消散していた、という経験を持っておられる。さらに、この経験がのちの森田療法につながったとも言われている。

 ちょっと脱線するが、現在20歳前後の方は、小さい時に「おばけのホーリー」というNHKアニメ(原作は「よわむしおばけ」という児童書)を見たことがあるだろう。またその親世代の方はお子さんと一緒に見ていたかもしれない。主人公のホーリーはチョコレートでできた茶色のかわいらしいオバケで、いろいろな形のものに変身できる能力を持っているが、とても気が小さく、人間をおどかすという「仕事」がうまくできない弱虫オバケである。いじめっ子たちとその飼い猫からいつも逃げ回っている。そのためオバケ仲間や主人の魔女からは叱られてばかりいる。しかし、切羽詰って大ピンチに陥ると、機転を利かせ変身能力を最大限利用して大活躍するのである。まさに「弱くなりきる」「窮すれば通ず」なのである。

 神経質人間は負けず嫌いで少々プライドが高い面を持っている。そのため強がりたがってなかなか弱くなれないのである。しかし、「弱くなり切る」ということを体得すると、大きな飛躍ができるものである。

2008年2月15日 (金)

神経質礼賛 276.負けるが勝ち

 「勝ち組」「負け組」という言葉をよく聞く。特に週刊誌の見出しに多用されている。その背景には一億総中流社会から上流社会・下流社会への二極分化があると言われている。社会的地位が高く高収入で多くの資産を手にした人が「勝ち組」で、そうでない人を「負け組」いわば人生の敗者としてレッテル貼りをするものである。となると勤務医の開業ブームに乗り遅れた私などは、さしずめ「負け組」になるのだろう。

また、どんなに仕事ができて美人であっても30代以上で子なしの独身女性を「負け犬」とする流行語もあった。これを言い出した酒井順子さんの意図は、「負け犬」と謙遜することでキャリアウーマンが世間とうまくやっていけるところにあったようだが、最近の使われ方を見ると、自嘲して言う言葉と化している気がする。

しかし、大切なことは「勝ち」「負け」ではなく、生きがいのある人生を送っているかどうかではないだろうか。たとえ収入が少なかったとしても、結婚しないまま中高年になったとしても、仕事や社会活動や趣味などで生きがいが感じられ、輝くことができるのならば大いに結構ではないか。

「いろはかるた」の中に「負けるが勝ち」という言葉がある。部分的に負けであっても大局的に勝ちになっているということはよくある。将棋でいくら駒をたくさん取られて負けているように見えても、最終的に相手の王を詰ませば勝ちである。塞翁が馬の話のように不幸が次の幸運のタネになることもある。人生、棺桶に入るまでわからないもの、とはよく言うが、作曲家や画家や小説家の場合は亡くなってから高く評価されることだってある。そうなると、何が勝ちなのか、ということにもなってくる。

負けず嫌いの神経質人間は勝敗優劣に敏感になりがちであるが、長い目で見た大局的な判断が必要である。目先の勝ち負けにこだわってエネルギーをムダに費やすよりも、つまらない争いは避けるのが賢い処世術でもある。

特に神経症の症状に悩んでいる方。ことさら症状に打ち勝とうなどと力む必要はない。人に会うのは恥ずかしく感じる(対人恐怖・社会不安障害)、いくら確認しても不完全だ(強迫性障害)、乗り物・会議・美容院・歯医者が怖い(不安神経症・パニック障害)、不眠や頭痛や胃の不調が気になる(普通神経質)、といった症状に対しては、これはどうしようもないのだとある意味「負け」を認め、恥ずかしいまま・不完全なまま・怖いまま・気になるまま、そのままに生活していけばよいのである。症状と格闘する無駄な空回りがなくなれば、そのうち「治らずして治った」となるのである。これも負けるが勝ちである。

2008年2月11日 (月)

神経質礼賛 275.詰替え

 台所洗剤、洗濯用液体洗剤、シャンプーなど、容器が再利用できるように詰換え用の中身だけを売っているものが多くなった。これは省資源の上で喜ばしいことである。神経質を生かしてどんどん利用したいところだ。ところが、台所洗剤はいいのだが、粘度の高いおしゃれ着洗い洗剤やシャンプーだと詰替え用の使い勝手がどうも良くないものが多い。切取り線の切口からちぎっても中身が出てこないこともあるし、何とか出てくれても時間がかかり最後まできれいに出し切るのは結構むずかしい。詰替えの袋に残ったシャンプーがもったいないからその場で使ってしまおう、と入浴中に入れ替えることもあるが、濡れた手で切口を開けようとしても手が滑ってうまくいかないこともある。対策としては、メーカーが付けてある切れ目よりも少し根元の部分にあらかじめハサミで切り込みを入れておき、大き目の口があくようにしている。できればメーカー側でしっかり口があいて容器に流し込みやすい(もちろん輸送段階で開くことのない)形状にしてもらえると助かるところである。時々、詰替え用の方が本体付よりも割高に販売されていることがある。これでは詰替えを買おうとする人が減ってしまうので何もならない。価格面でも考慮してほしいものだ。

