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2008年10月31日 (金)

神経質礼賛 360.嫌いな人とどう接するか

 誰にも人の好き嫌いはあるものだ。神経質人間では、特にそれが激しく、嫌いな人とどう接するか悩む人も少なくない。

森田正馬先生のもとで月1回開かれていた形外会でも「変わった性格の人と一緒にやっていくことは不可能のようですが、何とかならないものでしょうか」と質問した女性がいた。これに対して森田先生は、好きは好き、嫌いは嫌いと感じるままに交際していけばよい。当たらず触らず会釈笑いでもしていればよい。面憎いまま、じっと自分の心を持ちこたえるのが「自然に服従する」であり、挨拶くらいはしておいた方がよかろうと、お世辞のひとつも言うのが「境遇に柔順」である。「人を憎んではならない」とか「敵を愛せよ」というように教訓で心をためなおすのは自然の感情に服従しないものである。また、不愉快だから話しかけられても応対もしないのはわがままである、と述べておられる。さらに、そのような質問は神経質の特徴である。普通の人は、誰でも嫌いな人は不快であるが、ただ我慢して境遇を押しきり、運命を切り開いていこうとする。神経質は自己中心的の功利主義から、自分の苦痛を最も少なくして、最も大なる幸福を得ようとする工夫から、楽々と愉快に人と交際し、何ごとにも自分の思うとおりにしたいと考えるからである、と「思想の矛盾」を指摘しておられる。(白揚社:森田正馬全集 第5巻p.568-571

私の場合も、図々しい人や他人の迷惑を考えない人は苦手であり、たとえ根は良い人であってもつい敬遠してしまう。そういう人から話しかけられると、無意識のうちに不快な感情が言葉や態度に出てしまいがちである。商売柄、仕事中は気をつけているが、森田先生の言われたことを思い出しては反省している。

神経質人間は、善悪・白黒をハッキリつけてしまう傾向がある。認知療法でいうところの「レッテル貼り」である。一旦「いやな奴」と決め付けてしまうと修正に時間がかかる。実際には悪のかたまりという人はそうはいないものである。一人の人間でもいろいろな面を持っているものだ。相手の良いところを探せば必ず出てくる。森田先生の言われたように、お世辞のひとつも言う、ということは自分の認知を修正するのにはとても効果的だと思う。

2008年10月27日 (月)

神経質礼賛 359.ウイルス感染騒動

 電子カルテを使う病院や診療所が増えた。私が勤務している病院ではまだ導入していない。各病棟と事務のパソコンはLANでつながっていて共有ファイルが閲覧できるようになっている。事務ではレセプト関係の処理、病棟では主として勤務表などの文書作成に用いられ、ウイルス感染防止のため直接にはインターネットにつながっていない。ところが、先日、突然、数台のパソコンがCPU負荷100%状態で動かなくなった。メンテナンス業者が夜中まで調べてウイルス感染の疑いがあるファイルを発見し、ウイルスチェックソフトの会社に送付したという。しかし、ウイルスだったという連絡はない。その後、メーカーの担当者に調べてもらったところ、ウイルスではないとの見解である。最新のウイルスチェックソフトでも引っかからない。こうなってくると何が本当かわからない。使用しているパソコンはリース期間が満了となっているので、メンテナンス業者が新型機を売りつけたくて自作自演したのではないか、という説まで飛び出して、疑心暗鬼の状態だ。

