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2008年9月29日 (月)

神経質礼賛 350.己の性(しょう)を尽くし 人の性を尽くし 物の性を尽くす

 これは森田正馬先生の色紙の中にある言葉である。「物の性(しょう)を尽くす」ということは今までも書いてきた(6話、332話)。『中庸』の中にある言葉だそうであり、物を粗末にせず、そのものの価値を最大限に発揮させる、ということである。森田先生の生活は今風に言えば究極のエコライフである。風呂の残り湯やチラシの紙は無駄なくとことん利用し、青果市場の野菜クズも拾ってきて飼っている動物の餌にした。寝起きをともにしていた患者さんたちも先生の背中を見ながら、それをまねて行動し、神経質を実生活に生かすようになっていった。

 放蕩者の金遣いを、「湯水のように使う」というが、僕などは湯水でも、けっしてむだには使わぬ。この「物をむだにせぬ」ということは、同時に自分の頭の働きも、力もベストに使うことで、すなわち「己の性を尽くす」ということにもなる。(白揚社:森田正馬全集第5p.439

 「己の性を尽くす」はdo my bestということでわかりやすい。一方、「人の性を尽くす」に関しては、形外会の記録から森田先生の発言は見当たらない。その人の価値が最大限発揮できるようにする、という意味なのだろう。「己の性を尽くす」よりもさらに高いレベルが要求される。

 森田先生は常々「人が気軽く便利なように尻軽く行動しなさい」と指導されていた。自分の都合ばかり言ってないで、周囲に気を配り、人の役に立つ人間になりなさい、ということなのである。人の立場に立って物事を考え、人のために行動するようになれば、「人の性を尽くす」ということになる。

 森田療法の入院患者さんたちは、入院当初は自分の症状のことで頭がいっぱいであるが、作業中心の生活になってくると、「物の性を尽くす」「己の性を尽くす」が徐々にできるようになってくる。さらにサブリーダーやリーダーの役割が回ってくるようになると、他の患者さんがスムーズに動けるように、作業計画を立て、皆のスケジュール調節を考える必要が出てくる。他の人たちの力が最大限発揮できるように気を配っていくことになる。もはや自分の症状を云々しているヒマはない。この段階までくれば「人の性を尽くす」である。

森田療法を自分たちで学び実践していくことを目的とした生活の発見会という自助グループがある。ここでも最初は神経症の症状に悩まされて入会するわけだが、いつしか世話役の番が回ってくる。自分の症状はあっても、後輩たちの世話をし気配りしていくうちに、「人の性を尽くす」になってくる。その時には、自分自身に注意が向き過ぎていることから起こる症状の悪循環は断ち切られているのだ。

森田先生の他の言葉で言えば、「物そのものになる」「なりきる」ということだと思う。

2008年9月26日 (金)

神経質礼賛 349.アナログシンセサイザー

 先月下旬に新聞で、学研「大人の科学」別冊のシンセサイザーが大好評との記事を読んだ。手のひらサイズのアナログシンセサイザーキットが付録についてたったの3360円という安さが人気を呼んでいるとのことである。残念ながら私が住んでいる地方都市の書店では「大人の科学」コーナーには見当たらない。先日、東京に行った際、渋谷のパルコ地下の書店をのぞいたら6冊ほど平積みされていたので、迷わず買った。

 今から三十年以上前、アナログシンセサイザーを作ろうとしたことがある。OP(オペ)アンプと呼ばれる汎用アナログ集積回路が安価に入手できるようになった頃である。回路設計には自信があったが、最大のネックはピアノ鍵盤状キーボードの入手だった。専用の電気接点付キーボードは高価で手が出ない。そこで、秋葉原のジャンク屋と呼ばれる中古部品屋を探し回り、一つ一つバラせる大型電卓のキーボードをやっと入手した。それをピアノ鍵盤状に並べて色を塗ればミニキーボードになるわけだ。後は正確な音程を出すために高精度の金属皮膜抵抗器を多量に買い込んでネットワークを作ればいい・・・はずだったが、ついそのままになってしまったのだ。これは今でも時々ある「神経質の計画倒れ」で反省しなければならない。

