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2008年7月28日 (月)

神経質礼賛 330.「面弱し」は気が強い

 森田正馬先生のお弟子さんたちにも神経質な人が多かったことは以前述べた通りである(36話)。その中で、森田先生の助手で、先生の晩酌相手・将棋の相手をよくしていた佐藤政治先生(慈恵医大講師→沼津精神病院院長)は対人恐怖だった。佐藤先生は福島県の出身で大変な努力家であり、根岸病院院長の書生をしながら医大を卒業している。日本で初めて夏目漱石の病跡学的研究を発表したという業績がある。子供の頃から恥ずかしがりで福島の言葉で「面弱し」と言われた。また、前科何犯というような患者から「俺のどこが精神病だ」と凄まれて、つい目を伏せてしまうし、その男の病室の方へいくのが嫌になった、と月1回患者さんたちが森田先生のもとに集まる形外会の場で告白している。

 森田先生はこの発言に対して、「面弱し」を二種類に分類されている。一つは意志薄弱性で、ただ楽々と人を避けていたい、というもので、もう一つは神経質の対人恐怖で、人に優れたいということから、恥ずかしがってはならぬ、と負け惜しみの頑張りのため、ますます劣等感を増長して「面弱し」になってしまうものだ、としている。

 発展向上心が強いからこそ、劣等感が生まれる。この心理を明らかにした精神医学者は森田先生の他にはない。私も以前は対人恐怖であり、今でも人前で話す時には激しく緊張するものだが、それは、やはり「失敗したくない」「人からよく思われたい」という願望が根底にあるからである。そして、小心者のくせに追い詰められると思いもよらぬパワーが出せる時があるものだ。「面弱し」の私も、実は気が強いのであろう。

2008年7月25日 (金)

神経質礼賛 329.人はそれほど気にしていない

 先週の土曜日、小学校6年の時のクラス会があった。もう、中学も高校もクラス会はなく、同期生の同窓会なのだが、単独のクラス会で44人のうち22人出席は大したものである。50代に突入し、男性陣はメタボ(社長腹)体型が目についた。女性陣は子育て完了でますます元気印である。これだけの人を集めてくれた名幹事さんは、近況報告で、乳がんの治療を受けたという話をしていた。しかし、前向きに生きておられる様子で一安心した。

 担任の先生はだいぶ前に亡くなられている。もし生きておいでだったら、教え子たちが一人前に活躍している姿を御覧になって目を細めて喜ばれたことだろう。厳しくも心温かい先生だった。「自分をコントロールできる人間になりなさい」とよく言っておられた。私は卒業式の予行練習が面白くなくてダラダラ歩いていたら、先生にお尻を力いっぱい叩かれた思い出がある。「けじめをつけなさい」と喝を入れられたのだと思う。今の学校教育にはこういうところが欠落している。表面的な優しさだけでは生徒をダメにする。

 同じテーブルに座った女性が、昔、お祭りの時に綿菓子を買ってはしゃぎながら歩いていたら私とバッタリ会って、ものすごく恥ずかしい思いをした、と語ってくれた。私にはほとんど記憶がない。お祭りは好きではなかったから、たまたま通りかかっただけだったのだろう。

 私を含めて神経質な人が気にしていることというのはこんなものである。自分では恥ずかしいと気になっても、他の人から見れば大したことではなく、全く気にしていないことが多いのだ。恥ずかしいと気にする人は他人に不快感を与えることは少なく、不快感を与えるのは神経質の足りない人である。恥ずかしがりの神経質で大いに結構である。

2008年7月21日 (月)

神経質礼賛 328.「うつ」は休め?

 心療内科・精神科クリニックの新規開業が増えているのに、勤務先の病院では外来の新患数が急増している。特に私は月曜日が新患担当のため、増加が著しい。クリニックだと、新患の受診は予約制で、どこも2週間から1か月待ちなのだそうだ。そのため、予約制でないウチの病院を受診してくるのだろう。

 相変わらず「うつ病」と自己診断して来院する人が多い。中には「うつ病は休まないとよくならないから診断書を書いて欲しい」と元気にしゃべりまくる人もいる。そもそも本物のうつ病の人が一人で来ることはまずない。心配した家族に連れられて来て、下を向いたままであまり話さない、ということが多いのである。

