神経質礼賛 350.己の性(しょう)を尽くし 人の性を尽くし 物の性を尽くす
これは森田正馬先生の色紙の中にある言葉である。「物の性(しょう)を尽くす」ということは今までも書いてきた(6話、332話)。『中庸』の中にある言葉だそうであり、物を粗末にせず、そのものの価値を最大限に発揮させる、ということである。森田先生の生活は今風に言えば究極のエコライフである。風呂の残り湯やチラシの紙は無駄なくとことん利用し、青果市場の野菜クズも拾ってきて飼っている動物の餌にした。寝起きをともにしていた患者さんたちも先生の背中を見ながら、それをまねて行動し、神経質を実生活に生かすようになっていった。
放蕩者の金遣いを、「湯水のように使う」というが、僕などは湯水でも、けっしてむだには使わぬ。この「物をむだにせぬ」ということは、同時に自分の頭の働きも、力もベストに使うことで、すなわち「己の性を尽くす」ということにもなる。(白揚社:森田正馬全集第5巻p.439)
「己の性を尽くす」はdo my bestということでわかりやすい。一方、「人の性を尽くす」に関しては、形外会の記録から森田先生の発言は見当たらない。その人の価値が最大限発揮できるようにする、という意味なのだろう。「己の性を尽くす」よりもさらに高いレベルが要求される。
森田先生は常々「人が気軽く便利なように尻軽く行動しなさい」と指導されていた。自分の都合ばかり言ってないで、周囲に気を配り、人の役に立つ人間になりなさい、ということなのである。人の立場に立って物事を考え、人のために行動するようになれば、「人の性を尽くす」ということになる。
森田療法の入院患者さんたちは、入院当初は自分の症状のことで頭がいっぱいであるが、作業中心の生活になってくると、「物の性を尽くす」「己の性を尽くす」が徐々にできるようになってくる。さらにサブリーダーやリーダーの役割が回ってくるようになると、他の患者さんがスムーズに動けるように、作業計画を立て、皆のスケジュール調節を考える必要が出てくる。他の人たちの力が最大限発揮できるように気を配っていくことになる。もはや自分の症状を云々しているヒマはない。この段階までくれば「人の性を尽くす」である。
森田療法を自分たちで学び実践していくことを目的とした生活の発見会という自助グループがある。ここでも最初は神経症の症状に悩まされて入会するわけだが、いつしか世話役の番が回ってくる。自分の症状はあっても、後輩たちの世話をし気配りしていくうちに、「人の性を尽くす」になってくる。その時には、自分自身に注意が向き過ぎていることから起こる症状の悪循環は断ち切られているのだ。
森田先生の他の言葉で言えば、「物そのものになる」「なりきる」ということだと思う。
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