神経質礼賛 300.心は万境に随(したが)って転ず
心は万境に随(したが)って転ず、転ずる処実に能(よ)く幽なり
流れに随って性を認得すれば無喜亦(また)無憂なり
これはよく森田正馬先生が患者さんたちの前で話される時に引用された禅語である。メンタルヘルス岡本記念財団会長の岡本常男さん(37話・268話・269話)は講演でいつも御自身の神経症体験を話される。「胃腸神経症にかかり、この言葉を知った時に、まるで電気で打たれたような感動を憶えた」と述べておられる。
私たちの何気ない日常生活の中では、楽しいことが起きたり、悲しいことが起きたり、いろいろなことが起こるにつれて、気持ちも変化する。仮に何事も起きなくても、頭の中では様々な考えが浮かんでは消え、それだけでも心持が絶えず変化している。これが神経質な人だと、あれこれ体調の不良が気になったり、不安でドキドキしたり、ということにもなる。しかし、いろいろな気分というものは空の雲のようなもので、現れては消えゆき、いつも一定ということはない。流れの中に身を任せつつ、気分はそのままに自分の本来の姿を認めてやるべきことをやっていけば、無喜無憂の状態になるということである。無喜無憂というと感情のないロボットのようだと思われるかもしれないが、そうではなく、素直に喜びを感じ素直に憂いを感じるがそれがいつまでも尾を引かない自然体の状態なのである。
私は若い頃はこの言葉のすばらしさが今一歩理解できなかった。岡本常男さんのように「頓悟」と言えるような境地に達することはなかった。しかし年月を経ていろいろな経験を積んでいくに従って、味わい深い言葉として感じられるようになってきた。苦しい時、迷った時に生き方の指針となる言葉だと思う。
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