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2008年4月30日 (水)

神経質礼賛 300.心は万境に随(したが)って転ず

 心は万境に随(したが)って転ず、転ずる処実に能(よ)く幽なり

 流れに随って性を認得すれば無喜亦(また)無憂なり

これはよく森田正馬先生が患者さんたちの前で話される時に引用された禅語である。メンタルヘルス岡本記念財団会長の岡本常男さん(37話・268話・269話)は講演でいつも御自身の神経症体験を話される。「胃腸神経症にかかり、この言葉を知った時に、まるで電気で打たれたような感動を憶えた」と述べておられる。

 私たちの何気ない日常生活の中では、楽しいことが起きたり、悲しいことが起きたり、いろいろなことが起こるにつれて、気持ちも変化する。仮に何事も起きなくても、頭の中では様々な考えが浮かんでは消え、それだけでも心持が絶えず変化している。これが神経質な人だと、あれこれ体調の不良が気になったり、不安でドキドキしたり、ということにもなる。しかし、いろいろな気分というものは空の雲のようなもので、現れては消えゆき、いつも一定ということはない。流れの中に身を任せつつ、気分はそのままに自分の本来の姿を認めてやるべきことをやっていけば、無喜無憂の状態になるということである。無喜無憂というと感情のないロボットのようだと思われるかもしれないが、そうではなく、素直に喜びを感じ素直に憂いを感じるがそれがいつまでも尾を引かない自然体の状態なのである。

 私は若い頃はこの言葉のすばらしさが今一歩理解できなかった。岡本常男さんのように「頓悟」と言えるような境地に達することはなかった。しかし年月を経ていろいろな経験を積んでいくに従って、味わい深い言葉として感じられるようになってきた。苦しい時、迷った時に生き方の指針となる言葉だと思う。

2008年4月28日 (月)

神経質礼賛 299.四月病?

 新入社員や進学したばかりの学生さんたちが5月の連休明けくらいから心身の不調を訴えるのを五月病とよく言う。会社に入ったばかり、学校に入ったばかりは、就職・進学の目的を果たした満足感と新しい環境になじもうと緊張感が入り混じった状態が続くのだが、連休で休んだ後には疲労がたまり、新たな目標を見失い、集中力や意欲が途切れがちである。一見、うつ病とも思えるような症状を呈することもある。

 ところが、この頃は4月の中旬あたりから、新しい環境になじめずに意欲を失い、会社や学校に行けないということで精神科外来を訪れる人が増えているのを実感している。まだそういう言葉はないが「四月病」というのがピッタリである。まあ、終身雇用制が崩れて、嫌な仕事を続けなくても早めに見切りをつけよう、ということもあるだろうし、大学全入時代で学校の価値も薄れていて、何が何でも卒業しなければ、という意識も薄れていることもあるのだろう。私の世代では「努力」という言葉が好まれたが、今の二十代位では「努力」という言葉は人気がないのだそうだ。

ただ、私のような古い人間から見ると、あまりにもガマンが足りなすぎやしないか、と思える。1週間や2週間でダメだと投げてしまうのは早過ぎるのではないだろうか。森田療法でいうところの「気分本位」に思えてならない。「隣の芝生は青い」で他の会社や学校に移ったところでオアシスのような所はない。いやいやでも仕事や勉強を続けていれば得るものもある。そのうちに仕事や勉強の面白さも出てくるというものだ。「石の上にも3年」とは言わないから、半年できれば1年、ガマンしてやってみてはどうだろうか。

その点、神経質人間はグチグチ言いながらも、何とかもつものである。私が会社員時代に一番イヤだったのは全社一斉訪販日だった。その年のキャンペーン商品のパンフレット片手に一軒一軒飛び込みセールスをするのである。同じシステム開発の仕事をしていた先輩と「こんなのやってられない」と不平を言いながら仕方なしにやっていたものである。給料をもらって社会勉強しているのだ、と自分に言い聞かせた。時々「辞表」を胸ポケットに忍ばせながら4年間勤めたが、ガマンして貯めた貯金のおかげでまた医大に入り直すことができたのである。