 この頃、USBメモリに感染するウイルスが問題になっている。職員が会議で発表する資料を自宅のパソコンで作成し、USBメモリでデータを持ち込み、病院のレーザープリンタで必要な人数分を打ち出す、という場面も時々あった。これからはUSBメモリ挿入厳禁、ということになりそうだ。薬剤耐性菌の患者さんへの院内感染がよく問題になっているが、コンピュータウイルスの院内感染も被害は甚大である。直接、人の生命に関わる心配はまずないにしても、業務に大きな支障をきたすし、最悪の場合には患者さんの個人情報がネット上に流れるという危険もある。細菌やウイルスの院内感染防止は日常の手洗い・うがいなどに気を配ることが基本で、コンピュータウイルスの予防もこまめなウイルスチェック・ウイルス感染の疑いのあるファイルを開かないという普段からの注意が必要である。ちょっとくらい大丈夫だろう、という油断は禁物だ。トラブルが起こってからでは遅い。この辺は大いに神経質になる必要がある。

2008年10月24日 (金)

神経質礼賛 358.NTTコミュニケーションズを名乗るセールス電話

 困ったセールス電話の話は以前書いた(93話)。自宅の電話をナンバーデイスプレイにして非通知電話をカットしたら私宛のセールス電話は激減した。子供たちが高校に進学して、塾や家庭教師の勧誘電話もほとんどかかってこなくなった。ところが、どうにもしつこいのが「NTTコミュニケーションズですが」とかかってくるセールス電話である。以前は光回線とIP電話を勧めてきた。地震などの災害時に停電になってもADSLならば電話の親機は使用できるが、光回線にしてしまうとそうはいかないので、断っていた。神経質人間はあくまでも安全重視である。この頃またしつこくかかってくる。夜でもおかまいなしである。マニュアルを読んでいるような口調である。昼間、妻が出た時には「電話の基本料金が安くなります。90%の方が契約しています」と詐欺同然のセールストークである。よくわからないから説明のパンフレットを郵送して、と妻が言ったら、「それはありません。契約書を送ります」と。(そりゃそうでしょう。証拠が残ったらまずいわけだから。)仕事を終えて帰宅早々「相手の電話番号を聞いといたからちゃんと断ってよ!」と怒り口調の妻からメモを突きつけられた。(今までもちゃんと断っているのだが。)電話番号が0120で始まっているのでオヤ、と思う。本当にNTT関係ならば通常の電話番号で無料通話のはずだ。とりあえず電話して、迷惑だから今後かけないようにして欲しい、というと男性社員が「わかりました」と言う。果たしてこれでおさまるのだろうか?

 ネット上で検索してみると、同じように「NTTコミュニケーションズ」を名乗る電話に悩まされている人たちが書き込んだ情報がいくつも見つかった。どうやら正体は代理店らしい。電話一本で報奨金が稼げるのだからボロい商売なのだろう。0120で始まる電話番号はウチにかかってきたのとは異なるが、それも何種類かあるらしい。いつもメシどきにかけてくる、という怒りの声もある。コールセンターのオネイサン相手に話しても埒があかないので「上司を出せ!(怒)」とやった人もいるようだ。最近のセールスはプラチナライン(市内・県内市外・県外・国際のマイラインの全区分をNTTコムと一括契約することで通話料金を割引くもの)の勧誘である。マイラインをNTT東日本や西日本からNTTコムに変更する手数料が840円かかる。これは1000円分の商品券をあげます、ということだ。しかし、デメリットもないわけではない。また、これからもずっと安いことを保証するわけではない。電話接続料は2003年から上昇傾向で電話サービスの原価は高騰している、という業界情報もあるので、契約者数が頭打ちになった段階で料金が値上げになる可能性もある。インチキ商品ではないにしても、こういう詐欺まがいの電話セールスを神経質人間は決して許さない。

2008年10月20日 (月)

神経質礼賛 357.レジ袋有料化

 今月からついに私の住んでいる地方都市でも全国チェーン大手スーパーと地元に多くの店舗を持つスーパーでレジ袋が有料化となった。かなり前から周知が行われていたので、今のところ特に問題なく受け入れられているようだ。レジ袋減量は環境保護にならず偽善だと主張する学者もいるが(332話)、通常の感覚からすればゴミ削減で望ましいと思うはずである。