 今回のキットで最大の工夫は「カーボンパネル」にある。鍵盤状キーボードの代わりにテスター棒のような金属棒をカーボンパネルに接触させるとキーが押されたと同じことになる。そして接触させた位置によって抵抗値が異なるため、異なる高さの音が出せるのだ。これにより、安価かつ超小型にまとめることができた。短いカーボンパネルで約4オクターブの音を出すので、正確な音程を出すのは困難である反面、金属棒をスライドさせることで、グリッサンド奏法が可能になる。シンセサイザーの原理を学び、いろいろ変わった音を出して楽しめるのだから安いものだ。

 同じ「大人の科学」シリーズのテルミン(284話)と同様、電子回路基板は完成品なので、ハンダ付け不要であり、電気は苦手という人でも組み立てに30分はかからないだろう。ちょっと気になったのは、キットの入っていた紙の箱を切り抜いてネジ止めするウラ蓋だが、電池を入れた状態では止められない。もっと長いネジでなければ無理である。まあ、このくらいはご愛嬌か。とりあえず面白がっていろいろな音を出していると、子供が貸してくれ、という。これでしばらく手元には戻ってきそうにない。

2008年9月22日 (月)

神経質礼賛 348.事故米転売事件

 さんざん食品の産地偽装が問題となっているところに、今度は農薬汚染・カビ発生などの輸入「事故米」を国が糊などの工業原料用としてタダ同然で安く売却したものを大阪の商社が食品原料用の米として販売していたことが明るみになった。それを原料としていた日本酒・焼酎の酒造会社、せんべい等の製菓会社は製品の自主回収を始めたが、大損害である。名古屋名物「青柳ういろう」も問題の米を材料にしていたことが判明し、回収騒ぎである。転売の末、保育園・学校・老人施設・病院で給食に使われていたこともわかった。医療食品会社が購入していただけに、私も知らずに病院食で食べていたかも知れない。さらには名古屋の商社2社、新潟の1社も同様の不正をしていたことが判明し、問題は広がるばかりである。商社側は「経営が苦しかったからやった」と言うが、二重帳簿操作をしていて極めて悪質であり、産地偽装以上に犯罪性が高い。問題の商社は事実上倒産である。事故米を使ってしまった中小の酒造会社や製菓会社は商品を回収して廃棄しても損害賠償は受けられそうにもない。結局、国が救済するという形になるらしいが、こんなことに税金が使われるのは腹立たしい。

問題の商社が農水省の担当者を接待しており、監査は事前通告されていていい加減な内容だった、という癒着ぶりも報道されている。さらには「消費者がやかましい」発言で問題になった大臣がロクに調査していない段階で「人体に影響ないからジタバタしない」と発言して物議をかもした。例によって「神経質が足りない!」である。非難を浴びて、急に事務次官もろとも大臣も辞職することになった。

 「ちょっとくらい大丈夫だろう」「バレなければ平気」という無神経が会社を倒産に追い込み、客先の多くの企業やその従業員に被害を及ぼし、今のところ健康被害は出ていないものの消費者に多大な不安を与えた。会社の担当者・上層部に心配性の神経質人間がいないと、こういうことになる。公務員も、もっと小心者の神経質でなくてはいけない。

2008年9月19日 (金)

神経質礼賛 347.錬金術の果てに

 アメリカ証券業界第4位のリーマン・ブラザーズがサブプライムローン問題から破綻した。以前、ホリエモンのニッポン放送株買占めの際に資金提供していたことで日本でも有名である。日本国内法人リーマン・ブラザーズ証券の負債だけでも3兆4000億円に達するというから気の遠くなる額である。