フレッシュマンたちには無限の可能性がある。たまたま日が当たらなかったからといって自ら芽を摘んでしまうのはあまりにももったいない。せめてもう1ヶ月はガマンして五月病にしてもらいたいものである。

2008年4月25日 (金)

神経質礼賛 298.ビジネスも「あるがまま」

 4月15日付の読売新聞「リーダーの仕事学」というコラムに旭化成社長の蛭田史郎さんの話が載っていた。物事に対峙した時、あるがままに受け入れ、あるがままに対応する、というのが蛭田社長の信念なのだそうである。あるがまま、とは事実を知る、現場を知る、ということであり、物事をある一面だけで見ずに多面的・長期的・本質的に考えることで、素直に考え素直に対応することができる、と述べておられる。

 これは「症状」を相手にせず、物そのもの仕事そのものになりきって生活していくように、という森田正馬先生の教えと合致する。蛭田さんが神経質かどうかはわからないが、森田療法のビジネス版と言えるだろう。

 ビジネスマンで出世するのは堂々として大胆な人が多いのではないか、と思われるかもしれないが、神経質人間も負けてはいない。経営の神様・松下幸之助(211話)やメンタルヘルス岡本財団・岡本常男さん(37、268、269話)のような大物もいる。

 森田正馬先生のもとで神経症の治療を受けた人たちの集まり「形外会」の会長だった香取修平さんも実業家で貿易商だった。不眠や心悸亢進を治すために別荘を買って移り住んだが良くならず、入院森田療法を受けて良くなったが、その後は仕事もはかどるようになったという。

 考えてみれば、森田先生御自身も熱海で森田旅館を経営しておられた。もとは先生が保養に時々訪れた「伊勢屋旅館」で、患者の浦山一哉さんの叔父が経営していた。ところが経営不振で人手に渡ることになったのを先生が見かねて買い取ったのである。先生は金儲けしようという気は全くなく、自分の保養に利用し、自分が亡くなった後に残された人たちの資産となれば、というつもりだった。患者さんの就職先、という意味合いもあった。「金儲けではないから派手な宣伝をしないように」と指示されたが、旅館の経営は患者さんの中でも優秀な井上常七さん(98歳で御健在)に任せてうまくいっていた。もし森田先生が医学の道に進まれなければ、実業家として出世されていたかもしれない。

2008年4月21日 (月)

神経質礼賛 297.ワシも族

 4月9日付毎日新聞に大阪大学大学院(保健学)の石蔵文信先生の話が載っていた。定年退職後、ヒマを持て余し、妻につきまとう「ワシも族」にならないために、という話である。

 仕事で忙しく、家事や子育てを妻に任せきっていた夫が定年退職してみると、さて、することがない。ごろ寝してテレビの番人が関の山である。一方、妻はすでに子育てを終えて、友人たちと旅行や食事を楽しんだり、趣味やボランテイアの活動に生きがいを感じたりしている。妻が出かけてしまうと食事が作れず洗濯などの家事もどうしていいかわからない夫は困り果てる。その結果、妻が外出しようとすると「ワシも」とつきまとうわけである。「ワシも族」は妻たちにとって大変なストレスとなる。熟年離婚の一因となっているのかもしれない。石蔵先生によれば、「ワシも族」が妻に捨てられないためには、①夫が自立する、②妻より早く旅立つ(死ぬ)、なのだそうである。もちろん②はジョークである。

 神経質はヒマにしているのが一番いけないが、定年後の生活も同様にヒマでゴロゴロはいけないようである。精神科外来に来られる神経症(不安障害)の方には趣味がないという人が実に多い。ヒマにしていると、胃の調子が悪い、身体がだるい、頭が痛い、ドキドキする、眠れない、とありとあらゆる「症状」が出てくるものである。その上さらに、妻に依存してつきまとう「ワシも族」になったら最悪である。やはり、若いうちから忙しくても家事を分担し、仕事以外の生きがいを見つけておくことが重要であろう。

 たまに同窓会に出ると、「お前は定年がないからいいよなー」「俺なんか退職したら何をやっていいかわんねえよ」と大企業で部長をしている旧友に言われることがある。彼は「ワシも族」予備軍である。