 まだ慣れていないので、家を出てから買物袋を忘れたのに気づいて戻ることもある。レジ袋有料化前のキャンペーンでいくつかエコバッグをもらったが、色や大きさがどうもよいものがなくて、結局大きめの白いポリ袋を折りたたんでポケットに入れて買物に出かけている。仕事帰りに急にスーパーに寄る場合に備えて、カバンの中に買い物用ポリ袋を常備することにした。こういうところは神経質の取り柄である。

 最近では風呂敷が究極のエコバッグとして見直されているようである。結び方を工夫すれば、スイカのような球状の物、細長い形の物など、いろいろな形状の物を包むことができるらしい。汚れれば洗濯もできる。着物姿のモデルさんが風呂敷を持つと、実に絵になる。しかし、私はまだちょっと風呂敷を持つ勇気はない。Yシャツやワークシャツの裾をズボンの中に入れて着ている旧世代の私が風呂敷を持ったら、一昔前、田舎の結婚式帰りに大きな引き出物の風呂敷を下げて歩いているオジサン、といった風情になってしまうだろう。おしゃれに風呂敷が使いこなせたらなあ、とあこがれる。

2008年10月17日 (金)

神経質礼賛 356.個室ビデオ店放火事件

 去る10月1日未明、大阪の個室ビデオ店で放火のために15人が亡くなる(その後さらに1人が死亡)という事件が起きた。犯人は大手電気メーカーの元社員だった。ギャンブルで多額の借金を背負い、妻からも見放されて離婚され、生活保護を受けていたという。他の無差別殺人事件の犯人たちと同様、「生きているのが嫌になった」と述べている。自殺しようと放火したのに自分は逃げ出し、多数の犠牲者を出した。極めて自己中心的で卑劣な犯行である。

 亡くなった人たちの多くは、経済的理由でネットカフェと同様ホテル代わりに利用していたようだ。中には、遅くまで仕事をしていて帰宅する時間を惜しんで利用した人、台風が接近中ということで急遽利用して犠牲になった人もいるようだ。お気の毒としか言いようがない。

 個室ビデオ店側にも問題はある。窓を石膏ボードで塞いでいて、通路も狭かった。そして避難誘導もなかった。火災報知器は鳴ったが、上の方の階にいた管理人が誤報と決め付けて切ってしまい、消防への連絡が遅くなった。せめて窓をあけて様子を見て異常がないかどうか確認する位の神経質があったら、これだけ多くの命が失われることもなかったかもしれない。

 暗い中で煙が立ちこめる、という悪条件で避難することは困難である。君子危うきに近寄らずで個室ビデオ店やネットカフェなどには入らないに越したことはない。しかし通常のホテルや大型店舗や地下街の火事でも危険は起こりうる。なるべく避難経路をチェックしておく神経質は必要である。私の場合、いつもポケットに入れているキーホルダーは小型LEDライト付である。普段から暗い所で落し物をした時や、鍵穴を照らすのに役立っている。これを持っていれば、夜間や閉所で不測の出来事が起きた場合に心強い。神経質が自分の身を守り人の命を救うのだ。

2008年10月13日 (月)

神経質礼賛 355.王監督お疲れ様

 先週のプロ野球ソフトバンクvs楽天戦を最後に王監督が引退し、50年のプロ野球生活を終えられた。2年前に胃がん手術を受け、体調が十分でない中でムリを押しての監督業はいかにも王さんらしい。

 私の少年時代のヒーローは巨人軍の長島選手と王選手だった。私も子供の頃はジャイアンツ帽をかぶっていた(丸顔なので似合わなかったが)。男の子たちはこの二人にあこがれたものだ。どちらかと言うと明るくスター性の高い長島さんの方が人気が高かったような気がする。でも私は王さんの方が断然好きだった。とにかく不言実行・努力の人である。ホームランを打っても派手なパフォーマンスはせず、淡々とベースを一周する。打たれた投手の心情を思いやっていたとも言われている。試合後のインタヴューでは自己アピールはなく「そうですねー」という発言が多かったような記憶がある。スランプに陥ると、ますます苦行僧のような雰囲気が出てくる。すべてが長島さんとは対照的だった。監督業になってからも苦労が多く、ダイエー監督としてようやく優勝したが、球団の身売りで心労が絶えなかったことだろう。そうしたストレスが胃がんの原因になってしまったのかもしれない。とにかくお疲れ様でした。