 「うつ病の人を励ましてはいけない」とか「うつ病には休養第一」という「うつ病治療の常識」を誰もが知るところとなったことは自殺予防という観点からはよいことである。しかし、休養が必要なのは、エネルギーの枯渇した状態や焦燥感が強い状態の時であって、いつまでもこの対応ではよくなるものもよくならない。回復状況を見ながら、少しずつ仕事を増やしていく、という対応が必要となってくるのである。場合によっては励まして背中を押してあげることが必要な時もある。

 ましてや、日常生活で誰しもある程度の気分の落ち込みや不眠を理由に仕事を休んでいたのでは、ますますその人の適応能力をダメにしてしまうだろう。

 森田正馬先生が書かれた以下の文で「神経衰弱」を「うつ病」に置き換えるとピッタリだ。

『自分は、神経衰弱になつたかと思ひこみ、安静にしなければならぬと考へ、「保養と怠惰は、似て非なるものなり」といふ様に、朝寝をしたり・無精をして・なまけるために、益々其症状を自分で仕立てあげるやうなものである。(白揚社:森田正馬全集 第6巻 p.177-178)』

 こうした「自称うつ病」の人に病気ではないし、薬も必要ない、休んではいけない、と告げるのは私くらいのものかも知れない。

2008年7月18日 (金)

神経質礼賛 327.熱中症が増えたワケ

 暑さの厳しい季節になり、運動部の練習中や野球の応援中などに中高校生が熱中症で次々と倒れて救急車で運ばれた、というようなニュースが相次いでいる。

 年々暑くなってきているのは確かである。都市部ではコンクリートやアスファルトの蓄熱・照り返し、エアコンからの排熱で、路上の気温は40℃近くなる。緑が減って高い建物が増えて、風通しも悪くなっている。しかし、熱中症が増えたのは、単に環境の悪化だけが原因なのだろうか。人間側の暑さに対する適応力の低下にも一因があるような気がしてならない。

 私が中高生だった頃は、運動中に水は飲むな、と言われていた。大量に発汗して水分補給を怠れば脱水症状をきたしてしまうので、一見ムチャクチャな話ではあるが、それでも不思議と熱中症の問題は起きていなかった。考えてみれば、今のようにスポーツドリンクがあるわけではなかったから、水を大量に飲んでも発汗で失われた電解質とりわけナトリウムが補給されないと低ナトリウム血症でいわゆる水中毒をきたし重症では意識障害や痙攣をきたすこともあるので、まるきりムチャクチャというわけでもない。

 今の中高生はエアコン付の部屋で快適に過ごす時間が多い。その結果、暑さに順応できにくくなっていて、急に暑い所に出たり、暑い中で運動したりすると、体温調節がうまくいかず、熱中症が起きやすくなっているのではないだろうか。

 もうだいぶ前のことだが、私が沖縄の病院に赴任した時、最初の2週間くらいは一日中激しく汗をかき、バテバテになった。しかし、だんだん体が慣れてくると、汗の量も減ってさほど苦にならなくなった。「ゴーヤちゃんぷるー」に代表されるタンパク質やビタミン豊富な沖縄食もよかったのだろう。お茶(ジャスミン茶が)を飲む時にひとつまみする黒砂糖もミネラル補給・糖質補給によかったと思われる。

人間は自然環境の変化に適応できるようになっているものである。エアコンの頼り過ぎは適応能力をダメにする。

これと同様、眠れなければ睡眠薬、不安なら抗不安薬、気分が悪ければ抗うつ薬、というように安易に薬に頼り過ぎてしまうと、「自然良能を無視するの危険」と森田正馬先生が言われたように、人間本来の適応能力をダメにしてしまうのである。

2008年7月16日 (水)

神経質礼賛 326.偽装ウナギ

 7月中旬に入り、30℃を超える日が増え始めた。梅雨の湿気も残っていて、バテ気味である。元気が出る食べ物と言えばやはりウナギであろう。私にとっては、子供の時に遠足で浜松のピアノ工場を見学してから食べたうなぎ弁当のおいしさ、叔父が川で捕ったウナギを炊き込み御飯にして大勢で食べたときのおいしさ、が忘れられず、ウナギは最高の御馳走となっている。