確かに民間病院の勤務医では定年はないが、その代わり退職金もない。身体と頭が何とか動いているうちは働き続けることになるだろう。悠々自適の生活とか海外旅行なんて夢のまた夢である。幸か不幸か「ワシも族」になる心配は全くなさそうである。

2008年4月18日 (金)

神経質礼賛 296.がんと森田療法

 地元の県立がんセンターから「がんよろず相談Q&A第4集 乳がん編①」という冊子が勤務先の病院に送られてきた。平成15年に行われたがん体験者の全国調査から乳がん体験者1904人分(うち、何らかの部位への転移・再発が認められたのは465人)のデータのまとめが掲載されていた。乳がん体験者の悩みで最も多かったのは「落ち込みや不安や恐怖などの精神的なこと」であり複数回答で63.7%にものぼっていた。「痛み・副作用、後遺症などの身体の苦痛」が2番目で56.8%、次が「これからの生き方、生きる意味などに関すること」で40.6%であった。つまりがんそのものの苦痛よりも精神的な苦痛の方が大きいことがよくわかる。

 医学の進歩でがんの治療成績は向上してきている。特に乳がんは放射線療法などを効果的に用いることでかつての乳房切断・腋下リンパ節郭清といった大手術は減り、乳房温存により治療後のQOL(生活の質)も向上してきている。しかしながら転移や再発への不安を感じている方が多いのは当然である。

 神経症の治療法である森田療法をがん治療に応用したのが「生きがい療法」である。創始者の伊丹仁朗先生は内科医だったが、強い死の不安に苦悩し強迫神経症に似た症状を呈したがん患者さんに森田療法を行ったところ、精神状態の改善ばかりでなくがん自体の症状も改善した。このことが生きがい療法を生み出すきっかけとなった。生きがい療法では5つの基本方針を掲げている。

1.自分が主治医のつもりで病気との闘いに積極的に取り組む

2.今日一日の生きる目標に打ち込む

3.人のためになることを実行する

4.不安・死の恐怖はそのままに、今できる最善の行動をとる

5.死を自然界の事実として理解し、今できる建設的準備をしておく

 1はとても重要なことで、最近の研究では闘病意欲が高いほど生存率が高く、それにはNK(ナチュラルキラー)細胞の活性化が関与しているそうである。

がんであるなしにかかわらず2-5は森田的生き方として実行する価値が高いことだと思う。

 たとえ今のところがんと診断されていなくても、誰の身体にもがん細胞は潜んでいて免疫シズテムが知らない間にがん細胞と闘っているのである。生きがい療法の基本方針すなわち森田的生き方はがんの予防にもなる可能性があると思われる。

2008年4月17日 (木)

神経質礼賛 295.シャイだったジローラモ氏

 4月13日号の読売ウイークリーを読んでいたら、ナポリ出身のタレントのパンツェッタ・ジローラモ氏についての記事があった。イタリアで大学に行きながら家業の建設の仕事に従事した後、来日した。日本の大学を出て、NHK教育テレビのイタリア語会話に出演。その後は料理・美術・ファッション関係の番組によく出演している。日本人好みのイタリア人タレントであると言われている。記事では氏が14歳の時に亡くなった父親の思い出が書かれていた。建設関係の会社を経営していた父親はファッションのセンスが良く大変なモテ男だった。ところがジローラモ氏は、今ではとても考えられないが、とてもシャイだったという。そこで、父親は氏に「あそこにいる女の子の電話番号を聞いて来い」などとけしかけてトレーニングを積ませたそうである。

 若い女性を見れば片っ端から声をかけるようなイメージのあるイタリア男性のシャイというのは日本男性のシャイに比べたら大したことはないのではないかと思うが、本人としてはそれを悩んでいたことだろう。父親に言われるままに仕方なく女性に声を掛けているうちに、ごく普通のイタリア男性らしくなったのだろう。対人緊張が強い人でもビクビクハラハラしながら場数を踏んでいけば、それなりに何とかなっていくものなのだろう。

