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2008年3月31日 (月)

神経質礼賛 290.純なる心

 森田先生の色紙に「過ちて皿を割り 驚きて之をつぎ合せて見る 此れ純なる心也」というものがある。思わず継ぎ合わせてみる行動は、物そのものになりきって「ああ、惜しいことをした、残念だ」という純なる心の表れである。その気持ちで素直に謝れば、残念だという気持ちが持ち主と一致することになる。ところが、「自分は失敗が多い」とか「また叱られる」とか考えて、いろいろ言い訳をして謝ったところで、品物の惜しさより自己中心であるから、その物の持ち主を腹立たせてしまうのである。そして、また同様の失敗を繰り返すことにもなるのだ、と森田先生は言っておられる。

とはいうものの、現実にはなかなかそう素直になり切るのも難しいものである。仮に私が皿を割った当事者だとしたら、相手はどう思うだろうか、弁償するとしたらいくらになるだろうか、もし高いものだったら賠償保険が使えるだろうか、などといろいろな考えが浮かんでしまうことだろう。

読書恐怖・肺病恐怖・性的恐怖といった強迫観念に悩み、森田正馬先生の治療を受けた22歳・大学生(おそらく「生活の発見会」創始者の水谷啓二氏)の日記には次のように記されている。

 先生がよく、患者をつれて、埃ためや・盆栽を見せて、「之をきたないと思はぬか」「植木の萎れたのが見えぬか」など、追求される事があるが、すなほな患者は、先生におされるまゝに、埃溜の整理なり・盆栽の世話なりに、手を出すけれども、治りにくい人は、物其ものには、少しも目をつけず、只先生の・文句や説明を理解したとか・しないとか考へ、或は自分は、氣がつかない・頭が悪いとか、悲観してゐる・という風であるから、何時迄たつても、実際の修養は出来ない。といふのは、自分の経験にあはせて、よく分つた。(白揚社 森田正馬全集 第4巻 p.179

 純な心、素直な気持ちは多かれ少なかれ誰にでもあるはずである。しかし、素直に行動できない人は、悪智がその発動を邪魔しているのだ。私も含めて劣等感にさいなまれながらも人に負けたくないという心理を持った神経質人間は心に鎧(よろい)を着て自己を守ろうとする傾向があるのではないだろうか。鎧を着ていれば安全だが思うように動けない。重い心の鎧すなわち悪智を脱ぎ捨て、純な心に従って素直に行動していくようになった時、神経質が縦横無尽に生かせるようになるのである。

2008年3月28日 (金)

神経質礼賛 289.共依存

現在勤務している病院は民間の精神科病院なので、全国平均と同様、入院患者さんの6割程度を統合失調症の患者さんが占めている。アルコール依存症を専門とする病院は県内にあるのだが、それでも年に1人か2人はアルコール依存症の入院患者さんを担当することになる。それも定年退職後の男性が多い。典型的な会社人間が退職してしまうと張り詰めていた気持ちにぽっかり穴があいて、そこにアルコールが入り込み、いつの間にか連続飲酒状態となり、家族に対する暴言・暴力などの問題行動が出現したり、肝障害などの内科疾患にかかったり、転倒による骨折をきたしたりして初めて精神科を受診するケースがよく見られる。

こうしたアルコール依存男性の奥さんには共通点が多い。夫の前では何も言わないが、夫と別に話を聞くと、堰を切ったように涙を流しながら話し出す。夫から暴力を振るわれてもそれに耐えて甲斐甲斐しく世話をする。夫の外での不始末は全部尻拭いし、アルコールの問題を隠そうとする。夫が働かなかったり、愛人を作ったりしても、一生懸命パートで働いて家計をやりくりする。できた奥さん、と周囲から高く評価されるのだが、これが結果的には夫の飲酒行動を助けてしまうことになるのだ。人に頼られ必要とされることばかりに自己の価値を求め、そうでないと強い不安に駆られるようなことになっていて、これは共依存と呼ばれる。共依存という不健康な関係に気付き、過度な世話や尻拭いをやめることが本人の苦しみを軽減するばかりでなく夫のアルコール依存を改善するのだ。場合によっては別居することが切り札となることもある。

 先週の読売新聞・医療ルネサンスでは恋愛依存やアルコール依存の問題を扱っていて、共依存の問題に触れていた。DV(ドメスティックヴァイオレンス)でも女性側がダメな男性を世話することに自分の価値を見出してしまうと、かえって男性の暴力を助長してしまっている可能性がある。