 国内銀行各行の同社への融資額が新聞に載っていた。私の口座があるS銀行は融資していなかったようだ。何しろ通称「シブ銀」と呼ばれ、定期預金をしてもテッシュ1つさえくれないことで有名である。融資も安全な地元の優良企業にしかしないので、あのバブル期に損失を出さず、日本一経営状態が優良な銀行になってしまったという妙な「実績」がある。顧客にケチなのはいけないが、融資先の経営状態に神経質なのは金融機関として当然のことである。神経質が足りないと、不良債権が増大し、新銀行東京(別名:石原銀行)のように、巨額の税金で穴埋めすることになる。

 今回のリーマン・ブラザーズだけでなく、アメリカの証券・保険などの業界全体に暗雲がかかっている。経済学理論と数学を組み合わせた金融工学と称する錬金術がもてはやされ、デリバティブといわれる金融商品が開発され、カネがカネを生み出す、という状況だったのが、ついに行き詰ったのである。最大手保険会社AIGも経営危機に陥り、こちらはアメリカ政府が公的管理下で救済することになった。全世界に現地法人を持ち、取引先が破綻した場合の保険商品を世界中で販売しているため、AIGが破綻したら世界恐慌にもなりかねない。大きすぎて潰せない、というのが実態のようである。日本のバブル経済の愚をはるかに上回るばかりでなく、全世界を巻き込んでいるだけに始末が悪い。錬金術の宴の後始末には相当期間かかりそうだ。

 ハイリスクの融資はしない、というのが金融機関の鉄則である。うまい話にはウラがある、というのが大人の常識だ。石橋を叩いて渡る、時には叩くだけで渡らない、といった神経質さが求められる。

2008年9月15日 (月)

神経質礼賛 346.奏楽堂と中田喜直展

 昨日は上野の博物館を見たついでに、根津の方まで足を延ばしてみた。上野公園の奥、東京芸大のそばに旧東京音楽学校奏楽堂がある。明治23年に建てられ、滝廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が歌曲を歌った、日本最古の洋式音楽ホールである。老朽化で明治村へ移転の話もあったが、保存運動が実って、昭和62年に上野公園の一角に復原移築され、現在も演奏会に使われている。建物の中に入ると、小学校の木造校舎に入ったような懐かしさを感じる。トイレのドアには「男」「女」と漢字一文字でシンプルに表記されている。

1階展示室では、中田喜直展が開催されていた。中田喜直(1923-2000)は「ちいさい秋みつけた」「めだかの学校」「夏の思い出」「雪の降るまちを」などの作曲者としてよく知られている。写真の他、戦地に赴く前に書いた遺書や自筆の楽譜が展示されていたが、楽譜は実に精緻であり美しい。神経質が隅々まで行き届いているように感じる。後で知ったのだが、中田喜直は大のタバコ嫌いで、嫌煙権運動にも熱心だったという。

2階からはバッハのオルガン曲が聞こえてくる。上がってみると、午後からの日曜コンサートのリハーサルということで、女性演奏家が舞台正面のパイプオルガンを弾いていた。まろやかな響きが心地よい。木のぬくもりを感じさせるホールである。客席天井の大きなシャンデリアが落ち着いた雰囲気を醸し出していて、現代にいることを忘れてしまう。

奏楽堂を出て、そのまま進んでいくと、上野公園を出て、道路左側が東京芸大の美術系キャンパスで右側が音楽系キャンパスである。まだ赤レンガ造りの建物が残っていて、なかなか風情がある。一般の人が入れる東京芸術大学美術館や藝大アートプラザというショップもある。言問通りに出て根津駅目指して歩いていくと、古くからのせんべい屋があったり、壁全体を朝顔が覆っている建物があったり、と面白い光景に出会って退屈しない。そろそろ昼食時で、おいしそうな匂いがただよってくる。たまにはこんな散歩もいいだろう。

