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2008年9月15日 (月)

神経質礼賛 346.奏楽堂と中田喜直展

 昨日は上野の博物館を見たついでに、根津の方まで足を延ばしてみた。上野公園の奥、東京芸大のそばに旧東京音楽学校奏楽堂がある。明治23年に建てられ、滝廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が歌曲を歌った、日本最古の洋式音楽ホールである。老朽化で明治村へ移転の話もあったが、保存運動が実って、昭和62年に上野公園の一角に復原移築され、現在も演奏会に使われている。建物の中に入ると、小学校の木造校舎に入ったような懐かしさを感じる。トイレのドアには「男」「女」と漢字一文字でシンプルに表記されている。

1階展示室では、中田喜直展が開催されていた。中田喜直(1923-2000)は「ちいさい秋みつけた」「めだかの学校」「夏の思い出」「雪の降るまちを」などの作曲者としてよく知られている。写真の他、戦地に赴く前に書いた遺書や自筆の楽譜が展示されていたが、楽譜は実に精緻であり美しい。神経質が隅々まで行き届いているように感じる。後で知ったのだが、中田喜直は大のタバコ嫌いで、嫌煙権運動にも熱心だったという。

2階からはバッハのオルガン曲が聞こえてくる。上がってみると、午後からの日曜コンサートのリハーサルということで、女性演奏家が舞台正面のパイプオルガンを弾いていた。まろやかな響きが心地よい。木のぬくもりを感じさせるホールである。客席天井の大きなシャンデリアが落ち着いた雰囲気を醸し出していて、現代にいることを忘れてしまう。

奏楽堂を出て、そのまま進んでいくと、上野公園を出て、道路左側が東京芸大の美術系キャンパスで右側が音楽系キャンパスである。まだ赤レンガ造りの建物が残っていて、なかなか風情がある。一般の人が入れる東京芸術大学美術館や藝大アートプラザというショップもある。言問通りに出て根津駅目指して歩いていくと、古くからのせんべい屋があったり、壁全体を朝顔が覆っている建物があったり、と面白い光景に出会って退屈しない。そろそろ昼食時で、おいしそうな匂いがただよってくる。たまにはこんな散歩もいいだろう。

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コメント

初めまして。今日初めてHPを拝見しました。鈴木知準先生が亡くなられたと聞き、あれこれ検索してみたのですが一向に関連記事が見つからず、諦めて森田療法関係の記事をざっと眺めていたところ、こちらのHPにぶつかりました。そして昨年12月の森田療法学会についてのエントリーで「鈴木先生も亡くなられた」とお書きになっているのを拝見しました。
私が鈴木先生の御著書から森田療法を知ってもう30年以上になります。長く外国で暮らしていたのですが、その間も森田療法や鈴木先生の御著書が支えになりました。一度お目にかかってみたい方でした。
鈴木先生はいつお亡くなりになったのか、今、中野の鈴木知準診療所はどうなっているのかお教えいただけますでしょうか。(メールでも結構です)
長々と失礼いたしました。こちらにもまた寄せていただきます。

コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。確かに鈴木知準先生のお名前で検索しても、御著書の販売関係の情報しか出てきませんね。私は直接お話したことはありませんが、ご高齢になられてからも、森田療法学会でお姿は拝見しておりました。やはり、「打ち込み的助言」と評されたように、実践を重んずる先生で、学会の場で心理学系の先生が理論ばかりの発表をすると、厳しい質問をされていたことを覚えております。お亡くなりになって「生活の発見」誌に追悼記事が載っていましたが、今、手元にないため、明日出勤しましたら調べて改めてメールさせていただきます。

早速のお返事をありがとうございます。本当に鈴木知準先生についての情報がインターネットでも少ないことに驚いています。
わざわざお調べいただけるとのこと、お忙しいところ恐縮ですが、メールを楽しみに待っておりますので、よろしくお願いいたします。

鈴木知準先生の件につきましては、メールにてご返答させていただきました。コメントをお読みの方々のために少し書いておきます。「生活の発見」誌本年2月号に追悼記事があり、昨年(2007年)11月17日にご逝去されたとのことです。1909年のお生まれですから98歳の長寿をまっとうされたことになります。年2回発行の日本森田療法学会誌では本年4月号で、森田療法学会認定医の一覧から知準先生のお名前が消えていますが、ご逝去の記事はありませんでした。

鈴木診療所は、2008年の9月いっぱいで、残っていた職員さんも全て去り、ご子息の龍先生に引き継がれております。森田療法ではありません。2008年9月初めの時点では、まだ作業室、炊事場、寮生の部屋など当時のままの環境でした。その後、大分片付けられてしまったようで、診療所の内部は空っぽに近い感じだと思います。ただ、庭などはまだ当時に近い感じに保たれているようです。私は、最後まで知準先生と関わりを持つことができました。もちろん卒業生です。

でへまる様
 貴重な情報をお寄せいただきありがとうございます。御子息の龍先生は精神分析の方が御専門だと聞いています。やはり、森田療法施設としての継続は無理だったのですね。

鈴木先生は、私にとってまさしく『師匠』でした。医者と言う感じとは違うのです。今でも時間ができたら、杉並のお寺へお墓参りに行っております。その度に、先生の打ち込みが聞こえてくるようで、清清しい気持ちで、日常生活に戻ることができます。神経症も重症になったら、お医者さんも大変だと思います。鈴木先生のように、生活を共にして一から再教育することは、今の時代難しいと考えれば、親の幼少時代からの教育が大切だと思います。神経症予防と言ったらいいでしょうか。治療より予防、そのような気運が高まってくればいいかなと思います。

でへまる様
 コメントいただきありがとうございます。でへまる様と鈴木知準先生の御関係は、ちょうど知準先生と森田正馬先生との御関係と同様だったのだろうと思います。切磋琢磨し合う師弟関係と言ってもよいのではないでしょうか。
 神経症の治療よりも予防が大切、という御意見はまさにその通りだと思います。神経質という性格の長所を知ってそれを伸ばし、神経症の落とし穴にはまらないようにすることができるならば、こんなにすばらしいことはありません。
 森田療法を単なる「治療法」ではなく、神経質を活かす法、もっと広く「人の性(しょう)を尽くす」・・・その人の能力を最大限に伸ばす教育法、としての面にスポットライトを当てて広めていけたらな、と常々思っております。

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