 以前、ほぼ同時期に大リーグに渡った新庄選手と松井(秀)選手の比較を書いたことがある(第2話)。長島さんと王さんの比較も同じようなことが言えるだろう。

 森田正馬先生は「花は紅 柳は緑」ということをよく言われた。原典からすれば「柳は緑 花は紅」なのだが花を前に持って来た方が勢いがよいためか、しばしばその語順になっている(第3話)。長島さんを花にたとえれば、王さんは柳であろう。

 

花は紅色で緑になることはできないし、柳は緑色で紅色になることはできない。何のはからいもないあるがままの姿である、というのが森田療法的解釈である。私は一歩踏み込んで、「花」は積極的で大胆で目立つ人の象徴、「柳」は地味な神経質人間の象徴と解釈している。桜・梅・桃などの花は鮮やかで多くの人々の目をひきつけるが、咲いている期間は長くない。風や雨ですぐに散ってしまう。柳は目立たないが年中美しい景観を作ってくれる。強い風雨も受け流してしぶとく枝葉を残す。渋い名脇役といった存在だ。神経質人間が積極的で大胆な人間になろうとしてもできるはずはないしその必要もない。そんなことよりも神経質の良さを発揮しながら行動していけばよいのである。ビクビクハラハラの小心者のままで大いに結構なのだ。

2008年10月10日 (金)

神経質礼賛 354.ノーベル化学賞の下村さん

 凶悪犯罪に金融危機といった嫌なニュースばかりの毎日に、南部陽一郎さんら日本人3人がノーベル物理学賞に決まるといううれしいニュースが入った。その翌日にはさらにノーベル化学賞にボストン大学名誉教授の下村脩さんが選ばれたというニュースが株価暴落の話題を押しのけて飛び込んできた。最先端の医学研究に欠かせない緑色蛍光タンパク(GFP)を発見したのが下村さんである。

 下村さんは戦後の長崎で薬学を学んだ。まだ原爆の爪あとも残り、勉強する環境としては厳しいものがあったことだろう。大学卒業後は身分の不安定な実験実習指導員をしながら研究を続け、ウミホタルの発光物質の結晶化に成功。名大に移った後、フルブライト留学生としてアメリカのプリンストン大学へ渡った。発光物質を抽出するため家族総出で研究材料のオワンクラゲを捕獲したそうである。通りがかりの人から「何の料理にするんだ」などと声を掛けられたという。きっと「クレイジーな日本人」と見られたに違いない。大量の材料からようやく美しく青色に光る物質「イクオリン」を抽出したが、クラゲは青色ではなく緑色に光る。下村さんはなぜだろうと疑問を持った。さらに調べているうちに別の物質が関与していて、それが青い光を受けて緑色に発光することを突き止めた。それがGFPである。

  下村さんを知る人たちは「とてもシャイな人」という。TVニュースのインタヴューを見ていると少年のままの「純な心」を持った80歳、といった感を受ける。今でも自宅で研究を続けておられる。基礎科学分野の研究には膨大な資金がかかるものが多い。近年は国や企業から多額の研究費を集められる口八丁手八丁の研究者が「勝ち組」になりやすい。下村さんのように家族や少数のスタッフの力で画期的な研究成果を出すのは難しいことである。自分が興味を持ったことを一途に追い続けたことが実を結んだのだ。一つのことを根気よく続けるのは神経質人間が得意とするところである。大いに学ぶべきであろう。何もノーベル賞級の研究である必要はない。我々も仕事、家事、趣味などの日常生活の中で関心を持ったことを継続して追求していけば、いつかそれなりの成果が出るものだろう。