2008年9月12日 (金)

神経質礼賛 345.不眠症のクスリ

 今週、外来に80代半ばの男性が紹介状を持ってやって来た。近くの内科で何年も睡眠薬をもらって飲んでいるが眠れないから何とかして欲しいとのことである。処方されている薬を見ると、睡眠薬代わりによく使われる抗不安薬が2錠、睡眠薬が3錠でうち2錠が短時間型睡眠薬、1錠が中間型睡眠薬である。それだけ飲んでも眠れないという。少々耳は遠いが、大変お元気な方で頭もしっかりしておられ、うつ病や痴呆性疾患は考えられない。昔は学校の先生をしていて、退職後も時事評論のような本を書いているそうである。神経症性不眠(60話参照)つまり、睡眠に対する過度のこだわりが問題のように思われる。

 一緒について来た奥さんの話では、夜、眠れなかったからといって午前中は雨戸を閉めたまま横になっているとのことである。これは森田正馬先生が言われた、

「患者は毎日熟眠が出来ないといひながら、十二時間以上も臥褥し、五時間・七時間位も睡眠して居るのである。多くの医者は不思議にも、其患者の日常の生活状態や、何時に寝て・何時に起き・其間に如何に睡眠が障害されるか・といふ事を聞きたゞさないで、患者の訴ふるまゝに、不眠と承認して、之に催眠剤を与へるのである。 (白揚社:森田正馬全集第7巻 p.401)」

まさにそのものである。

また、ご本人の話では、寝付けないので午前3時頃に睡眠薬を1錠追加して飲むとのことである。

 結局、新たな薬は処方せず、とりあえずは現在処方されている薬を正しく服用することとし、

     朝、決まった時刻に起きるようにし、雨戸を開けて部屋を明るくする。日中はなるべく庭先に出たりして、明るい光を浴びるようにすること。(「体内時計」をセットするため)

     夜中に睡眠薬の追加服用はやめること。「今日は眠れなくても仕方がない」と横になっていればよい。高齢者の場合、睡眠時間は5-6時間ウトウトという方が多いので、7-8時間眠ろうとしなくてよい。

     夕食以降はカフェインを多く含んだ飲物の摂取を控える。(この方はせん茶が大好きでよく飲まれるので、夕食後はカフェインが少ない番茶やほうじ茶の方が望ましいと説明)

こんなアドバイスを「処方」しておいた。

これが本当は不眠症に効くクスリである。

2008年9月10日 (水)

神経質礼賛 344.銀杏

 9月に入ってからも日中は30℃を越える残暑が続いている。しかし、朝夕は涼しく過ごしやすくなってきた。どこから迷い込んだのか、駅のベンチの上にバッタがいた。トンボもよく見かける。駅から病院へ向かうイチョウ並木を見上げると、もう銀杏の実がついているのに驚く。

 やがて秋が深まってくると、銀杏拾いの人を見かけるようになる。たくさん拾ってどうするのだろうか。それほどおいしいものではない、というのが正直なところだ。串に1,2個刺して料理に添えられていると季節感があっていいな、という程度である。職員送迎ワゴンの運転手さんが「以前、欲張って拾っていたら手がひどくかぶれて皮膚科にかかって高くつきましたよ」という。アレルギー物質を含んでいるので漆と同様に皮膚炎の原因ともなる。ちなみに銀杏中毒、というのがあって、銀杏を食べ過ぎるとビタミンB6欠乏状態をきたすことがあるので、やはり季節の彩りという程度にした方が良さそうだ。