 また、社会的ひきこもり青年の母親にも、共依存の関係がみられることがある。ひきこもり青年に安易に「うつ病」の診断をつけてSSRIを処方すれば解決する問題ではなく、家族システムの修正を必要とすることの方が多いような気がする。医療というよりは家族ぐるみの再教育が大切だと思う。

 なお、神経質人間の場合、パーソナリティ特性からして共依存にはなりにくいだろうと思われるが、アルコール依存症そのものになる危険性は誰でもあるので用心するにこしたことはない。

2008年3月24日 (月)

神経質礼賛 288.大隈五訓

 最初に卒業した大学から創立記念事業の寄付要請の郵便が毎月のように送られてきた。予定の金額になかなか到達しないらしい。今年3月末までというタイムリミットに間に合わせて私も一口寄付をした。送られてきた礼状には「大隈五訓」と書かれたしおりが入っていた。

一、怒るな

ニ、愚痴をこぼすな

三、過去を頼るな

四、望を将来に置け

五、人のために善を為せ

とある。二は森田療法で患者さんの日記指導でもよく書くことである。三も「今ここで」を重視する森田療法の考え方に合致する。五も注意が自分ばかりに向いている神経症患者には「人が便利なように行動しなさい」と指導しているのでこれも共通している。四は楽天的でスケールの大きな大隈重信らしい訓示である。それにしても、それらを飛び越えて、まず第一に「怒るな」で始まるのは興味深い。

 大隈重信自身は、ほとんど怒ることがなかったという。大隈は怒りを静める秘訣を人から問われて、「癪にさわることがあると大好きな風呂に入り糠の入った袋で身体を摩擦すると癇癪が自然に和らぐ、それでも静まらなければ酒を一杯飲む、それでもいけない時には寝る」と答えたそうである。(早稲田大学ホームページより)

 すでに247話で怒りの解消法について述べているが、怒りをぶつけるのは怒りの解消法にならない。森田先生の「感情の法則」の通りで、とりあえずはガマンし、他の仕事をしているうちに怒りは自然と消退してくるものである。短気は損気。怒りは上手に解消したいものである。

2008年3月21日 (金)

神経質礼賛 287.擬態うつ病

 病院に出入りしているプロパー(製薬メーカーの営業)さんは来るたびに薬のパンフレットや文献を置いて行くのだが、ある日、こんな記事がありましたよ、と中央公論1月号に掲載された精神科医・林公一(注参照)氏の「それはうつ病ではありません 増殖する“擬態うつ病”の波紋」を置いて行った。

 この記事の中でケースとしてあげられている34歳男性社員は、元々プライドが高く幼稚な傾向があったが、上司から小さなミスを叱責されて数日後から「うつ病」の診断書を提出して休み始めてしまった。2か月後には復職したものの仕事はダラダラしていて仕事と無関係な雑談は熱心。5時の退社時には生き生きしている。休日は競馬で遊んでいる。遅くまで酒を飲んでいたりユーチューブの動画を深夜まで見たりしていて翌日遅刻する。仕事を頼めば「うつ病だから」と逃げる。筆者はブランドに対するニセブランド、うつ病ではなく擬態うつ病だとしている。この例は私が15話「ヒステリーの時代」で書いたケースと似ている。人格未熟でヒステリー傾向を持った人間が疾病逃避・疾病利得を図ったもので限りなく詐病に近い。「新型うつ病」あるいは香山リカ氏の言うところの「30代うつ」もこれに近いところがある(223話参照)。今回の記事では、そうした人たちにうつ病の診断書を書いて「加担」してしまう医師側のウラ事情も書かれている。単なる職場不適応であって医療の対象として不適当ではないかと思いながらも、誤診だったら困るし悩んでいる人を援助したいということで安全策を取ってしまう(さらには「患者」を確保したいという心理も働きそうである)。上司としても、「甘ったれるな!」と一喝して反省させるのがベストだと思いながらも「パワーハラスメント」とされても困るからこちらも安全策を取る。国のうつ病啓発キャンペーンが擬態うつ病を増殖させている、と結論している。

私はこのような人に対して「うつ病」としての診断書を書くことを拒否したことは何度かある。家族がやってきて説明を求められて、うつ病ではなくパーソナリティの問題であることを説明したところ、「本人が傷ついた、どうしてくれる!裁判に訴える!」とクレームをつけられたこともあった。すでに何日か仕事を休んでから初診で来たケースでは、明らかに仕事のストレスが強すぎる場合は「適応障害」の診断書を書いて仕事の負荷を軽くしてもらうように上司と相談するように話している。ストレスが強いとは考えにくい場合は、これ以上休まない方がよい、と説得している。この辺は極めて神経質を必要とするところである。