2008年10月 6日 (月)

神経質礼賛 353.今時のうつ病

 9月29日付読売新聞の医療ルネサンスというコラムに「今時うつ病事情」ということで、産業カウンセラーの話が載っていた。ここ半年間に面接した「うつ病」関係の会社員30人のうち、きまじめな従来型は10人で、残りの20人は職場を離れると元気になるようなタイプで「職場うつ」「未熟型」「逃避型」「現代型」と呼ばれるものだったとのことである。いわゆる新型うつ病の激増ぶりを反映していると言えよう。

 さらに102日付の同じく医療ルネサンスでは、仕事をズル休みする目的で精神科を受診した人がインターネットで知った「症状」を告げると、数分の診察で簡単に「うつ病だから休養が必要」との診断書を書いてもらえたという話があった。処方された薬は飲んでいないという。SSRIと呼ばれる抗うつ薬は薬価が高い。健康保険の財政状態がピンチだというのに、こんなところで無駄遣いされたらたまったものではない。偽患者が増えては、本物のうつ病の人がすぐに診察を受けられないということにもなる。「うつ」の診断書を錦の御旗にズル休みされては、同僚や上司にシワ寄せが来て、そちらが本物のうつ病になってしまう心配もある。

 9月25日付Medical Tribune(医師向け業界紙)には第5回日本うつ病学会シンポジウムの記事があり、ディスチミア親和型、現代型うつ病、非定形型うつ病の要約が載っていた。

ディスチミア(気分変調)親和型は若年者に多く、規範意識が薄く、常態的にやる気のなさを訴え、罪悪感は薄く時に他罰的という特徴がある。現代型うつ病は職場組織への一体感の忌避、職場への恐怖症的心性、自己中心性などの特徴があり、症状があまりないうちから受診する傾向にある。非定型うつ病は米国精神医学会の診断基準DSMに記載があり、気分反応性(いいことがあると気分がよくなる)、過食・体重増加・過眠、鉛様の麻痺、拒絶や批判への過敏性が特徴である。

最近話題となっている「新型うつ病」は上記3タイプの特徴をいくらかずつ含んでいるが、今まで何度か述べたように、自己愛的なパーソナリティが基盤となっていることを考えると理解がしやすいと思われる。また、「疾病逃避」「疾病利得」といったヒステリーの心理規制も見逃せない。単に「うつ病」と診断して休養とSSRIの処方では問題は解決しない。アメとムチではないが、本人を褒めたり励ましたりで何とか仕事を乗り切らせていくことも必要であり、長い年月をかけて人格の成長により偏ったパーソナリティが改善していくのを待つことになる。

<当ブログ上での参考項目>

神経質礼賛223.新型うつ病

神経質礼賛287.擬態うつ病

神経質礼賛312.「うつ」からの脱却(1)

神経質礼賛313.「うつ」からの脱却(2)

神経質礼賛328.「うつ」は休め?

2008年10月 3日 (金)

神経質礼賛 352.血液型本の隆盛

最近、血液型本がまたブームになっている。書店には「△型 自分の説明書」なる本が目立つ場所に山積みにされていて、かなり売れているらしい。この本の特徴は、チェック式である点と表紙にその血液型の特徴とされることがイラストで描かれている点である。今までにないパターンなので目新しく写るかもしれないが、言っていることは結局、従来の血液型別性格説(71話:血液型と神経質 参照)に従ったものである。血液型で性格が決まってしまうのなら性格学などはいらなくなる。精神医学では血液型別性格というものは問題外であり、精神科の初診の際に血液型を聞かれることはあり得ない。