 そんなわけでイチョウの実は医学的にはいろいろと問題アリだが、イチョウの葉エキスは生薬として用いられている。国内では医薬品として承認されていないため、海外からの輸入である。抗酸化・血流改善作用すなわち「血液サラサラ」作用があるとされていて、脳梗塞を予防するような効果があるようだ。実際に(家族が手に入れてきて)服用している認知症の患者さんを診ることもある。ただし解熱鎮痛薬と併用するとその作用が増強されて、出血傾向となることがあるので要注意である。また、肝臓の代謝酵素誘導作用のため、抗てんかん薬などの血中濃度を下げて効果を弱めてしまうことがあるので、生薬だから安全とも言い切れない。こと薬に関しては神経質になるに越したことはない。

2008年9月 8日 (月)

神経質礼賛 343.なんて素敵にジャパネスク

 今年の6月、作家の氷室冴子さんが肺がんで亡くなった。51歳の早すぎる死だった。新聞各紙で比較的大きく取り上げられていたが、9月2日付読売新聞の追悼抄では、亡くなって3ヶ月経った今でもファンからの手紙や贈り物が届いている、という話が紹介されていた。思うにまかせぬ現実に直面している多くの若い女性たちが、氷室さんの小説の主人公の活躍に元気付けられてきたのだろう。

 何を隠そう、この私も氷室さんの代表作「なんて素敵にジャパネスク」シリーズは全部読んでいる。そもそも十代の女の子をターゲットにしたジュニア小説だから、私のように「キモい」おっさんとは何ら接点がないはずなのだが、今から2223年位前、たまたまNHK-FMで放送された朗読を聴いて、読みたくなった。神経質人間の私にとって、書店の女性向け文庫本コーナーでコバルト文庫の棚から探し出してレジへ持っていくのは、ちょっと勇気のいることだった。

 物語の舞台は平安時代の貴族社会。主人公の瑠璃姫は明るく活発な女の子で好奇心旺盛であり、ヒステリー性格全開で突っ走ってしまうところがあって、政争や危険な事件に巻き込まれたりもする。その瑠璃姫と幼馴染でやがて結婚する高彬は真面目で堅物、心配性でもあり、神経質度大である。神経質にはおおらかな循環気質がベストマッチと思われる(270話)が、明朗活発タイプであればヒステリー性格も相性として悪くはないだろう。その代わり、神経質の方が振り回されてバタバタする羽目になる。氷室さんのエッセイには、宝塚スターの追っかけをやっていたようなことや、自身の結婚問題で母親と派手にやりあったことが書いてあって、瑠璃姫は氷室さん自身なのだなあと思う。実生活で高彬のようなパートナーとの出会いがなかったのは残念である。「なんて素敵にジャパネスク」はよく平安ラブコメディーと言われているが、巻が進むにつれ、瑠璃さんの痛快冒険譚という色彩が強くなっている気がする。読み出すと面白くて1冊2時間以内で一気に読み切ってしまう。平安時代の社会生活が巧みに織り込まれているので、これを読むと、古文アレルギーもなくなるだろう。著者の氷室さんは亡くなられたが、これからもずっと楽しく読み続けられていい作品だと思う。

2008年9月 5日 (金)

神経質礼賛 342.不全熱と生の欲望

 今年は源氏物語千年紀ということで、毎日新聞では現代の作家が源氏物語を語る特集が組まれている(267)831日付の毎日新聞には「源氏物語への扉」という題で作家の高樹のぶ子さんの意見が載っていた。高樹さんは、現世での栄華を極め好きな女性をすべて手に入れた光源氏が「あかず悲し」すなわち自分の人生は思うにまかせぬことばかりだったと述懐しているところに注目してこれを「不全熱」という言葉で表現されている。すばらしく印象的な言葉である。思うようにいかない不全の思いから生まれる熱、それが生きるエネルギーであり、作者の紫式部も不全熱に生涯突き動かされて源氏物語を書き続けたのだ、人々の心の中にある思いかなわぬもの、それが源氏物語全体を貫く主役であり、生きることの本質にふれているからこそ千年間読まれ続けてきた、と高樹さんは鋭く分析している。さらに、出家は心の闇や不全感を克服する手段だが、自分は出家しようとは思わない、不全熱に焼かれながら死んで行きたい、苦しみながらその熱でものを書いていきたい、とも述べられている。これは前回登場し、源氏物語は出家して心の平安を得るストーリーだとする、瀬戸内寂聴さんに対する挑戦状とも映る。