注:この記事の筆者・林公一氏はネット上で膨大なアクセス数を誇る「Dr.林のこころと脳の相談室」を運営し、宝島社から「大人になったのび太少年」といった本を出しているが、経歴等は一切公開していない。その名前で厚生労働省HPの医師等資格確認ページに入力すると、一人ヒットし、昭和57年医籍登録となっているので、本名だとすれば50代の医師ということになろうか。著書名からすると精神分析を得意とするものと思われる。

2008年3月17日 (月)

神経質礼賛 286.子供の携帯電話

 私はどうも携帯電話が好きではない。今持っている携帯電話は弟がいらなくなった古いプリペイド携帯を名義変更したものである。普段は電源オフで緊急時に公衆電話代わりに使うか、連絡待ちの時だけ電源オンにしておくか位のものである。90日有効3000円分のプリペイドカードも300円分使うのがやっとである。携帯電話のメールは一度もやったことがない。確かにケータイのメールは便利そうだが、一日中メールチェックする生活になりそうでケータイの奴隷になるのは嫌である。

 しかし、世の中すっかりケータイ漬けになってしまい、小中学生でも持っていて当たり前の御時世になってしまった。私の子供たちの中学校でもほとんどの子供が持っていて、特に女の子で持っていないのはウチの子だけ、という状況だった。となると、友達同士ケータイのメールで連絡を取り合うから一人だけ取り残されてしまう。ノートパソコンは子供用がそれぞれあるが、夜の決まった時間帯に私の部屋から居間に長いLANケーブルを引いてきてその間だけインターネット使用可という約束になっているので、メールの返事は遅れがちである。前々からケータイが欲しいという要求があったが、「高校になったら」で我慢させていた。先日、高校入試が終わったので、1ヶ月早いがケータイを買ってあげることにした。いままでケータイが欲しいと言わなかった男の子も欲しがるため、仕事から帰ってから二人を連れて彼らの希望するS社の店に行った。

 ケータイの料金は本当にわかりにくい。174話で述べた抱き合わせ商法の最たるものである。特に「0円広告」で問題となったS社だけに胡散臭い。パンフレットの料金の説明にも「ただし・・・」が小さい文字で書いてあるところが多く、さらに店員が5000円分の商品券プレゼントの説明をあれこれ言い出す。本末転倒、ディテールばかりにこだわる強迫神経症の人の話を聞いているような気分である。とにかく、パケット料金の上限が定額の「○○○○学割」と称するプランで端末機料金は一括先払いとし、いろいろ勧めるオプションプランはすべてカットにした。もちろん有害サイトに接続しない無料サービスは入れた。念願のケータイを手にして子供たちは大はしゃぎだが、こちらはどっと疲れが出る。神経質を緩めると、ケータイショップのカモにされそうである。

2008年3月14日 (金)

神経質礼賛 285.パチンコ依存症(2)

 以前、パチンコ依存の問題を59話で取り上げたが、それからちょうど2年になる。その後、パチンコ依存を主訴として外来を訪れる人を時々見かけるようになった。平成20年3月10日から読売新聞・医療ルネサンスのコラムにパチンコ依存症の話が連載されている。主婦がパチンコにのめりこんで生活に破綻をきたした実例が紹介されている。一方、同じ3月10日の毎日新聞夕刊第1面では、30兆円産業と言われて不況知らずだったパチンコ業界で倒産が急増しているという。原因はこれまでギャンブル性を高めてきたために、取締りを受けたり、一部では客離れが起きたりしているということで業界にも変化があるようだ。

 パチンコ依存症は病的賭博の一種であり、DSM--TR(米国精神医学会による診断基準)では「他のどこにも分類されない衝動制御の障害」、ICD-10WHOによる診断基準)では「習慣および衝動の障害」、に分類され、どちらも窃盗癖や放火癖と同列となっている。

 実際問題、パチンコ依存症を治してくれ、と来られても「治療」は難しい。窃盗癖や放火癖を治してくれ、に近いものがある。気分障害や不安障害を合併していれば、そうした部分に薬物療法や精神療法は有効であるが、病的賭博そのものを「治す」ことは困難である。アルコール依存症者の断酒会やAAと同様に同じ悩みを持つ人や家族の自助グループが有効と考えられている。自助グループのミーティングを通して自己洞察し、さらに行動パターンを修正していく助けになるものと思われる。それにしても一朝一夕で効果が出るものではなく年単位であるし、サラ金などからの借金が膨らんでいる場合も多く、そちらの問題も専門家のアドバイスを得ながら解決していく必要がある。

