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2008年9月 5日 (金)

神経質礼賛 342.不全熱と生の欲望

 今年は源氏物語千年紀ということで、毎日新聞では現代の作家が源氏物語を語る特集が組まれている(267)831日付の毎日新聞には「源氏物語への扉」という題で作家の高樹のぶ子さんの意見が載っていた。高樹さんは、現世での栄華を極め好きな女性をすべて手に入れた光源氏が「あかず悲し」すなわち自分の人生は思うにまかせぬことばかりだったと述懐しているところに注目してこれを「不全熱」という言葉で表現されている。すばらしく印象的な言葉である。思うようにいかない不全の思いから生まれる熱、それが生きるエネルギーであり、作者の紫式部も不全熱に生涯突き動かされて源氏物語を書き続けたのだ、人々の心の中にある思いかなわぬもの、それが源氏物語全体を貫く主役であり、生きることの本質にふれているからこそ千年間読まれ続けてきた、と高樹さんは鋭く分析している。さらに、出家は心の闇や不全感を克服する手段だが、自分は出家しようとは思わない、不全熱に焼かれながら死んで行きたい、苦しみながらその熱でものを書いていきたい、とも述べられている。これは前回登場し、源氏物語は出家して心の平安を得るストーリーだとする、瀬戸内寂聴さんに対する挑戦状とも映る。

 森田療法の立場から見ると、「不全熱」は「生の欲望」、「心の闇」は「死の恐怖」と考えることができるだろう。森田正馬先生が言われたように、生の欲望と死の恐怖は表裏一体のものなのである。高樹さんは、死の恐怖から逃げずに、苦しみながらも、よりよく生きたいという生の欲望に沿って、作品を書いていきたい、と抱負を述べられているのだ。

 神経質人間は完全欲が強く、なかなか満足しないものである。常に高きを仰ぎ、それに比べて自分はダメだと考えがちである。しかし、これは、生の欲望が強いということなのである。不全感をエネルギー源として、決して満足することなく努力していけば、道は開けてくるものだ。「死の恐怖」から逃げてひきこもっていたのでは得られるものはない。

 私自身、この不全熱はよく感じるところである。特に若い頃は劣等感が強かったので今よりずっと不全熱が強く、出家したらこの苦悩から開放されるのだろうかと真剣に考えた時もあったほどだ。だが、不全熱に追い立てられたおかげで、ダメ人間なりにいろいろなことが実現できたのだと思う。

 最後に森田先生の言葉を紹介しておこう。

我々の日常生活に於いては、如何なる時も、死ぬ迄、憧れと・欲望とに引づられて、前へ前へと追ひ立てられてゐるが、それが即ち私の『日々是好日』である。(白揚社:森田正馬全集 第7巻 p.479

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