 

詰替えは洗剤やシャンプーに限らず、食品でもある。インスタントコーヒーの場合、湿気を帯びた粉がガラス容器に付着してしまうので、2回位の詰替えが限度のようである。考えてみれば、食品関係は使い捨て容器のおかげでずいぶん便利で衛生的になっている。私が子供の頃は、パック入りの豆腐はなく、自転車にリヤカーをつけた豆腐屋さんがラッパを吹きながら売りに来ると、近所のオバサンたちがボールを持って集まってきたものである。味噌や醤油の量り売りをしている店もあった。小豆などを升で量り売りする「乾物屋」もあった。もう今では死語である。環境保護や省資源が叫ばれる今日、こうした量り売りが復活してもよさそうである。大型店に客を取られてあえいでいる街の小さな商店にも「エコ」を切口とした商機があるのではないだろうか。

2008年2月 8日 (金)

神経質礼賛 274.餃子事件の影響

 今朝の新聞報道では、回収された完全密封状態の冷凍餃子から初めて殺虫剤メタミドホスが検出されたとの兵庫県警の発表があり、これで中国の工場での生産段階で混入したことが確実となったといえる。

 問題の工場で生産された食品は学校給食でも使われていて、関係者は苦慮しているようである。ただでさえ食品の原材料高騰のおり、安い食材の入手は大変なところにこの騒動である。冷凍食品以外でもその工場で加工された牛肉を使用していたことがわかって自主回収となったレトルト食品もある。回収対象商品を見て愕然としたのは、私が当直用に病院に持っていったレトルトカレーがその中に入っていたことだ。すでに食べてしまっていて手遅れである。今のところ症状はないようだが(?)。さらに別メーカーのレトルト牛丼も回収対象になっていて、これは食べずに残っていた。国民生活センターのHPでは送料着払でメーカーに送るようにとなっている。手間を考えると捨てたほうがラクだが、調査対象に使われるわけだから今日中に宅急便の営業所に持って行こうと思っている。

 中国のたった一つの工場で起きた問題が、これだけ日本国民の安全をおびやかし、多方面に打撃を与えたことを考えると、コストと便利さばかりを最優先してきたところに問題があったのだと思い当たる。食べて中毒症状となった方々の苦痛は言うまでもないが、輸入販売した企業も大損害だし、国や都道府県だって捜査・調査や中国側との交渉に多額の税金を使うことになってしまった。医療と同様、食の安全に関しては、大いに神経質であることが必要である。

2008年2月 6日 (水)

神経質礼賛 273.殺虫剤入り餃子

 大学病院勤務時代は何度か有機リン系農薬による自殺未遂患者に遭遇することがあった。当直中に救急部からコールがあるのだが、救急専門医が常駐しているので迅速な処置が行われる。精神科医はひとまず家族から生活状況を聞き取り、身体的治療が一通り終わり本人の意識が回復してからが出番となる。自殺目的で精神科薬の大量服薬では古い三環系抗うつ薬以外はまず生命的に危ないことはないのだが、有機リン系農薬は少量でも意識障害や呼吸障害をきたして致死的となることがあるから恐ろしい。悪心・嘔吐の他に瞳孔の縮小が特徴的で、重症例ではサリン中毒の解毒剤としても使われるPAM(プラリドキシム)の静脈注射が有効である。

 先月、中国産冷凍餃子を食べた一家が日本国内では使われていない有機リン系殺虫剤メタミドホスによる中毒症状を起こし、うち一人の子供が意識不明の重体となった。先に述べたような縮瞳もみられていた。幸い危険な状態は脱出したようだが、神経症状は残っているとのことである。製造元の中国で意図的に混入されたのではないかという見方もあり、厚労大臣が中国での犯罪を強く疑うような発言をして、中国側からは日本の謀略だと強い反発も出ている。反日感情が強い国に対して証拠が揃っていない現段階でそのような発言をするのは神経質が足りなすぎる。下手をすれば外交問題にもなりかねない。さらに今朝の報道では回収した商品から別の有機リン系殺虫剤ジクロルボスが検出され、これは毒性が低く日本国内でも使用されているものとのことで、真相はまだわかっていない。