 昨年あたりから食品偽装が次々と発覚しているが、問題はついにウナギにも及んだ。中国産ウナギ蒲焼を愛知一色産と偽装していたというものだ。しかも、国内で使用が禁止されている抗菌剤が検出された。消費者としては、少々値段が高くても安全性の高い国内産を求める。そこにつけこんだ悪質な犯罪行為だ。買う時に表示をよく見て買うにしても、表示にゴマカシがあったのではどうしようもない。これでは神経質人間であっても如何ともしがたい。蒲焼になってしまうと、プロでも見ただけで判断するのは極めて困難だそうである。

 偽装が発覚すれば、その会社自体が倒産に追い込まれるばかりでなく、業界全体がダメージを受ける。信用できないから、ウナギを食べるのをやめよう、ということになればかつてのカイワレダイコン同様、他の業者とりわけ同じ地域の業者には大打撃であろう。これだけ食品偽装が問題となり、偽装に関わった企業や店が潰れるのを見ても「どうせバレないだろう」と平然と偽装が繰り返される。摘発された会社の社長たちも決まって「自分は知らない。社員が勝手にやっていた」などと平気で嘘をつくのは鈍感力のたまものであろう。小心で心配性の神経質人間が上に立っていればこんなことは起こらないのである。

2008年7月14日 (月)

神経質礼賛 325.アラフォーとパラサイト・ミドル

 「アラフォー」(around fortyの略)と呼ばれる40歳前後の女性の生き方を主題にしたドラマが話題になっている。その世代はバブル絶頂期に就職し、その下の世代が長い就職氷河期で辛酸をなめたのに比べると恵まれている。かつては同年齢の男女で基本給が異なり、女性の管理職への昇進は極めて困難だったが、男女雇用機会均等ということで、女性であることによる不利益は少なくなった。産休制度も充実してきた。従来、男性だけだった職場への女性の進出も目覚しい。トラックやバスの女性運転手さんもよく見かける。「職場の花」として就職し、しばらく働いた後は寿退職して主婦になる、というドグマが崩れ、女性の生き方の選択肢が格段に広がった。もっといい仕事がしたい。たまの休みには海外旅行をしたい。素敵な恋もしたい。でも高齢出産になる前に子供も欲しい。その反面、生き方についての悩みも増えているのだろう。これは実に健全な悩みで、森田先生の言われるように「大いなる希望には、大いなる苦痛・困難がある」というわけである。

 一方そうした世代の中で「パラサイト・ミドル」と言われる人たちがいるという。こちらは男性が主となるだろう。定年が遅くなり、管理職のポストも削減されているから、課長や部長に昇進することは難しくなっている。就職氷河期で長い間後輩が入ってこなかったため同じ部署で同じ仕事を続けていてスキルアップができず、転職するだけの実力はない。となると能天気に適当にやりながら今の会社にしがみつく、というパターンになってしまう。そこで会社に寄生する中年ということなのだ。「鈍感力」が強過ぎて若い部下たちからは顰蹙(ひんしゅく)を買っている。しかし、会社としてもこういう人たちをいつまでも寄生させておくだけの体力はなくなってきているので、危機感を持って自分磨きをしていかないと遅かれ早かれ切り捨てられるだろう。イソップ寓話のキリギリスの運命が待っているのは間違いない。その点、小心者の神経質人間だと「いつリストラされるのでは」と心配で、コツコツ勉強して資格を取り、いざという時のために貯金に励む。こちらはアリと同じである。最後に笑うのはどちらか。言うまでもないだろう。

2008年7月11日 (金)

神経質礼賛 324.リチウムイオン電池の爆発事故

 私たちの身の回りには充電式の家電製品があふれている。おかげで乾電池の寿命を気にすることもなくコードレスで使えてとても便利である。かつては充電電池といえば車やバイクのバッテリーすなわち鉛蓄電池だった。私が中学生の頃からだろうか、単3型などの乾電池代わりに使えるNi-Cd(ニッケルカドミウム)電池・・商品名カドニカ電池・・が一般に販売されるようになった。今のNi-H(ニッケル水素)電池は同じサイズで容量が5倍位に増えている。さらに小さなサイズ、特に「軽薄短小」商品に内蔵するのに適したのがリチウムイオン電池である。ノートパソコンやポータブルDVDや携帯電話などに利用されている。

