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2008年10月 1日 (水)

神経質礼賛 351.カッチーニのアヴェマリア

 先日、FMラジオをかけたら、舘野泉さんの演奏で吉松隆作曲「左手のためのピアノ協奏曲」が放送されていた。舘野さんはヘルシンキ在住の名ピアニストだが、脳溢血のために右手の自由を失ってしまった。現在は「左手のため」作品を集めてリサイタルを開いておられる。左手のためのピアノ協奏曲はラヴェル作曲のものが有名だが、この吉松作品も実にすばらしい。まだ作曲されて間もないが、いずれ評価が高くなるだろうと予感する。とても片手で弾いているとは思えないから、かなりの難曲だろうと思う。さらに吉松隆による左手ピアノ編曲版の「カッチーニのアヴェマリア」が演奏された。初めて聴く曲であり、カッチーニという作曲者名も初耳である。知りたがりの神経質ゆえ、すぐに調べたくなる。この曲はカッチーニ(1545-1618)作曲とされているが、実はよく他人名義で曲を出すことのあったソ連の音楽家の作らしい。楽譜を見ても、バロック前期の作品としては不自然な感じがする。

 こういう偽作問題はクラシック曲では起こるものである。作曲者が誤って伝えられていて訂正された(例えばハイドン作曲とされてきた「おもちゃの交響曲」がレオポルト・モーツァルト作曲だったような)場合と異なり、作曲者に不純な動機があるわけで、曲自体の評価も下がってしまう。私が大好きなヴァイオリニストで作曲家のクライスラーも過去の作曲家の名前を使った「名曲」を数多く世に出して、一時非難を浴びた。「○○の様式による」自作曲とすることで落着し、現在は貴重なヴァイオリンのレパートリーとして愛好されている。また、ヴィオラの協奏曲は数が少なく、ヨハン・クリスチャン・バッハ作曲のものがあるが、これも「編曲者」のカサドシュによる作だったことが判明している。魅力的な曲なのに「偽作」のために今ひとつ有名になれないのは惜しい。これも「カサドシュ作曲 J.C.バッハの様式による協奏曲」とすればスッキリするのにと思う。映画音楽として悲劇的な場面で使われて有名な「アルビノーニのアダージョ」も実は発見者・編曲者のジャゾットの作品と考えられている。

誰の作品でもきれいならいいじゃないか、と思われる人もいるだろうが、やはり本当の作曲者を知った上でスッキリと聞きたいのが神経質である。

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