<お詫び>

 4月14日(月)投稿時、「ジローラモ」を「ジローニモ」と誤って打っていました。一旦削除したため、コメントが消えてしまい大変申し訳ありません。深くお詫び申し上げます。

2008年4月11日 (金)

神経質礼賛 294.困った個人情報保護

 個人情報保護法が本格的に施行されて3年になる。良い面はあるが困ったこともいろいろある。病院関係では知人のお見舞いに行った際、病室にネームプレートがなくて探せないとかナースステーションで聞いても教えてもらえない、といったことが起きている。もし個人情報が漏れて不利益を受けた場合、病院側が訴えられて敗訴することは確実なので、病院側としてはあれこれ気を配らねばならない。その辺は神経質人間が得意とするところではある。電話での「○○さんは入院していますか?」という問い合わせには「お答えできません」ということになる。家族や親族と名乗る人からの電話であっても、本当に家族や親族かどうかわからないし、本人の意思で入院していることを親にも知られたくないというケースもまれにはあるからだ。病院間で転院相談や他院外来受診の際に送付するFAXは患者さんの氏名・生年月日といった基本的な情報や本文の一部が黒マジックで塗られているため、何かと不便である。

 先日、私が外来で担当している統合失調症の患者さんについて警察署から電話で問い合わせがあった。「寝ている時に侵入者に襲われた、という届出があったが、おたくの病院にかかっていると聞いたので、被害妄想がある人かどうか聞きたい」ということだったらしいが、私が公休日のため事務担当者が断り、警察からは文書で「捜査関係事項照会書」が送りつけられてきた。従来ならば、この程度の照会であればケースワーカーが電話対応して片付くところなのだが。結局、外来担当で忙しい土曜日にあわてて「回答書」を作成するハメになった。

 事務担当者の話だと、最近困ったのは、痴呆症状で閉鎖病棟に入院している人が病棟の公衆電話からタクシーを呼んでしまった時の対応だったという。タクシーの運転手が受付で「○○さんはいますか?」に「お答えできません」と例によって答えたら、「何で答えられねーんだよ!!」と運転手は激怒したという。確かに激怒するのも無理もない。そこで事務員はわざと聞こえるように病棟に電話をするふりをして「○○さんがタクシー呼んじゃったけど外出許可は出てないよねー」と言うと、運転手氏は状況がわかって黙って帰っていったという。何ともお気の毒である。

 個人情報保護は基本的には大切なことだが、あまり行き過ぎると多くの人が不利益を受けることもある。そろそろ見直しの時期ではないだろうか。

2008年4月 7日 (月)

神経質礼賛 293.神経質だったダーウィン

 花吹雪舞う先週末、東京国立博物館で開催されている薬師寺展を見に行った。開場前から長い行列ができていた。そこで、薬師寺展は後回しにして、すぐ近くの国立科学博物館のダーウィン展を見て時間調整することにした。

 チャールズ・ダーウィンはいわゆる進化論で有名だが、今までどんな人かはまるで知らなかった。ダーウィンの母親が有名な陶芸家ウエッジウッドの娘だったということは初めて知った。生物学的な展示に加えてダーウィンの手紙が数多く展示され、実生活のエピソードが示されていて、とても興味深かった。書斎の再現もあった。この展示を見て、ダーウィンも神経質人間だと確信した。

 ダーウィンは小さい頃から病弱であり、貝や昆虫の採集を好んだ。8歳で母親が亡くなるという体験もしている。父親が医者だったので最初はエジンバラ大学で医学を学んだが当時の麻酔なしの外科手術は繊細なダーウィンには不向きだったのだろう。医学が向かないということで、父親は彼を牧師にしようとしてケンブリッジ大学に入れた。大学時代から種々の不定愁訴に悩まされるが、これは神経症の症状だったと思われる。展示されているダーウィン自筆の手紙は細かい字でびっしり書き込まれていて、明らかに神経質の筆跡である。結婚することのメリットとデメリットを詳細に検討した上で母方いとこのエマに求婚した、というエピソードもいかにも神経質らしい。生物の進化についての試論を書き始めたのが35歳頃で、「種の起源」を発表したのが50歳。宗教関係者からの非難を考えて、なかなか発表に踏み切れなかったのだろう。この辺の慎重さは神経質ならではである。そのおかげで批判に耐える理論に熟成させることができたとも言えよう。なお、彼は「あがり症」で学会発表の時には体調が悪くなったとも言われている。自然選択説の論文を出すきっかけは、アルフレッド・ウォレスという研究者がダーウィンとほぼ同じ説を発表しようとしていることを知り、友人たちが強く彼に発表を勧めたからだった。根気強く研究を続け、画期的な理論を編み出すことができたのは神経質の力のおかげに他ならないだろう。やはり神経質はいいことだ。