 ところが、このリチウムイオン電池の爆発事故が時々報道されるようになった。S社製造のパソコンがリチウムイオン電池の不良でリコールになったということもあった。先日、NHKの番組で、爆発事故に遭遇した人たちのインタビューを見た。ある男性は家で使っていた中国製の携帯DVDプレーヤーから煙が出て、あわてて庭に投げたら大爆発して花火状態になったという話をしていた。また、ある女性は帰宅してまもなくズボンのポケットに入れていた携帯電話が爆発し、あわててズボンを脱ぎ捨てたが臀部に1週間の火傷を負った。もし30分前だったら混んだ電車に乗っていて、人前でズボンを脱ぐのは躊躇しただろうし、周囲の人にも被害が及ぶ可能性もあったという。実に恐ろしい話である。

 リチウムイオン電池は容量が大きいため、電極間の薄いセパレータが損傷すると、大電流が流れて、異常な発熱、時には爆発が起こるという。対策としては衝撃を与えないように注意する、とのことだが、そもそも携帯用の製品に使われているのだから、衝撃を与えるな、というのにはムリがある。やはり、製造メーカー側で、フェイルセーフ(トラブルがあっても安全な方向に収まる)機構にする必要があるだろう。人の生命に危険が及ぶ可能性があるのだから、大いに神経質になって欲しいものだ。

 使用する側としても、衝撃を受けやすいズボンの後ポケットに携帯電話を入れることはやめ、不測のトラブルに対処できるように就寝中の充電は避け、なるべく周囲に燃えやすい物を置かないようにする、といった気配りはした方がよいだろう。私の場合、ノートパソコンをモバイルで使うことはないため、以前からリチウムイオン電池は抜き取って使っている。

2008年7月 7日 (月)

神経質礼賛 323.小林幸子さんも「あがり症」

 一昨日の夜、テレビのチャンネルを変えていたら、昔のヒットソングが流れていたので、何となくそのままにしておいた。「クイズ ガリベン!昭和の歌謡曲 2時間スペシャル」という番組だった。番組の中で演歌歌手の小林幸子さんの話題が出た。少女時代から歌手として活躍しておられるのだが、ご本人の話では、ステージに立つ前はものすごく緊張してあがってしまうのだそうである。「このまま非常口から逃げ出したい」という気持ちに襲われるのだという。NHK紅白歌合戦で毎年話題になるあの派手な衣装も、「衣装を派手にすればそちらに(お客さんの)注意が行くから(自分は)気が楽」ということなのだそうである。意外や意外、小林幸子さんも「あがり症」だったのだ。

 小林幸子さんは天才少女としてデビューし美空ひばり二世とまで呼ばれたが、その後長い不遇の時期があった。地方巡業の末、「おもいで酒」の大ヒットで今日の地位を築いた。苦しい時に向上心を失わず粘り強くがんばるのが神経質のいいところである。そして浮沈の激しい芸能界で長年活躍し続けているのも気配り上手な神経質のおかげかも知れない。

 歌手や俳優や芸人でも人前が苦手で激しく緊張する人はいるものである(186話参照)。緊張してもあがってもしっかり仕事はできているのだから何ら問題はない。本人は深刻に悩んでいても、客観的にはわからないものである。

 若い頃は対人恐怖・赤面恐怖でとても悩んだ私の場合も、そうは思われていないようだ。昨年、弟に白状したら、「へっ?アニイが対人恐怖だって???」と全く信じられないという反応だった。楽器を持つと人格が変わって(?)、大勢の前で弾くのも何とかなるのだが、こと話すとなると今でも激しく緊張し腹の具合まで怪しくなってくるのである。しかし、まあこんなものだ、とあきらめているので、昔のように悩むことはなくなった。

 緊張しないように、あがらないように、自己暗示をかけたり、イメージトレーニングをしたり、という人もいるだろうが、「緊張してはいけない」と意識しすぎて逆効果になってしまうこともある。緊張するのは自然なことであり、何ら悪いことではないのだから、ビクビクハラハラのままで行動していくという森田療法の考え方が優れているように思う。

2008年7月 4日 (金)

神経質礼賛 322.携帯メール中毒

 子供たちが高校に入る前に携帯電話を買い与えた。中学時代、携帯電話と持っていないのはウチの子だけで、ガマンさせていたのだが、高校ともなるとそうはいかない。懸念したとおり、携帯が手放せず暇さえあれば画面を開いてはメールをするようになってしまった。ただし、夜11時30分になったら、居間の所定の場所に置いて充電し深夜は使わない、というルールを決め、それを守らせているので一応の歯止めにはなっている。