 森田療法の立場から見ると、「不全熱」は「生の欲望」、「心の闇」は「死の恐怖」と考えることができるだろう。森田正馬先生が言われたように、生の欲望と死の恐怖は表裏一体のものなのである。高樹さんは、死の恐怖から逃げずに、苦しみながらも、よりよく生きたいという生の欲望に沿って、作品を書いていきたい、と抱負を述べられているのだ。

 神経質人間は完全欲が強く、なかなか満足しないものである。常に高きを仰ぎ、それに比べて自分はダメだと考えがちである。しかし、これは、生の欲望が強いということなのである。不全感をエネルギー源として、決して満足することなく努力していけば、道は開けてくるものだ。「死の恐怖」から逃げてひきこもっていたのでは得られるものはない。

 私自身、この不全熱はよく感じるところである。特に若い頃は劣等感が強かったので今よりずっと不全熱が強く、出家したらこの苦悩から開放されるのだろうかと真剣に考えた時もあったほどだ。だが、不全熱に追い立てられたおかげで、ダメ人間なりにいろいろなことが実現できたのだと思う。

 最後に森田先生の言葉を紹介しておこう。

我々の日常生活に於いては、如何なる時も、死ぬ迄、憧れと・欲望とに引づられて、前へ前へと追ひ立てられてゐるが、それが即ち私の『日々是好日』である。(白揚社:森田正馬全集 第7巻 p.479

2008年9月 1日 (月)

神経質礼賛 341.神経質カレー

 カレーに使われるスパイスのターメリック(ウコン)に記憶力を高める効果がありアルツハイマー病の予防に利用できる可能性があることが動物実験で明らかになったとする研究発表が新聞に出ていた。カレーをよく食べるインドではアルツハイマー病が少ないのだそうである。おいしく食べて記憶力アップとは、こんなにおいしい話はないだろう。いつかの「納豆ダイエット」騒動でスーパーの食品売場から納豆が姿を消したのと同じようなことになると困ってしまうが。

 記憶力向上効果はさておき、カレーライスは栄養バランスが良いし、夏バテのような時でも食べやすく元気が出る食べ物である。そして貧乏学生の味方である。私も最初の大学生時代には学食(生協食堂)で200円くらいの安い定食を食べ、週1回は120円のカレーを食べたものだ。肉が見当たらない「はずれ」の時もあったが、大鍋で長い時間火を入れて作られたカレーはおいしかった。自分でもカレーはよく作った。一度作ると3食分くらいになってしまう。電子レンジはなかったから、残った冷や飯にかけて食べたがこれが意外とおいしかった。毎日火を入れて煮込むと、最初の日より2日目、3日目の方が、ずっと味がよくなることを知った。カレールウも異なるメーカーのものを2、3種類混ぜた方がいい味になった。

 近頃、主夫業が増えてきて、また、カレー作り復活である。カレー作りなんか、何でも同じじゃないか、と思われる方もあるかもしれないが、煮込みの長さとちょっとした工夫で味が結構変わるものである。カレールウは妻がいつも購入する「奄美の島カレー」を使わざるを得ないため、後はどう工夫するかである。肉はモモ肉ブロックだけだと味が出ないのでバラ肉ブロックを混ぜる。肉・野菜を炒める時に少し赤ワインを入れる。最初の煮込みの時には神経質らしく丹念にアクを取る。隠し味に麺つゆを一さじ入れる。当日は食べずに、翌日までの間に何度か弱火で煮込む。鍋底を焦がさないように注意することは言うまでもない。そして丸一日が経過するとおいしい神経質カレーの出来上がりである。

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