 心配性で堅実な神経質人間ではパチンコ依存をはじめ病的賭博にはなりにくいものと思われる。私の場合、唯一のギャンブルはジャンボ宝くじを10枚連番で買うだけである。損して口惜しい思いをするギャンブルには手を染めないのである。そこは神経質の良いところである。

2008年3月10日 (月)

神経質礼賛 284.不思議楽器テルミン

 書店の雑誌コーナーに平積みしてあった、学研「大人の科学」に目が留まった。電子楽器テルミンがテーマでテルミンminiのキットが付録について2300円。パラパラ立ち読みして一旦は立ち去ったが、引力に引かれるように売場に戻って結局買ってしまった。小学生の時、雑誌「学習」と「科学」は付録が楽しみで、家に帰るとワクワクしながら本誌そっちのけで付録の袋を開けた、あの気分が蘇る。キットと言っても、基盤は完成品でハンダ付けの必要はなく、+のミニドライバー1本で容易に組み立てることができる。これなら電気の知識がない人でもOKである。ただし、ネジが小さいので老眼が進んだ私にはちょいと見づらい。

 テルミンは世界で最初の電子楽器である。アンテナに手をかざして音程を調整するということは知っていたが、楽器の名前がそれを発明したロシアの物理学者の名から取ったということは知らなかった。レフ・テルミン博士(1896-1993)は音楽院でチェロも学んだ人である。1920年頃にこの楽器を発明し、レーニンの前で演奏して見せて感動させたという。アメリカに渡り電子楽器開発や演奏会を行い、アインシュタインとも交流があった。1938年、テルミン博士はKGBのスパイによって拉致されてシベリアの収容所送りとなり、処刑説も流れた。スターリンの死後、ようやく名誉回復となり、1993年モスクワで97年の波乱に富んだ生涯を閉じている。

 テルミンの原理は、二つの発振回路で生成された波を合成して生ずる差の周波数成分が音となるのだが、片方の発振回路はアンテナに近接した人体がコンデンサの役割をして、その静電容量の変化で発振周波数が変化する。その結果、音程が変化するのである。実際に楽器として演奏に使われるものは、音程を調節するための垂直アンテナと音量を調整するための水平アンテナがあって、両手で操作することになる。

 付録のテルミンminiでは基板上の二つの半固定ボリウムをプラスチック製の棒で回して発振周波数の初期設定をするのだが、これには少々根気が必要だ。なかなか安定した音は出にくい。オナラ音みたいになる時もある。それでも手をかざす距離を微妙に動かすと1-2オクターブ位の間で音程が変化する。どうにか簡単な曲を「演奏」することができる。と、ついつい熱中していると、妻から「新興宗教の人みたい」と横ヤリが入る。確かに初老期のオジサンが赤い小さなオモチャに向かって真剣に手かざしなんぞしている姿はアヤシイ。

 雑誌によれば、テルミンには癒し効果があるという。適度な「周波数ゆらぎ」と「振幅ゆらぎ」があって良いのだそうである。テルミンは一般の楽器と異なり、演奏にほとんど筋力は必要ない。リラックスした状態で演奏することができるものと思われる。神経症や心身症のリラクゼーションにもテルミンは良さそうである。

2008年3月 7日 (金)

神経質礼賛 283.蒔かぬ種は生えぬ

 自宅の近所にタクシー会社の営業所があり、毎年末、昔ながらの「日めくり」式のカレンダーを配ってくれる。家では使わないが捨てるのはもったいないので、職場で自分の机の上に置いて使っている。これだと、11日の大切さが実感できる。年末になると、すっかり薄くなって、思わずこの1年を反省してしまうものだ。日めくりの一番下には格言が書いてある。よく見ると、毎月同じ日には同じ内容のことが書いてある。パラパラと見ていると神経質人間にピッタリの格言「蒔かぬ種は生えぬ」があった。

 神経質人間はスロースターターである。何かをやろうとする前に、ああでもない、こうでもない、と考えてなかなか手を出さないものである。種を蒔く前に、肥料をどうしようか、大雨が降ったら流されてしまうのではないか、野良猫に荒らされるのではないか、大きくなったら植え替える場所を準備しなくては、と心配するようなものである。そうこうするうちに種を蒔くチャンスを逃してしまうこともある。無鉄砲に行動して大失敗をすることは「石橋叩き」の神経質にはまずないので、とてもよいのではあるが、せっかくのチャンスを逃すことは間々ある。どんなにすばらしいプランであっても実行しなければ成果は得られない。32・33話で述べたように、迷ったら実行、ということも神経質にはある程度は必要である。

