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2008年8月22日 (金)

神経質礼賛 338.アスペルガー症候群?(2)

 8月12日付読売新聞、「論陣論客」のコラムで「子どもとどう向き合うか」というテーマでフランス人作家のダニエル・ペナックさんと有名な児童精神科医の清水將之さんの意見が書かれていた。最後の「寸言」というところで、ペナックさんは、子どもを消費者とみなす現代社会のありかたを厳しく問い、清水さんは子どもを大切にすることの真意をただした、とまとめ、問題は子どもではなく大人であり、我々の覚悟が問われている、としている。さて、その清水さんの発言で興味深い部分があったので紹介したい。「しばしば事件と関連して取りざたされるアスペルガー症候群。幼時から知的な発達水準は平均以上で、対人関係など社会性の発達に難がある。人づき合いは苦手だが匠の技を持つ熟練職人など、今ならこの範疇に入るが、昔は結構いて、有能な人たちと評されていた。それに病名がつき、社会に居場所もない。望ましいことなのか」ということで「診断」というレッテル貼りをしてしまう問題点について述べられていた。

 診断病名をつけて治療法はありません、では当事者やその周囲は迷惑千万である。そもそも病気として扱うよりは、一つの特性として、その特性が生かせるような社会適応を援助していくのが本当ではないか、と思う。清水さんの発言の中にある「熟練職人」は今なら例えば特殊なコンピュータソフト開発技術者あたりも該当するだろう。ありきたりの事務処理ソフト開発は向かなくても、ウイルス対策ソフトだとかゲームソフトの開発には向いている可能性大だと思う。医師の世界でも、(生きている)患者さんと向き合うことのない病理診断医あたりは適性がありそうだ。普通の医師が見逃す悪性のサインを鋭敏に捉えてくれるかもしれない。

 ましてや神経症はなおさらである。「社会不安障害」「パニック障害」「強迫性障害」などの「病名」をつけ薬で「治療」するのは結構だが、森田正馬先生の考え方のように、病気とは考えず、神経質を優れた性格特性として、その特性を生活の中でプラスに生かしていき、結果として「症状」はあってなきが如き状態となる、というのが本筋ではないだろうか。

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