 日本の台所は中国や東南アジアに大きく依存しているのが現状で、もはや食品の輸入をストップするわけにはいかない。中国製は危ないという人もいるが、ベトナム製が安全だとも言えないだろうし、国産品だって種々の食品偽装事件を見れば大丈夫といい切れるかどうか疑問である。私が問題にしたいのは、この輸入餃子で異臭や味の異常のクレームが昨年10月頃から出ていたのに十分な対応がなされていなかった点である。特に生協は昨年ミートホープ牛肉偽装事件にもからんで反省の弁を述べているのに、今回いくつかのクレームにもかかわらず回収を行わず、被害を出してしまっている。前の失敗が生かせていない。食品の安全に「鈍感力」ではいけない。海外生産品を輸入するのはやむを得ないが、現地の生産体制に問題はないか、輸入後の流通ルートに問題はないか目を光らせ、トラブル発生時にはすみやかに公表して商品を回収する、といった神経質さが必要である。目先の利益を優先して手抜きをすれば、結局大きなツケが回ってくるのである。

2008年2月 4日 (月)

神経質礼賛 272.がんばれ受験生

 受験シーズンたけなわである。神社は受験祈願の学生さんたちで繁盛しているようだ。スーパーに行っても、受験生応援グッズが目に付く。菓子売場には縁起をかついだネーミングの商品が並んでいる。「キットカット」(きっと勝つ)、「キシリトールガム」(きっちり通る)はともかく「コアラのマーチ」は眠っていても(木から)落ちないという縁起かつぎだそうだ。さらに「カール」→「ウカール」、「柿の種」→「勝ちの種」、「ハイレモン」→「ハイレルモン」、「キャラメルコーン」→「カナエルコーン」といった具合の季節限定商品もある。昨年は合格茶漬(合格と書かれた具が入っている)を見かけた。今年は合格カップ麺があった。まあ、いくら縁起をかついでも本人が努力しないのでは話にならないのだが、つい私も子供にとこの種のグッズを買ってしまうのである。

 少子化により高校全入はおろか大学全入とも言われる昨今ではあるが、入りたい学校は限られるので受験戦争であることに変りはない。相変わらず受験生本人たちにはプレッシャーがかかっている。本番では緊張することだろう。特に神経質人間にとって面接は鬼門である。緊張しないで全力を出したい、という気持ちはよくわかるが、緊張すまいと思ってもかえって緊張が高まって焦るばかりである。緊張するのは自然なことなのであって、逆に緊張感が足りないようでは良い結果は出せないだろう。緊張はあるがまま。とにかく一つずつ問題を解いていくのだ。面接ではあがって多少赤くなっても良い。少々言葉に詰まっても良い。むしろ純情な子だと好感を持ってもらえるはずだ。緊張しないようにあがらないようにという心配をするくらいなら風邪をひかないよう心配した方が良い。がんばれ受験生!

2008年2月 1日 (金)

神経質礼賛 271.ファッション

 森田正馬先生の写真といえば詰襟服の写真を思い浮かべる方も少なくないだろう。森田先生は実用本位の詰襟服を愛用され、自宅・診療所ではくつろいだ着物姿で、あまりファッションにはこだわらなかったように思われている。しかし、詰襟服の下にはネクタイをしておられて実はオシャレだったのではないか、という説もある。

森田先生は大学卒業後半年ほどして家計の補助のため、内職の開業を始めた。同じく開業免状取りたての同郷の山崎氏に代診を頼んでいたが、患者さんの家では山崎氏が院長で森田先生は代診と間違えられることが多かったという。「山崎は、肥満して立派な風采であり、余はみすぼらしい身ナリでもあるから、多くは余自身が代診と思はれて居た」(白揚社:森田正全集 第7巻 p.747)と述べている。また、退院した患者さんたちの集まりの場だった形外会でも、井上常七さんの発言として「篠原さんが、先生が風采があがらぬと感じたといわれたが、私も同様であった。初め古閑先生を森田先生かと思った。和服で袴もつけず、猫背で、あてがはずれた気がした」(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.210)とある。古閑義之先生は高良武久先生と並ぶ高弟で、森田先生と同様に自宅に患者さんを入院させて森田療法を行っていた人で、心療内科を専門とし後に聖マリアンナ医大学長となった人だが、森田先生と一緒に写っている写真を見るとインテリのハンサムボーイといった感じである。古閑先生と比べられては森田先生もお気の毒である。

 私もファッションだとかブランド品にはまるで興味がない。衣類を買いに行くと、つい、いつも同じような色柄のシャツとズボンを買ってしまうのである。このズボンという言い方からしてすでに時代遅れである。今風にパンツと言うと、どうも下着の方を思い浮かべてしまうのだから、かなり重症である。妻からは「もう年なんだから、みっともない」「もう少し何とかならないの?」と服装について非難されるが、もはやオジサン改造は困難なようである。神経質ゆえ目立たない服装で、別に人に不快感を与えるわけではないのだから、これでいいのだ、と開き直る私である。

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