2008年3月 5日 (水)

神経質礼賛 282.静電気

 3月に入ったが、まだ当分の間、冬物衣料は必要である。ドアノブを触った時や車のドアを開けようとした時の「ピリッ」という不快な衝撃はどなたも感じることがあるだろう。病院内で着ている白衣はポリエステル製なので特に帯電しやすく、エアコンで空気が乾燥しているため、油断するとしょっちゅう「ピリッ」にやられてしまう。静電気は衣類の摩擦などにより帯電し、ドアノブを触った瞬間にそれが流れることで起きる。したがって、対策は、帯電しにくくするか、静電気をうまく逃がすかどちらかである。

 静電気の発生を減らすには、衣類の組み合わせに注意することである。プラスに帯電しやすいウール・ナイロンとマイナスに帯電しやすいアクリル・ポリエステルの組み合わせでは特に静電気が発生しやすい。なるべく木綿の衣類で統一すると良いようだ。また、できれば室内を適度に加湿すれば発生が減らせる。静電気を防止するスプレーが市販されているし、静電気防止の洗剤もあるが、そこまでしなくても、と思う。

 静電気をうまく逃がすにはまず履物の工夫である。厚いゴム底のサンダルでは電気を通さないため、静電気が逃げていかない。革靴の方がベターである。いきなりドアノブを触らないで手に持ったカギでドアノブを触れてからにするというのも一つの方法である。壁を触ってからドアノブに触れる方法もあるが、効果は壁の材質に左右される。私の場合は手のツメでドアノブを弾いてから触る。指先の感覚は敏感だがツメの方だと緩和される。これは何もいらないし、簡単にできることである。

 ちょっと神経質を生かせば、静電気による不快は避けられるものである。たかが静電気と侮ってはいけない。最近、セルフ式のガソリンスタンドで静電気による引火事故も起こっているようである。注意するに越したことはない。

2008年3月 3日 (月)

神経質礼賛 281.花粉症対策・・・レーザー手術体験記

 だんだん暖かい日が増え、少しずつ春らしくなってきた。私は重症の花粉症持ちなので憂鬱な季節でもある。数年前に血液検査でアレルゲンを調べてみたら、スギ花粉4+ ハウスダスト3+ ヒノキ花粉2+ という結果だった。ハウスダストがあるので、通年性のアレルギーに近いが、特に3月から4月はクシャミ・鼻水・目のかゆみが激しくなる。今までありとあらゆる薬を試してみた。病院勤務医の数少ないメリット(?)は必要な薬は同僚に処方してもらえるので通院しなくて済むことである。抗ヒスタミン剤は第2世代になって1日1回服用で眠気は少なくなったものの、やはり昼食後には眠気が強くなる。他の抗アレルギー薬だと、頭重感や下痢といった別の副作用が出てダメだった。漢方薬は効果が不十分だった。結局、なるべく眠気の少ない抗ヒスタミン剤内服・ステロイドスプレー(鼻吸入薬)・抗アレルギー点眼薬という三種の神器で時々クシャミ3連発をしながらどうにか例年3月から5月を乗り切っている。

 今年は別の対策を試みた。昨年12月と今年の1月に耳鼻科に通院してレーザー手術を受けた。アレルギー反応が強く出る下鼻甲介という部分の粘膜をレーザーで焼灼する治療法であり保険適用である。手術といっても麻酔薬を染み込ませた脱脂綿を15分ほど鼻に詰めて麻酔した後、レーザーで「焼く」のは5分位で済み、ほとんど痛みもない。「焼く」時の焦げた臭いが気になるくらいで、歯の治療より楽である。ただし、当日の夜から翌日にかけて血が混じった鼻汁が大量に出るのと、カサブタが取れるまでの1-2週間は鼻詰まりで苦しい、という難点はある。2回の手術を含めて術前検査・経過観察で通院回数は全部で6回。私の場合は薬を出してもらわなかった(手持ちの薬で済ませた)ので、診察料・手術料の総計は3割負担で16,440円だった。今のところ鼻の通りは以前よりもよくなり、症状も軽減している印象はある。ただし、レーザー手術の効果は1-2年と言われているので、毎年「焼く」かどうかはコストパフォーマンスを考える必要がありそうだ。それと、当然のことながら眼の結膜炎症状には無効なので、やはり花粉が多く飛んでいる日の外出は極力避け、花粉が室内に入り込まないように注意するなどの従来通りの対策は、神経質に続ける必要があるだろう。

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