 近頃は小学生、中学生でも携帯メール中毒になり、深夜までメールしているのが問題になっているようだ。一頃は携帯の使用料金がかかりすぎることが話題になったが、パケット定額料金が普及して、その問題はなくなった反面、縛りがない分いくらでもメールすることになってしまう。一日に同じ子と百回くらいメールする子もいるそうだ。ほとんど「チャット」状態である。「即レス」といってメールを受けたらすぐに返事を出すことが親しさのバロメーターみたいなことになっているので、嫌だと思ってもそれに縛られてしまうらしい。そうなると携帯電話を肌身離さず持っていて、メールが来るのを待ち構えて「即レス」しなくてはならない。メールの返事が来ないと「シカトされたのではないか」と不安になる。これでは疲れてしまうだろう。自分がやりたいこともできなくなる。携帯メール中毒は一種の嗜癖とも強迫行為とも考えることができよう。今の子供たちは他の子たちにどう思われているかを極端に気にする傾向がある。これは新たなタイプの神経症なのかもしれない。

 学校の連絡網など緊急性のあるメールにはすぐ反応する必要があるが、そうでない場合は一日一回まとめて返事をすればよいはずである。あわてて不用意なことを書いてしまうリスクも少ないだろう。親子の間で携帯メールの利用法について話し合ってルールを決めた方がよいように思う。そして、他の子の思惑は気にはなってもメールチェックはほどほどにして、勉強なり趣味なりその時その時やるべきことをやっていくようにした方がよい。

2008年7月 3日 (木)

神経質礼賛 321.20年ぶりの歯科受診

 神経質人間なので食後の歯磨きは欠かさない。職場で昼食後も磨く。そのおかげかここ20年間というもの歯医者さんとは無縁だった。もっとも加齢に伴う歯周病予備軍ではある。1年ほど前から硬いものを噛むと左奥歯が痛み、右ばかりで噛むようになってきた。忙しさにかまけて歯医者さんにかかるのを先送りしていたが、やはり虫歯ではないかと心配なので子供たちがよくお世話になる歯科医院に行ってみた。

 住宅街の中の目立たない場所にある歯科医院で、近所での評判はいいらしく、予約も一杯である。玄関に入ると、紫外線の消毒機能のついたスリッパ入れからスリッパを出して履く。受付と助手は先生のお母さんが一人でやっていて、診察台をいくつも並べて歯科衛生士を何人も雇っている医院とはかなり雰囲気が異なっている。4畳半ほどの広さの小さな待合室のテーブルの上にはカバーをかけた最新の週刊誌が整然と並んでいる。神経質が行き届いていて快適である。

 今はデジタルカメラがあるので、歯の状態をその場で患者さんにモニターで見せて説明することができる。この先生は特に説明好きで、処置の時間より説明の時間が圧倒的に長い。結論としては虫歯ではなく、何か硬いものを噛んだ時にできたヒビだろうということだ。全く自覚症状はないが、ヒビが入っている歯が他にもあった。「年を取るとだんだんこういうところも出てくるが、加齢とともに歯髄も後退するため、痛みを感じなくなる場合が多い」とのことだった。結局、ヒビが入っている歯を少し削って噛み合わせを調整して様子をみることとなった。

 人間、歳をとるにつれて、特に病気というわけではなくてもあちこち不具合が出てくるものである。私の体もあちこちガタがきたポンコツ車に近いが、騙し騙し走っていくしかないのだ。今まで文句一ついわず長年休まず働いてくれているのだから大いに感謝しなくてはならない。

 私の外来には、60代・70代の方で、いわゆる不定愁訴でドクターショッピングをした挙句、「精神科に行きなさい」と紹介状を書かれて来院する人がよくいる。いろいろ検査をして異常はないのだが、本人は病気だと思い込んでいる。何のことはない、神経症なのである。そういう人には「あなたは90歳いや100歳まで長生きしますよ」と申し上げている。こういう人はちょっとした異常でもすぐ病院にかかるから大病をしないものである。ただ、自分の病気探しばかりしていてはもったいない。神経質の無駄遣いである。周囲の人のため、さらには世の人々のため、神経質をもっと有効に使った方がよいだろう。

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