これほど血液型が話題になるのは日本だけらしい。思うに、小学校の授業で血液型の話をすることも一因ではないだろうか。「輸血の時にO型は誰にでもあげられるが、O型からしかもらうことはできない。AB型は誰からももらえるが、他の型にはあげられない」というように教えられる。そうなると、O型は気前が良くて、AB型はズルイ、という印象を子供たちに与えてしまう。また、A型は日本人の約4割なので多数派であるのに対し、約2割のB型・約1割のAB型は少数派なのでそれだけで変わり者という印象を持たれやすい。現在では同じ型からしか輸血はしなくなったし、輸血前に血液型を改めて検査するのだから、もはや小学校で血液型の話をするのはやめにした方がいいのではないだろうか。本来は免疫学で扱う内容なので高校の生物あたりで学べば十分だろう。

ちなみに私の医大時代の友人(医大オケのホルン奏者)は、自分はO型で、だから親分肌なのだと思い込んでいた。ところがケガをしたか何かの時に調べ直したらAB型だとわかって、今度は、世間で言われているAB型性格だと自認するようになった。血液型別性格とはこんなもので、結局は思い込みの部分が大きい。占いと同じで、当たっている部分は過大評価し、はずれている部分は無視するのでこのようなことになってくるのである。

「A型は神経質」というのは根拠がない俗説に過ぎない。今度の新首相がA型なのに「アルツハイマーの人でもわかる」とか「(豪雨被害が)安城や岡崎だったからいいけど」などと神経質が足りない問題発言を繰り返していることをみてもわかるはずだ。

2008年10月 1日 (水)

神経質礼賛 351.カッチーニのアヴェマリア

 先日、FMラジオをかけたら、舘野泉さんの演奏で吉松隆作曲「左手のためのピアノ協奏曲」が放送されていた。舘野さんはヘルシンキ在住の名ピアニストだが、脳溢血のために右手の自由を失ってしまった。現在は「左手のため」作品を集めてリサイタルを開いておられる。左手のためのピアノ協奏曲はラヴェル作曲のものが有名だが、この吉松作品も実にすばらしい。まだ作曲されて間もないが、いずれ評価が高くなるだろうと予感する。とても片手で弾いているとは思えないから、かなりの難曲だろうと思う。さらに吉松隆による左手ピアノ編曲版の「カッチーニのアヴェマリア」が演奏された。初めて聴く曲であり、カッチーニという作曲者名も初耳である。知りたがりの神経質ゆえ、すぐに調べたくなる。この曲はカッチーニ(1545-1618)作曲とされているが、実はよく他人名義で曲を出すことのあったソ連の音楽家の作らしい。楽譜を見ても、バロック前期の作品としては不自然な感じがする。

 こういう偽作問題はクラシック曲では起こるものである。作曲者が誤って伝えられていて訂正された(例えばハイドン作曲とされてきた「おもちゃの交響曲」がレオポルト・モーツァルト作曲だったような)場合と異なり、作曲者に不純な動機があるわけで、曲自体の評価も下がってしまう。私が大好きなヴァイオリニストで作曲家のクライスラーも過去の作曲家の名前を使った「名曲」を数多く世に出して、一時非難を浴びた。「○○の様式による」自作曲とすることで落着し、現在は貴重なヴァイオリンのレパートリーとして愛好されている。また、ヴィオラの協奏曲は数が少なく、ヨハン・クリスチャン・バッハ作曲のものがあるが、これも「編曲者」のカサドシュによる作だったことが判明している。魅力的な曲なのに「偽作」のために今ひとつ有名になれないのは惜しい。これも「カサドシュ作曲 J.C.バッハの様式による協奏曲」とすればスッキリするのにと思う。映画音楽として悲劇的な場面で使われて有名な「アルビノーニのアダージョ」も実は発見者・編曲者のジャゾットの作品と考えられている。

誰の作品でもきれいならいいじゃないか、と思われる人もいるだろうが、やはり本当の作曲者を知った上でスッキリと聞きたいのが神経質である。

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