2008年4月 4日 (金)

神経質礼賛 292.ヒナを拾わないで!

 春から初夏にかけては鳥たちの巣立ちの季節である。日本野鳥の会では、「ヒナを拾わないで!」というポスターを作ったそうである。巣から落ちたヒナを「かわいそうだ」ということで助けたくなるのが人情ではあるが、人間が手を出すことで、親鳥から引き離してしまい、結果的にはヒナの為にならないということなのである。落ちたヒナには親がエサを与え、自力で飛べるようになることも少なくないらしい。実際、動物病院に救急搬送(?)されるこうしたヒナには何も異常がないこともよくあるそうだ。車が通る所や野良猫がウロウロしている所であれば、安全な所に少し移動してあげる位で、なるべく自然に任せるのが良い。過保護、過干渉はいけない。

 人間も4月は巣立ちの季節である。フレッシュマンたちは新しい学校や職場で緊張しとまどいながら適応していこうと努力している。中には新しい環境になじめない人も出てくる。学校に行けない、職場に行けない、となると親が心配してすぐに子供を精神科に連れてくる、ということも近頃はある。しかし、病的所見なしというケースが多いような気がする。もう少し本人に努力させてみた上でどうするか決断させてもいいのではないか、とも思う。過保護・過干渉では精神的な巣立ちはなかなかできないのである。

 神経症の治療も同じことで、親や周囲の人が手を貸し過ぎてはよくならないどころか「病気」に逃げ込むことになりかねない。特に強迫の人は家族や周囲の人を巻き込んでどんどん状態を悪化させていく。森田正馬先生の言われたように「神経質は病氣でなくて、こんな仕合せな事はありません」ということで神経質を仕事や勉強に生かそうとしていけばいつしか「症状」は消失してしまうのである。

2008年4月 2日 (水)

神経質礼賛 291.五分間ルール

 4月から診療報酬が改定された。厚生労働省はあの手この手で医療費削減に躍起になっている。精神科関係では、従来14日分しか処方できなかった睡眠薬が事実上30日分処方できるようになった。これで受診回数を減らそうというネライだ。さらに外来診療で大きな変化は、診察時間が5分以上でないと再診料が取れなくなったことである。大病院で内科の外来診療はよく「3分診察の3時間待ち」と言われているが、それでも午前の部の診察が終わるのは午後2時とか3時とかいうのが実態で、五分間ルールが適用されると一層外来の待ち時間が長くなることが心配される。比較的診察時間が長い精神科でも、抗不安薬や睡眠薬をもらえればいい、という薬めあての患者さんの場合は診察時間が5分以上というのは困難である。従来は再診時に算定できた「通院精神療法」も5分以上でないと算定できない。もっとも「医者が患者の顔も見ないでコンピュータに向かっている」と評判の悪い電子カルテを導入している医療機関ならば診察時間が容易に5分を超えるだろう。

 私の外来担当は月・水・土なので、今日が五分間ルール適用初日だった。外来看護師さんがストップウオッチで診察時間を測り、診察後に看護師さんが時間をカルテに記入する。私は従来、患者さんが退室してからカルテを書くことが多かったが、なるべく問診しながらカルテを書くように改めた。長年の習慣を変えるのはなかなか大変なものである。午前の外来を終わってみると、何とか五分間ルールをクリアできていたが、こんなところに神経質を使うのは実にもったいない。もう少し実のあるところに使いたいものである。

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